後輩が怖すぎて食堂に行けません

後輩が怖すぎて食堂に行けません

一人生んで職場復帰したら、仕事もろくにできない後輩から「パートじゃダメなんですかぁ?」と言われて傷ついてから食堂に行けなくなったメンタル豆腐の女。いわゆるワーママ。できるかも分からない二人目不妊治療中

宝塚ファンになり「この人好きかも?」と思いつつも


トップになったら「あれぇ??なんか違う」ってなって


最後までそれが解消されなかった人というのが一定数存在するのですが


相手役や演目によることも多いと思うんですよ。


それが私にとって

柚香光と月城かなと になりそうな。


と思ってね。


で、ファンも熱烈なので花組と月組のチケットは少なめに。。。


でも、なんとか花組を見に行く機会をいただけまして。


見た結果。


おお。

私の見たかったカレー、これじゃなかったなぁ、、、、

(遠い目)



95期ってなんか若手の時に結構みんな「うわぁ!」ってなって熱狂的なファンを生んだと思うし、宝塚ファンの拡大にも貢献してると思うんだけど、


おかげでその後の人たちが次々にやめてって、

焼け野原になっちゃった感じもあり

最近は「まあ、劇団が推してたから仕方ないけどさあ」という気も拭えなくて

スカステ番組見ても「楽しいけど」と複雑な気持ちなんだよね。。。

べつに本人たちが悪いわけじゃないし

実力が劣っていたとも思わないし、

辞めてった人がトップになれたとは限らないのも分かってるんだけど。

そこまでして選んだトップなんだからもっと大事にしてほしいなって。

私は思ってしまいますのです。





なんかこうトップになってからぐっとくる作品にめぐまれない感じが全体的にね。(人気すぎて見れなかった)というか。

コロナってこともあるんだろうけども。


そういう意味では

礼真琴 もそれに該当してしまってたのですが、

私的にジャンプ的ヒーローの「RRR」はまさにはまり役だったし

サイッコーだったので!

「これこれこれこれ!

 見たかったのこれ!!」

ってなってやっと除外されたかな。


そういう意味では

カレーとれいこさんは

そういうのがあんまりなくて。


いや。

カレーは初演のはいからさんの「少尉」が異次元によくってさぁ!!!

見て欲しい。

あんなダサい軍服をかっこよく着こなせる人がいない。


そして今回もそれを超えなかった笑い泣き


小池センセのあてがきは素晴らしかったんだけどね。さすが座付きとも思ったよ。


でもね、ワタシ的にはカレーはショースターっていうよりは少女漫画の王子様の印象なので

やっぱ、ラスト一本モノなら

もう少し王子様で良かったような。

レビューシーンはかっこよかったけど。

ってかラストシーンはもう一度レビューシーン見せてよぉ!

となりましてん。


カレー、もう一作品どうですか??

と言いたくなります。



さて、れいこさん

ワタシ的に、相手役がどうも萌えないのですが、

とはいえ他の相手役の時に萌えたかと言われるとなんとも言えず。


来月なんとかゲットしたチケットで

「こんなれいこさんが見たかった」ってなるのかなぁ。

なるといいなぁ

と心底期待しています。


カレーはキレッキレの単独ダンス踊ってるときと、

まどかちゃんをぶんまわすぞーーっと気合入れてリフトに向かってるとこが好きです。


チケットとれて本当にありがとうございました!

なんだかんだいってもラストを見れてよかった!!





育休あけから5年半

後輩にビビって昼ご飯さえ食べれず

仕事が激務過ぎて死にそうだったり

コロナで繁忙期が延々と続いたり

適応障害になったり

後輩に無視されたり

仕事干されて閑職になったり


色々なことがあったけど、

やっとこの職場から卒業ですえーん


一言で言うなら

やっぱ。


「辛かった」


この感情を認めたらもうそれ以上出来ないかもって思ったから認めなかったけど

ほんっとーーーーに辛かった。


どこにも吐き出せない本音を

誰に見られてるかわからないブログに書くほどには

辛かった。



そして、部署異動時に

「いかないでほしい」とか

「さみしいです」とか

「明日からどうしよう」とか。

去ることを惜しむ言葉を思ったよりも多くの方からいただいて、

たとえ建前でもお決まりの定型句でも

「まあそれを言ってもらえる程度には頑張ったよな」と。


自分的にそこそこの充実感も味わえた。


思えば適応障害で休んだ時に「異動」はもちろん望めばできたと思うけど

あそこで戻りたいと思って、もう一度戻ってきて、きっちり送別されてよかったと思う。

自分の人生にとって。


会社には迷惑だっただろうとは思うけども。


新しい部署に行くまで2日しかないので通勤時間も増えるし、ゆっくり休みたいと思いますニコニコ



咲ちゃんの「ALL BY MYSELF」

チケットもないのに

大阪に突っ込んできました。


結果


見れました!!!


なんていうか、人生が大きく動いているときにこのショーがあったと

いつか思い出すんだろうなぁ。


サヨナラとはなぜこうも発光して輝きが増すのでしょうか。

尊かったです。

とても。


何度見ても尊い「海の見える街」もそうだし

はっちゃけてるラテンとか和物シーンもそうだし。

本当にもう一度見られて良かったー。

本人もあんなに踊り狂ってて楽しそうだし、挨拶すらも楽しそうにしてました。

いやぁ、本当に好きなものは自分を楽しくさせてくれます。

どんなに辛くても耐えられそう。




で、大阪に行くにあたり、公演見れない可能性が高かったのもあり、

GWにどこも行く予定がなかった事もあって急遽、家族旅行になりました。

急ごしらえだったけれど、

海遊館あたりで過ごしたのですが

うちの子は水族館でほぼ1日過ごせるぐらいゆっくり鑑賞派なので、色々見れて楽しかったー。

周りからは韓国語しか聞こえてこないし常識も通じないので

「もしやここは外国なのかも?」と感じるちょい外国旅行気分でした。


観光に従事する方々が、

常識の通じない方に一生懸命話しかけたり、ルールを守らせたり、カタコトで応対したりの、必死に努力する姿をみるにつけ、

まだまだ色々足りてないなと、ハッとさせられることも多くて


国内であっても旅行することは気づきがあって大事だなぁと思いました。



な、な、長かった、、、


発表までクソ長かった。

半年近くドキドキしてたよ。


で。

やっと教えてもらった異動先。

今の通勤路線の沿線で今の職場の3駅先。

今まで通勤25分位なのが

40分位になりそう。


え、近いな!!


というのが第一印象。


でもって、体調不安をかかえているので本部系の休みやすい部署なのかと思ったら


フツーに忙しそうな、

(今とそう変わらない)

フツーの部署に異動。


先方は「たくさん仕事してもらお」と意気込んでいるらしい。


詰んだ笑い泣き


半年間なんの仕事もしてなかったけど大丈夫なのか??


とりあえず、通勤は時間的な苦労をせずに済みそうなのでそこは一安心だけども。


すこし生活を変えないとなぁ。


でもものすごく変えなきゃいけないわけじゃないので楽な気持ちになった。

あとは仕事内容か。


辞めてもいい。

そう思ってやろう。

今は他に大事なものがたくさんある。



色々起こりすぎて、もう会社を辞めるしかないのかな、なんて思いながら出社。


とりあえず異動の発令が今日出るはずだから辞めるかはとりあえずそれから。とギリギリの気持ちでいた。


ら。


4月にさんざん問題起こしてた

病んだ後輩が

完全に会社を休むことになってた。


私を無視してきた去年の8月あたりから、

病んでるのか疑惑状態で

私を排除したあとの半年でより悪くなっていった。

彼女が私のことを嫌だっていうから

彼女と一緒にやってた仕事のすべて手放したのに、悪化するってなんだよって思ったし、

一人でできるわけないよと思っていたのでざまあねえなぁ、というのが本音だった。



最後は、自滅に近い形で事件をおこしまくっていたので、可愛そすぎたけど、同情はしなかった。

だって彼女が「ワタシにはできる、助けはいらない」と言いまわってしまったわけだから。

さらに少しでも手伝おうとすると「私が仕事をできないって悪口言ってる」と周りを攻撃し始めてしまったから。


もっとはやく誰か止めてやれよって思っていたけど、

私はどうせこの部からいなくなるので

何も言わず静観し続けていた。


無策の上司たちによって病みが深くなったと言っても過言でない状態で

正直彼女に振り回された人たちの怒りは上司に向かっている。


そんな無策の上司たちは、彼女がいなくなっても無策だった。

彼女が持っていた仕事を把握していない。

そして、それをどう振り分けるかも考えているだけで、誰も決められない。

だが事務員の仕事は絶え間なくある。

待ってはくれない。

彼女が抱え込んだ分、反動は大きい。


煮えきらない上司たちに

急に腹が立ってきて、

彼女の仕事だった分の振り分けをするようになぜか私が上司に迫った。

しかも、なぜか私が持ってる半年前の情報ですら上司が知らないことばかりで

なんでそんなに把握してるのかと驚かれる始末だった。

更に腹が立って、久々にかなり強引な手に出て、無理やり決めさせた。

有無を言わさぬ態度で。


いなくなるのにでしゃばってしまった。


それをやりながら

「あぁ、私の手法はこうだったな。

仕事の振り分けや分担を強引にでもやりやすいように決めて、全体を見まわして仕事を割り振っていく。そんなめんどくさいことをこの部に来て散々やらされて疲弊したな。」

と思い出した。


そして、思った。


私は、この半年間

アイデンティティともいえる仕事そのものを奪われ、

仕事のやり方、手法すらも使う気力を失っていたんだなと。


それがなんのためかといえば。

不妊治療のためであり

でも、病んだ彼女のためでもあった。

なのに

結局何もかも悪くなって、

私が病んだときよりもずっと悪くなるって


なんてバカバカしい話だろ。

何したって駄目になるなら、私が我慢する必要なかったよね??


どうせ駄目になるなら、アホみたいに「静観」なんて言わずに、

自分が納得するようにやればよかった。


ま、異動だから心機一転しかないなと思って発令待ってたら。


今日も発令なし。

いいかげんにしろよプンプン

さっさと発表しろ、めんどくせえな!!!


と、今日は朝と夕方でむちゃくちゃアップダウンの激しい1日だったなぁ。


おかげで辞める気持ちが薄れて

「このクソがっ!!」

って思ってまだしがみつけそうです。

心の回復力を信じて


と言われたけれど、

回復のためには時間がかかる

そのためにたくさんの時間をさいたけれど


次から次へと耐えられないことが増える。

昨日もまた、家族に問題が大きく表面化した。

なぜもっと早く、なぜもっと強く言っておかなかったのか。

そばにいるのに何もできない。

もう耐えられない。

なにか自分の芯が心が溶けていくような

そんな気持ちになった。



逃げ回ったのに

全然逃げられないことばかり。


今年は大殺界らしいけど、

ここまでくると

サンドバックのように

もう打たれるままに打たれて

くったくたになるまで打たれ続けて


回復は二の次なのかもしれない


泣いても泣いても全然心が落ち着かない

考えすぎないようにしているのに

思考が止まらない。


病んだとき、「なんでもいいから誰か助けてくれよ」と思っていた。


今、まさにそんな気分で。


でも助けてくれる人なんかはいないことはもう分かっている。


立ち上がれないなら寝そべっちゃえばいい。

そう思うけど、

家族の前ではそうもいかなくて


もう明日のことはどうでもいいし

会社もやめちゃって、

なにもしないで過ごしたいと思う。


逃げても何も変わらないけど

猛ダッシュで逃げてしまいたい。

自分の人生から。

自分が流産したことを

というより妊娠した幸福だった時間のことを思い出すのが辛くて

この2週間逃げ回った。


まだ心の整理はつかず

でも、

大好きな人のリサイタルや

遠ざかったけど好きだった人のお察し訃報や

会社では、私を嫌った後輩が自滅して毎日のように騒動を起こしたり

子供が特性のある子に実は毎日のように他害に合ってたなど

とにもかくにも色々なことが起こりすぎて

考える間もなく過ごした。


春でよかった。

環境の変化が多い。

辛いことから逃げ回れる。



そして、手術後の検査のためようやく今日リプロに行った。

流産の際の遺伝子検査の結果が出ていた。


xx 21トリソミー


この結果になんか驚いた。


まず1つ目。

4AAでの染色体異常。

んでもって21トリソミー。


40代では可能性の高くなる、いわゆるダウン症の子供。

もし、もう少し育ったとしても私はこの子を産んで育てる覚悟はできなかった。



もうひとつは

xx

女の子。


体外受精も顕微授精も男の子が多いイメージだったけど、女の子もいるんだなぁ。

と。


そのとき、ダウン症の女の子を抱いている姿が浮かんだ。


不思議となんか、ストンといろんなものがあるべきところにおさまった気がした。


私が決断することをこの子は知っていたのか。それで生まれないと決めたのか。

遺伝子異常は、生物の摂理とはいえ、

そこに何かしら理由をつけたくなってしまうのは人間のさがだと思って許して欲しい。


それと同時に

私、あと何度、

これを経験することになるんだろうか。

とも。



胎児に「ストロング」と呼びかけていた。

第一子は寝ている間、私のお腹をさんざん蹴ってくるのだが、それでも元気に育ってくれたからだ。

でも染色体異常もあったのに9wまで育ったと言うなら、本当に「ストロング」な子供だったのだと思う。



喜びと悲しみが入り混じるこの瞬間をあと何度味わえばいいのだろう。

その感情はたとえ成功しようと失敗しようと報われることはなく、人生の一部として存在し続けると、もう知ってしまった。


私は妊娠できて幸せだった。

それなのにいまはそれが辛さとなって押し寄せてくる。

幸福だったことが恨めしいときもある。


もう一度この手に赤ちゃんを抱きたい

私には過ぎた願いだと思う。

続けるしかない。


でも今は。

苦しくて辛い自分のためではなく、

生まれなかったこのコのために泣こう。

やっとそれができる気がする




先日、同級生と久々にごはんを食べた。


その時に

「会社で、セクハラとパワハラがあって初めて相談を受けて」

という話になった。


アラフォーである。


「え?初めて??は??そんなの20代で一通り経験したけどな」

と思ってしまい、大変な話だろうのに、

「なんか今更だな」と感じてしまい、

多分そこまで親身になれなかったのではと後悔している。



私の会社は

セクハラとパワハラのことを直接口に出しづらい時、

セ・リーグとパ・リーグなぞらえて「あの人セパ両軍」などとふざけるくらい不謹慎なのだが

逆に言えば、そのくらい日常茶飯事だ。

疑わしい人も多い。


私もどちらの相談も最初は20代前半には受けてはじめた。

結果、言い出せずにセ、パ、両方とも基本的に「辞める」子が多かった。

会社がヤバいと思ったか通報窓口作ったけど、解決部隊が現場なので機能してなかった。そして、通報者はもれなく飛ばされる。

業務命令は高圧的な態度をとってするものだとなぜかみんなが信じてた時代

男尊女卑は当たり前でコーヒーは女子が入れたほうが美味しいと信じてた時代だと

私は勝手に思ってるので

もう境目が私自身もわからなかった。



30代になり、セパともに戦う子が現れ、通報者もたまに守られるようになった。

退職者が増えすぎて耐えられなくなっただけだと思うけど。

ちなみに、相談相手認定されて巻き込まれまくった。それが当たり前だと思ってた。

まあでも、セパ両軍ともにやったほうは不死鳥のように復活する。

恐ろしい会社だ。


同級生の話を聞いて思った。

そうか、普通はそんなこと体験せずに40代にたどり着けるんだと。


職場、過酷すぎたんだな。




子供の話ですので、

読みたくない方はバックしてください




うちのコは他害にあっても

「自分が何かをしたのが悪かったから」

という理由のもと

「悪いことをしたことを言いたくない」

という理由のもと


怒った相手にいきなり首を絞められても

半月以上も黙っているような子です。


ちなみに、本人が思う悪いこと、は正直大したことではない。

ってかその程度で怒りを我慢できないのは子供ゆえ、という程度の話です。


自責思考が強いのは

私に似たので仕方ないとしても


たとえ自分のせいだったとしても

暴力を、受けていい理由にはならない。

罵られたら、口で言い返せば言えばいいことです。


ということを何度伝えてもわかってくれません。


誰かが自分の言葉で怒ったとして、

そこで暴力をふるわれるのは自分が悪い。

それってDVの被害者と同じじゃないですか??



言葉の暴力はそれはそれで謝るとしても

それと実際に手を出されることは違います。

ちなみに今回はただ見つめてたら暴力をふるわれたそうです。


でも自分が悪いと言って理由を言わなかったそうな。



どうやって

あなたが悪いのではないと

つたえればわかってもらえるのか。


悪いから傷つけられるのではないとわかってもらえるのか。


私にはもう分からない、、、


どうすればいいんでしょう。







自分の心の状態がわからなかったので、

リプロでやっている心理カウンセリングをうけてみました。


会社で受けるとどうしても仕事よりになってしまい、

仕事は、仕事で今かなりヤバい状態になっているので、

今回は純粋に、不妊治療だけにスポットを当てたくてリプロでお願いしました。

あと会社だと「心理的な課題を克服する」というのを目的としていて、私には今それ考えるのが無理だったのもあり。




やっぱり、話しているうちに自分の気持ちがかなり整理されて。


特に今、私は流産についてなんの感情も表出しなくて。

でもだれからも触れられたくない状態で

なんならなかったことにしてもいいくらいで。

自分自身はまだ「呆然としてて何も考えたくない」っていう状態なんだというのがわかりました。


だからこそ、会社で起きてる問題に心を寄せて気を紛らわせているのかなと。

よくよく分析すると会社の問題は私にはぶっちゃけどうでもいい、と割り切れることでもあるなぁ。と。


リプロに転院するのを決めてから、

私は自分の心をたくさん偽ってきていて、

頭の中ではわかっているのに

どうしても、心が追いつかず苦しいことがたくさんあります。


そして、今回の流産で、

頭では、生物学的な年齢的な確率論からすれば仕方ないとわかっているのに

心がそうは感じていないという

頭と心がどんどんどんどん離れていく状態がよりひどくなっています。


心と頭が同じ方向に向かう日は来るんだろうか。

それとも、このまま離れている状態のまま続くんだろうか。


そんな、話をしました。


先生と話していて、自分が、とても焦っているような気がしてきて、

さらに、焦っているのはなんでなのかなって思った時にふいに自分から信じられない言葉が出てきて。

それが

「諦めたくない」

でした。


なんか、色々なことを諦めることが増えて、

でも、それは折り合いをつけるために仕方ないと

そうやって、ずーーーっと心を偽ってきたんだと分かりました。


本当は何一つ諦めたくなかったんだと


私。もっと悟りを開いた人生だと、達観してると思ってたけど、

まだまだ、そんな気持ちあったんだなぁと。

やっと自分の本当の気持ちを表出することができました。


とはいえすぐ気持ちが上向くわけでもないですけどね。


人間の心には回復力があります。

1ヶ月すぎてもそのままなら、心配ですけどね。

と言われ、


もう少し自分を信じてもいいかなと思いました。


体も真新しい傷には触ってはいけないと言いますので、

私もカサブタになるまではこの傷に触らなくてもいいかなと思えるようになりました。


このことは、今は忘れて、

宝塚を楽しんだり、 

ドラマを見たり

会社の愚痴を聞いたり

そんなことをして、過ごしたいとおもいます。