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北奥のドライバー

思いついた事をつらつらと書いて行こうと思います。

このコロナ騒ぎは未曽有のものです。他の産業のみならず、運輸業界も未体験のものでしょう。運輸業の多くは貨物にせよ旅客にせよ、長らく続く不景気と過当競争の中でも多数の会社が生き残ってこられた訳ですが、これは運輸業の収益モデルが特段に優れていたのではなく、単に長時間労働と出来高制に頼っていたところに起因します。しかし、これとて『運転手候補たる失業者が次々と再生産される不景気な社会構造と、ある程度以上の世間の金回り』が担保された状態で成り立つものです。

 

しかし、長らく続いた不景気とそれに伴う少子化の中で働き手の減少が起こり、昨今はわざわざ不利な労働環境を受け入れてくれる様な『都合の良い労働者』は年々減少傾向です。そして戦後の日本でこれほど人と金の流れが極端に停滞した時代というのは恐らくないのではないでしょうか。こうなればどんな産業でもお手上げです。当然、運輸業だって同様でしょう。しかも昨年の消費税増税で、ただでさえGDPがダダ下がりであったところにこのコロナ騒ぎです。正直な話、将棋やチェスで言うところの「詰み」といえる状態に近づいている会社も相当数あろうかと思われます。

 

運輸業に限らず、仕事一回当たりの利益が小さい飲食、小売り、宿泊のような労働集約型の接客業は、ただでさえ景気が下降気味だったことに加え、「ウイルスパニック」で年度末から始めの3~4月に稼げなかったのは痛かったでしょう。コイツは後々もボディブローのように経営にダメージを与え続ける筈です。で、ここで経営者さんが事業継続の為に選ぶ選択肢の一つが雇用調整助成金ですが、こいつは手続きが複雑で大変なうえに現在は順番待ちも激しいでしょうから大変だと思います。

 

そして大概の場合は、手続きの面倒臭さから、概ね社会保険労務士なんかに申請絡みの作業が一任されるわけですが、中には労基法違反を犯していたり、或いは帳簿改竄等の不正を働いていた会社も恐らく少なからず存在する事でしょう。当然、手続きの面倒さだけではなく、助成制度を利用する際にそこらへんも国にバレちゃうわけです。こういった場合、確信犯的にインチキの手伝いをしていた場合でも、悪意がなく、単純に会社側の不正を見抜けずにいた場合でも、社労士は原則「連座制」で経営陣ともども罪に問われます。

 

四月下旬になって国から「社労士の連座制を一時的に緩和して仕事をしやすい状態にしてやろうか」という話が出たの出なかったの、という報道がチラッと日経新聞あたりで報じられましたが、仮に具体的な罪に問われなくても、自分の経歴に「ミソ」が付きかねない事態であるのは変わりありません。及び腰になって顧問をする会社を厳しく選定する社労士が大量発生する可能性は大いにあります。というか、そうなるでしょう。

 

まあ、つまりです、そもそもこんな感じで助成制度を利用したくても利用できない背景を背負っている企業が世間には少なからず存在するわけですね。また制度の構造上、国からの助成が開始されても、それが末端で働く従業員に必ず還元される保証はなく、ここら辺はハッキリ言って事業者のモラル任せです。

 

まあまあ、日本国はとにかく企業を沢山作って手厚く守り、失業者を減らすことに腐心してきました。これは明治開闢から150年余り、江戸末期ごろにはたかだか3000万人ほどしかいなかった日本人が、栄養状態の改善と西洋医学の普及により急速に増え始め、半世紀後の大正末期~昭和初期には一億人に達するという「人口爆発」を経験します。

 

それに伴う失業者、都市貧民の大量発生とそれに付随する様々な社会問題は国や地方自治体の悩みの種でした。また戦後の日本も同様で、満州等の入植地から逃げ延びてきた人々はそっちこっちの地域に溢れ、これが深刻な失業問題や治安悪化、衛生環境低下の元凶となった。そんな日本国にしてみれば「多少怪しげでいい加減な会社でも、手厚く保護して失業者を雇用してもらわなければ」と考えることは自然の成り行きでありました。

 

往々にして日本の労働基準法が「ザル」でいい加減なのも、元を辿ればそういった企業保護を優先してきた国の方針があったからなのです。しかし、これらの問題も昨今の少子高齢化をもって遂に一区切りとなり、、現在は「少ない数の国民でどうやって効率よく儲けを出し、社会を回していくか」といった方向にシフトチェンジしなければいけない時代となりました。

 

「仕事があるだけ有り難い」なんて時代は終わりつつあるし、終わりにしなければならないのです、もしかすれば、このコロナ騒ぎはその大きな区切りとなるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

さて、ここからは私の個人的な体験談です。私の父が大昔は小さな鉄工所の経営者だった事は以前書いた通りですが、経営者だった事は両親ともども会社経営に忙しくて子育て、躾の多くは保育所や小学校、場合によっては祖父母や親戚に頼みっぱなしだったし、経営不振から会社を畳んだ後も、生活再建に忙しく、手厚い家庭教育や躾などとは縁遠い家庭環境であったと思います。

 

私の両親だけではありません。周囲の普通の家庭の同級生も概ね現在の神経質で微に入り細にいる様な子育てとは無縁のユルユルでいい加減なものだったと思います。これは先のブログでも書いた通り、親がいい加減でも、かつて『世間』と呼ばれていた社会構造が、子供に対する躾をある程度施す機能が度備わっていたからだと思われます。

 

しかし、それは「ある特定の時代と特定の社会環境で、ボンヤリとした社会の集合知がたまたまそういった都合の良い形になっていたという程度のもの」であって、「色々な社会的偶然が重なって出来上がっていた社会的状況」に対して無意識にコバンザメをしていただけのものであったのだと思います。

 

当然それは非常に粗野で決して洗練されたものでもなく、ややもすれば「後々子供が強く逞しくなる為に」と雑菌、ウイルスだらけの環境に深い考えもなしにポンと放り込んで一丁上がりと言わんばかりのいい加減な要素も多分にあったもので、実はそのせいで一生モノのトラウマを抱えたり、後々まで残るような(例えば怪我等による)身体機能の変調をきたす例もあったはずです。ただ、多くの人々の美化された記憶の中で、その『残酷な淘汰圧を伴った教育・躾』の存在が忘れ去られいるだけ、というのが私の考えなのです。

 

……さて、話は大きく変わりますが、私が小学生のころ、年に一度「スキー遠足」なるものがありました。もともと運動神経が悪く、対人恐怖症で集団行動がどちらかといえば苦手な少年であった私にとって、正直この手の校外学習は苦痛でしかありませんでした。当時我が家は父が経営していた会社を整理した直後の超ド貧乏生活だった為に、キチンとコストをかけたスキー用具一式を用意してもらう事が出来ず、一人だけ投げ売り価格で売られていた見るからに安っぽいスキーと、親戚からもらった「おさがり」のペラペラで古臭いスキーウェアしか用意できない状態で、周囲から妙に浮いた感じに見えてしまう事も苦痛で仕方がなかった。

 

特に苦しめられたのがスキー用グローブでした当時私が手にはめていたのはスキー用ではなく、そこら辺の雑貨屋にでも売っていたかのようなペラペラな物で、スキー場がある極寒の山岳地帯ではとても防寒効果を望むべくもない様な安物でした。親に何度か恐る恐る「本物のスキーグローブが欲しい」と頼んだ事もありましたが、結局無視されてしまいました。

 

まあ当然というか、そんな事だから起こるべくして悲劇(?)が起こります。岩手県には安比高原スキー場という、全国的にそこそこ名の知れたスキー場があるわけですが、やはり山深い地域ですので、どうしても天気が急変して荒れやすい。私がスキー遠足に行った日も、まあ、予想どおりというか結構吹雪いていました。しかし遠足(校外学習)は強行されたのでした。当然というか、私の両手は30分もしないうちにすっかり冷えきって感覚を失い、ストックを握る事もままならない状態になってゆきます。

 

この時スキーの講義をしたのは岩手大学でスキー部をしているという20代前半くらいのお兄さん方でしたが、こんな私の姿を見ると戸惑ったような態度を見せました。(おいおい、こんな貧乏でまともなグローブも買えない家庭の子を背負わされるなんて想定外だ、聞いてないぞ!)……とまあ、こんな心の声が響いてくるような感じでしたね。そして講師の一人は困った様な態度をとりながらも、「次はもうちょっと強くグローブが欲しいとご両親に訴えたらどうだろうか、確かにこれではスキーどころじゃないよね」と優しく慰めてくれたのでした。

 

さすがにもう限界だと思って昼休みの時間に「休ませてほしい」と訴えるべく担任の教師を探すものの、大学生のお兄さん方に丸投げ状態で、何処にいるのかも分かりません。そうやって建物内をウロウロしている内に、今度は気の強い同級生たちから「おい!いつまで待たすんだ!さっさと午後のスキー受講に行くぞ!」といった感じで「お前の都合なんぞ知らん」とばかりに取り付く島もない勢いでグイグイとゲレンデに引っ張り出される。

 

で、スキー遠足が終わるころには、なんと私の両手の指は、十本の指全ての先端から5ミリ程が完璧に血行を失い、まるで白ペンキを塗ったかのように真っ白になっていました。ガラス窓に触れると「コン!」という音が鳴ります。おそらく表面の皮の部分は完璧に凍っていたのでしょう。スキー教室が終わり、バスに乗ってから盛岡に帰るまでの一時間チョットの間に血行が戻り、白くなった指先は何とか回復したものの、それまでの時間は「指を失ってしまうのではないか」という恐怖でいっぱいでした。

 

その数日後にはその凍傷寸前だった部分の指先の皮がベラベラと剥がれだし、厚皮がむけて下にある薄皮一枚の状態になってしまいました。当然チクチクと痛むわけです。このほかにもビリビリと痺れた感覚も暫く残り、結果これには2週間ほど苦しむ事となります。授業を受けていても上手く鉛筆やペン類をシッカリと握る事が出来ずに随分と往生いたしました。

 

で、後から先生に行っても「今更そんな事を言って何になる」とばかりに〝けんもほろろ〟。もちろん両親にも講師の大学生からもっといいグローブを買えと言われた経緯を語りましたが、まあ、反応は概ね想像どおりというか。父は私の話を聞くや「それは凍傷にならぬように軍手を重ね掛けするするとか、そういう工夫をしろという歪曲なアドバイスだ。言葉を額面通りに聞く馬鹿がいるか」と驚きの回答を吐いたのでした。

 

単に貧乏で高価なグローブを買えなかっただけなのですが、父はその現実を受け入れようにも自尊心が許さなかったのでしょう。そして父の傍らにいた母は困った表情で言葉を発する事も無く、ただ床をじっと見ているだけでありました。ついこの前、なるべく場の空気が悪くならぬように、冗談めかした口調で母にその思い出をチラリを語ると、「そんな記憶はなかった、お前はそこそこ上手く学校生活をこなしているものとばかり思っていた」と驚いた表情をしてみせました。まあ、人の記憶なんてのはこんなもので、実にいい加減なものです。

 

だってそうでしょう、一歩間違えば自分の教え子や血を分けた息子の両手の指先十本分が腐れ落ちて失われる事態になっていたのかもしれないのです。しかし両親も、そして恐らく当時担任の教師だった方も同級生たちも、まともにその事に取り合おうともせず、きっと、そんな事実が有った事すら現在ステンと忘れ去っている事でしょう。つまり、大昔の『子供に対する教育・躾に関わる社会的記憶』なんてのは、私の例に限らず、この位に暢気でいい加減なものが一般的だったという事なのではないでしょうか。

 

こういった「昔ながらの美しい教育」について行けず、脱落してトラウマとなっている人が必ず大勢いる筈です。これは私の性分なのかもしれませんが、皆がテンプレ状態で共有する「美しい社会的記憶」よりも、こういった「人々の都合によって無かった事にされた人々、出来事」の存在の方が個人的に強く気にかかるし、そこにこそ我々が『社会』と呼んでいるものの本質が隠されているようにも思うのです。

 

 

 

つい一昔前までテレビを見ていると、「昔はこんな残忍な事件はなかった」とか「自分の子供時代にはこんな非行行為は無かった」とかいう言説が垂れ流されていたものです。しかし、最近は戦後日本の様々な犯罪に関わるデータが表に出て議論されるようになり、「こと殺人、強盗、強姦、放火といった『四大犯罪』に関して、また青少年の重大犯罪に関しては、昭和20年代や30年代、場合によっては40年代の方が現代よりもはるかに数も多く、また凄惨な内容が多かった」という言説が報道関係者や評論家の中でも一般的となりつつあるように思います。その為に以前の様な「昔は良かった」という言説は概ね「何処まで本当か分からないフワッとした年寄りの思い出話」といった次元に押し込められつつあるようにも感じられます。

 

例えばですが、40年も前、私がまだまだ子供だった頃は、どうでもいいようなチョットした事でもすぐに怒鳴り散らし、暴力をふるい、物を壊す様なオジサンやお爺さんがそっちこっちにいました。また盛岡市以外の他地域でも似たような感じだったでしょうが、比較的上品な高学歴層、高卒程度のサラリーマン層の人と、粗野で低学歴な肉体労働者層の濃密な交流はあんまり無いのが普通で、またニュースメディアも未発達な上に、ネットなんかも存在しない時代でありましたから、余計に「自分とは違う環境に住む人々の起こした胸が悪くなる様な出来事、ニュース」は伝わりにくく、それが『美しい思い出』に拍車をかける原因になっていたのかもしれません。

 

さて、「昔は良かった」の派生形と言える「昔の教育は素晴らしかった」というのも、私は「正直怪しからん」と考えている人間です。何の事はない、親がいい加減でも『世間』が子供を育ててくれるといった共助的要素が昭和の中頃までは社会に残っていて、自分はただ働いて「食わせていただけ」にも拘らず、世間のお陰で運よく子供が真っ当に育ったというだけであった、という事例も多かったのではないでしょうか。しかしながら、それがまるで自分の見識のお陰であるかのように錯覚している手合いも少なからず存在しているのでは、と私は考えています。

 

例えばですが、昔の飼い猫というのは「猫まんま」という餌を食べさせられている事がとても多かった。しかしアレは殆どが塩分と炭水化物だけの食べ物で、普通であれば栄養失調を起こして猫は死んでしまいます。しかし昔の猫は死ななかった。何故かというと、彼らは概ね家の外に自由に出入りできる環境にいるのが一般的で、飼い主が見ていないところでネズミや鳥を捕まえては食べ、そこで栄養の不足分をカバーしていたし、また獲物を追いかけまわす行動自体がかなりの運動量になっていて肥満の防止にも繋がっていたのです。

 

何のことはない、飼い主は猫の事をしっかり養っているように思いこんでいただけで、実は主のいい加減な飼い方をよそに、当の猫は陰で自力救済的に栄養補給と運動をして命脈を保っていただけだったのです。しかし現代の日本に於いて、ペットの飼い方に関わる常識は大幅に変化しましたし、また特にコンクリートジャングルと化した現代の都市部では、そういった飼い方をする事はかなり難しくなっています。となれば、『古きよきもの』を尊び参照しながらも、現代社会に最適化した飼育をしなければなりません。猫にせよ人間の子供にせよ、『エサを与えて適当に怒鳴りつけ』ていれば、自動的に育つ環境というのはもう殆ど消えて無くなりつつあるのです。

 

……いや、もしかすれば、ですが、こういったいい加減な育成、教育環境の中で深いトラウマを植え付けられて、一生苦しんでいた人もいたのかもしれません。ただ、多くの人がその事を認知的に無視するか、或いは過小評価して記憶から消し去っていただけかもしれませんよ。

 

つづく

 

 

私の知っている人で数か月間、ある石油会社で灯油配送の契約社員を経験した者がおります。本人は「金が必要だから我慢したけど、アレは嫌な職場だった」としきりに言います。

 

まず「正社員になり損ねた落ちこぼれ」といった感じで侮られるし、研修期間も短い上に粗雑な内容だったと言います。またナビ付きの3tクラスのタンクローリーを任されたそうですが、「コテコテに体育会系の組織で、たまに中間管理職が思い付きで突然、無茶苦茶な石油売りや営業の数値目標を掲げて問答無用で働かせてみたり、それで右往左往したり苛立った作業員の姿を見て嗤(わら)うような、そんな腹立たしいカルチャーがある会社組織でもあった」とも証言していました。

 

タイムカードは無く、出勤のみならず配送指示に至るまで、その多くがコンピューター管理でなされていたそうですが、彼が言うには「ひたすら厳しい短期利益を追いかけつつ、しかし何かトラブルがあった時には『我々が十分な膳立てを整えてあげたのにも拘らず、彼らはミスをした訳です。したがって我々管理職の責任ではなく、飽くまでもこの就業環境を活かせなかった配送員側の責任です』と責任転嫁をする防御線づくりの道具としてITを利用しているかのような印象を受けた」との事。

 

そして、幾らコンピューター仕掛けで効率化を図った所で、「理論上まだこれだけの客が捌ける筈だ」と効率化の恩恵で出来た隙間にグイグイと新たな仕事を押し込まれる格好になる訳ですから、末端の非正規配送員たちは苛烈な業務の連続で青息吐息。中には仕事の忙しさから苛立った者が喧嘩をしたりといったケースも。

 

あともう一つ、12月上旬のある日、正社員たちが社長室から茶封筒を貰い出てきたところに、出社してきた非正規の配達員がバッタリ出くわすや、その社員は「何見てんだ、あっちに行け!」怒り追い返し、そのままそそくさと、その茶封筒を懐にしまったのだとか。

 

この話を聞いて元スタンド勤めの私はピンときました。

 

(はは~ん、ソイツは恐らく報奨金だな……)

 

さて、簡単な説明の為に時計の針を1990年代の中盤まで戻します。石油元売り各社は全国に無数にある販売店の保護を止め、逆に過当競争を煽り売り上げの効率の悪いスタンドを潰す方針に転換いたしました。地方都市の小さな家族経営的なスタンドはその煽りで次々と消え去り、逆に多くの店舗を抱えて薄利多売が出来る大きな小売店のみが生き残れるように経営、指導の方針を変えたのです。

 

その際に「馬の鼻先にぶら下げたニンジン」の役割を担っていたのが報奨金でした。薄利多売が出来る体力ある会社は、赤字覚悟の安い価格でガソリン・軽油を投げ売り出来ます。それでも〇〇キロリットル売る毎に〇〇円といった感じで、その売った量に応じて元売り大手が報奨金を出し、末端の小売店は石油売りその他で出来た赤字を補填します。

 

 

大抵の場合、薄利多売が出来る大きな会社は報奨金で赤字分を補填しても尚、ナンボかお金が余るので、それは大概の場合「毎月の給与や夏冬のボーナスとは別の臨時手当」と言った体で働き手に分配する訳です。が、しかし、会社によっては正社員のみがそれを貰え、バイトや非正規扱いの者は貰えないケースもあるようで、彼が行った石油会社もどうも、そういった非正規差別がある組織だったのだと思われます。

 

よくその会社の配送課の課長さんは「こんなに求人を出しているのに人が来ない。去年やってくれた人に声をかけても色よい返事がない」などと宣っていたそうですが、こんな体育会系な環境でキツい仕事をさせた上に、明け透けな非正規差別の文化が蔓延した組織なのですから当たり前というものでしょう。

 

……というか、これは確たる証拠もない私の想像でしかないのですが、その課長さんは何故人が来ないのか、薄々理由を理解していたのだと思うのです。まあ、人間の心理というものは実に面妖なもので、無意識の内に「貴方は悪くありませんよ」と慰めの言葉をかけてくれる人間を求めがちです。恐らく原因が解らなかったのではなく、分かっていながらその後ろめたさ故に「分からない」と言ってしまった、というのが本当のところではないでしょうか。

 

上記の話よりも更に遡る事1980年代、この時代に非正規労働を規定する法律が出来た訳ですが、これは主にコンピュータープログラマーやデザイナーといった特殊な仕事をしている人達の為の法律でした。彼らは下手をすると社員のように拘束され労働基準法の枠組みに押し込められると、かえって効率的に働けなくなる事が多かった。そういった人達の仕事上の自由度を担保する為に、敢えて作られた法律だったのです。

 

しかし、後世になってこの法律は改訂され、一般の非熟練労働者に関してもこの適用範囲が広げられてしまった。これが後々大きな不幸を招く事となります。単純な業務の効率化と自由度の担保ではなく、これを封建時代さながらの身分制度のように利用する組織が大量発生したのです。まあ結局、どれほど高い志を元に法律を作ったのだとしても、いくら先進的なシステムで社内の業務を改善したとしても、それを扱う当の人間に宿った差別心や偏見までは合理化して克服する事は出来なかったという話です。

 

さて、そういえば『彼』は偶然なそうですが、机の上に置きっぱなしになっていた、とあるベテラン社員の茶封筒とその中に入っていたであろう明細書を見てしまったのだとか。金額は八万円少々だったそうです。まあ、私のスタンドマン時代と大して変わらない金額でした。ペラペラの何の変哲もない茶封筒。しかし、その中には現代社会に特有のドロドロの差別文化が詰まっていたのです。

 

タクシー絡みのネット記事等を見ていると、タクシー業界の高齢化と人手不足に関わる記事を見る。しかし、読んでいて正直なところ首を傾げたくなるような内容のものも散見されたりして。

 

過去の記憶を掘り起こして、いくつか挙げてみるといたそうか。

 

〇タクシーが完全歩合だというのは間違いで基本給は存在する。

 

……全体の何%かは不明だが、確かに歩合の他に激安ながら(嘘偽りなく本当の意味での)基本給を設定している会社がある。が、これは全体的(全国的)に見て非常に少数派のケースと考えて間違いないだろう。また、ある記事では基本給が20万円弱くらいの会社が多いといった風に読む者をミスリードさせかねない書き方のものもあったが、これは三大都市圏のようなタクシーのみならず、全産業の平均賃金が元々高い地域限定の話ではなかろうか。

 

地方都市などではそんな話は滅多に無いだろうし、仮に基本給があっても、精々12万円前後が良いところでは。ちなみに47都道府県でタクシードライバーの平均年収が三百万を超えている県も少ない。(確か全都道府県で20県に満たない。最高が東京の400万円オーバー)

 

〇一見したところ一勤務の拘束時間が長いように見えるが休みが多く、実質的にには自由な時間が多い。

 

……これも誤解を生む表現ですな。実際は長時間拘束な上に労働時間帯が不規則になりがちな事からくる独特の体力消耗の問題があり、休日や仕事と仕事の間に設けられる休息期間(24時間に満たない短い休日)には、ただグッタリして過ごしている人も多いと思う。また、「うちは一般的なサラリーマンとは違い、特殊な法体系の中で動いている業種だから」と言い張り、乗務員に有給休暇を一切与えていない会社も少なからず存在している。(ちなみに上記の理由は嘘っぱちで完璧な法律違反)

 

追記:現在の政府は「働き方改革」で「どんな業種でも例外なく年に5日は有給休暇を与える様に」という方針を打ち出している。これに際して「有給など与えていたらウチの会社は潰れてしまう」という相談が特に地方の社長さんから業界団体に寄せられる事があるそうだ。これは要するに「業界団体が時の政府に陳情等をして、タクシー業界だけは「働き方改革」の埒外に置いてもらえるように、どうにか交渉して欲しい」という事であろうが、タクシー協会等は原則的にこれに関して否定的なスタンスの様だ。

 

というのも、安倍内閣が「働き方改革」を提唱した際に、運輸関連の業界団体も首相の元を訪れて色々と交渉をした結果、「2024年3月までは労働環境の本格的な改善に関して時間的猶予を与える」という言質をなんとか引き出す事が出来て現在に至っているのだ。これ以上の交渉はもはや不可能だろうし、何よりこれまでになく過重労働に対する世間の目が厳しくなっている昨今、更なる業界のイメージダウンは避けたいところだろう。「ブラック業界の味方をする怪しげな団体」などと世間からレッテルを貼られたら最悪だ。

 

〇一日20時間前後の勤務である。

 

……これも概ね平均賃金やGDPが高く、人口密度の高い都会の会社の話ではなかろうか。一日20時間前後の拘束で働かせるタイプの会社は法律の縛りもあり、一ケ月13日前後の勤務になる。しかし地方の多くの会社は一日12~16時間(同じ拘束時間で延々と働くタイプと、複数種の拘束時間のミックス状態で働くケースがある)くらいで、月に18日~23日くらいの勤務が多いのではないか。

 

それで合計すると、実は都会の会社よりも月の総拘束時間が大幅に長くなる事例も多々あると思われる。前者の一日当たり20時間前後拘束するタイプでは、労使合意があっても月に270時間までしか拘束できないが、後者のような一日当たりの拘束時間を短めに設定し、尚且つ小刻みに働かせる方式だと労使合意が有れば月に最大322時間まで拘束できる。特に地方の会社はこうやって売り上げの不足分をカバーしようとするのだ。

 

 

 

さて、ジャーナリストやアナリスト、それからコンサル屋が書くタクシー論が微妙に『ズレた内容』になるのは仕方がない。だって部外者で細かい事は知らないだろうし、取材、調査したところで経営者や幹部、または『会社のお気に入りの優等生ドライバー』は業界の恥部を巧みに隠した耳当たりの良い話しかしないだろう。

 

で、そんな状況で簡単な聞き取りを行い、大まかなデータを基にタクシー業界の現状と処方箋を語る事が多いと思う。そして結論は概ね「キツイと言えばキツイけど、世間で言われている程にブラックな仕事でもありません。それは誤解のようですよ」といった内容で、業界の陰の部分をキチンと論じる事の無い、単なる灯記事となって終わる事が多い。そう、実際は何の効果も無いプラセボ効果頼みの処方箋ね。