私と音楽と歌について書いております。
今回は高校編その3です。
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大学進学OK(福井県外)の許可が親から出たので
歌の師匠である杪谷恵子(ほえたにけいこ)先生に報告しました。
先生は自分のことのように喜んでくださったことを
今でも覚えています。
親の説得をしつつ
同時進行で音大について調べて検討しておりました。
私が高校生の時には
ポケベルの時代だったのですが
今のように簡単に色々調べられる状況ならば
また違った選択をしていたかもしれませんが
その当時は学校にある資料に目を通す、
あとは情報通の友達(先輩からの話等)の話を聞くぐらい。
杪谷先生からは音楽、歌をやるなら東京の大学へ!
と、耳にタコができるレベルで刷り込まれていたので
自分の学力も考えて
早々と私大で東京の音大というザックリとした
進路は決めていました。
そしてその後、武蔵野音楽大学を受験すると
自分で決めたのですが、
選んだ理由が全く思い出せず・・・
国立音楽大学とほぼ2択だったのですが
なぜ武蔵野にしたのか・・・
自分、記憶喪失かな?ぐらい何も記憶がなく
ちょっと自分でもビックリ中です。
まぁ・・・私のことだから
「なんとなく」で選んだか
先生達の誘導に乗ったか・・・
ピアノの先生には
「大学を卒業して、もし福井に戻る可能性が少しでもあるならば
音大で誰でも知っている国立か武蔵野に行きなさい。
福井の人が聞いても分からない音大に行くぐらいなら
地元の短大に行きなさい」
と言われたことは強烈に覚えています。
私の親世代だと音大=芸大・武蔵野・国立 でしたからね。
なるほど~と思ったものでした。
こんな感じでザックリ大学について考えつつ
授業は次々と行われ
歌のレッスンは週1で
夏・冬・春休みは先生のお宅でのレッスンに切り替えてと
しっかり指導を受けられる環境でした。
大学受験前はピアノの先生のお宅でも
指導を受けたことを今、思い出しました。
全面協力って感じでしたね。
懐かしいなぁ~
戻りたいとは思いませんが 笑
大学受験では
もう一人、歌の先生に師事することになります。
そんな話は高校編~その4~で。