R. H. ブラントンの横浜港旧灯台寮岸壁(1873年築造) | ロドさんの繪ブログ「一期一繪」

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団塊の世代のラストランナー。想い出深い海外駐在当時も振り返りながら「日本再発見」ということで国内あちこちのスケッチを織り交ぜて気ままに、「人生はFESTINA LENTE(ゆっくり急ごう)」

 

学習は続くよどこまでも。

定年退職++退職後の楽しみは、図書館での座学と屋外学習だ。

 

 

前回未完に終わった、日本灯台の父と言われる日本政府が採用した第一号のお雇い外国人技師「R. H. ブラントン」(英国人)の横浜での基地であった「旧灯台寮(管理局)」(1873年築造)の遺構の現場確認へ再挑戦。

 

前回の辨天橋、市役所経由のルートではなく、桜木町駅前から日本丸交差点、北仲橋経由で向かうと、行手にそれらしい古い石積みの岸壁が見えてきた。

 

150年前の歴史的建造物と、超高層マンションと超近代的な「YOKOHAMA AIR CABIN」のコントラストが何とも言えない。ブラントンさんにも、流石にこの変わり様は想像外の外?

 

橋を渡り切ったところにあるこの公園がその記念公園のようなものだった。

 

立派な案内図もあった。

件のプロムナードは市の土木事務所の管理ではないので、工事用に閉鎖されたのかな?

 

 

だが、残念ながら岸壁のプロムナードを塞いでいた工事用仮囲いのため岸壁までは辿り着けない。

 

仕方ないので、今回も汽車道まで戻って観察、とスケッチをすることにした。

 

点線枠部分中央が、1873年築造の護岸で布積み(並行積み)方式だ。右の護岸は谷積み(45度斜め積み)方式で1897年築造。

 

R. H. ブラントン 

日本の灯台と横浜のまちづくりの父

(横浜開港資料館)

 

 

 

幕末から明治初期にかけて横浜と日本の近代化に貢献した英国人の年表もアップデートしてみた。

 

丁度いい場所にスケッチ用の台(分電盤ボックス)があったので、ここで一枚。

 

帰りがけに、帆船「日本丸」を再訪。

 

国指定重要文化財「日本丸」(1930年建造)が、整備維持されながら停泊展示されているこのドック(旧横浜船渠第一号船渠)は、野毛山公園にも銅像が建っている「日本近代水道の父」と言われる英国人H. S. パーマーが1869年に作成した計画案がベースになって1998年完成したもので、「日本丸」同様に仲良く国の指定重要文化財だ。

 

H. S. パーマーの銅像(野毛山公園)

(2021年12月)

 

 

 

ライトアップされた姿も良いが昼間の姿も素晴らしいな。

(2023年9月)

 

 

その後、永田町へ移動し、国会図書館で3時間ほど復習。

終わって外に出ると5時半過ぎでもうすっかり夜の帳。

前川國男建築は夜も美しい。

 

 

 

国会議事堂もライトアップ。

 

なかなか見ることのない議事堂の夜景を正面から。

 

たまたま、今日は、中秋の名月と満月という極めてラッキーな夜だったので、(例によって不審者に間違われないように)国会周辺のパトロール中の警官に挨拶をしながら、名月を求めて少し歩いてみたら、運よく雲のない夜空に大きな満月が丸の内のビルの間に昇ったばかりだった。

ジジも歩けば名月に当たる🌕

 

せっかくなので、帰りの地下鉄は半蔵門駅から乗ることにして、少し暗いお濠端の歩道をジョッガーの邪魔にならないように歩いてみた。

 

意外にも皇居の半蔵門前がナイススポットだったので、婦人警官に挨拶して、ナイスショット🌕

 

横浜から国会図書館経由桜田濠へという有意義な屋外学習の半日だった。