こんばんは。

いつもブログを見ていただきありがとうございます。

東京電力福島第1原発事故から8年になりました。避難解除や元いた場所へ戻る時期については賛否あると思います。福島県以外にある原発も震災や津波、老朽化や操作ミス等でいつ事故が起こるかわかりません。僕も東北電力女川原子力発電所があり他人事ではないので、今の福島の現状を見つつ事故後の時間軸を再度確認することも大事ではないかと思い、こういう話はすぐに忘れ去られてしまいますので、いつでも確認出来るようにこちらでも河北新報(第43971号)の内容を抜粋させていただきました。ご興味がある方はご覧いただけたらと思います。また、原発事故の避難について考えるうえで何かのきっかけになれば幸いです。

 

 

 

 

 

1面

避難解除 希望と不安

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故により、福島県内の16万人超が住まいを離れ、避難を余儀なくされた。第1原発が立地する2町のうち大熊町の避難指示は4月に一部解かれる予定だが、双葉町の全町避難は終わらない。先行解除された周辺市町村の復興も遅れている。帰還への迷い、分断の苦悩を抱え、漂流の日々は今も続く。(「震災と住まい」取材班)=第5部は7回続き、4面に関連記事

 

 住まう権利を奪われた町に戻れる日が、刻一刻と近づいている。

 

 原発事故後、全町民が避難している大熊町。「3・11」前は水田地帯だった約39ヘクタールの土地が、帰還住民を受け入れる地域に生まれ変わろうとしている。木造平屋の災害公営住宅50戸と新たな役場庁舎の建設が急ピッチで進む。

 

 町は放射線量が比較的低い南部の大川原地区を「復興拠点」と定め、帰還の第一歩を踏み出すための大規模事業を展開中だ。4月に避難指示の解除が見込まれ、6月には公営住宅への入居が始まる。

 

 「避難生活は長かった。引っ越したら猫を飼ってゆっくり過ごしたい」。完成を心待ちにする山本重男さん(69)は今月中旬、現地で工事の進み具合を確認した。2013年から暮らすいわき市の好間工業団地第3仮設住宅を出て、妻(63)と入居するつもりだ。

 

 原発事故の翌日、町中心部にあった自宅をマイカーで離れ、会津若松市など県内4カ所を転々と避難した。埼玉県内にいる長女(23)から「こっちに引っ越したら」と促されたこともあったが、愛着ある福島を離れられなかった。

 

 新居の周囲に商店や医療機関はなく、町はこれからコンビニやスーパー、診療所を段階的に整備する。山本さんは「生活環境が不十分なのが心配。しっかり整えてほしい」と願う。

 

 

 

 避難指示の解除は大川原と、隣接する中屋敷地区の計約3000ヘクタールで見込まれる。面積は町の約4割に及ぶが、原発事故前の人口は町全体(約1万1500)の約5%だった。大多数の町民が暮らした他地区は立ち入りの制限が続く。

 

 居住再開の次のステージに向け、国は町内の帰還困難区域のうち中心部の約860ヘクタールで除染を進める。3年後の22年春ごろまでの避難指示解除を見据える。

 

 山本さん一家が住んでいた築24年の自宅も除染対象の帰還困難区域にある。日中の一時立ち入りが認められて以来、山本さんは家族3人の思い出が詰まった自宅に定期的に戻り、掃除や換気を続けてきた。

 

 8年に及ぶ避難で町の空洞化は進み、風景は様変わりした。公営住宅を「仮住まいの場」と位置付ける山本さん。「住み慣れた家を改装して暮らしたい。駄目なら同じ宅地に建て直せないだろうか」と望みをつなぐ。

 

 

 

 大川原で生まれ育った新妻茂さん(69)も帰還を決断した一人だ。会津若松市内の仮設などを経て、現在は茨城県内で妻(64)ら家族3人と生活する。

 

 避難中に傷みが激しくなった大川原の自宅は、やむなく解体した。兼業農家として地元の田畑を耕してきた新妻さんは「いつか農業を再生させたい」との希望を持ち続ける。町や県に協力する形で、茨城から古里に通いながら野菜や花を試験栽培してきた。

 

 避難指示解除後、新妻さんは大川原の公営住宅に単身で入居する。「最初に帰還する自分たちが楽しく暮らせたら、戻る人が増えるかもしれない。少しずつ前に進みたい」と地域の将来に思いをはせる。

 

 

 

 

 

4面

原子力災害 深い爪痕

 

 東京電力福島第1原発事故による避難指示に伴い、福島県ではいまだに4万人以上が県内外で避難生活を強いられている。事故から8年が過ぎ、避難指示区域の解除は進んでいるが、思うように住民の帰還にはつながっていない。研究者は避難者に対する生活再建策の不備や、東電からの賠償格差がもたらす弱者へのしわ寄せといった問題点を指摘する。(「震災と住まい」取材班)

 

 

 

国の法的責任 明確化を

大阪市立大大学院経営学研究科教授 除本理史 氏

よけもと・まさふみ 一橋大大学院経済学研究科博士課程修了。東京経済大教授などを経て、2013年4月から現職。専門は環境政策論、環境経済学。横浜市出身。47歳。

 

 原発事故から8年が経過し、避難者を取り巻く住まいなどの課題は複雑化、多様化が進み、いわばモザイク状になっている。生活再建が困難な人々の姿は覆い隠され、見えにくくなっていると感じる。

 

 国は原子力政策を推進した社会的責任を認める一方で、法的な責任は争っている。公共事業には予算を手厚く分配するが、被災者支援の前提は自然災害と同様に自己責任のスタンスを崩していない。「生活再建は東電からの賠償金で賄ってください」ということだ。

 

 賠償額は8兆円にまで積み上がっているが、元々あった収入や財産の損害を埋め合わせるものだ。大震災時に病気で失業していたり、持ち家でなかったりすればその分は受け取れない。経済的にあまり条件の良くなかった人が、厳しい状況に置かれている。

 

 「ふるさとの喪失」などの損害は考慮されていない。原発事故の被災者は何を失ったのか、紙幣換算では見えにくい被害も明らかにする必要があるだろう。

 

 福島県は自主避難者の帰還を促すため、2年前にみなし仮設住宅の無償提供を打ち切った。緩和措置とした家賃補助も3月で終わる見通しになり、新たな問題を引き起こしつつある。

 

 避難者向けの復興公営住宅は県内にしかない。経済的負担から戻らざるを得ない人もおり、県外で避難を続けるのは厳しくなる。避難を終了させたい国の姿勢が透けて見え、帰還政策の性格は強まっている。

 

 新たに家を構えたとしても、世帯分離やコミュニティーの衰退など苦悩を抱える。一人一人の実情に即したケース・バイ・ケースの復興をどのように支援するかが、今こそ問われる。

 

 民間団体との連携はより重要度を増しているが、活動をサポートする予算規模は多くの費用が投じられる除染などに比べて小さく、継続性を保つのも困難になっている。

 

 国による現状の政策には、人災に自然災害の枠組みで対処しようとする矛盾と、帰還など長期化が避けられない問題を10年の復興期間で終息させようとする無理がある。損害賠償訴訟などを通じ、国の法的責任を明らかにしなければ政策転換は図れない。

 

 

 

? 福島復興再生特別措置法

 

 原発事故からの再生に向け、2012年3月31日に施行された。本来は自治体が実施する道路や堤防整備などのインフラ復旧の代行や、安心して暮らせる生活環境の実現、産業の復興や創出の支援が盛り込まれた。原子力政策を推進した国の社会的責任も明記された。17年5月の改正で、立ち入りが制限されている帰還困難区域内での居住ができるよう「特定復興再生拠点区域」が創設された。市町村の計画に基づき、国費で除染や道路などの環境整備を集中的に進める。同年9月に双葉町、11月に大熊町、12月に浪江町、18年3月に富岡町、4月に飯館村、5月に葛尾村の各計画が認定を受けた。

 

 

 

原発事故に伴う避難指示区域などの状況

大熊ようやく一部解除

 

 原発事故に伴う避難指示区域などの見直し状況は地図の通り。全町避難する福島県大熊町は4月に大川原、中屋敷地区の避難指示が解除される予定。町は大川原に整備する役場新庁舎の開庁式を14日に行う。

 

 県によると、9市町村に及んだ旧避難指示区域で、今年1月末か2月1日時点の住民登録者数は計4万7680人。うち居住者数は23.0%の計1万986人にとどまる。

 

 2017年3月末に避難指示が解除され、対象区域の住民登録が1万4587人で最も多い浪江町は6.1%(居住者数は896人)。同時期の富岡町も9294人に対し、9.3%(864人)と低迷する。

 

 全町避難が続く双葉町は20年春までに北東部の避難指示解除準備区域と、JR双葉駅周辺で避難指示解除を目指す。帰還困難区域に整備する特定復興再生拠点区域全域は、22年春までの解除を目標にしている

 

 伊沢史朗町長は町議会3月定例会の答弁で、放射線量の低減状況などを確認する専門家による検証委員会を4月に設置し、秋までに最終報告を取りまとめてもらう方針を明らかにした。

 

※福島県「ふくしま復興のあゆみ24版」から作成

○赤色…帰還困難区域

(大熊町、浪江町、双葉町)

・年間積算線量50ミリシーベルト超

・立ち入り原則禁止、宿泊禁止

○橙色…居住制限区域

(大熊町⑧)

・年間積算線量20~50ミリシーベルト

・立ち入り可、一部事業活動可

・宿泊原則禁止

○ドット色

(田村市①、川内村②、楢葉町③、葛尾村④、南相馬市⑤、飯館村⑥、川俣町⑥、富岡町⑦)

・避難指示が解除された区域

○緑色…避難指示解除準備区域

(大熊町⑧)

・年間積算線量20ミリシーベルト以下

・立ち入り可、事業活動可

・宿泊原則禁止

 

 

避難指示の経過

 

2011年

03月11日

○午後07時03分

・福島第1原発に原子力緊急事態宣言

○午後08時50分

・県、福島第1半径2キロ圏内に避難指示

○午後09時23分

・国、半径3キロ圏内に避難指示、半径10キロ圏内に屋内退避指示

 

03月12日

○午前05時44分

・半径10キロ圏内に避難指示

○午後06時25分

・半径20キロ圏内に避難指示

 

03月15日

○午後11時00分

・半径20~30キロ圏内に屋内退避指示

 

04月22日

警戒区域、計画的避難区域、緊急時避難準備区域を設定

 

09月30日

緊急時避難準備区域の解除

 

 

2012年

04月01日

帰還困難、居住制限、避難指示解除準備の3区域を設定

 

 

2013年

08月08日

川俣町山木屋地区が避難指示解除準備区域となる

 

 

2014年

04月01日

田村市都路地区の避難指示解除準備区域を解除①

 

10月01日

川内村の避難指示解除準備区域を解除、居住制限区域を避難指示解除準備区域に再編②

 

 

2015年

09月05日

楢葉町の避難指示解除準備区域を解除③

 

 

2016年

06月12日

葛尾村の居住制限区域と避難指示解除準備区域を解除④

 

06月14日

川内村に残っていた避難指示解除準備区域を解除

 

07月12日

南相馬市の居住制限区域と避難指示解除準備区域を解除⑤

 

 

2017年

03月31日

川俣町山木屋地区、浪江町、飯館村の居住制限区域と避難指示解除準備区域を解除⑥

 

04月01日

富岡町の居住制限区域と避難指示解除準備区域を解除⑦

 

 

2019年

04月

大熊町、居住制限区域と避難指示解除準備区域を解除へ⑧

 

 

 

避難者数の推移

赤色…県内避難

青色…県外避難

橙色…避難先不明

 

 

4万人超 いまだ戻らず

 

 福島県の避難者数(グラフ)は、2012年5月の16万4865人をピークに減少しているが、今年1月末時点で計4万2105人(県内9323人、県外3万2769人、不明13人)が、いまだ避難先にとどまっている。

 

 うち18歳未満の子どもは、県内外合わせて1万7487人(18年4月時点)に上る。復興庁と県、市町村による住民意向調査で、「戻りたい」との回答は双葉町(18年度)で10.8%、大熊町(17年度)で12.5%。「戻らない」は、ともに約6割を占めた。

 

 原発事故で福島県全域に災害救助法が適用され、避難指示区域外からも多くの住民が全国各地に避難した。民間賃貸のマンションやアパートなどの「みなし仮設住宅」が無償で提供されたが、自主避難者分は17年3月で打ち切られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上、

『河北新報(第43971号)』より抜粋をさせていただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは失礼致します。