こんにちは、こんばんは。
浅草の新オフィスより、初発信です。
今週末から、三社祭り(金・土・日)なんですが、忙しくて、初日の大行列を見はぐった、、、
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ネットで画像を見つけたので転載しますが、詳細も載っててすごくよいサイトです。
(情報元は、「三社祭り写真館」さんと、「タウンウォーカー」さん。
こちらは浅草寺の参道ですね。
下は、“浅草六区”を練り歩く様子。
すごい個性的ないでたちで、最高に外国人が喜びそうです。
雷門の人手は、普段から芋洗い状態ですが、今日の午前中は更に盛大でした。^^;
でも、お祭りだから、混雑も娯楽のうちってことで。
明日は、浅草神社にある、お神輿3つ(三社の由来)、一ノ宮、二ノ宮、三ノ宮が、出ます。
あと、土曜には、浅草寺の裏手に、各町会(44町)のお神輿がスタンバイしており、正午から
浅草寺を基点として、東部・西部・南部の三方向へお御輿が順番に発進していくそうです。
お神輿の町名は、旧町名のものが多く、歴史を感じて楽しいです。
大分、番号で整備された浅草の各町ですが、お神輿には旧町名が残っていました。
うちのあたりは、「浅草芝崎町」といい、1965年に廃止されて、「西浅草」に変わったそうです。
うちの近くの神社でも、お神輿がスタンバイしてました。
そして、金曜も通りすがりに、どこかの町会のお御輿が練り歩いてました。
明日は浅草中、どこを歩いてても、お神輿が見られるそうです。
楽しみ。
ところで、そもそもこのあたりは、徳川家康が入府するまでは、田んぼだったそうですよ?
豊臣秀吉の命により、徳川家康が、1590年にぺんぺん草の生える未開の地・江戸に入り、
城とは名ばかりのあばら家みたいな酷い状態の江戸城に入場したそうです。
浅草神社は、江戸ができるよりずっと前からそこにありましたが、今日のように栄えたのは、
やはり、家康が“江戸”という町を作り上げてからだそうです。
そういえば、そのころは、飯田橋も、飯田村という、50世帯しか住む人のいない村でした。笑
何も無い武蔵野の平野が、現在の姿にまで変わったことを思うと、杉浦日向子の『Yasuji東京』、
という作品に出てくる言葉を思い出します。(若くして亡くなりましたが。)
浅草にいると、神楽坂よりも、江戸を強く意識するので、彼女の本を読み返したくなりました。