タクシーのIT化と『神様』の零落 | 北奥のドライバー

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思いついた事をつらつらと書いて行こうと思います。

タクシーを利用する際、むさ苦しいオジサンドライバーから経路確認されると頭にくるお客様はそこそこ居るようです。この経路確認には行わざるを得ない事情があるのです。というのも、タクシー業というのは出来高制のハードな仕事になりがちなので脱落者が出やすいという実情があります。

 

よくメディア等で指摘されている事でもありますが、タクシー業は人手不足と高齢化で苦しんでいる業種ではあります。…が、ドライバーの総人口が年々縮小傾向を示しながらも、人の出入りが激しいという実情も相変わらずで、必然的に『道を覚えきっていない素人ドライバー』が従来から変わらず一定数存在する事となり、そこで効率的に妥当な経路を走れない(地理不案内)というトラブルもよく発生します。

 

また、ドライバーから見ると「Aのコースが明らかに近道だな」と思っていても、後から「Bの方を通って欲しいのに変なコースを走られた」とクレームが入って来ることもあります。そういったお客様の中には「こちらの方が近道ですよ」と説明しても頑なに納得しない方もいらっしゃったりするもので、最初の経路確認というのは、こういったコース設定に関するトラブルを未然に防ぐ為に行われていたりするものです。

 

ある人がブログか何かでタクシーの経路確認に関して「金を取った上に経路間違いの責任を先回りして客に負わせるのか」といった意味合いの事を書いていらっしゃった。こういった違和感なり不快感なりを抱いている人は一定数存在する事でしょう。

 

……しかし、少々ヘソ曲がりな性格である私はこんな事を考えたりもするのです。

 

仮にSF映画に出てくるような完璧な自動運転が実現したとして、「経路をご指定ください」、「このコースであれば運賃は〇〇円になります」、「利用規約を読んで宜しければ確定ボタンを押してください」となれば納得するのだろうか?……と。

 

以前も書いた気がしますが、数年前にある朝のニュースで自動運転について一般の方に街頭インタビューをしたところ、多くの人が「自動運転のタクシーは怖い」と答えていました。それに対してタクシードライバー達は「自動化?別に構わないんじゃないの?」という反応で、この対比が非常に興味深かった。

 

私が思うに、ですが、街頭インタビューに於ける「自動運転が怖い」という反応は、何もシステムの暴走による交通事故に関する不安だけではなく、実はこれまで顧客側には求められなかった自力救済能力を求められる事に対する不安であり不信感なのではないでしょうか。

 

私は数十年間客商売に身を置いている人間ですが、これを皮膚感覚で感じる事が多いのです。

 

『実は多くの顧客が潜在的に最も強く求めているのは効率などではなく、自分の代わりに法的・倫理的責任を背負って柔軟にサービスを提供してくれる生身の人間なのだ』という事実。これは客商売の根幹にかかわる非常に根深い問題と言えるでしょう。

 

合理的で、しかしながら人間らしい温りを感じさせず、何処か怜悧で顧客から「無敵の神様」としての地位を剥奪し、『単なる一消費単位へと零落させてしまうのではないか』、という不安。これが「IT社会が怖い・嫌い」というニーズの本丸ではないでしょうか。

 

しかし、昨今の世相を見るに、「どんなに辛くてもニコニコと笑顔を振りまいて不利な仕事をしてくれる様な御人好し」は消えつつありますし、しかもこの少子高齢化となれば好むと好まざるとに関わらず、こういったIT化の流れは止められそうにありません。

 

さて、そして仮に昔ながらのプロフェッショナリズムが接客商売から消え去った世の中になった時に、果たしてああいった『高度な経験則や機転を伴った変則性、場合によっては高い忍耐力を伴ったサービスを求めるのが当然としてきた人達』は何処に行くのでしょうか。

 

「妖怪とは、“カミ”が零落したものの事である」と宣ったのは遠野物語の著者である柳田国男ですが、この現代の消費社会が生み出した無数の『小さなカミさま』たちは、その零落の後にどのようになっていくのでしょうか。

 

さて、因みに最近の私は「タクシー業界から完璧にプロフェッショナリズムが消え去る際の死に水取りも悪くないな」なんて考えていたりもします。まあ、完璧な配車システムや自動運転が完成するのはまだまだ遠い未来ですし、これは飽くまでも冗談半分な話ではありますが。(笑)