Sun 150927 なでしこは10月20日、永眠いたしました(なでしこ ラストデイズ 1) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 150927 なでしこは10月20日、永眠いたしました(なでしこ ラストデイズ 1)

 昨日夕暮れ、3年にわたって重症の腎不全と健気に戦ってきたなでしこがとうとう永眠、静かに天国に旅立った。享年12年10ヶ月。2002年12月24日生まれ、あと2ヶ月がんばれば、13歳の誕生日もクリスマスも目の前だったが、2015年10月20日午後6時15分、最期の息を引き取った。

 先週の火曜日までは、まだ元気に飛び回っていたのだ。1メートルの高さのあるテレビ台に飛び乗り、さらに高さ1メートルのテレビの上にジャンプした。合計2メートルの跳躍を、目にも止まらぬハヤワザで繰り返してみせていた。

 食べたものをずいぶん頻繁に戻すようになったのは、この夏の初めのことである。腎臓を病んだネコは、尿の毒素がカラダに回って常に吐き気に悩んでいる。ニャゴロワはすでに5年、なでしこも3年、水分の多い嘔吐を頻繁に繰り返してきた。

 それでもニャゴは食欲旺盛。吐いても食べ、また吐いても食べ、「ネコにとっては旨くもなんともありません」と獣医さんさえ苦笑いするほどマズいゴハンを、カリポリ&カリポリ際限なく咀嚼して、ますます元気な顔で走り回っている。
なでしこ1
(賢かったなでしこ 1)

 腎臓を病んだのは、なでしこのほうがあとである。ニャゴロワが2010年12月に発症。なでしこの発症は2012年の春。その直前に「結石ができてます」との診断で石をとる手術をしてもらい、その2ヶ月後に「腎不全でクレアチニンの数値が致死的な値に達しています」と宣告された。

 ニャゴロワの点滴は、すでに5年目。なでしこも2日に1回の点滴をしなければならなくなってすでに3年半。豪放磊落なニャゴのほうは点滴の針をちっとも怖がらないが、なでしこは何しろ臆病そのもの。点滴の気配を感じると、絶対につかまらない隅っこに隠れて、なかなか点滴をさせてくれなかった。

 本来なら2日に1回のはずが、まる一日ズレてしまったり、この夏はどうしても不規則になった。そのせいなのか、9月初旬あたりから嘔吐の回数がますます増えて、食欲もなくなった。大好きなはずの缶詰にも見向きもしない。毎朝、嘔吐のあとが点々と散らばる床を眺めつつ、途方に暮れるしかなかった。

 9月中旬、獣医師のススメで4日ほど入院。カラダはすっかり痩せてしまったが、それでも検査の数値はほとんどが正常値に戻って、食欲旺盛とは言えないまでも「まだ2~3年は大丈夫なんじゃないか」というところまで回復した。

 しかし先週火曜日、やっぱりまた嘔吐が多くなり、動作も緩慢になって、点滴しようとしても逃げることさえなくなった。悲しそうにナーナー低く鳴き続けて、「点滴でも何でもいいから、何とか楽にしていただけないでしょうか?」と訴えかけるような視線で人の顔をじっと見つめた。
なでしこ2
(賢かったなでしこ 2)

 再び入院したのは、先週の木曜日。クマ助が沖縄への出張に旅立つ日である。検査の数値はすべて悪化。腎臓だけでなく、尿の毒素は肝臓や肺や心臓にも回り、心臓が弱まった時の特徴として、血液中のカリウム濃度がジリジリと上昇しはじめていた。

 それでもクマ助は、事態を楽観視していたのである。ニャゴだって、「あと100日の命です」と宣告されてからすでに5年、1800日を生き抜いてきた。なでしこも、きっと大丈夫。そう考えて、沖縄での宿泊を切り上げていったん東京に戻ったものの、その翌朝すぐに北海道に旅立った。

 なでしこの容態が急激に悪化したのは、その翌々日の日曜日の午後、ちょうど小樽での公開授業が始まった頃である。獣医師もすでにほぼ匙を投げたニュアンスのコトバを口に出し始めたらしい。

 食事も水も、チューブを通しての強制的なものに変わり、自力では立つことも出来なくなって、口の周囲はヨダレで汚れるようになった。やがて体温の低下さえ始まって、保温室で温めてあげないと、低体温症で死亡する可能性も出てきた。

「ここから先の治療は、言わば時間稼ぎのようなものです」
「出来ることはすべて試してみますが、懐かしいオウチに帰って、静かに最期を迎えさせてあげるのも1つの選択肢です」

 そういう状況でも、今井君の仕事は休むわけにはいかないし、ションボリ人に心配をかけて「先生、大丈夫ですか?」という雰囲気にするのは絶対にタブーである。あくまで元気に大爆笑の中に身を置かなきゃいけない。
なでしこ3
(賢かったなでしこ 3)

 そういうストレスが2重にも3重にも重なって、酒の量もメシの量も、もう止めどがつかなくなった。「誰が考えても暴飲暴食だろう」というたいへんな量を全て胃袋の中に詰め込んで、そんな行動でなでしこの回復を神様に祈ろうとした。

 10月20日午前、とうとうなでしこは危篤の状況に陥った。前日ションボリ北海道から帰ったクマ助は、無理して胃袋に詰め込んだジンギスカンと日本酒とワインが重すぎて、ベッドから這い出るのもほうほうのていというテイタラク。それでもなでしこは、4日ぶりに懐かしいオウチに帰ってきた。

 どんなに心細かったか、それを思うとクマ助はもうコトバも出ない。入院中のたくさんのイヌ君たちと同じ部屋に4日4晩も寝泊まりし、人の出入りも頻繁で騒然とした中、水や薬や栄養も、腕に何本もくくりつけられたチューブを通して強制的に与えられていたのである。

 正午過ぎ、帰ってきたなでしこはすっかり痩せ衰え、助けを呼ぶように「ナー」と大きな声で2回叫んでみせた。群青や深緑に光る大きな瞳はもう何も見えていない様子。水を飲みたそうにはするが、口に含んだ水を嚥下できずに苦しんでいる。
なでしこ4
(賢かったなでしこ 4)

「帰ってきたね」というコトバに、耳をブルブル振るわせて応えることはできる。とにかく体温の低下が激しいので、小さな段ボール箱の寝床に電気毛布をあてて温めてあげなければならない。脱水症状も著しいから、何とかしてお水も飲ませなければならない。

 それでもなでしこは、生きる努力を最期まであきらめない。小さい息を懸命に繰り返し、懐かしい匂いのするオウチの空気を、吸って、吐いて、吸って、吐いて、病魔に侵された小さな心臓を破裂しそうなほどドキドキさせて、最期の数時間を生き抜いた。

 午後3時、息がますます弱々しくなった。午後4時、つるべ落としの秋の日が傾いて、部屋が暗くなりはじめた。水が飲みたいらしく、顔を弱々しく水に近づけてはやっぱり断念して小さなタメイキをついた。顔の右側が水に濡れたのを拭ってやると、やっぱり短く「ナー」と応えた。

 もう、目を閉じることさえしない。閉じたら、もう開かないのを心配するようである。キレイに澄んだ両眼をまん丸く深いエメラルド色に光らせたまま、微かな息を小さく連続させていたが、午後5時、その息もとうとう見た目には分からなくなった。

 それまでは、お腹のシマ模様が小さく上下するのを見ながら、まだ息をしているのを確認できたのだ。七分袖ぐらいの腕のシマ模様も、小さく伸びたり縮んだりして、「ワタシはまだ生きていますよ」と弱々しく主張し続けていた。
なでしこ5
(賢かったなでしこ 5)

 しかし午後6時、10月の陽光がすっかり消えて街が夕闇に沈んだ頃、なでしこはもう息をしているかどうかさえ分からなくなった。「どうしても最期の水を」と思い立ち、スポイトで吸った水を、小さな口の歯の間に1滴2滴垂らしてみた。しかし最期の水は、歯の間から力なくベッドに滴り落ちた。

 なでしこが天国に旅立ったのは、その直後のことである。すでに動かなくなっていた瞳が一瞬さらに大きく輝いて、決定的なサヨナラを告げた。あの時、もう心臓は止まっていたのだと思う。

 最後の呼吸なのか、それとも痙攣なのか、定かではないが、最後に5回、下アゴを開いたり閉じたりして、もうそれきり動かなくなった。午後6時15分。人間はどうしてああいうとき、思わず時計を眺めてしまうのだろう。

 どこまでも控えめに知的に生きたなでしこは、こうして12年10ヶ月の短い生涯を閉じた。前足を持ちあげても、耳を引っ張っても、ヒゲをいじっても、もうピクリとも動かない。力なく横たわって、猫パンチひとつ返してはくれない。

 あんなに柔らかな手触りだったキジトラのシマ模様も、もうそのままに硬直して、賢いなでしこの魂は、どうやら静かに天国に旅立ってしまったようである。

1E(Cd) Wand & Berliner:SCHUBERT/SYMPHONY No.8 & No.9 1/2
2E(Cd) Wand & Berliner:SCHUBERT/SYMPHONY No.8 & No.9 2/2
3E(Cd) Alban Berg:SCHUBERT/STRING QUARTETS 12 & 15
4E(Cd) Richter & Borodin Quartet:SCHUBERT/”TROUT” “WANDERER”
5E(Cd) Menuhin:SCHUBERT/SYMPHONY No.1 & No.4
total m135 y1566 d16877