パブロン鼻炎カプセルS / 日本の広告費
お客さんと電話していて「今日声に元気ないですね…二日酔いですか?」などと
言われるInsiderさんですが、大方の予想を覆し?、別に二日酔いでもなんでもなく
体調を崩して家で転がっていました(企画書一個書いたけど!)。
で、別に体調が悪いから刺さったわけでもなく、パブロンのCM が気になったりしています。
でも僕ならくしゃみのシーンはカツラ飛んじゃうね。「髪がふわっ」じゃ表現が上品やしませんか!
んでなんか「迷惑をかけないのもマナー」みたいな。
あとパブロン、商品がわかりにくいです。効能が違う薬がみんな「パブロン」なのがもうわかりにくい。
例えばこの製品は「鼻炎カプセルS」らしいんですが、なんか説明的すぎて僕の耳に入ってくるのは
「パブロン」だけ。せめて「パブロンS」だけだったら覚えた…かも。
風邪薬なんて全然仕事で関わったことがないけれど、
結構差別化が難しそうだし「~ください」ではなく「風邪薬、ああ眠くならないやつで高くないの」
とかそういう方法で買われてそう。売るの大変だろうな。
さて、日本の広告費 (リリースはこっち )はが発表になりましたね。
見所は「雑誌を抜くか」だったんですが、やっぱり抜きました。
僕みたいな若造がたいした分析を出来るわけも無いのでそういうのは他にお任せするとして、
またお得意の「感想」を。
どこかの新聞では「検索連動広告が伸びた」と書いてましたが、
僕は個人的に好きではありません。あの少ない文字数にクリエイティビティの伸びしろが
そうあるとは思えませんし(もちろんプロがやるかどうか、という所では大きな差がでるでしょうけど、
プロ同士で差を出すのは難しそうです)、いかにも「認知獲得目的」っぽいのが…。
ただ、同じく伸びたとされるモバイルは検索エンジンの権力が弱いですから、
サイトへの誘導はかなり人為的に行わないといけない(勝手に検索してたどり着いてはくれない)
ようなことを教わったことはあります。
だからモバイルではサイトとのセットで、という設置の仕方は十分にありえるかなと。
あと、購買に直接繋がるようなキーワードがありえる業種では有効でしょうね。
「一人暮らし 東京」とかに賃貸入れるとか。
PCの話に戻ると、僕はタイアップが好きです。
自分がユーザとして見た場合、元がゲームなんかが好きだからミニゲームとか
設置してあると1,2度はやっちゃったりはするんですが、もっと求めてるのは
「企業にしか出せないコンテンツ」なのかなと思います。
ブログの話をすれば僕みたいな木っ端個人ブロガーなどは話にならないとしても、
アルファブロガーと呼ばれてる人たちでさえ、ほとんどのかたがたは
それ専業で生きているわけではありません(利用して生計を立てている人はいるようですが)。
そういえばネタフル さんは専業だった気がしますが…。
それでも、やはり時間にも金にも限界があるわけです。取材に何日もかけるのは、無理。
(このブログのように)妄想するのは簡単だし元手はいらないので個人でも出来るんですが、
ちゃんとした記事を書けるのはやっぱり企業なんだな、と思うんですよ。
僕は個人のよさは匿名で好き勝手書けることだと思ってます。
責任を持つ必要が無く、前書いたように「発言のみが存在し、人格はそこから推し量るしかない」状態。
だからそういったプロが一応第三者として書く、一応記事に近いタイアップってのは
ユーザの利益になるような情報を出せる、という意味で好きなんです。
結局広告なんですけどね。
例えば「服部先生とDraft One 」みたいなのも、そんなののひとつと言ってもいいかも。
このサイトに来る人は別に「Draft Oneよありがとう」と思ってくれる必要なんかなくて、
単にレシピ拾って帰りたい、でいいと思うんですよね。
「ユーザにとって価値がある情報を提供する企業です」というのが、
十分に「商品が選ばれる理由」になってほしいもんだな、と思っています。
記事ではないですが、検索してたら「日本缶詰協会とぐるなびがタイアップ 」を見つけました。
僕はぐるなびが結構好きで、唯一のものを持ってる媒体としてかなり可能性を感じてるんですが
今のお客さんだとないんですよねー、一緒に動ける機会が。残念。
久しぶりにみたら株価、上がってるようですね。
前分析したときは業績はいいんですが全然株価に反映されない、不思議な会社でしたが…。
でもDancing Johan とか意味不明なことに馬鹿みたいに金突っ込んでるほど余裕があるとは
思えません。"dancing johan"って検索したら"もしかしてDancing John?"って
Google先生に聞かれちゃうし…。
ああ要するに「有用なコンテンツを生むのをサポートする」という方向に、
この伸び続ける広告費がいくといいな、ってことです。
もちろん、お金のやりとりなく「コンテンツ作りに協力」というまさに「PR」な
手法が採れれば、それが一番いいんですよ。
フェルディナントヤマグチ さんの本にタコだかイカだかの漁獲高の推移の分析を
やりつづけて女の子を口説き落とした水産会社のだれだれさん、とかいう話が載っていた
記憶があるんだけれど、それと一緒で多分どこの会社にだって「自分の所でしか
提供できない貴重なデータ」みたいなのがある(はず)。
それが(女の子に通じるかも知らないけど)メディアの関心を呼ぶかはまた難しいから
僕らみたいなまぁ一応プロ、ってのがいるわけだけど、
でも「会社の製品を取り上げて!」というだけでなく、たまにはそういうことも
やったらいいんじゃないか、というようなお話でした。
相手もそんなに(訊くだけなら)嫌がらないしね。
ちょうど今、誰もが読む某海外旅行ムックにコンテンツ提供を狙っています。
あるものの初心者向けのHowToページを作りませんか?という腹積もりで、
昨日電話してみたんですが、かなり好感触…ぬふふ。
自分が実際にそれで困った記憶があってその経験なんか交えて話したからうまく行ったのかな?
こういうのはかなり遠回りな話で、その企画が通っても下手したらクライアント名は
一文字も出ないかもしれません。でもその本を通じてトラブルが減って、
旅行で楽しい思いをしてくれたらきっと将来的にユーザは増えると思うんですよ。
そんな感じ。
…また話が飛んだな。
評価指標
愛読させて頂いている業界人間 さんの記事の話。
ところで「ペム」とかじゃなくちゃんとベムで絵まで使っているというのは権利関係大丈夫なんでしょうか。
まぁ思いっきり堂々と公式 と同じカット使ってるのでなんらかの関係があるのでしょう。
中の人々、残念なことに全く存じ上げませんが(知ってたらこんなまぬけなことは言いませんて)。
今日のは全く脊椎反射レベルの感想文なのだけれど、
「ネットユーザーは成熟してきて、クリック率は下がっているなか、ネット広告表現はリッチメディア化が進んでいる。動画も、インタラクションもふんだんに組み込んだ表現は、既に広告のインプレッションとインタラクションを促せば、クリックしなくても従来以上の効果を得られるように出来ている場合がある。」
という表記が気になるのです。
確かに現実そうなのかもしれないけれど、これは一歩間違えると「犬が見てても視聴率」というのと
同じ所に落ちていきそうな予感を感じるのです。
いや、業界人間さんがそういう意図で書いているとは全然思わないんですが、
悪用できるよね、というレベルで。
テレビには「誰が見ていたか」を測定する仕組みが無いから犬とかって揶揄されたんです。
昔ビデオリサーチがまだ独占する前の視聴率調査争いの中で、ニールセンは
現在スタンダードになってしまった「世帯別視聴率」ではなく個人視聴率を取ろうとしたらしいですが…
その後争いに負け、ネット視聴率とかいう分野で最近盛り返す以前は日本から消えていました。
あ、この辺は僕にとって正直昔話の類なので正確ではないかもしれません(と、逃げる)。
兎に角、「アクションを起こした回数をカウントできる」というネット広告のいい所(これは「良い」ばかりでなく、
単に「違う」というだけという所にも十分な配慮が必要かと思いますが)の意味が無くなってしまうよな、
という、それが言いたかっただけです。
「行動を起こさせる事で中立のオーディエンスから自陣側の参加者としての意識をもたせる」というのは
行動変容ではよくある手口で実際有効で、その辺の説明はフェスティンガーでも読むといいと思いますが、
オンライン広告はそれを比較的手軽に試す事が出来る、という意味で面白いのではないかなと
思っていたのです。
「見ただけでユーザにリッチなエクスペリエンスを」というお題目が免罪符に、どうかなりませんように。
確かに、先ほど引用した文章の下で書かれている「ヘビークリッカー」はこれが日本でも適用されるなら
一部のジャンル以外(想像してください)にはあまりいいターゲットとはいえないし、
これを指標にしてしまうと、制作側にとって実際の商品/サービスのターゲットではなく
「クリックしてくれる人」をターゲットにした広告を作るインセンティブにもなってしまう恐れがある
とは思います。
何の結論にもなっていませんが、感想文なので。
あと、自分は残念ながら「リッチなコンテンツ」は苦手です。
画面上のスーパーバナーならまだいいんですが、
画面横とかで読んでるときにちらちら動かれると非常にいらつくんですわ。
勿論、クリックした事もありません。
和食
フードリンクニュースのメルマガ より引用。
過去の自分の関連記事 。
●海外>>>海外の和食「推奨」レストランのガイドラインを公表。
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NPO法人、日本食レストラン海外普及推進機構(JRO)が主幹。日本由来
の食材などを定期的に調達し料理に用いているか、などガイドラインを設定。
推奨第1号店は未定。認定制度は農水省主導でスタートしたが「すしポリス」
と批判され、NPOが「推奨」する形で納まった。
と、いうことで結局NPOというお化けをつかってうやむやにすることにしたようです。
ちなみにそのNPOのウェブサイトはここ 。
まぁ予想通りというか…僕は確かに民間でやるべきことだとは思っていますが、
それにしてもこういうよくわからん官のにおいぷんぷんの団体で、という意味ではありません。
ちょっと室町屋さん みたいになっていますが、
東京は、数ある世界の大都市の中でも非常に飲食業が発展している都市だと思います。
普通のレストランの数も多いんですけど、イタリアンやフレンチはもちろん、
珍しいところではシャン族(中国とミャンマーの国境付近に住んでいる人たちです)の料理 とか、
マリ共和国料理 とかだって食べられる。そしてどの店もそこそこつぶれずにやっている。
ほかにそんな国はありませんよね。
なんか結構排外的なところがある日本人にしては珍しいと思います。
だけど、「和食」って食わなくないですか?
なんか居酒屋か、それを超えると即「料亭」みたいなすごく高いイメージがある。
わかりやすいのが寿司。「回ってるか回ってないか」で天と地の差があるし、
そもそもどっちもあんまり行かない(僕だけ?)。
普段触れる和食、っていうとおにぎりとか?って思ってしまう僕はpoorなんでしょうか。
あ、冬は鍋としゃぶしゃぶに必ず行きますが、これは自分が外食大好きだから、でしょう。
まぁ実際のところ、「和食」というのはある地域の食を束ねてつけた便宜的な呼び名で、
すき焼きとおにぎりとラーメンとすしを国内で一緒に出す店は「和食」ではなく
「邪道」と呼ばれてしまうわけで…。
そもそも定義が難しいし、ルールでしばることに似合わない料理なのかもしれません。
この辺は以前もガイドラインの議論をやってた時にも言われていたことではありますが。
カリフォルニアロールは寿司か?みたいなね。
なんか話が逸れてしまいました。
和食を海外にちゃんと広めていくにはどうすればいいのか?でしたっけ。
1つのアプローチとして、もし国に近いアプローチをするなら
公邸付きの料理人の和食優遇なんてどうでしょうか?
笹川(子)さんも大切だと言ってます が、国の代表である大使が
お客様を招く時に出す料理を作るのが公邸料理人です。
補助金が最近増えたとはいえ、基本的には料理人は大使個人の負担で雇われますし、
大使だって料理人選ぶほどしっかりした料理知識を持った人ばっかりでもありません。
ので、結局国際交流サービス協会 とかに相談して推薦してもらったりしているようです。
だからこの辺の募集システムをもう少しはっきり作って、国がお金をだすから
逆に責任持って基準を設けて、とやる。その中に和食を優遇するような
仕組みをいれてあげられれば、自然海外要人がちゃんとした和食を味わう機会が増え、
間接的ではありながらも和食が広まることへの貢献になると思うのですが。
和食は最早海外でだって珍しいものではないのかもしれません。
でも、「日本流ちゃんとした和食」を食べる機会と言うのはまだそこまで多くないのでは?
と思うのです。中華だって現地の味そのまま(のほうが日本人の口に合うかという議論は
この際置いておくとして)を味わえる店は死ぬほど中華料理屋がある日本でだって
なかなか難しいと思いますし。
妄想ですかね。
ていうか3月27、28日には「日本食の魅力を世界へ」をテーマに、東京で「日本食レストラン国際フォーラム」を開催する… なんて公式ページ以外でこっそり告知してる場合なのかねこの人たち。やるならがっつりやらにゃ意味ないって。
童話
上記画像ハイライト部を見てください。
ちょっとかわいいコメントアウトでした。
解説:wikipedia を読んでもなんのこっちゃわかりませんが、よくウェブページの上のほうに見られる
"Home→新着ニュース→過去→2007年10月"みたいなナビありますよね、
それをどうやら専門用語で「パンくずリスト」というらしいんですな。
てっきりその下のクラスがpanだからっていうあんまり見えない所に製作者が
仕込んだ冗談かと思ったんですが…人に言う前に調べてよかった。
ちなみに語源はヘンゼルとグレーテルだとか。
ちょっと仕事がひどいことになっているので(労働時間というより案件がヘビー)、
気を抜きたくなるような今日この頃、気が抜けるエントリでした。
使用ソース:広告会議
あらたにす(新s)
初日の数字がでた ようなので書きます。
ここ でも書かれているとおり、サイトとしては完全に駄目ですね。
まず、インタラクションの仕組みが全くない。
RSSもない。
もともとコンテンツが少ないのに日経にいたっては書評のリンクがない(何で体裁を揃えないかな)
新しいコンテンツが「案内人」くらいで基本的に紙ベースだから新聞3紙取ってる人にとってのメリットがない。
…そもそも「3紙読み比べたい」ってどんだけ新聞マニアだよって話。
ただ、Zenhitei(まだどこかで生きてるのだろーか)もかわいそうなので言い訳を考えてあげると、
例えばRSSが用意されていないのは、多分そもそも日以上の単位での速報性に全く関心がないから。
そして「新聞は何があろうと絶対毎日更新される」のでほかのいつ更新されるブログなんかとは違って
別に更新をお知らせする必要性がない。毎朝新聞が届くように、
毎朝出勤前とか仕事開始前に読むくせをつけて欲しいという、まぁそういう意図だと思われます。
…まぁ上から目線だっつう誹りは免れないでしょうが。
そしてサイトとしては大失敗すること間違いなしでしょうが、
販売事業分野での提携もうたわれているので、
そちらで利益なり結果を出せればプロジェクトとしてはいいのかも、とも思います。
なんていうか「情報を見るだけならネット」という大きな流れの中で
どうやってわれわれ生き残っていきましょうかね、っつう実験を大手が手を組んではじめました、
というのがそもそものアイディアであるわけで、サイトはその実験のひとつでしかないんですから。
邪推するなら新s、作った人は「新聞はそのままのスタイルではネット社会では生きていけない」
ということを明確に示して、腰が重いであろう上層部の尻に火をつけるために
あえて工夫をせずに「電子新聞」として作ったんじゃないかとすら思えます。邪推ですが。
ただ繰り返すけど新sはサイトとしては駄目で、その駄目具合は47newsなんか全く目じゃありません。
47はある一箇所に住んでる限り普通の人はなかなかアクセスできない各地の地方紙の紙面を見れたり、
それに加えて共同の速報性もあったわけです。そしてサイトデザインもきれい。
全く仕組みとしては間違っていないと思います。
あれの問題は、単に「地方紙のコンテンツなんてその地方以外の誰が興味を持つのか」という
ものすごく根本的で、致命的なところだったわけで。
つまり、最初から失敗を運命付けられてたんですな(あれ…だめじゃん)。
ちなみに新s(PCで打ちやすいように考えてあるのはまぁ褒めてあげよう…
全角半角変えなくても「しんs」で一発変換できるからね)、URLを見ると英語表記は「allatanys」。
昔ANY連合 とか言ってダイヤモンドに抜かれた(多分…)時の名残が見えるような、みえないような。
気にしすぎですかね?ちなみにその時のダイヤモンドでは確か、
「毎日が入れば『Many』だったのにね」といった辛らつな書かれ方をしていたように記憶しています。
誰がうまいこと言(ry。
倫理は紙の鎖、またはインセンティブと坂道。
自分で考えた言葉ながら、「倫理は紙の鎖」という言葉でニタニタしている今日この頃、
皆様いかがお過ごしでしょうか。
僕は書きかけの記事が溜まって溜まって
何について書きたかったのかよくわからなくなっています。
上記の言葉、別にたいした事じゃないんです。
紙と神はちょっと掛けてるかもしれないけど、そういうのは本質じゃありません。
ただ、仕事の進め方についての考え事。
インセンティブ、という言葉を最近(心の中で)よく使います。
日本語でこの言葉はなんとなく直接的な表現…というか
ニュアンスとしては「馬の鼻面にニンジン」みたいなイメージがあるかな、と思うんですが、
最近それは違うなぁと思っているのです(元から違うのかもしれませんが)。
新しく考えているインセンティブという言葉のニュアンスは、「相手と同じ方向を向く」こと。
それがあまりに奇麗事に聞こえるなら「きちんと利害を一致させる」という表現でもいいでしょうか。
チームを組んで仕事をしていて、スムーズに流れない時というのは誰しもあると思います。
別にミスをされてるわけじゃないんですがなんとなくモタモタしていたり、
直接きっちり言葉で言わないと通じていなかったり。
そういう時、よく考えてみると相手と自分の流れは同じ方向ではなかったりする。
具体例は出せないし、抽象的な話なんですけどね。
ただ、その「流れ」というのはたいしたものではないことも多いです。
別に自分の事を嫌いだと思っているとか、邪魔してやろうとか、
そこまでじゃなくても「やだな」とか。そんな事は思われてなくて
「腹減ったな」とか「自分の客の相手したいんだけど」とか、
そんな死ぬほど些細な理由でも、流れは澱んでしまう。
そういう意味で、「坂道」と表現してみたのです。
自然に転がり落ちていってしまうし、登るのは面倒。
別に辛い、までいかなくても「面倒」。
言ってしまえばそれはわがまま。
でも、現実にその人と仕事をしなきゃいけないという関係がある以上、
そこで歩みを止めて「あいつはわがままだから」と言ってもあまり建設的ではない。
そして、そこで倫理とか誇りとか、そういうものを持ち出すのもあまり適しているとは思えません。
倫理で縛れるのは帰属感がとても高い集団か、または罰が割にあわないと言うことが
明らかな集団だけです。
そして倫理と同じですが誇りも内から湧くもので、他人から押し付けられるもの
ではありません(「お前には誇りがないのか」というのは
典型的な「反論できない言葉」です。うざったいわ)。
後者は例えばアメリカが色んな時に持ち出すやり方ですが、
それはああいう共通言語(もちろん抽象的な意味で)が少ないメルティングポットでは
お互いに期待できないのでああいう風にするしかないんでしょうねきっと。
倫理や誇りで縛れるのは自分だけなんです。だから紙なんですよ。
で、大抵の会社はそのどちらにもあてはまらないでしょう。
なんとなく働いていて、別に終身雇用でもないので会社がこの先潰れようが
知ったことじゃないし(できれば自分が転職した後にしてほしいけど程度の話)、
社内の空気を読めなかったからといって殴られるわけでも給料が減るわけでもない。
ならば、悪い言い方をすれば「ご機嫌をとる」しかないんですよ。
…えっと少し丸めると「気持ちよく仕事をしてもらう」ですね。
別に怒るなとかそういうのではなく…。
…ああなんか「扱いづらい新入社員を扱う術」みたいになってきたな。
いや、このことを考え始めたきっかけはウェブサイトのことを考えていた時なんですよ。
サイトに来るお客さんって基本的にめちゃくちゃわがままだから、
楽しさとかモチベーションが一瞬でも途切れると直ぐに別の娯楽に行ってしまう。
スイッチングがテレビのチャンネル変えるくらい簡単なわけです。
だから、すごく「気持ちよく見てもらう」とか「帰属意識を持ってもらう」とかが必要なわけです。
人は自分の関与度が高ければ高いほどその集団に対して帰属意識を持ちますから、
ウェブでは「CGM」とか言ってユーザに自発的に関与させるわけです。
これがテレビにはできないこと。最近地デジでインタラクティブとか言ってるけど
百年遅いよ。
※その伝で行くと本当はもっと「加入に際してコストが馬鹿みたいに高いサイト」というのが
現れてもいいのかなと思うのですが…今の所は富裕層専用のゆかし と
Beautiful People くらいなのかな?
専門外なので他にもあるかも知れないけど…ちなみにBPは「美しい人しか入れない」という
変なSNS。確か既存会員の投票を経ないと加入できないんですよ。
さらに余談かつ蛇足ですがゆかしの営業は最低です。代理店が問い合わせてるのに
うちシカトして直接うちの客に営業掛けましたからね。筋通せよボケ。知らん顔してても
直ぐに客から「どうしたらいいですか」とか相談されんだよ(という個人的経験)。
3日くらいしてから知らん顔して資料が届きましたが。
…話を戻します。
そんなわがままなユーザを滞留させるにはどうしたらいいのかなぁ…とか
ユーザにとって魅力的なコンテンツってなんだろう、ってまぁ俺ウェブプロデューサーとか
じゃないから適当に考えてたわけです。
でもこれってすごく知らない人に説明するの、難しいんですよ。
なんだかんだ提供側には期待というか、まぁ甘えなんでしょうがそういったものがあって、
「ここでフォントが11じゃなくて8だったから逃げました」とか言われたりとか
「半角カタカナは致命的です」とか言われてもピンとこないというか、
それがどれだけ致命的かわからない。「些細なことじゃない?」って思っちゃう。
確かにその違いは些細なものですが、とても残念なことにスイッチングのコストは
もっと低いってことです。ウェブサイトなんて多分いまや星の数を超えてなんかよくわからん
単位くらいになっちゃうほどあるわけで。
もやもやと考えていたら要するに職業選択だってスイッチングのコストが下がってるって事を思い出し、
仕事をする上でも、もっとその低コストに見合ったものを提供しなければいけないんだろうなと
思った今日この頃ですよ。職を失う恐怖ではもはや縛れないんですよ。
そして、誰かと話す時もっと頻繁に「何がこの人を動かすインセンティブになるのか」を
考えていけたら、と思います。
…って見た目合意形成とか説得学のアプローチだねこれ。でも(これもニュアンスだけど)そこまで
重い利害一致が必要と思わなくて、もっと簡単に、ちゃんと坂を自分の望む方向に
つけられれば、あまり斜度(=インセンティブの強度)には関係なくあとはぽんと背中を押すだけで
動いてくれるんだろうなと思ったのですよ。
おしまい。
沈黙の螺旋 -効率をあげる事によって失うもの篇-
ここ の続きです。引き続き「沈黙」とはかけ離れた方向に飛翔しています。
RSSリーダは恐ろしい、と最近思う。
僕はデジタル大好き人間だけどアーリーアダプターではなくて、
結構この手のサービスは普及してから使い始める方。
UIがいいなと思うサービスに出会わなかったせいもあって、
本格的に導入してからまだ半年くらいしか経っていない(※ちなみに前はfeedBringerを
使っていて、サービス停止してしまったので結局自作…プログラミング…はできないので
半製品のようなものをチューンして使っており、名前はありません)。
RSSリーダは確かに便利だ。だけどあれを通して読むと、
折角がんばったブログのデザイン(このブログは全然がんばってません)には
全く意味がなくなり、全てリーダのデザインに画一化されてしまう。
…あ、GooだったかのRSSリーダはページを読みに行く形だった気がするので
当てはまりませんね…。僕の試したことあるリーダはほとんど勝手にひとつの
フォーマットにしてしまう形だったと思うので、ここではそれ前提です。
確かにデザインが画一化されればそれはダイレクトに読みやすさにつながる。
だってBlogによって読み方のルールを変える必要がないんだから。
同じところに日付があり、本文があり、タイトルがある。
でも、その落とし穴は「情報の要度がわからなくなる」こと。
そして「更新に対してのアンテナが働かなくなる」こと。
前者については今度書きます。また長くなるので。
後者は今回の話と関係があるところで、
例えば僕のリーダはGmaiにRSSを飛ばしてくるようにしてあるので、
毎日メーラ上で読んでいるのだけれど、平均で30通以上、
新着のRSSが飛んでくる。今日は多い日で70以上来ていた。
それをちゃっちゃっちゃと飛ばし飛ばし読むのだけど、
「今どのブログの記事を読んでいるか」はほとんど気にしない
(ちょっと上記「前者」にもつながる話)。
タイトルは読むけど正直目に入ってるか微妙なくらい。
そうなると、登録しておいたブログがなんらかの原因で(例えば移転とか)更新されていない
ということに不思議なくらい気づかなくなる。
そもそも最初のRSS取得(スクレイピングしてる所もあるのでRSSだけじゃないのがネック)からして
失敗してたりして。
ところで、半年くらい前に今のシステムを導入するまではずいぶん長い間、
僕は目視でサイトをチェックしていた。
勿論RSSなんて出てくる前から「更新チェッカー」なんていうのはあったし
自分にも需要があったのだけれど、なんていうかこういうソフトは一枚はさんで
コミュニケーションしてるみたいでイヤだな、と思っていたので
見向きもしなかった…ていうのは嘘だな、チラ見くらい。
勿論その巡回先の中には1ヶ月に一度しか更新しない、ってな僕みたいな面倒くさがりやもいて
毎日覗いてカウンターまわしてあげてる自分がハムスター気分というか、
そんな気持ちになったこともある。
でも、ちゃんと巡回していたからこそ死ぬ時は看取れたというか。
そんなよさ?があった。
しかしリーダ導入後はわからない。
自分が何を登録したかなんて数も膨大だしあまり覚えてもいないし。
別にこれを「寂しい」と表現したいわけではないんだけれど、
「主体がない」というwebの性質の、わかりやすい例だなと思ったわけです。
あ、これは「RSSを全文配信すべきか」という議論に加わりたいという話ではありません。
その話をするならば、僕は「全文配信しちゃうとサイトを訪問する意味がなくなる」というような
意見には全く賛成できません。アクセス落ちるよ、みたいな。
それは単に購読者なり、RSS経由で読んでいる人間を掴めていない技術が悪いわけで、
利用者の便益をそれで損なうというのは筋が違うのでは…とかね。
まぁ純粋にカウンタ回るのってうれしいよね、ってそれ何年前の感覚だよって
話だろうし。
ただ一方、RSSで読まれちゃうと広告とかアフィが吹っ飛んじゃったりすることも
あるかなとも思うので、そういう意味でブログシステムの運営者側が嫌がるというのはわかる気はします。
アメーバも確か標準では全文やってなかったんじゃなかったかな…。
あ、でもこないだすったもんだした時に変わったのか?
つまり、(はいこっからがようやく本題です)前回書いた事に照らすならば
RSSリーダは「声」を拾うもので、ブログ自体のデザインやレイアウトが発する
「主体」の雰囲気を運んではくれない。
あくまで一瞬発せられて消えていく声を、聞き取るためのシステムなんだな、と思うわけです。
僕みたいにメールでやってれば自分の手元にその声も残せるし。
ここで前回の話と今回の話をつなげる意味でも仏教における「無と空」の違いと絡めて
書こうと思っていたのだけれど思わぬ長さになってしまったので短縮。
僕の浅い理解では「無い」は「有る」の対立概念。
あるはずのものがないが、そこには『無い』が有る。
音楽でいうなら休符。
「空」は「在る」の対立概念。
何も無い。「無いという事」すらない。
それが、空。
…なのかな?
前回僕は
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オンラインの世界で「声を出さないが存在する主体 」というのはありえない。
そもそも「沈黙」という概念が存在しないのだ。だって、沈黙はあくまで、
「そこに『黙っている誰か』が居る」という意味なのだから。
--------------------
と書いたけど、それは空なのかもしれないな、ということ。
尻切れトンボでした。だから何?って言わないで、泣くから。
アイディアは使い捨てではない
当たり前かもしれないけど。
アイディアは、一度ダメだとなんとなく捨てたくなる。
それ自体が尖ってなかったんじゃないかとか、
それがダメだったからプレゼン自体が刺さらなかったんじゃないかとか。
あとは、手垢がついたものを他の客に持っていくのもなんとなく失礼な気がしてきたり。
これは特に、売り歩くための「誰でも得する」商材じゃなく、「通った!」という感動と共に閃いたような
個別性の強いアイディアに多い。
でも、(頭で考えれば当然かもしれないけど)そうばっかりではない。
アイディア自体はよくてもお客のニーズに合わないという、いわばアレンジの不幸(というか
これは客の意図を汲み取れてないエージェンシーの無能だ)に始まり予算の問題もあるだろうし、
タイミングの問題もある。金だけで解決できない事柄もある。
だからそこでめげる必要は無いし、そのアイディア自体は確かに特定の客に最適であっても、
少しひねれば他の客に対する最適になる可能性も有る。
だから、アイディアには罪は無い(場合もある)。
1から考えるよりは絶対楽なんだから、もっとアイディアをリサイクルして
地球(に生きてる僕の更に脳みそ)に優しくしようと思った。
そんな自戒(ってコーナー作っちゃった。時々見直そう)。
沈黙の螺旋 -ネット界での主体篇-
なんかやっぱり間が空いてしまった。
さて、もしかして誰かが言い出すかいやいやと思ってたら本当にやるようですPR系ブロガー新年会 。
えー。というのが正直な感想。
そして火元は予想通り。
やめようよ…なんかいたくコンプレックスを刺激されるというか、
もしPR系ブロガーを糾合することに意味があったとしても、
このタイミングで開催したらどう思われるか、と考えないのでしょうか(いいすぎ?)。
まぁ、単にノリなんでしょうけど…。
閑話休題。沈黙の螺旋の話の続き(ここ の続きです)。
ネットという世界では「行動する主体」 を観測することが出来ない。
常にその主体が発した「声(書き込み)」だけが存在感を持ち、その声の内容から、
同じ場にいる人はその主体がどういう人間かを類推するしかない。
知性は文を見ればわかると言うけれど、やはり「身にまとった空気」よりわかりやすいわけではない。
翻れば、オンラインの世界で「声を出さないが存在する主体 」というのはありえない。
そもそも「沈黙」という概念が存在しないのだ。だって、沈黙はあくまで、
「そこに『黙っている誰か』が居る」という意味なのだから。
広告β さんが書いてる「沈黙の可視化」ってそういう事と関係するのかなと。
あ、でもにちゃんねるに投稿時間があるから可視化、ってのは納得できなくて(だってそれは
にちゃんねるに特別あるものではないし)、
どちらかというと「人大杉」を見た時に僕はそれを感じるのかもしれません。
ああ、それとやはりあそこは普通のブログに比べて「参加者:ROM」比率が素直に出る気がしていて、
参加者(発言者)が増える=ああたくさんの人がこのスレッドを見ているんだな、
というある種「沈黙している他者」の存在を感じさせるものがあるのかもしれませんが。
それは多分、あそこで発言しているのはどこまでも「名無しさん」であり、平等であることが関係している。
考えてみると、いわゆるアルファブロガーとか芸能人ブロガーのブログでの
「書き込む人::見る人」の関係は「有名な誰かのお告げをみんなで聞く」という形。
だから炎上時を除いて滅多にコメント欄の中同士でコミュニケーションは生まれない。
ちょっと有名だと筆者はコメントを返さない(時々記事中でいくつかに対して返答するだけで)。
だからわざわざそんな所に書き込むのはこう言ってはなんだけどアイドルのコンサートに行って
「~ちゃーん!」とか絶叫して、振り向いたら「~ちゃんと目があっちゃった☆」とか言うのと同じ。
…ごめんなさい偏見ですか。
とにかく、にちゃんねるにおいては時折のネ申降臨とか「~だけど」スレのようなもの以外は
全ての人に発言の資格があるし、あまり重みに差はない。
固定ハンドルは大体叩かれる対象にしかならなかった(余談だが、その割にそんなに違わない
トリップ制度はうまく言っているように感じるのが不思議…)。
だから書き込みに対する敷居は低い(いや、「怖い」とか「スパーハカーに住所特定されそう」とか
そういう理由で書き込まない人が多いのは知ってるけど…そういう意味じゃなくってね)…というか
書き込みに(反応の期待値が高いという意味で)意味がある。
誰かが応えてくれる可能性が圧倒的に高いから。
もちろんにちゃんねるだってROMのほうが圧倒的多いけれど、そういった意味で比較的
「参加者:ROM」比率を見ると参加者比率が高いし、全体が増えると参加者も増える。
あの場では書かないと、自分の存在…というか「自分が存在していること」を証明できないから。
…なんか書いてたら沈黙の螺旋理論とはどんどん離れていっていますが、
多分あと二回くらいつづきます。
