イルジメ〔一枝梅〕 公式応援ブログ -2ページ目

「イルジメ」最終回!ありがとう、ヨン!

アンニ・ヨン・ハセヨン。

ども、高橋です。まずは、訂正・補足から。


前回の「19話考」で、ヨンがウンチェに最後まで顔を見せなかった理由として、「仇の娘だから。それを知ったら、ウンチェが苦しむだろうということ」と書きましたが、これはご指摘もあったように誤りですね。すみません。

イルジメがギョムであり、彼女がイルジメ=ギョムにとっての仇の娘であることは、この段階でウンチェの知るところになっています。

イルジメ=ギョム=ヨンであることを、知られないようにしたわけですね。

ヨンは、一庶民として生きる道を選び、庶民として生きるということは、ウンチェとは身分違いの恋になり、結ばれることはない、ということを意味しているわけですね。で、それをすべて含めて、ヨンは選択したわけです。


また、イ・ジュンギ自身が「もし自分がヨンならポンスンを選ぶ」と言っていたのは確かです。私も一番初めに「イルジメ」の件でインタビューした際に、この答えは聞いています。初恋は初恋で胸にとどめ、新しい恋を始めることを選ぶだろう、というのが、ジュンギの選択だと思います。まぁジュンギ自身は、ポンスンの背景を知っていることもありますしね。

でも、脚本家や監督の意図、作品の中での意味合いを重視し、ジュンギはヨンを全うしたわけです。そういう意味で、我々がヨンの恋路にやきもきさせられたのは、ジュンギの演技(脚本家や監督の描きたかった世界)をうまく演じきったからということが言えるかもしれません。

まぁ、この話は私自身にも難しいです。答えはないのでしょうね。幾とおりも解釈があっていいのだと思います。

で、このままいくと、毎回、補足補足と続いてしまいそうなので、ここで切り上げるとして、今日は(今日も?)エコ記事で、最終回についての所感を…。

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では最終回、行ってみましょう!


その前に…

前回のコラムでふれた疑問、なぜヨンは最後までウンチェに顔を見せなかったのか?ということについて。様々なご意見、ありがとうございました!なるほど、と思いながら読ませて頂いたのだが、この最終回をあらためて見てみて、私なりの解釈(なかば希望?)ができあがった。それは、やはりヨンはポンスンを選んだためだ、ということである。


時間を前後して描かれているので、初めて見る人にはわかりにくいかもしれないが、ヨンがイルジメとなって宮殿に忍び込むシーンの前には、ポンスンが生きていたと気づく場面がある。ヨンは、アジトでポンスンが着ていたはずのイルジメ衣装を見つけ、その生存を知るのである。ヨンが甲に触れながら、「ポンスンが生きていた…」と涙するシーンは、隠れ名場面だと個人的に思っているのだが、この場面でのヨンの表情を見て、ハッとした。そうだったか、ヨンはポンスンを選んだのかと。イルジメとしてウンチェを助けに行ったが、生きて戻れたあかつきには、ヨンとしてポンスンと生きようと思っていたのだ。まぁこれに関しては、個人的希望により(私はポンスン派)頭の中で勝手にそう解釈したのだろうと言われてしまえば、おしまいなのだが…


がしかし、ラストの光景を見れば、その解釈もまんざら外れではない気がしてくる。なぜなら、南門市場の人々はみな、ヨンがイルジメであるということを知っており、彼の活動に対して協力体制を組んでいるにもかかわらず、済州島から4年ぶりに戻ったウンチェには、「ヨンは元気でやっている」と言うだけで、それ以上はふせているのだから。そういうわけで、南門市場に戻ってきたポンスンのもとに、ヨンは現れるのではないか、というのが個人的希望(笑)。


話は飛んでしまった。ラストの話は一旦置いておいて。


この回のキーワードのひとつが「兄弟」である。ドラマの縦軸が「父子」だったとしたら、横軸を成していたのは「兄弟」だった。同じイ・ウォノの息子として、そして兄として、イルジメ=ヨンを救うシフ。4年後のシーンで、ムイにウォノ暗殺の重要証拠である血書を公表しなかったことを問われたシフはこう答える。


「自分が握っていれば、傷つかずにすみます。弟が守ろうとした人たちが」。


シフの口から「私の弟(ネ アウ)」!シフはヨンを弟と認め、その意思を守るのである。このセリフに、思わずグッとなってしまう。そして、シフの表情のなんと穏やかで優しいこと!兄弟は「2人の父」と「信念」で結ばれたのである。


そして、皮肉なことに、仁祖とウォノが「兄弟」であったことも、ここにきて明らかになる。シフ&ヨン(ギョム)兄弟を引き裂いたのが、仁祖&ウォノ兄弟だったという、練られた構成に唸らされてしまった。


そして、ヨンの目を見て、弟ウォノの目と同じだと気づく仁祖…。ウォノの映像とヨンの映像が重ねて映されるが、ここで驚かされたのが、本当に同じ目をしていたことだ。子供時代のギョムと現在のヨンの表情が同じに見えたシーンも驚いたが、父ウォノとも同じ眼差し、同じ顔つきをしていたヨン@ジュンギに、ひたすら感服。


また、実際に兄弟ではないが、サチョン&コンガルの関係を、シフ&ヨンの関係に重ねて描いているところも素晴らしい。


そして、今回のもっとも大きなポイント、ラストの解釈についてである。

まず、サチョンの剣の前に倒れたヨンは死んだのか、否か? 

これは解釈ではなく、実際に「死んでいない」。監督、脚本家ともにそう話していたことなので、間違いない。サチョンがヨンを斬りつけた剣は、ヨンが落とした剣で、コンガルから譲り受けた「刀のない剣」だった、とも言われている。私も何度も巻き戻して確認したのだが、どちらの剣か確定はできなかった。だが、庭に倒れこんだヨンの体から、血が流れている痕跡が見られないので、おそらく深手は負っていないと思われる。

実際、4年後にイルジメとして復活したシーンで締めくくられている。これは、お気づきの方もいると思うが、第1話、冒頭のシーンに繋がっている。つまり、ヨンはあれから4年の時を経て、今度は1人ではなく、南門市場の仲間たちの協力を得て、義賊として活躍していくようになるのだ。だから、このドラマは、ラストまで見終わった後、もう一度、1話に戻って見直せるようにできている。

また、フンギョンが島までコンガルに靴を届けに行くシーンが出てくるが、ここでサイズの異なる2足を渡していることにも注目したい。

実は当初、私はこの小さな靴はヨンのものだと解釈していた。ヨンがイルジメであることにもことが王室にばれた今、市場では生きられない彼は、おそらくコンガルと共に離れ小島に住みつき、日々を送っているという解釈。


が、23度見たのちに、この小さな靴はポンスンのものだと解釈するにいたった。
コンガルはポンスンと共に絶壁から海へと身を投げたわけだが、おそらくコンガルは彼女と死のうと思ったわけではなく、はじめから彼女を生かすために、彼女を助けるために海に身を投げたのだろう。コンガルほどの武術の達人ともなれば、あの状況で生き延びるくらいのワザは持っているのだ。

で、4年後、2人は生き延び、島で一緒に暮らしている。以前と同じように、文句を言いあいながら、父娘として仲良くやっているのだろう。つまり、ポンスンはコンガルを許したのである。それにより、コンガル自身の胸のつかえ、痛みも消えたのではないのだろうか。

一方、ヨンは生きて、例の山奥のアジトに身を潜め、夜な夜な「帰ってきたイルジメ」として活動を繰り広げているのである。

あぁ、なんて見事なラストだろう!みんなが、養母タンも実母ハンも、市場の仲間たちも、ヨンが、イルジメが生きていることを知って、見守っているのだ!ヨンは今でも生きていて、みんなに愛され、みんなに守られ、そしてみんなと繋がっている!


久々に南門市場に戻ったポンスン、そして実家に戻ったウンチェ。
また、ここから始まるのです、新たな物語が、きっと!


もうひとつ、この回で私を唸らせたのは、最後まで貫かれた「決して人を殺さない」というイルジメの信念である。恨みを押し殺して、仁祖を殺すことのなかったヨン。復讐というと、「目には目を、歯には歯を」的な展開になりがちだが、ヨンは「詫びと、罪の撤回」を仁祖に要求したのみ。それだけでない。格闘シーンをよく見ていただければ、わかると思う。彼はあくまで、自分の身を守るために剣を使っているのだ。なので、アクションシーンは剣だけでなく、拳によって相手を倒すという技を多用している。その徹底した表現にあらためて感服。

描こうとしたテーマが明確で、最後まで決してぶれることがなかった。それを役者が見事に体現した。これが「一枝梅」を傑作にした要因だと思う。


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…と、少し加筆修正しましたが、以上が以前のブログに掲載した記事になります。

私、ウンチェとポンスンについて、以前もああだこうだ考えていたみたいですねぇ(苦笑)。

忘れてたのかよ!って感じですが。

とりあえず、ここまでで各話の所感をざっくりではありますが、紹介させて頂きました。残りは、書きたかった仁祖のことなど、書ければいいなと思っておりますが…
再び本業に追われ始め(苦笑)、おそらく明日はアップできません。すみません!


あと何回アップできるか?

できるだけ、がんばりま~す!

では、今日はこれにて、アンニ・ヨン!










「イルジメ」第19話考&恋愛所感補足

アンニ・ヨン・ハセヨン。


まずは、前回までの「恋愛所感」の補足を。


ちょっと書き忘れたのですが、ウンチェはヨンのお姉さん、ヨニに似ているんですよね。
どんなときも気丈に対応するヨニ、その凛とした姿はまさにウンチェだなぁと。
つまり、ウンチェはヨンにギョム時代を思い出させる存在、過去の幸せな記憶をつなぎとめる存在なのですね。

で、ポンスンはといえば、構図Aでも言いましたが、タンとセドルのようなものです。
我々視聴者はポンスンの背景を知っていますが、ヨンは彼女の背景を知りません。出会ったときのタンとセドルの関係がそうですね。これから、知っていく関係なのです。
つまり、未来に伸びていく関係といえるのではないでしょうか。


ウンチェ→過去の美しい思い出を記憶しておくための存在
ポンスン→未来を共に作り上げる存在

なのかなぁと。

「キャンディキャンディ」ていうと、ウンチェ=テリー、ポンスン=丘の上の王子様(アルバートさん)というような(分かりにくいか? 笑)。


で、そんなヨニに一目惚れするのがヒボンで、ソムソム(ウンチェの下女)と結婚したのちも、彼女との間に産まれた娘を「ヨニ」と名づけてしまうわけですが、初恋の女性とは男にとってそういうものなのでしょうね。美しく切ない思い出として生涯心に残るもの。でも、かといって、奥さんのことも愛しているのですよ、きっと。別の感情なのでしょうね。ヒボンにとってのヨニは、ヨンにとってのウンチェで、ヒボンにとってのソムソムは、もしかして今後ヨンにとってのポンスンとなるのかも???


このように、いろんな関係が対比できるのが面白いです。

そうそう、旅館の建築作業を終えたウンチェが夜道を帰るシーンがありますが、ここでのシフとイルジメの関わり方も対比構造になっていて興味深いです。

シフはウンチェの後ろをつけて、気づかれないように彼女の帰り道を守ります。

対するイルジメは、彼女の先を歩き、道を開いていくのです。ウンチェは彼を追いかけ、横並びになるわけですが。

そういう意味からも、イルジメとウンチェの関係は、同志的な匂いがありますね。同じ道を歩く同志。同じ志も持つ者という関係。


というようなことを書き忘れていたので、補足させて頂きました。

さて、明日、最終回を迎える前に、19話の所感を先にアップしておきましょう。
この所感は、以前のブログの記事を加筆修正したものになります。
軽くエコ記事ですね(苦笑)。

20話中のついに19話と相成りました。ここに来て、バタバタと物語が急ぎ足で展開しています。実のところ、初めて、つまりリアルタイムで視聴していた時は、18話以降の急展開に「早すぎるのでは?」と思ってしまったのですが、すでに何回も見ていると(苦笑)そういう感じも不思議と薄れ、ただひたすらキャラクターたちの心の動きと同化してしまっています。1回目に残した疑問や余韻を、2回、3回と重ねていくごとに、発見し、感じ方が広がっていくのを痛感することしきりなんです。


では第19話、行ってみよう。

今回のポイントは、ヨンを取り巻く女性たち。前回から引き続き、ウンチェ、ポンスンという2人の女性たちの切なる恋心が描かれている。

特にポンスン。コンガル曰く「自分の復讐ではなく、お前(ヨン)のために死のうとして」イルジメとなり、敵の前に立ち向かうのだ。この姿、まるでセドルである。何の報いも望まず、ただヨンを守るため、自分がイルジメとして死すことを選ぶのだ。彼女にとってはおそらく、イルジメよりもヨンが大事だったのだろう。イルジメさえこの世から消え去れば、ヨンはヨンとして、彼の望むように母親と共に穏やかに暮らせるようになる。ヒーローとしてではなく、ヨンという人間そのものを愛していたのだ。その愛し方に、セドルと同じ深い情愛を感じ、あぁこんな娘こそヨンのそばにいてほしいのに…と切なくなってしまう。

さらに、ポンスンがコンガルと共に海の藻屑となり、それを知ったヨンの深い悲しみ、つらさは、見ていてたまらない。残された者の悲しみは、どれだけ深いことか、どれだけ痛いことか…。それがそのまま「記憶が戻らなければよかったのに…」というセリフに表れている。

ポンスン、セドル、ヤンスン、姉のヨニ…。自分のために犠牲になった人々の思いを十字架のように背負って生きていくヨン。あぁ、涙…。ほんと、ヨンのためにも、みんな死なないで!なんて思ったり。
が、そんな個人的悲しみをいつまでも引きずっていられないのが、ヒーローである。ヒーローが落ち込んでいては、世の苦しんでいる人、ヒーローを待ち望んでいるのである。悲しいなんて泣いていられないのだ。この「どんなときも自分を殺し、人のために生きる」ヒーローが持つ心の奥底の悲しみこそが、この作品を単なる痛快ヒーロー劇とは一線を画したものにしている。一見かっこいいヒーローの、華やかなスターの真実を映し出し、「ヒーローとて一人の人間」というリアルに心動かされるのだ。イルジメ=ヒーローという生き方を選んだヨンが堪え忍ぶつらさを思い、毎度毎度胸を痛めてしまうのだ。

そしてウンチェ。前回のラストシーンが、イルジメのマスクを外そうと手をのばしたところで終わり、ドキドキものだったが、結果は…そう、イルジメに拒まれ、背を向けられてしまったのだ。その背を向けたイルジメ、というかヨンの瞳からこぼれる涙に、あぁ!あぁ!あぁ!(すみません!言葉にならず、です)

そして、思う。なぜヨンは、ウンチェに決して顔を見せることはなかったのか?
ヨンであることを決して知られまい、ヒーローはヒーローのままでいようとしたのには、イコール、ヨンとしてウンチェとの恋を成就しようとは思っていなかったということだろう。仇の娘であるということ。それが知れたら、ウンチェも苦しむだろうということ。そして、自分に関わると危険な目に遭うから、巻き込みたくはないということ(すでに罠に使われるなど、危険な目に遭っているが)。…自分のためというより、おそらくウンチェのために、この恋をあえて切り捨てたヨン。自分がイルジメであることをウンチェには決して明らかにしなかったヨンのストイックさ…。個人的に、ストイックな恋に弱いので、ここもまたツボだったりして(笑)。


そして、もうひとつ。2人の母の思いである。

ヨンがイルジメであることを知り、自分の身に及ぶ危険を承知で受けとめ、案じ、「必ず生きて戻るように」と送り出すタンの思い。ほころびた服ではかっこ悪いと、新しく縫ってやった服をヨンに渡すタンだが、表現が不器用なだけに余計に温かさが胸にしみてくる。


一方、14年ぶりだというのに、一目で自分のむ息子ギョムと気が付く実母、ハン夫人。

これまで、2人の父親との関係にスポットを当てられてきたが、ヨンにはこんな温かな母親がいるのである。そして、彼女たちもウォノ、セドルという2人の父親と同様、現在のヨン(ギョム)という人間を作り出した大切な人たちなのである。


ちなみに、ヤンスンが亡くなったときに、義禁府の前に座り込みデモを起こすエピソードで、庶民の中に参列したウンチェと彼女を見つめるポンスンという2人のシーンが出てくる。この2人の構図、表情、そして立ち位置が、ハン夫人とタンの関係に、これまたよく似ているのだ。相手を自分の息子や夫とどんな関係にあった女性か知らずに、そこに立つハン夫人と、相手を見て自分との因縁の女性と気づくタン。これって、ウンチェとポンスンの関係だよなぁ。

そう考えると、ウンチェとポンスンは、ハン夫人やタンと同様、ヨンにとって“母性的”存在なのかもしれません。


最後にひとつだけ。

この回、とにかくヨンの涙、泣き方に注目だ。これまで嗚咽するように泣いたり、激しく泣きじゃくることの多かったヨンだが、この回は「頬に一筋の涙が、つーっと伝う」という、“静”の泣き方で魅せている。これがもう、美しくて、悲しい。


あ、ピョン・シクのシフに対する思いも、この回で語られている。実は憎めないそっくり父子、ピョン・シク&シワン君。自分の無能さを知るあまり、有能な人間をいじめたりする彼らの、悲しくも愛おしいキャラも、この作品の妙味である。
シワン君なんて、ヨンのことが大好きで大好きで、セドルが亡くなって落ち込んでいるヨンを一生懸命励ましたりと、実はいいヤツなんですよねぇ。


ちなみに、このシワン役のキム・ムヨルは、普段は舞台で活躍する俳優さんで、今回、脚本家の目にとまり、この役に抜擢されました。さすが舞台俳優、上手いですよねぇ。パク・ヨンハの主演映画「作戦」にも出ていましたが、今後、映画やドラマでお目にかかる機会も増えるのではないでしょうか。


それと、「イルジメ」は吹き替え版もお勧めです。字幕版と吹き替え版は日本語訳が違うのですが、それは字幕でおさまりきれない分、吹き替え版ではより多くの情報量がセリフでカバーされているからです。あ、逆か。本来、韓国語のオリジナルのセリフの内容が、吹き替えのほうがより多く詰め込まれています。字幕だと文字数の制限があるので、端折られているんですね。だから、セリフとしては、吹き替え版のほうが様々な細かい背景がわかりやすいんです。それに、役者の演技を集中して見られますから。

なので、吹き替え版を一度見て、その後にもう一度字幕版で見ると、より深く内容を理解しながら見ることができると思います。まぁ、普通、そんなに何度も見る時間はないですよねぇ(苦笑)。もし機会があれば、ぜひお試しください。


では、今日のところはそんな感じで。
アンニ・ヨン!






「イルジメ」人気ジャケットを期間限定配布決定!

アンニ・ヨン・ハセヨン。


前回の「ヨン、ウンチェ、ポンスンの恋愛所感」は様々な意見があったようですね。

それくらい多様な解釈ができるということも、面白いなぁとあらためて思いました。

恋愛エピソードに限らず、ドラマを通して様々な部分に惹かれるのですが、それも人それぞれだと思います。

例えば、お子さんがいらっしゃる方はセドルやタンの思いに心打たれるだろうし(もちろん、子供がいない私も十分に心打たれましたが)、ポンスンの一途な愛に惹かれる人、シフの切ない思いに惹かれる人、そしてヨンの悲しき運命を懸命に生きる姿に惹かれる人と、それぞれあると思います。

私の場合は商売柄だと思いますが、世論(メディア)によって上げ下げされるイルジメ(ヨン)の孤独に、どうしてもグッとなってしまう。

本人はごく普通の庶民として生きているつもりでも、世間が勝手に噂を膨らませ、自分なのに自分が考えている以上に大きな存在にされていく居心地の悪さや孤独感。

おそらく、イ・ジュンギ自身も世間から「スター」と見られ、それこそ何かやるたびにああだこうだ言われ、感じてきただろう痛みや孤独もあるでしょう。もちろん、それ以上に喜びも大きいから続けていられるのでしょうが、なんだか、そういう「スターの孤独」の部分を「イルジメ」はとても繊細に描いており、ジュンギに重ねたり、自分の仕事に重ねたりして、ぎゅっと胸が締め付けられてしまう。メディアに関わる人間として、胸が斬られるような思いになるのです。

というように、人それぞれ、自分の生きてきた中で特別に感じやすい部分、心の琴線があると思います。「イルジメ」は様々な人間のドラマがあり、だからこそ様々な人間(視聴者)のドラマに重なるのでないでしょうか。だから、例えば、1年後、5年後、10年後に見たら、それはそれで、また違った見方になるかもしれない。その人が生きてきて感じたものが、「イルジメ」の中で新たに見つかるかもしれない。そんなドラマなんです、きっと。


と、かなり前置きが長くなりました。

今回は、久々にニュースネタです。


ポニーキャニオンさんによる「イルジメ」公式サイトで、地味~に進めていた(笑)レンタルジャケットの人気投票ですが、思った以上のご声援を頂いたという報告を受けました。人気投票は無事終了し、今はランキングの発表をしているそうです。

で、8月24日(月曜)から、第1位に輝いた第7巻のレンタルジャケットをそのままバナーにして、1週間期間限定で配布することになりました!!!

1週間限定なので、気をつけてくださいね!


そうそう、24日はテレビ東京さんでの放送も最終回になりますね!早いなぁ。


そして、こちらのブログですが、メーカー担当さんとも話をし、8月いっぱいで終了にさせて頂くことになりました。書こう書こうと思いながら、なかなか書ききれず申し訳ありませんが、しばらくはこのまま見られるようにして頂くことになりましたので、布教活動の際に、新しく見始めた方などに進めて頂ければと思います。

それに、あまり分析・論じすぎるのもよくないかもしれません(←言い訳?苦笑)。

好きなものは好きでいいじゃないか!

何度も見ていくうちに見方が変わってもいいじゃないか!

というわけで、もう少しだけ、お付き合いくださいませ。


ではでは、今日のところは、アンニ・ヨン!