丸いメンチカツで有名な吉祥寺の行列店の、これはお徳用。ご覧のように、チャーシューの端、切落しの詰め合わせである。
端っこといえども、甘辛ダレが効き、たっぷりと脂身が乗って、口に含めばジュワーっとジューシィな旨みが広がる。
こういう"パンの耳"的商品も、お得用として売られるようになって久しいが、随分昔はチャーシューは流石に無理だとしても、パンの耳くらいなら、ペットのえさ用にタダでもらえた時代もあったのだ。
本品は1パックの量で、たっぷりぎゅう詰めとまではいかないが、まだ安値で抑えてくれている方だと思う。
何せメンチカツ2個分のお金で、何人分かのおかずができるのだから。
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・霧の森大福 [霧の森菓子工房(愛媛県)]
(1,296円/8個入]
連日限定100個で、平日でも朝10時50分頃には連日完売してしまうのをリストでみて、一度試してみたいと思い、朝一で並んで手に入れた品。
早い話が抹茶生クリーム大福である。
中のあんこは甘すぎず、上品な味わいで、生クリームもさり気なく入っている感じなので、くどくはない。
原材料に餅粉と書かれているように、これは求肥餅である。それだけに軟らかい食感は購入後しばらく経っても維持され、すぐに硬くなることはない。
しかし、それがために結構色々な添加物が入っている。これは個人の好みの問題ではあるが、もち米を搗いた本物の餅には、やはり求肥餅は及ばないと思うのである。
愛媛の山奥の道の駅で限定販売され、そこでも入手困難な"幻のスィーツ"らしいのだが、1回食べればいいかな…と思えてしまった。
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・からいも団子・ あん入/あんなし
[味のくらや(宮崎県)] (各1個150円)
ここ数年、毎年食べている品。
「からいも」とはサツマイモのことを指す。搗きたてのお餅にふかしたサツマイモを混ぜ、砂糖ときな粉をまぶしたものを「ねりくり」と呼ぶそうだ。更に甘さを抑えた粒あんを包み込んだものが「からいも団子」というらしい。
そこそこ並んでいたので、列で待ちながら、実演ブースを眺めていた。
年配のおじさん職人が、長く伸ばした"ねりくり"を左手親指、人差し指の輪っかからうにょーんと出しては、一口大のところで右手で掬い取り、手際よく丸めて台に乗せていく。
それに更に粒あんを包み込み、形を整えた後、業務用と思しききな粉の袋を開け、豪快に半分ほど一気にまぶして作っていた。
あん入、あんなしで作り分けていたが、本来は「からいも団子」と「ねりくり」ということになるのだろう。
粒あんが控えめな上品な甘さなので、あん入りもしつこくなく、きな粉の味が目立つ優しい味わいであった。
生地のさつま芋の割合が多いため、冷やしても固くなりにくいということである。
固まりにくくなる工夫として、上で取り上げた求肥餅とは異なるアプローチをしたと言えようが、混ぜ物がなく、素朴な味は、何度食べても飽きない。
きな粉があり余るほどまぶしてくれるのも、きな粉好きにとっては嬉しい大サービスである。
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・あくまき [味のくらや(宮崎県)] (480円)
「からいも団子」と同じ店で売られていたものを衝動買い。
本品は宮崎県のお店によるものだが、「あくまき」とは宮崎県に限らず、鹿児島、熊本南部で作られるものらしい。
そういえば、あくまき自体、今回が初めてではなく、確か日比谷の鹿児島物産館で買ったことがあったな…などと思っていたが、○○県限定ではなかったのか。
もち米を灰汁に漬けておいたものを孟宗竹の皮で包んだものを灰汁で煮て作る。
柔らかく、粘りは少ないと「Wikipedia」には載っていたが、ナイフで切り分けようとすると、とにかく刃にへばりついて切れない。箸で挟み、ナイフを引き抜き、最後はスプーンまで出動させる始末。
以前食べたつもりになっていたが、段々自信がなくなってきた。売られているのを見かけただけだったのだろうか?
色はご覧の通り茶色で、てっきり黒糖味かと思いきや、味はないに等しい。
真空パックの包みには、きな粉と砂糖をかけて食べよ、と書いてあったことを思い出す。
そこで、先の「からいも団子」で余りまくっていたきな粉をこれにかけて食べることを思いついた。甘みもないため、序に黒蜜もかけることにする。
すると、何だか上等のわらび餅でも食べているかのような味と食感に化けてくれたではないか!
今回特に1/18は、弁当をしこたま買い込んできたので、途中で「もうこれ以上は無理」とばかりに、例年なら必ず買ってきたであろう京都のわらび餅を、泣く泣く蹴ってきただけに、元来わらび餅大好き人間である私としては、大変嬉しい大誤算であった。
冷蔵庫に冷やしておき、後日やはりきな粉&黒蜜で食べてみたら、あんなに悩まされた粘り気が程よくこなれ、ぷるんぷるんとした食感が口の中で心地よく、「ああ、いいものを食べた」、思わずそんな感慨に耽ったのであった。
同じく「Wiki先生」によると、灰汁がえぐくてクセがあるようなのだが、私が食べたものは全くそんなこともなく、ちまきのDNAが入った個性派わらび餅を食べた気分。
それにこの値段。ジェラートダブルのほぼ半額で、これほど濃密な食体験が数日に亘ってできようとは。
見かけることがあったら、また買ってこよう。
勿論、黒蜜&きな粉をかけて。
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以上、すっかり遅くなってしまったが、今回の"駅弁大会"全食レポ終了である。
始まる前は、途轍もなく長い会期に思えたが、終わってしまえばあっという間であった。
いつもは正月休みの後、仕事に出ても、何となく正月気分が抜けきらず、駅弁大会の大行列と人ごみにまみれて初めて正月モードから脱却するところが、今年は正月休みと地続きで、仕事始めの前に駅弁大会へ行くという異常事態であった。
初めて3期に分かれ、ずっと通しで出店していた実演ブースは果たしてあったのか、なかったのか。「ながさき鯨カツ弁当」と「佐賀牛」位しか思いつかない。
お隣小田急百貨店が建て替え工事真っ最中で、最近、新宿西口へ行く度に通路の場所が変わっている気がする。
あのぐるぐるっとした巨大目玉のらせん道路が、新宿西口の象徴的風景で、永遠に変わらないものと思っていたが、これも既に通行止めとなり、近い将来取り壊されて、やがて過去のものとなるそうである。。
昨年、一昨年に最後のまとめ記事で記したことだが、京王百貨店にも再開発計画が忍び寄り、南口のルミネの場所も含め、巨大ビルに建て替わるのだとか何とか。
小田急百貨店の建て替えと書いたが、そう単純なものではなく、今流行りのオフィルビル同居型の高層ビルに化け、その中に小田急百貨店が入るのだかどうだか、という話のようである。
百貨店という業態が時代に合わなくなってきており、例え百貨店とかデパートという名がついているとしても、中身は他の安売りチェーン店がテナントとして幾つも入った、いわばショッピングモールに近い内容に変質しつつある現代ではあるが、流石に新宿の小田急百貨店が撤退してしまうなどということはないだろうと、個人的には思っている。しかし、今、工事真っ只中のあの場所が完成した暁には、小田急百貨店もかなり違った形態のものとなることだろう。
あれだけ、終わった後にあれこれ埃や膿みが出てきた東京五輪を、更にもう一回やることは決してないとは思うし、今年開催される大阪万博も、全く盛り上がりに欠ける中、この手の行事が都市の再開発を強く促す力はもう無いと思っている。
そんなわけで新宿西口再開発も、あっちもこっちも同時にとはならないとは思うが、小田急が出来上がると、次は京王ということになる。
そうなると、駅弁大会が今の場所、やり方では、何年もの間開催できなくなってしまうことになる。
今回は60回記念大会ということもあって、「うえののあなごめし」実演販売復活など、かなり頑張ってくれたとは思うが、米原の井筒屋の駅弁事業撤退が象徴するように、駅弁を巡る情勢は決して明るくはない。
もうかなり前から言われていることだが、本来は旅先で買い、車中でその地方ならではの味を楽しむためのアイテムである筈の駅弁が、肝心の現地では販売される機会も減り、冬場を中心に各所で開催される"駅弁フェア"で供される、単にその地方を象徴させる記号と化しつつあるように思える。
そんな現状において、駅弁の存在意義は何なのだろう?と考えてしまう。
当イベントや東京駅の「駅弁屋・祭」の変わらぬ大盛況ぶりを見るにつけ、人々の駅弁というものに対する関心は、相当高いとは思う。
きっと特定の地方の食文化を象徴する、手軽なアイテムとして、わかりやすい存在なのだろう。
例えば、○○牛という、いわゆるブランド牛を、実際のその場所の専門店で味わおうとすれば、庶民の手には届かない高嶺の花になってしまう。
その点、駅弁だと、幾らここで“冷静に考えてみれば、弁当で3,000円近いカネをはたくのは考えてしまいたくなる”などと論じても、逆にいえば、3,000円で○○牛が味わえるというのは、ものすごく安くてお手軽だということでもある。
それが例えエッセンスだけだったとしても、である。
今回取り上げた弁当の中に、新幹線の名を冠した6マスに区切って盛合せとしたものが幾つかあった。
ミニチュア化された有名駅弁の概要をお手軽に味わえると記したと思う。
考えてみれば、これに限らず、駅弁そのものが、実は日本各地の食文化を手軽に味わえる、地方地方の代表的な味のエッセンスを弁当箱1つに凝縮し、数千円で手にすることができる、ミニチュアであると言えないだろうか。
販売形態はすっかり変容し、イベントグッズと半ば化してしまったきらいはあるものの、駅弁というものの存在意義を、個人的にはそこに求めたいと思うのである。
嘗てこのイベントに初めて訪れた頃は、輸送駅弁コーナーは、さながらデパートの特売会場の如しであり、地方ごとに作り分けられた販売台の前には大勢の人が群がり、お目当ての駅弁が目の前に積まれるのを血眼にして待ち構えていた。
そして販売員がお目当ての品を持ってくるや、少しでも周囲よりも早く、販売員に欲しい品を告げるべく人々が殺到する。運よく購入できると、すかさず別の販売台へ突入し、再び最前列を求めて周囲を押しのける。そんな光景が毎度当たり前のように展開されていた。
その後、輸送駅弁コーナーが一つの会場となり、そこへ入場すること自体に対する列が形成される形式に改まり、嘗てのカオス状態は随分と解消された。
駅弁とは別に、主に甘いもので、独自の大人気を誇り、専用の長蛇の列を形成する店が幾つかあり、中には駅弁そっちのけで、それさえ入手できれば良いと思っているであろう客の姿も見られた。
毎年、毎回、何かしらそうした"瞬殺"アイテムは誕生する。
今年の「ぴよりんおでかけセット」は、数年前まで来ていた「杉山フルーツ」のゼリー・ライブ販売を彷彿とさせた。
長蛇の列を誇っていた「福田パン」も「551蓬莱」も、既に出店されなくなって久しい。
不人気だから撤退してしまうのではなく、超人気店だったのに、撤退してしまった店も数多い。
コロナ禍の齎した影響は、このイベントにとり、大きな打撃である。
インターネットによる一部予約販売などは、コロナ禍対策として編み出された販売形態だろうが、とにかく並ばされるという苦痛から、たとえ一部とはいえ解放してもらえたのは、個人的には大変有難いと思っている。
一方で、毎年あの手この手で新しい目玉商品を繰り出してくる中、嘗てほどの盛り上がりに今一つ欠けている気がするのは私だけだろうか。
原材料費に限らず、諸経費高騰のあおりなのか、このイベントで扱われる食品たちも、確実に値上げの波が訪れている。
今や1,000円を下回る金額で買い求められる弁当は、絶滅危惧種となってしまった感がある。
数年前までは、駅弁としての設定価格のボーダーラインが2,000円ということもあったと思うが、今ではちょっと派手めで目立つ弁当は、平気で2,000円台後半となり、遂には3,000円さえ突破するものも現われ出した。
そうなってくると、先ほどの話と相反するようだが、果たしてその値段に見合うものなのか?と買う側も、買う品を吟味し、選ぶようになってくる。
政治の選挙でさえ、今やSNSの書き込みに左右されかねない時代なのだ。
駅弁や"うまいもの"がそうでない筈がない。
結果、ちょっとした評判で"バズった"ものには、客が殺到し、長蛇の列ができる反面、そこから漏れた品は販売ブースに閑古鳥が鳴く状況が見られる。
本当はせめて百貨店側が主導して、何とか"バズる"品を作り出さなければいけないと思うのだが、今回から改変されたチラシを見るにつけ、残念ながらそんな風には見えず、寧ろ掲載アイテム数が著しく減ってしまったチラシは、特に輸送駅弁選びには役に立たなくなってしまったな…としか思えなかった。
駅弁メインでこのイベントを訪れる際には、チラシだけに頼らず、寧ろ今回なら何故か大晦日に公開された「駅弁リスト」を首っ引きに、少しでも興味・関心のある弁当を、自分で検索し、下調べすることが要求される。
これまでもそういう傾向にはあったが、特に今回はそれが顕著に思われた。
又、コロナ禍は、少し前の絶望的な状況は脱したのかもしれないが、この冬は代わりにインフルエンザ大流行という逆風が吹き荒れ、そのせいか、会場の休憩コーナーが大幅縮小されてしまった。
輸送駅弁コーナーで、ワンカップの日本酒が数種類売られたことも関係あるのではないかと邪推してしまう。
休憩コーナーで何杯も冷酒をひっかけ、酒の不始末でも起こされては、百貨店側も堪ったものではないだろう。
だが、実演販売で調理し立ての食べ物を温かいうちに味わえるのが、このイベントの大きな魅力の一つなのに、それをし辛くしてしまうというのは、改悪としか言いようがない。
ソフトクリームやジェラート店の前に僅かに設けられた休憩コーナーに、お客たちが寿司詰め状態になり、中には親子丼やラーメン弁当、寿司や海鮮丼を、無理矢理立ち食いするつわものの姿も見かけた。
やはりこのイベントは、テイクアウト専門はそぐわない。
出来立てをその場でイートインできることこそが、百貨店主催の食の催事の醍醐味だと思うのである。
私自身は、7階の催事場脇に休憩スペースが設けられていた頃から、混雑する狭い腰掛けが空くのを待って、すかさず入り込んでいくのが嫌で、冬の寒空を厭わず、屋上に行って買った食べ物の幾つかを食べている。
幸い雪に遭ったことはないが、雨の中、手前のベンチで寒さに震えながら、よりによって海鮮丼やプリンを食べたこともあるのだが、将来、京王百貨店がいよいよ建て替えられたとして、高層ビル内に無事入居できたとして、果たしてその時、今の屋上のような、余裕をもって購入した食品を味わえる場所が出来てくれるのか、心配である。
尤もそれ以前に、再開発の為、京王百貨店新宿店がいよいよ一時か永久にかはともかく閉店となった後、このイベントが果たして場所や形態を変えて継続されるのか、或いは最悪の場合、それを機に廃止されてしまうのか、寧ろそちらの方を心配しなければならない。
…以上、まとめにしては随分と長口舌をぶってしまった。
独りよがりな私見にお付き合いいただき、申し訳ありません。
今回の「第60回」は節目ではあるが、"これでお終い"とファイナル宣言はされていないので、余程のことがない限りは「第61回」がまた開催されるだろうとは思うが、次回も魅力的な企画、「食べてみたい」と思わせる食品が現われ、我々をいざなってくれることを願ってやまない。

























































