第224回「盛田昭夫さんのDNA」
GWに、風光明媚な知多半島中央にある愛知県常滑市小鈴谷を訪ねました。この地は、世界企業ソニーを井深大と共に育て上げた創業者盛田昭夫の生家の地です。
生前盛田さんに、銀座「ねのひ」というお店でお会いした時、造り酒屋の15代目の跡取りだと知りました。今も350年の歴史を持つ蔵元「盛田株式会社」として存続しています。
盛田さんは当主を継ぐと期待されていましたが、家業を弟に委ね井深大と共に東京通信工業(現ソニー)を興しました。ソニー創業期の資金や社員の給与は、実家の酒屋から経済的な支援を受けてのスタートだったといわれています。
常滑の盛田味の館で、芳醇な酒の「ねのひ」を飲みながら、「自分の会社の製品は、自分の手で売る」という盛田家の家訓を知りました。
ソニーが小さな会社の頃、アメリカの大手時計会社から「SONYでは無名で売れっこない。わが社のブランドで売らせてくれるのなら、10万台のトランジスタラジオを注文する」と、市場調査と商談のため渡米中の盛田さん(当時専務)に申し出がありました。喉から手が出そうな商売であったにもかかわらず、「SONYのブランドを付けなければ意味がない」として断り、「自分達のブランドは、自ら売る」という決断が、ソニーの世界企業としての出発点だといわれています。この決断は、盛田酒造のDNAが15代目盛田さんに受け継がれていたのだと思います。
世界の人々のライフスタイルを変えたアップルの創業者スティーブ・ジョブズは、盛田昭夫さんに憧れ大きな影響を受けた人物としても有名です。
ジョブズは、生前に「ソニーの盛田さんは、数多くの素晴らしい製品を私たちに残してくれた。特に、私の高校時代にリリースされたWALKMANに感動した。30年以上前、初めてヘッドフォンを装着したときの事を思い出すと、当時のワクワク感を思い出す。音楽を町に連れ出すというコンセプトによって、見える景色が一変した。」と語っています。
盛田昭夫さんのDNAWALKMANから「1000曲をポケットに」をコンセプトにしたiPodが生まれ、iPhoneへと進化しました。今、これまでにない情報革命によって、産業に異変が起こっています。
盛田さんからジョブズへDNAが継承され、社会を根底から変える革新的メガベンチャーのアップルが誕生しました。
メガベンチャー勃興の背景には時代を切り拓いた先人達の存在があり、そのDNAが途切れることなく続いていくことを願っています。
追伸
盛田さんの名言を紹介します。
アイデアの良い人は世の中にたくさんいるが、
良いと思ったアイデアを実行する勇気のある人は少ない。
自分を開発し、発展していくためには、
他人と同じ考え、同じ行動をしてはいけない。
人は誰でも種々様々な能力を持っているものなのに、
どんな優れた能力があるかを知らずにいる場合が多い。
座っていてボタモチを待っていてはダメなので、
自力を発揮してボタモチを取りに行く欲がないような人間に、用はない
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第223回「bjリーグ」
5月15日、有明コロシアムで行われたbjリーグファイナル戦に1万人を超えるファンの皆さんが集い、ゴール裏が金と赤に染まり大歓声の熱戦が繰り広げられました。11シーズンで計4,505試合・総勢802万人が来場し、全国で展開された日本初のプロバスケットボールリーグは、「琉球ゴールデンキングス」が優勝し、最後の王者となって幕を閉じました。
今から16年前、日本では500万人のバスケ愛好者がおり、世界には4億5千万人いるといわれ、アメリカのNBAを頂点に50ヶ国でプロリーグが運営されていました。
日本にはプロリーグはなく、バスケ界は 1976年のモントリオールオリンピックを最後に、オリンピックに出場できていませんでした。
企業チームは撤退しチーム数が減少し、競技レベルも低くトップリーグに進む選手は年間10人を切っていました。当時のバスケ界は、実業団による協会で運営されていました。1993年のJリーグ開幕をきっかけに、バスケのプロ化も叫ばれていましたが、なかなか協会組織では進展しない状況が続いていました。
「日本にプロのバスケットボールリーグを創り、ファンや子供たちに夢と感動を与えたい」とのビジョンのもと、2004年4月プロ化を目指したい新潟と埼玉の地域2チームがJBL脱退を宣言し、Jリーグ型地域密着プロリーグ設立室が設けられました。
そして、2005年3月「バスケがしたい」というキャッチフレーズのもと、プロ選手と地域チームが活躍できる地元密着で成立する経営モデルとして、多くの皆様さんの支援によって、日本では前例のないバスケのプロリーグが設立されました。
11月5日、東京、仙台、大阪の会場で、新潟・埼玉・仙台・東京・大阪・大分の6チームによる「bjリーグ」が華々しく開幕しました。有明の会場では、DJの音楽とテンポのいいMCと、華やかなチアリーダーが登場し、観客と一体化したアメリカのNBAを彷彿させる熱戦でスタートしました。その過程には、経営危機を始め東日本大震災でチームの休止など様々な困難がありましたが、多くのブースターや支援者の方々に支えられ、全国に24の地域チームが誕生し、シーズン107万人が観戦するエンターテイメントバスケリーグに成長しました。
bjリーグは9月にNBLと統合し、新設Bリーグとして、新たなスタートを切ります。 多くの困難に直面し、日本初のスポーツ・エンターテイメント事業の機会の窓を開いた勇者たちの精神が継承され、更に国際舞台で選手たちが活躍し成長していくBリーグになることを祈念しています。
第222回「501会」
4月、東京と新潟で異業種交流会「501」の総会がありました。「501会」とは、明治維新の頃、日本を代表する500社の会社設立に関わったとされる経済人「渋沢栄一」の業績を一社でも超えようという創設の主旨に賛同し、集まった企業からなる交流組織です。
今から16年前、NSG代表の池田さんの「新潟で501社の企業を創生し、新潟を活性化していきたい」との思いに共感し設立から関わり、現在東京と新潟合わせて126法人266会員の組織になりました。
この会は、経営のあり方を学ぶ研鑽の場であり、毎月一回、ローソンの新浪さん(当時)やDeNAの南場さんを始め、著名な起業家の皆様をお招きし「起業」をテーマに講演いただき、交流を深める刺激的な場となっています。
日本は、世界から賞賛される明治維新でも、壊滅的な打撃を受けた世界大戦でも、起業家精神旺盛な多くのベンチャー企業の勃興によって、世界で類の無いスケールと速さで豊かな国になりました。
しかし、現在の地方は、中央からの助成金に依存し、大企業の進出に頼り、国の財政難とグローバル化に伴う工場の海外移転等で疲弊し、若者は流出し少子高齢化が進み、加速度的に活力を失っています。
「地方の創生なくして日本の継続的な発展なし」といわれています。
地方には、独自の資源や歴史や文化があります。日本が活力を取り戻してゆくには、地方から起業家が次から次へと誕生し、新しい産業が生まれ、好循環に回転することで成長し雇用を拡大してゆくことが必要です。
起業には、機会が不可欠です。1995年~2005年に起きたIT社会による産業構造の転換期以上と思われる機会が、「2015年前後から2025年前後」の間に起こるといわれています。すべてのものがインターネットにつながり、情報の蓄積や活用といったIoT・ビッグデータ・AI・フィンテック・シェアリング・ソーシャルメディア・エネルギー革命・バイオ・ロボティクス・健康・スポーツ・農業・観光etc... 生活・社会のあらゆる側面を劇的に塗り替えていく新たな産業革命の世界が到来すると思えます。
501会の試みはまだ途中ですが、地域を活性化する起業家が創生されるスタンダードモデルになれば望外の喜びあり、これからも取り組んでいきたいと思っています。
第221回「日本ベンチャー大賞」
2月26日ホテルニューオータニで、経済産業省とNBCの協賛による「新事業創造カンファレンス&Connect!」&「日本ベンチャー大賞」が開催され、会場には千人を超える人々が集い熱気に包まれました。今年の「日本ベンチャー大賞」は、産学連携による創薬研究開発を行うペプチドリーム株式会社が選出され、総理大臣官邸で、安倍総理自ら表彰しました。
ペプチドリームは、東京大学研究者とプロ経営者とインキュベーターによって、2015年に一部市場に上場し、時価総額が2500億円を超えた東京大学発のベンチャー企業です。
経済産業大臣賞を獲得したのは、大手企業とベンチャー企業が連携して「自動運転技術でのロボットタクシー事業」を立ち上げたZMPとDeNAとソニーとのチームでした。
ロボットタクシーの実現は、過疎化が進む地域における人々、お年寄りや障害のある人々の新たな交通手段として期待が高まっています。
日本はリーマン・ショック以降、下降線をたどっていた未公開ベンチャー企業の資金調達が、6年ぶりに1100億円を超えましたが、米国ではベンチャー企業への投資額が6兆円に達しています。月間の起業数は、米国では50万社に対し、日本は1万社程、また、エンジェル投資家といわれる人は、米国では約27万人、日本は800人強といわれています。市場規模が違うといえども、資金調達を始めとする環境の差は、あまりにも歴然です。
ここ最近、日本ではコーポレートベンチャーキャピタル(CVC)が次々と設立され、注目を集めています。CVCとは、事業会社が自己資金によって自ら投資活動を行うための機能を持つ組織のことです。 投資家から資金を集めキャピタルゲインを狙うベンチャーキャピタルと異なり、CVCでは本業との事業シナジーを目的にしています。主なCVCは、リクルートインキュベーションパートナーズ20億円、YJキャピタル200億円、GREE Ventures20億円、KDDI Open Innovation Fund 50億円、ドコモ・イノベーションファンド100億円、フジ・スタートアップ・ベンチャーズ15億円etc、といった企業です。
スタートアップベンチャーへの投資活動を積極的に展開しています。
大手企業にとって、ベンチャー企業を投資支援することで、提携やM&Aの機会に繋がり、事業シナジーが生まれ、イノベーションに繋がります。
自前主義にこだわらない「自動運転ロボットタクシー事業」のような新たなビジネスモデルを実現してゆけば、産業の新陳代謝が進んでいくのだと思います。
第220回「ミャンマー」
世界から熱い視線を浴びるミャンマーに、行ってきました。ヤンゴンの街は、道路の足元は悪く、バスに人が鈴なり、車のクラクションの騒音が響き、あずき色の袈裟をまとう托鉢の僧侶達の姿があり、犬が悠々と闊歩し柔らかな風が流れていました。
20年前のバンコクの様に、至るところでインフラ整備、ビルの建設ラッシュが起きていました。国自体が若く、敬虔な仏教徒が多い穏やかな国民性ということもあって、危なそうな空気はありませんでした。国が良くなり、生活が良くなる希望を持っているためか、笑顔を見せてくれる人がやたらと多くいました。
現地を案内してくれた方から、「ミャンマーの平均年齢は27.9歳、大卒初任給は1万円~1.5万円、定食は50円~100円」と聞きました。田園地帯を走るJR東日本が寄付した電車に乗って(15円位)地元の市場に行き、物価が日本の10分の1程だと感じました。
ミャンマーは1948年に英国から独立し、1989年まで「ビルマ」と呼ばれていました。50年にわたり軍事独裁政権が続きましたが、2011年、血を流すことなく平和裏に民政移管しました。
昨年、歴史的な総選挙があり、非暴力民主化運動でノーベル平和賞を受賞したアウンサン・スーチーさんが選ばれ、大きな転機を迎えています。
ヤンゴン大学で聞いたところによると、「ミャンマーは、軍政による永年鎖国的な経済政策や欧米の制裁で、ベトナム、カンボジア、バングラデシュに大きく遅れをとった。2012年以降、民政移管により新しい市場が開放され、ヤンゴンや首都ネピドーでは、これからの経済発展に期待を膨らませ3年経過したが、停滞していて当時の盛り上がりはない。供給過多でインフレ気味、でも給料は上がらない。みんな今後がどうなるのか心配している。政府は今回の総選挙と、ASEANの経済共同体(AEC)発足で期待している。しかし、どうあがいても現憲法がすぐに改正されることは考えにくいし、軍政時代に既得権益を得た軍関係者や政商らがその利権を簡単に手放すとは思えない」とのことでした。確かに、ミャンマーが繁栄するには、不安要素が多いかもしれません。しかし、ITグローバル世界で、6000万人の人口を抱え、ベトナムの約3分の1(ベトナムは中国の約6割)の賃金で、勤勉で穏やかな人々を雇用でき、日本の1.8倍の国土を有し、黄金の光で周囲を照らす仏塔シュエダゴン・パゴダを2600年前に創建した文化を持つ国が、これから先繁栄しない訳はありません。
現在、日本企業は50社しか進出していませんが、ミャンマーの政府が外銀6ヵ国に仮認可を交付し、2015年に三菱東京UFJ銀行や三井住友銀行がそれぞれ支店を開業し、昨年の12月には日本の協力で、ヤンゴン証券取引所が開設しました。
社会インフラを整え、グローバル企業や人材を受け入れ、オープンイノベーションにより一人でも多くの起業家を創生してゆけば、「アジア最後のフロンティア」と称されるミャンマーが、名実共に注目される熱気に溢れた国になることと思います。