aloness配信の途中で

来月のMOMEDFESチケットを

速攻買いましたスマホ

 

 

 

なんだかんだ行きたいんだよね爆  笑

 

 

 

少し前まで

行かないつもりだった理由は

最近の記事とか

初投稿付近の記事とかで

ウダウダ書いてます 笑

 

 

前回記事

MOMED嫌いから好きになるまで

 

初投稿記事

わたしのMOMEDライブ。すごくよかったけど…

 

 

 

昨日の配信でも思ったけど

 

フェスとかイベント行きたいけど

ノリについていけるか

ちょっと不安

 

っていう人は一定数いるのね

 

 

 

すごくわかる真顔

わたしもそれに近いタイプだから

 

 

 

でも、今回は

自分なりの楽しみ方はできるはずだ

って思えたので

わたしなりの

MOMEDフェスへの向き合い方を

書いてみます

 

 

誰かの参考になりますように

 

 

 

 

 

配信を聞いている人は

基本HAPPYちゃん好きだし

特にコメント書く人は肯定派が

ほとんどなので

 

 

 

無条件にワクワクしている人の

コメントを見ると

 

 

 

気遅れしちゃうわたしがおかしいのかな

 

 

と、思うときがある

 

 

 

でもそんなことないはず

 

 

 

すぐに輪に入れる人

そうじゃない人

いろいろいるもんだよ

 

 

全員が全員、輪の雰囲気に

同調するわけじゃない

 

 

 

そこで

「”スン“してるんじゃないの」

って言われるとイヤーな気分になる

 

(わたしが言われてるんじゃないのにあせる

 

 

 

気後れ=スン

じゃないと思うんですけど

ってね

 

 

 

でも、

そういわれちゃうのも

ある意味では仕方ないよ

とも思う

 

 

 

だって主催のHAPPYちゃんや

ワクワク度の高い人に向かって

 

 

 

不安だけど大丈夫?ぶー

 

 

 

って受け身な態度でいるのは

ちょっとズルい気もするんだよね

 

 

 

「知らなくても大丈夫ですか」

とか軽いタッチのはいいと思うんだけど

不安をぶつけるのはちょっとね、

 

 

 

HAPPYちゃんは

プロデューサー兼演者として

みんなが楽しめるように

出来る限りのことをしてくれてる

 

 

 

その立場で

初心者じゃなくても大丈夫だよ

とは言ってくれてるけど

前知識ゼロで行って、

どこまで楽しめるかはやっぱり本人次第

 

 

 

 

それはどんなイベントでも同じこと

 

 

 

これがHAPPYちゃんじゃなく

普通のアーティストだったら

そこまで丸投げしないはず

 

 

 

いくらアーティストが

初心者でも楽しめるステージにします!

と言ってくれたところで

 

 

 

アーティストの曲を全く知らず、

これまでのライブも知らず、

いきなり飛び込んで

楽しめるかなんて分からない

 

 

 

 

そこで不満だったからって

初心者でも楽しるって言ったのに

ウソつきじゃんえー

っていうのは他力本願すぎるもんね

 

 

 

 

なまじ、HAPPYちゃんが

普通のアーティストではなく

意識のことをやってる人で

ひとりひとりを見てくれるからこそ

甘えが出てしまうんじゃないかな

 

 

 

去年のわたしは

多少なりともそれがあった

 

 

去年の自分が間違っていたとは

思わないけど

 

次は同じ轍を踏みたくない

だったら自分の考えを改めるしかない

 

 

 

望む満足度を得たいなら

自らコミットするしかない

 

 

 

ここでもHAPPY理論

 


 

 

で、今年は楽しめるだろう

って思ってる理由は3つ

 

 

 

①内容がより初心者向きになり

②わたし自身MOMEDに馴染んできた

③コミットすると決めた

 

 

 

 

 

 

 

 

①内容が初心者向きに

 

 

 

去年はマニアックだったり

MOMEDファンしか

ついていけない内容もあった

 

 

 

けど今回は年齢層も幅広く

HAPPYちゃん歴、MOMED歴も

色んな人が参加するっぽいので

より受け入れられやすい内容に

してるみたい

 

 

 

 

②MOMEDに馴染んできた

 

 

 

去年の時点では

 

MOMEDって

コンテンポラリーダンス?

無理無理

 

って感じだったのが

今年はようやく真髄を理解し

いまは楽しくやってるので

 

去年より抵抗なく

積極的に楽しめる気がする

 

 

 

 

③コミットする

 

 

 

去年のイベントは

ほぼ準備期間ナシ

だったらしいけど

今年はガッツリ準備してるんだって

 

 

 

練習配信はほぼ見てないんだけど

やたら多いので

ふんわりでも雰囲気はつかめる

 

 

 

だからだと思うんだけど

 

MOMEDで知らないのとか

合唱とか自分のできる範囲で

覚えておこう

 

って自然と思えた

 

 

 

ゼロベースでもいいんだろうけど

予習した方が楽しめるに決まってる

 

 

 

 

そして、アリーナ席は避けた(笑

 

 

わたしは

2階席以上のほうが気が楽だから

”神視点”っていうのを味わうことにします
 

 

 

 

まとめ(笑)

 

 

何はなくとも”コミット”すること

 

 

HAPPYちゃんの言うことだろうが

素敵な人たちの言葉だろうが

 

「知識ゼロで行っても

楽しませてくれるんですよね?」

って受け身の姿勢すぎちゃだめ

 

 

 

なるほど、そういう感じなんですね

って理解したら

 

で、自分はどうしたい?

 

って

いつでも自分の気持ちを最優先に考える

 

 

 

それが

自分の人生に責任を持つ

ってことにもつながると思う

 

 

 

たかがイベント、されどイベント

 

 

 

ひとつひとつを

自分で選んでいかなきゃね

 

 

 

 

 

 

今朝のaloness配信を聞いてると

過去をなんとなく思い出しました

 

 

 

わたしの場合、皮肉なことに

引き寄せとかHAPPY理論なんて

知らない頃の方が

ガンガン叶ってたんだけど

 

 

 

だからといって良かったか?

といわれるとそうでもない真顔

 

 

 

その経験があったから今があるので

塞翁が馬ではあるけれど

正しい望み方ではなかったハートブレイク

 

 

 

そんな経験談と今だから思うことを

書いてみます

 

 

 

①高校受験

 

 

 

わたしは小学生の頃から

高校は地元の最難関校に行く

と自分の中で決まっていた

 

紆余曲折を経て無事合格

 

 

 

 

②大学受験

 

 

 

高校になって成績が落ちたけど

絶対に国立大の理系学部に行く

と決めていた

 

 

なぜか私立は嫌いで

偏差値とか場所にはこだわらず

とにかく国立だったらいい、

みたいな思考

 

文系課目が得意で

理系課目は瀕死だったのに(笑

誰に何と言われようと曲げなかった

 

 

 

そして無事合格

 

 

 

 

③就職

 

 

 

絶対に大手企業、なおかつ

ある特定の部署に行く

(ちょっと難関)

と決めていた

 

周りがどんどん決まっていく中

自分だけ決まらなくても

絶対それ以外受けなかった

 

 

最後は無事採用

 

 

 

 

④結婚

 

 

思うことがあってある年の12月、

絶対に来年結婚する

と決めた

 

片思いの人はいたけど

「その人」と決めてた訳じゃない

 

婚活には嫌悪感があったので

絶対に恋愛結婚

 

 

そしたら片思い相手と

翌年すぐに付き合い始め

年末に結婚

 

 

 

 

以上。

わたしの人生において

この4つが分かりやすく

大きい願望実現でした ウインク

 

 

 

でも4つとも、

ある種の強迫観念とか

偏った思い込みがあった

 

 

 

うちは学歴偏重の家庭

 

物心つく前から

それに支配されて生きてたのね

 

 

だから

親に認めてもらうために

学校も就職も頑張った

 

 

でも、どれだけ頑張っても

認めてもらえず

 

常に精神状態は不安定

夢だった仕事もまったく合わず

ついに心が壊れて結婚に逃げた

 

 

そしたら結婚生活もすぐに破綻

 

 

 

そこでやっと目が覚めたんだ

 

 

 

全部叶ったけどそもそもの理由が

「わたしには力がない」

というところから始まっていて

 

 

 

すべてが承認欲求か現実逃避のため

 

 

 

その数年後に

引き寄せとかHAPPY理論を知った

 

 

 

でも

小さな願望は叶っても

大したことはかなわない 真顔

 

 

 

 

それは理論が

まちがってるからではなく

自分の強い願望がなくなったから

なんだよね

 

 

 

誰かに認めてもらう必要がなくなった

何かから逃げる必要がなくなった

 

 

 

とっても幸せなことなんだけど

退屈になっちゃった

 

 

 

もちろん、

ここからまた望めばいい

ってことは分かる

 

 

でも、望んだところで

どっちでもいいかなー

って思ってしまう

 

 

 

誰かの幸せを望むとか

一緒に楽しみたい

っていうのも分かるけど

それは強い願望までいかない

 

 

 

だからHAPPYちゃんが

たびたび

 

「どうすればいいですか?」

じゃなくて決めるんだよ!

 

って喝を入れる配信があるけど

そもそも、そこまで揺るがない

願望なんて浮かばないんだよ

 

 

 

あるインフルエンサーが

「みんなを幸せにしたい」って

頑張ってるけど

その人は不幸な人がいる前提じゃん?

 

 

そしたら案の定、

不幸体質の人が寄ってきやすいみたい

 

 

 

「みんなで遊びたい!」なら

幸せかもしれないけど

「絶対にみんなと遊ぶぞ!」

って、わたしはなれないんだよね

 

 

 

遊べたら楽しいだろうけど

全員すでに幸せなのだから

どっちでもいいじゃん? って

 

 

不幸な人を助けたい限りは

不幸な人が消えない

 

でもみんな幸せなら

頑張って何か叶えなきゃ

とも思えない

 

という矛盾

 

 

 

だから

こういうHAPPYちゃんの喝を聞くと

 

そりゃHAPPYちゃんだからできるんだよ

 

ってつい思ってしまう

 

 

 

それはHAPPYちゃんが

お金や人脈があるから、ではなく

 

これがいいに違いない!

みんなでやったら幸せになれる!

 

って

強い思いで貫ける性格ってことね

 

 

 

 

無知で単純だった時は

強い望みが出やすい

だから叶いやすい

でも幸せじゃなかった

 

 

 

多くを学んで

この世の法則を理解すると

強い望みがなくなってしまった

幸せだけど退屈…

 

 

 

HAPPYちゃんはそれを知ってもなお

強く望める

それがうらやましい

わたしもそうなりたい

 

 

 

だから今のわたしは

 

「絶対にこれを実現したい!」

っていう望みを沸かせたい!

 

というのが望みです 笑

 

 

 

 

 

 

最近、HAPPYちゃんの配信で

5月ぴあアリーナの話になったときに

 

 

MOMEDが

初めてでも大丈夫ですか?

苦手でも大丈夫ですか?

 

 

みたいなコメントが入ってたみたい

 

 

 

そういう人は

ちょうど1年くらい前の

わたしみたいな感じかもしれない

 

 

 

わたしは、

MOMEDを一度大嫌いになり

時間をかけて今は好きになったので

経緯について書いてみようと思います

 

 

 

キラキラ

 

 

 

 

MOMEDが誕生したとき、

HAPPYちゃんの配信を聞いてたので

存在は知ってたけど

まったく興味がなくて

 

 

ダンス好きみたいだし

エンタメの一環なんだろう

 

 

くらいに思ってた

 

 

 

そしたら昨年のぴあアリーナが

MOMEDライブだと聞いて

どうしようか迷ったとき

HAPPYちゃんが

 

 

MOMED知らなくても大丈夫!

 

 

って言ってたので

 

ど真ん中のVIP席を取ってみたら

玉砕したんだよね

 

 

 

全然大丈夫じゃなかったもんハートブレイク

 

 

 

詳しくはこのブログの初投稿辺りの記事に書いてます

 

 

 

VIP席取る!って決めたとき

最高にワクワクしたので

後悔はしてないし

 

トータルで見るとイベント自体は

行ってよかったなと思いつつ

 

 

MOMEDだけはマジで無理!

って完全拒否

 

 

 

それから半年~

 

 

 

HAPPYちゃんの配信を聞いてると

たびたびMOMEDの話が出てくる

 

最初はスルーしてたのだけど

時々「へーそうなんだ」と思うことが

たまに起こるようになり、

それが重なっていくにつれ

 

MOMEDって

わたしが思ってたのと違う…?

 

と、ちゃんと話を聞くようになり

 

誤解してたかもしれない

 

となった

 

 

 

タイムリーな言葉を使うと

まさに「言葉の定義」が違ってた

 

 

 

わたしはMOMEDについて

こう思ってた↓

 

 

存在を知った当初は、

 

コンテンポラリーみたいなので

感情込めて集団で踊るもの

 

⇒ダンス興味ないし

集団ダンスとかありえない

好きな人だけ楽しめばいい

 

 

プラス、

ぴあアリーナの苦い経験で

 

熱狂的ファンが陶酔するもの

 

⇒怖い

 

も追加された

 

 

 

でも今は違う

 

 

 

MOMEDとは、

 

自分の感情にアクセスするもの

体感を誘導するためのツール

 

人に見せるものじゃなく

自分ひとりの世界

 

踊る瞑想

 

 

 

「踊る瞑想」についても、

最初は

 

別にダンスじゃなくても

瞑想になれば何でもいいんだろうな

 

 

 

偶然、HAPPYちゃんが

エンタメ方面の人だから

ダンスになっただけで、

 

絵描きなら絵になってて

音楽なら音楽になってたんだろう

 

 

 

ダンス合わない人は

いくらHAPPYちゃんが勧めても

厳しいよね

 

って思ってた

 

 

 

でもそれも違った

 

 

 

たくさんあるツールの中で

ダンスが一番いいんだ

 

 

「ダンス」っていう言葉もまた

集合意識が持つ言葉の定義がある

 

 

どうしても

 

ダンスとは、人に見せるもの

 

みたいなイメージわきません?

 

 

 

わたしはそう思ってた

 

 

 

でも

必ずしも人に見せる必要はなく

要は”身体を動かすこと”

 

 

 

知ってる言葉でいうと、

「舞踊」「舞踏」「身体表現」とか

言い換えてもいいかもしれない

 

 

 

実際、HAPPYちゃんも

MOMEDはダンスじゃないから

フリを覚えることを

「振り入れ」ではなく「ムーブ」

といっている

 

 

 

「MOMED苦手」っていう人は

人に見られる前提という

先入観があるのかもしれない

 

 

 

本来なら

身体を動かすのが苦手な人なんて

いないはず

 

(ケガとか病気以外で)

 

 

 

だって生きていたら

身体は動かすものだから

 

 

 

ちなみにわたしは

「歌」っていうのも

人が言葉を発している時点で

音楽や歌だと思っている

 

 

 

わたしの定義は

 

 

おしゃべりは”歌”

行動は”ダンス”

 

 

 

 

 

独り言も歌だし

寝てるところから立ち上がるのもダンス

 

 

 

「ダンス嫌い」という人は

 

”ダンス”という言葉の定義に

独自の視点が入ってるかもしれない

 

 

 

ちなみにわたしは

マスゲームみたいなのは嫌い

 

見るのはいいけど参加するのはイヤ

 

 

 

ただ、”集団行動”という

概念を取っ払ったら誰よりも

自己陶酔する自信がある

 

ある意味で一番キモイ

 

 

 

わたしにとって

 

全力の自己表現というのは

必ずしも

他人に見せるものではない

 

ということ

 

 

 

だからMOMEDに抵抗なくなった今、

部屋でひとり踊り狂ってる 笑

 

 

 

人がいたら絶対やらないよ

恥ずかしくて〇ぬって無気力

 

 

 

でも、めいっぱい感じるほど

MOMEDの意味があるので

わたしはこれでいい

 

 

 

だからMOMED苦手な人ほど

MOMEDで開花する伸びしろも

大きいかもしれない

 

 

 

 

 

ちなみに、

1か月前までは

 

もう二度と

ぴあアリーナなんて行かねえ真顔

 

MOMEDは好きになったとはいえ

去年の雰囲気なら嫌

 

配信で十分!

 

って思ってたんだけど

気が変りました 笑

 

 

 

内容がどんどん明らかになって

途中で変ったりもして

「やっぱ行きたい!」と素直に思えた

 

 

 

(一秒受容✨)

 

 

 

実は

合唱も大大大っ嫌いなんだけど 笑

(学生時代は地獄だった…)

HAPPYちゃんのは

わたしの嫌いなヤツとは違うって信じてる

 

 

 

今回の合唱は

 

人に聞かせるためのものじゃなく

自分に聞かせるためのもの

 

 

 

声は周波数

それを重ねることで生まれるものを

身体に響かせる

 

 

ということを目的にして行きます

 

 

 

 

ただ、

アリーナは無理なので

2階席以上にすると思うウインク 笑

 

 

 

 

わたしと似たタイプで

初参戦の人がいたとしたら

「MOMED知らなくても大丈夫」

「MOMED苦手とか関係ない」

と言われたとしても

自分の感覚を大事に席選びしましょう☆