前回から1週間経った。

続きはこう書こう、ああ書こう…頭の中で、構想ばかりが先走る。

仕事をしている身では、平日夜に、長い、しかもマニアックで強い思い入れを持つ分野に関する文章を記すことの難しさを改めて痛感した。

先週のテンションを維持するにはどうすればいいのか?

暇さえあれば、部分的であれ、とにかく録画を見返した。

…というよりは、見返したくなる“魔力”のようなものを、この番組は持っている。

 

そして遂にCDラックの奥のほうから、手持ちのるーみっくアニメ・サントラ盤を、目ぼしいものを探し出して、かけるに至った。

 

**********

 

先の記事で、“失敗作”と断じた「うる星やつら4・ラム・ザ・フォーエバー」のサントラ盤をかけてみる。

神々しい合唱曲めいたInst曲で幕を開ける。

劇中、ラムが意識を持ち始めた友引町に誘われるまま、湖底に身を沈め、大樹の根っこに抱かれて、静かに眠りにつくシーンで使われた曲だ。

凡そ「うる星やつら」の世界とはかけ離れた、仰々しくも神聖なイメージ。

ここでは“ラム=守護神”否女神なのだ。

そこから打って変わり、アップテンポなBGMに転ずる。

面堂が飛麿に「ふるさと」を歌いかけ、幼少時代を懐かしむのかと思いきや、いきなり面堂が切りつけ、戦闘シーンが始まる。

元々宇宙人の地球侵略が、「うる星やつら」のそもそもの始まりだから、劇場版で話が大きくなると、地球はおろか宇宙規模での戦闘シーンが出てきて、ロボットアニメファンの需要さえもがっちり押さえてしまう。

…が、どうもここでもメガネを通して、製作者側のミリタリーおたく気質が如実に反映された結果という気がしないでもない。

弾を撃ち尽くし、町を滅茶苦茶に破壊した人々は、すっかり疲弊してしまった。

ここでも印象に残るのはメガネ。

狂乱の末、声が裏返り、弾はないのにそれでも銃を撃ち続けるさまは、精神の崩壊さえ感じさせ、異様であった。

あのシーン、千葉繁氏の熱演あったればこそなのだが、「もういいよ、メガネ」と声をかけたくなってしまう。

 

…そうこうする内、前回でも褒めた主題歌の「メランコリーの軌跡」(歌・松永夏代子)が流れ始めた。

前回触れた、温泉マークが校長と、ガード脇の屋台でお愛想、苦笑いの図が、サラリーマン社会の悲哀を感じさせ、切ないんだが、何故か心にグッと来る。

間奏曲のときに、テンちゃんがおまるのロケットで、「ババババ…」とミサイルを撃つのも、「3・リメンバー・マイ・ラブ」で、うる星住人たちを引っ掻き回したルゥと、少年を支えるようにキリッと佇む家庭教師・ラーラ(…この人も、島本須美でした…)の図も、セピア色に染まった今は思い出。

主題歌が終わると、真っ黒な画面の中央に、

「全ては記憶の葉脈に埋もれて そして FOR EVER」

そんなメッセージが流れた。

 

あれから30年以上の時が流れ、確かに私自身、るーみっくアニメ特に「めぞん一刻」、「うる星やつら」については、かつてあれほど熱中し、入れ込んだにもかかわらず、記憶の葉脈に埋もれていたきらいがある。しかし、このNHKの番組みたいな、熱く語り尽くす番組を目にしてしまうと、雨後の筍みたいに次から次へと、後から後へと、色々な記憶が甦ってきてしまうのだ。

 

閑話休題。

音楽の助けも借り、ついでにNHKの番組のパワーも借り、るーみっくアニメのあれやこれやを思いつくまま、気の乗るまま、記してみたい。

 

*****

 

「うる星やつら」テレビアニメシリーズは、1981年秋に始まった。

前回記したように、私自身は1985年からの途中参加組で、既に押井守氏は製作から退き、やまざきかずお氏が監督を後任されていた。

番組で発表されたエピソードの投票結果の内、取り上げられていたのは上位3つ。

 

4位だった「ときめきの聖夜」(原作では「君待てども」)が、映像のみで、全く触れられもしなかったのが残念だが、最初にあたるがラムに恋心を抱くさまが描かれた重要な回。

これは例の“組野おとこ”のエピソードなのだが、親衛隊の4人が、偽ラブレターをあたるに送り付け、ラムと引き離しにかかる。

まんまと引っかかったあたるに制裁を加えようと目論む4人組。

それを聞いたラムは、自分を振り切って、「おとこ」ちゃんとのデートに行ってしまったあたるを、最初は“いい気味だっちゃ、痛い目に遭うといいっちゃ”(…と言ったかどうかまでは忘れましたが…)と突き放しにかかるのだが、やっぱりあたるのことを放っておけず、メガネたち親衛隊が雇った“組野おとこ”役に自分が成り代わり、あたるのもとへ現れる。

あたるはラムだとすぐにわかる。

ラムは真相を告げるが、その横顔を見て、あたるは「ラムってこんなに可愛かったのか」と、その魅力に気づく。

ラムは、「うち先に帰って部屋を暖めておくっちゃ」と飛び立とうとするのを、あたるは手をつかみ、もうちょっと一緒に歩こうという。

その時のラムの表情がいい。

いつものようなオーバーアクションではなく、「わぁー」と目を輝かせ、それでもあたるの横を歩いている。あたるがやがて手をつないでくるのを待っている。

やがて白い雪が舞い始め、街にはジングルベルが鳴っている。

 

「うる星やつら」は元々、あたるが主人公で、世にも稀な凶相の持ち主であった。

幼馴染のしのぶとつきあっていたが、他の女の子に目をとられること多数で、原作は、いきなりあたるがしのぶに平手打ちをかまされるところから始まり、早くも現れた錯乱坊(チェリー)から、女難の相と不運を指摘される。

(…名ゼリフ・「さだめじゃ」の始まりですね…)

その不運が嵩じて、宇宙から鬼族の侵攻を受け、ラムと地球の命運を賭けた鬼ごっこをさせられるのは、皆さまご存じの通り。

 

あこぎな星間タクシーを間違えて呼んでしまい、その代金として地球が貯蔵する全ての石油を請求され、挙句の果ては世界中のコンビナートから石油が吸い上げられてしまう。

そのツケをラムが電撃エネルギーで精算し、するとその後しばらくの間、町に石油の雨が降った。

確かその時、電撃エネルギーの提供の代わりに、ラムがあたるの家へ同居することを条件にしたのだったと思う。

 

そんなあたるの不運続きのエピソードが最初は続くが、やがて高橋留美子氏自身が、物語のネタが尽きてしまうので、女好きのほうをクローズアップする方向に舵取りがなされた。

 

ラムは当初、侵略者のお先棒といった役どころで、ひょんな勘違いから、あたるの押しかけ女房になり、あたるを追いかけ、あたるが他の女に目を移すと電撃を食らわせ、しのぶを浮気相手と決めつけ、敵視する。

ただし、虎縞ビキニのセクシーないでたちで、可愛いのは容姿だけ。

当初は後の描かれ方よりもずっとヒステリックで怒りっぽかった。

 

それが最初はあたるを追っかけてではあったが、あたると同じ友引高校へ転入し、地球人たちとも馴染んでいった。

あたるもまた、ラムの独占欲とベタベタくっついてくるところは鬱陶しく思いつつも、ラムのおかげで弁天さま、おユキさん、ランちゃん、果てはテンちゃんのお母さんなど、宇宙からの美女たちと次から次へと知り合いになれるので、あまり邪険にばかりもできないし…。そんな位にラムのことを思っていたのかもしれないが、この「ときめきの聖夜」あたりから、ラムが可愛らしい女の子としてその魅力を発揮し始め、真に作品世界に溶け込んでいったのかもしれない。

 

長話ついでにいうと、サクラさんもまた、登場した当初は、絶世の美女だが病弱で、悪霊に取り憑かれている巫女という位置づけだった。

(錯乱坊のめいだとは未だに信じられません。おまけに母上も、錯乱坊そっくりなのだから、出てはこないが、よほど父上が美男子なのか…?!)

ところがお祓いの効果で、悪霊どもが全てあたるへ移り、すっかり健康を取り戻し、やがて友引高校の保健の先生としてあたる達のもとへ現れ、以後、レギュラーキャラになっていく。

当初は不幸を背負っていながら、やがてそのイメージから脱却していった点では、あたると似ている。

(…な~んて言ったら、「おのれ~何抜かすかぁ~」とあの鷲尾真知子さんのドスの利いた声で怒鳴られ、蹴り飛ばされそうな気もしますが…)

サクラさんは、あたるのセクハラ攻撃の一番の被害者でしょう。

あたるがガールハントを生きがいとする軽薄者へとキャラ変する中で、軌を一にするようにサクラさんもまた、あたるにセクハラ行為を働かれては、長いおみ足であたるを蹴り飛ばすのが基本パターンという、ある種能動キャラにシフトチェンジしていったのが実に興味深い。

 

ついでのついでで言えば、アニメでは省かれてしまったが、原作では「性(さが)」という知る人ぞ知る有名な話があり、ここではあたるの未来が描かれている。

あたるはしのぶと結婚し、“こける”という父親の女好きの属性をそっくり受け継いだ息子の存在まで描かれている。

物語の進展とともに、あたるとラムの、心は底では通じ合っているのだが、あたるはラムも含めたハーレムが理想だし、ラムはあたるに自分だけを向いてほしいと思っている。

ラムとあたるが結ばれるのは既定路線として、暗黙の了解となっていくが、そうなると「性」のことはどうしよう?

高橋留美子氏がここを随分と悩まれたようで、NHKの当番組で評論家氏が、“しのぶが可哀そうになってしまう”として、因幡君のエピソードを思いつき、「うる星やつら」を収束に向かわせることができたと仰っていたが、更に突っ込めば、「性」との矛盾の解決策ということだったと思う。

すなわち、あたるとしのぶが夫婦になり、“こける”という息子までいるという未来は、あくまで数ある未来の内の1つにすぎませんよ。あたるとラムが結ばれる未来だって同じくらい可能性があるんですよ。

と補足することで、いうなれば「性」のエピソードを相対化してしまったというわけだ。

更にいうと、この因幡君話のアニメ化である夢の仕掛人、因幡くん登場!ラムの未来はどうなるっちゃ!?」では、最後、ラムたちの振舞いに怒った運命製造管理局の面々(因幡くんの上司?先輩?)が、未来への扉を全て奈落の底へ落っことし、後で全部作り直すと宣言したが、ラムが作ったあたるとの幸せな結婚を描いた未来への扉を、あたるが「これだけは落っことされるまじ」とジタバタと悪あがきして懸命に支えようとするさまを見て、ラムが感激するのだが、あたるの努力虚しく、全ておじゃんになってしまう。

だが、最後の最後にラムが作った未来の扉につけられた虎縞柄のノブだけが、こっそり元に戻され、ラムとあたるが結ばれることを示唆する内容が付け加えられたのが興味深い。

原作ではそこまでは描かれてはいなかった。

 

…さて相次ぐ脱酸に次ぐ脱線で、もはや「うる星」の何を語っていたんだっけ?!というレベルになってしまっているが、当番組のエピソード投票結果から派生していたことを、読み返してみて思い出したので、話を無理やり元に戻すと、この「ときめきの聖夜」を押さえて第3位になったのが、「ダーリンのやさしさが好きだっちゃ…」である。

番組でも紹介されていたが、これも実にいい話なので、より詳しく紹介したい。

 

病死して幽霊になってしまった望(のぞみ)の日記を元に、のぞみの母が、サクラに相談に来たのが発端。

病室の外を元気に駆けていくあたるが好きになった望の、日記に書かれた願いを一つ一つ叶えてやりつつ、あたるの本性が知れれば、望があるいは幻滅して成仏するかもしれないと考えたサクラたちは、あたるに望の幽霊とデートするよう頼む。

女の子といえば幽霊でも見境なく口説くあたるのお気軽な性格は、こういう時には有難い。

違うのは顔と財力だけで、中身は同じといわれる面堂だったら、あるいは尻込みしていたのでは?

手編みのマフラーに毛糸の帽子、手袋にレッグウォーマーまで、望ちゃんが取り出した品々を、求めに応じて身に着けていくあたるだが、季節は初夏。

汗だくになりながら、それでも女の子へのサービスに余念がないあたるだったが、最後にセーターを取り出されると、一目散に逃げ出した。

それをサクラさんが注連縄で捕縛して、無理やり連れ戻す。

よくみるとセーターは片袖が編みかけだ。

「途中で死んじゃったから…」

望ちゃんの言葉に、一同しんみりとなり、結局あたるはセーターも身に着けた。

その後、アニメ版では話が膨らみ、街へ出て、人ごみの中を歩き、エレベーターで上へ上がっていく。人も車もどんどん小さくなっていく様子に感動する望ちゃん。多感な時期をずっと病室で過ごした彼女には、そんな当たり前のことさえも、心躍らせる出来事なのだ。

最後に行き着いたのは遊園地。

ジェットコースターに乗って、食事をして、メリーゴーランドにも乗って。

それでも望は成仏しない。

日記の最後のページを繰ると、白い雪の舞う中、あたると腕を組む。

それができたなら、もう思い残すことはない、とある。

ところが今は5月。

雪が降る道理がない。

原作では真夏だった気が…。

ラムも“おユキちゃんを連れてくれば”なぞとは言わなかった。

いつしか夜になった。

ライトアップされた園内に、花火が打ち上げられ、その光があたるの背後に降り注ぐ。

望は恥ずかしそうに、あたるに、「腕、組んでもいいですか?」と頼み、そっとあたるの腕に頬を寄せる。

あぁその時の望ちゃんの幸せに満ちた顔。

今、この文章を打ちながら、思い出しただけで目頭が熱くなってしまいます。

 

そして、皆が気付いた時、望の幽霊はその姿を消していた。

全てが終わったとばかり、サクラさんが、いつになく優しい顔で

「さ、もう脱いでもよいぞ」

とあたるに声をかけると、あたるは

「もう少し、着てる」

そう言って微笑んだ。

その時の、一瞬目を潤ませながら、涙をグッと堪え、一人背を見せて園内へ去っていくあたるの男気。

そんな様子を後ろでそっと見守る着物姿の望の母のもの哀しい佇まい。

 

TVアニメ版では、その後日譚として望の母が、亡き娘の墓参りに来るさまが描かれる。母親の顔は描かれずじまいだ。

先に来ていたあたるとラムと、無言のまますれ違う。

墓には綺麗な花束が供えられていた。

母親はあたる達が去っていった海のほうを向く。

水平線の彼方へと広がる、初夏の日差しをめいっぱい浴びた海のきらめきが、たまらなく切ない。

そしてあたる達に向かって深々と頭を下げた。

 

墓参りの帰りに海辺に立ち寄るあたるとラム。

「ダーリン、優しかったっちゃね」

「俺はいつだって優しいわい」

「それに、夢、壊しちゃかわいそうだもんな」

 

「うちも幽霊になろうかな」

「何いってんだ、バカ」

 

***

原作の1話を30分に伸ばしているので、話が深くなっている。

冒頭のモノクロの病院の場面。

本人には聞かせられないので、廊下で立ち話する医師と母親。

娘の残り少ない命のことだろうか。

そして画面が転じ、母親が一人、病室を片付けている。

あたるの“A”をあしらった手袋を、きちんと畳んだマフラーにのせて。

そして母親は、娘が可愛がっていた鳥を籠から空へ解き放つ。

恐らくカナリアは、戸惑ったように母親の顔を小首をかしげて見ているが、やがて病室から飛び立っていく。

最初は壁に沿って落ちていくが、やがて自由を得た鳥は、精いっぱいその小さな翼を羽ばたかせ、大空へと飛び去って行った。

 

くだくだしい説明はいらない。

全体を貫く抑えめの演出が、観る者の心に深く突き刺さり、何とも言えない感動が後からじわりと押し寄せてくる。

ラムとあたるの描かれ方も、長年連れ添った夫婦といった感じで、実に良い。

 

***

かつて小学館から「テレパル」というテレビ雑誌があって、その後ろに、大の「うる星」ファンの若い男性が紹介されていたことがあった。

TVアニメ版を録画したVHSの1本1本に、お手製のタイトルロゴ入り背ラベルを貼り、さながら市販ソフトのように仕立て、愛蔵している様子が紹介されていた。

氏が、一番好きなエピソードはこの回と話しているのを読み、この頃、この話は未見だったので、「一度是非見なければ」と思いを募らせると共に、好きな作品をライブラリーとして残したいというモチベーションを溜まらなく募らせたことを、昨日のことのように思い出す。

 

TVアニメ版としては、かなり後期に位置する回で、劇場版第3作・「リメンバー・マイ・ラブ」の、抒情的なサントラが効果的に用いられている。

改めて見返してみると、OPは「ROCK THE PLANET」

タイトル通り、ロックンロールな曲調で、「うる星」歴代オープニングの中でも異色曲だが、この回の実にしみじみとした内容と、実に見事なコントラストをなしていると思うのは私だけだろうか。

 

SF戦闘服で装った「うる星」女子の面々。

対する男たちは、メガネ考案のモビルスーツ姿か。

竜之介が、当たり前のように女子の衣装で出てくるのも異色といえよう。

だって竜之介といえば、おやじのせいで、普段は詰襟の学ラン姿一択。

原作では、セーラー服に憧れ、亡き母の遺したという衣装に思いを馳せ、ブラジャーを切望し、変態おやじが腹巻に隠し持つスクール水着を奪還せんと、おやじと一戦交えるほどだから。

とはいえ、竜之介は、弁天と女らしさを競うようになった回の最初の方で、銭湯で、胸をさらしで巻く場面で、ローライズの下着姿というサービスカットが描かれているから、竜ちゃんも一番肝心なところはちゃんと女ものを身にまとっているはずなのだが、表に出る格好も本当は女の子の姿をしてみたいということなのだろうか。

 

ついでに書いてしまうが、「リメンバー・マイ・ラブ」では、鏡の家の中で、逆向きに走ってくる「不思議の国のアリス」ばりのドレス姿が描かれているが、あれは魔術師・ルゥがいたずらで映し出した幻みたいなものだったから、竜之介は女の子の恰好をした例は、やはり「ROCK THE PLANET」だけなのかなぁと思う。

 

OP終盤、宇宙から地上に降りてきたラムは、高速道路から降りるとついつい飛ばしてしまうように、いつになく足取りがリズミカルで軽やか。

それにつられたあたるは、鞄を口にくわえて阿波踊りよろしくひらひらと踊って見せるが、いつの間にやらラムはいなくなっており、「あれっ?」とコケるのもクスッと笑わせてくれるのが良し。

 

歌のランキングには「ROCK THE PLANET」は入っておらず、完全に無視されてしまった格好だが、後付けの視聴経験とはいえ、この曲がオープニングとしては特に印象に残っている。

 

エピソードとしては個人的には、やはり上述の「テレパル」のマニア氏と全く同意見で、「ダーリンのやさしさが好きだっちゃ…」を第1位にしたい位だが、登場人物が少なく、直接的にラムとあたるの関係が進展するきっかけになるような話ではないから、この手のランキングで最上位にくることがないのは致し方ないことだろう。

しかし、この回で見せたあたるの男気、普段にゃはははしている女たらしの軽薄さの裏に隠れた心の優しさ。

そういったあたるの美点は、例えばもっと後の、装着すれば相手を誰かれなく殴りたくなる怒りの闘魂グローブ(…こんな名前だったっけ…?)の回では、あやうくラムを殴りそうになると、凡そ人間業では考えられないような身のこなしで、とっさに自分の顔を前に出し、ラムをかばう場面などでも描かれている。

 

それだけに、あたるのことは憎めない女たらしと言えようか。

「ダーリンのやさしさが好きだっちゃ…」を見ると、ラムはあたるのこういうところをよく分かっていて、だからこそあたるに心底惚れこんでいるんだろうなぁと感じられてならない。

 

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エピソード投票の第2位・「そして誰もいなくなったっちゃ」は、押井演出の超有名回で、あたるを巡る面々が次々に謎の怪死を遂げ、最後に残ったあたるは…という話。

マザーグースのクックロビンの詩に基づく話の展開で、凝った進行と、ミステリータッチの演出が目を引くが、こんな「うる星」もあるんですよという、「うる星ワールド」の懐の深さを示す回といえると思う。

最後に、あたるを懲らしめるためのお芝居だったとネタばらしして、いつもの「うる星」ワールドに戻すのも良い。

 

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エピソード第1位に輝いたのは、「君去りし後」

これは、今流にいえば、神回中の神回というべき話なので、衆目の一致するところといえようか。

 

ラムが地球滞在ビザの書き換えか何かで、一時里帰りをするが、去り際に相変わらずアホなことをしているあたるに対し、いつものように電撃炸裂でもなく、「バイバイ」と手を振ってあっさり分かれる。

その後、姿を消してしまったラム。

あたるはラムが本当に星に帰ってしまったと思い込んだあたるは、ラムの残していったラムちゃん人形を胸に、傷心状態。

アニメ版では、夜の街を彷徨い、ラムを想ってはため息をつくあたるの姿が、「マルガ・リータ」という挿入歌で、効果的に描かれた。

町のゴミ捨て場に迷い込み、ポリバケツをかぶりながら、遂にはラムちゃん人形を抱きしめて、涙と鼻水でぐちょぐちょに。

実は中にはマイクが仕込まれており、里帰り中のラムが音を出してみると、あたるの涙と鼻水をすする音。

ラムの父ちゃんが、「小汚い音する婿はんやなぁ。茶がまずくなる。止めよ。」とラムにいうが、ラムは「だめ」といって、モニター装置を愛おしそうに胸に抱く。

数日後、すっかり憔悴しきった、ため息しか出てこないあたるのもとへ、ラムが帰ってきた。

「何だ、帰ってきたのか。残念じゃ」

ラムを見ると、憎まれ口をたたきたくなるが、胸のラムちゃん人形はすっかり涙で汚れ、それをラムに指摘されると、慌てふためき、

「うわっ、知らん!知らんぞっ」

と取り繕う。

 

傍ではしゃいでいるメガネ始めラム親衛隊4人衆。

彼らに声をかけられ、ラムは「イヤッホウ」と手を挙げて応えるが、あたるはラムの目が離れるや、ホッと胸をなでおろす。

これを見ていると、ラムさんへの終生変わらぬ愛を誓い…云々と高らかに宣言するメガネでさえも、ラムを数日見かけなくなっても平気の平ちゃらなのかな…と思ってしまう。

口では憎まれ口ばかりたたき、強がりばかり言っていても、ラムがいないと心底不安になり、心配でたまらなくなるあたる。

ラムはそんなあたるの自分への、決して表には出さない想いを確かめ、満足する。

 

里で父ちゃんに「だめ」と言って、モニター装置を抱きしめるラムの、何と女っぽくしおらしい姿であることか。

いつもの電撃鬼娘ではない。

 

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「うる星やつら」のランキングの中で、古川登志夫、平野文のゲスト声優両氏に、生アフレコをやってもらうというスペシャル企画が最後にあった。

4場面の中から視聴者投票を募り、最多票のエピソードをやってもらうという趣向だったが、やはりこれはもう「君去りし後」一択しかないでしょう。

 

驚いたのが、両氏とも、全くと言っていいほど声が衰えていない。

鳥肌が立つほどだ。

特にラム役の平野文さん。

実年齢からすれば、あの張りのある甘い響きのラムの声が、未だに維持されているとは、全くもって奇跡的だ。

 

「君去りし後」の生アフレコの直後、ゲストの中川翔子さんが、拝みポーズをいきなり始め、何してるのかと思いきや、

「一生のお願い。「青」もやって下さい」

とすがりつき、「青」こと第1話・「噂のラムちゃんだっちゃ!」

もやってもらえたのには、思わず「よくやった!しょこたん」と喝采を浴びせたくなるほど。

「青」もやってもらえたからこそ、番組中でも語られていた、あたるの、電撃を受けた後の「カカカカ・・・」と息の抜けたような独特の笑い声が、古川登志夫氏から生で聞けたのだ。

通称・あたる笑い というのだそうで。

 

これはファンにとっては2度とない、超お宝映像といえるだろう。

 

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今回も、そろそろとんでもない時間になってきたので、収束するが、キャラクター投票中67位の「スーパーデリシャス遊星ゴールデンスペシャルリザーブゴージャスアフターケアーキッド28号」だけは、ウケ狙いかネタの組織票が働いたのではないか?と勘ぐってしまう。

だって、あのスーパーマンもどき、今でいう悪徳商法、詐欺師のはしりとでもいう奴ですぜ。

「中○コース」という中学生向けの雑誌裏によく載っていた、「Dr.キャッポー」だとか、「ハイノビール」だとか、睡眠学習枕と同類と見ねばなるまい。

あるいは「クレヨンしんちゃん」でいうなら、時々出てくる「売間久里代(うりまくりよ)」といったところか。

またまた脱線するが、睡眠学習枕といえば、「ちびまる子ちゃん」の故・さくらももこ氏のエッセー・「もものかんづめ」の「うんこちんちん」に即連想が飛んでしまうのは、これも別の意味である種の性(さが)といえようか。

 

後、番組後半の「ラムのラブソング」のところで、背景にだけ出てきたが、「ラムちゃん牛になる」の回も捨てがたい。

黴菌が入ったとかで、ラムの角が直角に折れ曲がり、それを不治の病だと思い込んだラム。その内、自分は牛になってしまうんだと一人嘆き悲しみ、遂にあたるに告白する。

あたるはラムと一緒においおい泣いてくれ、挙句の果てには法被を着て、牛小屋を作り出す始末。

その頃、ラムは角の秘密を父ちゃんに教えてもらっていて、病気じゃなかったことも、牛になることもないと知っている。

一方、いきなり牛小屋作りに目覚めた息子を、バカ呼ばわりするあたるの両親。

あたる母の「生むんじゃなかった」が甦るが、ここでは言っていなかったような気も…。

やはりこのエピソードでも、あたるのラムをいたわる気持ちがひょいと顔を覗かせる。全体的にはそういう回が強く印象に残るものだとつくづく思える。

 

「うる星やつら」については、作品世界が「何でもござれ!」的なお祭りみたいな話なだけに、語る側も、次から次へと言いたいことが湧き出てきて、幾ら言っても言い足りない。

後で読み返してみて、まだまだ言い足りないことが見つかったら、次回に持ち越すつもりでいる。

 

…とここまで延々と記してきて、シリーズ後半の純情ギツネのエピソードと、アニメ版ではそれを膨らませたカカシの三四郎…しのぶに懸想する仏滅高校総番の話を全くしていなかったことに気がついたが、これ以上続けると、週の初めがいきなり徹夜明けになってしまうので、今回はここまで。

カカシの三四郎に思いが至ったところで、何でゲストに西村友美呼ばなかったんだろう?と思ったりして。

 

るーみっくアニメ・ネタはまだまだ尽きそうにない。

次回へ続く。

(一部敬称略)

半年近くも“冬眠”中だが、こんな番組が出てきては、触れずにはおれない。

 

ギャスパー・ノエ監督の最新作・「CLIMAX」という映画を観た。

廃墟で最終リハーサルを終えたダンサーたちが打ち上げよろしく自家製サングリアを振舞われ、大広間でクラブダンスに興じるが、LSDが盛られており…という話だが、全編貫くトランスが、この作品の真の主役といってよい。

ここのところクラシック一辺倒だったが、久しぶりに手持ちのトランスをかけてみると、やはり麻薬性があるのか、見事に嵌まった。

 

翌日、「最高の人生の過ごしかた」に行った。

どうせ人生ポジティヴに!というメッセージを含めたありきたりな励まし映画だろうと、タカをくくっていたが、癌の末期で余命宣告を受けた、歳も境遇も経済状況もまるで違った女たち2人が、実に生き生きと、早世した(と思われた)少女の夢を代わりに叶えていく姿に、命の最後の輝きを見る思いがし、図らずもグッときた。

もっさりとして冴えない秘書役・ムロツヨシの、変わらぬ忠義ぶりと、最後ロケットのミニチュアを2本持って、ももクロのライブよろしく一人踊り狂うさまが、彼のなんともいえぬやるせなさを感じさせ、それが却って哀しみをそそる。

 

名画座でその後立て続けに見た「女性自身」は、ここ数年、嵌まっている源氏鶏太原作で、“絶世の美女ってほどでもないけど”と言いつつ、知る人ぞ知る美人女優・藤山陽子の美貌を「これでもか」と拝めたし、「あなた好みの」は、ご存じ奥村チヨの有名曲をモチーフにしつつ、主演は渥美マリで、映画館ロビーで延々繰り返される「好きよ愛して」が頭の中で、何度も流れている。

 

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そんな目まぐるしい音楽経験を経て、昨日夜遅く帰宅した。

最初はほんの録画チェックのつもりで、日付が変わってから録画機の溜まった番組を再生し始めたのが運の尽き。

身体は疲れ果て、いつもなら居眠りこけるはずなのに、目は冴えわたり、それどころか最初こそ穏やかだったのが、中川翔子の「笑う標的」へのトーク辺りからエンジンがかかり出し、島本和彦氏の「うる星やつら・オンリー・ユー」への熱弁に至っては、早くもテンション、クライマックス!!

更に追い打ちをかけたのが「らんま」OVA話から始まった“女体”話、それを承けて、島本和彦氏のタブレットへの実演描画まで飛び出し、永井豪作品と高橋留美子キャラの、“女体”比較論の実に見事な的確さ。

るーみっくキャラの、胸がツンと上に上がり、ウェストが極端に上がり、そこから伸びる膝上太腿の長さの曲線。

 

ああ、島本氏、貴方を今日ほど素晴らしい!!と思ったことは嘗てない。

この辺りで既に、「これはもしかすると、ものすごい番組なのでは? ! ? !」と、期待値が最高潮に振り切れた。

 

深夜にも関わらず、声が裏返り、腹がよじれるほど笑い、「うん、うん」と大きく頷き、画面に向かって「そうだそうだ」とか、自分の知ってるエピソード名や曲名の蘊蓄を語り掛け、「さすがにもう寝んとアカン」と、幾度か顔を覗かせる理性の声を押しやって、番組に食い入るように見つめること数時間。

 

気づけば時計の針は3時を回っていた。

ランキングが意外に早く「うる星やつら」、「めぞん一刻」を連発し、「めぞん」が終わったところで、「このままじゃ徹夜になる」と半ば強制的にテレビを消し、歯を磨いて床に就いたのが3時半。

さすがに今朝は全ての目覚ましを切って、それでも9時に起きたが、続きを見終わり、外へ用事に出かけ、戻ってきてから再び同じものを最初から繰り返す。

今週末は、他のたまった録画物に、到頭一切手を付けずに終わってしまった。

 

この番組の存在を知ったのは、数週間前、たまたま深夜のNHKで番宣を兼ねた「めぞん一刻」の紹介番組をやっていたのを見入ったことがきっかけだ。

結局、投票などは見事に忘れてしまったし、当日出かけたので、生放送だったにも関わらず、リアルタイムでは見ていない。

 

作品ランキング14位と、随分早くに登場した「うる星やつら・オンリー・ユー」の低評価に、島本和彦氏が熱く反論。自分の中では「るーみっくアニメ中でナンバー・ワン」と力説されていたが、その気持ち、非常によくわかる。

 

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「うる星やつら」という作品の名前を知ったのは、丁度TVアニメが始まった頃、確か1981年秋である。

何度も繰り返される予告編は、宇宙からラムが侵略してきて、あたると鬼ごっこを始め、あたるが起死回生の秘策として、ラムの例のトラ縞ビキニのブラジャーを奪うシーン。

当時はTV放映の自主規制が今よりずっと緩く、ラムの露わになった両胸に、ピンクのサクランボ(…と隠語表現すると、却ってヤラシイな…)がくっきりと。

非常に優等生だった当時の私は、何だかいけないものを見せられた気分で、本能的に「これは近寄っちゃいけない」と思い、鉄道ヲタクへの道を邁進した。

小学校のクラスメイトで、中学に上がってからは別のクラスになっていた、某大物歌手と2号の息子の家には、当時は超高級品だったビデオデッキがあり、放映開始と同時に「うる星」ファンになった彼に頼めば見せてもらえると噂が立ったが、そんなわけで私は黙殺。

 

数年後、今度は北条司の「キャッツ・アイ」の番宣を偶々目にする機会があった。後で見た印象よりも遥かに“お色気アニメ”の感強く、それも泪姉さんのみならず、瞳姉からして「何だか誘ってる」と思え、まだまだ純情少年だった私は、これも敬遠。

 

ところが暫く後、よりお色気度が増した「~パート2」に嵌まり、新し物好きだった親父が既に我が家にもビデオを導入していたから、なけなしのカネをはたき、ホームセンターで1本数千円のビデオテープを買っては、ライブラリー化に勤しみ始めた。

…思春期に突入し、遅まきながら色気づいたということなんでしょうか⁈

今見返しても、「キャッツ・アイ」第2部の、OPの瞳の悩殺ポーズの連発には、クラクラ致します…。

 

丁度、既成概念に反発を覚え始めた頃で、それまで避けていたことに意図的に染まろうと思い、吉祥寺駅南に今もある古本屋で立ち読みしたのが「うる星やつら」の第4巻。

狐憑きの話がことのほか面白く、それから単行本を揃えていくことになる。

長年避けてきたTVアニメに興味を覚えるのも必定。

既に押井守時代は過ぎており、「うる星」アニメの歴史の中で、再末期にあたったが、それでも一時期、毎週楽しみに見ていた。

が、ほどなく大学受験を意識し始め、「うる星」TVアニメの本当に最後の最後は再び視聴せず。

アニメ「うる星」は4年半の歴史に終止符を打ったが、従って同時期上映された劇場版第4弾「ラム・ザ・フォーエバー」は観に行っていない。

 

後番組に「めぞん一刻」が始まる。

何となく存在は知ってはいたが、詳しい内容は全く知らぬまま、今度こそ最初から録画しながら見ることにした。

もっと受験真っ只中に入っていったが、「30分番組1本くらい何だ」という気持ちが勝った。

それで嵌まって単行本を全て買い揃え、翌年春の原作完結まで、最後はスピリッツも買い、原作完結を見届けると、目出度く(?)自身も“浪人さん”となり、まさしくリアル・「めぞん」世代。結局大学受験が終わるまでアニメ「めぞん一刻」を見続けることとなる。

晴れて大学受験から解放された私は、その春、「うる星やつら」、「めぞん一刻」の両完結篇を映画館に観に行った。

「めぞん―」の方により強い思い入れがあったが、大人向けを意識し、改変された絵柄に好感を抱けず、寧ろ併映の「うる星やつら・完結篇」に大いなる感銘を受ける。

大した視聴歴もない、いうなれば当時・“俄かファン”だった私でさえも、原作をほぼ忠実にトレースした「完結篇」のクライマックス・シーン、何度も転び、転んでは立ち上がり、ラムを追っかけるあたるの「忘れるもんか、忘れるもんか」のセリフと共に流れる回想シーン―――また、これがいいんだ。「君去りし後」、「ときめきの聖夜」など名場面がこれでもか!と続き、ラムにさほど思い入れのなかった私でさえも、恥ずかしいくらい暗がりでボロボロ涙を流したが、男が泣いていいのは親が死んだ時だけと教え込まれた昭和の男のはしくれゆえ、場内が明るくなった頃には何事もなかった風を装った。

丁度本屋に並んでいた「少年サンデーグラフィック」を衝動買いして知識を深め…そんなありさまだったから、大学に入ると、一気に文学青年になる一方、「うる星やつら」の過去作品に傾倒するようになった。

当時は「うる星やつら」の劇場版のTV放映が年末などにはあったので、それを見たのが劇場版に関しては最初だったと思う。

 

…さて、そんな経緯から、劇場版「うる星」は、確かアニメコミック版を読んだほうが先だった気もするが、私も、番組内で栗山千明さんが言っていたのと同様、「ビューティフル・ドリーマー」は当時、内容が難しくてよくわからなかった。

遅ればせながら、原作漫画に最初に全部触れた身にとって、これは「うる星」世界とは異質なもの、何だか難しい理屈っぽいもの、そんな印象しかなく、その反動なのか、第1作・「オンリー・ユー」のほうに好感を持った。

TVアニメ版を一度だけチラッと見た時、EDとして流れていたのが、後から思えば「オンリー・ユー」の宣伝も兼ねた、「I, I, YOU & 愛」で、その囁くような歌声を覚えていたことも大きい。

劇場版らしく、エル(・ド・ローゼンバッハ)というゲストキャラが登場し、こともあろうに地球へと使者を送ってあたるを婿にと所望する。

エルの美貌にほだされたあたるは、すっかりその気になる。

こうなりゃラムは黙っていない。

あたるを奪還し、先に結婚式を挙げてしまおうと、弁天始め周囲が画策するが、途中でエル軍にあたるは奪われ、連れ去られる。

最初にエル星の様子が空中俯瞰されるシーンが実にいい。

薔薇の花びらをモチーフとした、ロマンチィシズムの香り漂う街に惹きつけられる。白い薔薇の花びらが空を舞う、庭園みたいな綺麗な街。

こんな星の王になれる。美しき王女・エルに惚れられている。あたるならずとも魅惑に溢れた逆玉だ。

…結局、エルには大きな秘密があり、あたるは逃げ出そうとするが、そもそもエルは何故、かくもあたるに執着するのか?

遠い昔、幼少期の思い出に物語はシフトする。

そこで描かれるモチーフは影ふみ。

原作にはよく、昔話をモチーフにしたエピソードが登場する。

それを踏まえた「オンリー・ユー」は、さすが金春智子!と思わせる、壮大なスケールながら、女性らしい繊細な脚本で、これはもう、高橋留美子イズムを実に的確に汲み取っているとしか言いようがない。

 

島本和彦氏が、番組中で語っていたが、「4位」は盛り過ぎだとしても、エルは、言うなればあたるの女版といった感じで、その地位と富と勿論美貌をかさに、イケメン(…当時はそんな言葉はまだありませんでした。)たちをコールドスリープ状態にして、カプセルで何体もコレクションしていたのだ。それが、氏が語っていたエルの“悪癖”。

…番組は終わったので、ネタばらし、いいですよね?…この箇所追記。

 

そしてその後の劇場版作品のエンディングに少なからぬ影響を及ぼしたと思われる、最後は、ドタバタ。逃げるあたるを追うラムとその他の面々たち。

これぞ、ザ・うる星ワールドといった感じだ。

本作の成功があったればこそ、以後、劇場版が最終的には6作まで作られたといってよい。

私は、ナンバーワンとまで思うかどうかはともかく、島本和彦氏の熱弁には全面的に賛同したい。

 

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劇場版第2弾の「ビューティフル・ドリーマー」は、番組中で中川翔子さんも言っていたが、これはもうメガネに尽きる。

中盤に繰り広げられる「友引前史」の朗読シーンが圧巻だ。

原作では「メガネ」という「名前」さえなかったのにねぇ。

「ラムちゃんはかわいかった!」

と鼻息荒く熱弁をふるうコマが初期の方にあったきりだったと思う。

寧ろ、「パーマ」と名を変えられた「白井コースケ」のほうが、原作では目立っていた。

話が脱線していくが、コースケといえば、私にとっては「烏賊区蝶」である。

これはあたるがラムとデートらしいデートをするなら、付き合ってやるとラムに話を持ち掛け、友達のコースケとダブルデートをする時、行ったレストランの名。

コースケの彼女の仕草を真似ろとあたるはラムに耳打ちするが、その彼女は「聖なる胃袋(セント・ストマック)」の異名を持つ大食い女で、転がったソーセージをフォークでぶっ差し、それを真似たラムによってあたるは顔にアツアツのソーセージを飛ばされたりして酷い目に遭う。

上のレストラン名、「いかくちょう(=胃拡張)」と読ませます。

 

番組中で言われていたように、文化祭前夜の状態が延々と続くのがラムの本当の望みではないか?というのが、押井守監督が本作で見せた、原作に対する回答だった。

後に、アニメでいうと「夢の仕掛人、因幡君登場!ラムの未来はどうなるっちゃ!?」  でしのぶも似たようなことを因幡に対して言っている。

様々な未来があるという因幡の話に、ひょうひょうと軽いサラリーマンになったあたる、ラムは相変わらず電撃を浴びせながらあたるに結婚を迫って追いかけ、面堂は財閥の当主に収まり、タコ車を走らせながら、ひょいとよけたあたるのせいでラムの電撃を浴び、刀を振りかざしてあたるに挑みかかり、自分はOLになるもオールドミスと揶揄われる。サクラさんと並んでご出勤のお姿。

そんな“日常”に因幡は驚き、呆れるが、結局その運命の扉は却下されたはずだから、しのぶはこのガチャガチャした日常に浸っていたいと思いつつも、どこか醒めた思いで嫌気がさしているということか。

そういえば、「ビューティフル・ドリーマー」で、しのぶはラムが繰り広げるガチャガチャした世界に、随分と辛辣なことを言っているが、それを見て私は、「しのぶは夢見る乙女で、あんなに性格悪いのはしのぶじゃない」と違和感を覚えたものだ。

後にしのぶは怒りに我を忘れると、とんでもない怪力女に変貌するようになったが、基本的には良識派の普通の女の子のはずである。

 

ついでに追記すると、本作中では妙に温泉マークが賢くなっている。

“サクラさんと2人きり”を意識して、叶わぬ望みを夢に描くが、それを除けば、例のレトロ喫茶で飲み物を挟んでのサクラさんとの、異常事態への語らいのシーンなど、原作やTVアニメ版で、「も~ろぼ~しぃ~」とあたるを目の敵にする姿とは、まるで別人のようだ。

“竜宮城”を支えるカメの支柱として、逸早く行方をくらませたのは、確か彼ではなかったか。

 

 

そして、TV放映を最初に見た時はカットされていたので見る機会がなかったのだが、主題歌・「愛はブーメラン」が圧巻。

土曜深夜に途中で無理矢理止めてから、ずっと頭の中で、

「♪…あなたの愛は パラダイス 繰り返す気もないわ I love you 唇噛んだ」

「♪…も~しか、も~しか 愛はもしかし~て ほ~り な~げた ブーメラン」

というサビがずっと繰り返されているのだ。

繊細なピアノ調のBGMと共に、本作のサントラは優れている。

 

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ランキングが低かった第3作「リメンバー・マイ・ラブ」は、番組内で誰も語ることはなかったし、今はなき横浜ドリームランドをモデルにしたと思しき、友引メルヘンランドの描写、とりわけ魔術師ルウとの鏡の家での深夜の追いかけっこなど、映像美ばかりが取り上げられる作品だが、折角の機会だから取り上げておきたいことがある。

 

ピンクのカバに変身させられたまま放置されたあたる。

ラムはルウによって拉致されたまま消息不明。

やがて人間の姿に戻ったあたるは相変わらずガールハント三昧の生活を始めた。

「ビューティフル・ドリーマー」のメガネの役割を、ここではしのぶが担っている。

ラムが行方をくらまし、ランやおユキ、弁天たちは、何ら行動を起こそうとしないあたるに愛想を尽かし、地球から相次いで去ってしまった。

しのぶは語る。

「祭りの後も、普通の毎日は始まる」

“祭り”が終わり、嘘のように淋しくなった町は、すっかり晩秋の様相を呈し始める。

どことなくメランコリックで気怠い雰囲気の中、それでもラムに強い思い入れを抱いていたメガネは一人、狂ったように部屋中を重力無視で駆け回り、カンフーよろしく一番のお気に入りの、とびきりの笑顔のラムの写真の顔に突きを入れようとして、どうしてもできない。

一人慟哭するメガネ。

誰が彼の苦悩をわかってやることができよう。

それは視聴者の、ラムちゃんファンの1人1人にしかわかりえない心理なのだ。

 

正気に戻ったメガネは憑き物が落ちたように、思い出の品々を箱に詰め、皆が集まる丘の上でそれらを焚火にする。

炎の中で灰になっていくラムの写真の笑顔。

黙々と火をくべるメガネの顔が哀しい。

面堂がひとりごちる。

「…こうして僕たちは、大人になってゆくのか」

やがてあたるたちは3年に進級する。

 

あたるは相変わらずガールハントに忙しい。

ふとしたはずみで指を怪我し、赤い血の糸がツツーッと流れる。

その瞬間、あたるはラムのことを思い出し、物語はクライマックスへと向かってゆく。

 

この後の「完結篇」で、ラムはあたるに運命を賭した「鬼ごっこ」を挑み、あたるが自分に好きだと言わなければ、自分たち宇宙人に関する一切の記憶を地球人たちから消し去って、永遠に別れると言った。

 

ところがこの「リメンバー・マイ・ラブ」では、唯一、「祭りの後の日常」が淡々と描かれている。

ラムたちに関する記憶を残したまま、友引高校の生徒たちは、空虚な日々を淡々と送り、通過儀礼ともいえるラムとの別れを経て、高3へ進級している。

2年4組のまま、永久に時が止まっている「うる星やつら」の世界の時計の針が動き始め、ラム抜きの日常が始まった様子が描かれている。

 

結局は、ラムたち抜きの生活は、もはや味気ない詰まらないものなんですよと描写するためのものなのだが、「ドラえもん」、「サザエさん」、「クレヨンしんちゃん」同様、永遠に同じ時が繰り返される「うる星」ワールドに、「めぞん一刻」よろしく時の流れを持ち込んだ、唯一の例だと思っている。

 

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TVアニメ版完結と時を同じくして劇場公開された第4弾「ラム・ザ・フォーエバー」は、難解でよくわからない話になってしまった。

既に押井守監督は退き、シリーズ後半の純情ギツネのエピソードで癒してくれたやまざきかずお氏の手によるものだが、「ビューティフル・ドリーマー」を志向しつつ、果しえなかった消化不良感が著しく残る。

 

季節は春たけなわ。

メガネたちは自主製作映画の撮影に忙しい。

主演は勿論ラム。

面堂家に代々伝わる樹齢500年の太郎桜を実際に切り倒す。

モチーフは面堂家に伝わる鬼姫伝説だ。

ところが太郎桜を切り倒したところ、桜の切り口から泡が出て、まるで大きな骨のような姿になる。

それを端緒に、友引町はさまざまな異常気象が起こり、大きな地殻変動。突如として火山が出現し、凍り付いた夢の数々が姿を現す。

面堂家は、昔からいがみあってきた水乃小路家と“代理戦争”を始める。

町の戦争区域が定められ、防火当番よろしく住民たちには“兵役”が課せられる。

そんな状況を見かねたあたるは、単身、戦火の友引町の中を、マラソンランナーよろしく走る。

意識を持ち始めた友引町によって湖底へ誘われ、失踪していたラムは、町の意識によって「オモイデダケデモイキテイケル」とメッセージを投げられ、湖に解放される。やがてあたると再会する。

 

…全くわからない話である。

当時「少年サンデーグラフィック」を買い求め、そこに「準備稿」なるものが収録されていた。

 

それによると、元々は鬼姫伝説なるものがもう少し描かれ、要するに鬼姫が町の守護神であったこと、その伝説は、面堂の祖父が地底で悠々自適な暮らしをする中、仕えている老女4人の背中の入れ墨に隠されているが、しわくちゃで読めない。

そこで空気ポンプで空気を入れてやると、女官たちはみるみる内に若い娘の姿へと変貌を遂げ、鬼姫伝説が明らかになる。

 

友引高校体育館へ集められた町民たちを前に、サクラは大演説をぶつ。

意識を持ち始めた町の動きを逆手に取って、町民たちが争いを繰り広げている姿を見せる。そうしたら昔の友引町のほうがよかったと、町が回帰志向を見せ始めるだろう。

それが町を元通りにする方法だと。

 

そうして代理戦争が始まり、人々が戦闘に加わる中、あたるだけは意味なき争闘に加わらず、走ることを宣言する。

 

解放されたラムとあたるが再会し、人々が後に続く。

エンディングでは、凍り付いた夢が崩壊し、徐々に元の友引町へと回復してゆく姿が描かれる。

 

…はずだったのだが、尺の関係か、鬼姫伝説の件りは全てカットされ、またファンサービスなのか、エンディングの映像は、これまでの印象的なシーンがモノクロ写真で順に断片的に現れるという内容に変わった。

玉置浩二氏の作曲による「メランコリーの軌跡」という主題歌は、素晴らしいものだったし、モノクロ写真は、確かにファンの抒情をくすぐる内容ではあった。

 

特にガード下のしょぼくれた屋台で、温泉マークが校長相手に、お愛想を振りまきながらオーバーアクションでガハハハと大笑いする図。

サラリーマンの悲哀がにじみ出ていて、実に良いですなぁ~。

 

面堂家の畏まった家族写真も、「ビューティフル・ドリーマー」のサバイバル生活で、しのぶが大魚を釣り上げて掲げるスナップといい、「うる星」ワールドを思い出にしなさいよ…というメッセージにも思えるが、「うる星」ワールドの思い出なら、こんなよそ行きではなく、やはり「君去りし後」や、「ときめきの聖夜」なのだ。

それらを放って、思い出にしなさいと言われても、ファンは全くピンと来ない。心にも響かない。

 

如何せん、訳が分からなさすぎる。

結局、ファンの惜別の思いと、これほど乖離した「答え」はないという印象だった。

リアルタイムでは見逃してしまったが、TVアニメ最終話直前で、ファン投票があり、1位に選ばれた「君去りし後」の特別再放送があったから、惜別感情はそっちで。ということだったのかもしれないが、折角の劇場版の割に、完全どころか燃焼すらさせてくれなかった。

しつこいようだが、TVアニメ版最終話も、原作ではかなり前の、学園祭の話で、天照大神に扮したラムが天岩戸から姿を現すエピソードで、まぁいうなれば“やっぱりラムちゃんは「うる星」ワールドの女神様!”的な、アゲアゲ要素満載のお祭り回だったから、燃焼度はTV版のほうが遥かに高い。

メガネを演じた千葉繁氏の、

「出って来い、出って来い、アマテラス!!

出って来い、出って来い、ウズメちゃん!」

延々繰り返される掛け声が、頭の中に甦る。

 

こうしてお祭り騒ぎ的大団円をTVアニメ版は迎えたが、真の意味での「うる星」終了は、話が相前後するが、やはりこの後の「完結篇」の「忘れるものか…」の連呼でこそ、果しえたものだと思っている。

 

つまるところ、私が本作で得たのは、“メガネ監督”のセリフにあった、「マクガフィン」という聞きなれぬ単語のみだ。

「大して意味のないこと」くらいな意味だろうか。

冒頭の映画製作場面で、メガネ始め映画のスタッフたちが、揃って無表情に歯磨きをするシーンの意味は?

…未だに訳がわからぬ内容のオンパレードである。

「準備稿」にあった、皺くちゃ婆さんの女官たちが、みるみる美女に変身する図、見てみたかったなぁ…。

 

 

結局のところ、この第4弾は失敗作であったと言わざるを得ない。

ただ、本作も、サントラだけはいい出来だと思っている。

 

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番組同様、るーみっくアニメについて語り出すと、話の種は尽きない。

こんなに長尺にするつもりは全くなかったのだが、久しぶりに再開しても、長文だけは相変わらずである。

読み返してみると、「うる星やつら」との馴れ初め披露話と、劇場版話に終始してしまっている。

こうなればとことん語り尽くしてしまおう。

 

時間の関係で、一旦打ち止め。

続きは近いうちに。

7月30日(月)

 

名鉄名古屋―(大江)―東名古屋港―(大江)―(名鉄一宮)

―(津島)―(須ヶ口)―金山―上前津

上前津―(赤池)―(豊田市)―(知立)―(上小田井)―江南

江南―(岩倉)―(金山)―道徳/道徳―名鉄名古屋

名古屋―吹上/吹上―丸の内

 

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前回の続き。

「金山とまと」が開く13時まで時間がぽっかり空いてしまった。

この地にも「まんだらけ」があるらしいので、余程行こうかと思ったが、欲しいものが何もないので、行っても仕方ないのである。

大須観音へ行ってみた。

日向はとっても暑いので、日影でぬるま湯と化したペットボトルのお茶でも飲みながら、ぼーっと過ごす。

向こうのほうで鳩のざわめきがするので、目をやると、おばさんがえさをやっていた。

ありえない数の鳩が群がっている。

今はどこもかしこも“鳩のえさやり禁止”と書いてあるので、子供の頃はよく見かけたこういう風景も、滅多に見られなくなってしまった。

ふと脇に目をやると、烏がじーっと木陰で涼んでいた。

朝ごみ捨て場を漁ったり、夕日に向かって飛んでいったりする姿には覚えがあるが、そういえば烏は昼間どうしているんだろう?と思っていた。利口な烏が熱中症でみすみす倒れるわけがない。

珍しいものを見つけた気分である。

 

そうこうする内、12時半になった。

折角時間つぶしをしているのに、いざ13時ぎりぎりになって行ってみたら長蛇の列…なんてのは嫌だから、「大須マルシェ」に入ってみた。

辺りには誰もいない。

人気店の筈だが、こんなんでいいのか?

私の次に女性客の連れがやって来たのは、開店10分前であった。

お店の方は中で開店準備に勤しみ、やがてメニューの紙が貼り換えられた。

エスプーマがかかったのとか、「めっさこいピーチ」とか、「いちごのショコラ氷」とか、「ルビーグレープフルーツ氷」とか…誘惑が多すぎて、何を選ぶべきか迷いすぎてクラクラする。

1つは最初から決まっている。

「マンゴーデラックス」!

だって、2,000円が800円に値下げって書いてあるんだもん。

マンゴー好きとしては絶対に外しちゃいかんでしょ。

考えた末、最初の1杯はこれにした。

↓ピスタチオクリーム&ナッツ(950円)

奥歯が悪いときだったら、到底選べないメニューだった。

この店は、ナッツにひとかたならぬこだわりがあるように思えたから、個性的なメニューということでこれにした。

確か店先でナッツ詰め合わせが売られていたように思う。

細かく砕いたピスタチオだけだったら、単調な味になったかもしれないが、ミルクがたっぷり中から姿を現し、これが効いて、香ばしくもマイルドな味になった。

さてお次はお待ちかねの「マンゴーデラックス」。

これは細かな説明一切不要の直球ストレートなお味。

マンゴーごろごろはトッピングだけかと思いきや、中にもごろごろ転がっていた。おまけにミルクが絡めてある。

“デラックス”にふさわしいゴージャス氷であった。

店を出ると、ゴージャスシャンデリアの廊下は相変わらず静寂を保っていたが、実際は扇風機の向こうに人の列ができている。

それでもこれ位の並びようなら随分ましではないか。

今回は1度きりしか来られなかったが、他のメニューも順に試してみたくなる店である。

表の立て看板を見ると、「カシスカルピスかき氷」とか「アップルプラムワイン」とか、更なる魅惑メニューがあるようで…。

そして「トマトクリーム氷」。

店名に「とまと」が付く以上、フルーツトマトの氷がないわけないと思っていたが、やはりあったか…。

きっと真夏は旬ではないんでしょうね。

商店街を進む。来た道とは違う筋だ。

途中こんな立て看板を発見。

一面に猫、猫、猫!!!!

さすが“濃い”名古屋。

猫カフェの宣伝も徹底してるにゃん。

3年前に訪れた「川久」発見。

透明プラカップに氷を盛って、透明円盤の受け皿に乗ってくれるユニークな店。

今回はパス。

広場中央の休憩所(何ていう名か知らない)で招き猫を仰ぎながら暫し休憩。

向こうでメイドさんが森高ばりの裾広がりのミニスカ姿で、カモお客さんを探してる。この暑いのにニーハイソックスはしんどいだろうなー。

久々に絶対領域を遠目に拝む。

いつからか、若い女の子のミニスカとニーハイソックスの間、太ももの数10センチだけが素肌が露出している箇所が“絶対領域”と呼ばれるようになり、それなりに浸透したが、ニーハイがなく、生足のほうが有難みがあるか…といえば、そうでもないようなのである。

2000年頃から、メイドさん、巫女さん、眼鏡っ娘…これらが急激に好ましい女子の格好として定着し、その頃“絶対領域”という語も誕生した。

「好ましい」と書いたが、「萌え」という概念の誕生である。

知識としてはあるが、私にはどうも未だに今一つ実感がない。

大須エリアを出て、通りに出ると、海星堂書店が見えた。

ヤフオクで何度かお世話になった店だ。

実店舗を目にするのは初めてなので、行ってみた。

本店1階で、店長と思しきリーダー格の男性と、バイトかな?と思しき若い男の店員が、丁度その頃終わったばかりだった夏の高校野球の大阪予選のことを話しているのが聞こえてきた。

結局この後優勝した、根尾、藤原、柿木らの選手たちがいた大阪桐蔭高校が、確か準決勝でライバルの履正社だったかにあと少しで負けるところだったのを、相手のエラーか何かであやうくつなぎ、後続が粘り強く出塁を重ね、逆転勝利を収めた。

その時のことを店長(?)が熱心に話していた。

東京だと、幾ら優勝候補の筆頭でも、大阪のチームのことが話題に上ることなどあまりない。ましてや地区予選である。

私みたいに興味をもって調べでもしない限り、この試合が昨夏の大阪桐蔭は一番危なかったことなど、知る由もないのである。

それが幾らプロ野球の雑誌コーナーがある、ちょっとマニアックな古本屋とはいえ、こうして大阪の高校野球が普通に人々の話題になる。

名古屋という土地が、大阪により近しい文化圏なのだと改めて思った。

 

2階の映画グッズコーナーに上がる途中で、こんな品が飾られてあるのを発見。

「木之内みどり」ってわかりますか?

「木内みどり」とは別人ですよ。

今となっては竹中直人夫人というのがわかりやすいが、『野球狂の詩』で実写映画版、TVアニメ版共に、ヒロイン・水原勇気役や、『刑事犬カール』の、素人っぽい演技と、クセのない美貌が印象に残る元歌手だった。

 

右側はもっと驚き!

今では妖艶熟女路線しか目に浮かばないが、この人にもこんな初々しい頃があったんですね。

結局何も買わずに店を出た。

この時点でまだ14時半。

銭湯へ向かうにはまだ早すぎる。

そこで当初の予定を覆し、地下鉄鶴舞線で上小田井とは逆の赤池方面の電車に乗り、ここから豊田市~知立~名古屋~上小田井と大回りすることにした。

初めて名古屋へ来た時以来だが、折角だから猿投方面に行けばいいものを、そうすると更に1時間ほどかかってしまうので、またしても地下鉄が分かれる先だけが「お預け」となってしまった。

途中で乗り換えた名鉄電車は6000系だった。

登場時は、“これからの通勤電車のあり方に対する1つの答え”と、バスみたいな小ぶりの一方向固定クロスシートのレイアウトが随分持て囃されたものだが、登場してから既に40年。

今では本線にも滅多に見られず、ロングシートに改装され、ローカル線用になっている。

名鉄も徐々に簡素な作りの銀色電車が増えており、「らしさ」が失われつつあるが、ロングシートになったとはいえ、横引きカーテンは健在で、まだまだ通勤電車にしてはゴージャスな印象は残っている。

鉄道ファンとしては、あの仰々しい車号表記の字体、スカーレットの車体、横引カーテン、パノラマカーの血筋…これらはいつまでも残ってほしい名鉄電車らしさである。

 

そうこうする内、電車は知立に着いた。

前にも記したように、知立駅は現在改良工事の最中で、将来は本線と三河線の重層式高架駅に生まれ変わるという。

今回は碧南方面には行けないが、初めて名鉄の乗り鉄に来た14年前は、三河(南)線のローカル普通に、7700系というパノラマカー一派の、しかも元特急仕様の内装を残す車両が使われており、戸袋窓部分の、ドアと反対側も椅子の端という独立した2人掛けロングシートに敢えて座った。

今では元急行用で5700系電車位しか、ゴージャス気分が味わえる普通電車はないが、かつてパノラマカーが多数走っていた頃は、それが当たり前だった。

 

ここから特急に乗る。

前日とは違い、もうフリーパスは持っていないので、一般席に座る。

JR西日本の新快速並に混んでいる。

金山で特急を見送った。

遂にこの紅白のおめでたいオリジナル色も消滅してしまったらしいが、この時はまだこうして残っていた。何度見ても、カブトガニにしか見えない。

犬山線直通を待っていると、内側ホームに5700系の「一般席」特急・名古屋行がやってきた。

こんな運用があるとはこの時まで知らなかった。

急行用の2扉車で、扉間が転換クロスシートという内装ならではの使われ方だが、この形式も大分古くなってきているし、この先、ロングシート特急になってしまうのだろうか?

その向かい側にやってきた犬山線直通の「普通」は、まさしくその5700系電車であった。

ラッシュ時なら収容がきかないのでしんどいだろうが、空いている時なら、大歓迎である。

先頭かぶりつき席は埋まっていたので、立ちん坊で前を見ている。

名古屋で乗客の多くが入れ替わり、待望の鉄っちゃん席に座れたので、ここからは堂々と展望写真に勤しめる。

枇杷島分岐点も、その先の三角州も、展望席なら撮影は思いのまま。

上小田井で下車。犬山行きだったので、このまま乗り続けてもよかったが…。

後続の急行に乗り換えて、時間を浮かす。

江南という駅で降りる。

勿論初めて。

駅前広場はあるが、改装中で、駅の全体像は今ひとつつかめない。

地図を頼りに車の道から、やがて住宅街へと歩を進め、そろそろ心細くなりかけたところで再び飲食店が軒を連ねる通りに出たところで、目的地を発見。

栄温泉。

さながら一昔前の地方の映画館みたいな店構えだが、ほんまにやってるんかいな…?

一応暖簾が出ているのでやってるんだろう…と随分レトロな木製引き戸を開け、中に入る。

中は靴脱ぎとなっており、更に引き戸がある。

下足箱の金属格子文様を見よ!

これこそが名古屋銭湯様式。

ところが番台に誰もおらず、幾ら呼び掛けても応答がない。

仕方ないのでそのまま入り、後でお金は払うことにする。

 

脱衣所からして随分とレトロ調。ロッカーの扉がプラスティック製なところだけが惜しいが、昔は木製だったのだろうか?

浴室との間に流しがある。床がタイルの流しの手前に、斜めに配された木製引き戸があり、その手前にごつごつとした岩が置かれ、ちょっとした和風庭園風となっている。

さて浴室。

手前に四角いカラン塔。天辺に風呂桶が重ねられ、その奥中央に島状に浴槽が展開する。

ジェット、浅い、電気と続き、ジェットと浅い浴槽までがぬるい。

奥の壁に連なる深い浴槽が主浴槽で、ここもお湯熱め。

白い壁が清潔感漂い、正面奥、女湯にまたがって熱帯魚が泳ぐ竜宮城のタイル絵が浴室を見守る。

浴槽側面の四角いタイルの意匠が綺麗だ。

外へ出て建物裏を回ってみた。

随分奥へ長い立派な建物で、トタンの壁面、資材置場、天に聳える煙突と、メカニカルでものものしい姿に男子たるもの惹かれずにはおれない。

来た道とは違う道から駅へ戻ることにした。

「愛栄通」という名がついているが、金融機関が撤退した後の空き家、ガランとした商店街…さびれ様がよそ者にも一目でわかる。

やがて車通りに出た。

するとこんな立派な建物を見つけた。

それは廃業銭湯。

「広見湯」という屋号も立派に残っており、単なる休業日に見える。

これも一種の看板建築といえようか?

この銭湯が開いている頃、来てみたかった。

駅前に戻ってきた。

車のお出迎えが多い。

やはり名古屋は車社会なのだ。

名古屋方面に戻る。

途中、岩倉という駅で、後から来るミュースカイの案内を聞く。

乗っていたのは確か準急で、こまま乗り通してもよかったが、折角名鉄電車に連日乗っているのだし、前日、特急乗り放題の権利を得ながら、一度もミュースカイには乗らなかったし、そこで急に思い立って、金山までのミューチケットを買い求めた。

そろそろ夕ラッシュのせいか、4連が2本連なった8連。

それにしてもこの面構え、つくづくJR東日本の「成田エクスプレス」用の旧車両・253系と似てるなぁ。

私にあてがわれた席に、白髪頭の親父が居座っていやがる。

写真にチラッと写っているこの親父だ。

余程「そこワイの席や。退いてんか?」と言ってやろうかとも思ったが、ご覧のように車内はガラ空き。

まぁ目くじらをたてることもありますまい。

1列後ろの空席に陣取った。

そろそろ日が沈みかける中、城東線、枇杷島分岐点と鉄道スポットを横目に見つつ、ミュースカイは快適に飛ばす。

車内は静寂で、揺れも殆どないが、前に近鉄特急に乗った時だったかに記したように、どうも特急の車内から見る車窓風景は、金魚鉢か水槽越に見る景色のようで、今一つ実感味に欠ける。

特急券代をケチりたいのも勿論だが、どうもそう思えてならず、だから今の私はあまり特急に乗りたがらない。

金山でミュースカイを降りた。

名古屋は車社会とは昔から言われるが、それでも通勤ラッシュはある。

ものものしいデザインの6500系電車の普通で、道徳という駅で下車。

近代的な高架駅だ。

ここから真っすぐ歩く。

途中、公園で明日から夏祭りなのか、模擬店の準備が忙しそうだった。

ほどなくして突然こんなレトロな建物が姿を現した。

道徳温泉である。

黒い板塀が懐かしくてたまらない。

昔の家並みには必ずといってよいほどこうした板塀があった。

ここも勿論番台式。

客の入りは多く、賑わっている。

脱衣所の天井が高い。

浴室へ入る。

中央に楕円形の主浴槽。深くて熱い。

奥の壁際に浅くてぬるいジェット風呂、隣に電気風呂。

左右両壁沿いにあるカランにはお湯しかなく、水用がないのが珍しい。

脱衣所を見回してみて気づいたが、配電盤の古めかしさといったら…。

帰りの電車も6500系だった。

濃い色の木目化粧板が、一昔前の応接間の流行を思わせ、昭和レトロ色が濃い。

名古屋で地下鉄に乗り換え、吹上という駅から少し歩く。

途中、小学校の前を通るが、夜の学校は人けがなくちょっと薄気味悪い。

千種小学校というらしい。

千種といえば、河合塾を連想する。

JR中央(西)線と、確か地下鉄東山線に、千種という駅があったはずだが、ここも千種という名の学校があるからには、近いのだろうか?

よそ者の悲しさで、全く土地勘がない。

鉄道知識があるだけましだが、線で捉えているにすぎず、面で全く把握していないので、全く心もとない。

 

やがてこの日最後の目的地・出口湯に着いた。

夜9時までと、銭湯としては早じまいなので、急いで来たのだ。

着いたのは8時過ぎであった。

ここも勿論番台。

脱衣所のロッカーは木製扉で、レトロな雰囲気。

ここも脱衣所と浴室の間にタイル貼りの体を拭く場所があり、向かいに流しがある。

こういう作りだと、必然的に脱衣所へは身体を拭いた後で上がってくるので、「体をよく拭いてから上がりましょう」とわざわざ張り紙することもない。

浴室は、女湯との仕切り壁に接する形で浴槽が並ぶ。

大きくせり出した浴槽2つの間に、ちょっと窪んだ格好で四角い電気風呂があり、奥が主浴槽で熱め、手前が寝風呂でジャグジー付き。

壁の下半分はガーベラか、赤い花が綺麗なタイルで、上半分は所々にピンク色の小花があしらわれた絵。

更に上ほうには、コンクリートか漆喰か?竪琴のようなマークの飾りが点々と並び、この銭湯が只ならぬレトロな空間であることを物語っている。

庭の木々が生い茂り、それに覆われた出入口が、なかなかいい雰囲気を醸し出していた。

長い旅路を経て、この日も漸く宿に帰り着いた。

さっき名古屋で乗り換える時、名鉄百貨店に虎屋ういろの売店があり、思わず抹茶とよもぎの2本を衝動買いしてしまったが、さてこのういろう2本、いつどうやって食べようか?

幾ら旅先でハイテンションになっているとはいえ、夜食で食べるにはヘビーすぎるし…。

次回へ続く。

長らく放置していた昨夏旅記事の続き。

細かな記憶が薄れてきつつあるので、以後はやや駆け足になるのはご容赦を。

 

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7月30日(月)

 

名鉄名古屋―(大江)―東名古屋港―(大江)―(名鉄一宮)

―(津島)―(須ヶ口)―金山―上前津

上前津―(赤池)―(豊田市)―(知立)―(上小田井)―江南

江南―(岩倉)―(金山)―道徳/道徳―名鉄名古屋

名古屋―吹上/吹上―丸の内

 

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名古屋3日目にして遂に平日。

土日はどうせ混むと思い、これまで控えめにしてきたが、氷屋巡りをバシバシ入れよう。

 

前日、台風一過のせいで行けなかった名鉄築港線に今日こそ行こうと、予定外の早起きをし、常滑線の大江まで行く。

下りホームはガラ空きだが、上り名古屋方面はまさにラッシュアワー。

人で溢れかえるほどではないが、やはり結構人はいる。

上りホームを更に越え、築港線ホームへ。

ここはホームへ行く前に改札を通る。

さながら東武西新井の大師線の如し。

僅か1駅だが、これから向かう東名古屋港駅は、工場への通勤ルートなので、先ほどまでとは一転、ホームは結構な人だ。

ほどなくやってきたのは(新)5000系4連。

こんな“チョン行”に何故4連?とも思うが、2連じゃとても無理だろう。

席に座れたが、到底車内を写せる混み具合ではない。

先頭車かぶりつきなどとても果たせぬ。

電車はあっという間に終点・東名古屋港駅へ着いた。

改札は先ほど大江駅で済ませているから、ここは出入り自由のフリーパス。

路面電車の駅のようだ。

すぐに折り返す電車でとんぼ返りしたので、辺りの探索など碌にしなかったが、ホームの先は高速道路が覆い被さる広い道で、線路はその先、海のそばまで伸びている。

かつては貨物線だったようだが、今は貨物輸送には使われておらず、車両の輸出や、甲種輸送という大雑把に言えば新造車の搬入時くらいしか使われることはないようだ。

御覧の通り、見事に朝夕しか列車はなく、日中は全く列車が走らない。

恥ずかしながら、まだJR鶴見線に乗りに行っていないが、きっと似た雰囲気なのだろう。

この時、朝8時過ぎ。

まだ朝の“終電”まで数本あるが、乗ってきた電車でそのまま折り返すことにした。

逆方向はガラ空きなので、今度こそかぶり付きをする。

一部愛好家の間では有名な十字交差。

のどかなローカル線の風景がしばらく続く。

その昔、日本航空が元気だった頃、独自開発を進めたHSSTというリニアモーターカーの実験線がこの沿線にあったという。

その頃、ここに来たかった。

線路がカーブすると、終点・大江。

工場の始業時刻が早いのか、まだ8時過ぎだが、再び東名古屋港行となった電車は、今度はガラ空きであった。

向う側の車庫に、「ミュースカイ」の隣に憩うEL-120型電気機関車を発見。

私鉄電機が軒並み数を減らす中、本機は2015年と、随分近年に造られた珍しい機関車である。

下り空港方面行の急行だろうか。

鋼製車とステンレス車。見た目が全く異なる車両同士の混結も、他社では殆ど見なくなってきてしまったが、名鉄ではまだまだ健在。

氷屋が開くまで、まだ時間があり余っているので、名鉄電車の「乗り鉄」に少しでも勤しむことにする。

大江で岐阜行の急行に乗れたので、そのまま名古屋、須ケ口も通り越し、一宮で降りる。

尾西線に乗り換える。2面4線の何の変哲もない追い越し駅に見えるが、岐阜方面はこの駅では緩急接続はしないようで、対面の1番線は尾西線用の発着ホームとなっている。

尾西線は津島方面から一宮を経て、玉ノ井という駅まで通じている。

ほどなくしてやってきた電車は、ここで編成を分割し、玉ノ井行と津島行に分かれた。

玉ノ井というと永井荷風の小説に出てくる遊郭を真っ先に連想するが、あちらは“玉の井”だったか…。

名古屋の玉ノ井には、玉乃井湯という渋い銭湯があるようで、いつか行ってみたいと思うが、残念。今回は寄る暇がなかった。

銭湯、喫茶店、古本屋…私が好んで訪れる店屋はどれも皆、「いつまでもあると思うな」状態になってしまっているので、全くもって油断できない。

 

…とこの先、1時間半ほどかけて今回の記事のほぼ全てを作ったところで、普通に平仮名→漢字変換をかけたところ、あの嫌~なグルグルが出て、「ああAmebaが固まったのね」とタカをくくっていたら、タブごと消され、おまけに上書き保存したはずの文章まで消え失せやがった!!

嗚呼、これでまた今夜も夜更かし&寝不足確定か。

…一気に制作意欲が減退するぜ。

全く、Amebaの異常終了、何とか改善してくれんものかね。

こいつのせいで、何度意図せぬ作り直しを強要されたことか。

…制作意欲が失せかけているところ、今夜はまだ日付が変わっていないので、この怒りを制作意欲に変換し、糞コンピューターに一度は消去された文章を何とか再現してみるとしよう。

 

…閑話休題…。

 

今回は玉ノ井行には乗らず、津島行に乗り、揺られること40分ばかり。

途中、早起きと、田圃ばかりの単調な車窓風景と、適度な電車の揺れのせいで、居眠りこけること暫し。

気づけばすっかりローカル線の長閑な情景。

ほどなくこの電車の終点・津島駅に着く。

鉄道ファンの端くれとして、ここ津島といえば、名鉄の西側で支線特急が直通する主要駅で、かつては「パノラマDX」こと8800系電車が全車指定席特急として走っていたくらいの知識はある。

ところが時刻表を見てみると、普通電車ばかり。

特急が走っていたのは過去のことか…?と思ったら、ありました、ありました。

辛うじて平日夕方~夜にかけ、帰宅用に特急が残っていた。

想像していたのとは違い、島式ホーム1面2線のシンプルな高架駅。

路線はこの先、JR関西線と連絡する弥冨まで通じているが、そこまで行くと、後の氷屋巡りに障るので、今回はここから須ヶ口方面を目指す。

駅前にどデカい高層アパートが見える。

結構年代物らしい雰囲気だ。

1階がアーケード付きの店舗部分で、そこがウェディングケーキの土台みたいに広く、一回り小さな床面積のアパート部分が、その上に乗っかっている。

1階部分の屋根が折しも塗り直し作業中のようで、電車を待ちながらぼーっとその様子を見ていた。

ほどなくしてやってきたのは、かつての急行用・5700系電車であった。

前日、西枇杷島駅踏切や、河和駅の留置車両を嫌というほど見まくったが、実車に乗るのはこれが初めてである。

2ドアのゆったりとした作りで、扉間には転換クロスシートが広がる。

パノラマカーの流れを組む見晴らしのいい連続窓に横引きカーテン。

照明は勿論カバー付きだ。

普段、東京の実用本位の銀色通勤電車にばかり乗せられているので、こういう余裕のある作りの車両に、追加料金ナシで乗れる環境が羨ましくて仕方がない。

こんな車両がローカル普通として地味に走っているのだ。

つくづく東京は人が多すぎて、余裕がないと思う。

人の心が荒み、気持ちがぎすぎすしてくる。

時間帯ゆえか、中高生や予備校生かと思しき若者たちで席はほぼ埋まる中、優雅な列車旅はあっという間に終了。

須ヶ口で名古屋方面の急行に乗り換える。

こちらはありきたりの3ドアロングシート車だったが、車内は結構混んでいたので、混む電車にはそれ位の作りが適当なのだろう。

名古屋を通り過ぎ、金山で降り、地下鉄に乗り換え、上前津で下車。地上に出ると、繁華街・大須が目の前だ。

さぁ氷屋梯子の始まりだ。

手始めに通り沿いのこの店から。

3年前にも一度来た、今井総本家の氷栗ミルク。栗ソフトをトッピングに加え、占めて800円也。

他に誰も客がいない、平日朝の閑散とした店先の路面席で、氷を喰らう幸せ。

炎天下の強烈日差しゆえ、氷はみるみる溶けていく。

掬っては食べ、掬っては食べ…の繰り返し。

やがて中から栗ソフトが姿を現し、ますます“栗度”が増した。

流石天津甘栗屋だけのことはある。

とりたてて高級感のある作りではないが、シロップ十分、甘み十分。満足のいく一品。

3年前の写真を今、確認してみると、あらまぁ…3年前は栗ソフトが最初から入って、500円だったんですって。

300円もの値上げかよ。

何だか世の中、どんどん世知辛くなっていくな…。

原材料費高騰とか、人件費高騰とか、何やかやで値上げ。

消費税が上がってまた値上げ。

給料だけは上がらない。

好景気が続くとか何とかおめでたい事言ってるが、寧ろ暮らし向きは苦しくなっているという実感しかない。

商店街を奥へ奥へと進む。

アーケードに覆われた大きな商店街のさまは、大阪のあちこちでよく見るし、東京なら浅草の新仲見世通りのようなものか。

大須はこれで2度目でしかないが、何だか著しい既視感を覚える。

途中、この地のランドマーク・大須観音前をやりすごし、さて目指すは「大須マルシェ」なる商業施設。

…あぁ、これか。

何だか妙にシャレオツな佇まいだね。

入り口脇に、目指すお店の看板発見。

「金山とまと」―ここへ行きたい。

中は薄暗く、モノトーンの通路にシャンデリアが煌々と灯る幻想的な雰囲気。

洒落た食べ物屋が並ぶ。

事前の下調べでは、ここ「金山とまと」、11時開店とあったのだが、現地に赴いてみると13時開店だった。

道理で人っ子一人いないわけだ。

さてどうしよう。

早くも大須氷屋巡り計画、変更を余儀なくされた。

仕方ないので、この時間でやっている他の氷屋を求め、先ほどの天津甘栗屋まで延々歩く。更にその先、車通りに沿って歩くこと少々。

次なる目的地が姿を現した。

…っていうか、わかりにくいわ。

雑居ビルの狭苦しい地下への狭い階段の上に、辛うじて店名の看板が氷旗に囲まれているが、この辺、この辺…と当たりをつけて来なけりゃ絶対、見落としちまうよね。

階段を下りてすぐ、何だか仮設模擬店みたいな作りの店だが、通路側壁にはメニュー代わりの氷写真がずらり。

さしずめ原宿の流行りものスィーツ店みたいな雰囲気。

氷目当てのよそ者でなければ普段は絶対来ないような場所だ。

まだ11時過ぎと早いので、客はまばら。

この店は何を頼んでも1品800円均一と明朗会計だが、やはりここはホイップのせから濃厚な味を1品。対極のサッパリ系から1品。

「黄金糖(アレ)」、「キャラ巻」という謎メニューが気になるが、「てぃらみす」と「グァバ」にしておいた。

「マンゴー」は、後で「金山とまと」で食べるから。

ほどなくして2品同時にやって来る。

「峠の釜飯」の使用済容器?と思うほどよく似た陶器の釜に盛られて来るのが、この店の氷の一大特徴。

さほど丁寧な作りではないが、各フレーバーの味がしっかり中まで滲み、表面だけシロップをまぶし、それが尽きたら、釜に盛った雪をひたすら喰らう…なんてことにはならなかったのは、流石人気店。

空いている氷屋を巡ると、随分回転が速い。

すぐ溶けるだけに食べるほうも勢い早食いになる。

13時までにはまだまだ十分時間が余る。

 

さぁ次の氷屋だ。

そう思ってGoogleマップを手に辺りをぐるぐる回ったが、何度探しても「ぼなぺてぃ」という店屋が見つからない。

散々辺りを逡巡した結果、至った結論は一つ。

「ぼなぺてぃ」は既になく、この工事現場が跡地である。

 

…う~ん…。

銭湯なら何度もこういう経験はしているんだが…。

 

そんなわけで上で記した“格言”は一部改め、

「いつまでもあると思うな銭湯、喫茶に古本屋。あと氷屋もね」

 

次回へ続く。

しばらく更新をさぼっていたため、この記事が実に令和最初のものとなる。

 

**********

ひょんなことから深夜ドラマを見始め、それが意外に面白く、作品名を覚えてから早1年。

アニメ版の1期、この冬放映された2期、間髪入れず今度は実写ドラマの第2段。遂には映画化され、現在劇場公開中。

物語の舞台は、私立百花王学園。

主役の蛇喰夢子(じゃばみゆめこ)が転校してくるところから物語は始まる。

この学園は120年余りの歴史を誇る、上流階級や政財界の大物子女が数多く通う名門中の名門。

だた、学園の著しい特徴が1つある。

それは学園内の秩序が、生徒間で行われるギャンブルの強弱によってのみ定められる階級制度によって保たれているということ。

そしてその秩序を維持しているのは生徒会であり、中でも圧倒的なギャンブルの強さを誇る生徒会長・桃喰綺羅莉(ももばみきらり)の手によって、階級制度はより強固なものに作り上げられた。

 

ギャンブルにおいては、何千万、何億という額が賭けられる。

勝負に負けると高額の負債を背負うことになり、支払い不能に陥ったり、生徒会への上納金が少なくなったりすると、その生徒は「家畜」に身分を落とされる。

男子なら「ポチ」、女子なら「ミケ」と呼ばれ、名札を胸に提げ、屈辱的な学園生活を送らねばならない。

夢子は一見したところおっとりとした物腰柔らかな清楚なお嬢様だが、その実、高リスクを背負った極限のギャンブルに異常なまでに執着する、破滅型思考に取り憑かれた“賭ケグルイ”。

追い詰められれば追い詰められるほど、その目は潤み、妖しげな赤い光を帯び、「滾ってしまいますぅ~」と興奮状態。そして相手を奈落の底へいざなう決めゼリフが「さァ、賭け狂いましょう!」。

 

物語は、夢子を中心に進んでいく。

転校初日、クラスで幅を利かせていた早乙女芽亜里(さおとめめあり)に勝負を挑まれ、「投票ジャンケン」で一度は借金を背負うも、芽亜里のイカサマを見抜き、逆転勝利。「ポチ」の身分に堕していたクラスメイトの鈴井涼太を「家畜」から脱却させ、友達になる。

 

大手玩具メーカー社長令嬢、1年生にして生徒会役員の皇伊月(すめらぎいつき)、伝統文化研究会会長にして同じく生徒会役員・西洞院百合子(にしのとういんゆりこ)と、次々に生徒会役員に勝負を挑まれるが、いずれも逆転勝利。

西洞院との勝負では、あと一歩まで追い詰めるが、生徒会長・綺羅莉の介入を受け、逆に3億もの借金を背負う羽目に陥り、「ミケ」に堕す。

 

その後、芽亜里とタッグを組んでの頭脳プレイで大勝利を収め、「家畜」からの脱却ができるにも拘わらず、敢えてそれをしようとしないのは、「家畜」ならではのギャンブル挑戦権を留保したいからに他ならない。

生徒会長に勝負を挑むのだと誰しもが思っていたが、さにあらず。

意外な場面で権利を行使し、野望に燃える権力欲の塊の男を奈落の底へと突き落とした。

 

その後も次々と、超個性的な面々が現れては、趣向を凝らした独自性溢れる創作ギャンブルの勝負が描かれていき、読者、視聴者を飽きさせない。

ギャンブルは、運任せの純粋な勝負ではなく、実は相手は毎度巧妙にイカサマを仕込んでいる。知らずに勝負に挑んでくる「賭け狂い」の夢子を、「馬鹿め!」と心の中で蔑み、余裕綽々で勝負に臨むが、夢子は類まれなる洞察力で相手のイカサマや策略を瞬時に見抜き、並外れた記憶力で些細なことも見逃さず、又、巧みな話術で相手を勝負の深みに引きずり込み、抜き差しならぬ状況に追い詰めるなどして、不利な状況をひっくり返してしまう。そのさまは、この上ない快感を齎す。

夢子の神がかり的ともいえるギャンブルの才能は、全く以て天才的だ。

 

ギャンブルという特異なフィールドでの闘いのみが描かれ、欲得づくの対戦相手のあまりに際立ったキャラクター(名前からして個性的な面子ばかりで、平凡なのは鈴井くらいなものか…?)、学園という閉鎖社会内の出来事という特殊性ゆえ、現実離れした異世界での出来事のように思えるが、実は勝負の内容がギャンブルでさえなければ、現実世界においても大なり小なり展開される、駆け引きの世界なのである。

極限にまで追い詰められた状況下で繰り広げられる、登場人物たちの丁々発止の駆け引きのさまが実に面白い。

そしてその過程の中で繰り広げられる登場人物たちの“変顔”オンパレードも本作の大きな見どころとなっている。

原作漫画、アニメ版はいうに及ばず、実写ドラマ版においてもそれは活かされ、異種格闘技を見ているかのような錯覚を抱かせる。

 

物語の舞台が名門私立高校であること、生徒会が絶対的な権力を握っていること、そして生徒会は学園内に留まらず、政財界にも大きな影響力を及ぼし、日本国における絶対権力の先鋒としての役割すら負っていること。

…これらの要素のみを取り上げれば、少し前にやはり映画化された『帝一の國』(古屋兎丸)と大筋では同じに見えてくる。

違うのは『帝一の國』が生徒会に入り、生徒会長の座に就くことが主人公たちの絶対的目標であるのに対し、本作においては生徒会長の権力の絶対性は同様だが、主人公の目標は必ずしも生徒会長への就任ではなく、生徒会長とギャンブルをすることだということである。

そこには権力志向を超越した途轍もない快楽主義が存在する。

あまたの対戦相手たちが、ギャンブルを権力や野望や夢を手にするための手段として捉えているのに対し、夢子だけはギャンブルそのものを目的としている。そこが夢子の最大の強みである。

 

生徒会長・綺羅莉は、その絶対的権力を、かつて自らが1年生という弱冠の身の時、ギャンブル勝負を生徒会長に挑み、勝利したことによって、その手中に収めた。

ギャンブルによる階級制度をより強固なものに作り上げ、学園内に留まらぬ政財界への強い影響力、人一人の人生そのものをも支配するだけの力を時に発揮する。

それだけの権力を手にしていながら、常に冷静沈着、冷徹そのものである。

学園という閉じられた世界に絶対的に君臨する女王というキャラクターは、私が良く知るところでは、あの池田理代子の『おにいさまへ…』の宮さまを思い出させる。

しかし『賭ケグルイ』の世界の特異性は、際立っており、又現時点ではまだ綺羅莉の真の姿は今もって神秘の謎靄に隠されているといえる。

上で、夢子だけがギャンブルそのものを目的としていると記したが、綺羅莉だけはまだわからない。そもそも綺羅莉が何故斯様なまでにギャンブル中心の世界観を抱くに至ったかは、未だ一切明かされていない。

 

綺羅莉にとり、学園内のギャンブルを主軸に据えた階級制度は、アクアリウムの管理と大した差はなく、夢子が学園に転校してきて生徒会役員を次々に破っていることさえも、活きのいい外来種が現れて面白いわね…位にしか思っていないのだろう。

とはいえ夢子の存在が、綺羅莉の退屈に大きな波紋を投げかけたのは事実。

綺羅莉は遂に、全校生徒のみならず、自らが当主を務める百喰一族の分家の代表をも学園に招集し、生徒会会長の座と、百喰一族当主の座すら賭した生徒会長選挙を開催するに至る。

 

TVアニメ版の会長室には橘小夢の「地獄太夫」の絵が掲げられているのが時折見える。綺羅莉会長の得体の知れなさが窺えて、実に良い。

因みに第2期からは、更に百喰一族の控室に、対になるように同じく橘小夢の「水妖」という絵が掲げられている。

綺羅莉にとって、百喰一族の有象無象どもも、アクアリウムに蠢く外来魚否絵のモチーフ通り巨大人魚も混じっているということなのだろうか。

そしてその人魚に纏わりついているのが蛇。

夢子がこの先、百喰一族も喰っていくという暗示なのだろうか。

 

生徒会長選挙という新たな戦いの場でも繰り広げられるのは勿論ギャンブル勝負である。

票という名のチップを獲得すべく、あくなき闘いが繰り広げられる。

アニメ版では、男装の執事・×喰零(ばつばみれい)というオリジナルキャラが現れ、第2期の最終エピソードでは、その零が考案し、主催となる「100票オークション」なるギャンブルが繰り広げられ、零がアイデンティティーを取り戻す形で物語が締め括られた。

 

実写ドラマ版は、夢子役・浜辺美波、芽亜里役・森川葵、鈴井役・高杉真宙らが、この特異な閉鎖的世界の中で弾けた演技を見せ、各キャラクターの再現性は極めて高い。

狂言回し役・鈴井や、同じく説明役に回ることもある芽亜里は、この複雑なギャンブルのルールや状況などを説明する際、カメラのほうを向いて大振りに話す一方、他の登場人物たちはその間静止状態となり、例えば今まさにギャンブルに興じようとしている芽亜里が狂言回し役を演ずる際には、芽亜里自身から離脱し、一人だけ動くといった演劇的演出が見られる。

そもそも学園内が陰翳のある世界として描かれ、登場人物たちが照明に浮かび上がる。さながら古代ヨーロッパの屋内競技場のようだ。ここからして演劇的である。

 

アニメ版同様、現在のところ実写ドラマ版も第2期まで存在するが、実写ドラマ版のほうが物語の展開は遅く、実写ドラマ版第2期の最大の見せ場は、夢見弖ユメミ(ゆめみてゆめみ)とのアイドル対決であった。

その後に展開される「王道」・豆生田との「選択(チョイス)ポーカー」の決着を以て、ミニドラマの尺であった第2期実写ドラマ全5話が完結。

その最終話は、オリジナルストーリーの劇場版への呼び水的役割を果たし、映画へ視聴者を誘導する役割を担っている。

 

劇場版は原作にはないオリジナルストーリーである。

至極簡単に言うと、ヴィレッジという“非ギャンブル主義”を掲げる組織が学園内に出来、一波乱起きるという話である。

生徒会がヴィレッジの一掃に乗り出す。

一方、学園内で生徒代表を決める選挙が始まる。

勿論その手段はギャンブル。全校生徒強制参加だ。

不抵抗不服従主義を唱えるヴィレッジだが、選挙不参加は即放校を意味し、又生徒代表の座を得ることで、ヴィレッジの存在を生徒会に認めさせるためもあって、副代表の歩火樹絵里(あるきびじゅえり)らが参加を表明。

ヴィレッジ代表の村雨天音(むらさめあまね)は、かつて生徒会長・綺羅莉とギャンブルをして勝ったことのある人物。

その目的は、「ミケ」になっていた姉を救うことだったが、その姉は「何もわかっていない」と言い残して自殺。止めようとした村雨も顔に大怪我を負い、今もその痕が残る。

村雨が、非ギャンブルを提唱し、ヴィレッジを作ったのはそれがきっかけであった。

勝ち抜けした夢子、芽亜里、皇伊月、それとヴィレッジの歩火。

ところが準決勝を前に、歩火のペアの相手・犬八が拉致され、行方知れずとなった。このままでは不戦敗となってしまう。そこに現れたのはギャンブルを封印した筈の村雨。

彼は歩火と新ペアを組むや、相手がカードを繰る順を瞬時に記憶するという特殊能力により、決勝へ勝ち上がり、夢子&鈴井ペアと対戦。

勝負は予想に反し、夢子たちリードで進む。

夢子は歩火がわざと負けようとしていることに気づく。

果たして歩火の真意は…?!

 

というもの。

 

ヴィレッジの拠点、芽亜里が歩く地下道、村雨の姉が自殺する場所は、あの『カメラを止めるな!』ロケ地として一躍有名になった茨城の廃水道施設。

お蔭で著しい既視感を覚える。

村雨の姉さんが飛び降り自殺した場面など、おばさん女優がふっと湧いて出てきて、血まみれで倒れている村雨を放っておいて、護身術の舞を披露しそうに思ったもの。

僧衣を思わせるピッチリした前ボタンの白装束は、ひと頃話題になった某新興宗教団体を思わせる。

学園内で「家畜」に身を落とした弱者たちが、被抑圧階級者として惨めな気持ちになりかけるのを、歩火らが彼らの気持ちを鼓舞し、怒りを煽動する。

名もなきヴィレッジ団員らが右足をダンダンと一斉に踏み鳴らし、怒りの感情を増幅させ、「おぅお、お、おぅお」と叫ぶさまは、まさにファシズムを想起させる。本気でクーデターでも起こしそうだ。

又、活動の様子がやけにエコロジカルなもので、メンバーが飼い慣らされた羊のように善人になっており、あの悪態偉そぶり野郎の木渡が、家畜に墜ちて行方をくらませていたかと思ったら、花の小鉢を夢子らに差し出すほど骨抜きにされてしまっているのも、新興宗教の洗脳を思わせ、随分不気味だ。

しかし冷静に考えてみれば、綺羅莉の構築したギャンブルによる階級制度こそ常軌を逸した洗脳的要素をもった体制であり、それに異を唱えるヴィレッジの理念には、本来正当性を感じるべきものである。

なのに薄気味悪く思えてしまうのは何故?

 

ネタばらしになってしまうが、予告編の浜辺美波の

「無駄遣いはほどほどに。めっ!」

は、準決勝戦で皇伊月に放ったもの。

又、名物の「変顔」は劇場版でも健在。

山場で、突然の豹変を遂げ、壊れてしまったかのような狂気を見せる歩火こそ、劇場版の「変顔」の最たるものだろう。

 

そうした濃い連中の跳梁跋扈する中、最後に全て持って行ってしまうのはやはり夢子。

極限状態に追い詰められ、「滾ってしまいますぅ~」と興奮状態にトリップ。

そして興奮はエスカレートし、目は妖しげな赤い光を帯び、相手を奈落の底へと誘い込む。

「さァ~、賭け狂いましょう!」。

 

狂気に憑かれた天才ほど魅力的なものはない。

 

劇場版は今も大盛況のようなので、実写ドラマ版続編は十分期待できる。

骨喰ミラスラーヴァの超絶グラマラスボディーや、藤子キャラにしか見えないハリウッド女優・名足カワルが、実写でどう再現されるのか、

今から楽しみだにゃん♡

 

以上敬称略。