願望実現と背腹運動(前編) | Yokoi Hideaki

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久しぶりのブログ更新です。今回は昨年末、森美智代さんの「あわあわ」での健康合宿でお話したことを書きたいと思います。テーマは西式健康法、6大法則の中の大眼目、「背腹運動」です。

 

今回は文字数が規定を超えそうなので2回に分けて掲載します。長くなるので、まず結論を述べて、説明に入りたいと思います。この結論は甲田光雄先生が最後のご著書の中で遺された西式健康法の効果を最大化するための方途でもあります。

 

今日の結論

① 背腹運動が西式健康法の眼目である理由は「心身一者」にある。「心身一者」は存在論、実践論の両面で説明できるが、実践論では思いの習慣と行動の習慣を正しいものとし、これを維持することを説いたものと考えれば良い。

 

② この思いの習慣と行動の習慣を煩瑣な日常生活にあって正しく整えるために行うのが「背腹運動」である。背腹運動中は交感神経と副交感神経の働きを調和させる効果があり、これによって自律神経が完全調和状態になり、正しく働く。

 

③ 自律神経は一種の自動操縦装置でこれが完全に働けば、体の健康だけでなく、願望実現にも大きな働きを為す。よって背腹運動を「良くなる、善くなる、能くなる」と念じ(唱え)ながら行えば、心身一者の原理から、治病、健康回復に大きな効果を表すことができる。

 

④ 更に背腹運動中に自らの願望、目標を心に鮮明に描きながら、同時にそれを唱えながら行えば、シンクロニシティ―(共時性)やセレンディピティ―(素敵な偶然)の原理が働き、必要なモノ、ヒト、情報が集められ、夢のような願望の実現も可能になる

 

⑤ しかし、「自分にはそんな大それた『夢』や『願い』はありません、ただ幸せに、健康に暮らしたいだけです」、という人もいるだろう。そんな人は五井先生の「世界平和の祈り」を行いながら背腹運動を行うことを薦めたい。

 

⑥ 「世界人類が、平和でありますように!」と声を出しながら、リズミカルに背腹運動を行うことには絶大な効果がある。

と言っても唱えるだけなら、雑念が出てきて、なかなか集中できないということもあるだろう。そんな人には心に身近な人、まず家族、同僚、上司、友人など、縁ある人たちの顔を思い浮かべながら、それらの人たちの幸福と健康を祈りながら行うのが良い。

 

⑦  また例えばプーチンさんやゼレンスキーさんの顔を思い浮かべながら「ウクライナ、ロシアの平和」を祈るのもよい。さらに日々世界の平和、日本の平和を祈り続けていらっしゃる天皇陛下の衣冠束帯のお姿を思い浮かべ、陛下の御心に合わせるようにこれを念ずることも薦めたい。


⑧  ぼんやり祈るのにも効果があるが、意識を集中した「祈り」は、その力を一層強力にし、自分だけでなく、思い浮かべた人たちにも素晴らしい光と波を届けることができるからである。

 

⑨  縁ある人たちへの祈りには、それらの人たちを浄める働きがある。さらにそれを喜ばれた縁ある人の守護霊、守護神が感謝の光をこちら側に送ってくださるので、祈った人の福徳となり、その光も心の宿便を消去せしめる助けとなる。

 

⑩ 西勝造先生は西式健康法の本当の目的は「霊肉の浄化」「霊性の開発」にあるとおっしゃった。甲田先生が度々口にされた観普賢菩薩行法経の一節「一切の業障海は、皆妄想より生ず。若し懺悔せんと欲せば、端坐して実相を思え。衆罪は霜露の如し、慧日能く消除す。」とはこの祈りによって「心の宿便」が消除されることを指している。背腹運動と「世界平和の祈り」を同時に行うことの意味を知り、是非これを実行されたい。

 

背腹運動の実行法

さてこの運動には準備運動、本運動がありますが、やり方は沖縄市の「ゆいクリニック」の産科の先生が見本となる動画を上げていらっしゃるので以下リンクをご覧ください。

 

 

この先生は座って(正座の姿勢)運動をされていますが、これは初心の人には難しく、またひざなどを痛める恐れもあります。そこで適当な高さの椅子に座って実行するのがお勧めです。甲田先生も森美智代さんもこの方法でなさっています。1分間に50回から55回、10分間で500回の往復運動を西先生は基本にされていますので、スマホのメトロノームアプリを使って実行するのがお勧めです。

 

なお、「ゆいクリニック」の先生は他の6大法則の動画も別に上げていらっしゃいますので、それぞれそのやり方を動画から学ばれるのが良いでしょう。

 

 

さて、ここからがまず前編の解説です。6大法則と西式健康法の3つの要諦について紹介したいと思います。

 

6大法則の要、背腹運動

西先生はご著書の中で、「少年時代から三十歳くらいまで胃弱などで苦しんできた私は、これを何とか根治しようと西洋医学はもとより、古今東西の様々な健康法を360種以上自身で試しその効果を見極めてきた。しかしそれぞれ一長一短があり、決め手となる療法に出会うことができなかったが、この経験を通じて身体組織の均整を保ち、無病息災に至る方法を見出すことができた。いわば360種から短を捨て、長を取りいれ熟慮の上、創出したのが西医学の6大法則である。」と、その由来を述べられています。

 

6大法則は就寝時に①平床(硬い床)、②硬枕(木製の首枕)を用い、さらに③金魚運動、④毛管運動、⑤合掌がっせき運動、⑥背腹運動の4つの運動を指し、西先生はこれを習慣化し、日ごろ励行する習慣を持つことが無病息災の秘訣であると述べられました。

 

西式健康法の要諦は3つ

6大法則のそれぞれの目的と効果についてはかなりの紙数を要するので、ここで詳しくは述べませんが、その要諦について、西先生のご子息、西大介さんが下の甲田先生がお書きになった下の小冊子の前書きでこのようにお述べになっています。ちなみにこの冊子は西先生の13回忌に当たって甲田先生が西先生のご業績を顕彰するために書かれたものです。

 

わが西式強健術の要諦は、①脊柱と腸の運動を同時に行なうこと。②毎日生水を一升乃至二升飲むこと。③『必らず健康になる』という信念をもつこと。この3つが大眼目なのである」という言葉を見いだされるはずである。①は、正しい姿勢を保てるようにして腸内の浄化を行なうことであり、②は体液の浄化であり、③は心の浄化である、と約言することができるであろう。

 

この西大介さんのお話にあるように6大法則の目的、効果もこの3点にあります。さらに約言すれば、体の宿便(毒素)の排泄を速やかに行い、さらに心の宿便(悪想念・三毒)を消滅させることにあります。(注:三毒は仏教用語で貪(むさぼり)瞋(いかり)痴(おろか)の3つの煩悩)

 

さて、そのようなことを頭において西先生が背腹運動についておっしゃったことを拝読したいと思います。この中で6大法則の中でも背腹運動は大眼目であるとされ、その重要性を強調されています。以下、西勝造著作集1巻「西医学の基本」よりの抜粋、転載です。

 

 

 

 

 

朝晩10分間ずつ、脊柱と腸とを同時に動かし、生水を一日2リットルないし3リットル飲み、「良くなる、能くなる、善くなる」と思念すること。とくに運動中は障害のある部分に対してとくに精神を注ぎ、「良くなる、能くなる、善くなる」を唱えること。ただしこの背腹運動を行う前に、次の準備運動を行うのである。

(先のリンク動画を参照)

 

以上11種の準備運動を約一分間内に終了し、ただちに力を抜いて掌を開き、両掌を堅(たて)に膝の上にのせ、次の本運動に移る。 説明図はすべて裸体となっているが着衣のままでもさしつかえない。

 

西医学健康法の大眼目であるこの運動は、脊柱の尾骨を中心として身体を左右に振る、と同時に腹部の運動を兼ね行うのである。その速さは、 脊柱運動一往復を一回と数えて一分間50回ないし55回、約10分間すなわち総数500回を標準とする。

しかし最初のうちは200回でも300回でもできるだけ行い、次に500回に及ぶように努力する。

 

 

腹部の運動は脊柱を右なら右へ、左なら左へ傾けたときに、下腹部の中心に軽く力を入れて、押し出す気持ちで行う。 したがって脊柱一往復を1回とすれば腹部は2回となる。

脊柱が右と左とに傾いた時腹部に力を入れ、 脊柱が中心に戻ってきた時力を抜く要領で行う。この脊柱と腹部の運動は相互にリズミカルに行うこと。

 

実行上の諸注意

脊柱の多少歪んでいる人は、最初は上体がななめに揺れたり、前かがみになったりいろいろするけれども、練習し運動しているうちに自然と正しく振れるようになる。

 

これを実行する時は、坐っていてもあぐらをかいていても、椅子に腰かけていても、どちらでもさしつかえないのであるが、立って行うことは絶対にいけない。必ず尻をつけて運動するのである。古来立って運動する健康法は、沈着を欠き、相貌を野卑にする。

それで立って運動をする健康法を行う場合は、必ず別に精神修養法を行わなければ、品性が粗野になり、皮膚が荒れてくる。肉体の強壮と精神の修養とを兼ねた強健法は、必ず尻を落ちつけて行うものである。

 

準備運動を行う場合は、眼を開いてもよいが、脊柱および腹部の運動の場合は、眼を閉じてやった方が都合がよい。ただし、無念無想になるのではなく、ことごとく意識し努力して行うのである。

 

脊柱を動かすと同時に、腹部の運動を行うことは、最初のうちはむずかしいが、だんだんなれると容易にできるようになる。最初は腹部だけ動かす練習をして、意のままに腹部が動かせるようになってから、身体を右左に振る運動と合併させると、ちょうど良い。

 

この運動法は、ことごとく生理的にかなっているので、これを毎日朝晩10分間ずつ実行すると、頭がはっきりし、記憶力がよくなり、すこしくらいの病気はほとんど一掃することができる。そして、運動を2000回連続実行すれば、もはや毎日この運動を行う必要はなくなるのである。たとえ何かの原因で背骨に狂いがきても、この運動法を一回やればただちに矯正することができる。現在わたしはこの運動を毎日行っていない。ただ過激に頭や身体を使った時、あるいは旅行した時だけ実行することにしている。

 

次に病気のある人は、この運動を30分間も続けてやると、反射運動がおこってくる。

たとえばリウマチの患者であれば絵にもかけないようないろんな発作がおこる。それはその人びとによって異なり、中にはひっくり返って足をばたばたさせる人もある。

病気のある人に限って、この運動法をやると各関節に毒素がたまり、それをおしのけようとして自然にそういう発作がおこるのである。

 

こういう反射運動のおこったときは、額でも、膝でも、自分でたたくか、あるいは人に背骨をパッとたたいてもらえばただちに止まるものである。

 

この反射運動は、岡田式静坐法でも、生気療法でも、大本教の鎮魂帰神法でも、そのほかこの種のものにたいていおこってくるものであって、とくに西医学健康法にのみおこるたとえばリウマチの患者であれば絵にもかけないようないろんな発作がおこる。それはその人によって異なり、中にはひっくり返って足をばたばたさせる人もある。

 

病気のある人に限って、この運動法をやると各関節に毒素がたまり、それをおしのけようとして自然にそういう発作がおこるのである。

こういう反射運動のおこったときは、額でも、膝でも、自分でたたくか、あるいは人に背骨をパッとたたいてもらえばただちに止まるものである。

 

この反射運動は、岡田式静坐法でも、生気療法でも、大本教の鎮魂帰神法でも、そのほかこの種のものにたいていおこってくるものであって、とくに西医学健康法にのみおこるものではない。しかも、この反射運動がおこったから病気が治るとか、その患部をたたいたから症状がなくなるのと、さすったから治ると思うのは、とんでもない心得違いで、しいてこんな反射運動などをおこすのは、まったくムダの努力である。

 

反射運動がおこったならば、それによって手先の行方を見、その部分につながる脊髄神経索をまず矯正して、しかる後に、わたしの運動法を行えば、たいていの病気は治すことができる。

 

六大法則には、以上述べた運動法のほかに、必ず忘れてはならぬ二つの事柄がある。一つは生水を毎日2ないし3リットル飲むことである。 生水は、尿に色がなくなり、清く澄むようになるまで飲むのがよい。水をたくさん飲むと、最初は尿が近くなって困る人があるが、それは水が体全体にまわらないからであって、だんだんなれるに従って尿と尿との間が普通になってくる。ここにいう生水は、新鮮な清浄な井戸水のことであるが、都会地では水道の水を用いてよいのである。

 

次に、自分の健康については決して悲観せず、心を愉快にもち、そうして、「良くなる、善くなる、能くなる、直る、治る、必ず長生きする」と常に思うことである。かく思うことは、やがて病を駆逐するゆえんであって、気をあせること、悲観することは健康の大敵である。「背と腹を共に動かし水飲みて、よくなると思う人はすこやか」である。

 

以上が背腹運動についての前置きとして、ここからが今日の本論、今日のテーマ「手相も変わり、運命も変わる背腹運動」についての甲田先生のお話を紹介したいと思います。

 

「心の宿便」という至言

先ず、甲田先生のご監修のもと、患者さんでいらした大井鉄男さんご夫婦が書かれた下の書籍の中から「心の宿便とは何か」を抜粋、紹介したいと思います。

 

 

昭和60年(1985年)6月1日は、私たちにとって忘れられない日となりました。それは、この日の夜、妻が生菜食をする決心をしたからです。

 

この日は土曜日でした。私は5時起きをして八時ごろ、大阪SABホール地下一階の大会場に着きました。日本綜合医学会第36回大会の講演を拝聴しました。テーマは「断食、絶食、少食」でした。

始まるや、大会場は水を打 ったようになりました。「開会の言葉」のうち特に感銘が深かったのは、甲田光雄先生の次のお言葉です。

 

毎日の食生活は、まず飢えて完全に老廃物を排池してから、プラス栄養に移るのが、天地の法則にかなった食生活というものです。それには、まず宿便を出すことが肝要です。

だが、それよりも「心の宿便」すなわち悪い想念、仏教でいう三毒、食 ・瞋・痴を出すことが、極めて大切なことです。(注:とんじんち・貪り、怒り、愚か)

 

甲田先生は語調を強め語られました。「心の宿便は三毒である」というユニークな発言は、甲田先生ならではのお言葉であって正に至言と申さねばなりません。

甲田先生は体の宿便が心の宿便によるものである、という相依相関の関係を、いみじくも端的に喝破されました。「心の宿便を出せ」は、晴天の霹靂(へきれき)の稲妻のごとく私の心奥に突き刺さりました。              (転載おわり)

 

ここで留意したいのは先生の「体の宿便が心の宿便によるものである」という言葉です。体の宿便は基本的には食べすぎによって体内、腸内に滞留している毒素、老廃物が「便」という形をとって現れたものです。

 

よって甲田医院では宿便の排泄を治療目標としていました。実際に断食や少食で患者の胃腸には何もないはずなのに、患者は大量の便を排泄したのち病態が急激に改善するということが当たり前になっていました。

 

甲田先生はこれを治療目標にされ、患者さんも宿便の排泄があった折は大喜びしたものです。しかし甲田先生はさらに食べすぎも三毒の一つ「貪り」という誤った想念、習慣によってもたらされたもので、根本は「想いの習慣」、「思い」=心にあるということを強調されました。

 

宿便排泄体験記

下は私の手元にある甲田先生の旧著「腎臓病治療の秘訣」です。

本書は1980年初版で入手困難ですが、2002年に再度出版された改訂版が入手できます。

 

 

 

この中に大阪大学医学部で甲田先生と洞門、同窓でいらした汲田克夫先生の序文が掲載されています。これは汲田先生の宿便排泄の体験談で、心身一者、心の宿便にも通づる内容を含んでいますので、ここに紹介します。以下転載です。

 

序文 甲田先生との出会い

十年まえに、私は、大阪大学医学部に内地留学し、丸山博先生の御指導をうけました。そのとき 丸山先生から、断食療法の権威としての甲田先生のお名前をおききしました。しかし、甲田先生においしたのは、つい一年前の事でした。

 

私の友人の杉尾敏明氏が、 一昨年の秋、突然私に電話をかけてきて、「いま甲田先生のところで断食をしているが大変調子がよい、 汲田さんも一度甲田先生に診断してもらい御指導願ったら」と、親切にすすめてくれました。それからしばらくして、昨年の正月に、はじめて先生におあいし診断していただきました。

 

先生におめにかかったとき、私は先生独特の慈顔と澄んだ力あるお声に魅せられました。先生は、私に「宿便をだいぶためています、宿便がでたら体がよくなるでしょう」、と言われました。

 

そのとき、私はそれが信じられませんでした。 というのは、排便は規則的にあったからです。正直言って、そのとき、断食をして宿便をだそうという気にはなりませんでした。それでも先生の御指示に従って、 西式健康法を始めました。

 

昨年の二月、入試(小論文) や人事の事で消耗し、再度甲田先生に診断をお願いしたところ、先生は、「腎臓と肝臓の機能が低下している、宿便も依然としてたまっている」と、指摘されました。 それで、先生に無理をお願いして、三月八日から四月八日まで一ヵ月間入院させて頂き、先生の御指導をうけました。

 

その間に、はじめ三日間、あと五日間断食をゆるされ、いたしました。あとの断食のとき、宿便がどっさりでて、びっくりしました。 やはり、甲田先生の御指摘の通り、宿便はたまっていたのです。宿便が出ると、体と頭がすっきりしました。大腸と脳の関係がいかに密接かということを体験しました。

 

私は、このとき、先生の診断の確さに敬服しました。そして、便秘というものについていままでの私の考え方が変りました。宿便が次第にでて、腸の吸収力がよくなってきますと、一日たったの三分がゆ二杯と、 若干の塩だけで、一日五5~6時間の知的労働原稿を書いたり、本をよんでノートしたりするに耐えることができ、しかる気分爽快で疲労感が少しもないという信じられないような体験をしました。

 

これが少食の功徳の一つでした。甲田先生の八尾健康会館での一ヶ月の生活中、健康で人間らしく生きるために、甲田先生のお導きによって、本ものの医学・哲学・宗教・心理学を総合的、統一的に学びましたが、しかもその理論を日常生活の中で実践してみて、体験的に修得する総合健康生活学園のそれだった、ということです。

 

私にとって、八尾健康会館は、 西式甲田式健康法を学び、かつ研究する大学院でした。

入院生活を通して、病院というところは、自分の心と体の観察を通して、心身が一者(一体)であることを学ぶ大学院であり、生かされている自分に気づいて合掌することを学ぶところだ、ということを知りました。

 

甲田先生が普通の医者・医学者とちがう点の一つは、先生が西式健康法の忠実な実践者(少食主義の徹底など)であり、求道者であり、患者への献身的な援助者であるということです。

甲田先生の朝の講話は、甲田先生御自身の体験にうらづけられ、患者一人一人の悩みにこたえる実学そのものでした。私は、先生のお話から、真理というものは、極めて具体的で単純明快なものであること、人間という存在はなんとすばらしい有機体的生命であるかということを教えられました。

 

次に、甲田先生の講話 (1977年3月27日)の一節を紹介させて頂きます。

「あなたがたが、自分の運命を変えようと思えば、想念が決定的になります。 あなたがたの現在の運命は、あなたがたの過去の想念のあらわれです。結局、人間というものは、考えている通りの人間になるものです。アメリカのエマーソンが言っております。『あなたがいまどんなことを考えているかによって、あなたの運命が決ってくる。したがって、いかに思い、いかに想念を正しくするかが問題となります。』」

1980年1月18日

汲田克夫

(転載おわり)

上の序文の最後に朝礼での甲田先生のお話「運命を変えるには想念が決定的」が引用されていますが、これが心の宿便が病や不幸の原因であるという甲田先生の認識の表明でした。

 

このように考えられた甲田先生は「心の宿便」とは習慣になってしまったマイナス想念である、これを甲田先生は仏教の用語「三毒」である貪、瞋、痴に尽きる、これを除去し、明るいプラスの想念に置き換えることこそ、西式健康法の目的、心身一者の実践に通づるものであると結論付けられたのです。

 

治るよ!頑張るか

汲田先生がその一部を紹介された「甲田医院の朝礼」の内容を克明に記録された書籍があります。それが右、ジャーナリスト滝泰三さんが書かれた甲田医院探訪記「治るよ、頑張るか」です。この本は滝さん自身が甲田医院に入院され、甲田先生の言葉や患者さんたちの体験をルポした1990年発刊の読みごたえがあるなかなかの名著です。

 

 

 

 

 

心の宿便についての理解を深めるために、この書から引用します。引用するのは甲田医院の朝礼時の甲田先生のお話ですが、先だって甲田先生と滝さんの対話が始まります。

まず甲田先生は西式健康法の二大原理の一つ「症状即療法」についてお話になりますが、その後のお二人のやり取りが以下の転載です。

 

(甲田)―病気というものはね、その人の今までの生活状態や心の持ち方、食べ物の摂り方など生活の誤った部分が重なって出てきたもので、色々なつらい症状も、つまり誤った生活に対する天から与えられたありがたい「お知らせ」ですよ。

 

だから病気を治そうと考える前に間違った生活をまず反省して、正しい生活に入っていくことが先決だね。

 

五井先生が言っておられるように、病気というものは自然に消えていくものなんだ、そういうふうにはっきりと病気の本体をつかまえなければならない。病気というものは決して恐れる必要はない。消えてゆく姿である、と信じ切りなさい。

だから私のところでは 「病気を治す」ということより「病人をどうすべきか」を先ず考えるのです。「心身は一者」ですからね。

 

(滝)―私ごとになりますが、私も断食の経験は数回ございます。いわゆる民間の断食道場での体験ですが、 仕事の都合で海外に出かけることが多く、肉食ワイン漬けが食事の習慣になってしまっていました。剣友会のメンバーですので週に2~3回は稽古に通いますが、妙に身体がだるくなる感じがしてきました。すすめられてある断食道場に25日間入場しました。

 

水だけの本断食は12日間でしたが、身体はすごくすっきりしました。

しかし断食後がよくありませんでした。 帰宅後すぐ寿司屋に入って一杯やってたらふく食べたものです。心のどこかに「なに具合が悪ければまた断食すればいいのさ」という安易な妥協がありました。

いま先生の 「心身一者」のお話を伺って、私の断食は心を忘れた餓鬼道断食だと気がつきました。本当の断食のあり方についてお話ください。

 

断食はお詫びの気持ちで

(甲田)先ず想いを変えることですね。食べものを自分の力で食べていると思ったらあきません。食べさせていただいている、という気持ちが心の底から湧いてこないといかんということですね。

 

断食療法でも少食でもそうですが、一週間でも十日でもぐーっと歯をくいしばって頑張っている。しかし頭の中では、よーしこれで病気が治ったらうまい寿司を腹一杯食べるぞ―などと考えている。これでは駄目です。必ず断食反応で猛烈な食欲が湧いてきて自分の理性を振りまわすようになりますから、これは非常にへたくそで危険な断食です。ここで思いを変えることです。

 

辛抱、我慢でなしにお詫びの気持ちでやらないといけません。今まで命を粗末にして私は食べ放題をやってきた、そのことをざんげしお詫びする気持ち、断食させていただきます、――これが大切です。水一杯を飲む時にも、神様からいただくいのちの「水」だという気持ちでそのお水を一ぺん神様や仏様にお供えしてそれからいただく習慣をつける。

 

私の経験ではこれが一番良い。御先祖の霊をはじめ、西先生(西勝造、西式健康法の創始者)、五井先生とかの霊に一ぺん自分の食べるものを全部供えるんです。

この習慣がついたらもうどんな誘惑にも負けることはない。だからもし、まんじゅうを一度食べさせてもらおうと思ったらお供えして、一個いただくようにしたらいいんです。たまに一個ぐらい食べたからといって、どうということはありませんよ.

 

(滝)―医学の進歩は目ざましいものがあるように認識していますが・・・・・・

 

(甲田)―現代医学の一番大きな欠陥は症状即疾病観から抜け出せないこと。例えば、皮膚病とか気管支喘息の発作とか、あるいはまた鼻アレルギーで水鼻が出るとか、これらの症状を押えることに追われているような状態ですね。つまり症状即病気としか見ないからです。

 

これからガンで死ぬ人がますます増えてくるでしょう。それから糖尿病もどんどん増えてくる。問題になっているアレルギーの病気、即ちアトピー性皮膚炎、喘息でも、ものの見事に増えてきましたね。アトピー性皮膚炎の増えたことというのはこれは本当に恐ろしいぐらいです。恐らく、これから五年、十年の間に大きな日本の社会問題になってくるのはアレルギーの病気でしょう。二十一世紀はさらに一段と深刻さを増すでしょう。

 

アトピー性皮膚炎というのは元来体質、喘息でも体質といわれています。そんな遺伝的な病気がまたたく間に何でこんなに増えてくるんでしょう。おかしいではないですか。現代医学の考え方というのは本当に枝葉の所にしか気がついていないものが多いですね。まだ一番大事なところに全然気がついていないのです。これでは救われません。・・

 

繰り返しますが、現代医学の最大の欠点は「症状即病気」としか見ていないことです。なるべく早いことこの症状を押えてやろうという、これがいけません。

症状即療法ということがわからないのです。アレルギーが出てきても、この症状が実は療法なんだと、それを喜ばないといけません。それを感謝で迎えないといけないのです。煩悩即菩提だからです。

 

人間は実にさまざまな悩みごとや苦しみを抱いています。それらのものを自分が「悟り」にいたる試練と受けとめるか、目先の手段でとりあえず逃がれようとするか……ここが眼目ですね。しかし一般には症状が出てきたら病気と見ますからね。湿疹でも出てきたらそれを一日も早く押さえようとします。

 

そのため強い薬を使う。痛みが出てきたらその痛みを何で喜ばないのか。痛みを早く取り去ろうとする前にまず喜んでそれをお受けし、どうしてこんな湿疹が出てくるのか、という原因を静かに反省すればよいのです。自分の生活内容の誤りを反省するために、そういう症状を天から与えられたんですから。

 

私達の悩みというものは過去世から現代に至る誤った生活、即ち精神的肉体的に間違った生活を続けてきた結果として現在それが現われているのです。

現われたということは、消えてゆくんですよ。だから喜んでこの症状を迎えたらいいんです。それなのに何でこれを迎えようとしないのか、これですね。考え方を180度変えないかんというのはこの事です。

 

そして自分の新しい運命が開けてくるように、今までの間違った想いを今度はいい想いに変えていけばいいんです。

すなわち、誤った想い (業想念)が出てくる。これで「心の宿便」が出てくるんだ、ということですね。

 

(滝)心の宿便(業想念)について、もう一つ突っこんだ説明をして下さい。

 

宿便には二つある、心と肉体

甲田――仏教でよく言われる仏の三毒「貪、瞋、痴」、つまり貪りと怒りと愚痴、これらがあなた方の脳の中に潜在意識となってがっちり浸みこんでしまっている。この潜在意識が恨みの念波 怒りの念波、あるいは悲しみの念波となって知らぬ間に表面に出てくる。それが私達の行動を振りまわすわけですね。

 

そのような潜在意識を出し切って清めてしまうというのが心の宿便を出すということです。そしてその代りに、今度は「いい想い」を入れていく。

さて、ここでいい想いとはいったい何のことを言うのか、と思うでしょう。

それは愛とか慈悲の想いのことです。

そしてこれは神のみ心、仏の心です。そういうものはどうして入れるかというと、お祈りなんですね。

 

お祈りをすると悪い潜在意識を清めるのに大変役立ちます。皆が幸せになりますように、本当に仲良くするように、そしてまたみんなの病気も治って健康になられますようにと、この切なる祈りというものが愛の想い、慈悲の想いです。それがいい心の栄養となって、ここで心身が改良されるわけです。

心身の改良という事は、まず肉体の宿便を出し、心の宿便も出し、その後、肉体の面では正しい栄養を入れる。

 

例えば玄米菜食とし、心の面では「愛の想い」、「慈悲の想い」を入れていく。こうすることによって、心身ともに生まれ変ったように改良されていくのです。私がこんな話をしても「ああ、そらいい話やな」と左の耳から右へ抜けてしまってはいけません。毎日くり返し、祈りを実行するのです。

 

でも私達はやはり凡夫です。すぐ腹を立て、 人を恨み、失敗しては挫けて悲しむのはいたし方ありません。その時にそれに振りまわされては何にもなりません。そういう時は、「あっ、これが過去世からの私の業想念が今、消えていく姿として出てきたんだな」と思い、すぐに皆さんの幸せを祈らせてもらう。世界の人達の本当の幸せを祈らせてもらう。

五井先生は昭和五十五年に亡くなられました(帰神)が、ここでその深い祈りの言葉を紹介させていただきまさせていただきましょう。

 

「不安の心多き人、暗い心の人たちは、常に天を仰ぐことを実行するがよい。天からはいつも、陽気が降ってくる。たとえ雨や曇の日であっても、天に心をむけることが大事である。天に心をむけると、いつの間にか、心が軽く明るくなるものである。そして次のように祈るとよい。『神様、どうぞ私の心に愛を充実せしめ給え、どうぞ、私を愛深い私にならしめ給え』と。」

 

ちょうど朝礼の時間となった。 病床15床のはずなのに、何と50人ほどの人が集まっている。 病床が少ないので、八尾市内の旅館や下宿屋に宿泊して通院しているということだが、京都や大阪、神戸、奈良方面からもこの朝礼だけは欠かせないと一番電車で駆けつけるという。

 

午前7時30分、今日の当番である中川良比古さん(40歳=税務署勤務)のリードで《五観の偈》(曹洞宗の修行僧の偈文)の斉唱が始まった。甲田医院では当番制で入院者の日常生活は自主的に運営されているようである。甲田院長が途中から入ってきた。 最前列の座布団に坐る。まだ若い女性が「今日の反省」といったものを朗読する。私は一番後の席で全体を眺めることのできる位置に着いた。

 

この後この日の朝礼で甲田先生の講話が始まるのですが、先生は黒板に次の図を書きながらお話になりました。ただ滝さんはその図のみを掲載し、説明は省略する、として甲田先生のお話の内容紹介はなさいませんでした。

 

 

考えるに、滝さんの理解が及ばないお話だったからでないかと思いますが、私なりに先生がこの時お話になったであろうことを年末の「あわあわ」での講話でお話しました。それについては後編で紹介したいと思います。

 

世界人類が平和でありますように