Sun 081130 勇気をもらうな 変なことをするな 「歌い踊る英語講師」についていくな | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 081130 勇気をもらうな 変なことをするな 「歌い踊る英語講師」についていくな

 20歳そこそこのスポーツ選手が「国民の皆様に感動を与えたい」などと発言する姿を見ていると、「国民の感動もずいぶん軽い薄っぺらなものになったな」と思う。「勇気をもらった」という言葉も大流行中で、「国民の皆様」はサッカー選手や水泳選手や体操選手の健闘をテレビでみて、非常にお手軽に勇気をもらい、そういうお手軽な勇気を心に抱え込み、「もらいものの勇気」を頼りに人生を戦うらしいのである。勇気などという貴重なものを、そんなに簡単に与えたりもらったり、株の売買みたいに感動を与え、感動をもらい、果たしてこの国民は大丈夫なのだろうか。


 生徒たちがあまりに感動を求めるから、教師の側も仕方なしに感動を狙った授業に励んでしまう。生徒たちが手軽な勇気をもらいたがるから、思わず人生論に力が入って授業がそっちのけになり、テキストが半分しか終わらなかったりもする。10年前までの私がまさにそれで、生徒たちからも「テキストなんかやるよりも、もっといろいろな話が聞きたい」というエールをもらって、あの頃は大いに気をよくしていた。ま、本末転倒もいいところであるが、こういう本末転倒が生徒のためによくないばかりでなく、結局は講師の評価も下げてしまうものだと気づくには、それなりに時間がかかる。人生論まがいの雑談に夢中になった後、講師控え室に生徒諸君が20人も30人も詰めかけて、「素晴らしい話だった」「感動した」「勇気をもらった」「これからもああいう話をたくさんしてほしい」とキャーキャー言われるのは、若い講師のヒーロー気分を煽るのにこれ以上のものはない。


 そういう生徒たちの讃辞が「先生みたいになりたい」「憧れは、先生だ」「テキストなんかどうでもいい」「将来の職業は、先生のような予備校講師」にまでヒートアップすると、さすがに恥ずかしくなってくる。大学に合格した後にも、こういう生徒たちは4~5人のグループで頻繁に予備校を訪れ、夢見るような目で予備校時代の思い出を語り、「飲みに連れて行ってください」に発展し、あんまりすげなくも出来ないし、もう立派な大学生なのだから仕方なく「飲みに連れて行く」と「また連れて行ってください」とくる。


 こんなふうに際限がなくなってしまい、嬉しさと困惑の入り交じった顔の若い先生方を見ていると、「ああ、やっちゃったな。頑張りすぎたな、勇気と感動を与えすぎたな。憧れられちゃったな」と、思わずニヤニヤしてしまう。講師として長年やっていくのに、これは「誰でも通る道」なのかもしれない。しかし、ここで「これではダメだ」と気づかない講師は、あっという間にこの世界から退場する日がくる。科目と別のところでの感動ばかり煽って、肝腎の生徒の成績がちっとも上がらないと、例のクチコミと情報交換で、講師はすぐに苦しい立場に追い込まれるからである。

 

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(少しムカついているニャゴロワ1)


 憧れられすぎて気持ち悪くなった講師、または人生論で感動を与えることに飽きた講師は、それでも感動と勇気を与え続けなければならないから、担当科目の内容で感動を狙うことになる。数学や物理なら「あまりにも鮮やかな解答」を見せつける。微積分の問題を初等幾何で解いてみせる。オーソドックスな解法を「この解き方では、イモですね」と笑ってみせる。国語現代文なら「問題文を深く読まなくても、選択肢だけ見て正解を選ぶ方法」が定番。日本史や世界史なら、不必要にたくさんの色チョークを使用したカラフルな板書。こういうのは「板書」ではなくて、「パネル」とか「立体パネル」とカッコよく呼ぶことになっていて、生徒たちは7色の蛍光ペンやサインペンを用意し、黒板を写すだけでウットリ感動し「勇気をもらって」くれる。


 もちろん、それで成績がぐんぐん上がるなら素晴らしいことだが、数学でオーソドックスな解き方を蔑視したり、国語で問題文を深く読むことを怠ったり、歴史科目で板書を写しているだけでは、残念ながら成績は確実に降下する。中学受験だって高校受験だって司法試験だって、こういう事情は同じである。目の前の受講生が感動したり、揃って讃辞を惜しまないような答案というものは、多くの場合「その場限り」「応用が利かない」ことがほとんどだし、必要以上にカラフルな板書は、絵画というより塗り絵であって、塗り絵に慣れた人は、自分の絵が描けない、つまり、先生が下絵を描いてくれないと自分では答案を書けない依存心が出来てしまうのである。


 要するに、「変なことをして自分だけ伸びる」とか、「この先生についていけば、他の受験生の知らない裏ワザをこっそり教えてもらえる」とか、他人を出し抜いて自分だけが得をする情報を得られるなどと考えてはいけないのだ。もっと地道に、他の受験生と同じオーソドックスな勉強をする。ただし、他と同じでは勝てないから、他よりたくさん努力をする。復習や確認テストを怠けない。そういうマッチョな姿勢が重要なのである。このあたりは、塾漬け&予備校漬けで育ってきた都会の受験生ほど注意が必要。都会の受験生は、塾の奴隷で、塾の言いなりで、先生方の発言を疑うことに慣れていない。目の前の先生が「自分は神だ」「自分は天才だ」などと言いながら、なぜ予備校の先生をやっているのか、なぜ大学教授として学問の最先端で活躍していないのか、一度しっかり考えた方がいい。もちろんアカデミズムの外側にも素晴らしい知性は存在するもので、駿台物理の山本義隆師などはまさにその好例であるが、それはあくまで例外中の例外なのである。

 

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(少しムカついているニャゴロワ2)


 英語で一番多いのは「単語や熟語は覚えなくていい」「文法はやらなくていい」「英語は簡単だ」という発言である。1年にわたる授業の冒頭で「なぜ君たちは英語が出来ないのか」と問いかけ、「それは単語とか文法に捕われているからだ」「アメリカの赤ちゃんは文法を知らない(081004参照)」だから「今日からはアメリカの赤ちゃんと同じように英語を学ぼう」ということになる。生徒たちが最初「目からウロコが落ちた」と騒ぐのも、このタイプの先生に多い。


 中学でも高校でも予備校でも、このタイプの先生は、1つの学校に1人は必ずいらっしゃって、最初のうちは衝撃的だし、人気も高い。「教科書はしまっちゃえ」「辞書も参考書もしまっちゃえ」と言われたとき驚きは大きいのだ。「赤ちゃんは、教科書も辞書も使わない」と言われれば、間違いなくその通り。あとは「外に出よう」「体育館に行こう」「英語の歌を歌おう」「英語に合わせて身体を動かそう」と続いて、教室にはCDプレーヤーが持ち込まれ、ビートルズやプレスリーがかかり、体育館でラップに合わせてエアロビが始まるあたりで、先生の人気は急降下し、「ウザイ」「メンドイ」が定評になる。


 教科書を捨てて、歌って踊ってエアロビをして、「英語は難しくない」を生徒にアピールするところまではいいのだが、残念ながら、それが有効なのは最初の10分ぐらいだけである。そんなのは「アメリカの赤ちゃん」とは全く違うのだ。アメリカの赤ちゃんで、ビートルズを歌い、プレスリーに涙し、体育館でラップに合わせてエアロビをやっている赤ちゃんが一人でもいたら、ぜひ今ここに連れてきてもらいたい。アメリカの赤ちゃんは、おむつをして、ミルクを飲んで、一日中スヤスヤ眠って、泣いて、ウンチをして、また眠る。以前も書いたが(081004参照)、そうやって6年ぐらいかけて英語を学び、まるまる6年かけて、日本の幼稚園児が日本語を話せる程度に英語が話せるようになり、まるまる12年経過して、日本人の小学生が日本語を読みこなせる程度に英語を読みこなせるようになる。


 気をつけなければならないのは、「アメリカの赤ちゃん」方式はそのぐらいの時間が確実にかかるということである。1年や2年で赤ちゃんがムックリ起き上がって、ビジネス文書を読み始めたり、CNNニュースを見てフムフム言ったり、大学のレポートをスラスラ書いたりするのではない。それに対して、日本人の学習者は、1年後2年後にそういう能力を要求されるのだ。

 

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(ますますムカついているニャゴロワ)


 「歌い踊る教師」「教科書を、下らないから捨ててしまえと言い放つ教師」は大昔からの定番で、マンガ・ドラマ・映画などにはいくらでも登場するヒーローである。そういう教師に感動し勇気をもらう生徒たち、というのも定番。「金八先生」「仙八先生」「ごくせん」「太陽の教室」とか、科目や状況は違っても、要するに学園物の発想は同じ。邦題「いまを生きる」、原題「DEAD POETS SOCIETY」という名作映画があるが、これも同じである。教科書を捨てさせ、身体を動かし、生き生きと詩を学ばせる、朝日新聞さま大好きの「花まる先生」が「赴任」してきて、一部の生徒たちの熱狂的な支持を集めるのだが、やがて周囲の分からず屋の大人たちの批判を浴び、さまざまな問題を引き起こし、寂しく去っていく。


 こういう映画やマンガを見るときに、型破りの花まる先生に同情し共感し、分からず屋の大人を憎み、熱狂する生徒たちに感情移入して涙を流すことは必須であって、そうしなければ夏目漱石の坊ちゃんだって立つ瀬がないだろう。しかし、ドラマが終わり、映画が終わったら、現実に戻らなければならない。現実に戻って、「また同じ作りの学園ドラマか。自分なら、こんなふうに作り変えるけどなあ」ぐらい考えないと、成長はないし、夢の実現もない。いつまでもアメリカの赤ちゃんみたいな日常から抜け出せないのである。

1E(Cd) NEGRO SPIRITUALS 1/2
2E(Cd) NEGRO SPIRITUALS 2/2
3E(Cd) Bill Evans Trio:WALTZ FOR DEBBY
4E(Cd) Maria del Mar Bonet:CAVALL DE FOC
5E(Cd) CHAD Music from Tibesti
6E(Cd) AZERBAIJAN Traditional Music
7E(Cd) Ibn Baya:MUSICA ANDALUSI
10D(DvMv) SWIMFAN
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