12月19日、プラハにて。
さて、プラハ城の丘から街へ下ろう。
ツアー中、僕も含めお客様は現地日本人ガイドの名解説を
耳に嵌めたイヤホンで聞きながら歩いている、贅沢。
この前大阪のJKをご案内したんですがこの階段ですっ転んで
大変でした、JKでもそうなるんですからお客様お足元に
ご注意ください。とガイドさん。
JA(農協)に勤められてたお客様がJKって何ですか?
と添乗員の僕に聞く。
ヤングな僕は即答する。JKは女子高生の略ですよ、と。
この階段、数年前の日本のドラマで、のだめが歩いたんです、
とガイドさんの声。
控えめな一人参加の若い女性がその声に反応し写真を撮り
はじめる。
添乗員の僕は、見てはないけどそのドラマは知っている
ので、
のだめのピーカンタレ、お好きでしたか?
この階段でお撮りしましょう、ハイチーズ。
控えめなお客様に対ししっかりツボを押せ満足な添乗員。
その後、控えめなお客様がおっしゃった。
のだめピーカンタレではなく、のだめカンターピレだと
思いますが、と。
気を取り直して、階段の途中ムハが住んだ家、
階段の途中、この前遂に死んだ最後の老夫婦の一室が
空き、このアパートが誰かに買われ何かになる途中だと
の事。
19世紀の古いアパートを宿にするのかなんなのか?
エレベーターの支柱でも挿入してるのか?
今度来たときに確かめよう。
坂を下ると、聖ミクラーシュ教会。
オーストリア人天才モーツァルトは35才ウィーンで亡くなるが、
その墓もどこにあるのか、わかっていないが、
世界のどこよりも早くこの教会で追悼ミサが行われた。
ここの店はビールの注ぎ方が最高なんです、とガイドさんの
声を耳元に、今日の自由昼食、自由夕食に向け
それぞれがメモをする。僕も親指と人差し指の間にメモを取る。
ヴルタヴァ(モルダウ゛)川、スメタナ(1824~1884年)が
歌った我が祖国は、ロシアに対し立ち上がった汎スラブ主義
運動の時代、100年後社会主義政府への(共に負けた)
革命)プラハの春をへと導いた。
ここに架かるのが、
カレル4世により1402年完成のカレル橋。
欄干に15体づつ計30体の像が立つ。
橋の中央に、皆が石像の中ブロンズの像が一人。
彼の名はヤンネポムツキー、14世紀のボヘミアの司祭。
時の王妃の告解の内容を聞き出そうとした王に明かさなかった
ため?怒った王は拷問の末、橋から投げ捨てられたとか。
足元に輝くブロンズ、橋から投げ捨てられた彼のレリーフを
撫でると、
撫でると、捨てられた男が家に帰れるのか?とにかく僕は
撫でた。
チョンマゲの男に担がれるザビエルなど、偉人達が並ぶ。
橋の入口カレル4世。
振り返りプラハ城。
旧市街に入れば毎日が縁日、地元民に多くの観光客が行き交う。
一等地のスワロフスキー、創業者はチェコ人でボヘミアガラス
の職人の息子、カットの秘密を守るためオーストリアの山奥に
工場を建てたそうな。
旧市街広場はクリスマスマーケット。
クリスマスマーケットのランキングをすれば、常にトップ7
に入る、クリ市界のの神セブン。
お昼にはここのパスタを食べた。
そして夜。
ディーン教会やツリーも輝きを増し賑わいも最高潮。
何人かの希望者と、ビールを飲みに行った、
名前はlokat?と言ったかな、
味のわからぬ男だけど、
プハー、うめかったぜ。
これにて中欧、ポーランドツアーは終了。
お読みいただき、(ご参加いただき)ありがとうございました。