三社祭の巫女の舞+三社大権現として祭られる神の正体 | インド・アラビア雑貨と民族衣装店ジジ!(へナ&ジャグアARTスクール主催)

インド・アラビア雑貨と民族衣装店ジジ!(へナ&ジャグアARTスクール主催)

東京の神楽坂にて、インド・アラビア民族衣装と雑貨レンタル専門店+メヘンディ(ヘナ)アート/ジャグアタトゥのスクールを営む店主のブログ。衣装や雑貨は、CM、TV、映画、PV、雑誌などで実績多数。

こんにちは、こんばんは。

 

今日は夕方から雨。かろうじてお祭りには影響無し。

私は本日は神楽坂にて仕事してますが、昨日は、浅草神社の神楽殿で、巫女さんが奉納の舞、

なるものを踊るのを見てきました。

まさに、アニメ映画『君の名は。』の世界~。

きゃーっ、きゃーっと、喜んでしまった!嬉しすぎ!

これって、これでしょう?↓

なんか本当にこういうの、良いなあと。

映画『君の名は。』は、こういうシーン含めて、大好きな映画です。とても日本的なものを感じる。

そして、三社祭りの主役は、浅草寺では無くて、横にある浅草神社なので、こちらにもの凄い量の提灯が奉納されていました。

三社大権現って呼ぶんですね、初めて知りましたけど。^^;

でもって、この三社を祭るお神輿を、一ノ宮、二ノ宮、三ノ宮、と呼ぶのですが、神輿に担がれる神様の正体とは、実は、飛鳥時代の実在の人物(伝説によると)で、漁師二名と、神社の土地を提供した官吏の3名です。

 

浅草神社の始まりは、飛鳥時代に、兄弟である漁師二人が、隅田川に魚をとりにいったら、

魚のかわりに古い観音聖天を拾ってしまい、それを土地の官吏に献上したら、管理が自ら土地を

提供して神社を作り、そこに観音像を奉った、といういわれからきています。

その3人が、一ノ宮(官吏)、二ノ宮(漁師)、三ノ宮(漁師)というわけで、三社祭は、元は、『船祭り』として始まったそうです。

浅草一帯には、この浅草神社を氏子として奉る44の町会があり、44基のお神輿(+子供神輿など)がありますが、このお神輿が三社祭りの中日に、朝から浅草神社に向かい、集結します。

そして、浅草神社で、一基ずつ、お祓いを受けるのだそうです。

お祓いを受けたお神輿は、正午から順次、浅草神社を出発し、町へ御渡りをします。

子供神輿など含むと、合計100基のお神輿が、町中を担ぎ渡るので、そこら中でお神輿を見かけました。

そして最終日は、浅草神社の三基のお神輿(一ノ宮、二ノ宮、三ノ宮)は、町の東部・西部・南部へと、かつがれて、“御渡”(おわたり)をする、ということだそうです。

商店街には、一ノ宮、二ノ宮、三ノ宮のお神輿を歓迎する提灯が飾られていました。

年に一度、浅草神社から神が神輿に担がれてお渡りになる、ということらしいです。

観音様は、浅草寺にまつられており、それを拾った漁師2名と、寺に土地を提供した官吏1名の、

計3名を神として奉ったのが、浅草神社、ということになりますかね?

 

いやー。よく知らなかったから、今回色々調べちゃった! -面白かった。

「観音菩薩って仏教なのに、なんで三社祭りは神社なんだ??」と思ってたら、、、

そういうことだったんですね!

「浅草寺」と、「浅草神社」。2つ隣あって存在する理由がよくわかりました。

 

日本に“仏教”が渡ってきたのは、飛鳥時代ですが(漫画・日出処天子で、ばっちり学習済み)

イメージでは、当時の奈良とかに仏像やお寺の建立がはじまったばかりという印象でしたが、

遠く離れた東京にも、既に仏教は届いていたんですねえ。。。

 

それが一番びっくりしたかも。

 

まあ私は仏教には余り興味無く、人は死んでも仏になどなれぬって聖徳太子も言ってるし、

人間は、死んだら記憶をリセットされて、又生まれ変わるだけよと思ってます。

輪廻転生っていうの?人間はそれをやってるかなーと。

 

で、神とは何か?というと、人ではなく、精霊とか自然の、“力の塊”みたいなイメージですね。

万物に命(魂)が宿る、全てに神が宿っている、という自然崇拝的な考え方がとてもしっくりきます。

日本的な、八百万の神々の発想かな?自然の中に神が存在する、山信仰とかもそうですね。

ゆえに、キリスト教もイスラム教も、その他の新興宗教も、必要としないのです!

 

神(力)はそこら中にいて、あらゆるものに宿り、存在している、という考え方だから。

なので、お神輿に神をおろし(三社祭りの初日にそういう儀式をする)、担ぎ上げて町を練り歩く、というのは、道理にかなってると思うんです。

それが縁起に元ずく漁師かどうかはどうでも良くて、大事なのは、これほど沢山の人々の、
祈る力(信仰)が、神輿に何かを宿らせるだろうな、と。

その力を、私なら、神と名づける。

 

そういう意味では、浅草という町そのものに、神が宿っているとも言えますね。

信仰は力であり、命であるから、土地神ともいうべきものが、この地には宿っているんでしょう。

地元の人が、浅草らしさ、というものをとても愛しているのを感じました。

ややうっとうしいくらいに。笑