人生の不幸は人のせいにはできない | クライミング豆の木

人生の不幸は人のせいにはできない

生きてる以上、自分の人生に責任を持つことはとても重要だよな・・・。

と、思う。

人を見下さないようにするにはどうすればいいか、今日考えていて、思ったのだ。


・・・私は思春期からヒキコモリで、とうとう高校も辞めてしまったわけだけど、

神経症的に(痴呆っぽく)なったのは、高校のころだった。

文字が読めなくなったり、人がいってることが理解できなくなったり。

それで、周りの人からはこのひとアホかと思われていただろうなと、思う。


んでも、そのころはまだ、他人に自分の人生の愚痴をこぼすってことはできなかった。

少なくとも他人に、自分に関するネガティブな話をすることはできなかったのだ。

私はひそかに失語状態になり、自閉症の状態になった。

天然ボケのキャラを作ることで何とか生き延びながら、

コミュニケーションは不全でも、成績だけはよくしようとか思って、がんばってた。

今思えばそれがすでに、病だ。

症状の意味するところがどうのこうのではない。

つまるところ、私の問題は学習とかそういうものではなくて、

コミュニケーションそのものだ。

人は、どんなに下手でも誰かとコミュニケーションをとろうとしている。

それが無くってもいいとか、独り言でもいいとか、そんなことを言っているひとは、

なにか根本的なところですれ違っているのである。

てか、根本的なところで逃げている。

私は10年以上、逃げている。


逃げながら構えているひとは無理をしているし、逃げも構えも中途半端だから、

叩かれながら逃げなければいけないという大変な道を選ぶことになる。

それで、ぼろぼろになって、もう逃げられないというところまできて、

はじめて逃げずにその場所で構えるしかなくなるのである。


・・・結局、私が選んだのは、ぼろぼろになるまで自分を追い込む道のようだ。

あんまり逃げないでもするっといける道を選べば、

ぼろぼろにならなくても人生をまっとうできるのかもしれないが、

私はどうもそうはできないみたいだ。


将来はホームレスかもしれない、と私は思っていた。

中学生くらいからずっと、そう思っていた。

それはすでに、逃げである。

そうおもってホームレスになるやつはあんまりいないだろう・・・、

ま、ホームレスになる前に生活保護になるだろうな。

そういうひとは、

命の一番大切なものを、金庫の奥に閉まったまま、人生を棒に振るのである。

その原石を表にさらして、価値の無い石であることをおそれるあまりに、

磨くことをしないで金庫の奥に眠らせておくのだ。


その恐怖は、正面から立ち向かってどうにかなるものではない。


金庫を開けろといわれても、恐れて金庫の警備を何重にもするのが落ちである。

勇気付けるのが一番だが、たいていの人は勇気付ける代わりに、金庫をあけろとか、

金庫を閉めている臆病さをののしり、歯軋りして脅すのである。

臆病者にはそのようなこと有効であるわけが無い。

余計警備を厳重にして、逃げていくだけなのである。


じゃあ、逃げないでいることの価値はどこにあるのか?。

さぁ。

逃げ疲れる、というのもひとつではなかろうか。


たとえばわたしは、無理してひとにあわせるということができなくなっている。

人の話を聞いて無理にあわせるということができなくなっているw。

(なぜかというと、人の話が理解できてないからだ^^;)

かといって突然素直になったわけではないけれども、

ま、これ以上無理しなくてもいいんじゃないかな、と思っている。

だから、ランチは一人で食べているし(といっても、誰かが一緒にきたらば拒否はしてないけど)、

まぁ、いろいろみたいだ。


なるようにしか、ならないね。