Thu 220929 なでしこはまだそこにいた/「国論二分」「電通の演出だ」について 4273回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 220929 なでしこはまだそこにいた/「国論二分」「電通の演出だ」について 4273回

「友人代表として弔辞を読む」などという悲しい重責は、どんなに偉い人でも一生に1回か2回、回ってくるか来ないかである。そもそも「友人が先に死ぬ」ほど悲しいことはないし、どんなに偉くても「故人の最も大切な友人」として認めてもらえることは少ない。

 

 ワタクシは今から40年も昔、まだホンのコドモだった頃の5月下旬、信じがたい友人の急死に直面し、「間違いなくオマエが一番親しい友人だったんだから」と周囲に説得されて、葬儀の前夜、必死で友人代表としての弔辞を書き上げた。

 

 いま思えば、あまりにも恥ずかしい弔辞であって、今からでも押し入れか物置に隠れて「どうかあれはなかったことにしていただけませんか」と、神様&仏様&世間様に祈りたい気分。友人代表の弔辞はあまりにも悲しく難しい。

 

 13年一緒に暮らしたキジトラ猫のなでしこが天国に旅立ったのは、2015年10月20日のことである。10月20日を「なでしこ忌」として、毎年必ずこのブログの中でなでしこの思ひ出を綴ってきた。今年のなでしこ忌は、もう7回目。猫ではあるけれども、区切りの7回忌と言っていい。

 

 7年前のワタクシは、1人ぼっちで残された姉ニャゴロワの純白の背中を撫でながら、なでしこの短かった13年を思って熱い涙が止まらなかった。

 

 猫は友人であるから、人生で2度目の友人代表弔辞を読むつもりで、このブログに「なでしこラストデイズ」を書いた。まああとで、じっくり読んでみてくれたまえ。

 

Sun 150927 なでしこは10月20日、永眠いたしました(なでしこ ラストデイズ 1)

Mon 150928 なでしこの通夜 派手な姉と地味な妹 新刊書(なでしこ ラストデイズ 2)

Tue 150929 お葬式 なでしこ忌 リュックと麦わら帽子(なでしこ ラストデイズ 3)

Wed 150930 号泣 障子に映ったなでしこの影 ノラや(なでしこ ラストデイズ 4)

Thu 151001 もう号泣は終わり 徳島の大盛況 さあ、音読だ(なでしこ ラストデイズ 5)

Fri 151002 花はおそかった 神田神保町・にゃんこ堂のこと(なでしこ ラストデイズ6)

 

(あれから7年、なでしこはまだ書店のセンターで頑張っていた)

 

 スガ元首相の友人代表弔辞があんまり感動的だったので、遅ればせながら武道館の周辺を散策したくなり、快晴に恵まれた9月28日のワタクシは、朝から東京都内の散策に出た。

 

 コースはいつもの通り、まず参宮橋から西新宿に出てロイヤルホストで豪華朝食。目玉焼きとソーセージとベーコン、アボカドを乗せたシュリンプサラダ。大きな山型パンにたっぷりのバターとジャムを塗りまくって貪ってから、一気に水道橋に向かった。

 

 あとは、東京ドーム  →  神保町  →  竹橋  →  皇居東御苑 → 二重橋。気温30℃近い直射日光の中、めげずに東京を西から東に一気に歩き抜いた。諸君、朝食というのは驚くほど燃費がいい。お腹をこわさないぐらいの適量で食べれば、このぐらいの距離は余裕で踏破できるのである。

 

 今井君は育ちがあんまり豊かではないから、高級ホテルの「朝食ビュッフェ」みたいな華やかな世界に闖入すると、たいていロクなことにならない。皿に盛れるだけのベーコンとチーズとハムを欲張り、繰り返し何度でもフルーツを盛りに行って、マンゴーにキウィにパパイヤ、腹がはちきれるほど召し上がる。

 

 するとたちまち天罰がくだって、腹も思い切りくだる。イタリアでもドイツでもポルトガルでも、朝食のせいでいったい何度大ピンチに陥ったことだろう。フェラーラやパルマでのピンチについては、15年経過してもまだ忘れられない。

 

 だから、ロイホみたいにチャンと「これで全部です」と言ってくれるのがマコトにありがたい。「ビュッフェ」「食べ放題」「飲み放題」は危険この上ないので、なでしこが天国に旅立った頃から、ワタクシはビュッフェ形式のメシは全て敬して遠ざけている。

    (ロイヤルホストで、こんな朝食を満喫する)

 

 水道橋から南下して神保町の交差点に出れば、どうしても「姉川書店」が気になる。神保町の古書店街とは道を挟んで斜向かい、小さな目立たない書店だが、猫の本のコレクションで有名。この本屋さんに、10年前からなでしこの写真が飾られている。

 

 書店の人とワタクシは一面識もないから、今も写真を飾ってくれているのは、知人友人としての好意ではない。ただ単に、某単行本の表紙になったなでしこが余りにも可愛らしかったから。なでしこが7年前に死んでしまったことも、どうやら店の人はご存知ない。

 

 なでしこの位置は、本日1枚目の写真の通り、いわゆる「センター」。46人とか48人とかで歌い踊る女子アイドルグループの「センター」であり、東進のポスターなんかでも一番大きく写してもらえる「センター」である。

 

 天国に旅立って7年、姉川書店の「にゃんこコーナー」で、なでしこはまだセンターを任されていた。「オマエ、まだそこで頑張っていたか!?」と慨嘆するのであるが、あくまで内気であくまで大人しく、全てを姉のニャゴロワに譲っていたなでしこは、ちょっと首を傾げて、黙ってこちらを見守るばかりだった。

(神保町交差点北側の「姉川書店」。なでしこは今もここで頑張っている)

 

 さて、新聞各紙によれば「国論を二分した」ということになっている「国葬」も終わって、神保町から竹橋、竹橋から二重橋、あんなに騒然としていた武道館付近は、信じがたいほど穏やかに静まり返っていた。

 

 ワタクシはマコトに優柔不断な人間であるから、葬儀の日は「賛成派」として3時間の献花の列に並ぶこともなく、国会議事堂の前で反対のシュプレヒコールに参加することもせず、ただボンヤリとNHKのテレビ中継を眺めるだけの午後を過ごした。

 

 優柔不断を煮詰めたサトイモの煮っころがしとして言わせてもらえば、賛成派は賛成派で好きなだけ花を捧げ、反対派は反対派で好きなだけ「国葬」反対を叫び、誰も彼も最大限の自由を享受し、誰からも何のイヤがらせも受けない。これほど自由気ままの許される国に生きられて、思わず安堵の溜め息をついた。

(北の丸公園付近、9月28日。すっかり静まり返っていた 1)

 

 これがもし、日本海をまたいで向こう側の国に生まれていたら、今ごろは「反対!!」と呟いただけで、無理やり連行されて戦場に送られる。トラックに積んだミサイルの行列の前で、延々と跳びはねて歓呼の声を上げなきゃいけない。雨傘さして「自由を!!」と叫べば、やっぱりどこか薄暗い場所に連行される。

 

 それに対して日本では、今まさに葬儀の対象になっている故人を「あんなヤツ」と呼び、「安倍」と呼び捨てにし、カタカナ書きの呼び捨てで「アベ」と書いたプラカードを掲げて罵倒を繰り返しても、「下品」とは言われても、叱られることは一切ナシ、スター扱いで報道してもらえる。

 

 新聞各紙みたいに「国論二分」とタイトルをつけて難しい顔をするより、この自由を意地でも守り続けたい。世界の現状を見渡すかぎり、21世紀前半とはまだその程度の時代なのだ。ただその方法は、スピーカーで下品な罵声をあげることではないように感じる。

(北の丸公園付近、9月28日。すっかり静まり返っていた 2)

 

 スガさんの感動的な弔辞の後で、やっぱりツバを吐きかけて全否定することも、笑って許される。「あんなの演出にすぎない」「ゴーストライターだ」「だって、あの『電通』が入ってるんでしょ?」と、翌朝のワイドショーで冷笑してみせても、平気の平左。日本海の向こうなら、しばらく画面が真っ黒になるところだ。

 

 もちろんワタクシも、若干の「演出」を感じはした。しかしあのぐらいなら、演出というより「きちんとマジメに練習を繰り返した」というぐらいであって、そんなに冷たく突き放す類いのイヤらしい演出ではない。だって「友人代表」の弔辞を読む重責を果たすのだ、ちゃんと練習するのは当たり前じゃないか。

 

 なにすろワダグスは、スガさんと同郷の秋田県人だ。スガさんについて「秋田県人らしく、ボキャ貧で口下手」と言われるのを聞くと、しゃべらせれば何でも軽薄に立て板に水の今井君としてはムカつくことこの上ないが、あの口下手のスガさんが、涙をこらえながら練習に励んだ姿を思うと、またまた感涙がこみ上げてくる。

 

 まあワタクシ、どうしても我が同郷人スガ氏の肩を持つのである。我がブログを眺めてみると、ちょうど昨年の今頃「古女房シリーズ」と題して3回、彼の首相時代の苦難の日々を描いている。この3本は、保証付で抜群に面白い。あとでじっくり読んでみてくれたまえ。

 

Wed 210915 お久しぶりです/ダンナと古女房の苦闘/巨刹「習毛寺」と「遠山堂」4096回

Fri 210917 古女房のメンテナンス奮戦記/後藤旅行社の蹉跌/δバチの泥沼へ 4097回

Tue 210921 古女房シリーズ最終回/δバチはリキッドタイプ/乗り切って花道 4098回

 

 (皇居東御苑にて。キンモクセイの香りでいっぱいだった)

 

 ついでに「あの『電通』が入ってるんだから、イヤらしい演出は当然だ」というご意見について、一言申し上げたい。

 

 かつて友人たちも口をアングリさせて二の句もつげないほど素早く、マコトにとっとと電通を辞めてしまった今井君ではあるが、それでもやっぱり古巣は古巣、電通のことを普通の人よりよく分かっているつもりだ。

 

 一瞬で分かるが、あれは電通ではない。弔辞の前半の「いちばん死んではならない人」の一言、まさにヒヤリハットの瞬間だったが、もし電通の演出なら、確実にあの一言は添削の対象とする。

 

 そもそも諸君、電通という会社は、濃厚な演出があまり得意ではないのだ。得意ではないと言うか、むしろ演出がキライなのだ。苦手なものはキライになる。数学ギライ、現代文ギライ、英語ギライ、苦手なものはキライになって当たり前だ。

 

 どれほど電通が演出が苦手か、そんなの東京オリンピック2020の開会式、あの退屈なセレモニーを思い起こせば一目瞭然だ。あれが正式に電通の制作だったとは言わないが、あれからまるまる1年が経過して、今も好き放題に悪口を言い続けている人だって少なくない。

(皇居東御苑、9月28日。気温30℃でも、ほんのり紅葉の気配が漂い始めた)

 

 そこで電通は、むしろ下手な演出をしないのだ。現実を現実のままにさらけだす。自然に素直にありのままを見せることで、広告対象になっている商品の魅力と優秀さを、ストレートに引き出そうとする。

 

 その一番いい例が、かつての東進の大ヒットCMなんじゃないか。今井君が登場するバージョンは、今まで確か5種類があるが、あんなに素直に率直に講師のありのままを見せつけたCMはありえない。

 

 だって少なくとも今井君は、自分が登場するかどうかさえ知らされていなかった。過去に収録した授業をそのまま、2秒半だけ切り取られ、CMの15秒の中にはめ込んでもらっただけである。おお、うれしかった。他のほとんどのセンセの映像も、おそらくみんなおんなじだ。

 

 だから、完全に演出ゼロ。もし演出があって、事前に他人が書いた原稿を渡され、インフォマーシャルみたいな形で作られたCMだったら、決してあんな大ヒットにはならなかった。

 

 実際ワタクシ、そのタイプのインフォマーシャルにも数本出演したし、民放のワイドショーに30秒だけ出演して、他人の原稿を読まされたこともあったが、今考えても赤面するほど恥ずかしい思ひ出だ。

 

 演出なし、真剣な練習のみ。だからこそ葬儀の武道館を、自然発生的な熱い拍手と、涙と嗚咽でいっぱいに出来たんじゃないか。諸君、ワタクシはそう愚考するのである。

 

1E(Cd) Lanchbery & The Philharmonia:MUSIC OF KETELBEY

2E(Cd) Lazarev & Bolshoi:KHACHATURIAN/ORCHESTRAL WORKS

3E(Cd) Sinopoli・Jarvi・Pletnev:RUSSIAN FAMOUS ORCHESTRAL WORKS

4E(Cd) Minin & The State Moscow Chamber Choir:RUSSIAN FOLK SONGS

5E(Cd) Santana:AS YEARS GO BY

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