憂さ憂さうさぎ -2ページ目

憂さ憂さうさぎ

世の中は憂さだらけ!
はき出す場所のない憂さを、ここで晴らしてみましょうか。

 もうすぐ3月終わってしまいます。

4月から新年度が始まります。

子供は一つ進級し、忙しい年度になりそうです。

 新しい年度では、学校や町内会等で続々と行事が復活の予定です。

みなさんここ数年コロナの影響で自粛生活を続けて、いろいろと鬱憤がたまっているのでしょうか。

 

 正直、私は未だに手放しで行事の復活を喜べません。

理由はいくつかあります。

約3年間の自粛の間中止していた行事、急にぞくぞくと復活して何もかもスムーズに進められるのでしょうか?

コロナ前と全く同じを復元するのも難しいですが、今の状況に合わせて以前の行事のあり方に近づけるように、探り探りやるのは更に難しい。

 

 やる側とすれば、出来れば一気に全部復活ではなく、少しずつ復活を目指してほしいところですが、やりたくてウズウズしている人達からしたら、待ちきれないのでしょう。

 

 もう一つ私が不安に思うのは、コロナの後遺症についてまだ解決していない事。

どんな人がなりやすいとか、どうやれば後遺症を防ぐ事が出来るとか、治療法等々、解決されていませんよね。

 

 そんな状況で、いろいろな行事を復活させるという事に、不安いっぱいです。

しかも、マスクをつけるかどうかは、各自の判断に任せるのですか?

そして、心の中では不安を抱えつつ、学校やこども会そして町内会が『やる』と言えば、従わざるを得ない、そしていろいろな係りをやらざるを得ない訳です。

 

 4月から、不安いっぱいです。

 

 

 


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 子供がやる事はいつでもびっくりです。

うちにはお仏壇があるのですが・・・。

もしかして、予想つく方もいるでしょうか?

 

 

 まだ子供が小さくて、色々とやってみたいお年頃、そしてその『やってみたい!』の衝動に逆らえないお年頃だったのでしょう。

 

 お仏壇には、ご本尊さま・位牌・線香・線香立て・ろうそく立て等々小さい子には危ない物や壊れたら大変な物がたくさん並んでいます。

子供が、私の言葉を理解出来るお年頃になった頃から、

「お仏壇は絶対にいじっちゃダメよ!」

と日々しつこく言っていた私。

子供もダメだよと言われた事はほぼやったことのない子だったので、安心していたんです。

 

 ある日夕食を作りながら、ふと子供の気配に気をむけてみると随分と静かだったんです。

『あれ?なにをやっているのかな?』

と思い、和室に行ってみると座布団の上でおとなしく遊んでいました。

ほっとしつつ、何気なくお仏壇に目をやった私。

 

!!!

 

お仏壇の台の上がうっすらと灰だらけ・・・。

よく見ると、線香立ての灰の表面はミニカーが走り回ったタイヤ痕で埋め尽くされておりました。

 

そして息子「ぼくいじってないよ。」爆  笑

 

『うん、お仏壇いじってないよね・・・ミニカー走らせただけだよね。』笑い泣き

 

 

 

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 最近、”ハラスメント”っていう言葉が世の中にすっかり定着しましたよね。

ハラスメントって簡単に言ってしまえば『嫌がらせ』

嫌がらせですよ!?

やる側の皆さんは、自分が嫌がらせしてるっていう意識無いかもしれませんよね。

だって『自分は今、嫌がらせしてるぞ!』って思っていたら、自分の心が物凄く汚いものに感じて、自分自身打ちのめされてしまいます(私ならね)。

 

 

 私が難しいなと思うのは、『○○なんだから○○しなよ!』っていう言葉。

例えば『男なんだから強くなりなよ!』みたいな感じの言葉。

私が子供の頃(昭和あたり)の感覚だと、当時は”男なんだから”とか”女なんだから”とか当たり前のように使われていました。

 昔は私もつい使ってしまっていたし、逆に言われる事も少なくありませんでした。

 昔は男だから○○女だから○○っていう意識が、今よりも強かったというか、幼い頃から周りがそのような意識を当然のように植え付けていたように思います。

私自身、子供の頃からそういった言葉を、当たり前に周りの大人達から投げかけられていました。

 

 はっとしたのは丁度20年程昔、会社員していた頃です。

何気なく私が言った『男なんだからしっかりしなさいよ。』という言葉。

ぽろっと言ったところ、『それってセクハラだよ。』ってムッとされたんですよね。

今時の感覚だったらあり得ない一言だったと思います。

当時の私には、まだよく解っていなかった。

それからは、それまで以上に自分の言葉に気をつけるようになりましたよ。

 ただ、元々自分はあまり喋らない方なので、益々言葉数が減りました、というか口を開くのが怖くなった。

『セクハラ』って言われるのが物凄く恥ずかしくて、仕事内容に関係する事以外は誰とも話さないようにしました。

 当時私は技術者だったんですが、入社当時から『女なんだからお茶くみしなさいよ』『女なんだから朝早く来て、机の上全部拭いてゴミ集めしなさい』『女なんだから外線出なさい』『女なんだからコピーとファックスやってればいいんだ』『女が夜10:00以降残業してるって知れたら対外的にまずいから、残業した事書くなよ』等々、こんな言葉達に押しつぶされながら働いていました。

 言い訳じみていますが、そんな状況のせいか自分自身の感覚が鈍くなってしまっていたんでしょうか。

 

 その一方で、『技術者なんだから、男と同じように○○しないとダメだ!』という言葉も時々言われました。

その時、『皆を納得させるためには、私は全部やれば良いんだな』と思ったのですが、そんな事勿論無理で、心身共に破綻しそうになって『”女として”を要求する人が多数派みたいだからもうそれでいいや』って精神的に楽な方に逃げたんです。

何故か・・・女性達の言葉が辛かったから。

 よく、『女の敵は女』って言葉を聞きますけど、当時はまさにそう思っていました。

特にお局様の虐めはキツかった。

入社した当初から目の敵にされているのが丸わかりで、最初は心の中で反発していましたが、途中から反発する気力もなくなりました。

退職するまでの間、かなり虐められました。

彼女は今頃元気にしているでしょうか?

 

 今時の感覚で考えると、○○ハラスメントがオンパレードの超ブラック企業でしたね。

ここから○○の部分には当時の私の名字が入るのですが、

・『おい○○なんだおまえ、最近ブクブクブクブク太って!』

  と皆の前で言われる。

・『○○さんは美人ではない!』

  あんたに言われるまでもなく、わかってるよ。

・『女はちゃんと化粧しないとね』

  私、いつもスッピンだったもので。

・『自分の会社の重役の声くらい覚えておけ!』

  名前も名乗らずに△△いるか!?と言われて名前聞いた。

・『残業80時間以上つけるな!』

  残業代、80時間分出すわけでもないくせに・・・。

・『もっと残業しろ!』

  いやいや、こっちは140時間残業してますが・・・。

・『お前流産したから、何処まで無理させて良いのか解らな

  くて使いづらい。もっと残業しろ!それでまた流産して

  も、会社は責任取らないからな。』

  体調崩して何だかんだで残業あまりやらなくなった時

 

その他書き切れない程のハラスメント発言当たり前の会社でしたね。

そんな中、自分が『それセクハラ』って言われた時は結構なショックを受けました。

 

 嫌がらせというのは、言われたりやられたりした本人がイヤだと感じた時点で嫌がらせとして成立するのでしょう。

明らかに、”相手が嫌がる事”は当然嫌がらせですよね。

相手によって、イヤだと感じたり嬉しいと感じたり、全く違う感情を抱く事柄もあります。

これって難しい。見極めが必要です。

でも、自分でちゃんと見極められますか?

となると、結局何もしないのが無難ってなるんです。

悲しいですね。

 

 今、私は専業主婦です。

ここまでに書いたようなブラック~な企業で10年以上働いた結果、心身共にぼろぼろで心療内科に通った時期もあり、すっかり 人間不信?人間嫌い?社交不安? です。

正直他人と関わりながら働く事に、恐怖すら感じます。

あ、ちなみに小中学校の時はいじめられっ子で、当時から人間不信でしたけどね。

 

 そんな今の私にとって、『仕事しないの?』『働かないの?』『私仕事してるから~(学校やこども会で関わるママさん達)』って言われるのが、正直ハラスメントです。

言いませんけど。

 

 

 

 

 

 

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入院生活での楽しみ?

何だかんだで16?17?年の間に4回程入院してました。

全部が病気というわけではないですよ。

おめでたい入院も一度ありました。爆  笑

 

まず入院中って、正直身動きとれない状況が多かった。

ついでに言えば、院長先生の回診が正直憂鬱でしたね。

だって、院長先生+主治医の先生+研修医数名 って感じでズラリと来る訳で、こちらは寝間着姿で髪はぐちゃぐちゃぼっさぼさ。

場合によっては、顔もまともに洗えてないし、研修医の皆様の前で質問されたり『これは授業の一環?』みたいな状況は、こちらも緊張してしまいます。

 

ちょっと面白いなって思ったのは、朝食に食パンが出た時。

廊下にトースターが置いてあったそうで、食パンをトースターで焼いて食べても良いですよーっていう事でした。

その時私は、『動いちゃダメ』な状況だったので、そのトースターがどんな状況で置かれていたのかを見ることすら出来なかった。

それが心残り・・・。

 

事情があって別の科の病室に移動させられた時は、毎日廊下まで移動販売が来ていた!

新幹線の移動販売よりもうちょっと大きいかなーという佇まいで、入院患者さん達も移動販売が来た時は楽しそうにおやつを物色するのです。

 

基本的に、病院食って寂しいでしょ。

だから移動販売って見ているだけでも『ワクワク!』って感じなんですよね。

『動いちゃダメ』の私でも、つい一度だけおやつ買っちゃった。

だって、病室の開け放たれたドア越しに、移動販売の車が見えるから・・・。

 

この病院は当時建物が新しく、1階には喫茶店やベーカリーそして花屋もあって、いつかは行きたいなーと思いながらも、結局入院中は行けなかった。

退院する時はそれどころじゃなくて・・・。

 

退院後の通院の帰り、一度ベーカリーに寄ってみたよ。

・・・味は正直覚えてない・・・あはは。

 

最後に入院した病院では、とある病気で手術したのだけれど、手術の後落ち着いたら、ゆーっくりと普段は出来ない読書でもしようと思ってた・・・ら・・・手術の二日後(?)くらいからかな『廊下を出来るだけ歩いて下さい。』

え!?びっくり

まだ、腹痛いよ?

でも言われたからには歩いたよ。

そんでもって、時々カーテン締め切ってこっそり読書したよ!

口笛

 

その病院の病院食は実に・・・質素?・・・という感じで、私の朝食のトレーに並んだ品々を見た看護師さんが、思わず言った一言・・・『これはないわ。』笑い泣き

 

 

そこの病院の1階には某コンビニと某珈琲ショップがあったから、看護師の研修生の子が付き添ってくれて、飲み物買いに行きました。

どちらも、研修生の子がお勧めを紹介してくれて、両方とも美味しかったよ。

 

特に、病室のカーテン締め切って、ベッドの背中を立てて凭れかかりながらの読書の時に飲んだ、珈琲ショップの ○○○ラテ ・・・絶品でした・・・。照れ

 

ありがとう!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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また今年も東日本大震災の日が来ました。

あれから10年以上経つのに、あの時の事は今でも沢山思い出すことがあります。

 

グラグラと揺れている真っ最中に、多分私の思考はかなりとっちらかっていたのだろうと思います。

怖いというよりは、『地震長いな』とか『家の中片付けるの大変だな』とか『どこかで水の音がするな』(マンション屋上の給水塔が壊れて水がダダ漏れだった音でした。)などと考えていたのですから。

 

 

今では子供もいて、家庭の状況は大きく変わりました。

もしまた、あの様な大地震が起きたら、真っ先に心配になるのは子供の事でしょう。

 

家に一緒にいた場合は、どのようにして子供を守ろうか。

学校にいる場合、先生はちゃんと子供を守ってくれるだろうか。

子供はパニックになって泣きわめいたりしていないだろうか。

 

とても恐がりな子供の事が心配で、私が慌てふためいてしまいそうです。

先ずは、そんな自分を冷静にさせる方法を考えておいた方が良いのかもしれませんね。

 

 

震災の後ブログを書き始めた私は、その当時の事を私なりにこのアメーバブログで記録に残しています。

去年、小学生の子供が学校で震災の事を学んできた時、試しに私のブログを見せてみました。

始めの部分はかなり興味を持って呼んでいたものの、まだ小学生という事もあって、1/4程までくると飽きてしまったようですが・・・。

でも、地震発生の部分から、その後の数日の内容については興味を持ってくれたようでした。

 

またあの様な大きな地震は起こってほしくありませんが、いつ起きるかわからない地震に、自分なりに出来る備えをしようという気持ちを、この3.11を迎える度に心の底から掘り起こすのです。

 

大地震を取り扱った様々な番組を見ていると、大地震の後に起きると想定される数々の事柄が紹介されます。

東日本大震災が沢山の教訓を私達に示したのだと感じます。

 

 

今の私に出来る事は何か。

先ずは大切な家族を守る方法を考え、備えをしておく事でしょうか。