Sun 181021 3度目のなでしこ忌/ミラノ早朝の治安(イタリアしみじみ22) 3741回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 181021 3度目のなでしこ忌/ミラノ早朝の治安(イタリアしみじみ22) 3741回

 昨日1020日は、3回目の「なでしこ忌」だった。

 

 ニャゴロワと一緒に姉妹として生まれたのが、2002年の1224日。重い腎不全にかかったのは、ニャゴロワが先で201012月。なでしこの調子が悪くなったのは、2013年のことだった。3年間、ほぼ毎日の点滴に耐え続けたが、20151020日の夕暮れ、とうとう天国に旅立った。

 

 ホントはニャゴロワが妹、なでしこは姉なのであるが、ネコのキャラクターとしては明らかになでしこが妹キャラ。妹キャラの姉ネコという不思議な位置付けで、13年間サトイモ人間の周囲をトコトコ大人しく駆けまわった。

(大好きだったテレビの上で)

 

 体重は、最大で3.5kg。ニャゴロワの最高記録が5.5kgだから、その身軽さは「さすがネコですね」の一言に尽きる。たった2ジャンプで、人間の手の届かない書棚の9段目に飛び上がった。

 

 だから、なでしこの点滴は至難のワザ。何しろ賢いネコだから、点滴の気配を察するとたちまち2ジャンプ。書棚のてっぺんから下界を見わたして、サトイモ人間の動向をじっと見守る。そうなるともう滅多なことでは降りてこない。

 

 一方のニャゴロワがマコトにのんきにニャゴニャゴ唸って、むしろ点滴を楽しんでいるのとは対照的。どうしようもなくて点滴をあきらめ、ホントは毎日しなければならない点滴が、気がつけば1日おきになっちゃったりすることもあって、それがなでしこの死期を早める原因にもなった。

(姉妹)

 

 最近このブログの読者に加わった諸君は、なでしこのことに余り詳しくないだろうから、以下3年前の6日分の記事を、秋の夜長の友としていただきたい。

 

Sun 150927 
(なでしこラストデイズ1)なでしこは1020日、永眠いたしました
Mon 150928 
(なでしこラストデイズ2)なでしこの通夜 派手な姉と地味な妹 新刊書
Tue 150929
(なでしこラストデイズ3)お葬式 なでしこ忌 リュックと麦わら帽子
Wed 150930 
(なでしこラストデイズ4)号泣 障子に映ったなでしこの影 ノラや
Thu 151001 
(なでしこラストデイズ5)もう号泣は終わり 徳島の大盛況 さあ、音読だ
Fri 151002 
(なでしこラストデイズ6)花はおそかった 神田神保町・にゃんこ堂のこと 

(9月9日、早朝のItaloでミラノからペスキエラに向かう)

 

 さて「イタリアしみじみ」の今井君は、9月8日にシルミオーネからミラノに移動し、ミラノでの5日間の滞在を満喫することにした。

 

 ただし諸君、8日はもうヘトヘトだ。重き荷をゴロゴロ引きずって長き坂を登るがごとし。徳川家康どんのマネをして、シルミオーネの長き坂を20分弱、高温サウナで20分耐えたみたいな汗まみれ状況で新幹線に乗ったが、ミラノ中央駅に降り立ったサトイモは、もう完全にゆであがっていた。

 

 だから、ウェスティン・パレスのミストサウナ付きのお部屋に収まってみると、もう何にもしたくないのである。せっかくのミストサウナを満喫してもいいんだろうが、何しろシルミオーネからミラノまで2時間、言わば直射太陽光サウナの中を突き進んできたんだから、もうサウナも不要なのだ。

 

 そうは言っても、まだミラノの5日が残っている。普通の人の海外旅行なら、「ミラノ5日」というだけで時間的にもなかなかの贅沢であるはずだ。ここはやっぱり気合いを入れて、とりあえず荷解きを済ませ、着替えも済ましてサッパリ、近くのスーパーに買い物に出かけた。

(新幹線Italoの1等車内で。テーブルもマコトに瀟洒である)

 

 スーパーは、もうすっかり馴染みの「Auchan」である。今年5月のミラノ滞在2週間、ほとんど毎日この店を訪れて、「なんとなくほぼ自炊」な日々を過ごした。パンにチキン丸焼き、ビールもアマローネの赤ワインも、みんな安価で手に入る。ビールなんか、水より安い。

 

 ただし諸君、間違いなく安いし、チキンの丸焼きも確かに旨いけれども、店員さんの機嫌の悪さはまさに別世界。天下一品の不機嫌である。日本のテレビのバラエティによれば「底抜けに陽気なイタリア人」ということになっているが、底抜けに不機嫌なイタリア人と言ふ実態も、ぜひ目撃しておいたほうがいい。

 

 何しろ、言葉に抑揚が一切ないのだ。こちらがどんなに頑張って「ブォンジョルノ!!」と声をかけても、どこか完全にアサッテのほうを睨みつけながら、イントネーション100%ぬきの超冷凍ブォンジョルノが返ってくる。レジ担当にはオジサマとオバサマの2名がいらっしゃるが、2名とも不機嫌さはほぼ同格だ。

 

 だからこの店で買い物を終えた後は、微妙にションボリするのである。チキンもワインもビールもタップリ手に入れた。これでしばらく食にもドリンクにも事欠くことはない。そう考えて意気揚々とサウナ付きの部屋に帰還するのだが、何しろあのプンプン&プリプリを目の当たりにしたのだ。意気消沈はやむを得ない。

(9月9日、朝8時のペスキエラ。函館五稜郭そっくりの城砦が美しい)

 

 9月8日は、こうして暮れていった。思えばマコトに長い1日だった。午前5時にシルミオーネで起床、湖岸の日の出を眺め、朝のネコたちに挨拶して、午前7時にホテルに帰還。朝の食卓に集まるハチ軍団をベーコンでペシリと殴って追い払い、午前11時には船着場で食事を終えた。

 

 その後は直射日光太陽サウナ、重き荷を引きずって長き坂を20分、新幹線でミラノに到着した後は、ミラノに集まった悪童たちをかき分けてホテルへ、その直後にスーパーの人々のスーパー不機嫌に耐えた。

 

 こうして諸君、ヘトヘトの今井君は「ミラノなんかイヤだ」「今すぐにでも穏やかなガルダ湖に帰りたい」と、心から熱望するに至ったのである。しかもいったん「熱望」と言ふことになれば、直ちに実行するのがこのワタクシ、実行力の鬼であるイマイなのだ。

     (ガルダ湖、ペスキエラの船着場で)

 

 9月9日早朝、早くもイマイはミラノ中央駅からガルダ湖に向かう新幹線Italoに乗車していた。6時の新幹線に乗れば、7時ちょいにはガルダ湖畔ペスキエラの駅に到着する。

 

 たった1時間だ。東京から静岡、名古屋から大阪、大阪から岡山、広島から博多。そのぐらいの感覚である。瀟洒なItaloの1等車「PRIMA」であるが、さすがに始発電車はガーラガラ。熱いコーヒーを無料で配られて、途中の停車駅はブレーシャのみ。これでガルダ湖に戻れるなら、カンタンな話じゃないか。

 

 ただし諸君、深夜から早朝のミラノ中央駅前は、今や先進諸国で最も治安がよくないエリア。宿にあぶれた青少年がタムロし、タムロすれば大小のグループができて、グループどうしの勢力争いやら小競り合いやらが頻発する。

 

 そのことについては、すでにこのブログでも「リアル羅生門」として紹介したが、ビールのガラス瓶が飛び交い、当然ガラスの割れる音が夜明け前の濃厚な闇に響いて、通勤中の地元のオトーサンたちもみんな付近を避けて通る。

 

 現在ミラノは、北アフリカ諸国から流入する人々の滞留地点になっているようである。海を渡って何とかイタリアにたどり着いた人々は、さらに北に向かおうとする。しかしここから鉄道で地中海岸を西に向かえば、フランス国境のヴェンティミリアで厳重な取り締まりが待っている。

 

 北に向かうこともできる。スイス経由でドイツやフランスを目指すのである。しかしそのルートでも、ミラノから約1時間、アルプスの南端ドモドッソラの駅で追い返されることになる。人々は西と北の高い壁に阻まれ、すごすごミラノ中央駅前に戻ってくる。

(諸君、ワタクシはあっという間にシルミオーネに帰ってきた)

 

 この状況なら、ミラノの急激な治安の悪化もむしろ当然なのだ。駅前の大通り沿いに、寝る場所のない人々がそこいら中に寝そべり、熟睡している人々のポケットを探る者と、探り当てたポケットの中身を奪い合う者たちとが、夜明け前の闇の中で凶悪な視線を交わしている。

 

 そういう場所を通り抜けて、やっと駅のホームにたどり着く。むかしのヨーロッパの駅のホームはたいへん物騒な場所だったが、チケットを確認しなければホームに出られない制度をつくってからは、「駅のホームでホッとする」という感覚に変わった。

 

 そのぶん、飲食店が激減した。つい3〜4年前までは、硬い大っきなサンドイッチを売る店が駅のホームの定番だったが、2018年9月、今さらながらミラノのホームを見渡しても、サンドイッチ屋は1軒も見当たらないのである。

 

1E(Cd) Zagrosek & BerinSCHREKERDIE GEZEICHNETEN 2/3

2E(Cd) Zagrosek & BerinSCHREKERDIE GEZEICHNETEN 3/3

3E(Cd) SequentiaAQUITANIA

6D(DMv) UNDER SIEGE

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