第105回 「もう一つ、さらに」
人間の欲には限界がない。
その際限なく湧き上がる欲求を解決する為に、各方面の探究者の
方々が人生をかけて、研究開発に力を注いでくださっている。おかげさまで、何の努力もしていない凡庸な私も、日々快適に過ごせる便利なグッズやサービスを活用させて頂くことができている。
食に関しても、年々多種多様な店舗が出没し、その店舗の内容や評判すらも検索できるサービスまであるので、大満足の日々である。
ところが、なんと、今や食事だけでないという飲食店が増え始めているのだ。食事が美味しいのは当たり前で、その上にというのである。
ネット対応は当たり前で、仕事がしやすい、勉強がしやすいスペースであることとか、なにか、もう一つの要素があることが求められているそうだ。
食事処でなく、家でもなく、仕事場でもなく、学校でもないもう一つの居場所として。ライブハウスやエンタテイメント系の喫茶とか、楽しむことが目的でない、あくまでも自分の居場所だという。
食事しながら仕事を、あるいは勉強を、仕事場でもなく家でもないところでやらなければならないほど時間がないのか、そんなに忙しいのか、そんなに職場や家庭の環境が悪いのか等と疑問に思ってはいけない。必要に迫られての欲求以上の、それだけじゃない、もう一つが求められる時代になったのだと気が付いた。考えてみたら電話だったものが財布だしカメラだしテレビだしラジオだし…。つまり、なんでも、これでもか機能てんこもり。人間の欲求は限度がないのだとつくづく思う。
食事はもとより、新しい文房具が買えたり使えたり、体にいいジュースを飲んで語学の勉強や仕事ができたり、手芸を習いながら美味いコーヒーが飲めたりとか。お茶飲んで仮眠もできるとか。塾だけど保育もするとか。挙げればきりがない。
店舗だけでなく、あらゆる事業が本業以外の新規参入事業を試みだしている。そこで、新たな多角経営化のはじまりかと、改めて思い起こした。
これまでは、成功している企業もないわけではないが、多角経営は難しいといわれている。志半ばで頓挫した企業を身近で捉えていた経験から、多角経営が失敗する要因の一つに、人の満足という際限ない欲求に応えようと「出来る事」以上を目指してしまう事にある気がしている。(ここでいう人とは、その企業にとってのすべての利害関係者である。)
何か新しい事、なにか別な事と考える時、人間の欲求に対して、人、モノ、金のバランスをとらえてこそ「出来る事」になることを忘れてはいけない。全ての人に満足を与える事は誰の満足も得られないに等しいかもしれないではないか。
物不足や情報不足で必要が欲求だった時代が過ぎ、「さらに」が求められる時代だからこそ、気を引き締めて「出来る事」で身近な問題から解決してほしいと思っている。
もちろん、出来る事が充実すれば、その先、もっと先へ行けるのだから。
2013-04 |
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第104回 「バブルの頃」
泡のごとく、膨れて消えた景気があった。
1981年頃から徐々に始まり、主に1983年から1990年の間、自国の経済力を錯覚していた期間だ。そして、バブルが崩壊したといわれる91年が過ぎても、そこから10年は、産業の進化や、ITビジネスの到来で新興市場が活性し、しばらくはジャパンドリームが続いた。ベンチャーの雄と呼ばれる方々も疑惑による不振がでる前までは、未来を語る勢いがあり、連日のメディアの露出もタレント並みだった。その上、あの独特の絢爛豪華な生活感にはバブル時代を彷彿させるものがあった。
そんな事を今更ながら思い出したのは、その真っただ中を駆け抜けた起業家の一人、折口氏のセミナーを聞いたメモが出てきたからだ。
あるもの全てをエネルギーに変え猛スピードで階段を駆け上がり、その速さゆえに見落とした大事に痛手を負わされたのかもしれないが、常人を超えた発想と行動力がなければ創業10年で1400億という結果は出なかっただろう。
それが、いいとか悪いとかの判断では無く、事実がそこにある。純粋に高みにいくために具体的に壮絶な努力をしたのだ。
一部を要約、抜粋すると、
「どうせ、仕事するなら、確信して宣言するべき!」
「事業は一人では無理、仲間と一緒だからできる。」
「全ては原因があって結果がある。」
「運に頼らず、運に感謝する事!」
「程度の差こそあれ、戦略,戦術を組めばかならず、成果はでる。」
「理念を第一にする事。企業理念、自分の理念。そひて理念は眼でみえるところにおく」
「人を活かしてこそ、カンパニー 適材適所に生かす。」
「能力×情熱×考え方 掛け合えば最強。しかしここに0があると全てが終わる。」
等々、起業にいたる経緯から未来の展望まで教訓を交えての話に情熱という筋が通っていて共感できることが多かった。著名な方々の著書の言葉と似ていても、実践の話には、現実という裏付けがある。
バブル時代は、やたらと熱い人が多かったので、私も乗せられて図に乗りまくっていた。面白い事も沢山あったのだ、とてつもない裏目もみたけど。
いつの時代も表裏があることは、変わらない。
折口氏の言葉は、決して恵まれた環境ではなかった状態から大成し、起業家を支援育成し、実績も残した創業者が、苦悩の最中でありながらも、一人でも多くの人に伝えようとしてくれた心からのメッセージとして心に刻んでおくことにした。
「能力×情熱×考え方」掛け合えば最強。0があったら全て無し、本当にそう思う。
2013-03 |
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第103回 「飲水思源」
年齢を重ねていくということは、当然、同時期に生きてきた人の人生もリアルに垣間見てしまうので、過去と現在を、外見も含めて比較せざるをえない。因果応報とか、自分でまいた種とかと、折につけ私に向かってくる言葉も、周囲を見直す事で更に納得できる。結果、自分に恥じない生き方をした人が、人生の成功者となる事に今更ながら気が付いた。
この場合の恥とは、自身の判断であり、他人の尺度ではないので、あんな恥さらし!と周囲に罵倒されても、本人が思わなければいいのである。ただし、卑劣で非道な行為は、人間としての価値も尊厳もないことくらい自覚はしているはずだ。
恥ずかしいから、すぐに威嚇したり、虚勢をはったりする。
そういう必要のないのが、誇りを持って生きているひとである。
「飲水思源」とは、あらゆる面で、最初に井戸(ことを始めて)を掘った(現実にした)人やその事を忘れずにいることだという。
そもそも、始めの何かをする人は、必ずや何かの犠牲を払っているものだ。
時間や、金品や、情愛や、友人や、時には名誉も、最悪は命を持って、始めの一歩を創造する。その人に、その事に対して恩を忘れずに、大事にするという意味で、作り上げたものに対して敬意を払い、尊重する事だと、これは私なりに解釈した。
しかし、私のように、口ばかりの感謝ではなく、具体的な恩返しができたとしたら、大成功者である。誇り高く生きれると思う。
人間は一人で生まれてくるわけはないし、一人では生きられないから、生きるためには、多くの愛情や努力の上に成り立つあらゆるものに支えられている。
その事を自覚している人と、そうでもない人は幸福感や幸福量が違うのだ。
現に若いころから感謝の気持ちが強い人は、不安から縁遠い豊かな老後を送っている。やはり、昔からの言い伝えは間違っていない。物心ついてからの50年が大事なのだ。
そして、この飲水思源の意味を確認した時に思い出した方がいる。
今や天下の孫正義氏である。私は知人でも関係者でもないのだが、人となりを身近に感じた時が数回ある。
始めは、藤田田氏が孫さんの事を、優しく目を細めながら語ってくださった時。二度目は早川電機の功労者佐々木正氏から孫さんの恩返しのスケールの違いを伺ったとき。ある方のコンサート会場での吉井との会話に懐かしさと感謝の心を感じた時。最近でもデザイン関係の方から、始めを忘れない凄い人だという逸話を伺った。反面、その逆の場合は、どうかは考えたくない。考えない方がよさそうだ。
いずれにしろ思いの強い人物だということは、過去20年を回想するだけで、誰もが納得しているはずだが、成功要因の一つには、この徹底した飲水思源の心得もあったのだと思う。
意識せずに行って、名声を得た今も変わらず同じであったら、益々すごい事になる。
次は、何がくるのだろうか。
2013-02 |
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第102回 「江戸風味」
江戸文化歴史検定、通称江戸検があるほど、江戸時代は、諸外国の情報が寸断された中でも、長く続いた時代だけに、今なお多くの知恵や技術が伝承されている。
今では、お正月におせちを食するのが当たり前のようになっているが、今風のおせちになったのも、江戸時代から形作られたものである。
その昔は、一部の高貴な方々の節句の催事であったようだ。
上流階級の催事も、自分たちなりに工夫をして、皆で楽しむように変革していったのも、歌舞伎や、浮世絵や、お寿司屋、蕎麦屋、天ぷら屋、団子屋、等、徐々に大衆化していったのも、意気な江戸人の賢さの表れのように思う。
そもそも、江戸の人は、宵越しの銭は持たないほど、気前がいいということになっているが、本当はあまりお金をためられる環境になかったのではないだろうか。なので、節約や倹約の知恵は江戸時代の生活にしっかりとあらわれている。
その代わり、ちょっとしたところの拘りに洒落たところを組み入れるという心憎い粋をいれてくれているのだ。粋(意気)に関しては、日本独自の品性であるがゆえに、外国の言葉に訳せないそうである。そんな、独特の精神を創り上げた江戸文化に少し誇らしさを感じる。
意気でいなせなんていうと、江戸っ子の代名詞のようにも使われているが、そもそも江戸前とは、江戸の前、つまり東京湾でとれる新鮮な魚介類を指していて、ともかく新鮮、つまり活きがいいという意味にも使われるそうだ。
いずれにしろ、へ垂れではない。萎れてもいない。腰抜けでもない。
江戸っ子とは、しゃっきりとして、恰好いいのである。
お会いする度に、このしゃっきりとした切れの良さと、生まれ育ちの良さがにじみでるという独特な雰囲気を持っている方がいる。
日本にお茶というものを広めた方の血筋であり、戦後の日本の食生活に大きな喜びの一時を作り上げた功労者の後を継ぐ、意気で鯔背な江戸前気質を持つ、実にスマートな経営者である。
社会人デビューが、武者修行でいきなりの海外赴任であった事で、国外の事情にも詳しく、海外人脈も太い。なによりも、過酷な仕事を耐え抜いただけに、瞬時で場の雰囲気を察知されて、どのような相手にも自然体でありながら、心配りを欠かさない。
話のテンポもきれがよく、話題も豊富で愉快に話されるので、つい聞き入ってしまう。
これから、益々お忙しい日々が続かれると思うが、聡明な頭脳と器量の良さで、これまで以上のブランドを確立されていくと信じている。
正月気分でついついお酒を飲みすぎたら、最後にお茶漬けで江戸文化を検証してみて頂ければと思う。
ちなみに、60年前の発売当時は江戸風味と銘があった。やはり、当時の再興者も、江戸っ子気質を受け継いでいたからに違いない。
2013-01 |
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第101回 「女力(じょりき)」
また、この話で申し訳ないけれど、どうしても、言いたい。
女は本当に強くなった。もちろん、体力的に男性より勝る女性は数少ない。それでも、昨今は、女性が力のいる現場で仕事をし、スポーツ界でも、格闘技でも男性と同じ過酷な練習や試合に耐え抜き、成果を上げている。気骨のある女性政治家も、ベンチャー起業家として名高い方も増えているし、大企業から経営を任される女性CEO抜擢も、珍しい人事ではなくなってきた。
私の周りでも、家事も子育ても併用しながら一線で仕事をされている方も増えている。でも、どなたにも共通しているのは、前向きで強いこと。
人生は、思うようにはならないことのほうが多いが、自分の環境を嘆き悲しみ他人のせいにして埋もれるのではなく、いかに充実して生きるかは、自分で生きることの覚悟ができた時にわかってくるものだ。そうすると、強くなれる。覚悟を決めるということは、最悪の状態を見極めること。だから、たいていの事は、大した事でなくなる。
ところが、精神だけでなく、本当に、本当に強い女性社長がいらした。
18歳で単身オーストラリアに渡り、大学、大学院を卒業し、学生結婚したが破局。帰国後大使館に勤務しながら、なんと30歳で女子プロボクサーになったという社長だ。
「日本に戻って、抱えきれないふつふつとしたものが怒りだった事がわかり、その怒りを発散するのに、格闘技が最適だったのです」と…。
怒りとは、恨みではなく原動力なのだね。なるほどね、それは、わかる。
ちなみに、彼女はキックボクサーにもなったので、蹴りもできる。実にうらやましい。チャンピオンと戦って、ボコボコにされたけど気分は爽快だったらしい。自分は逃げなかったという満足感だったそうだ。
そういう逃げない彼女のメインの事業は、外資系の、香りで気分を浄化させるシステムをコンサルティングしていく会社である。
無の状態で相手にされなくても、忍耐強くねばりきって、やがて大手のクライアントから認められ、今や、有名どころのアロマコンサルタントとして活躍されている。強さと優しさと謙虚さを持ち合わせている、素敵な女性だ。
ああ、ついに女力の時代だ。女子力というどこか可愛い、艶のあるものではない。逞しく、強く、強く、美しく生き抜く女力である。すごい事になってきた。
2012-12 |
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