今こそ、日本の天命を知ろう | Yokoi Hideaki

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今年、最初のブログ更新です。

年初ですから、仕事で企業向けの経済予測レポートを書こうと昨年末から関連する記事などを整理していました。そこで面白い記事を見つけ、「我が意を得たり」と思ったので、今日は先ずこれを紹介します。

 

クルーグマンの2024年経済予測

下のリンクはダイヤモンドオンラインが昨年末に配信したノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマン(ニューヨーク市立大学大学院センター教授)のインタビュー記事です。

 

 

タイトルは「中国経済は日本のバブル崩壊よりもひどい状態になる」ですが、中に「我が意を得たり!」の分析がありました。と言っても、「我が意を得たり!」は中国の話でなく、中にあったクルーグマンによる日本の分析です。以下冒頭部よりの抜粋です。

 

中国経済の未来はバブル崩壊後の日本よりひどい

中国経済が減速している。1990年代のバブル崩壊後の日本と同じ道をたどるのか。台湾侵攻の可能性は?米国経済は景気後退するのか?特集『総予測2024』の本稿では、ノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマン氏に直撃した。(国際ジャーナリスト 大野和基)

 

――今の中国経済をどのように見ていますか。

 

ここ最近の中国経済はぐらついているように見えます。中国は1990年代の日本のバブル崩壊と同じ道をたどるのではないか、と問い掛けてくる人もいます。それに対する私の答えは恐らくそうならない、というものです。中国の方がひどい状態になるでしょう。

 

――なぜそう考えるのでしょうか。まず日本経済について説明してください。

 

日本に実際に起きたことを見ると、多くの人が想像するほど壊滅的なことではありませんでした。よく耳にする話は、こういうものです。80年代末期、日本は途方もない株と不動産のバブルを経験した。それは最終的に崩壊し、経営難に陥った銀行と過剰な企業債務が残り、それが長い景気低迷につながった。

 

もちろんこのストーリーには幾分かの真理がありますが、日本の相対的な衰退の最も重要な要素が抜けています。それは、日本の生産年齢人口が90年代半ばから、かなりの速さで下り坂になっているということです。

 

しかし、日本の人口動態と比べて、日本の経済の落ち込みはそこまでひどくありません。人口動態に合わせて調整すると、日本は著しい成長を遂げています。1人当たりの実質所得は45%も上昇しているのです。

 

日本は大量の失業者を出さず、就業率は高いままです。米国の就業率よりもずっと高い。何十年も前から、日本に国家債務危機が起きるといわれてきましたが、実際には起きていません。

 

つまり私が言いたいのは、日本は、繁栄と社会的安定性を維持しつつ、困難な人口動態の問題にいかに対処するかについてのロールモデルになるのではないか、ということです。(記事 抜粋おわり)

 

日本は「周回遅れ」でなく、トップにいる

「我が意を得たり!」と思ったのは、兼ねて考えてきた「日本は決して『周回遅れでない』」という私の思いを裏付けるものだったからです。バブル崩壊以降のこの間、日本は先進国の中で最低の成長率を続け、「周回遅れ」であると言われてきました。

 

記事内の人口動態とは「少子高齢化」、生産年齢人口(労働人口)に比して高齢者の比率が高くなることですが、これは先進国に共通する課題です。こういうとアメリカは違うじゃないかと言われそうですが、アメリカのそれは移民の流入(実態は不法移民)によってもたらされたもので、これによる国内の混乱には目に余るものがあります。

 

「人権」や「多様性」を表看板にしている大手マスコミはその実態をほとんど報じていませんが、米国は内乱状態に近いと言えそうな状況にあり、欧州でも同様の事態が進行中です。

 

私はバブル崩壊後に「失われた20年」と言われ出したころから、「違うんじゃないか」という思いがありました。すでにその頃、中国経済には「バブル」の芽が芽生えていましたし、デリバティブなどの金融テクノロジー、レバレッジ(梃子)を効かせて、格差拡大の犠牲の上に巨利を得る欧米の金融資本についても遠くない時期に大崩落する可能性があることを感じていたからです。

 

よって、日本は周回遅れどころか、トップを走っていると感じていたので、日本がロールモデル、要はお手本になる、というクルーグマンの見方に「自分の見方は間違ってなかった」と意を強くしたわけです。

 

この記事でクルーグマンが指摘しているように、中国は日本の何十倍、何百倍もの巨大なバブル崩壊に直面しています。内実を知れば知るほど、これほどの野放図なバブルは史上なかったと断言できます。

さらに中国には「中所得国の罠」、「急速な高齢化」、「独裁による政情不安」もあります。

中国が経済的に浮かび上がる目はないでしょうし、共産党が暴発し、台湾有事やさらに国内分裂へと進む可能性すらあります。

 

欧州のトップランナーであったドイツがマイナス成長に陥りつつあるのも背景に中国問題があります。数字は若干ましですが、英国やフランスも同様でしょう。EUが何とか体裁を保てたのは中国経済のバブルの恩恵に預かってきたからです。

 

このように、私は今年からいよいよ世界不況や政治的混乱が目に見える形で表面化すると思っています。既にこれを乗り越えてきた日本は大丈夫ですが、それでも世界経済の埒外にいるわけではありません。その影響があることは否めませんが、いよいよ日本が世界のけん引役になる時が来た、の感を強くしています。。

 

ヨハネの黙示録、大本神諭の予言

以前もこのブログで書きましたが、このところ私はキリスト教の予言書であるヨハネの黙示録が気になり、勉強しています。黙示録は言うまでもなく、終末予言で有名な福音書で、その記述には様々な解釈がなされています。

 

その代表的解釈に大バビロンの崩壊(世界の経済体制、政治体制の崩壊)やアルマゲドン(世界終末戦争)があります。欧米と中国の政治、経済の混乱、崩壊、またウクライナ、イスラエルでの紛争拡大は、まさにこれらの事態を想起させます。

 

また最近、目にし、耳にすることが多いのは大本神諭(おおもとしんゆ)という神道系の教団である大本教の予言書です。

 

大本教は京都府、綾部に総本部があり、船井幸雄先生に教えてもらったことから、ずいぶん以前、綾部を訪問したことが在ります。

大本教には教義、教典である「大本神諭」や「霊界物語」がありますが、そこに黙示録と同じような記述があり、それを「世の建て(立て)替え、建て(立て)直し」と表現しています。

 

以前、私は、同じく船井先生から紹介された藤原直哉さんと言う経済アナリストの話をセミナーで聞いたり、レポートを読んだりしていて、食事もご一緒した記憶があります。

 

その藤原さんが現在、大本教の信者となられ、講師のような立場にあって、you-tubeにも藤原さんによる大本神諭の解説講話が上がっています。

興味のある方はその一つである以下を聞いてみて下さい。

 

 

イスラム教にも「終末予言」的な言い伝えがあり、マホメットの口伝として「砂漠の民が砂漠を緑で覆いだしたとき、建物の高さを競うようになった時、世の終末が近い」という預言が遺されているそうです。これは今のドバイなどの状況を映しています。

 

いずれの予言も大混乱の後に世界は崩壊し、その後に「神の国」「地上天国」が実現することが予言されていて、終末論も悲観ばかりではありません。

黙示録では「救いは東方から来る」としていますし、大本神諭は「日本に神国建設の天命がある」としています。先のクルーグマンの日本の分析もこのような予言と符合するようにも思えます。

 

先に述べたように、経済予測レポートを書くために注意深くニュースに目を通し、拾っていくと、予言並みの大混乱が今後、特に今年から目見える形になってくるのでないか、という思いが強くなります。

そしてその先に「日本の天命」「日本に生きる我々の使命」が見えてきます。

 

地上天国を創るのは我々

それは、「地上天国」を創る原動力になるということです。現状の世界を見ていると、とても地上天国など出来そうもありませんが、私たち一人一人が、今いるところを、地上天国にする「努力」はおこなうことが出来るでしょう。

例えば、地上天国のような家庭を創る、地上天国のようなご近所関係、人間関係を創る「努力」を行うことは出来ます。

 

その為には、まずはその「思い」「志」を持つことです。何故、このようなことを書くかと言えば、終末論と言うのは結局、思っていることが実現する速度が速くなるということだからです。

 

以前のレポートでも「アセンション」、「次元上昇」とは何かを書いてきました。これを単純化して言えば、思いの実現に時間がかからなくなるということです。そして、これはアインシュタインの特殊相対性理論に基づくものです。

特殊相対性理論は「ウラシマ効果」が実際にあることを数式と実験で証明しました。

 

ウラシマ効果をわかりやすく言うと、タイムマシンの原理です。高速で移動する時の時間と静止状態にある時の時間に違いが生じることは証明されています。

例えば、光の速度に近いような高速で宇宙に旅立ち、わずか数分で戻ってきても、地上では何年も経っているということです。

 

五井先生はジェット機で短時間に移動できるようになるという事は、次元上昇が背景にある、とおっしゃっておられましたが、今はインターネットで地球の裏側にいる人と会い、話をすることができます。

これは高速移動と同じことで、ますます次元上昇が加速しているという事でしょう。

 

次元上昇は「時空の制約」が少なくなることです。それが無くなれば、想念がすぐ現実化することになります。結局、世界は「現世(うつしよ)」です。潜在意識、幽界の想念をこの現界(肉体次元)に映しているに過ぎません。ただ、これまでは時空の制約があって、直ちに想念が現実として現れることはありませんでした。

 

そう考えれば、黙示録にある「最後の審判」も難しいことではありません。

ミケランジェロが描いた「最後の審判」のような、神様が善人と悪人を選別することでもありません。

想念が現実化するという宇宙の法則が、制約なしに働きだすという事です。

 

善き想念と悪しき想念が混在し、善悪混淆して見えるこの世界から、善き想念には善き現実が現れ、悪しき想念には悪しき現実が現れる、という宇宙創造の原理原則が制約なしに発動する世界に移行する、ということです。

 

ちなみに「思っている」というのは「願っている」ではありません。その人の「本当の心の状態に相応しい現実が現れる」という事です。

 幸せになりたい、豊かになりたい、という思いも、その裏に「他人を蹴落としてでも」「誰かを犠牲にしてでも」ましてや「人をだましてでも」と言ったものがあれば、その報いはそのまま自分に返ってきます。蹴落とされ、犠牲にされ、騙されるということです。

 

最近の訪日客の増加を見ても世界から日本は愛され、尊敬されていることがわかります。

下は先日の日経新聞紙面ですが、日本のパスポートが「最強」に返り咲いたことが伝えられています。

 

 

それが世界の趨勢ですが、日本の一番傍にある中国や韓国は徹底した反日教育で、日本を憎むように国民を洗脳してきました。

日本の貢献に目を向けず、日本の悪いところを誇張し、自らを利する、その理不尽さに腹を立てる人も多くいますが、私は「可哀そうに」としか思えなくなりました。彼らが生み、育てた憎しみはすべて自らに返っていくからです。

 

それが宇宙を支配する厳しい因果の理法です。

だから、私たちはあらゆる悪想念を心から締め出さねばなりません。そして善き想念で心を満たさねばなりません。そして、それがすぐでき、効果も大きいのが、五井先生が提唱された「世界平和の祈り」なのです。

 

易しくないプラス発想、積極精神の要請

何故なら、「善念で心満たす」と言ってもそう簡単ではないからです。

この世の中は「否定的想念」へ導く事象で満ちています。

先に船井幸雄先生のことを書きましたが、船井先生は「プラス発想の重要性」を強調されていました。このブログで度々取り上げている中村天風師も、何より人生にあっては「積極精神こそが重要なのだ」と強調されています。

 

しかし、このプラス発想、積極精神を持ち続けることが実に難しいのです。

私もプラス発想の重要性を十分判り、その科学的原理も知りながら、中々実行できないことに苦しんできました。それを救ってくださったのが五井先生です。五井先生はこのように仰せです。

(以下、昭和四十一年、十月の白光誌より抜粋)

 

人間の習慣の想いというものは大変なもので、いくら悪が無い、不幸が無い、病気は無いといっても、現在眼の前で幾多の事例をみせつけられていますと、理論としては判るが、実際には思えない、ということになり、心から湧きあがってくる信念的想念にはならないのです。

 

この世の人々は、みんな神の子で善い人ばかりなのだ、と思おうとしても、現実に騙されたり、悪い行ないの人をみたりすると、みんな善い人とは思えなくなってくるのです。

又、病気や不幸な出来事に会うと、不幸や病気は無いのだ、という気持がゆらいできてしまうのです。

 

そういう心の動きを、私は多くの人の体験で知っておりますので、(私は)無いという言葉をつかわず、病気も不幸も災難も、あなたの間違った想念も他人の悪い想念、みんな過去世からの因縁の消えてゆく姿であって、消えるに従って本心の姿、善なる真なる神のみ心が現われてくるのですよ、といって、世界平和の祈りの中に、すべての想念行為を投入させるように、人々を導いているのであります。

 

何んでもかんでも善い方に、善い方に想おうとするのは、実によいことだとは思うのですが、無理に心が納得しないのに、善いことだ善いことだと心に押しつけていたり、悪い人だ、悪い人だと、自然の想いの方では想えてくるのに、善い人だ、善い人だ、と無理無理想おうとしたりしていると、何んだか心が苦しくなって、体を悪くしたり、反動的に身近かなものに当りたくなったりしてしまいます。

 

体が悪いのに病気でないようにみせたり、人に対する憎しみの思いや、嫌悪の想いがあるのに、そんな気持は少しもないように、あの方も善い人で、この方も立派な人でとやっていると、ついそれが習慣性になってしまって、人ばかりか、自分の心をもいつの間に騙してしまう、いわゆる偽善者になってしまって、正直な感情を出せない人間になってしまって、他の人からみると、何か奥歯にはさまっているような、何か本ものでない、正直でない人という印象を受けるようになってしまうのです。

 

ここが光明思想の道に入った人の陥り易い欠陥でありまして、このやり方が、他人への説教として現わされた場合には、説教されている方が全くたまらなくなるくらい、できそうにもないことを、すぐにもできるように説教してくるのです。

 

実際に病気であるものを、病気でないように思おうとしたり、現実に悪いことをしている人を善い人と想おうとしたり、汚いものを綺麗だ、と想おうとしたりすることは、実にむずかしいことでありまして、人間の感情がなかなかそうは想わせないものなのです。(抜粋おわり)

 

ここで五井先生が仰せのように、心をコントロールし、すべての出来事をプラスの事象として受け止めるのは簡単ではありません。

天風師も「心こそ、心迷わす、心なれ、心に心、心許すな」と沢庵禅師の言葉をよく引かれ、心のコントロールの重要性と難しさを説かれていたのは、このためです。

五井先生は上のお話の前後に次のように仰せでした。(以下、同じ講話よりの抜粋)

 

この世における悪や不幸とみえるすべてのものごとは、人間が神のみ心から離れている、その隙間から起ってくることで、人間の想念の持ち方によっては、そういう悪や不幸の世界は無くなってしまうのである。

 

だから、常に善いことのみを想い、明るいことのみを想い、悪や不幸の方に想いを把われないようにすることが大事なのである、実在としては悪や不幸は無いのだ、と(私は)いうのです。

 

ただ、その無いというところが、この現象世界に生活している人々にとって無理に想わなければ想えないところなので、「消えてゆく姿」という言葉を使って、想いを順次光明思想(善き想念)に入れ替えてゆくために、消えてゆく姿の行く先を、世界平和の祈りという、人類救済の光明の祈り言の中に定めてしまったのであります。(中略)

 

神のみ心は確に完全円満であり、悪や不幸や不調和のない世界でありますが、肉体人間として生れてきた、この物質的地球世界には、まだ神の完全性は、その全貌を現わしきっていない、過渡期なのでありますので、この地球人類の世界には、悪も不幸も病気も災難も存在することは事実なのです。

 

ただ、唯物思想家や、「この世は苦の娑婆世界、穢土である」という考え方の人々のように、いつまでもこの世界には悪や不幸が無くならない、というような考えをもっていては、光明思想にはならないのであり、世界を真実に平和にする道は開かれないのです。

 

そこで、私共は、現在は悪や不幸があるけれども、これは、霊的人間が、分霊魂として、この肉体世界の生活をはじめた時から生じた、神の微妙な波動とのへだたりによって生じた業(隙間)なのであって、霊的人間が、肉体人間の波動に融合しきって微妙な波動にも粗い波動にも、自由に変化できるまでに進化してくれば、その業は消えてゆく姿として消え去って、神のみ心そのままの完全な世界が、この地球世界にも実現されてくるのである、というのであります。

 

そこで、どうしても、現在の悪や不幸の消え去ってしまう期間だけは、人間の苦悩の生活はなくならないので、その苦悩の期間が一日でも短かくなるように、守護の神霊への加護を願って、心から世界平和の祈りを唱えつづけてゆこう、というのです。

 

光明思想の新しい生き方

その場、その時の人間の想いを慰めるための光明思想であってはなりません。

無理して想いをねじ曲げようとしても、人間には習慣性というものがあるので、習慣性が直りきるまでは、どんな善いと思うことにでも、心から飛びついてゆくことはできないのです。

それを順次、自然に人間の心が光明化するように導いてゆくのが真実の光明思想家であって、焦って、偽善者を多くつくってはならないのです。

 

その為にこそ、はじめは上の空でもよいから、世界平和の祈りを唱えさせるようにすることが大事なのです。世界平和の祈りを唱えていれば、自然とそれが習性となって、絶え間なく、光明波動が心身に入ってきて、知らぬうちに、心の底から、世界人類の平和を願う、世界平和の祈りになってくるものなのであります。

 

その為には、やはり普通一般の人々と同じように、悪いものごとは悪いものごととして認め、嫌なことは嫌なこととして認めつつ、しかし、普通の人のように、それを心に抱えているのではなく、すべて消えてゆく姿として人類愛の祈りであり、宇宙大神のみ心でもある、世界平和の祈りの中に、すべての想念行為を投入して、神の大光明の中で、常に自己の心を洗い浄めて頂きつつ、日々の生活をするのであります。

 

こう致しますと、無理なく自然に、波動と光明波動の転ができて、無理無理に病気なし、病気なしと思おうとしてみたり、悪や不幸はないのだ、光明燦然、光明燦然と思ってみたりしなくても、自然な心の姿で、人間が光明体の本質に還元してゆくのであります。(抜粋おわり)

 

次元上昇、アセンションとはここで五井先生が仰せの善悪混淆の過渡期を脱して、「神のみ心、そのままの悪や不幸や不調和のない完全円満の世界」が現れるという事です。

 

「神のみ心のまま」のというとミケランジェロの最後の審判の世界のように聞こえますが、先に書いた如く「自分の想念行為がそのまま自分に返ってくる」という因果の理法が、時空の制限なしに直ちに現れるという事に他なりません。

即ち、善き想念行為の人は善き世界の住人に、悪しき想念行為の人は悪しき世界の住人となる、ということです。

 

ヨハネの黙示録、最終章にある次の言葉はそれを示しています。

この書の預言の言葉を封じてはならない。時が近づいているからである。

不義な者はさらに不義を行ない、汚れた者ものはさらに汚れたことを行ない、義なる者ものはさらに義を行ない、聖なる者ものはさらに聖なることを行なうままにさせよ。見よ、わたしはすぐに来くる。報いを携さえ、それぞれのしわざに応じて報いよう。

 

先の大本教の講演会で、藤原さんは「立て替え、立て直し」中の大混乱の世界にあって「祝詞」を唱えることの重要性を説き、これを勧められています。また、お経でも良いともおっしゃっていました。

それも結構ですが、私は強く「世界平和の祈り」をお勧めするものです。それが日本に降ろされた日本人である私たちにすぐできる「義」なること、「聖」なることと思うからです。

 

なお、今日のテーマの一つは、冒頭のクルーグマンによる日本の再評価から考えた日本の使命、天命ですが、最後にこれに関する五井先生の仰せを紹介して、本稿を閉じます。

以下「日本の心」よりの抜粋です。

 

日本の天命

日本の天命、つまり理想と使命は、最後の審判を無事にパスさせる、世界人類の完全平和を達成させる、その中心の働き、その先達としてのものでありまして、その他のものではありません。

 

日本は昔から神ながらの国といい、大和の国といい、霊の本(ひのもと=日本)といい、日章旗に示されいるように、白地に太陽、つまり霊光がまん丸く統一されて輝いている、そういう本質を自ずと現わしているのです。

 

日本という国は、調和の本質をそなえておりまして、中国文化が入ってくると、それをいつの間にか日本文化の中に融かしこんでしまう、ヨーロッパ文明が入ってくれば、これも直ちに日本流に調和させてしまう、というように、なんでも日本にくると調和されて、日本流になってしまう、という不思議な要素をもっています。

 

各国の料理なども、日本人の手になると、なんでもこなされてしまいまして、日本に来ると、どこの国の料理も美味く料理され、ものによると、その国の料理よりも日本人の手になったほうが美味い、という程になっています。

 

そういうように、各国の特徴を巧みに融合させ調和させてしまう特技をもっているのであります。ですから今日まで、日本人の発明になるものというのは甚だ少なく、外国の発見を、日本人がよりよく改善してゆく、ということになっております。

日本人はよく猿真似が上手だといいますが、確かに発見発明するより、そうされたものをよりよく生かしてゆく調和させてゆくということが上手なのであります。

 

すべてを融和させ和合させるという、日本の本質は、大きくは世界平和ということに重大なる役目をもっているのでありまして、どうしても必然的に世界平和へ向う智慧や方法は日本から生れてくるようになっているのです。これは現在うなずかない人がいても、後には成る程と背かざるを得ないようになってきます。

 

日本が現在唯一の核爆弾の被害国であることなどは、日本が核戦争を阻止し世界を平和に導いてゆかねばならぬことを実証してみせたようなもので、 核兵器核装備に対して日本が拒否することは、日本としては当然である、と各国に思わせる充分なる立場をつくってくれています。核爆撃をされることなどは、日本政府としても、日本国民としても、その日の近づくまでは知るよしもなかったことで、すべて日本の天命が完うされるための神仕組なのです。

 

日本の進むべき道を誤またせるな

そこで日本の理想と使命を一口にいうと、世界のあらゆる文明文化を融合させ、世界の完全平和の実現のための先達となる、ということであります。右と左のものとを融合させ、その和の中から新しいものを生み出す、これが日本の天命の一つなのであります。右のものにして左のものを叩いたり、左に組して右のものを叩いたりするのは、日本人のすることでもなければ、日本国のすることでもありません。 日本人はすべてを生かす中庸の道、調和の道を歩むことがその天命なのであります。

 

ですから、その道を外れてしまえば日本の天命は果されないのですから、日本国は滅びるより仕方がありません。 日本国が滅びれば、世界完全平和実現の先となり、中心となる天命の国は他にはないのですから、世界は滅びてしまうに違いありません。

 

これを逆説的にいえば、宇宙は大調和にむかって進んでいるのであり、神々や古来からの各聖賢が力を揃えて、地球人類の平和達成のために働いておられるのですから、地球が滅亡することはない。だから、日本の天命は果されることになる。従って、日本は滅亡することはない。ということになり、やがては世界は完全に平和になるに定まっているということになります。

 

しかし、現実の世界は一旗即発の危険な状態にあり、現象的にみれば、各予言のように最後の審判的な恐ろしい事態にならざるを得ないようにみえます。ですから人によると、世界の平和などという夢のようなことを考えずに、如何にその場その場を他国に侵されずに切りぬけてゆくか、ということを問題にして、日本は処してゆかねばならぬ、といっております。

それには米国としっかり手を組んで、共産主義の侵略を防いでゆくことである、そのためには日本の軍備を強化することは勿論である、というわけです。

 

この人たちには、日本の本質も、理想も天命も無いわけです。そういうことはひとまずおいて、現在に処するということなのであります。現在に処して後はどうする、そういう後のことはその時になって考えるわけです。いつでも他国の動きによって動くわけでありまして、敵と思われる国々をすっかり絶滅させるまでは、世界平和ということは考えられないわけなのです。

 

ところが、私どもの霊的考察によりますと、敵があるとか無いとかいう問題ではなく、宇宙の進行による地球波動の変化につれて、どうしても変化させねばならぬ、宇宙観、人生観の問題でありまして、地球人類側にその変化に対応する心がまえがなければ、人間としての敵ばかりではなく、波動の変化による天変地異による、大悲劇がもたらされるかも知れないのです。

 

ですから共産主義国のすべてを叩きふせても、それは一時遅れのものであって、無駄骨折りに過きないものであるというのであります。しかもその無駄骨を折るのには、やはり地球人類の運命をかけ、多大の犠牲をはらい、時によれば、地球人類滅亡の危険さえあるのです。

ここでもう一つ問題になるような質問がきているので、その答もかねて書いてゆきましょう。(後略)

 

以上「日本の心」よりの抜粋ですが、この先に興味のある方は以下を入手の上、お読みください。

 

 

 

 

 

今日も長くなっていますが、読者の中のお一人でも、このブログをお読みになり、「世界平和の祈り」を始められたら、それが日本の天命を果たす一助になり、ひいてはその方ご自身の天命、夢の実現への大きな力となることを申し上げたい、訴えたいと思います。

 

最後に先の天風師の「心こそ、心迷わす、心なれ、心に心、心許すな」に対する五井先生のお答えとして次のお歌を紹介します。

 

迷い心 迷えるままに まず為さめ 世界平和を 祈る神言(かみごと)

 このお歌のままに世界平和の祈りを日々の習慣にされることを心からお薦めするものです。

 

黙示録や日本の役割については以前書いた以下もご参照ください。

 

 

 

 

世界人類が平和でありますように