2018年8月16日の鹿児島知覧町散策レポの続き。
「高城庵(たきあん)」で、お腹いっぱいになった後は、「知覧亀甲城公園」に向かいました。
高城庵のレポ
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12562222207.html
「高城庵」から、東に進み、麓川に架かる城山橋から東の方を眺めて…。
このシリーズで、最初に訪れた場所に戻ってきました。
知覧武家屋敷庭園(その1)森重堅邸庭園のレポ
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12404942707.html
麓川沿いには、「知覧亀甲城公園」があります。ここは中世の「亀甲城」、別名「蜷尻城(みなじりじょう)」の跡で、螺旋状の道が頂上に達し、井戸や曲輪、堀切、土塁などが残され、北面に麓川が流れ、矢櫃橋(二重眼鏡橋)が架かっています。
この城は、知覧城の出城で、鹿児島市方面からの外敵侵入に備えた前衛的城跡で、南面大地の通路を経て、知覧城と連絡がなされていました。
頂上には、南北朝の忠臣・知覧又四郎忠世の碑が建てられています。
「知覧亀甲城公園」を進むと、石積みが見えて来て…。石段もありますね。
大きな石、岩が積み重ねられていて…。
麓川の清らかな流れ。
先程の石積みは、石橋だったんですね♪この橋が由緒書きにあった矢櫃橋(二重眼鏡橋)になるんでしょうね。再現されたものに見えますね。
石段を発見。「亀甲城跡」に上がる石段になるようです。登ってみましょう!
おっと、完全な山道だ…(^^;
しばらく上ると、平らなスペースに出ました。石碑も見えますので、こちらが山頂ですね。
石碑に近づいて…。「南朝義臣知覧氏彰忠碑」と刻まれています。こちらが南朝の忠臣・知覧又四郎忠世の碑になるんですね!
台座には、その由緒書きが刻まれていて…。
山頂の平地が曲輪になる訳ですね。
登ってきたルートではない道を下ります。こちらも山道…(^^;
途中、竹が山道に倒れ込んで、通せんぼしていました…(^^;
山道を下り切ると、「亀甲城」の案内板があって…。知覧城の出城とされている城で、東西約250m、南北約120m、海抜150mの独立した丘陵の山城です。
その地形が巻貝の蜷(ニナ)に似て、螺旋状になっていることから「蜷尻城」とも呼ばれています。
「亀甲城跡」を下って出た道路を、そのまままっすぐに進みます。
道路の両側は、田んぼで、稲穂が実っていました。
進んでいくと、畦道の中に、鳥居のようなものが見えてくるんですよね。
そのあぜ道を進んで行くと、やっぱり鳥居でして、その後ろ側には、玉垣がありました。
ちなみに、右奥に見えている山が「亀甲城跡」です。
こちらは「豊玉姫陵」。豊玉姫の陵墓と伝えられています。知覧には豊玉姫にまつわる伝説が数多く残されています。
トヨタマヒメは海神の娘で、ヒコホホデミノミコト(彦火火出見尊)の妃で、その子ウガヤフキアエズノミコト「鸕鶿草葺不合尊」と、豊玉姫の妹である玉依姫との間に生まれたのが天皇家初代の神武天皇です。
豊玉姫を祀っているのが知覧町の「豊玉姫神社」で、玉依姫を祀っているのが川辺町の「飯倉神社」です。
以前は、木が生い茂り小さな林のようになっていました。そこは鍬も入れてはならない場所でしたので、耕地整理が行われた時もそのまま残されました。
森山信仰と豊玉姫の伝説が結びついたものなのでしょうか。
ウガヤフキアエズノミコトといえば、先日レポした「鵜戸神宮」の御祭神。その母君の豊玉姫の「おちち岩」の話もありましたよね。
鵜戸神宮(その1)のレポ
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12573007513.html
玉垣に近づいて…。この中が「豊玉姫陵」になるんですね。
「豊玉姫陵」と刻まれた古い石碑も…。
「豊玉姫陵」のお参りを終えて、レンタカーを停めた駐車場に戻ります。
写真右手に見える坂道は、「亀甲城跡」に上る道となります。
「知覧亀甲城公園」から「亀甲城跡」を見学し、「豊玉姫陵」をお参りした後は、「豊玉姫神社」に向かいました。
その様子は、また後日。
知覧亀甲城公園・亀甲城跡
鹿児島県南九州市知覧町郡
豊玉姫陵
鹿児島県南九州市知覧町郡
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