今この時、日本人である私たちにできること 天皇のこと | Yokoi Hideaki

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前回のブログは「アセンション=次元上昇」をテーマに書きましたが、続きを書こうと思い、本棚から五井先生の講話集「いい時に生まれた」を取り出しました。

 

この講話集は、それまで未発表の五井先生のご講話を集め、平成21年~27年に断続的に発刊され全五巻で構成されています。

 

 

 

 

 

 

 

第五巻である上の「いい時に生まれた」には表題を含めて8題のご講話が収められています。

表題の「いい時にうまれた」では、宇宙の運行が大きく変化し、地上天国が顕れようとしている「これからの何十年」について以下のようにお話になっています。昭和38年9月3日のお話の冒頭部の転載です。

 

さて、今世紀は大変な世の中です。今は、人類が始まって以来、かつてない最も尊い、最も価値のある一瞬一瞬なのです。この何十年というものほど素晴らしい時代はありません。

「善き時に我は生まれし」という詩をかつて、高村光太郎が書きました。本当にいい時に生まれているのです。 今、生まれた人は本当に幸せなのです。

 

なぜかというと、今、生まれた人たちは、本当の人間が現われる時に生まれているからです。自分の幽体にある業想念がすべて無くなって、神様のみ心と一つになれる時代に生まれてきているのです。ということは、地上天国が現われる時代に生まれてきているのです。

 

地球世界が、地球人類が長い、長い間かかって、苦しみ苦しんで積んできた業というのもあるし、功績もあるわけです。業が全部消えて、その功績が、今まで積んできた修行の固まり、善徳が現われてくる、そういう時代なのです。

 

それで今では、いろいろの悪いことが地上界表面に、みんな現われてきています。

わけのわからない病気がたくさん現われてくる。 天変地変のありそうな予言もたくさんある。あるいは第三次大戦が起こり、原爆水爆の戦争でダメになってしまいはしないか、というような波がたくさんあって、みんなが恐怖しているわけです。

 

これを裏返してみると、神様の光が本当に広がり広がりぬいて、いよいよ表面に全部光が現われてくる、いわゆる天の岩戸開きというのですね、本当に天照大神の光が全部現われてくるということです。

 

いわゆる救世主の光が全部現われて、地上界が神のみ心一色に塗りつぶされる、というような世の中が今、現われるのです。そのために世界平和の祈りが、その中心として現われてくるわけです。

 

だから皆さんは、のんびりと世界平和の祈りをしておりますと、いつの間にか自分たちは、神様の世界に入っているのだ、という確信を持つといいですね。世界平和の祈りをしていて、人類が亡びることは絶対にないのです。 世界平和の祈りが亡びたら、もう世界はないのだからね。

 

なぜなら、 この世界は神様のみ心の現われの世界であって、神様が人間を創ったこと、これは誰だって分かっている。

わざと分からないような恰好をしている唯物論者がいるけれども、神様が創らなければ、 誰が創るのか。人間がオギャアと生まれてくる。 それはお父さんが創ったわけでも、お母さんが創ったわけでもない。何か不可思議な生命というものが流れ入ってきて創られた。

 

その不可思議なる生命の元はどこかと言ったら、やっぱり神様というより考えようはない。

名前はなんとつけてもいい。 大自然でもいいし、大生命でもいいし、絶対力でもいい。しかしやさしく言えば神様ですから、神様の力がすべてに働いてみんな生きているわけですよね。

 

神様のみ心の中にすべて楽々と入れるのが世界平和の祈りなのです。 神様のみ心の中に、楽々と入れれば幽体に溜まっている業想念も、幽界に溜まっている業想念も、みんな消えてしまうわけなんですよ。

 

それで私は、現われてくるこの生活の不合理なことも、不幸なことも、嫌なことも嫌な奴も、それはみな消えてゆく姿であって、神様のみ心の中に持っていって、みんな消してしまいましょう、と言うのです。

その消す方法として、世界平和の祈りをすれば、みんな消えてしまうのですよ、と言っているわけね。事実そうなのですよ。 世界平和の祈りをしていれば消えてしまうわけです。本当は大病になるべきものが大病にならない。 大火傷であるべきものが大したことはない、というふうに楽に楽に生活を送っているわけです。それは地上天国の一つの現われですよ。(転載おわり)

 

このご講話は前述のように昭和38年、1963年のもので60年前のものです。そして五井先生がここでお話になった「良いものも、悪いものも全部現れてくる」という状況がいよいよ佳境に入ってきているのが「今」現在でないでしょうか。

 

昨日、ロシアがウクライナの4州を併合する宣言を行い、日本でもロシア、プーチン批判ばかりを目にし、耳にしますが、これは決してロシア、ウクライナの地域紛争ではありません。

フランスの知性であるエマニュエル・トッドは著作の中で、逆にロシアをそこまで追い込んだアメリカを非難する見解を述べ、これはウクライナを盾に使った英米、EUとロシアの戦争であり、「事実上の第3次世界大戦だ」と喝破しています。同じことは70年前に日本でも起こりました。今世界はハルマゲドンへの瀬戸際にあるとも言えます。

 

 

 

トッドのこの見解はこの世的には真実そうなのですが、これもまだ表面的な見方です。


人類の歴史で今ほど国家間、また国家内の社会の分断が深刻になったことはないでしょう。平和や団結は口にすれど、マスコミ、政治家が分断を煽っています。我が国はまだマシですが、先日の国葬問題を見ても分断を煽る人たちが存在し、相反する見解の人たちが憎みあっています。


今、起こっていることは、五井先生のご講話にあるように、「宇宙の運行の変化で高次元へ移行しつつある地球世界の幽界に積み上げられてきた業想念が、高次元波動によって表面に浮かび上がってきたもの」と考えるのが一番正鵠を得た受け止め方ではないでしょうか。

 

五井先生のお話にある地球世界の高次元移行が佳境に入っている現在、個人にとっても人類世界にとっても善悪ともに過去から積み上げてきた因縁因果が「消えてゆくために」現れようとしています。それは同時に天照大神が光を顕わす「天の岩戸開き」でもあります。

 

五井先生はこのご講話で「この時に現れる悪しきものはできるだけ小さく、善きものは大きく現すために私たちにできることが『世界平和の祈り』であり、それが地上天国の表れでもある」とおっしゃっています。

 

このお話が収録された第五巻には「分かれたものが一つになる」というご講話が収録されていますが、このなかで、五井先生は次元上昇が加速している今という「時」、日本という「場所」に生を受けた私たち日本人にとって大事なことをお話になっています。今日のブログはこれを紹介したく書きました。

 

五井先生がこのお話をなさったのは昭和35年2月25日、その2日前に今上陛下である浩宮徳仁親王がお生まれになりました。お話の冒頭このことに触れられ、さらに天皇とは何かについてお話になっています。以下、講話集から五井先生のお話を転載します。

 

今日は何をお話ししましょうか。 皇太子に赤ちゃんが生まれたことですから、天皇ということについて、少し説明しましょうか。

 

天皇というのは、日本国の中心として、肉体に現われたのが天皇というのではないのです。霊魂魄(れいこんぱく)として人間に現われている、その一番の真中にあって、すべてを統一するところの役目を持ったのが、本当の天皇なのです.

 

昔、人類が始まった頃は、世界が日本という名前で一つだったのです。

それが、皇子がどこそこの島にいった、大陸に派遣されていった、というふうに各国に分かれていったのです。

 

はじめは言葉も一つだったのです。それが、皇子たちが各地に行ったことによって、各国民族に分かれ、言葉も分かれていったのです。霊感でみてもそういうことなのです。

だから天皇はただ日本国の中心であるというわけではなく、本当は世界の中心になるべきものなのです。

 

ところが肉体の天皇というものと、霊としての天皇とがちぐはぐになってしまって、本当の天皇の姿が今まで現われていなかった。そこで単なる日本の天皇であったり、あるいは天皇が隠れてしまって、時の幕府が権力を占めて、天皇はまるで置き物になってしまい、天皇が本当の天皇の姿を現わしていなかった。

 

天皇の光をくもらせていた曇りとは、どういうものかというと、日本なら日本国民の想い、人類なら人類の間違った想いというものが、すべて業想念になって、天皇であるべき霊のその光を発揮せしめなかった、覆ってしまって本当の形を現わしていなかった。

 

それが今の昭和の天皇の時代になって、業が消えてゆく姿として現われ、戦争で負け、国民も苦しい生活をしたりして、今日までに至ったわけなのです。

 

皇太子(現 上皇陛下)が成人して、結婚なさった。結婚ということでは、従弟(いとこ)とか親戚とか血のつながりの近い人とが結婚すると、科学的に子や孫にあまりいい結果が現われない。

 

天皇家もその例にもれず、あまり近親結婚が重なって、血のまじわりの濃い者同士が結婚しているものですから、あまり上等の人が生まれなかった。悪いけれど、本当に上等でなかった。その慣習が皇太子によってピリオドを打たれた。

 

霊の世界でいえば、みんな肉体があるのですが、肉体的には血のつながりの全く離れた美智子様という人が現われて、結婚なさった。美智子さんが妃になられたことは、日本にとって、世界にとっても大革命なのですよ。

 

そして今度赤ちゃん(今上陛下)が生まれた。この赤ちゃんはまことに日本のホープでもあれば、世界のホープである、ということに自然になるのです。だから私は、男の子が生まれてよかったな、よかったよかったと、ひとまず安心しているわけなのです。

 

美智子さんがお嫁さんになった時もそうだけれども、今度赤ちゃんが生まれたことが、非常に明るい楽しいものを、国民のみんなに植えつけ、何か盛り上がってくる喜びというものを感じるのです。

 

ああよかったなと、私なんか涙ぐましくてしょうがなくなるのですよ。

何か日本の基礎が決まったような、世界の基礎が決まったような、そういう気がするのです。

 

それは画期的なことなのです。今までの天皇は形に把われすぎて、皇統連綿とかいう、天皇家という家柄、家族意識というものに把われすぎてしまって、あまりにも近しい者同士で結婚したことは、マイナスだった。それが今まで現われていたのです。

 

言いかえれば、今までの日本の在り方、東洋の在り方というものは、あまりにも形の世界に把われて、形の前の世界 霊の世界のことがまるっきり分かっていない。霊の世界のことは形にみな現われているのだけれども、形だけにしてしまって、霊と関係なしの儀式ばかり行なって、天皇は皇族でなければいけない、その配偶者も皇族や華族でなければいけない、というように家柄というものに把われていた。

 

そういう間違った想い方が、今ここで破れたわけですよ。だから私は快哉を叫んで、これからいよいよ日本の曙(あけぼの)だと思うのですよ。

 

それで皇太子なり、皇太子のお子さんたちはやがて天皇になる。本当の天皇、立派な天皇に仕上げるにはどうしたらいいか、といいますと、人類の業想念、日本人の想念という汚れた想いの波を、天皇の身辺、皇太子の身辺、それからお孫さんたちの身辺に近よらせてはいけません。光を汚しますからね。

 

そういうために私たちがいるのです。光を邪魔しないように、光が十分に発揮されて、本当の姿が現われるように、世界平和の祈りをするのですよ。

 

世界平和の祈りというのは、誰がするかというと、救世の大光明で、守護霊、守護神がみんな一堂に集まって、地球世界に神のみ心を現わし、本当の地球世界を創るために結集して、大光明を放っているのです。その大光明をこの地上界に真直ぐ天降らせれば、本当の天皇が生まれ、本当の平和が生まれ、本当の世界人類の姿が生まれるのです。

 

そのためには、どうしても天皇の周りに、皇太子の周りに、あるいはお孫さんの周りに悪い想いを流しこんではいけません。流れこむのを防ぐために、世界平和の祈りを一生懸命やらなくてはいけない。それが一つの大きな役目です。お孫さんが生まれたから、私はここでハッキリ言っていいと思うのです。(中略)

 

皆さんは世界平和の祈りをするためにここに集まってきている。祈りの統一をするために集まっている。世界平和の祈りというのは、高い、高い高度なそして微妙な人類愛の想いの中に、すでに皆さんは入っている。世界平和の祈りをしよう、と思っている時には、世界平和の祈りという、高い、高い人類の希望、大愛の光の中に入っているわけです。そういう波に皆さんは合うわけです。

 

お互いに体がはなれていても、皆さんは世界平和の祈りという祈り言葉によって、一つに結ばれて光の輪になっている。その光はどこから来ているかというと、救世の大光明の中から来ている。

 

皆さんが二人寄り三人寄り、五人寄り、十人寄って世界平和の祈りをしている時には、光になって、救世の光明の中に吸い込まれてゆくわけです。そうすると、その人たちの体は神様の光と化している。変わってしまっているわけです。世界平和の祈りをしている時には、その人たちは神の子の姿をそのまま現わしている、ということになるのです。

 

一人が祈り、二人が祈り、十人が、百人が祈り、千人がやり万人がやり、十万人がやる。そうすると、祈っている周囲は光に輝いてゆくのです。

日本の中心は天皇ですから、どうしても業が流れてゆく、 人類の気持ちが寄ってゆく。天皇や皇太子や皇族に流れていってしまったのでは、どうしても天皇が汚れてしまいます。

 

すると昔と同じようなことをやってしまう。それではいけないので、天皇の周りの人垣になって防ぐわけですよ。それが世界平和の祈りなのです。

その先頭をきって、私がやっていますからね。私が全部、業想念を引き受けようと思っている。それで天皇を本当の天皇たらしめ、世界の中心になさしめ給え、と思うのですよ。

 

以前は、世界に王室がたくさんありました。だんだんなくなってきて、大きい国であるのはイギリスと日本です。東西に二つしかないです。あとはヨーロッパの小さな国で、大統領とか首相という形にみんな変わってしまったでしょう。

 

天皇という形のものは日本だけです。最小限度に残ってくるわけ。 最後に残るのが天皇なのです。これはそういうふうに神様の世界では出来ているのです。だからそうなるに決まっている。

 

それが今まで曇らされていて、天皇が本当の天皇の姿が出来なくて、人民は人民の本当の姿を現わせなかった。それはなぜかというと、天皇が曇っていたから、天皇自身が曇ったというのではなくて、天皇が国民の想いで曇らされて、天皇の力を発揮できなかった。

 

時の権力者が抑えようとしたり、軍閥が天皇の職権を乱用したり、政府が自分たちの都合のいいように職権を乱用したりした。しかし昭和の戦争で負けてすべてご破算になり、天皇が人間だということになった。

 

天皇は人間なのです。肉体の人間として他と何ら変わらないですよ。天皇だってご飯を食べるだろうし、便所に行くだろうし、それは当たり前のことです。特別、天皇陛下が雲の上に乗っているわけではありません。私だって雲の上に乗っているわけではありません。ただ中身が違う。

 

今の天皇(昭和天皇)を考えてみますと、天皇の中に私心があるでしょうか。ありはしません。全然私心なんてありませんよ。私心があるとするならば、戦争に負けましたね。その時、ふつうの大統領とか皇帝とか首相だと「私は、本当は戦争したくなかったけれども、あの大臣がやったんだ」というように、みんな、人の責任にしてしまって、自分はなんとか逃れたいと思います。

 

ところが日本の天皇はそうではない。「東條が悪いのでもない。誰が悪いのでもない。みな私が命令した。 みな私が悪いのだから、私も死刑でもなんでもしてください」と平然とマッカーサーの前に出て行ったでしょう。

 

私心があって、自我欲望があって、自分が救われたいと思えば、そんなことは出来やしませんよ。「私だけが悪いのです」と命を投げ出したでしょう。「みんな私の命令でやったのだから、私の他に悪いものはないのです。国民の罪はみんな私の罪だ」と投げ出すところなどは、まさに救世主です。

 

自分の命を投げ出して十字架にかかる。今まで日本は負けたことはなかった。そんなためしのない天皇なのですよ。自分がはじめてなのですよ。万世一系の祖先からみれば、恥でしょう。非常に恥辱ですよ。誇りがあって、気位が高くて、自我欲望があったら、そんなこと出来ませんよ。

 

元気な人だったら切腹して死んでしまうか、あるいは逃げてしまうか。ずるかったら逃げてしまう。そんな切腹もしなければ、逃げもしない。「軍閥が悪いんでもない、国民に罪はない。罪は私一人にしてください」と投げ出すところなど、とても普通の人には出来っこない。これはキリストなのです。イエスばかりがキリストではない。

 

キリストというのは、真理を現わした人ということです。イエスさんは真理を現わした肉体なのです。だからイエス・キリストという。天皇はその時、全くキリストになった。裕仁・キリストになったわけです。それで日本国民一億が救われたわけです。だから天皇というのは恩人なわけです。

 

戦争を始めたのは天皇ではなく、 要するに日本の人民の全想念が戦争をして、消えてゆく姿としてその業を消したわけですよ。天皇の名を借りて消したわけです。それで業は消えてしまって、裕仁天皇によって救われたわけです。

 

さあ今度は、日本人が天皇に恩返しをしなければならない。それをわけのわからない人は「天ちゃんは・・・・・・」と馬鹿にしている。 じっくりと考えてごらんなさい。

 

日本がああいう状態になって、戦争にならないわけにはいかなかった。あとで戦争しなければよかった、とかなんとか言うけれども、あの雰囲気になってきたら、業の流れが強すぎて、戦争にならなければ収まりがつかなかったです。全国民が戦争をしたかった。

 

何故したかというと、アメリカやイギリスやフランスが経済封鎖をして、貿易を止めてしまう。経済的に日本を圧迫してきたのだからね。だからどうしたって、売られた喧嘩なのだよ、買わなきゃそのまま亡びます。日本が欧米の属国になってしまう。

 

戦争しなければよかったのかというと、戦争しなければいいのじゃないのだ。戦争しなければならないように、 業の流れがそこまで来ていた。 分かりますか。日本人の想念、世界人類の想念がたまりにたまって、大東亜戦争というものを、しなければならないように出来ていた。

 

それをああしなければよかった、戦争しなくて済んだ、軍閥が悪い、何が悪いのだというけれども、誰も悪いのではありはしない。時代の波にのって、裕仁天皇という立派な人が出たので、今まで積んで積み重ねてきた業想念が、天皇の名を借りて、そこで現われて消えていったのです。

 

天皇は十字架にかかって、みんな罪をしょって消したわけです。わかりますね。それだから、今度は天皇にご苦労をかけないで、私たち国民が天皇のご苦労分を自分たちが背負わなければいけません。私は真直ぐに自分で背負おうと思っています。私はそれで生まれてきたのです。だから全人類の想念を全部、私は引き受けようと思っています。それで世界平和の祈りをはじめたわけです。(後略 転載おわり)

 

このお話の冒頭で五井先生は今上陛下のご誕生を「今度赤ちゃんが生まれた。この赤ちゃんはまことに日本のホープでもあれば、世界のホープである」とおっしゃっています。そのホープのご即位を寿ぐように、3年前の10月22日、天皇陛下の即位礼当日、東京は朝から雨が降っていたのですが、儀式が始まった頃に雨が止み、日が差し、皇居の上に虹がかかるという吉兆が現れました。

 

こういうことをいうと、「戦前の右翼思想」とか「選民思想」と憤慨する唯物論者も多くいるでしょうが、日本こそ「大和」(=大調和)の中心になるべき国柄を持っており、事実、特に戦後の日本の営みは東洋と西洋を調和させるものであったと思います。

 

また日本の形そのものが、北海道は北アメリカ大陸、本州はユーラシア大陸、四国はオーストラリア大陸、九州はアフリカと南米大陸の形を映したもので、世界のひな型になっています。

 

これは日本(人)が優れているという選民思想のような浅薄な考え方でなく、世界の大和(大調和)に奉仕する役割を日本と日本人は担っているということだと思います。

また五井先生は別のご講話で地球の成り立ちと日本の役割について、日本は霊波動と物質波動を調和させる十字交差の中心に立つ国であり、民族であると述べられていますが、その中心に天皇陛下がいらっしゃいます。

 

矢作直樹著「天皇」について

ここで紹介したいのは、東京大学医学部教授でいらした矢作直樹さんが2013年に書かれた「天皇」です。矢作さんは本書中にもありますが、二度にわたる臨死体験から特殊な能力を得た霊性に優れた方です。

 

 

その能力によって知りえたことを矢作さんは「やがて私は、畏れながら、この力ゆえに日本にいらっしゃる最上級の特別な存在に気づき、自分がやるべきことに思い至るのです。」と語っていらっしゃいます。

 

この本は矢作さんがある種の霊覚によって知りえたこと、またご自身が上皇陛下の治療に実際に当たられた折の経験に基づいて書かれたもので、帯には「陛下の無私の祈りに日本は何度も救われた」「学校では教えてくれない『天皇と現代史』の真実」とあります。

 

矢作さんはこの本の前書き「はじめに」で、先の五井先生のお話につながる大事なことを書かれていますので、少し長くなりますが、以下に主要部を転載します。

 

東日本大震災後、数多の本が出版されましたが、震災後の日本にとって天皇陛下がいかに大きな力をお示しになられたか、そしてそのことへの感謝を述べた本はあまり見かけません。今回、一人の日本人として、敢えてこの点を強調したく浅学非才の身を顧みず筆をとりました。

 

私は、拙著『人は死なない』(バジリコ)などの著作を通じ、人の生命の不思議さから、創造主の天壌無窮の「摂理」の一端について述べてまいりました。これらは私自身の生い立ちや、医師となってからの多くの経験から導き出した考えでもあります。

 

この「摂理」を理解することで、人がこの世での使命を知り、普遍意識と繋がり、大いる安堵と幸福が得られることに気づいてもらえればと願ってのことでした。そして日本人が「摂理」を理解するうえで、大きな役割を担っていらっしゃるのが天皇陛下です。天皇陛下は、日本人が祖国愛と人間愛のもとに調和していくうえでの道標ともなります。

 

天皇陛下がなされているもうひとつの大きな役割は、「力こそ正義」の世界にありながらも、世界の平和と繁栄を願い、精神的に主導されていらっしゃることです。誠実な人柄と誠心誠意準備をされたお心のこもった対応により、面会を得た各国の元首は、日本を代表される天皇陛下に心酔されると伺っております。その精神的影響の大きさは計り知れないものでしょう。

 

日本人にとって天皇陛下は、2600年にわたってこの国を、そして日本人を形作るのに欠かせない「扇の要」のような存在でした。そんな「要」としての存在を戦後の日本人は忘れつつあるように思います。天皇陛下の「不在」によって日本人、ひいては日本という国が融解し、ギスギスしバラバラになってきたようにも思います。(中略)

 

(現在の日本は)利益の追求が何よりも優先され、「公」よりも「個人」に重きを置く社会とでも言えばいいでしょうか。私は、このような「個」を優先する価値観をもった社会になった理由には、日本人が天皇陛下の存在を意識しなくなったからではないかと考えているのです。

 

本書では、私自身の経験や、天皇陛下とこの国の近代史の背景を見直すことで、日本人がバラバラになってしまった原因を考察し、天皇陛下に思いをはせることの大切さを再認識してほしいと思っています。一人でも多くの国民が気づきを得ることで、日本はきっと世界に誇れる国になりえると信じています。

 

天皇陛下は、それこそ無私になられて日々国民の安寧と世界の平和を祈っていらっしゃいます。

国民を第一に、そしてご自分は二の次とお考えのごとく、国民のことをお気にかけられてこられました。

私たちは、このような尊い心がけで生きていらっしゃる方を戴いていることを心に留めているでしょうか? 

もし一人ひとりが、このことをしかと心に留めて生きていれば、国民の結束や道徳心の浸透など、社会もずいぶんと変わると信じているのです。(「はじめに」より転載おわり)

 

矢作さんは本書の中で天皇陛下のお役割、お仕事として以下の3つを上げられています。

①国事行為などのご公務

②行幸啓

③宮中祭祀

そして、現在の教科書には①②のみが記載され、一番重要な③について多くの国民が知らずにいることに警鐘を鳴らされています。そこにこのようにお書きです。これも以下に転載します。

 

天皇皇后両陛下は、皇太子同妃両殿下の時代から、宮中三殿(賢所、皇霊殿、神殿)における祭祀を大切にしてこられました。古くから伝わる祭儀を忠実に受け継がれ、常に国民の幸せと繁栄を祈っておられます。

 

先述したように、実は、この宮中祭祀こそが古来より代々天皇陛下がなさってこられた行事で最も大切なものです。教科書のどこにも天皇陛下の最も大切なお仕事である「国の平和と国民の安寧を願って祈られる」ことが明記されていないのです。

 

この後、矢作さんは紀宮様(黒田清子さま)がご両親である両陛下についてお話になったお言葉を紹介されています。これも以下に続けて転載します。

 

私の目から見て、両陛下がなさってきた事の多くは、その場では形にならない目立たない地味なものの積み重ねであったと思います。時代の要請に応え、新たに始められたお仕事も多くありましたが、他方、宮中での諸行事や一年の内に最少でも十五、陛下はそれに旬祭が加わるため三十を超える古式装束をつけた宮中三殿へのお参りなど、皇室の中に受け継がれてきた伝統は、全てそのままに受け継いでこられました。

 

以前皇后様は、今後皇室のあり方は変わっていくかとの質間に対し、「時代の流れとともに、形の上ではいろいろな変化があるでしょうが、私は本質的には変わらないと思います。歴代の天皇方が、まずご自身のお心の清明ということを目指され、また自然の大きな力や祖先のご加護を頼まれて、国民の幸福を願っていらしたと思います。その伝統を踏まえる限り、どんな時代でも皇室の姿というものに変わりはないと思います」と述べておられます。

 

累々と受け継がれてきた伝統を守ることと人々の日常に心を添わせることが、少しの矛盾もなくご生活の中に入っている、そのような日々を重ねておられることが、象徴としての存在である陛下、そして皇后様に人々がリアリティを感じている由縁ではないかと思われます。

陛下がおっしゃる「国民と共に」、また皇后様がおっしゃる「心を寄せ続ける」という言葉はそうした積み重ねの中からお二方が見出された皇室の在り方であったと思われます。(紀宮様のお言葉、転載おわり)

 

矢作さんはこの紀宮様のお言葉を紹介し、「紀宮さまのお話からも、天皇陛下がどれほど国民に寄り添って一生懸命に祈りを捧げられているかがよくわかります。だからこそ、これからを担う子どもたちにその現状を知らせ、また天皇陛下がいかに海外の元首たちに尊敬され、影響力を持たれているかをきちんと教えるべきではないでしょうか。」とおっしゃっています。

 

さらに「天皇陛下は、古来変わらず国民の幸福と繁栄、国の平和を願ってこられました。そして世界を動かす人々の中にあっても崇敬されてきました。日本の独自性は日本に天皇陛下がいらっしゃることです。私たち日本人の要である天皇陛下のことをよく知って感謝申し上げ、私たち自身の多様性を認めつつ、その気持ちが日本人として私たちの日本を良くしていこうという同じ方向に向くことが大切ではないでしょうか。」とも述べられています。

 

本書の中に「宮中祭祀」の中でも最重要行事についての記述がありますので、これもここで紹介します。

昭和天皇の喪が明けた平成2年に行われた大嘗祭についてのもので、以下に転載します。

 

今上陛下は、昭和天皇の喪が明けた平成2年11月22、23日に無事、大嘗祭(皇位継承のための公的祭儀にして最大の秘祭。新天皇は、この儀式を通じ祖神と一体化するという)を執り行われました。

 

これにより天皇陛下のお力は安泰です。天皇陛下ご自身「即位の礼と大嘗祭が多くの人々の協力のもとで、滞りなく執り行うことができました。関係者の尽力に対し、また国民の祝意に対し、深く感謝の意を表したいと思います」と述べられています。(平成2年12月 天皇陛下お誕生日に際し)

 

今上陛下は、日本の祭祀王として日々、全身全霊をかけて国民のために祈り続けておられます。 想像力を少し働かせていただければ、このことがどれほど大変なことであるかおわかりになるのではないでしょうか。

 

幸いにして私は、少しの知識と、事故を通して得た力と、実際に陛下とお会いする機会に恵まれるために、そのご苦労を推察しています。

いずれにしましても、人は肉体を持った個人として、権利については平等としても、その魂の格や役目は千差万別です。こと天皇陛下におかれては、すべて国民、世界のために日々を費やしておられるわけですから、その魂の格がすばらしいということだけは覚えておきたいと思います。

 

むしろ問題は、そういった事実を知らぬがゆえに、そのことに思い至ることのできない国民の側にあるのではないでしょうか。 この国を眺めてみても、天皇陛下はこれまでどおり絶大なお力を発揮されているにもかかわらず、その祈りのお力の受け皿としての能力が国民の側に欠落していることがわかります。

 

つまりは、古来、八百万の神々 (=天皇家の祖神である天照大神が束ねた)の霊性としての存在を、知識ではなく、体感として受け入れてきた日本人の姿とは、大きく異なったように思います。繰り返します。 われわれ国民が天皇陛下に思いをはせることで、日本ははじめてひとつになれるのです。(転載おわり)

 

この上皇陛下の祈りは、五井先生が「この赤ちゃんはまことに日本のホープでもあれば、世界のホープである」とおっしゃった今上陛下に受け継がれています。矢作さんは「天皇陛下の祈りの受け皿としての能力を高めねばならない」とおっしゃいましたが、五井先生の世界平和の祈りによって、私たちは陛下の祈りに心を合わせることができます。

 

繰り返しになりますが、先の五井先生のお話をもう一度転載します。

それで皇太子なり、皇太子のお子さんたちはやがて天皇になる。本当の天皇、立派な天皇に仕上げるにはどうしたらいいか、といいますと、人類の業想念、日本人の想念という汚れた想いの波を、天皇の身辺、皇太子の身辺、それからお孫さんたちの身辺に近よらせてはいけません。光を汚しますからね。

 

そういうために私たちがいるのです。光を邪魔しないように、光が十分に発揮されて、本当の姿が現われるように、世界平和の祈りをするのですよ。

 

世界平和の祈りというのは、誰がするかというと、救世の大光明で、守護霊、守護神がみんな一堂に集まって、地球世界に神のみ心を現わし、本当の地球世界を創るために結集して、大光明を放っているのです。その大光明をこの地上界に真直ぐ天降らせれば、本当の天皇が生まれ、本当の平和が生まれ、本当の世界人類の姿が生まれるのです。

 

そのためには、どうしても天皇の周りに、皇太子の周りに、あるいはお孫さんの周りに悪い想いを流しこんではいけません。流れこむのを防ぐために、世界平和の祈りを一生懸命やらなくてはいけない。それが一つの大きな役目です。お孫さんが生まれたから、私はここでハッキリ言っていいと思うのです。

 

矢作さんは「天皇陛下はこれまでどおり絶大なお力を発揮されているにもかかわらず、その祈りのお力の受け皿としての能力が国民の側に欠落している」と述べられましたが、五井先生のお話にあるように「世界平和の祈り」にはこの「能力の欠落」を補うだけでなく、陛下の祈りの力を強め、皇室に集まる悪想念(邪)を祓い、浄める働きがあります。

 

今、皇室および周辺で起こっていることも、根源的にはそのような悪想念によるものでしょう。

そして「世界平和の祈り」には、それら悪想念を祓い、浄めることができる「救世の大光明の光」(=天照大神の光)を祈る人を媒体にして、この地上に降ろす働きがあります。今日、伊勢神宮に参拝された未来の天皇、悠仁さまをお守りすることも出来るでしょう。

 

本稿を読まれた方の中から、このようなことも意識して世界平和の祈りをしてくださる方が少しでも多くいらっしゃることを心から祈り、またお願いしたいと思います。それが佳境に入っている「天の岩戸開き」の「今」、日本という「場」で、私たち日本人にできる世界への貢献、役割であると信ずるからです。

 

最後になりますが、矢作さんの「天皇」には上に紹介した以外にも「皇統の維持、男系継承のために何を為すべきか」など重要なことがたくさん書かれています。「天皇」についてさらにお知りになりたいなら一読をお勧めするものです。

 

世界人類が平和でありますように、

日本が平和でありますように、

わたくしたちの天命が全うされますように、

守護霊さま、ありがとうございます、

守護神さま、ありがとうございます。