生と死を巡る小さな思い出 | 北奥のドライバー

北奥のドライバー

思いついた事をつらつらと書いて行こうと思います。

子供の頃、ある朝の情報番組で起きたアクシデントを偶然目にした。

 

女性のリポーターが海岸である撮影をしている最中、その背後に今まさに身投げをしようとしている女性が現れ、ザブザブと水の中に沈んでいったのだ。周囲のスタッフ共々慌ててその女性を救ったのだが、私はその場面を見て妙に悲しい印象を受けた。

 

「今まさに自殺しようとしている人を見かけたら、人間として助けざるをえない。自分も恐らくそのような行動をとるだろう」

 

「しかし、これは果たして正しい事なのだろうか?」

 

「結局その人を生き地獄に引き戻しただけで、何の解決につながらなかった時はどうする?」

 

「結局、我々人間というのは、自分の中に宿る社会性や道徳心の一貫性を守るために『良かれと思って罪を犯す』事から原則的に逃れられない存在なのではないのか?」と考えたのだ。

 

ただ、この事は当時、誰にも喋らなかった。

 

周囲の大人たちで、こういった問いに答えられそうな雰囲気の人が見当たらなかったし、何よりも「またお前は訳の分からない気取った話をして」などと言い返されるのが不愉快だったからだ。

 

 

もしこれを読んだ人がいるのならば、少しだけで良いので考えてみて欲しい。我々は『良き社会人、良き人間』であり続ける為に、逆説的に罪から逃れられない存在だという事、これは人間に特有の避け難い宿命であるという事を。