Wed 230809 アエラ「中学入試国語が長すぎる」のこと/出題意図を公表すべきだ 4421回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 230809 アエラ「中学入試国語が長すぎる」のこと/出題意図を公表すべきだ 4421回

 まあ諸君、1本の雑誌記事にそんなに呆れなくてもよさそうなものだが、さすがに朝日新聞系「AERA」だ、知らんぷりをしているわけにもいかないじゃないか。

 

「朝日新聞1面のコラムを無条件&無批判にとにかく書き写しましょう、国語力を身につける1番の方法です」、そう豪語して「天声人語・書き写しノート」を販売し、確かもう10年にも15年にもなるんじゃないか。

 

 調べてみたら「英訳版」まで出している。こりゃワタクシも黙っているわけにはいかない。他人の意見を無条件&無批判に書き写すだなんて、一人一人の大切な個性を踏みにじる行為以外の何モノでもない。

 

 例えばここに画家を志望する青年がいるとする、「そうか君は画家志望か、ならば毎日、セザンヌの模写をしなさい」「ならば毎日、葛飾北斎の模写をしなさい」「ならば毎日、クラナッハの模写をしなさい」、その種の指導をする先生がいたら、ワタクシには先生失格としか思えない。しかもこの場合、書き写す文章の著者はそのレベルの天才とはまるで違う市井の人である。

(7月18日、京都では祇園祭「後祭」の山鉾建てが始まった。なお、本日の写真は本文とは全くカンケーありません 1)

 

 しかし諸君、高校野球の監督なんかにも、野球部員全員に「天声人語の書き写し」を毎日させていらっしゃるオカタが存在するんだそうな。「朝日新聞デジタル」にデカデカと出ていたんだから、間違いなく朝日新聞の記者が取材して、その原稿を上司がOKして、世の中に紹介されてしまった。

 

 チーム名も記事の中で思い切り明らかになっていて、見れば諸君、誰もが認める甲子園の常連であり、出ればベスト8やベスト4すら珍しくない超名門だ。いやはや、そりゃ宣伝効果抜群、「それなら我々も」と考える高校生は少なくないだろう。

 

 入試制度を批判ばかりして、「だからダメなんだ」「だからダメなんだ」と飽きもせず繰り返すくせに、「大学入試の国語で一番出題されている新聞です」と胸を張る。だから天声人語を読め、だから天声人語を書き写せ、だから朝日新聞を購読しなさい、そういう論旨である。

(7月18日、京都では祇園祭「後祭」の山鉾建てが始まった。なお、本日の写真は本文とは全くカンケーありません 2)

 

 そういう新聞社系のAERAが、今度は中学入試国語に噛みついた。「文章が長すぎる」「長すぎて読めるわけがない」「だって問題文がB4版で5ページもあるんです」。出題文が長すぎるから、許しがたいテクニックを教える塾が現れ、結果として「飛ばし読み」が横行し、誤読がどんどん増えている、ライターさんはそう熱弁していらっしゃる。

 

 しかしワタクシなんかは、「それならまず、大学入試の共通テストに噛みつく方が先なんじゃないですか」という意見なのだ。

 

 マスメディアのご意見に従って、センター試験が共通テストに代わって3年。本来は「テクニックの通じない良問ぞろい」「暗記より論理的思考力を問う良問がズラリ」のはずだったし、試行試験を受けてみた高校生の意見としても「テクニック、通じない」のはずだったが、現状は果たしてどうか。

 

 テクニック云々、共通テスト云々の話については、ワタクシがむかし書いた記事がいろいろあるから、後でぜひ参照していただきたい。

Thu 180104 「テクニック、通じない」のこと/寒波の函館で寿司屋/飯寿司のこと

Wed 180110 「受験テクニック」って、具体的に何のことですか?/西宮の大盛況

Thu 210204 しょんぼりショゲてました/テクニックの巣窟?/カウントダウン6/3994回

Tue 210302 こんな試験じゃ、冷めたカップ麺の早食い競争だ/カウントダウン2/3998回

 

(上2枚の鉾立ては「大船鉾」。由来は写真を拡大して読んでくんろ)

 

 記者さんやライターさんが入試批判を展開しようとすると、必ずと言っていいほど「受験テクニック」という言葉を持ち出し、ありもしない「テクニック」が横行しているからダメなのだ、とのご意見を開陳、「テクニックの通用しない出題が求められています」ということになって、その結果が今の共通テストなのだ。

 

 ワタクシなんかは、17歳&18歳の青年諸君が全身全霊をかけて取り組むような文章を出題してほしいと、心の底から思うのだ。例えば京都大学の2023年第1問は、そう言えるレベルに達していたと信じる。

 

 同じ京都大学の2022年第1問、2021年の第1問も、「もし飛ばし読みをすれば、予備校講師でさえ読み間違える」という秀逸な文章だった。京都大学を受験するレベルには届かない学力の受験生たちのためにも、ワタクシはこの3問を自らのテキストや参考書に掲載しようと考えている。

(7月18日、京都では祇園祭「後祭」の山鉾建てが始まった。なお、本日の写真は本文とは全くカンケーありません 3)

 

 それに比較して、共通テストに出題された英文の何と薄っぺらいことか。「家電を買いに行くのに、どの店がお得か」「18時半にホテルに帰るのに、どの電車に乗ればいいか」「水族館に行きたいが、一番空いている時間はどの時間帯か」。

 

 こんな内容の英文を、「共通テスト対策」と称して、18歳の青年諸君が夏休みも冬休みも、予備校の教室で歯を食いしばって読むのである。「急げ」「急げ」「時間との勝負なんだ」「速読だ」「必要とされている情報だけを素早くつかみとるんだ」。そのくせ「素早くつかみとる」というその方法はなかなか教えてもらえない。

 

 叱咤激励というより、ほぼ罵声に近いそういう声を浴びせられながら、常にカッカし、常にイライラしながら、中身の薄い長文と取り組まなければならない。センター試験の時代からさらにまた一歩「カッカ」「イライラ」がつのって、もう生徒が可哀想で見ていられない。

  (祇園祭「北観音山」のそばに、こんな旧跡があった)

 

 模擬試験を作る側も必死であって、あれほどの分量の長文を、次から次へと発見しなければならない。というか、難易度が高すぎてはダメ、中身が濃密すぎてもダメなので、オトナ向けの雑誌や書物からは文章を選択できない。コドモ向けでは困るが、オトナ向けも使えないのだ。

 

 すると当然のように「ナマナリAIどんに頼りますかね」と話が進むだろう。素材となる文章も、選択肢の数々も、1ヶ月に1回の模擬試験に間に合わせるには、「人間ではもう無理、いよいよナマナリAIどんの出番ですよ」ということになる。

 

 こういうふうで、中身のない英文がナンボでもワラワラ、ナマナリAIどんのお口から大量に生産される。屈辱的な事態がすぐそこに迫っている。

 

 17歳18歳の青年たちには、他に読ませたい重厚で濃厚濃密な文章や書物がいくらでもあるのに、彼ら彼女らには「そんなのジックリ時間かけて読んでるヒマはありません」だから、AIが大量生産した文章相手に大切な青年期が浪費されてしまう。「君たちはどう生きるか」も何もあったものではないのだ。

(四条烏丸「ベンジャミン・ステーキハウス」でヒレステーキをいただく。オイシューございました)

 

 ついでに、AERAのライターさんには、「算数とのバランス」なんかも考えて書いてほしかった。中学受験の算数は、強烈である。「10年前の超難問が、今や『解けなきゃ落ちる』レベル」なのである。

 

 50年も昔なら「植木算」「つるかめ算」「旅人算」「はじき」で十分、30年前でも少し複雑な「ニュートン算」に悩まされた程度。しかし今や、そのぐらいで「裏ワザ」とか「テクニック」とか、そんな言葉で表現したら、小学4年生にも笑われる。

 

 国語もおんなじことなのだ。ライターさんは「ごんぎつね」を例に挙げていらっしゃるが、今やそんなホノボノとした童話なんかを例に出して論じていたんでは、あまりに現状と乖離する。

 

 すると算数とのバランス上、国語の素材文もオトナびていくのは当然だ。ライターさんは具体例として(確か開成中だったか?)「隈研吾のエッセイが出た」とおっしゃるが、そのぐらい、算数の難易度とのバランスにおいて、別に何の不思議もない。

 

 もちろんワタクシなら、「隈研吾のエッセイ」は出題しない。彼は文章を書くのが本業ではない。あくまで建築家だ。

 

 国語の問題を作るなら、文章を書くのを本職として選び、しかも世の中の評価が定まった著者の作品を選択するのが常道だと思うが、その辺は出題者とワタクシの考え方の違い。何しろ今や「駐輪場の賃貸借契約書」が出題されるのが大学入試国語の現状なんだから、中学入試で隈研吾が出ても致し方ない。

      (京都「長楽館」を訪問する 1)

 

 しかしその隈研吾やら何やらを読むのに、「飛ばし読みが横行」「傍線部だけ読むテクニックが横行」「そのために誤読が多くなっている」とライターさんはおっしゃるのであるが、いやいや、全文きちんと真面目に読んだって、誤読はナンボでも発生する。

 

 しかも「誤読しない問題文の読み方」として、ライターさんがわざわざカラフルな囲み記事にまでして紹介なさっている方法が、いやはや&いやはや、まあ以下のようなものだ。

 

1 まず最終段落をチェックし、筆者の意見を見つけましょう。

2 筆者の意見は、『〜すべきだ』『〜する必要がある』などで表現されます。

3 筆者が何をプラスと考えているか、確認してから読み始めましょう。

4 主語と述語を意識するといいです。

5 接続語に注意。『だから』は因果関係を示します。『つまり』は A=B。『例えば』なら、BがAの具体例。そういうことを意識しましょう。

 

 おお諸君、思わず天を仰ぎますな。塾や予備校が高いオカネをいただいて、このレベルのことを教えているのではないことだけは、諸君、分かってくれたまえ。

      (京都「長楽館」を訪問する 2)

 

 こうして長々書いたあとで、ライターさんの結論は「時間内に読み切れる、もっと短い文章を出題すべきなんじゃないでしょうか」。おお、「天声人語」でも出題しろってか? それとも試験の現場で「これはあの素晴らしい『天声人語』です。書き写してごらんなさい」と「出題」してみますか?

 

 ワタクシは諸君、やっぱり京都大英語の出題がお手本だと思うのだ。国語でも、英語でも、ホントに中身の濃密な、1ページ読めば1ページぶん成長できるような、正確で精密で栄養豊富な文章を精選して出題していただきたい。

 

 そういう文章を、決して「結論部から読みましょう」「結論は文章の最後のほうに書いてあります」「筆者の意見は『べきだ』『必要がある』と表現されます」みたいなツマランことを言わずに、1行1行しっかり吟味して読ませてあげたいのだ。

 

 精選に精選を重ねれば、出題文は自然に常識的な範囲の長さに縮まってくる。「B4版で5ページ」みたいに長すぎるのは、出題者が精選を怠った証拠なのだと考える。

 

「隈研吾の文章」をなぜ出題したのか。どうしてそれほどの長さにしたのか。出題の意図が何だったのか。ワタクシがライターさんなら、主な中学入試の出題者に必ず「出題の意図」を公表するように求めたい。ライターさんも、次にこの件を取り上げる時には、ぜひ中学側に「出題の意図の明確化」を求めてほしいのだ。

      (京都「長楽館」を訪問する 3)

 

 我々はこの30年あまり、東大や京大に「出題の意図」「採点の基準」を発表してくれるように求めてきた。「我々」とは、ほぼ全ての予備校講師である。

 

 亡くなって25年も経過するが、駿台の伊藤和夫師は、東大に「なぜ毎年のように小説文を出題するのか」を問いかけ、慶応大SFCには「これほどの長文を読みこなし、これほどの難易度の問題に8割正解して入学してくる学生を、指導できる教官が慶應義塾大学にどれほど存在するのか」と雑誌論文に書いた。

 

 及ばずながらワタクシなんかも、大師匠のマネをして、京都大学や名古屋大学の英語入試について「出題意図は?」「採点基準は?」「こなれた日本語とか、美しい日本語とか、そんな主観的な採点基準を実際に採用しているのか?」と、様々な場所で疑念を呈してきた。

 

 もちろん大学側が、ワタクシみたいな予備校講師なんかの書いたことを、マトモに検討してくれたとは思わない。吹けば飛ぶような予備校講師の意見が、そんなにカンタンに通るとは思っていない。

 

 しかしそれでも何らかの形で、この手の要望は関係者の耳に届くのである。2023年現在、京都大学は「出題の意図」を明確に示してくれるようになっている。名古屋大学はもっと早く、もう20年も「出題の意図」を詳細にHPに掲載するようになっている。

 

 もしも「長すぎる」と感じたなら、中学入試の出題者にも「出題の意図は?」「採点基準は?」「なぜ隈研吾?」と、問いかけ続けるほうが先ではないか。そして保護者も受験生も、そういう誠意ある学校を選択すべきである。

 

 どうだい諸君、「天声人語を無批判に書き写せ」みたいな傲慢不遜なことを購読者にオススメになるより、出題者側に出題の意図を尋ね、採点する側に採点基準を求め、そうやって長い時間をかけて世の中を改善しようとすることこそ、マスメディアの生き方ではないんだろうか。

 

1E(Cd) Solti & Chicago:BEETHOVEN/SYMPHONIES 5/6

2E(Cd) Solti & Chicago:BEETHOVEN/SYMPHONIES 6/6

3E(Cd) Barenboim & Chicago:SCHUMANN/4 SYMPHONIEN 1/2

4E(Cd) Barenboim & Chicago:SCHUMANN/4 SYMPHONIEN 2/2

5E(Cd) Barenboim:MENDELSSOHN/LIEDER OHNE WORTE 1/2

total m25 y602  dd28552