イルジメ〔一枝梅〕 公式応援ブログ -4ページ目

「イルジメ」怒濤の第17話に捧ぐ

アンニ・ヨン・ハセヨン。 


やばい、やばいです! いまだ仕事は終わらないのですが、イ・ジュンギの新作の共演者が決まったというニュースを聞き、いてもたってもられなくなってしまいました。

今回のパートナーは、なんとハン・ジミン!「復活」「京城スキャンダル」「カインとアベル」と見てきて、実際取材もしていますが、なんか可愛い人です。

ちなみに、「京城スキャンダル」のロケ取材をしたとき、ロケが深夜にまで及び、ソウルに戻れなくなったことがありました(場所が田舎だったので)。どうしようと頭を抱えていると、我々の顔をのぞきこんだハン・ジミンさんが一言、「私たちの車に乗っていけば?」……人気女優のプライベート車に同乗なんて恐れ多いと思いつつ、背に腹はかえられず、彼女の車に一緒に乗ってソウルまで戻ったのですが、そのとき抱いたイメージは「江戸っ子」(笑)。

イ・ジュンギとのコラボが楽しみです。9月には撮影が始まるようなので、こちらの応援も始めなくては!(笑)


で、現在のわたくしは…というと、相変わらず締め切り地獄でして。が、この週末で大きな山がひとつ終わる予定! おめでとう、自分!

なので、今日は第17話に関するエコ記事をアップしておきます。
週明けには久々に「イルジメ」を堪能できる! そしたら、新記事をアップしますね。

では、今日のエコ記事です…

──────────────────────────────────────────

前回に続き、様々な感情が交錯する第17話。その感想の前に、少し余談を。

先日、某雑誌の覆面対談に呼ばれ、語ってきたのだが、与えられたお題目は「魅惑の脇役」。もちろん韓国ドラマの、である。

私ともう1人のライターとの対談だったのだが、互いに真逆の嗜好の持ち主で(でも仲良し)、そもそもチェックしている作品、支持する作品が違うのだが、今回真っ先に話題にのぼったのが『イルジメ』だった。見ている視点は微妙に違うのだが(たとえば、私は完全にヨン寄り。彼女はシフが気になる様子)、お互い「これは面白いよね、男性も楽しめるよね」と大絶賛。

まぁそれはさておき、この対談で私が一番言いたかったのは、「脇役も、主人公の物語にぶれがなくてこそ、主人公の魅力が十分に放たれてこそ」ということだった。どんなに脇役がいい演技を見せても、主演が光っていなくては、そこまで味わえないもの。核がしっかりしているからこそ、脇の演技にも目がいき、ぐいぐいと引き込まれていく。

そのいい例が、この『イルジメ』だ。タンとセドル、タンとシフ、コンガルとポンスンなど、様々な脇の物語もひとつひとつ胸にくるものがあるが、それも、ヨン=イルジメという柱があってこそだと思う。どんなにタンとセドルが頑張ったところで、ヨンに魅力がなければ、物語自体に引き込まれないで終わってしまう。ヨンの物語に夢中になりつつ、はさみこまれる脇の物語も気になっていく。主と脇、両者が互いを生かしあう、理想の形を築き上げていくことは、非常に難しいことだ。上手い脇役が主役を邪魔してもいけない。それに、上手い脇役に主役が食われるような弱い演技をしていてはいけない。だからこそ、主演は大事なのだ。核となって引っ張り、脇と織り合っていく。

脇役の演技が光っている作品は、主演が素晴らしいからである。間違いなく、そうである。



そして、もう一つ、時代劇で主人公を演じるのは若い俳優には高度である、ということ。様々な登場人物が入り組み、サイドストーリーがいくつも並行して流れていく時代劇において、主人公はそのすべてをしっかりと引っ張っていけるだけの演技力を必要とされる。そういう意味で、「イ・ジュンギはすごい」というのが、2人の意見だった。確かにミニシリーズで、本格時代劇ではないが、“見(魅)せなくてはいけない要素”が現代劇よりはるかに多い時代劇において、これだけ作品全体を魅せたのは(しかもラブストーリーというお約束要素が少ないにも関わらず)、やはりすごいことだと思う。『イルジメ』を見るたび、そう思う。

最近、業界内では、すっかりイ・ジュンギ・ファンと認知されてしまったが、私はいい役者が好きなだけだ。いい役者を応援したいだけだ!と、心の叫び(笑)。いや、まぁ、ファンですがね。はい、ファンですよ!
余談なのに、長くなってしまった。

さて、第17話の本題に。

衝撃のセドルの死から始まり、イルジメの正体を 知ったタンの行動、ヨンと兄弟であることを知ったシフの葛藤、コンガルが仇と知ったポンスンの怒り、そして、様々な罪の意識を背負ってしまったヨンの苦しみ、イルジメとして巻き込まれる陰謀、実母とのニアミスノと、息をもつかせぬ展開で、次から次へと衝撃の出来事が押し寄せる。それもただの事件ではない。いろいろなことが明らかになり、それが彼らの心を激しく揺さぶっていく。あまりにいろいろなことが起こりすぎて、どこから書いたらいいか…。


ただ、私がもっとも胸がぎゅっとなったのは(もっとも、じゃないな。他にもあるのだが…)、以前も書いたが、瀕死のヨンが幻に見たものだ。死の淵にあるヨンの脳裏に浮かんだのは、誰でもない、“母”タンなのだ。

「ヨン、しっかり。死んじゃダメよ」

そのタンの声に支えられ、ヨンは意識を立て直し、母のもとへ必死で帰っていく。それは、以前ヨンがムイに氷湖に落とされたときに、父ウォノの声で目覚めたシーンに重なる。もはや、ヨンを支える家族は、母タンであり、父セドルなのだ。

息を引き取ったセドルに覆いかぶさるように泣きじゃくるヨンを、なだめるように背中から抱きしめ、親子が重なって涙を流すシーンは、胸が切られるように、苦しいほど、心を締め付けるものがあった。悲しいのに、それでも、こうして親子3人がひとつになった姿に熱いものを感じ、人と人のこれ以上ない強い結びつきに、ただただ涙した。

ある意味、セドルは幸せな人だとも思った。愛した分だけ、愛される。それを教えてくれる人だった。自分がいつか亡くなったとき、こんな風に悲しんでくれる人がいるだろうかと、そんなことも思った。

雨に濡れながら、セドルの遺体を運ぶシーンで、外に出て濡れているセドルの足もとに、タンがござをかけ直してやるシーンがあるが、こういう小さな演出が素晴らしい。


一方、セドルの葬儀のあとに、ヨンはシワンと共に飲み荒れ、シフはヨン(ギョム)の実母のもとで涙する場面があるが、それぞれの心のメ母モというものが映し出され、その深い結びつきに、胸がじ~んとなってしまう。

これまで言葉には表さなかったそれぞれの心の内が、ひとつひとつ明らかになり、うんうん、そうだったのね、と泣きながら見てしまった。セドルのタンに対する想い、タンのセドルに対する愛、ヨンとタンの母子の絆。

「もうずっと前からあなただけだった」というタンの言葉は、そのまま息子ヨンに対しても通じるものなのだろう。


そして、ヨンだ。

自分のせいで、父セドルを殺してしまったという、深く重く悲しい罪悪感。さらに、実父ウォノの仇の娘ウンチェを愛してしまったことに対する罪悪感。そうでなくても、姉を殺し(実際はヨンのせいではないが、彼女がヨンを捜していたことが死のきっかけとなったからねぇ)、シム・ギウォンら自分を捜していた人たちがことごとく殺され、そのすべての死の責任を1人で抱え込んでしまったヨン。その苦しみは、想像を絶するものだ。


「あの人は、僕の腕だ。僕の脚だ。僕の胸だ。僕のすべてなんだよ!」


父セドルをヨン=イルジメはそう訴えるが、そのすべてを失ってしまったヨンの気持ちは…。もう考えただけで、痛くて痛くて仕方ない。


さらに、追い打ちをかけるように、イルジメに着せられた殺人の罪。「決して人は殺めぬ」イルジメを突き落とす陰謀。マスメディアの誤った(企まれた)情報で、簡単に、英雄から罪人へと評価を変え、手のひらを反す民心の悲しさも、皮肉たっぷりに描かれている。ここで私はどうしても、マスメディアやそれを鵜呑みにする一般の人々の噂に振り回され、傷付けられる“スター”という存在を思い、胸を痛めてしまう。

そして、こんなところまで、鋭く描く『イルジメ』という作品に、圧倒されるばかりなのだ。

とまぁ、他にも書きたいことはあるのだが、今回はここまでで。

皆さんは、どのようにご覧になったでしょうか?  次回も怒濤なんですよねぇ。

──────────────────────────────────────────


自分であらためて読んでみて、我がことながら「熱いなぁ」と思ってしまいました。

私は先日のイ・ジュンギの来日コンサートで、「やっぱり好き!」というのを再確認したのですが(笑)、こういう商売をしている関係で、冷静に、客観的にすべての俳優、作品と向きあわなければという気持ちもどこかに常にあります。でも、どうしても贔屓目になる(苦笑)。ミーハー根性だけで「好きだ好きだ!」と言わないように、極力、その“好き”の理由を分析して、伝えようと思うのですが…。

ある本に、「理由付けをしても、結局恋には理由がない。ただ好きなだけ」とありました。まるで、韓国ドラマ(笑)。私のジュンギ好き、「イルジメ」好きは、「ただ好きなだけ」なのかもしれません。でも、やっぱり好きには変わりません。なんなんでしょうねぇ。この感情は…。

まぁいいや。だって好きなんだから(しつこい!笑)。


そんなわけで(どんなわけで?)今回は、ここまでで。

アンニ・ヨン!

「イルジメ」第16話に泣く

アンニ・ヨン・ハセヨン。

地震に台風、天災に怯える毎日ですが、皆さんの地方は大丈夫でしょうか?

私は、地震の大揺れの中、動じながらも原稿を書いておりました。

そして、今も書いております(涙)。

というわけで、再びエコ記事に頼ります。今回は、第16話の所感です。

では、参りましょう!

─────────────────────────────────────────

16話です。今回は悩みました。

胸の中にはいろいろな思いに溢れかえっていて苦しいくらいなのですが、何をどこから書けばいいのか、軽い気持ちで書くこともできず、唸っておりました。

セドルとタンの婚礼儀式、それを見守るヨンとシフ、2人の息子たちの思い。

また一方で、その2人の息子たちへ深い罪悪感を抱き、償おうと命をかける養父セドルの愛情、そして母タンの苦しみ、そんなタンを包むように慰める夫セドルの愛情。

様々な事情を背負って生きている人々、そしてその事情ある関係。ゆえに、自分のことより何より相手を気遣い思い遣る心、そうと悟られないようわざとおどけたりする、これまた思い遣り。

温かい。あまりに温かくて、優しくて、胸がぎゅっと締め付けられてしまう。

そう!人があまりにもまっすぐに優しいと、切なくて胸が、なんというか、熱くなるのだ。


そしてこの回には、何度見てもグッとなるセリフがあります。心の琴線に触れる言葉。それは、婚礼の前夜、風呂でセドルの背中を流しながら、ヨンが語る言葉です。

「父さん、俺を育てるの、大変だったろ」

号泣…

何ということはないセリフです。哲学的なわけでも、何かの教えを含んでいるわけでもありません。が、実子でもない自分を深い愛情をもって育ててくれた父セドルに対するヨンの思いが、この一言にすべて詰まっている気がするのです。

感謝、申し訳なさ、言葉では表しきれない様々な思いが、ヨンの表情、話すトーン、かすかな声の震え、もういろいろなところから感じ取れて、ただひたすら泣いてしまう。面と向かってではなく、背中に語りかけるその感じも泣けるのです。


「俺がいなくても、母さんと仲良く幸せに暮らして」

「お前こそ、父さんがいなくても、母さんと仲良く幸せに暮らせ」

「父さんなしでは、生きていけないよ」

「俺だって、ヨンがいなくちゃ生きていけないよ」

という一連のやり取り。そして、悲しみをごまかすように、わざとふざけあう2人。

記憶が戻っていない振りをし続けるヨンと、ヨンの記憶が戻っていることを知らない振りをするセドル。互いに、すべてを知っていることを隠して、明るくいつも通り“本当の父子”を演じる2人の姿に、これ以上ないほどの深い慈しみ、そして絆を感じて、胸が震えてしまう。

また一方で、両親の婚礼の儀式を外で見守るしかなく、素直に祝うことのできないシフの悲しみも、見ていて切なく、それ以上に、そんなシフに胸痛めながら、それでも嘘をついて、悪者を演じ続けようとするタンの苦悩も涙ものだ。


あぁ、何を言いたいのか、伝わっていますでしょうか? うまく書けず、すみません…

もどかしいです。

言い訳がましいですが、第1617話は、もうドラマ自体の完成度が高く、物語そのものが圧倒的な力で迫ってくるので、見どころを解説するも何もないんです。ただ、ひれ伏すばかり。

皆さんが個々にご覧になって、心で感じ、受け止めて頂ければと思います。

─────────────────────────────────────────

以前、これを書いたときは、もうどう書いてよいやら、かなり悩んだ記憶があります。もう一度、16話を書こうと思ったら、また同じようになるのかなぁ。

来週には、落ち着くので、いろいろなことを再考し、新記事をアップしていきたいと思います。

それまでは、エコ記事で(苦笑)。


そうそう、ウンチェ×イルジメの恋についても、少し書きたいことがあるのですが、これもまた落ち着いたら…ちなみに、私は世の多くの人と一緒で、ポンスン派です(笑)。


それでは、アンニ・ヨン。

「イルジメ」第15話考

アンニ・ヨン・ハセヨン!


相変わらず、原稿が終わらない高橋です。が、うっかりMnetで「犬とオオカミの時間」を見てしまっています(今、まさに!)。面白れぇ~!!!!!

「犬~」と「イルジメ」を対比させながら論評したいという野望に駆られますね。が、今はちょっと時間に余裕がないので、落ち着いたら考えてみよう(苦笑)。

そうそう、このブログですが、一応8月いっぱいまでを予定しています。それまでに書くべきことを書けたらいいのですが…。書ききれなかった場合は、少し延長もありかなぁ。メーカー担当さんと相談してみます。中旬以降は、少し余裕が出るので、「イルジメ」応援団、ラストスパートさせて頂くつもりです。

あ、でも布教活動は個人的には続けますヨン。

それに、イ・ジュンギ新作応援活動もあるので(笑)。


で、申し訳なくも、今回もエコ記事です。

15話についてと、ジュンギに関する所感になります。では、どうぞ!

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


いきなりですが、イ・ジュンギは「舞台役者」だと個人的に思っています。もちろん、映像役者ではあるのですが、演技の感覚が舞台的というか、全身を感じる演技というか、舞台をいつかやってほしいなと思っている役者の1人です。

インタビューでの「フルショットが好き」というジュンギの言葉が印象的だったため、以来、フルショットが気になって仕方ないのですが、先日も俳優で舞台の演出もしている岸谷五朗さんがこんなことを言っていました。

「映像監督がフルショットを撮りたくなるのは、舞台役者なんです。それは体全体で演技をするから。たたずむ背中を見せるだけで、哀愁漂う表情を感じさせなくてはならない。カメラがズームしてくれないから、演技によってアップシーンだと思わせなければならないんです」

日本でも、映像と舞台の双方で活躍する俳優(若手だと小栗旬くんなど)は、やはり首ひとつ、抜けた感じがありますからね。

そういう意味で、ファンイベント「エピソード2」などは彼のフルショットを楽しめるいい機会でもありますね。


と、無駄話?はここまでにして、そろそろ第15話考といきましょう。


書きたいことは今回もたくさんありますが、大きく2点。

まずは、徐々に明らかになってきた王とウォノ暗殺に絡む人間関係について。これについては、若干ややこしい部分もあり、混乱しがちなので、ここで一度整理したい。

今回、ウォノの死の真相をギョム(ヨン)に伝えようとしていたキム・イッキが、王の陰謀により「狩られる」=暗殺されるわけだが、王のセリフにもあるように、王(仁祖)が王位に就くときに尽力した「天友会」のメンバーは、イ・ウォノ(ご存知、ヨンの実父)、先に謀反の疑いで殺されたシム・ギウォン、その甥で陰謀の全貌を明かそうとして、やはり殺されたクォン・ドゥヒョン、このキム・イッキ、そして第15話で王に「キム・イッキがクォン・ドゥヒョンが遺した血書を清に送った」ことを申告した2人。このあたりは、第56話に描かれていたエピソードなので、あらすじで再確認していただくと、よりわかりやすいだろう。クォン・ドゥヒョンは牢獄の中で、処刑の前夜に自分の服を切り裂いて、そこにウォノ暗殺の真相を自らの血で書き記していた。ヨンは真実を確かめようとドゥヒョンの死体を運ぶ荷車に忍び込み、この遺書を手にするが、残念ながら半分を奪われてしまう。思い出していただけただろうか?


この血の遺書をキム・イッキが清に送ったわけだ。これは清王朝の力で仁祖の悪政を食い止めようとしたためだろう。以前にも書いたが、仁祖は清に対して抵抗政策をとっていて、そのためたびたび、清から脅かされていた。仁祖の最大の敵は、清なのである。


また、クーデターによって王になった仁祖は、そのため、自分自身も誰かの裏切りで失墜する不安を常に抱え、少しでも疑いのある人間は次々消していった。これも以前にここで書いたが、彼にとって自分の王位を脅かすものは悪であり、消すべき存在なのである。そして、その1人が清に人質として送られた長男、昭顕世子だった。清王朝との関係もよく、そういう意味で清の後ろ盾のある昭顕世子は忌むべき存在となり、後に父の陰謀で殺されることになる。

ヨンの敵は、とんでもない人間なのだ。彼への復讐は、死をかけたもの、といっても過言ではない。さぁ、どう展開していくのか?


あ、関係ないが、南門市場で大流行の「イルジメ鎧」、個人的にはとても欲しい!欲しい!!


もうひとつのポイントは、2つのキス、だ。

まずはポンスン&ヨン編。

ポンスンの「ずっとヨンに使われたい~」とだだをこねる姿が可愛いのだが、バンビ(下女)から解放してくれたお礼と言って、ポンスンに自らヨンの腕をつかんで、無理やり奪うヨンのファーストキッス(おそらく)は、なんだか小学生、いやいや幼稚園児のたわむれを見ているようで、思わずニンマリしてしまう。「ブチュー」という吹き出しを入れたくなるような(笑)キスというか、ポッポ(チュー)だったわけだが、この2人の関係をよく表していて、実に微笑ましいキス(いやチュー)である。こんな風に好きな人にチューできるなんて、ポンスンを見習いたいものだと、変なところで関心したり(笑)。


一方のウンチェ&イルジメ編。

この2人はなんと、目隠しキスである(うっとり~)。イルジメがウンチェを目隠しして、顔を明かさずに交わしたキスは、幻想的でロマンチックで、ちょっとエロティックで(うまい表現がないかと必死で探したのだが、見つからない)、とにかく、長々とクローズアップするのではなく、すーっと引いていくカメラアングル、そのストイックな映像の見せ方も含め、逆に非常に濃密なものを感じさせ、ドキドキしてしまった。


が、何よりこの背景にあるヨンの気持ちが、個人的にはたまらなかった。

キム・イッキに会うことで、ついに父親の死の真相がわかるというその直前。仇への復讐を果たすときが来たヨンの覚悟が、これらキスの背景にはある。

残念ながら、イッキの死により事態は変わってしまうわけだが(また、この死により敵の恐ろしさを思い知らされるわけだが)、ヨンは復讐の決行に対して、ある程度の危険(命を含め)を覚悟していたのだろう。もしくは、生きながらえたとしても、そのときはヨンもイルジメも捨てなくてはならないことを覚悟していたのだ。


そう、ギョムに戻るための復讐なのだが、それは同時に愛する人達との別れでもある。それでもヨンは、父のため、家族のために、無念を晴らしたかった。この両者の間での苦悩は、おそらくとてつもなく大きいものだったと思う。

ゆえに、ポンスンを「バンビ=下女」から解放してやり、ウンチェに別れの挨拶(接吻)をしたのだ。もう会えない、会わない、という深い悲しみ、切なさが、ヨン、そしてイルジメの表情から痛いほど感じられる。

ポンスンに軽口をたたきながら、瞬間的に陰る表情。そして、イルジメの仮面の上にわずかに見える瞳の悲しみ。そこには、ヨン、イルジメ、ギョムという三者の間で苦しむ彼の様々な心の揺れが映されている。ポンスンもウンチェも気づいてよ~!と思いつつ(というか、ウンチェ!さすがに鉢巻きをとれば、ヨンと分かるでしょう!と、思うのは私だけ?)


とにかく、このときのポンスンに対するヨン、ウンチェに対するイルジメの表情に、ギョムが表れているのだが、これが幼い頃の彼(つまり子役)の表情に重なり、ハッとする瞬間がある。特に、梅の木の上で、初恋の話をするウンチェに驚いて目を見開くイルジメ!目の部分しか見えないが、ヨ・ジング版ギョムと同じ顔なのだ。以前、他の俳優の話になるが、子役の演技を参考に、成人役を作り出す、と話していたのを聞いたことがある。この2人とのやり取りは、子供時代に出会っていることもあり、余計に重なるのだ。いやぁ、見事。私はこの重なりに、泣くかと思った。なにせ、自分が彼女の初恋だったと知った瞬間に、この表情なのだもの。鳥肌ものだ。

ふいに、ギョムに戻っちゃった。でも、それが本当の、押さえ込んでいた彼自身なのだ、というものを見せられて、本当にハッとなる。そうだった、彼はギョムだった。それをいつも隠しているのだったと。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


以上、エコ記事でした。

では、次回、またお会いしませう。アンニ・ヨン!