コーヒー屋の旦那と床屋の親子  其の参 | 北奥のドライバー

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思いついた事をつらつらと書いて行こうと思います。

それからさらに数年後、私は例の理容店の前をいまだに通りかかる機会がチョクチョクあるのですが、お客さんが入っている所をあんまり見た事がありません。とはいえ、店内には煌々と電気がついていて、例のクルクルと回るサインポールも相変わらず動いています。私が見ていない時間にお客さんが入っているのでしょうか?

 

まあ、住居と一体化しているタイプの店舗のようですし、最悪の場合でもテナントの家賃もかからず、店員も雇っていないとなれば人件費もかかりません。一日当たり数人のお客さんを捌けば、取り敢えず食うには困らない、という事でしょうか。

 

しかし、世間には1カット1000円とか1500円程度の安いフランチャイズ店も増えていますし、年金暮らしの老人客の多くは相当数そちらに流れているとも聞きます。少なくとも昔のように順風満帆とはいかないでしょう。

 

そして、このお店の前を通る度に「もうここの暖簾をくぐる事は無いのだろうな」といつも思うのです。

 

さて、話は変わりますが、「その壱」で書いたコーヒー屋のオヤジはといいますと、この2020年現在の時点でお店は潰れて消えてしまったようです。ネットで調べると「2013年にお店に入った。中々に良い雰囲気だった」という書き込みを見つけましたので、数年前までは確実に営業していたのだと思われます。

 

小さな蔵を改造して作ったクラシックな拵えの店内。実はこの店舗跡にこの前行ってみたのですが、建物そのものは残っていました。窓から中を眺めてみると、店内の様子は非常に雑然としていて、半分散らかったような雰囲気でした。そして焙煎過程の途中とみられるコーヒー豆がテーブルの上に雑に置かれたままになっているのが目にとまりました。よほど慌てて店仕舞いをしたのでしょう。

 

店を維持する為のお金が続かなくなったのか、或いはご夫婦のどちらかが倒れてしまったのか。というのも、あの旦那さんも奥さんも、私が入り浸っていた四半世紀前の時点で既に50代くらいの年齢でしたから、何時店が無くなっても不思議ではない状態だったのだとは思いますが、まあ、いずれにせよ円満で余裕ある店仕舞いでなかったのだけは間違いなさそうです。

 

パッと目に入った丸い金属製のお盆の中に入れられた、まだ火が通されていない生豆、そこには大きめなピンセット。恐らく焙煎前に形の歪な豆や根本的な品質の悪い豆を取り除く「ハンドピッキング」と呼ばれる作業に用いられる道具だと思われます。

 

「これを使ってあの頑固者な旦那が毎日コーヒーをつくっていたのだなあ」と思うと、何とも言えない感情がこみ上げてきます。そして、「あのキツイ言葉を聞きながら、真っ黒で苦いコーヒーをもう一杯だけのみたかったなあ」とも思ったのです。

 

先に挙げた「床屋の親子」は、基本的にパッと見た目には清潔感があり、礼儀正しく口を開けば尤もらしい「正論」を吐きこそすれ、基本的に他者に対する寛容さに欠け、そして何処か居丈高ですらありました。だから「もう一回行こう」という気が失せてしまいまったのです。

 

しかし、コーヒー屋の旦那には諧謔(かいぎゃく)があった。口ひげを蓄え変わった風体の男で偏屈な雰囲気を漂わせ、口ぶりも決して良くありません。しかし、彼は高飛車に構えて人を批判したり自分の過去の功績や見識を暗に「ひけらかす」ような嫌らしい話し方はしなかったし、何よりも「自分の持つ悲しい限界や滑稽さ」をよく弁えていた。だから嫌いになれなかったし、「また行きたかったな」と思ったのです。

 

潰れたコーヒー屋を後にしようとした時、あの苦い苦いブルボンサントスの匂いがしてきたような錯覚に見舞われました。そして『本当の意味での良いお店』っていうのはこういうお店の事なのか、とも思ったのです。そして心の中でこう呟いたのです。「旦那さん、来れなくなってしまって、本当にゴメンな」と。