後輩が怖すぎて食堂に行けません -41ページ目

後輩が怖すぎて食堂に行けません

一人生んで職場復帰したら、仕事もろくにできない後輩から「パートじゃダメなんですかぁ?」と言われて傷ついてから食堂に行けなくなったメンタル豆腐の女。いわゆるワーママ。できるかも分からない二人目不妊治療中

昨日、本当はショックだったけど書けなかったこと。

それは、不妊治療ができなくなったこと。


もちろん、学会でいまは不妊治療はしない方がいいと出たのは知っていた。
でももう今回の排卵誘発剤は飲みきってしまっていたし、タイミングくらい教えてくれるかなと思って通院してる病院に連絡したところ。
すべての指導をストップ。
いま飲んでる薬だけ追加するから薬がなくなったら来てね。だそうな。

わかる。
妊婦になって肺炎になったら死ぬ可能性がある。
新しい命を失うこともある。

でもね。
でも。

もうアラフォーなんだよ。
時間がないんだ。

若いときに産めばよかったじゃん、言われてしまうことも多いけど。

私は若くても治療が必要性だった。
だから結婚を敬遠された。
子供がほしいタイミングでできる人とは違う。
その苦しみを理解してほしいとは思ってない。

それに既に一人子供がいる。
だから、一人もさずかれず不妊治療で苦しんでいる人とも違う。
その人の苦しみは本当の意味では理解できていないと分かっているし、「一人いるでしょ、同じにしないで」という叫びを聞いたら私は黙りこんでしまうと思う。あのときの気持ちを思い出して。
私だって一人授かる前は世界のすべてを呪っていたさ。
どんな慰めも意味がなかった。
普通に生理が来る人ですらうらやましくて。
子供を見るのも辛かった。
おめでとうとうまく言えているか不安だった。

今も同じような気持ちになる。
世界を呪うし、妊婦をみて落ち込むし、二人目、3人目と聞くと、ちゃんとおめでとうを言えているのか不安になる。
何が違うのだろうと思うのだけど、
多分違うのだ。何かが。

二人目は贅沢だと、神様はそう言うのだろうか。
私はそんなに贅沢なことを頼んでいるのだろうか。



排卵誘発剤だけでもいいから出してほしい。
コロナが落ち着くにはおそらく1年くらいかかる。
私には時間がない。
もう時間がないのだ。
私には他の人のように年に12回のチャレンジはできない。
できて4回。
たった4回。

悔しい。
悔しくて。

そんなとき、新婚のトイレ王国のパート姫が食堂で私に言った。

「私、まだ遊びたいし、子供はいいかな。できたら困るー。」


本当に、悔しくて。
でも、多分、そうだね、ときちんと笑って返せていたと思う。
頑張ったよ。私。
退団直前のコンサート中止😢

いまはそれどころじゃないとわかっているけど、やっぱりツライ。
生きる楽しみがない。

いや、生きているだけでありがたいんだけど。

こんななかで、今の家との別れもしなければならない。
写真とりたいし
みんなで集まりたいし

でもどうしてもできない。

つらい。

生きてるだけで御の字ですけども。

こんなときでもやっているいきつけのスタバのお姉さんと、

こんなときだからこそお互い頑張りましょう

といいあった。
スリーブに、がんばりましょうとメッセージを入れてくれて。

このタイトルのきっかけになった後輩が。
長電話して自分の仕事を放置して、期限ギリギリになっても電話をやめず、けっかその仕事、わたしが最初から最後までやりおえた。それでも電話をやめず、電話しながらペコリとしてきた。
仕事では他人をさりげなくフォローしても感謝も謝罪もされない。
そんな心がすさむ日に。

スタバのお姉さんの、メッセージ。
なぜか泣きそうになった。

なんかすごいことになってきたなぁ。
不安にさせられるニュースばかりで、嫌になるのけど、情報を得ることをやめられない。

出来ることって結局変わらないので、淡々とやっていくしかないんだろうな、と思いつつ。

演劇の公演中止はエンタメが悪いわけではなく、エンタメが行われる場所に問題があるってことだけど、
でも、ライブのクラスターの報告はあったけど、小劇場含めてこれだけ演劇あるのに、そこでのクラスターは報告されていないわけで。
大体、みんなが同じ方向みて黙ってみているのに感染リスクってものすごい高いのかな?てちょっと疑問だった。

対面とか密着って考えたら、夜の飲み会とかカラオケの方がよっぽど危険だし、カフェだってよっぽど危険って最初から分かってたのになんで今になっていいだしたのか。
最初にやり玉にあげられた演劇って、、
、思ってしまうのは私だけなのか。

同じエンタメでも、なぜパ◯ンコとかはあんなに密着するのにやり玉にあげられないのかわからない。

という意味でも、自粛とか要請ってなんだろう?と考える。

どうやら期末をなんとか越えたいという行政の雰囲気も感じるし、自分もそう思ってたりする。

日本が安全だとは思ってない。
でも、どんなに予防しててもかかるときはかかるし、重症化するかもしれない。
家に閉じ籠ってたってかかるときはかかるんだよね。
不安だから予防はするけど、見えない敵相手にはたたかえないわ。負けるだけ。

短距離走じゃなくマラソンだと思った方がいいと言われた。
でもマラソンなんて走らないからわからないんだよね。マラソンなんか走りたくなくてやめちゃうもん。

こういうときこそ、毎日、夜寝るときに、レミゼを思い出そうとおもう。

バルジャンの
「今日も1日を生き延びたー」ってとこ。

1日、1日、その歌を歌いながら眠って、気付いたら1年たってくれてたらいいなぁ。なんて。

のぞみさんのONCEも、まかぜのサパも、れいくんの新星も。
全部だめになっちゃって。
でも仕方ないと言える自分もなんだか嫌で。

自粛じゃなくて、自衛のためにやっていることだと思い直して。
歌うたって寝よ。
昔から、私は仕切り屋タイプだったのか、友人を集めて会を開く幹事タイプだった。

勝手に集めては、スケジュール調整がめんどくさいとかドタキャンガムカつくとか散々なことを言っていた。

でも、子供ができてその機会が圧倒的に減った。

年齢的にもおめでたい話題はないので定期的に会わなくても何かで会うということもなく、1年、2年、あっという間に過ぎていく。

そして、久々に会を開くと、あまりにも衝撃的なことが待っていたりする。

嬉しいことや楽しいこと、もちろん辛いことも。

友人には頻繁に会っておくべきだと思うことがあった。

彼女は弱音を吐かず一人で頑張るタイプだし応援は求めていないだろうけど、
誰かと会うことで少しはなごむこともあるだろう。

どうせ私に出来ることは限られている。

やっぱり私は頑張ってみんなのスケジュール合わせにめんどくさいといいながら、ドタキャンにイライラしながら、会を開くべきなんだ。

あの、わけのわからない使命感、もっててもいいんだ。

職場復帰してからすぐ、異動になり、今の部署に来た。
事務職のレベルがやたらと高いと言われている部署で、同期が上司だった。
時短で働きだした私は、まわりのレベルについていけるか不安だったが、1週間くらいで、この部の事務職のレベルが偏っている上、そこまでは高くないことに気づいた。
そして一番気になるのは、ホスピタリティーの低さだった。
とりあえず、仕事を断る。
びっくりするくらい断る。
んでもって時間ぴったりに来て時間ぴったりに帰る。
派遣の品格もびっくりな素早さだった。

私の仕事は、営業事務といわれる仕事で営業さんと対になって働くわけだが、担当の営業さんは事務職1人に対して5人くらいの割合。

前の部では、5人分の事務&部の総務やら部長のスケジュール管理なんかやっててとにかく忙しかったが、部長によばれようものなら猛ダッシュで走っていくし、担当に無言で書類を机の上に置かれても黙って処理するのが普通だった。
が、ここでは、たいして忙しくもない若手事務職が、部長に直々に呼ばれて仕事を頼まれたのに、堂々と断る。
しかも、仕事の内容は5分くらいで終わる超簡単な仕事だった。

あっさり帰ってしまう事務職のため営業担当者は、「え?そこまで?」っていうほど事務をやってる。

この部、おかしい。

と思ったのだが、その後、この最若手事務職から思いがけない一言を言われ、自分のほうがおかしいのかと、なぜか心がおれてしまったのだ。

それは、食堂でごはんを食べてるときだった。
当時私は時短勤務にもかかわらず、フルタイムくらいの仕事量&新人教育をまかされていて昼ごはんを食べる暇もなかったのだが、その日は久々に食堂にいけた。
それで最若手事務職とはなすことになった。
時短で働いてると給料安いのに、アホみたいに働かされて割に合わないといったところ、その子が言った。

「ってか、子供生んで大変なんだし、なんで時短なんかで働いてるんですか?パートじゃだめなんですか?」

何故かわからないけど、その言葉を聞いたとき
心がポッキリ折れてしまって。
私があくせくやってるのがバカらしいみたいな態度で言われたのも心を暗くした。



その子といるとそういうことがちらほらあり精神的ダメージをうける一言が多く、
私はだんだんと食堂にいくのがストレスになった。
今ではほぼ食堂に行くことはない。
外食代は高くつくが心の平安を保つほうが大切だ。


私の研究結果によると、その子はトイレにいくと30分くらい帰ってこない。
仕事を頼まれ、営業が持ってくる書類が間違っていると頭ごなしにキレる。
4時からはほぼスマホをいじっている。

にもかかわらず、彼女は担当者からはけして無下にされないお姫様のような扱いを受けているのだ。
顔がかわいくて性格がキツイという男子が大好きなタイプなのだろう。
(営業は男子が8割)

というわけで、私はその子を、トイレ王国のパート姫と呼ぶことにした。

そんな風に面白がれば少しは気が楽になるかと思ったが、私はこの1年半、食堂には数えるほどしか行っていない。

それがタイトルの理由。
口汚いタイトルで申し訳ありません。

私、昨年のあの台風の日に、宝塚星組紅ゆずるさんのさよなら公演のチケット取ってまして、

公演中止→振替なし


で。

今回コロナで唯一の宝塚雪組チケット29日にとれてまして→公演中止→振替なし

まじで??
なんなの?
宝塚友の会でいい席あたると台風とかコロナとか来るわけ?
ってか1年に2回もこんなことある??
どんだけついてないんだよ。


大体

予防きちんとしてました→検疫のひと、政府の人、医療関係者もかかりました→私たちが予防してもかかるときはかかるってこと?もはや運じゃない??

かかって重症になるかはわかりません→重症になっても特効薬もないから自己免疫で治すしかありません→もはや神頼みならぬ免疫頼み

治ったと思ったけど、まだ陽性反応出てます→治んないじゃん!!

ウイルスは突然変異を起こして凶悪化するから仕方ないとはいえ、もうこういったらどうですか?
「未知のウイルスだから打つ手ありません。予防してもかかるときはかかります。重症化しなかったら大丈夫なんで重症になったら病院に来てね。でも病院にいても治るとは限りませんけどね」

宝塚は星組も雪組も昨年の台風で休演になったんですよね。
一番悔しいのはジェンヌさんだろうなと思います。
はやく落ち着くといいですね。
「命にかかわること」と言われれば納得せざるを得ないのですが、いっせいにそういう雰囲気になるのもなんかなぁ。と思います。


ちょっと思うところあって

というか宝塚の記事を書ききれないのでジャンル変更しました。

これからはタイトル通り、後輩に虐げられる(笑)日記を書こうと思います。
産休明けで会社で新人教育をを2人押し付けられたその1年後

こんどは3人押し付けられた。

今年の1年目は与えられた仕事を押し付けあい、更に「できません」と平気でいってくる。
3人ともなんとも癖が強く
3か月で疲れきってしまった。
教えることで時間をとられる関係で、時短勤務がバカらしくなり(昼休みを削って働いて給料1割カットとか)1月からフルタイムに戻した。

子供を迎えにいく時間をかえたくないので、やることは早起きでの夜ご飯の仕込みや、昼休みに買い物を済ませる、など試行錯誤しながら2か月やってきたが。

土日の疲れが強くなり、子供に向き合って長い時間遊ぶことが難しくなった。
外に出たくもないし、子供の遊びにつきあう心の余裕もない。
この時期は花粉なんだかなんだかで体調も悪くいつもぐったりしてしまうのだが、今年はひどい。

そんな中、不妊治療に通い、なんとか2人目をと思う。
一人目をタイミングで授かったこともあって体外受精はまだ考えていないし、子供&会社&パートナーはほぼ不在&父母は高齢、では体外受精専門病院の長い待ち時間は耐えられないだろう。
こればかりはリミットがあるから、今年中に結果がでなければ覚悟を決めて、長い待ち時間の病院に移るべきかもと思ってはいる。

子供&会社&不妊治療は案外キツイ。
宝塚にいって、前は1から2週間続いていた幸福感は1日で消え去ってしまう。
なぜ自分ばかりこんな目に、と感じる被害妄想にも近い思いは、思春期終わりかけの大学時代から続いていて、社会人になってもそんな風に思う。

私には大学時代を一番近くに過ごしたにもかかわらず、卒業とともにひどい裏切りを受けた人がいる。
自分が苦しいとき、「私より不幸でありますように」と、その人の近況を検索してしまう癖がある。
パートナーには、そこまで強い思いが残ること事態が不幸だと言われたし、私もそう思う。
けれど、あの裏切りを私は生涯忘れることはできないと思う。あの時、私は大学時代に自分を犠牲にして、自分を曲げてでも守ったものをすべて失った。

何が幸せなのかは分からないが、その人が自分よりも不幸であってほしいと、私は今でも思ってしまう。
でも検索して思うのは、結局幸せかどうかは分からないし、その人が不幸でもきっと溜飲は下がらないということ。
ただ空しいだけと分かっているのにやめられない。

苦労してようやく授かった、今いる子供を、大事にしたい。
大事にすべきだ。
最大限こたえてあげたい。

けれどその理想からは、ほど遠いところにいる。

庭に梅が植えてあるのですが、満開になりました。
この梅も、今年で見納めです。


私は今、祖父母が施設に入ったため空き家になってしまった家に住んでいます。とても古い家で、冬は寒いし夏は虫がひどいし。
祖父母が施設にうつり、半年後にこの家に来たとき、人がすまないと家は朽ちるだけ、というのがどういうことなのか目の当たりにしました。そのときのショックが忘れられず、一人暮らしをするくらいならこの家で住むと決めて、移ってきました。
家族はあんな古い家に住むなんてと言ってたし、どうせすぐ壊してしまう、とも言われましたが、壊すとしても、壊すその直前まで「家」であってほしい。惜しまれてなくなってほしいとそう思っていました。

そうしてここで一人で暮らしていたところに、今のパートナーが移り住み、子供が生まれ、この家に暮らしたのは約6年でした。
この家の歴史にしてみたら20分の1くらいの時間でした。

過去形なのは、この春、この家の取り壊しが決まったからです。
古い家を守るのってすごく大変で。
新しいものをたてた方が簡単なんだそうで。

昨年の台風で家が壊れないかとひやひやしたこともあり、その決断をしたそうです。

私はこの家に対する決断を出来る立場ではなく、その決定に抵抗するだけの金銭も持ち合わせていません。口で古いものを残したいと言うのは簡単ですが、それを守るには相応の資産が必要です。しがない事務員の私にはそんな費用はありません。
それに、私はこの家に移るときこの家がいつか壊されることは覚悟していて、その終末を私が見届けたい、と思ったのです。
何かの終わりを見届けることは、とても辛いし、とても苦しい。
何かが終わり、変化していくことは、恐怖です。
でも、私はその終わりかけた瞬間の美しさを何度も何度も目に焼き付けてきました。
そして、そのどれひとつも、忘れることはできていません。

だから私はこの家の最後をきっと泣きながら見届けて、将来笑いながら話せると思うのです。

終わらせることが美しいと知ることができたのは宝塚のおかげで。
終わる直前がもっとも輝くことを教えてくれたのも宝塚で。

だから私はこの家の終わりを、きっと見届けられると思ってここに来たのだと思います。

もう二度と、この梅を見ることはできないけれど、私はきっとこの梅を生涯忘れることはないと思います。