1887年(明治20年)に創設された相模川上流を水源として横浜野毛山に至る我が国初の近代水道の横浜水道は、明治政府のお雇い英国人技師のR. H.パーマー(1838-1893)の設計、監督によって実現したものだ。
一方、パーマーは有能な土木技師であっただけではなくロンドンタイムズの東京通信員として、当時の日本が苦闘していた不平等条約改正問題に対して、英国人ではあるが日本側に立って祖国政府に訴えていたことでも知られている情熱家だ。
今日の学習の日は、吹く風も爽やかな絶好の秋晴れなので、西谷浄水場から野毛山までの区間の水道道を西谷浄水場まで辿って、以前から気になっていた第二区間終点にある有形文化財の「西谷浄水場旧計量器室」をスケッチするという壮大な?ウオーキングに挑戦した。
横浜駅のQUEEN'S ISETANで買ったランチボックスでの腹ごしらえは、お気に入りのJOYNUSの屋上で。
前回ここに上がったのは2年前だった。
そして、横浜駅西口バスターミナルからは、幾度となく利用した若葉台団地行き(05系統)に乗ったものの、星川駅の最寄りのバス停が分からず上星川まで乗り過ごしてしまったので、星川駅まで歩いて戻ることになった。
目の前に大きな階段状のマンションが聳えている。中央の屋根がある部分はエスカレーターだろうか、この辺りの丘陵地にはこのようなマンションが多いような気がする。
そして、相鉄本線の高架下から星川駅へ。
星川駅手前から帷子川を越えて、ようやく水道道の前回到達地点まで戻る。
水管橋が並行する宮川橋を渡る。
水道道は相鉄本線の高架を潜ってさらに西へ。
和田町駅前までは和田町商店会だった街路灯が、上星川駅辺りからはズバリ、水道道商店会となったが、商店はまばら。
しっかりここにも「水道みち」パネル案内板。
横浜市水道局のホントにレトロなフォント銘板がついた施設は、「横浜市水道局給水車両ステーション」だった。
バス通りに沿って緩やかな坂道を登ると、目的地「西谷浄水場旧計量器室」に到達。
白い木製扉の装飾金具がいい感じ。
内部には、当時の計量器の一部だろうか、一台だけ古い機器が残されている。
水道道をさらに上って西谷浄水場へ。
フェンスに沿って右(北)方向へしばらく歩くと、横浜市中心部が見えた。中央の丘の白い壁が先ほど見た階段状マンション。
先ほどの坂を下るとランドマークタワーを中心とする横浜のビル群が見える。それにしても無粋な電線は絵になりませんね。
せっかくだから、西谷浄水場までバス通りを歩いて上ってみた。
前回の浄水場訪問は今年の8月だった。
現在、この浄水場施設は2年前から令和15年までかけての施設整備工事中が進行中で、1915年(大正4年)創設時から残っている有形文化財の煉瓦作りの配水池上屋等の6棟は最終的には敷地内に移築保存されるらしい。
昭和62(1987)年の近代水道創設100年を記念に開設された「横浜水道記念館」は現在閉鎖中で今は工事事務所として使用中。将来は敷地内に移転されるらしい。
帰りも星川駅に向かうバス通りを歩いて下る。
そして、階段状の水道道を下る。
水道道を下から見上げる。
「帷子川」に架かる「宮﨑橋」から上流を望むと、相鉄本線の向こう奥に西谷浄水場のある丘が見える。
気がつけば、もう夕方4時、上星川駅近くの八王子街道(R16)のバス停から横浜駅西口行きのバスに乗って、市営地下鉄に乗り換えて、復習のため、野毛の市立中央図書館へ向かう。
桜木町からの途中、野毛道でパーマーの使った水道道の鋳鉄導水管の内径18インチを再確認。
そして図書館へ着いたのは午後5時。
トータル歩数23,000歩(18km)で久々に疲れたが実りある学習の日だった。