Wed 081210 美術館の入り口でダンゴになるな いきなり1枚1枚で感動するな | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 081210 美術館の入り口でダンゴになるな いきなり1枚1枚で感動するな

 日本の中高年は、世界に類を見ないほど勉強好きで、知識欲旺盛で、元気で活動的でエネルギッシュであるから、平日の美術館はどこもかしこも個人や団体で訪れた中高年でいっぱい、立錐の余地もないほどの混雑が続く。これは素晴らしいことで、もし高校生や大学生もこのぐらい元気で知識欲に溢れているようだったら、おそらく日本の将来について心配することは何もないだろう。しかし、土曜日や日曜日の美術館は、残念ながら平日よりも空いているし、訪れている客もやっぱり中高年。せっかく学生証を出せば割引になる美術館がたくさんあって、充実した企画展が次々と催されているのに、もったいないことこの上ない。
 

 ただ、訪れた人々が上手に美術館を楽しめているかというと、残念ながらそうでもないようである。日本の美術館でよく見かけるのが、入場して1枚目2枚目3枚目ぐらいまでの絵の前に黒山の人だかりが出来ている光景。おそらくハリキリすぎなのだが、最初の2~3枚目までで余りに感動してしまい「あーら!! スゴいわねえ!!! スゴいわねえ!!! あーら、あーら!!!」を連発し、お互いに「ごらんになってえ!! すばらしいわあ!!!」と袖を引っぱりあったり、とにかくものすごく盛り上がっている。絵にググッを接近し、筆づかいを確かめ、細かい色彩の組み合わせを見て、またまた「ほら、ごらんになってえ。すばらしいわあ!!!」が始まり、尽きるところを知らない。感激が脳幹に達して、その場で気絶してしまいそうなヒトも皆無ではない。
 

 絵の前に集まった30名から50名の人々が、みんなこんなふうに感動を口にし、頷きあい、袖を引き合い、肩を叩き合うから、絵の回りはたいへん賑やかである。というよりも感動の渦、感動のオダンゴ、感動の集合体が、右へ揺れ、左へ揺れ、前のめりになり、渦はやがて大波を打って、哀れ、熱い視線の束を浴びせられた1枚の絵画は大波と激流にいまにも飲み込まれそうな勢い。入場前に購入した2000円も3000円もする詳細なカタログを広げて、1枚目から既に丹念にホンモノとカタログを見比べている人もいて、オダンゴは、さながら「熱意」「情熱」の寓意画のようである。


 同じことが2枚目でも起きている。「あーら、素敵よお。ご覧になってえ。ほーら、ほーら!!!」である。「あーら」に力が入りすぎて、もう声が嗄れかかっている人もいれば、「ほーら」とお友達の袖を引っぱったつもりが、赤の他人の腕を引っ掻いたりして、お互いペコペコお辞儀はするは、名刺交換は始まるは、もちろんそんなことはないだろうが、山手線の電車の車内とほぼ同じ喧噪とおしくらまんじゅうが、哀れな2枚目3枚目の絵画をも飲み込もうとする。

 

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(今日も箱の中)


 ところが、こうしたおまんじゅう現象は、5~6枚目で解消し始める。20枚目、30枚目あたりになると、絵の前で立ち止まっている人もまばらになり、出口近く、美術展のおしまいの方になると、「足早」という修飾語があてはまるぐらいに「そそくさと」立ち去ってしまう人が増えてくる。その出口の向こうには、お土産店、オシャレに言えばショップ、そういうワナが仕掛けられていて、多くの客はとりあえずショップに駆け込み、ショップでまた同じおしくらまんじゅう現象が起こり、レジも大波と激流に襲われる。で、たった今そそくさとその前を足早に立ち去ったホンモノの絵画の、絵はがき、オシャレに言えばポストカード、要するにコピーとか、入り口で買わなかったカタログとか、マトモに見もしなかった絵画をモチーフにしたお土産、オシャレに言えばグッズとか、そういうものに4000円とか5000円とか、そういう大金を惜しげもなく支払って家路につくのである。


 私はこういう状況を「大河溯及現象」と呼んでいる。中国・長江を溯ってみたまえ。まず入り口の河口から入ると、まず上海、続いて南京の大都市が横たわり、巨大なオダンゴが出来ている。これが1枚目2枚目の「まあああ、すんばらしいわあ!!」である。しかし大陸内部に入り込むにつれて大都市は稀になり、河に沿って並ぶのは中都市と小都市、やがて田園地帯、田園地帯が尽きれば丘陵地帯になって、人々はそそくさと歩み去る。時にウーハン(武漢)のような大都市が出現するが、これはピカソ展の中央に据えられたゲルニカ、フェルメール展の真ん中に据えられた「牛乳を注ぐ女」に該当。すぐに穏やかにうねりながら山岳に続く荒涼とした風景に戻り、人影はまばら、やがて出口または上流が接近して、見よ、重慶と成都の2大都市が出現、これがショップである。

 

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(箱からの脱出)


 冗談はさておき、こういう現象が日本中の美術館、特にその企画展や特別展で連日のように起こっているとすれば、少し修正した方がいいと思われる。修正は、美術館を訪れる客の側よりも、むしろ美術館側が努力して行うべきものである。私自身が高校生のとき、修学旅行で訪れた奈良の秋篠寺で、案内してくれた中年のお坊さんに叱られた経験が、鮮やかに記憶に残っている。別に、大声で騒いだとか、仲間どうしジャレあって何か壊したとか、酒を飲んだとか中でケータイを使ったとか、そういうことで叱られたのではなかった。お坊さんによれば「あなた方は、最初から一つ一つの仏像に近づきすぎだ。そんなに近づいたら、仏像についた汚れや傷やホコリしか見えまへん。もっと仏像から離れな、あきまへん」ということだった。


 東北弁でお互いどうし罵りあいつつきあって遊んでいた私たちは、「関西弁のお坊さんの叱責」という信じがたい事態に、カミナリに打たれたように凍りつき、しょんぼりしてお坊さんのお説教をしみじみ聴く気持ちになり、お坊さんは素直な高校生の姿に気をよくして滔々と述べたてた。彼によれば「まず、全ての仏像が視野に入るあたりまで退いて、十数体の仏像が全体で作り出す仏の世界を見なければならない。堂内に構成された仏の世界をまずしっかりと心に焼きつけ、世界全体の中で一体一体の仏像が果たす役割を考える。あるいは仏像相互の関係性を捉える。個々の仏像にさっきのように近づいてみるのは、その後でいい。まず10分でも15分でもいいから、ずっと離れて後ろの方から大きく堂内全体を無心で眺めてみよ」とのことであった。修学旅行というものが意外に役立ち、一生の財産になる瞬間というものもあるのである。
 

 つまり私も高校2年の11月下旬、友人たちと罵りあい戯れあいながら奈良の秋篠寺までやってきて「あーら、素敵よお。ご覧になってえ。ほーら、ほーら!!!」の高校生版をやっていたのである。あのとき、お坊さんの修正を素直に受け入れて、それから尋ねた美術展の数は、記録魔的記録を振り返ると、既に約2000。すっかりベテランのおじいちゃんになってしまったが、だからこそ、美術展の入り口、1枚目2枚目3枚目でオダンゴになって「あーら、すばらしいわあ」の感動で悶絶しそうになり、その割には途中から信じがたいほど淡白になり、最後は駆け抜けるように立ち去るタイプ人々には、美術館側のインストラクターが、秋篠寺のお坊さんのようなことを一言言ってあげたらいいのではないか、と思うのである。
 

 美術展に入ったら、まず一気に高速で全体を見るべきなのだ。1枚目2枚目などというのは、その画家の初期の作品が展示されていることが多いはずだし、画家のアイデンティティーがまだ確立も発揮もされていない習作時代の作品を見て素晴らしいと思えるのは、いったん最後まで見て全体を知った後でなければならない。特に何らかのストーリーに基づいて構成されている特別展では、企画した者や展示した者の意図を理解するのも重要。「なるほど、そういう意図で、そういうストーリーで作品を展示したわけね」という理解がないと、1枚1枚がバラバラになってしまう。もちろんそれでも十分楽しいのだが、「十数体のホトケサマがみんなで集まられて構成されている世界」みたいなものが理解できれば、3倍も4倍も感動が深まるはずである。

 

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(長い箱のかなた)


 そこで、入り口からはいったら、入り口付近に出来ている2つか3つのオダンゴは無視して、どんどん早足で内部に突き進んでいく。大河の河口の街の迷宮に足を踏み入れる前に、高速艇で一気に大河を中流域から上流域まで溯り、大河全体の構成を把握する、まあそういうことである。しつこく繰り返すが「観の目、見の目」であって、ミクロの迷宮に踏み込む前にマクロの目で上空から全体を眺めることをやっておけば、迷宮に巻き込まれてそこで息絶えてしまう愚を避けることが出来る。


 もちろん、迷宮に迷い、迷宮に酔いしれ、迷宮と一体化する体験も素晴らしい。しかしそういうデカダンスの楽しみは、もう少し成長してモロッコやチュニジアの迷宮都市を旅するまで、とっておいた方がいい。まずマクロの構成を知り、その上で初めて1枚1枚が全体の流れの中でどのような位置に置かれ、だから1枚1枚をどう見るかが決まってくる。全てはマクロの中で規定されるのである。


 言うまでもないが、別にそんな難しい見方をする必要はない。もっと簡単に言えば、数百枚も展示された絵画展で、どの絵とどの絵に重点を置いてみるのか、それを最初に決めないと疲れてしまうのだ。だから最初に一気に全体を見て、自分が好きな絵や、どうしてもじっくり見るべき有名な絵が、だいたいどの辺りに展示されているかを、まるで本の目次を眺めるように目星をつけていく。その前に20分でも30分でも立ち尽くしてじっくり観たい絵を3~4枚選択。その他の絵は、まあだいたいでいいか。そういう目星がないと、立ったままの美術館は、どんなに若くてもすごく身体にこたえるはずだ。


 目次も見ないで本の1ページ目から「あーら、すばらしいわあ」をやっていたら、最後まで読み切らないうちに飽きてしまった、などということが起こりがちである。それで結局、筆者がどういう人物かも、筆者が何を考え何を書いたのかもわからずじまいに終わる、そういう読書と同じような美術館訪問が、来る日も来る日も日本中の美術館で続けられているのだ。

 

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(ナデシコは、爪とぎ)


 以上、大いに生意気なことを書いたので「一体、何サマのつもりだ?」と憤る美術ファンもいるかもしれない。だから大慌てで付け加えておくが、まずこれは、日本で開催される中小規模の企画展や特別展について書いたものであって、ルーブルやウフィツィやプラドのような巨大美術館には当てはまらない。これら巨大美術館にはそれなりの見方と回り方があって、「最初に高速で一気に全体を」などと言っても、それだけでもフルマラソンを走るぐらいの気力と体力が必要になる。だから、それは全くの別問題なので、明日か明後日詳細に述べたいと思う。
 

 もう一つ、これはあくまで、大学受験生へのヒントとして書いたことである。英語、国語、数学、それぞれの試験へのヒントになるし、受験勉強全体の心構えのヒントにもなるはず。いきなり細部に夢中になると、思わぬ大失敗を犯しがちで、それは1回1回のテストでもそうだろうし、これから受験勉強を始める人にも同じことが言える。受験勉強の入り口で「あらあ、すばらしいわあ」をやると、「感動した」「勇気をもらった(081130参照)」とか大声でわめいているうちに「熱血講師の取り巻き(081028081029081030参照)」になったり、特定の科目ばかりやって他の科目が全部遅れてしまったり、およそ碌なことがない。そういうことを避けてほしいと思って、美術館の例を出したに過ぎないのである。

1E(Cd) Alban Berg:BRAHMS/KLARINETTENQUINTETT & STREICHQUINTETT
2E(Cd) Alban Berg:SCHUBERT/STRING QUARTETS 12 & 15
3E(Cd) Baumann:MOZART/THE 4 HORN CONCERTOS
4E(Cd) Solti & Wiener:MOZART/GROßE MESSE
7D(DvMv) ALEXANDER
10D(DvMv) ROAD TO PERDITION
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