「イルジメ」第19話考&恋愛所感補足 | イルジメ〔一枝梅〕 公式応援ブログ

「イルジメ」第19話考&恋愛所感補足

アンニ・ヨン・ハセヨン。


まずは、前回までの「恋愛所感」の補足を。


ちょっと書き忘れたのですが、ウンチェはヨンのお姉さん、ヨニに似ているんですよね。
どんなときも気丈に対応するヨニ、その凛とした姿はまさにウンチェだなぁと。
つまり、ウンチェはヨンにギョム時代を思い出させる存在、過去の幸せな記憶をつなぎとめる存在なのですね。

で、ポンスンはといえば、構図Aでも言いましたが、タンとセドルのようなものです。
我々視聴者はポンスンの背景を知っていますが、ヨンは彼女の背景を知りません。出会ったときのタンとセドルの関係がそうですね。これから、知っていく関係なのです。
つまり、未来に伸びていく関係といえるのではないでしょうか。


ウンチェ→過去の美しい思い出を記憶しておくための存在
ポンスン→未来を共に作り上げる存在

なのかなぁと。

「キャンディキャンディ」ていうと、ウンチェ=テリー、ポンスン=丘の上の王子様(アルバートさん)というような(分かりにくいか? 笑)。


で、そんなヨニに一目惚れするのがヒボンで、ソムソム(ウンチェの下女)と結婚したのちも、彼女との間に産まれた娘を「ヨニ」と名づけてしまうわけですが、初恋の女性とは男にとってそういうものなのでしょうね。美しく切ない思い出として生涯心に残るもの。でも、かといって、奥さんのことも愛しているのですよ、きっと。別の感情なのでしょうね。ヒボンにとってのヨニは、ヨンにとってのウンチェで、ヒボンにとってのソムソムは、もしかして今後ヨンにとってのポンスンとなるのかも???


このように、いろんな関係が対比できるのが面白いです。

そうそう、旅館の建築作業を終えたウンチェが夜道を帰るシーンがありますが、ここでのシフとイルジメの関わり方も対比構造になっていて興味深いです。

シフはウンチェの後ろをつけて、気づかれないように彼女の帰り道を守ります。

対するイルジメは、彼女の先を歩き、道を開いていくのです。ウンチェは彼を追いかけ、横並びになるわけですが。

そういう意味からも、イルジメとウンチェの関係は、同志的な匂いがありますね。同じ道を歩く同志。同じ志も持つ者という関係。


というようなことを書き忘れていたので、補足させて頂きました。

さて、明日、最終回を迎える前に、19話の所感を先にアップしておきましょう。
この所感は、以前のブログの記事を加筆修正したものになります。
軽くエコ記事ですね(苦笑)。

20話中のついに19話と相成りました。ここに来て、バタバタと物語が急ぎ足で展開しています。実のところ、初めて、つまりリアルタイムで視聴していた時は、18話以降の急展開に「早すぎるのでは?」と思ってしまったのですが、すでに何回も見ていると(苦笑)そういう感じも不思議と薄れ、ただひたすらキャラクターたちの心の動きと同化してしまっています。1回目に残した疑問や余韻を、2回、3回と重ねていくごとに、発見し、感じ方が広がっていくのを痛感することしきりなんです。


では第19話、行ってみよう。

今回のポイントは、ヨンを取り巻く女性たち。前回から引き続き、ウンチェ、ポンスンという2人の女性たちの切なる恋心が描かれている。

特にポンスン。コンガル曰く「自分の復讐ではなく、お前(ヨン)のために死のうとして」イルジメとなり、敵の前に立ち向かうのだ。この姿、まるでセドルである。何の報いも望まず、ただヨンを守るため、自分がイルジメとして死すことを選ぶのだ。彼女にとってはおそらく、イルジメよりもヨンが大事だったのだろう。イルジメさえこの世から消え去れば、ヨンはヨンとして、彼の望むように母親と共に穏やかに暮らせるようになる。ヒーローとしてではなく、ヨンという人間そのものを愛していたのだ。その愛し方に、セドルと同じ深い情愛を感じ、あぁこんな娘こそヨンのそばにいてほしいのに…と切なくなってしまう。

さらに、ポンスンがコンガルと共に海の藻屑となり、それを知ったヨンの深い悲しみ、つらさは、見ていてたまらない。残された者の悲しみは、どれだけ深いことか、どれだけ痛いことか…。それがそのまま「記憶が戻らなければよかったのに…」というセリフに表れている。

ポンスン、セドル、ヤンスン、姉のヨニ…。自分のために犠牲になった人々の思いを十字架のように背負って生きていくヨン。あぁ、涙…。ほんと、ヨンのためにも、みんな死なないで!なんて思ったり。
が、そんな個人的悲しみをいつまでも引きずっていられないのが、ヒーローである。ヒーローが落ち込んでいては、世の苦しんでいる人、ヒーローを待ち望んでいるのである。悲しいなんて泣いていられないのだ。この「どんなときも自分を殺し、人のために生きる」ヒーローが持つ心の奥底の悲しみこそが、この作品を単なる痛快ヒーロー劇とは一線を画したものにしている。一見かっこいいヒーローの、華やかなスターの真実を映し出し、「ヒーローとて一人の人間」というリアルに心動かされるのだ。イルジメ=ヒーローという生き方を選んだヨンが堪え忍ぶつらさを思い、毎度毎度胸を痛めてしまうのだ。

そしてウンチェ。前回のラストシーンが、イルジメのマスクを外そうと手をのばしたところで終わり、ドキドキものだったが、結果は…そう、イルジメに拒まれ、背を向けられてしまったのだ。その背を向けたイルジメ、というかヨンの瞳からこぼれる涙に、あぁ!あぁ!あぁ!(すみません!言葉にならず、です)

そして、思う。なぜヨンは、ウンチェに決して顔を見せることはなかったのか?
ヨンであることを決して知られまい、ヒーローはヒーローのままでいようとしたのには、イコール、ヨンとしてウンチェとの恋を成就しようとは思っていなかったということだろう。仇の娘であるということ。それが知れたら、ウンチェも苦しむだろうということ。そして、自分に関わると危険な目に遭うから、巻き込みたくはないということ(すでに罠に使われるなど、危険な目に遭っているが)。…自分のためというより、おそらくウンチェのために、この恋をあえて切り捨てたヨン。自分がイルジメであることをウンチェには決して明らかにしなかったヨンのストイックさ…。個人的に、ストイックな恋に弱いので、ここもまたツボだったりして(笑)。


そして、もうひとつ。2人の母の思いである。

ヨンがイルジメであることを知り、自分の身に及ぶ危険を承知で受けとめ、案じ、「必ず生きて戻るように」と送り出すタンの思い。ほころびた服ではかっこ悪いと、新しく縫ってやった服をヨンに渡すタンだが、表現が不器用なだけに余計に温かさが胸にしみてくる。


一方、14年ぶりだというのに、一目で自分のむ息子ギョムと気が付く実母、ハン夫人。

これまで、2人の父親との関係にスポットを当てられてきたが、ヨンにはこんな温かな母親がいるのである。そして、彼女たちもウォノ、セドルという2人の父親と同様、現在のヨン(ギョム)という人間を作り出した大切な人たちなのである。


ちなみに、ヤンスンが亡くなったときに、義禁府の前に座り込みデモを起こすエピソードで、庶民の中に参列したウンチェと彼女を見つめるポンスンという2人のシーンが出てくる。この2人の構図、表情、そして立ち位置が、ハン夫人とタンの関係に、これまたよく似ているのだ。相手を自分の息子や夫とどんな関係にあった女性か知らずに、そこに立つハン夫人と、相手を見て自分との因縁の女性と気づくタン。これって、ウンチェとポンスンの関係だよなぁ。

そう考えると、ウンチェとポンスンは、ハン夫人やタンと同様、ヨンにとって“母性的”存在なのかもしれません。


最後にひとつだけ。

この回、とにかくヨンの涙、泣き方に注目だ。これまで嗚咽するように泣いたり、激しく泣きじゃくることの多かったヨンだが、この回は「頬に一筋の涙が、つーっと伝う」という、“静”の泣き方で魅せている。これがもう、美しくて、悲しい。


あ、ピョン・シクのシフに対する思いも、この回で語られている。実は憎めないそっくり父子、ピョン・シク&シワン君。自分の無能さを知るあまり、有能な人間をいじめたりする彼らの、悲しくも愛おしいキャラも、この作品の妙味である。
シワン君なんて、ヨンのことが大好きで大好きで、セドルが亡くなって落ち込んでいるヨンを一生懸命励ましたりと、実はいいヤツなんですよねぇ。


ちなみに、このシワン役のキム・ムヨルは、普段は舞台で活躍する俳優さんで、今回、脚本家の目にとまり、この役に抜擢されました。さすが舞台俳優、上手いですよねぇ。パク・ヨンハの主演映画「作戦」にも出ていましたが、今後、映画やドラマでお目にかかる機会も増えるのではないでしょうか。


それと、「イルジメ」は吹き替え版もお勧めです。字幕版と吹き替え版は日本語訳が違うのですが、それは字幕でおさまりきれない分、吹き替え版ではより多くの情報量がセリフでカバーされているからです。あ、逆か。本来、韓国語のオリジナルのセリフの内容が、吹き替えのほうがより多く詰め込まれています。字幕だと文字数の制限があるので、端折られているんですね。だから、セリフとしては、吹き替え版のほうが様々な細かい背景がわかりやすいんです。それに、役者の演技を集中して見られますから。

なので、吹き替え版を一度見て、その後にもう一度字幕版で見ると、より深く内容を理解しながら見ることができると思います。まぁ、普通、そんなに何度も見る時間はないですよねぇ(苦笑)。もし機会があれば、ぜひお試しください。


では、今日のところはそんな感じで。
アンニ・ヨン!