ネット上の書き込みなのですが、あるフランスで大学教授をしているという女性が、日本の職業・賃金における男女格差を批判する文脈の中で一見矛盾ともとれる発言をしたことでチョットした批判の返信を受けていました。
原因となった書き込みというのは「フランスで男女が子育て中もそれぞれフルタイムの仕事を継続できるのは、労働時間が週40時間までに罰則付で制限されているだけではなく、家事代行やシッターを雇用する際、国から5割の補助が出る事も大きい。家事をアウトソーシングするのが「ノーマル」で、特段誰もこれを揶揄したりもしない」といった内容のものでした。
端的に言えば、欧米の高学歴、高キャリア女性が何故思うがままに生き、自由な仕事を熟せるのは低学歴な貧困層や移民が家政婦やナニー(ベビーシッター)をしてくれている現状があるからだし、もっといえば、こういった高学歴・高キャリアな男女が、たった週40時間の仕事のみで生きてゆけるのも、こういった底辺労働者の下支えがあっての事だったといえます。
何故、彼女が批判的な返信を多く受けたのかというと、彼女自身は普段フェミニストであり、リベラリストの人権派といえる思想的ポジションに立っている人だったからなのです。にも拘らず、特定の文脈では格差容認ともとれる発言もします。この矛盾を孕んだ発言が批判の原因でした。
彼女は後にこれに関して、「日本の未成熟な社会制度故に起こった格差は批判されて当然だが、本邦(フランス)では、国が補助で手厚く労働者を守る制度があった上で、この手の労働市場が成立している。従って世間一般に言われる人権侵害とは全く別物である」といった文脈の弁明をしましたが、正直私は欺瞞含みな印象を受けました。
何故ならば、「公的制度で手厚く守ってさえいれば、格差が固定しかねない流動性の低い社会になっても、これを実質的に認めてしまうのか?」という、本来であればリベラルが中心的に取り組むべき大問題を「未成熟な日本社会と成熟したフランス社会」といった日本批判の文脈の中に落とし込むことで有耶無耶にしてみせたからです。
実はフランスという国は共和制・民主主義といった現代的な政治や国家体制の生みの親といえる国でもありますが、その反面、家柄、血筋、学歴、といった要素が固定されがちで、「貧乏人の子が奮起して社会的成功者となる事」を阻む幾重もの『見えない壁』も社会の中にいまだ存在するという、強固な階級社会の顔も持ち合わせている国でもあるのです。
なんの事は無い、彼女はたまたま「上流階級のインテリでフェミニスト」のフランス人男性と結婚してその価値観に感化され、その結果「上流階級に特有の差別・不平等を巧みに正当化する精神文化」を内在化させてしまった女性だと言えるのではないでしょうか。
で、階級社会特有の搾取構造の上にドッカリと胡坐をかきながら人類愛と自由を訴えるなんて、普通に考えればタチの悪い冗談のようにも感じられますが、欧米、特にヨーロッパではこれが社会構造の中にガッチリとビルドインされています。実は日本人の一部が憧れる『西洋的成熟社会』というのは、こういった血も涙もない差別が内在化された社会と一体のものだったのです。
図らずも、でしょうが、ここに欧米での右派系政治家の台頭の原因を読み解くことが出来ます。つまり、現在の先進国の左派・リベラリストは大昔にあった啓蒙主義の時代の様な志は既に消え去り、そこにあるのは『自分たちは社会を正しい方向に導くエリートなのだから、その『世直し』の過程で副産物的に生み出される格差や貧困の発生はこの際もう仕方がない』という左派にあるまじき発想だったといえます。
しかし、実質格差社会や弱肉強食をストレートに認めてしまえば左派としての正当性を失ってしまう。その為にわざわざ彼らの様な都市型インテリ左派は「文化的・思想的成熟を極め、社会保障が充実した欧米には『対等でフェアな個人(近代的市民)の契約』しか基本的に存在しえない。従って未成熟な制度設計や慣習から生み出される日本の残酷な格差とは本質的に異なるものである」という詭弁を捻り出したのだと思われます。
そうする事で家政婦のような実質的に不平等な雇用関係をその「成熟した市民」による「フェアな契約」だと言い張ることによって、実質的に財産や学歴や職業の違いで確実に生み出されるであろう格差や様々な社会的不平等の議論を封印するというアクロバティックな解釈に逃げ込んだのだと思われます。実際の問題として、欧米社会の中枢にいる高学歴な左派のエスタブリッシュメントにはこういった性向の者が多いのだと思われます。
また、この手の左派・リベラリストは移民受け入れの政策推進とも親和性が高いのが常です。キツくて不利な労働環境でも平気で働いてくれる移民が絶えず流入する社会の方が、彼らの豊かな生活を支えるのには何かと都合が良いし、いざそれに異を唱える者が出てくれば「人種差別主義者」のレッテルを貼り付けて攻撃すればよい、という訳ですね。
勿論これに関しては、「あくまで格差や不平等を生み出しているのは右巻きの政治家や大企業の経営者であって我々ではない」と彼らは主張し、アリバイ作り程度の反論もするのでしょうが、こういった社会批判をしつつも、チャッカリその格差構造に乗っかって自分も搾取する側に回り、その構造強化の一翼を担った格好になっているという現実には結局変わりはありません。
そして当然というべきか、西洋人だってこんなインチキな言説に騙される者ばかりではありません。左派のエスタブリッシュメントが歪曲な表現で語る「左派主導の格差は社会を切り開く良い格差」と言わんばかりの言説に反発する者だって出てきます。
いくら綺麗ごとを並べたところで、左派エスタブリッシュメントに反発する市民達からすれば、これらは鼻持ちならない特権思想にしか感じられないからです。その結果が『アンチテーゼとしての極右政党の台頭』であり、米国におけるトランプ大統領の誕生であった訳で、これは当然の帰結であったといえます。
……今更になって「トランプなんてコテコテの銭ゲバで冷たいブラック経営者で庶民の味方たりえない。益々残酷な格差が広がるぞ」なんて話をしたところで、もう手遅れです。志を失い、まるで中世の特権階級もかくやと言わんばかりの存在と化した左派エスタブリッシュメントの右翼批判や社会批判の言説はもう庶民の耳には届きません。これが弱者を裏切り続けてきた報いというものです。
そういえば今から6~7年も前でしょうか、これは日本国内の話ですが、ある有名な評論家が夕方の読書会を開いた事があるのだそうですが、そこに来たのは誰も彼も一流企業のサラリーマンばかりだったそうです。
基本的にリベラルな思想の生徒ばかりだったそうですが、よくよく考えてみれば、彼らが夕方の6時や7時にさしたる残業もせず、しかも高額な会費を払って読書会に来れるのは、陰で不利な下働きに従事している者たちの下支えがあっての事です。ところが、評論家氏がその事を問うと生徒たちは一様に無関心か、或いは冷淡な態度を示したのだとか。
リベラルで高学歴のエリートで、恐らくコスモポリタニストで女性差別、人種差別にも反対の左派。にも拘らず格差問題には無関心。評論家氏はこの現状に少なからぬ戸惑いを覚えたのだとか。
「今や庶民の怨嗟の念は政治家や官僚ではなく、こういった勝ち組のエリートに向かいつつあるというのに、彼らはこのことに関して恐ろしく鈍感であった」
……といった意味合いの書き込みをツイッターにしていましたが、今思えば、これは実に予言的な書き込みでありました。
とはいえ、これだけで終わらないのが人間社会のダイナミズムというもの。これに一番最初に楔を打ち込むのは果たして何処の誰なんでしょうか?