Wed 081029 最前列に座るな 鼻をすするな 指定席の予備校にいくな | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 081029 最前列に座るな 鼻をすするな 指定席の予備校にいくな

 教師の側に正しい熱意や情熱の持ち方があるとすれば、生徒の方にも「正しい燃え方」と「正しくない燃え方」がある。塾の生徒はいつでも冷静な頭を保って、成績を伸ばすこと、合格することをしっかりと見据えて、そのために最も効果的な授業の受け方をしなければならない。その意味では「教室の最前列に座る」というのは最悪の選択になりかねない。最前列は出来るかぎり他の人に譲って、小教室なら前から3番目か4番目、大教室なら前から1/4ぐらいの席に座るようにすべきである。こういうことを書くと、奇異な感じがするかもしれない。昔から「かぶりつき」と言って、熱心な人ほど最前列に座るような印象があるからである。しかし現実には、「かぶりつき」ほど授業に集中できない場所はないのだ。


 なお、「かぶりつき」というのは、歌舞伎用語。江戸時代の歌舞伎では、雨のシーンで本当の雨に見えるように、「本雨」と呼ばれるホンモノの水を天井からザアザア流したので、最前列の客はびしょぬれになった。そこで客が濡れないように、カブリモノを配ったのが「かぶりつき」の語源。決してハンバーガーやフライドチキンにかぶりつくガツガツした食欲旺盛な様子を表現したものではない。ガツガツかぶりつく意味でないとわかれば、最前列に座ったからといって熱心に授業内容をガツガツ胃袋に入れられるものでもないことに気づくだろう。
 

 映画館で最前列に座れば映画の楽しみは半減するし、演劇でも最前列というのは素人の座る場所である。スクリーン全体や舞台全体を、いわばカメラを引いて大きく眺めることができないのは、鑑賞にはきわめて不利だからである。ミクロばかり見えてもマクロが把握できなければ、どんな芸術でも理解しにくくなり、理解できなければ感動も小さい。何事も近寄りすぎてはならないのだ。相撲の砂かぶりは、いつ力士が落下してくるか気が気ではなくて、とても相撲の美しさを知ることは出来ない。玄人は前から5列目に座るものである。

 

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(白ダヤン。なお「ダヤン」は検索して調べてください)


 特に、知的な訓練の場では、自分の座る座席の選択に細心の注意を払わなければならない。黒板が光って見えにくくはないか、空調の風が直接あたって寒くなったり風邪を引いたりしないか。自由席の予備校なんかでは毎日だいたい同じような席に座るのだから、隣の席のヤツの吐息が臭くないか、同じ机のヤツが貧乏ユスリしないか、鼻をすすってばかりのヤツがいないか、そういう些細なことで授業の効率が大きく変わる。
 

 私の経験だが、すぐ真横の席に毎日座るヤツが物凄くニンニク臭くて閉口したことがある。おそらく彼のママが、息子の身体のことを真剣に思い悩んで、毎日朝食にニンニク料理をたくさん出したのだろうし、ママが気を遣ってくれるのに深く感謝した彼はそのニンニク料理を毎日ペロリと平らげてから予備校に出てきたのだろう。そういう家庭だと、「愛情のこもったお弁当」などというものも息子に持たせるわけだから、彼はおそらく昼食のお弁当でも同じニンニク料理を再びペロリと平らげたことだろう。おお、暖かい家庭。おお、愛情あふれる家庭。しかし、その影響をモロにかぶった私は、数学も物理も皆ニンニクの香りの向こうに霞んでしまい、日々めまいの中で受験勉強に励まざるを得なくなったのである。あのとき東大に合格できなかったのは、にっくきニンニクのせいである。うにゃ。

 

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(黒ダヤン、再び)


 予備校で、特に困るのが鼻をすするヤツ。「鼻をすする」という行動は、欧米では物凄く嫌われる。欧米人は電車の中でもレストランの中でも、まるでトランペットを吹き鳴らすような派手な音を立ててでも思いっきり鼻をかむ。隣にいるとほとんど飛び上がりそうになる派手な鼻のかみ方だが、その音を聞いてイヤな顔をする人はいない。イヤな顔をされるとしたら、それは鼻をすする音である。よく考えてみればわかることだ。考えてもみたまえ。鼻をすするということは、例のネバネバした液体が、鼻腔の中を絶えず上下に移動しているということである。薄緑色に濁った粘液がすすられては上に移動し、重力に引っぱられては下に移動し、暗い鼻腔の中で悪臭を放ちながら上下運動を繰り返す。周囲にいる人々は、食事したり読書したりしながら、そうした汚い粘液の上下運動を絶えず意識させられることになる。これほど無礼な行動はありえないと欧米人が考えるのも、無理なことではない。


 予備校みたいな混雑した場所では、必ず鼻をかんでおくこと。これは最低限のエチケットと言っていい。鼻をすすり始めれば、いくらすすり上げても、いくら粘度が高い粘液でも、重力に勝てるものではないのだから、近い将来再び粘液が鼻の入り口(=出口)にまで忍び寄ってくる。その間、約10秒。とすれば、必ず10秒に一度、周囲の生徒は、粘液が鼻腔の中を重力に逆らって不承不承移動する不快な音に悩まされなければならない。しかもその音は、50分なら50分、90分なら90分、誰かが彼に「鼻をかんでくれませんか」と注意するまで、確実に連続するのだ。そして、そんな注意が出来るほど大胆な人は、まして「講師アンケート」で「最低最悪!!」とかリベンジされることを覚悟の上で「キミ、鼻をかみなさい」などと注意できる先生は、私以外にはまず存在しない、うにゃにゃ。彼が鼻をすすり上げ続ければ、クラス全体が東大に落ちるかもしれないのだ、うにゃ。

 

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(CになりきれなかったC)


 ありゃりゃ、何だか、どんどん話がそれているような気がする。実際に、物凄く話はそれている。しかし、こんなふうに、不特定多数が一つの教室に集合するタイプの塾や予備校では、周囲の環境によって授業効率や学習効率が大きく上下することは間違いない。だからこそ、塾や予備校の席というのは本来なら自由席であるべきで、席が指定されているのは決してよいことではない。例えば新幹線に乗るときだって、自由席なら、酔っ払いの近くに座ってせっかくの旅行を台無しにしないように気をつけることが出来る。塾でも、自由席だからこそ、ニンニク男や鼻すすり男の被害を避け、空調や黒板の見え具合など、細かな点をチェックしながら席を選ぶべきなのである。
 

 だとすれば、せっかく自由席なのに最前列に座ってしまうのは、みすみす受講効率を下げてしまうことに等しいのだ。「何でいいから最前列」「何でもいいからカブリツキ」ということになると、それは「正しくない燃え方」になりかねない。最前列やカブリツキというのは、さっきも言った通りマクロを見ることが出来ない、素人向けの条件の悪い席である。授業のマクロが見えず、ミクロばかり気にかかり、例えば先生の鼻毛とか、耳毛とか、肩にかかったフケとか、ワイシャツの汚れとか、「また同じ靴だ」とか、げ、今日は香水くさい、とか、そういう下らない枝葉末節にこだわることになってしまわないとも限らない。

 

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(ブーリン家の姉妹)


 大きな予備校では、人気講師の授業になればなるほど、席の取り合いは熾烈である。授業の1時間も前から教室の前に並んで、やっと好きな席が確保できる。団塊ジュニアの大量受験時代だった15年ほど昔には、朝9時からの授業を受けるのに、午前5時から長い列に並んだりすることさえあったのだ。こういう殺気立った雰囲気だと、ついつい「最前列!!」「カブリツキ!!!」という感じになって、前のほうの席ほど奪い合いになるものだが、それは完全に時間の無駄である。


 繰り返しになるが、最も効率の高いのは「小教室なら前から3列目か4列目」「大教室なら前から1/4」。そういう席なら、並ばなくてもしっかり確保できるだろうし、周囲も落ち着いて授業を受けている大人っぽい生徒が多い。何よりも、明日のブログで書く「講師の取り巻き」「教師のお気に入り」がいないのが大きい。教室全体をマクロの目で捉えながら、そういう位置に座って、冷めた頭で受講すれば学習効率の上昇は確実なのである。

1E(Cd) Alban Berg:SCHUBERT/STRING QUARTETS 12 & 15
2E(Cd) Baumann:MOZART/THE 4 HORN CONCERTOS
3E(Cd) Solti & Wiener:MOZART/GROßE MESSE
4E(Cd) Rilling:MOZART/REQUIEM
5E(Cd) Jochum & Bavarian Radio:MOZART/THE CORONATION MASS
6E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 1/10
7E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 2/10
10D(DvMv) AMERICAN BEAUTY … LOOK CLOSER
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