Mon 080908 徹夜、ついに原稿完成 ブログに感謝、ネコに感謝 ヴェネツィア紀行12 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 080908 徹夜、ついに原稿完成 ブログに感謝、ネコに感謝 ヴェネツィア紀行12

 「徹夜してでも参考書の原稿を仕上げる」とブログで宣言して、さてその結果はどうだったかと言えば、成功、完成、である。完成したのは午前7時直前であったが、実際に雄叫びをあげ、自ら喝采するにはちょうどいい時刻になっていた。それ以上早い時刻に、こんな住宅街で雄叫びをあげるわけにはいかなかっただろうし、もし大した苦労もせずに午前3時か4時の段階で余裕で完成していたら、雄叫びをあげる気持ちにもならなかっただろうからである。


 こういう充実した喜びも、朝の雄叫びも、久しぶりである。あえて直近の喜びをあげれば、今年の7月25日と30日、河口湖合宿最終日の朝がそれに当たらないこともないが、河口湖での私はあくまで教師であって、当事者そのものではないのであるから、余りにも自分のこととして快哉を叫んではならないのであった。「本の原稿完成」は2年半ぶりであるが、今回の原稿は東進移籍以来3年半にわたって懸案になっていたものだけに、喜びもまたひとしおであった。

 

(写真上:大好きな新聞チラシの上で、原稿完成バンザイを叫ぶニャゴロワ。3ヶ月前の心配そうな表情を記憶しているだけに、喜びもひとしおであった。心配そうなニャゴロワについては、080612参照)

 日付がかわったところで残っていたページ数は13ページ。1章6ページ×2が丸々残っていたのと、書き直したほうがいいかなと思うページが1ページあって、それで合計13ページになっていたのである。本当は夜10時から書いて、午前4時頃の完成を予定していたのだが、昨日もブログが盛り上がって結局A4版5枚書きまくってしまって真夜中が迫り、写真を掲載しているうちに日付がかわってしまった。ま、ついこの3ヶ月ぐらい前までの私なら、この段階で徹夜も完成もあきらめ、ニャゴロワと酒を飲んで終わりにしていたはずである。

 

(写真上:眠るニャゴロワ&ナデシコ)


 しかし「ブログで宣言したのだ」というのが効いた。宣言してしまった以上、やり抜かなければならない、そういうおよそ酔っ払いのクマさんには似合わない根気と責任感が芽生えて、一気にやり抜くことができたのである。もちろん、たとえブログで宣言したとしても、「誰も読んでいない」のならばすぐに宣言を撤回することだってできたはずだし、一昔前の私ならば、すぐにブログから「徹夜して原稿を完成する」部分の宣言だけ削除して、それで涼しい顔をしてニャゴ姉さんと酒盛りを始めたはずである。しかし最近はこのブログを待ち受けてくれている読者が少なからず存在し、ブログをアップした瞬間にカウンターが回って、「相当数の人が読んでしまった」「相当数の人に読まれてしまった」「だからもう取り返しはつかない」、そういう立場にキチンと追い込んでいただける。何しろ、人前に出てたまには若い人たちにお説教だってしなければならない職業である。人前で宣言しておいて、あまりにもブザマに撤回できるものでもないのだ。その意味で、ブログさまさまであり、待ち構えていて宣言をチェックしてくださる読者には大いに感謝である。

 

(写真上:眠るニャゴロワ&ナデシコ)
 

 最後まで残っていたのは「関係形容詞・複合関係代名詞」と「仮定法の応用:ifのない仮定法」の2章。午前3時半の段階で関係詞の章を書き終わり、小さく快哉を叫んで、お茶を注ぎに2階に上がり(書斎は半地下の部屋なのだ)、目を開けて一声鳴いてくれたニャゴロワを撫でた。午後4時前から仮定法の最終章の執筆に入り、4時半を過ぎてもう一度お茶を注ぎに2階へ上がり、すっかり秋になって、朝5時近くなってもまだ明るくならないことに気づいた。まだ暗い玄関前でコオロギが盛んに鳴いていた。ニャゴロワはどこかに姿を消していたが、今度はナデシコがテーブルの上で横たわったまま、迷惑そうに横目で睨んでくるのを、ネコの迷惑も顧みずに背中を撫で、「クマさんは、まだまだたいへんなんだぞ、ネコはいいねえ」などとつぶやき、再び仕事にかかった。6時10分、「仮定法」完成。最後に「書き直したほうがいいかな」と感じていた1ページ分(時制と形容詞節にかかわる部分)を書き直して、完成。7時直前になっていた。

 

(写真上:眠るニャゴロワ)


 私のように意志の弱い人間(というより、ちょっとエサが見つからないとサッサとねぐらに引き上げてしまう執着心の弱いクマ)にとっては、ブログはベストのメディアなのかもしれない。まあ、いろいろ事情があって、完全に一方通行の告白または日記になっているのだが、たとえそうであっても自分を鼓舞する道具にはなってくれるし、3年滞ってネコたちでさえ心配してくれていた参考書の原稿を完成させてくれたのは、実はこのブログだったのである。しかも上手に時間をコントロールしてくれて(夜10時から12時まで前日のブログで夢中になったせいで)、午前3時や4時で気楽に終わらせてくれずに、6時、7時、泣きそうになりながら最後の最後で間に合わせてくれる、見事な演出もしてくれた。その意味でも感謝、ついでに昨日のブログで描いたヴェネツィアの夜にも感謝、深夜から早朝にかけてお茶を注ぎに2階に上がって行くたびに、いちいち目を開けて一声鳴いて声援を送ってくれたニャゴロワ&ナデシコにも感謝である。

 

(写真上:朝のヴェネツィア・リアルト橋。集まり始めている観光客の下には、いかにもイタリアらしくだらしなく積み上げられた荷物や荷車が見える)

 こういうふうで、4月23日夜のヴェネツィアについて盛り上がって書いたことが原稿の一気完成につながったのだから、4月24日のヴェネツィア最終日についても今日のうちに書いておいたほうがいいだろう。もっとも、それほどたくさん書くことがあるわけではないから、今日のヴェネツィア紀行は短く済ませることにする。延べ3日、正味2日のヴェネツィア滞在だったのに、これでもうヴェネツィア紀行は12日目になっている。ボローニャを中心に10日足らずだったこの旅行記を書きはじめたのは7月20日。もう2ヶ月近くも書いてきたことになる。記録魔&記憶魔もいいが、限度というものもあるだろう(なお、その「限度というもの」については明日のブログで書く予定である)。

 

 23日、サンマルコ広場のミニコンサートが、実に几帳面に夜12時の鐘の音とともに終わってくれたのがよかったのだ。酔っ払いのクマさんとしては、朝7時にキチンと目が覚めたのは、まさに奇跡的であり、それ以上に奇跡的だったのは、ちゃんと朝食を食べに行ったことである。スペインからやってきた大家族がいて、その大家族ぶりは想像を絶し、朝食会場のレストラン全体をスペイン語が支配しているのであるが、この朝食が非常に豪華である。今度の旅行全体を通じて、朝食にはそれなりに苦しめられ続けた(080731080807参照)のであるが、それでもパンにもハムにもチーズにも、特に反感を感じずに朝食を楽しむことが出来た。何よりよかったのは「シャンペンが開けられていなかったこと」。飾りとしてテーブルに置かれているだけで、栓が抜かれておらず、また栓の抜かれる気配もその可能性も全くなかったことは、私の救いであった。万が一朝食の席でシャンペンの栓が抜かれていた場合に、私の1日が、私の旅行全体が、どんな大きな影響を受けるかについては、ぜひ080705080708参照である。


 というわけで、穏やかで楽しくて大いに満足のいく朝食で満腹。その満腹を少しおさめるために朝のヴェネツィアを歩き回ることにした。ホテルからサンマルコ広場とは反対の方向に歩き始め、しかしこの島ではどの道を辿っても必ずやがてリアルト橋に出ることになっているから、気がつくとリアルトのたもとに来ていた。まだ朝8時半、リアルトからの風景は1日の中でも時刻によって全然違うのであるが、この時間帯は初めてである。真昼も、夕暮れも、真夜中も(3年前には午前2時だったか3時だったかのヴェネツィアの裏町を走り回ったのだ)、どのヴェネツィアも美しかったが、太陽の光が逆から当たっている朝のリアルト橋は全く別の風景に見える。

 


 橋を向こう側に渡って「魚市場」を散策する。一昨日の夜は、ここでいろいろなカップルが、カップルらしいいろいろなバカバカしいことに、いろいろな世界中の流儀で、律儀にマジメに取り組んでいるのを見ながら辟易したものだったが、朝の魚市場となると、その活気は東京築地に決して見劣りするものではない。しかも、日本では見かけないさまざまな魚がいろいろ目に飛び込んでくるのも新鮮である。

 


魚だけではなくて、

 


力強いトマト、

 


野菜類、

 


大量のアスパラガス、

 


スパイス類、その他、

 


もしも料理の道具がそろったコンドミニアムに宿泊したなら、それこそいろいろ料理に取り組んでみるのも悪くないかもしれない。
 

 11時前にホテルに戻って、11時半チェックアウト。電車でミラノに向かうから、ホテルからヴェネツィアの駅まで、ヴァポレットでかかる時間を多めに見積もっておいたほうがいい。ヴェネツィア発12時51分。ICなのだが、車両はワンランク上のESの車両を使っている。同乗したイタリア人もみな不安そうである。ICの切符でESに間違って乗車すると高額の罰金を支払わなければいけないからである。私もイタリア国鉄パスで乗車していて、パスではESにだけは乗れない決まりになっている(3年前、このルールを知らずにローマからナポリまでESに乗って40ユーロも罰金を払ったことがある)から、それなりに不安。何度も確認したが、間違いなくIC。ヴェネツィアからヴェローナに着くぐらいまで、1時間ほど、この不安が車内の乗客すべてに取り付いて離れなかったようである。


1E(Cd) Cecilia Bartoli:THE VIVALDI ALBUM
2E(Cd) Kiri Te Kanawa, Solti & London:MOZART/LE NOZZE DI FIGARO 1/3
3E(Cd) Kiri Te Kanawa, Solti & London:MOZART/LE NOZZE DI FIGARO 2/3
4E(Cd) Kiri Te Kanawa, Solti & London:MOZART/LE NOZZE DI FIGARO 3/3
5E(Cd) Solti & Vienna:WAGNER/DAS RHEINGOLD 1/2
6E(Cd) Solti & Vienna:WAGNER/DAS RHEINGOLD 2/2
9D(DvMv) THE BOURNE IDENTITY
total m93 y1180 d1180