第114回 「黒田清隆」
ゴールデンウィークに、五稜郭のある函館を訊ねた。
函館の地は、まだ肌寒く桜も蕾のままで、日本列島で唯一、稲作文化が根付かなかった極東の地を感じた。
五稜郭は星型の平城で、箱館戦争(1869)で旧幕府の榎本武揚と新撰組最後のサムライ土方歳三が、独立王国を夢見て、新政府軍を指揮する黒田清隆との戦いに敗れ、幕末の終焉を迎えた舞台である。
この戦いを制した黒田清隆は、激動の維新の時代を生きぬき、第二次内閣総理大臣まで上り詰め、旧五千円札にまでなった人物だ。
黒田清隆は1840年、薩摩の下級武士の下で生まれ、薩摩藩藩士として育った。
黒田清隆を有名にしたのは、西郷隆盛と桂小五郎の薩長同盟を実現させたことによる。その後、幕臣幹部の中心の人物として、幕末の最後まで戦線の現場に立ち続けた人だ。
箱館戦争を制した黒田清隆は、その後北海道長官に就任した。
黒田清隆は、北海道の経営にあたり、「開拓基本構想を描くには、開拓の国アメリカを参考にすべき」と考え、自ら渡米し、アメリカ政府の現役農務長官・ホーレス・ケプロン氏を北海道の事業構想策定のリーダーとして、ヘッドハンティングした。
ケプロン氏に、北海道の基本構想を委ねた。
このケプロン計画に基づき基盤整備事業をスタートさせたが、たちまち支出超過を招き、破綻している。
何故こんなにもろく、ケプロン計画が破綻したのか?
札幌の北海道大学の北海道資料館で、黒田清隆が招いた、ホーレス・ケプロン氏のキャリアを調べてみた。
シナリオを描く人でなく、決断して組織を運営する企業家タイプの人間像に思えた。
ケプロン氏によって、北海道開拓の青写真を描く為に投じた資金と彼自身の年棒は、途方もない金額であり、北海道を最大級に賛美した壮大な内容のケプロン計画を実行するには、当時の明治新政府の財力では、とても実行できる内容ではなかった。
「移民による農業で繁栄を極めたアメリカに学べば、きっとうまくいくだろう」と考えた黒田清隆の考えは、間違っていなかったと思えるが、北海道の未来のシナリオを託す人材としては、結果的にケプロン氏は人選ミスであった。
今日の、夕張市を始めとし、北海道の経済は厳しい状況が続いている。
ルーツは、北海道開拓のスタート時、創業のDNAを創造できなったところにあるのかも知れない。
新たな事業を始める時、三種類の人材が集わなければ、うまくいかないケースが多い。
構成は、Value Creator ビジネスモデルを考える人、Excellent Player オペレーションの達人 Excellent Managerビジネスをトータルに管理する人である。
経営人材チームが、理想のベクトルに向かって団結すれば、想いが形になって行く。
Excellent Player黒田清隆が、Excellent Managerのホーレス・ケプロンを迎えても、ケミストリーが起きなかったのは、自然の流れだったと思えた。
もし百年前、本来の北海道の土地の力を生かし、文化を継承させるビジョンを示すアントレプレナーが、強い経営人材チームを創ってら、北海道はデンマークを越える「世界の北海道」として輝いていたかもしれない。
第113回 「企業内起業家」
不況期、「日本型経営は通じなくなった」とソニーを始め、欧米型経営を目指した多くの企業が苦戦している。
トヨタ・キャノン・ホンダといった日本型経営を貫いた企業は、史上最高益を更新している。
私は、この強さの源泉は、企業内に起業家を長期的に育てたことにあると確信している。
来月、この「企業内起業家」をテーマにした書籍を発行する。
「限りある人生の時間で、できるだけ納得のいく価値のある仕事をしたい。
商事の社員としてやった方が、スケール感をもってできるからね!」とは、十三年前、現ローソン社長の新浪さんが私に語ったことがある。
新浪さんは、三菱商事で給食会社ベンチャーを興した、企業内起業家だ。
新浪さんのような企業内起業家は、組織で働く個人にとっても、企業内起業というアプローチは、第三のキャリアパスだ。
企業が新規事業を立ち上げる際、いろいろな方式がある。
社内にプロジェクトチームを作り、事業部として育てる。或いは、母体企業から切り離して子会社化することもある。
こうした従来型の新規事業開発は、母体企業の傘の下で行われる。
当然、最終的な経営判断や人事制度なども、母体企業の影響を色濃く受けることになる。
これでは、自立した起業にならない。
企業内起業とは、そうした従来の新規事業開発や安易な社内ベンチャーでなく、企業内起業家が企業の経営資源を活用しての創業や、カーブアウト、ジョイントベンチャー企業としての起業である。
企業の経営資源を使いながら、自立した企業として成功する為には、いくつもの難問題をクリアしなければならない。
企業内起業には「企業内」ゆえのたくさんの壁が立ちはだかり、ベンチャー企業を立ち上げるより、難易度が高いとも言える。
それでも、個人の起業は、仲間がいても、時間・人脈・資源・金・情報と全てにおいて限られた条件の中で闘っていかなければならないことに比べ、はるかに有利なスタートが切れる。
以前ほど大企業にいる利点は少なくなってきたといえども、これまで築いてきたブランドや信頼感や市場影響力は大きい。現存の企業は、有形無形の経営資源を持っている。
「企業内起業」によって自己実現を目指す道がある。
明治維新の頃、渋沢栄一のようなインキュベーターと、岩崎弥太郎をはじめとする多くの「起業家精神」旺盛なベンチャー企業の勃興があった。
起業家達の誕生が、社会を繁栄させた。
第112回 「語り継がれる言葉と経営」
かつて、「企業の寿命は30年説」といわれていた。
最近では、激変する環境変化により、企業事業生命は10年を切ったといわれている。
脚光を浴びた企業や社長が、急に姿を見せなくなっている。
一方、100余年にわたり脈々と発展している企業が存在している。
こうした企業には、「先人から引き継がれる経営哲学・精神・DNAを表す共通言語」を持って、これを継承している。
「伊右衛門」や「プレミアム・モルツ」をはじめ、常に新たな商品をヒットさせ続けているサントリー社では、いつの時代にも通用するチャレンジスピリッツ(DNA)が、「やってみなはれ」という言葉が語り継がれている。
我家の冷蔵庫の中は、サントリーダイエットビール、黒ウーロン茶、ハーゲンダッツのアイスクリーム、サプリメント、ミネラルウォーターといった商品群が陣取っている。
過日、親しくお付き合いしている方から、「伊右衛門」を開発したマネージャーの話を伺った。
「伊右衛門」の商品開発には、5年に渡り様々な失敗があって、この商品が生まれたとのこと。
「これだけ永い年月、時間を費やし、しかも、多くの失敗と損失を繰り返した人に、よくチャレンジする機会を与え続けましたね?」と尋ねると、
サントリーには「やらぬ罪」という考え方があって、何もやらないよりやって失敗する人を評価するカルチャーが創業期からあるのだと聞いた。
サントリーは、1899年(明治32年)鳥井信治郎氏によって創業され、彼は「やってみなはれ、やってみなわかりまへんで」と、理屈を言う前に体を動かせと、社員一人ひとりに口癖のように、語っていたという。
単品で一千億の売上を超えるスーパー商品「伊右衛門」は、京都の老舗の福寿園とのコラボレーションと、斬新な竹筒デザインがなかったら、これだけ大ヒットしなかったのかも知れない。
こういった柔軟な発想にチャレンジする「やってみなはれ」スピリッツと、それを受け入れる土壌があったから、「伊右衛門」が生まれたのだろう。
「減点主義」のはびこる大企業が多い中、歴史観を持って開放的スタンスで、チャレンジスピリッツを持つサントリーの皆さん会うと、様々なイマジネーションが沸き、楽しい語らいとなって酒が進む。
いつの時代にも通じる経営哲学やスピリッツが「言語」となり、家訓のように語り継がれる企業は、強い。

