それにしても今年の梅雨は長かった。
この反動で、来年は乾梅雨の猛暑?で、オリンピックは大変だな。通勤ラッシュや交通渋滞も読めないようだし。
梅雨空の中の日曜日、久しぶりに上野公園に行ってみた。
世界遺産の「国立西洋美術館」も覗いてみたかったが、今日はパス。
「東京都美術館」へ向かう途中の噴水広場では、今日も大きなイベントをやっている。
「JAPAN TRADITIONAL CULTURE FESTA」
(日本伝統文化フェスタ)
こんなビッグなタイトルのイベントは初めてだ。
どれどれ覗いてみるか。
喉が渇いた、お腹も空いたとなあ、と思ったら、クラフトビールがあるので早速一杯。
初めて飲んだ沼津RepubrewのWest Coast IPA、美味しゅうございました。
そして、上野動物園の北隣にある「東京都立美術館」へ。
2年ぶりの訪問になる今回は、大学同期のS君が応募した書道展が目的。
この毎日書道展は総数3万点以上が、東京では、国立新美術館とここに分かれて展示される日本最大の書道展。
作者を作品台帳で調べて、まるで巨大な迷路のような会場のブースの中で、やっと辿り着いて彼の作品を見つけることができた。
芸術的すぎる作品の漢字が判別出来ない。
彼に後から意味も一緒に教えてもらった。
「眞玉泥中異」(素晴らしい玉は泥の中でも光る)
なるほど。
上野公園から坂道を不忍池まで下ってみる。
前回(2年前の秋)はこの方角を描いたな。
梅雨のせいか、異常なほどに蓮が元気だ。
反対側は観光ボートがあるので蓮は無い。
隣のベンチから聞こえるシニア女性二人の家庭の愚痴話を聞き流し、楽しそうにボートを漕いでいるカップルを、こんな時代もあったなあ、なんてうらやましそうに眺めながら、ひたすらここで一枚。
湯島へ移動して、予てから訪れてみたいと思っていた重要文化財東京都立「旧岩崎邸庭園」へ。
なだらかに湾曲した坂道を乗り切ると立派な袖塀を抜ける。
この建物は、日本を愛した英国人建築家ジョサイアコンドルが設計し、1896年(明治29年)に岩崎彌太郎の長男で三菱第三代社長の久彌の本邸として建造されたものだ。
今年5月に訪問した「古河庭園」(北区西ケ原、1919年)も彼の設計だ。
館内を観た後、庭園の左手奥にある「国立近現代建築資料館」に行ってみた。(無料公開)
気になっていた「安藤忠雄初期建築原画展」
会場に張り出されたイベントのお知らせに釘付け!
ということで、2日後、今度は湯島地方合同庁舎の切通坂の方から訪問した。(無料公開)
この庭園は今の敷地の3倍の15,000坪あったということが良く分かる。
合同庁舎の横にも「煉瓦塀」、隣りは三菱経済研究所だ。
合同庁舎の裏にあるのが、会場だ。
因みに、この建物は安藤忠雄の設計で、彼はこの資料館の名誉館長となっている。
12時半からの講演開始だが、世界的に超有名なプリッカー賞建築家なので、安全を見て11時半には到着した。
12時前から建築科の学生さんが三々五々集まり始めたので、2階のこの良い位置を確保して待つ。外国の方もちらほら。
12時半の定刻に始まる。
学生さんたちは引率の大学教授の指示で最前に座る。
30分の予定が1時間近くもの熱演。
彼の、若い学生さんたちへの、熱いメッセージは;
「熱意の伝わる手描き図面、スケッチ、メモ」
「現場は楽しい」
「CAD/PCではなく人間と対話」
「日本を捨てて海外に出よ」
「意志と責任感」
「無いほど強いものは無い」
(自分は、学歴、語学、5つの内臓が無い)
久しぶりに人間の叫びを聴いた。
ところで、この講演会は、つい二週間前の、安藤忠雄氏の米国時代の友人がたまたま新幹線東京駅のホームでの立ち話で決まったらしい。
参加者全員には、今回の展示会の本が入ったビニール袋が配られていたのだが、何と、講演の最後には、袋に貼られた番号によるサプライズ抽選会。
呼ばれた女性2名のジャンケンで、勝った少し年配の幸運な女性にサイン入りの立派な作品集が送られた。
CADが導入されたの1990以降は、以前の設計原図は、劣化、散逸、海外への流失の危機にあると言われている。
この資料館の存在意義は非常に大きいと言える。