北奥のドライバー -3ページ目

北奥のドライバー

思いついた事をつらつらと書いて行こうと思います。

子供の頃、ある朝の情報番組で起きたアクシデントを偶然目にした。

 

女性のリポーターが海岸である撮影をしている最中、その背後に今まさに身投げをしようとしている女性が現れ、ザブザブと水の中に沈んでいったのだ。周囲のスタッフ共々慌ててその女性を救ったのだが、私はその場面を見て妙に悲しい印象を受けた。

 

「今まさに自殺しようとしている人を見かけたら、人間として助けざるをえない。自分も恐らくそのような行動をとるだろう」

 

「しかし、これは果たして正しい事なのだろうか?」

 

「結局その人を生き地獄に引き戻しただけで、何の解決につながらなかった時はどうする?」

 

「結局、我々人間というのは、自分の中に宿る社会性や道徳心の一貫性を守るために『良かれと思って罪を犯す』事から原則的に逃れられない存在なのではないのか?」と考えたのだ。

 

ただ、この事は当時、誰にも喋らなかった。

 

周囲の大人たちで、こういった問いに答えられそうな雰囲気の人が見当たらなかったし、何よりも「またお前は訳の分からない気取った話をして」などと言い返されるのが不愉快だったからだ。

 

 

もしこれを読んだ人がいるのならば、少しだけで良いので考えてみて欲しい。我々は『良き社会人、良き人間』であり続ける為に、逆説的に罪から逃れられない存在だという事、これは人間に特有の避け難い宿命であるという事を。

 

それからさらに数年後、私は例の理容店の前をいまだに通りかかる機会がチョクチョクあるのですが、お客さんが入っている所をあんまり見た事がありません。とはいえ、店内には煌々と電気がついていて、例のクルクルと回るサインポールも相変わらず動いています。私が見ていない時間にお客さんが入っているのでしょうか?

 

まあ、住居と一体化しているタイプの店舗のようですし、最悪の場合でもテナントの家賃もかからず、店員も雇っていないとなれば人件費もかかりません。一日当たり数人のお客さんを捌けば、取り敢えず食うには困らない、という事でしょうか。

 

しかし、世間には1カット1000円とか1500円程度の安いフランチャイズ店も増えていますし、年金暮らしの老人客の多くは相当数そちらに流れているとも聞きます。少なくとも昔のように順風満帆とはいかないでしょう。

 

そして、このお店の前を通る度に「もうここの暖簾をくぐる事は無いのだろうな」といつも思うのです。

 

さて、話は変わりますが、「その壱」で書いたコーヒー屋のオヤジはといいますと、この2020年現在の時点でお店は潰れて消えてしまったようです。ネットで調べると「2013年にお店に入った。中々に良い雰囲気だった」という書き込みを見つけましたので、数年前までは確実に営業していたのだと思われます。

 

小さな蔵を改造して作ったクラシックな拵えの店内。実はこの店舗跡にこの前行ってみたのですが、建物そのものは残っていました。窓から中を眺めてみると、店内の様子は非常に雑然としていて、半分散らかったような雰囲気でした。そして焙煎過程の途中とみられるコーヒー豆がテーブルの上に雑に置かれたままになっているのが目にとまりました。よほど慌てて店仕舞いをしたのでしょう。

 

店を維持する為のお金が続かなくなったのか、或いはご夫婦のどちらかが倒れてしまったのか。というのも、あの旦那さんも奥さんも、私が入り浸っていた四半世紀前の時点で既に50代くらいの年齢でしたから、何時店が無くなっても不思議ではない状態だったのだとは思いますが、まあ、いずれにせよ円満で余裕ある店仕舞いでなかったのだけは間違いなさそうです。

 

パッと目に入った丸い金属製のお盆の中に入れられた、まだ火が通されていない生豆、そこには大きめなピンセット。恐らく焙煎前に形の歪な豆や根本的な品質の悪い豆を取り除く「ハンドピッキング」と呼ばれる作業に用いられる道具だと思われます。

 

「これを使ってあの頑固者な旦那が毎日コーヒーをつくっていたのだなあ」と思うと、何とも言えない感情がこみ上げてきます。そして、「あのキツイ言葉を聞きながら、真っ黒で苦いコーヒーをもう一杯だけのみたかったなあ」とも思ったのです。

 

先に挙げた「床屋の親子」は、基本的にパッと見た目には清潔感があり、礼儀正しく口を開けば尤もらしい「正論」を吐きこそすれ、基本的に他者に対する寛容さに欠け、そして何処か居丈高ですらありました。だから「もう一回行こう」という気が失せてしまいまったのです。

 

しかし、コーヒー屋の旦那には諧謔(かいぎゃく)があった。口ひげを蓄え変わった風体の男で偏屈な雰囲気を漂わせ、口ぶりも決して良くありません。しかし、彼は高飛車に構えて人を批判したり自分の過去の功績や見識を暗に「ひけらかす」ような嫌らしい話し方はしなかったし、何よりも「自分の持つ悲しい限界や滑稽さ」をよく弁えていた。だから嫌いになれなかったし、「また行きたかったな」と思ったのです。

 

潰れたコーヒー屋を後にしようとした時、あの苦い苦いブルボンサントスの匂いがしてきたような錯覚に見舞われました。そして『本当の意味での良いお店』っていうのはこういうお店の事なのか、とも思ったのです。そして心の中でこう呟いたのです。「旦那さん、来れなくなってしまって、本当にゴメンな」と。

 

 

さて、前回のコーヒー屋に通っていたのは2年弱という所だったでしょうか。しかし、そうこうしている内に私自身も仕事が色々と忙しくなり、また生活のリズムもそれに伴ってガラリと変わってしまった事もあって、それ以来すっかりご無沙汰になっていました。そんな狷介なオヤジと何となしに縁が遠のいて数年ほど経った頃、ある理容店に半年ほど通う事になりました。

 

何の事は無い、引っ越したせいで以前から贔屓にしていた理容店から遠ざかり、通うのが少々億劫に感じられたので、「一番近所にある理容店を」といった感じで何となく利用する事となったのですが、結局あまり良い思い出にはなりませんでした。

 

そのお店は口ひげを生やした洒落た雰囲気の60代くらいの店主と、恐らく後々店を継ぐことになるであろう30前後くらいの一見して朗(ほが)らかな若い息子二人で店を経営していました。さて、最初の数回は会話もよく弾んだし仕事ぶりも良く、「なんだ、いいお店じゃないか」と気に入っていたのですが、五回、六回と通ったあたりから「あれ?」と思う事が多くなります。

 

その切っ掛けはラジオだったか、或いはテレビから流れてきた学校のイジメに関わるニュースか何かが発端だったと思います。私はイジメを受けた子に同乗して気の毒がった訳ですが、いつも私を担当していた息子さんは「いや、イジメられる方にも原因があるだろ、こういう弱い奴を甘やかす風潮っておかしいよね」とバッサリ。

 

そして自分が「ちょいワル学生」だった頃の思い出話とも自慢話ともつかない『独演会』を始めたのです。まあ、これは私の想像でしかないのですが、彼は学生時代はイジメる側か、或いはイジメる側と近いポジションにいたのだと思われます。だからニュースの内容にカチンときてあんな事を口走ってしまったのでしょう。そもそもイジメというので勘違いされがちな事の一つが『イジメは教室の嫌われ者ではなく、むしろ往々にして人間関係の頂点付近にいる能力優秀な人気者が起こすものだ』という事実です。

 

多分ですが、彼もそんなグルーブの中の一人だったのでしょう。華やかで刺激的だった学生生活、その後の理容師としての修業時代、後に一人前の腕を身に着けその後に結婚、そして可愛い子宝にも恵まれた。苦しい事も多々あったでしょうが、こういったマッチョな成功体験は男に大きな自信を与え、堂々とした姿に見せるものです。

 

そして父と二人三脚の経営。「理容業界の過当競争・不景気といえるこの時代にも、苦しいながらも自分は店を維持し続けている」という事実も彼に強い自信を植え付け、恐らくそのついでで元々持っていたであろう弱い者に対する軽蔑心も強化されたのだと思われます。

 

とはいえ、私もこの『独演会』には最初の数分間は我慢していたものの、遂に辛抱溜まらず一言二言「それはチョット……」と反論を加えようとしてしまいました。が、当然彼は聞く耳を持ちません。

 

まあ、端的に言えば人生観の違いと言いましょうか。私はどちらかと言えば能力の無い者、弱い者にもある程度の存在意義を認め、寄り添うような考え方や政治が好きだし、自分自身も生き方が下手糞で挫折だらけな人生を送って来た冴えない青年であったため、余計にそういった人達に感情移入が強くなりがちです。

 

しかし、この理容店の息子さんはそんな事は歯牙にもかけない様子でした。何時も自信に満ち、堂々としていて弱い者はバッサリと斬り捨てる、そんな雰囲気を持っていました。勿論若かったせいもあるでしょうが、その物言いは時として居丈高で歯に衣着せぬ雰囲気になりがちでした。

 

その様子をチョビ髭の旦那さんは傍らからニコニコしながら無言で眺めていたわけですが、一見紳士に見えるこの旦那さんも実は結構強情な部分を持った人らしく、以前、別の年配者のお客とチョットした切っ掛けから「軽い政治論争」が、殆ど非生産的な「口論」といった次元の言い合いに発展してしまい、それが原因でお客を失った事があったようです。いやはや、血は争えないものです。

 

そしてそれ以来、私はあの理容店に行くことをやめてしまいました。彼の差別的な物言いが許せなかったから?いや、それだけではありませんでした。彼の能力の高さと成功体験を見せつけられるのが辛かったからかもしれません。あの当時、私はあまりに弱々しく、そして嫉妬深い青年だったのです。

 

(其の参に続く)

 

 

今から四半世紀ほど前、私はあるコーヒー屋に足しげく通っておりました。そこのオヤジはロングヘアーにヘアバンドをはめ、口の周りには髭を蓄え、ジーンズを愛用する一風変わった雰囲気の人物で、初めて見た時には「ありゃりゃ、大昔のヒッピーの生き残りか?」と思わせる風体、そして、その性格は当(まさ)に狷介不羈(けんかいふき)を地で行くような人物でありました。

 

私とこのお店の縁は、姉と義理の兄がこの店主から叱責を受けたところから始まります。姉たちは知り合いとボーリング大会を楽しんだ後、その興奮の余韻が残ったままで、そのお店に入ってコーヒーを頼んだそうですが、その際に大声で騒いでいると、「ドン!」とテーブルにコーヒーを置くや、「他の客様に迷惑ですので、飲んだらさっさと帰ってください!」と叱責を受けたのだとか。

 

元々私は派手派手しい人付き合いが苦手だったし、その手の華やかで騒がしい日々を送るような人種も苦手で、意図的にそういった人間関係から距離を取って暮らす青年でありました。そんな私が初めて姉からこの話を聞いた時、かえってこの変わり者のオヤジに妙な親近感を覚えたのでした。

 

そのお店は自家焙煎を売り物とするスタイルのお店で、一応コーヒーだけではなく、ケーキやシチューといった一般的な「喫茶店メニュー」もある程度用意しているのですが、やはり目玉はコーヒー。しかも原則的にシュガーもミルクも無いブラックのみ。

 

ある日、私は大見栄をきって店のメニューの中で最も苦みの強い「ブルボンサントス」を頼み、その香りと苦みの強さに驚きつつも、素人の分も弁えずコーヒーに関してひとしきり能書きを垂れてしまいました。それを聞いた主人は「ふん!」と鼻を鳴らしこんな事を語り出しました。

 

「俺は何年もコーヒー屋を経営してきているけど、いまだにコーヒーの事を完璧に知らない。テレビや何かでコクがどうとかキレがどうとか言うだろ?でも、俺はそんなものよく分からないし、もっと言えばさして興味もない」

 

「オニイサン、そんな能書きを語る事よりも、純粋にコーヒーの味や香りを楽しんだり、普通の四方山(よもやま)話を楽しんだり、まずはそういう事を覚える方が先決じゃないのかい?」

 

余りの羞恥の念から私の顔に血が上ってきて、赤面しているのがハッキリと分かる。「ああ、自分は何と馬鹿な事を語ってしまったのだろうか」と深い後悔の念がムクムクと湧きだしてくる。

 

すると主人はこちらの心情を察したのか、ゆったりと言い諭すような口調でこんな話を始めたのです。

 

「世の中には『自家焙煎に美味いもの無し』なんて揶揄する者もいる。なるほどスーパーなんかで売っているコーヒー豆は、綿密で慎重なマーケティングの末に生み出されたもので、実に良く出来ている」

 

「それに比べれば自家焙煎ってのは、どうしても作り手の『クセ』が入り込むものだから好き嫌いが分かれがちだ。もちろんコチラも商売だし、自分なりに一生懸命勉強して来たし、なるべく多くの人に喜ばれるものを提供したいと思ってはいるものの、それでもうちのコーヒーを飲んで不味いと思う者はそれなりに出てくるだろう。これはもう避けられないんだ」

 

「例えば明石の鯛ってあるだろ?高級食材の最たるものだ。しかし、鯛という魚が大嫌いな人からすれば、『単に値段が高いばかりの不味い魚』でしかない。どんなに腕によりをかけて調理したところで、この現実は曲げられないんだよ」

 

「ただ、腐った鯛を用いるよりも新鮮な鯛を用いた方が良いに決まっているし、いい加減な調理法よりはキッチリした調理法で料理した方が遥かにマシだ。俺がやっている事も、つまりはそういう事さ」

 

私が自分の不明を恥じて黙りこくってしまったところに、一緒に店舗で働いている奥方がニコニコと笑いながら、内容はよく覚えていないのだが、慰めの言葉をかけてくれたように記憶している。しかしなんとまあ、舌と心にとても苦い出来事でありました。

 

 

(其の弐に続く)