コーヒー屋の旦那と床屋の親子  其の弐 | 北奥のドライバー

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思いついた事をつらつらと書いて行こうと思います。

さて、前回のコーヒー屋に通っていたのは2年弱という所だったでしょうか。しかし、そうこうしている内に私自身も仕事が色々と忙しくなり、また生活のリズムもそれに伴ってガラリと変わってしまった事もあって、それ以来すっかりご無沙汰になっていました。そんな狷介なオヤジと何となしに縁が遠のいて数年ほど経った頃、ある理容店に半年ほど通う事になりました。

 

何の事は無い、引っ越したせいで以前から贔屓にしていた理容店から遠ざかり、通うのが少々億劫に感じられたので、「一番近所にある理容店を」といった感じで何となく利用する事となったのですが、結局あまり良い思い出にはなりませんでした。

 

そのお店は口ひげを生やした洒落た雰囲気の60代くらいの店主と、恐らく後々店を継ぐことになるであろう30前後くらいの一見して朗(ほが)らかな若い息子二人で店を経営していました。さて、最初の数回は会話もよく弾んだし仕事ぶりも良く、「なんだ、いいお店じゃないか」と気に入っていたのですが、五回、六回と通ったあたりから「あれ?」と思う事が多くなります。

 

その切っ掛けはラジオだったか、或いはテレビから流れてきた学校のイジメに関わるニュースか何かが発端だったと思います。私はイジメを受けた子に同乗して気の毒がった訳ですが、いつも私を担当していた息子さんは「いや、イジメられる方にも原因があるだろ、こういう弱い奴を甘やかす風潮っておかしいよね」とバッサリ。

 

そして自分が「ちょいワル学生」だった頃の思い出話とも自慢話ともつかない『独演会』を始めたのです。まあ、これは私の想像でしかないのですが、彼は学生時代はイジメる側か、或いはイジメる側と近いポジションにいたのだと思われます。だからニュースの内容にカチンときてあんな事を口走ってしまったのでしょう。そもそもイジメというので勘違いされがちな事の一つが『イジメは教室の嫌われ者ではなく、むしろ往々にして人間関係の頂点付近にいる能力優秀な人気者が起こすものだ』という事実です。

 

多分ですが、彼もそんなグルーブの中の一人だったのでしょう。華やかで刺激的だった学生生活、その後の理容師としての修業時代、後に一人前の腕を身に着けその後に結婚、そして可愛い子宝にも恵まれた。苦しい事も多々あったでしょうが、こういったマッチョな成功体験は男に大きな自信を与え、堂々とした姿に見せるものです。

 

そして父と二人三脚の経営。「理容業界の過当競争・不景気といえるこの時代にも、苦しいながらも自分は店を維持し続けている」という事実も彼に強い自信を植え付け、恐らくそのついでで元々持っていたであろう弱い者に対する軽蔑心も強化されたのだと思われます。

 

とはいえ、私もこの『独演会』には最初の数分間は我慢していたものの、遂に辛抱溜まらず一言二言「それはチョット……」と反論を加えようとしてしまいました。が、当然彼は聞く耳を持ちません。

 

まあ、端的に言えば人生観の違いと言いましょうか。私はどちらかと言えば能力の無い者、弱い者にもある程度の存在意義を認め、寄り添うような考え方や政治が好きだし、自分自身も生き方が下手糞で挫折だらけな人生を送って来た冴えない青年であったため、余計にそういった人達に感情移入が強くなりがちです。

 

しかし、この理容店の息子さんはそんな事は歯牙にもかけない様子でした。何時も自信に満ち、堂々としていて弱い者はバッサリと斬り捨てる、そんな雰囲気を持っていました。勿論若かったせいもあるでしょうが、その物言いは時として居丈高で歯に衣着せぬ雰囲気になりがちでした。

 

その様子をチョビ髭の旦那さんは傍らからニコニコしながら無言で眺めていたわけですが、一見紳士に見えるこの旦那さんも実は結構強情な部分を持った人らしく、以前、別の年配者のお客とチョットした切っ掛けから「軽い政治論争」が、殆ど非生産的な「口論」といった次元の言い合いに発展してしまい、それが原因でお客を失った事があったようです。いやはや、血は争えないものです。

 

そしてそれ以来、私はあの理容店に行くことをやめてしまいました。彼の差別的な物言いが許せなかったから?いや、それだけではありませんでした。彼の能力の高さと成功体験を見せつけられるのが辛かったからかもしれません。あの当時、私はあまりに弱々しく、そして嫉妬深い青年だったのです。

 

(其の参に続く)