IPU・環太平洋大学サッカー部公式ブログ

IPU・環太平洋大学サッカー部公式ブログ

環太平洋大学サッカー部の公式Blogです。
試合戦評はもちろん、地域貢献、ボランティア、普及活動、イベント企画など様々な活動の報告を選手自身が行います。

こんにちはi1に所属している岡一輝です。アンビションズカップについての感想を書くので、最後まで読んでいただけると嬉しいです。




今回の遠征の試合では、関東や関西のチームとできてとても刺激をもらうことができました。とくに守備の強度や一つ一つのプレーの質がとても高かったのでもっと自分も日々の練習から全てのプレーの質を上げていかないといけないと感じました。



遠征の宿泊先では、みんながサッカーの話しやサッカー以外の話しで盛り上がってとても仲が深まっていると感じたので、今回の遠征はチームとしてとてもプラスになったと思いました。



iリーグ開幕までもあと1ヶ月くらいあるのでもっといいチームになって開幕戦で勝てるように頑張っていきます。
まずは、スポンサー様をはじめ、学校関係者の皆様、保護者の皆様、応援に駆けつけてくれた部員・学校の友達など、この1年間環太平洋大学体育会サッカー部へ盛大なるご声援をいただき、誠にありがとうございました。
『 3冠 』この目標は、叶えられませんでしたがそこに至るまでの自分の話ではありますが、少し書かせて頂きたいと思いますので、最後まで読んで頂けたら幸いです。



まずは、あまり話していなかったなぜ、関東からこの環太平洋大学に来たか。

自分自身、最初は地方という選択肢が全くなく、関東で大学を探していたけど自分の理想としてるレベルの大学からのオファーは無く、その時柔道部の先生、大森淳司先生(現・全日本柔道連盟女子ジュニアヘッドコーチ)が地方の大学だったら全国大会も出れる所が多いいし、色んな人と関わって、将来の人脈を作れて、サッカー以外でも成長出来ると思うから地方めっちゃいいと思うぞと言われて、最初はずっと実家だった自分はいや~想像できないんですよねなど聞き流していました。

そこから、
初めて行った練習参加が『 国士舘大学 』その時のメンバーは、キーパー飯田雅浩(現・カマタマーレ)、バックラインには、望月ヘンリー(現・町田ゼルビア)、山田裕翔(現・いわきFC)、ボランチには、綱島悠斗(現・アントワープ)、アタッカーのポジションには棚橋尭士(現・栃木SC)など、チームを見ても個人を見ても日本一なチームに行ったことを覚えていて、関東のレベルの高さを痛感しました。

国士舘大学楓の杜キャンパスサッカー場から、新小岩駅に帰ってる時に、ここまで自信を持っていたサッカーに自信を持てなくなりました。
その時に、大森ボスがきっかけをくれた地方大学と言うことを考えるようになり、当時のエージェントが、『 環太平洋大学 』を紹介してくれて、練習参加に行ったことを覚えています。


練習参加に決まると、トロンボーンより低いと思われる声で電話がかかってきてその相手は、
今シーズンの監督でもある、羽山温音君・今シーズン1年間ずっとやってきた清水健太GKコーチでした。
一緒に地方で頑張らないか。と言われた事を覚えています。その時に、インカレ・総理大臣に出て地元に戻って親に成長した姿を見せたいと思い、この大学に入学しました。



                 『 2025シーズンスタート 』

岡山県大会天皇杯準決勝  vs環太平洋大学FC
1-4  ⚫️

トップチームのゴールキーパーとして出た試合で
相手は、カテゴリーでは1個下のBチーム(FC)
絶対に負けてはいけない試合。そこで、失点に絡むミスをしてしまい。そのまま試合に入れず、示しのつかない不甲斐ない結果になりました。4年生から、1つの大会を奪ってしまい本当に今でも申し訳ないです。



そこから約4ヶ月怪我に苦しみシーズン前は
全試合スタメンで、チームを勝たせていいシーズンにしようと思っていた自分が、1つの試合で怪我をして、地に落ち、戦線離脱するという形でリーグ前期が終わりました。

後期開幕スタメンに入り、徐々に試合観も慣れてきて総理大臣杯中国予選・全国大会。
結果は出場時間20分。
自分の評価と周りの評価は違く、もっと客観的に自分は何が足りないのか、どうしたらチームに貢献できるかなど人間的にも成長しないとこの状況はいつまでも変わらないと考えるようになり、インカレでリベンジしてやろうと強く思いながら練習をしていましたが、
結果はプレーオフvs日本体育大学
メンバー発表をされるとベンチにいる自分の名前がありました。

正直びっくりした。

その日は中々切り替えれなくて踏ん張り時と思って上級生として、態度には出ないように出る選手をやりやすく最高な形で試合に送り出そうと空元気の中練習をしていた事を覚えています。笑
試合は2-3⚫️ で勝てなかったです。



環太平洋大学体育会が沢山応援に来てくれて、友達も沢山来てくれて、本当に最高な環境を作ってくれて、ありがとう。
だからこそ本当に勝ちたかったし、勝利をして笑顔でみんなに帰って欲しかった。




自分の出来る事は、泣いてる姿を見せる事ではなく、自分らしく笑顔でみんなに『 来てくれてありがとう。』と感謝の気持ちを伝える事かなと思って、ありがとう。と言っていたら


サッカー楽しい!感動した!!
また見たい!!次は勝てよ!!


ポジティブな声ばかりみんなかけてくれて、本当にこの大学に来て良かった。素敵な人達に会えてよかった。と心から思えて、涙が出そうになってました。









ここからまだまだ話したい事がありますが話がまとまらないので、最後に。















『スーパープレイ』じゃなくて良いもん。

ただ平凡なプレイを積み重ねよう。

価値ある命を身に付けているのに余計なもん身につけてどうするの?

茨道も獣道もそこに道があるんなら歩いてみよう

最初から実力で負けているのに『生き様で』負けちゃってどうするの?




必ず試合前に聞く『PINO』






最後まで読んでくれてありがとうございました!
これからもこのチームは強くなります。
2026シーズンも、応援よろしくお願いします!








どーも。環太平洋大学4年の谷聖己です。拙い文章でまとまりがないと思いますが、暇な時にでも見てみてください。



私は小学3年生からサッカーを始め、サッカー歴1年で県の選抜に選ばれる才能ある選手でした。そしてそのまま5・6年生と全ての代で県の選抜に選んでもらい、さらには6年生の時には県大会で全て優勝。全国大会も経験し、順風満帆で「自分はプロになれる!」そう思っていた小学校生活でした。
中学では、Jリーグの「徳島ヴォルティス」の下部組織のセレクションを受け合格し、県内トップの選手たちとプレーできる環境にワクワクしていました。しかし現実は甘くなく、自分より上手い選手ばかりで、1・2年生はほぼBチーム。それでも3年生では全試合に出場でき、高校でも「徳島ヴォルティスの一員としてプレーしてほしい」という話をいただき、ユースに昇格することができました。
しかし高校で1番の挫折を味わいます。1年生では一度もAチームに入れず、2年生でも「自分だけメンバーに入れない日」もあり、サッカーが嫌いになり練習に行きたくない日々が続きました。3年生になっても思うような結果は出ず、トップチームに昇格できませんでした。そこで私は環太平洋大学でプロを目指すことを決めました。



大学4年間を振り返ると、「自分より上手い選手はいない。自分が一番上手いのになんで一番上でプレーできへんのや」と思い続けたサッカー人生だったと思います。しかし4年生になってから気づきました。その気持ちこそが自分の成長を止め、サッカーへの真剣さを欠き、「この程度のサッカープレーヤー」で終わってしまったのだと。
1年目。FCに所属し、「一番上のカテゴリーではないけれど、こんなに上手い先輩方がこんなところにいるんだ」と驚きつつも、「上手さだけなら自分が一番や」と思っていました。しかしスタメン出場は0。途中出場は多かったものの、「自分はこんなもんじゃない」「なんで出れへんねん」と思う日もあり、傲慢で生意気な1年生でした。
2年目は全試合スタメン。しかし「チームのために何ができているのか」「なんで自分はこんなにできへんのや」と悩む日々。それでもどこかで「試合出てるしええか」「自分より下手なやつばっかやしええか」という甘えがありました。挙句の果てには降屋さんに怒られ、自分の不甲斐なさにイライラして返事を無視したり、不貞腐れた態度を取ってチームに迷惑をかけました。(今だから言える「後輩たちは本当に降屋さんの言うことは当たるから聞いた方がいい。」)
シーズン終了後、新人戦のメンバーに選ばれましたが、「全国に行ってからの戦力として考えているから、簡単に出れるとは思わんといてほしい」と告げられ、その時の私はプライドが高く「出れへんなら行っても意味ないやん」と思い一度断ってしまいました。今考えれば、トップチームでもない自分が簡単に出れるわけないし、「トップチームの人達を見返してみろ」という監督からの期待のメッセージだったのだと思います。
その後、新人戦組が全国出場を決め、「このまま出場しないままでいいのか」と葛藤し、もう一度チャレンジしたいと話してメンバーに入れてもらいました。しかし言うのが遅く、登録に間に合わず、そのときモチベーションが一気に落ちました。そんな時、2年生から共に左サイドを守ってきた海老沼くんから励ましのLINEが来て、気持ちが救われ「もう一度頑張ろう」と思えました。ありがとう、海老沼。
3年生。FCの最高学年となり「天皇杯に出たい」「全社に出たい」という気持ちは強くなりました。しかし天皇杯は三菱に負け、全社は福山シティに0-4の大敗。悔しさしかありませんでした。ただひとつだけ後期の福山シティ戦のゴールは今でも覚えています。あれは最高でした。(「もっと褒めてくれてもいいのにな」と思ったほどです。)冗談は置いておいて、そんな3年目でした。
そして4年生。ここで気づきました。「サッカーが上手いだけではダメ」だと。3年時のスタメンメンバーの中でFCに残れなかったのは、休部組を除くと自分だけでした。正直、みんなの前では強がってたけどすごく悔しかった。でもこれが現実でした。
Iリーグに移り、最初は「相手は学生やし余裕やろ」と完全に舐めていました。遊ぶ時間も増え、努力を怠るようになりました。しかし周りの熱量が上がり、休部組やFCの4年生が合流し、レベルが一気に上がると、サッカーがまた楽しくなり、熱も戻りました。でも遅かったんです。
本当は休部組やFC組がいない時こそ、自分がもっと引っ張るべきだった。大学だけじゃなく、中学・高校・大学すべて、「もっと本気で向き合えていたら」未来は変わっていたかもしれない。全国大会にも出場できましたが、「もっと早くから気づいていれば結果は違った」と思います。
こう思い返してみれば本当に後悔しかないサッカー人生で自分に甘すぎたなと感じております。
結局何を伝えたいのか。
「後悔してからでは遅い」ということです。
引退した今思うのは、「もう一度サッカー人生をやり直したい」「もう一度あの仲間と全国で戦い優勝したい」「もっとサッカーを続けたい」。やり切ったなんて1ミリも思っていません。
後悔なく人生を終える人はいないと思います。ですが、後悔をどれだけ少なく終われるかは、自分次第です。
自信を持つことは大事。でも「上手いから努力しなくていい」なんてない。
「上手い奴ほど努力せなあかん」。
そう思ってサッカーしていれば、プロに行けた今でもそう思います。ただ、今言っても「口だけのやつ」になるだけです。
だからこれからプロを目指す人、サッカーをまだ現役の人達、
「自信を持って、誰よりも努力して、後悔を少なくできる生き方をしてほしい」。
必ず道は開けます。
下手で面白くない文章だったかもしれませんが、ここまで読んでくれたということは全部見てくれたというだと思うので本当にありがとうございます。
3年生のいじめっ子代表江上と百々を筆頭に、IPUサッカー部を盛り上げていってください。応援しています。



そして最後。今まで1番近くで支えてくれて応援してくれた家族のみんなありがとう。俺の気持ちを1番に優先してくれて何一つ文句を言わず応援してくれてたお母さん。試合の時には1番応援してくれて落ち込んでいる時には「いぶなら大丈夫や」と常に励ましの言葉をくれてたお父さん。いつも感謝しています。本当にありがとう。家族のみんなが大好きです。俺は恥ずかしがり屋やから直接言えんけど言えるようになります。そしてこれからもたくさん迷惑かけると思うけど立派な大人になるのでこんな僕ですがよろしくお願いします。

書くべきだと思った。
書かなければならないと思った。

「溝口飛和」という人間が約80年かけて作り上げる「人生」という超大作物語の第1章、16年間に及ぶ「サッカー」が先日、華々しくそして自分らしい形で幕を閉じ、その瞬間から新しい第2章が始まっている。主演としてひとまず第1章を終えた思いなどをここに表現したいと思う。



第1章の中にも細分化された内容がある。
兄の影響でサッカーを始め、小学生では地元の小さな少年団に所属しサッカーの楽しさや魅力に触れ、監督に愛と厳しさのある熱烈な指導を受け、県内では名の知れたサッカー少年だったこと。

中学生では、大分県のJクラブ・大分トリニータの下部組織に所属し、重みのあるエンブレムに袖を通し九州を舞台に戦い、初めて全国を肌で感じたこと。プロへの道筋がほんの少しだけ見えたり、キャプテンを経験したり、毎週水曜日にグラウンド3周を3分50秒で全員が5セットタイムに入るまで走り続けたこと。学校生活にも全力で取り組み、生徒会長や体育祭実行委員長を務め、外部のサッカーと学校生活を両立したこと。

高校生では、大分トリニータのユースに昇格できず人生初にして大きな挫折を経験した。大分県チャンピオンとして選手権ボーイになるため、文武両道を実現するため大分西高校に進学した。青春とサッカーは確実に両立できたが、サッカーの結果はほとんど実らず、2年次の新人戦で優勝した以外はベスト4止まり。夢だった選手権ボーイにもなれず、学校生活でも大迷惑をかけてしまい、あの時の自分は本当に若すぎたなと心から思う。

小中高を振り返っただけでも文章を打つ手が止まらない。もっと一節ずつ細かく内容を振り返りたいが、これらの思い出はそれぞれの年代で出会った仲間たちとお酒を交わしながら話そう。全ての事柄は笑い話になり、様々な問題や事件は時間が解決してくれているはずだ。

小中高で感じた全ては、時が経ち忘れていることや薄れていった感情もある。だが大学生での思い出はひと味違う。直近すぎるし、強烈すぎる。4年間はあっという間だった。

大分から岡山へ。引越しを済ませ、キャリーバッグとリュックを持って「行ってきます」と両親に挨拶し、新幹線に乗った瞬間、意味も分からず溢れ出す涙とともに家族LINEに感謝を綴りながら始まった大学生活。入学前の遠征メンバーを見た時、Jユースや各地域の強豪校から入学してくるメンバーを見て、1人ずつゲキサカで名前を調べ、経歴や特集、プレー集を見て心の準備をしていたこと。

運よくAチームスタート。自分のキャラや多少プレーも評価され、3年間大学のトップレベルでサッカーをし、全国大会を3度経験したこと。中国リーグでの得点。新人戦中国大会優勝。県リーグ得点王アシスト王MVPを獲得したこと。いい経験もいい感覚も沢山経験したこと。
しかし、その経験とは裏腹にサッカー選手としての限界を感じたこと。夢と現実のギャップ。10数年本気で追い続けた夢がどんどん遠ざかっていく瞬間を何度も経験した。
先輩がプロになったり、新人戦で戦った早稲田大学や練習試合で戦った大阪体育大学を相手に結果、内容ともに大敗した試合。相手チームにいる超スーパーな一流選手を前に手も足も出なかったこと。サガン鳥栖、ファジアーノ岡山、ブラウブリッツ秋田など本物のプロクラブとトレーニングマッチを組んでもらい、小野裕二選手(現アルビレックス新潟)に完璧なトラップからゴールを決められ、「上手っ」と思わず声が出た瞬間「感心してるようじゃ上行けねぇわ」と呟かれたこと。樺山諒乃介選手(現ギラヴァンツ北九州)と横山歩夢選手(現ゲンク)に左サイドで鳥かごしてるかのようにボールを簡単に回されそのまま得点されたこと。ファジアーノ岡山の練習参加やトレーニングマッチで江坂任選手が訳の分からないタッチから訳の分からないスルーパスを出してたこと、一美和成選手のボールを奪いに行ったら軽くお尻で弾き飛ばされたことなど。

まだまだ思い出せば強烈なエピソードは山ほどある。夢を諦めるには十分すぎる経験が大学3年間にはあった。

夢を諦めた自分はサッカーをする意味があるのかと考えたこともあった。散々プロサッカー選手になると言って卒業文集や、数々のインタビューで夢を語り、地元を離れ、親や兄妹、親戚、友達、これまでプレーした仲間や指導者から応援してもらっていた分、夢を叶えられそうにない現実への悔しさ、恥ずかしさ、自身の無能さに押しつぶされそうになった。

夢を諦めた上でプレーする姿勢は確実にプレーに出ていたのだろう。大学3年時はほとんど試合に絡めずシーズンを終え、大学ラストシーズンを迎えると同時に、3年間在籍したAチームからの降格を告げられ、Iリーグのカテゴリーに移った。



大学トップレベルを3年間感じ続け、得た感覚や衝撃は全て自分の財産になるに違いないとも思ったが1人のサッカープレイヤーとしては悔しい気持ちでいっぱいだった。

そして始まった大学ラストシーズン。サッカー生活ラストシーズン。結果として、このカテゴリー変更は本当に良かったと心から思う。

カテゴリーが変わって初めての練習、緊張でいっぱいだった自分に声をかけてくれたI1の4年生。次の日のスピーチに指名してくれたり、いじってくれたり、練習内容を教えてくれたり、「オッケイ」は何がなんでも言うようにと教えられたり。あの一つ一つの声掛けでどれだけ救われたことか。その時にプレーする場を与えてくれ、仲間として迎えてくれたこのチーム、この仲間に恩返ししようと強く思った。

ここに来なければ出会えなかった同期、後輩、指導者。ここに来なければ感じられなかった新たな感覚。言葉では表せないが、自分の中のサッカーの在り方、人間としての在り方が大きく変わった。チームメイト、指導者に変えてもらった。

歳を重ねるにつれて「全力」「本気」「100%」なんてどこかでダサいと思っていた自分が、「全力で本気で100%の力を出し切って勝とう」と、これができる奴が結局一番カッコいいと思えるようになった。

今シーズンはかなり充実度の高い1年だった。
これまでサッカーをしてきて、試合に出続けることができればいい1年、あまり試合に出られなければ悪い1年と定義していた。
確かに今年は公式戦はほぼスタメン、フル出場し、目標だった全国大会にもI1として4年ぶりに出場でき、充実度が高いことが目に見えるように分かる。でもそれだけではない。

サッカー以外にも理由はある。ボランティアをたくさん経験させてもらい、「めんどくさい」「だるい」「時間の無駄」なんて思わず楽しんで活動出来たからだ。活動それぞれに自分で面白さを見つけ、全力で馬鹿をしてみたり、人助けをしてみたり、盛り上げてみたり。そんな一つ一つをI1のメンバーと行い大変だったけど、でもどこか楽しくて面白くて、そんなことが毎日続いた。だからこそこの1年は充実していた。そんな1年だった。

大学4年間はほんとに短く、文章量でも伝わるようにほんとに濃い内容だった。
また16年間をある程度の文章にまとめると、これだけでは物足りない。それでもこうして振り返ると、感謝すべき人、16年間サッカーを続けてこられた理由が浮かんでくる。

引退が決まった時、「16年間何不自由なくサッカーをさせてくれてありがとう」と両親に電話した。すると「16年間も続けられたことが凄いよ。ご苦労さま」と言われた。自分にとって短くあっという間でも、第三者から見れば膨大な時間だったのだろう。特に家族は。多くの時間と労力、お金を使って支えてくれた。家族の時間も犠牲にしたと思う。小学生の頃は年に一度行っていた家族旅行も、サッカーが忙しくなるにつれ行けなくなり、妹は家族旅行の記憶なんてほとんどないんじゃないだろうか。それなのに遠征費、部費、用具代はかかり、送り迎えや弁当作りなど大変なことを全て任せきり。自分は練習や試合帰ると風呂に入り飯を食って寝るだけ。日中に体力を使い切ってしまい、家族と話す時間もほとんどなかった。少し大人になった今、本当に親不孝で、たくさん苦労と心配をかけたんだなと気付く。いつも応援し、背中を押し、ときに愛情を持って叱ってくれた。そう思うと溢れるものがあり、感謝でいっぱいだ。ありがとう。

そして、こんなにもサッカー大好きになり熱中できた理由。

サッカーができる。練習ができる。試合ができる。点を決める。アシストする。試合前日、緊張で眠れないベットの上。朝起きて絶対勝ちたいと思う気持ち。勝つ喜び。負けて強くなりたいと思う気持ち。応援が聞こえる心強さ。真夏も真冬も関係なくピッチを走り回る爽快さ。選抜や昇格の合否。ピッチに立てる喜び。優勝の喜び。全国に出る喜び。メンバー外の悔しさ。ビッグチャンスを外してしまう悔しさ。全国に行けなかった悔しさ。痛かった怪我。新しいスパイクを買ってもらった時の嬉しさ。様々なタイプのグラウンド。練習場へ向かう時に聴くいつもの音楽。グラウンドに行けば仲間がいるという高揚感。



ここには書ききれないほど、サッカーをしていて感じた感情・感覚がある。それら全てが嬉しくて、悔しくて、それでも楽しくて大好きで、気付けば16年間続いていた。

その中でも、サッカーを通じて友達ができる、友達と仲が深まる、新しい出会いから新しい友達が増える、この感覚がたまらなく好きだった。サッカーをプレーすること自体ももちろん好きだったが、今思えば、部活中に友達とちょけたり、時にヘラヘラしたり、点を決めて馬鹿騒ぎしたり、部活後に部室やグラウンドで談笑したり、リフティングしたり、自主練したり、ジュースじゃんけんをしたり、河川敷をチャリで帰ったり、その道中にコンビニで買い食いしたり、そのまま飯に行ったり、遊びに行ったり。

そんな楽しい当たり前の日々が楽しくて、友達に出会えたことが嬉しくて、これこそが16年間サッカーを続けてこられた理由であり、サッカー生活の一番の収穫だったのだと思う。

本当に素晴らしい人たちに恵まれた。サッカーを始めて良かった。16年間続けて良かった。出会った友達との繋がりを一生大事に、全ての人に感謝と愛を伝えたい。


本当に、第1章のサッカーという内容はこの人生を綴った物語の中で最も濃くて思い出深い内容だったのではないかと思う。だが多分そんなことはなく、これからまだまだ楽しくて、面白くて、時に辛く、悲しい内容が様々なタイミングで始まりや終わりを迎え、第2章、第3章と続いていくのだろう。

頭の中全てサッカーの生活から頭の片隅に少しサッカーがある生活へ。

時間が長くかかっても本気で熱中できる新しい何かを見つけ、その環境で起きる新しい出来事、新しい友達を大切に全力で楽しみたい。

今回は長々と綴った溝口飛和の第1章・サッカー編を読んでいただきありがとうございました。

第2章でお会いしましょう!
「今日も一日niceな方へ!」
みなさんどうもこんにちは。
今回ブログを担当させていただきました。環太平洋大学サッカー部i1所属の林徳真です。
自分は先週のiリーグ全国大会をもちまして引退しました。この大学サッカー4年間について話していこうと思います。



最初の1年目は9カテゴリーあるサッカー部でなぜか、なぜかなぜかFCという上の方のカテゴリーでサッカーをさせていただきました。とは言っても同カテゴリーの方々からは「三脚係」と言われ、責任を持ってカメラに没頭していました。ipuはポゼッションサッカーですから、どうやったら味方相手の配置が見やすいかなど研究に研究を重ねて、画質が悪いiPadのカメラで撮影していました。予備で自分のiPhoneも肩身離さず持っていました。(もちろん充電は100%)練習ではポゼッション中考えることはボールが外に出たら、どんな遠い場所からでも先輩にはボールを取りに行かせないために、「いきます!」と言い放ちスプリントしてボールを拾いに行く事でした。そんな1年目でも先輩方からも可愛がっていただき楽しくサッカーすることが出来ました❗️
2年目も自分のポジションでの競争率が低いおかげかFCで残らせてもらいました。2年目では1つ学年が上がって三脚係は卒業させていただきましたが、次は「マーカー回収係」として過ごしていました。ベンチに入らせていただく事ができ、試合の後半で出させてもらうかとアップをしていましたが、交代カードを使い果たした後すぐに、アップで使用したマーカーを回収していました。そこはプロ意識を持って頑張らさせていただきました。今後自身が持つ4秒という記録は後輩たちに打ち破ってほしいです❗️
2年間で学ばせてもらった2つの係を3年目では後輩に受け継ぐよう努力してきました。3年目では2つほどカテゴリーを落とさせてもらい、後輩たちも多い中サッカーをさせていただきました。甘えた態度で入ってきた1.2年生にはこの2年間で自分が学んできた上下関係について根気強く指導していきました。「4年は神様、3年は天使、2年は人間、1年は奴隷」この言葉は何十回と言い続けてきました。指導された後輩たちにはこの言葉を心の一番角っちょに小さくとどめていてほしいです❗️



そして最後の年になり、この3年間で学んだ「神様」という位置に辿り着きました。そんなGOD林GODは相変わらずGODBENCHIでした。そんな自分でも「このメンバーで全国に行きたい」という気持ちは熱く持っていました。同じi1所属の橋てんまくんは中国予選のプレーオフ前に食事に行った時、全国に行きたすぎてピーピー泣いていました。自分が入部してからのi1の先輩方はどの年も全国に行けず、悔し涙を流していました。てんまくんは試合をする前からピーピー泣いていました。しかしこのてんまくんは中国予選の決勝でハットトリックを成し遂げ、後輩たちが応援してくれる中あのピーピーてんまくんは超ドヤ顔でドヤってました。駆け寄った時、口が臭すぎて死ぬかと思いました。かっこかわいかったです。そして5-2で勝って、念願の全国大会に出ることが出来ました。もちろん我が英雄てんまくんはピーピーピーでした。
しかし全国大会では1回戦で2-3と呆気なく敗退してしまいました。本当に残酷なものです。もう少しみんなと勝利を分かち合いたかったです。
この4年間では本当に多くのものを学ばせていただきました。



最後にこんなふざけた文を長々と申し訳ありません。引退した今、本当に暇なんです。面白みがない日常なんです。だからこそ後輩たちには、サッカー出来ている今が本当に幸せなんだということを伝えたいです。「三脚係」「マーカー回収係」「奴隷」「人間」「天使」「神様」なんだかんだいって本当に幸せだったなとつくづく思います。この環境に身をおかせてくれている全ての人に感謝です。後輩たちには長いようで短い大学サッカーをとことん楽しんでほしいです。
最後まで読んでいただき有難うございました。