この人の存在感は、際立っている。
 『つるかめ助産院』の助産師としての存在感は、その生き様の壮絶さ、つまり自分の両親の無理心中から、自分だけ生き残ってしまった、その重さを抱きつつ、新しい命と向き合う、その繰り返しの中で、相手を励ます、力づける。自分の人生に重さを抱きながら、明日を観ることができる女性を見事に演じ切る。
 『おくりびと』は主演、本木雅弘、山崎努だったが、余さんは、自分の子供とは絆を切られながら、じっと悲しさを胸に秘めながら納棺師事務所で働く女性を演じた。
 その余の生き方が、本木の心を掬い取り、本木を.父親のもとに向かわせる力になる。

 余さんのこの演技力は、人間力から生まれてくる、と思われる。
 まるで、政治は責任感などそっちのけで、国会議員は何もしようとしない。
 わたしは、選挙の時に消費税率アップを言わなかった民主党が、金子さんが言っているように「野田メ(これは「の」ダメの意)」が自らの信念から、社会保障に結び付けて、法案を成立させ、選挙の約束を違えたことをわたしは言っています。増税は権力者が日本の歴史で数限りなくしてきたことで、悪政である。民主主義なので、これには、国民の意思をすぐに聞くべきなのだ。
 ところが、「野田メ」は、、赤字国債法案など緊急(緊急にいしたのは「野田メ」だ)に、成立させなければならない法案成立を盾にして、延命を図る。これって、自分のことしか考えられない人間の行動である。おいおい、俺をばかにするのかと、わたしは思っている。お前はもう民主主義で選ばれた代表者ではないのであることを自覚すべきなのである。こいつは、単なる、国際動向に踊らされた人間なのである。民主主義で一番重要なのは、手続きである。このことさえ無視するやつは、国会議員ではないし首相ではない。
 にもかかわらず、税金、保険料を期日どおりに、納付するのがよき日本人の行動である。
 われわれ、日本国民、市民は義務は果たしている。
 ならば、税金で仕事を委嘱されている、国会議員諸君、ちゃんと働き、そして国民の審判を潔く受けろよ。肝心な時にだんまりを決め込む、てめえらいいかげんにしろ。

 オスプレイ、沖縄女性米兵暴行事件、福島原発事件、被災地再建、何一つこの政府・国会は見通しも、もたず、現実を押し付ける。

 われわれ国民は、怒るべきだと思う。それには、税金、保険料の不払いで意思表示する。
 源泉徴収の方々も拒否すべき。
  
 今日は働いている方々にとっては、休日。
 20分前に毎日が休日のわたしに、電話があった。
 「お休みのところごめんなさい」と、言われた。
 「いえいえ、お気にされずに」と、思わず答えた。
 さすがに、「いえいえ、毎日お休みですから」と、言わなかったのは自分に、まだまだ見栄があるからであろう。
 確かに、所属する組織はないが、自営業と、自らを位置づけている。 
 内心では、少子高齢社会の世の中では、70歳までは仕事をtyづけた方がいいのではないかと思っている。
 人間のほとんどは、80歳を超えたところで、判断力、体力に衰えが出てくるような気がする。
 父母や特別養護老人ホームでの観察では80歳をこえたところで、人間の能力が大幅に落ちるような印象を持つに至っている。

 自分が動けなくなったらどう生きるかはこれからの課題にしておくが、
 動物は生きるために動く。人間以外の動物は動けなくなったら、ほぼ終わりである。
 今週の予定からしても、血縁で言うと、「父親」「叔父」。
 来週の予定まで入れれば、「友」。

 総和すると、「自営業」「父親」「叔父」「友」がいまの自分と言えるのであろう。
 仕事を最初に持ってくる、自分の見栄は嫌だなあ。

 今日は久しぶりに小春日和。
 こういう日に、姉と会えるのもうれしい。
 わたしの住まいに近いところに、ガストがある。
 わたしの自宅は2DKで広さは十分にあるのだが、お客様を招き入れる状態にはない。
 原因は、南向きの部屋を壊れた30インチのテレビを置き、上着関係の倉庫、本と物置にしてしまっている。さらに、北向きの部屋が客間兼寝室で、3か月前は自らきれいと思っていたが、パソコンを買え掛けたとき、プリンターも変えた。使わなくなった、デスクトップパソコンとプリンター、買い替えたパソコンの箱、プリンターの箱が整理もされず、その部屋を物置化してしまった。
 お客様を迎える、機能を全く失った部屋になっているのである。
 姉もそれを承知している。中に入れろとは言わないのである。

 ガストは混んでいた。しばらく待たされてから、わたしはオムレツ、姉は和風ハンバーグで楽しくいただいた。
 姉もわたしも一人暮らしである。
 この場合、女性は、ここでしゃべると決めてきたのか、何の脈絡なしにしゃべる、またシャベルであった。この年になると、さすがにわたしは姉を理解しつくしている。我慢強く聞く姿勢を持続した。
 姉の病気のこと、移転のこと、姉の娘のこと、そしてわたしとわたしのむすめのこと、
 「わたしは自分の娘のこととあなたのこれからのことを気がかりにしている、あなたの娘のことも気がかりだ。この気がかりが無くなって死にたい」

 ジーンときました。心配してくれるのは肉親のみ。
 父親はわたしによく言っていた。
 「おまえはおねえちゃんと仲良く生きるんだぞ」と。
 姉がいる限り、わたしはひとりではない。
 研修を受講している場所は飯田橋である。
 今日も最後は試験。
 その日教えてもらったことが試験問題として出るのだが、今日はほとんどできず。
 学校時代で言えば、赤点、不可のできであった。
 暗記能力が極端に落ちている。
 最終日には修了試験があるので、内心はまずい、まずいと思っている。
 年齢と能力は反比例しているとしか考えられない。

 研修から自宅に戻り、パソコンを開けたら、読者が一人増えていた。
 8月の上旬からブログを始めた。
 先週まで読者ゼロであった。
 何が悪いのか、ちらとは思ったが、自分は自分と開き直った。
 今週になりようやく、読者になってくださる方々があった。
 これはうれしいことで、なっていただいた方に、深謝いたします。

  
 さて、今日は懐かしさを感じた。
 近くには神楽坂がある。
 昼の休憩時間に、少し歩いた。
 神楽坂3丁目には、路地があり、品位のある料亭が並ぶ。
 歩けば、歩くほど、日本の深奥に触れることができる。
 わたしの数少ない知人にオーストラリア女性がいる。茶道、着物、温泉を楽しむ女性である。
 その知人が、わたしに、
 「日本を案内してあげる」と言って、
 連れてきてくれたのが、神楽坂。
 いまも静かに、凛として町並みは佇んでいた。

 帰りは、軽子坂を歩いた。
 すると、映画館がまだあるではないか。
 27年前に息子を連れてきた映画館であることを思い出した。
 「風のナウシカ」を観たのである。
 息子は、「風のナウシカ」をえらく気に入ったのか。
 終わっても、席を立とうとしなかった。
 結局2度観たのである。

 懐かしい神楽坂であった。
 
 資格を取得してから、はや7年たつ。
 このままではいけないと思い、新しい道を探してみた。
 結果、今日の研修を受講してきた。
 朝早く起き、ラッシュアワーの電車に乗り、都心に出かけました。
 中野とか、新宿にはまだ午前8時前だというのに、背を伸ばし、足を速めて多くの人々が、
 目的地を目指していた。
 わたしも勤勉だったが、日本人はまだ多くの人は一生懸命働いているのだと実感した。

 わたしが働いた高度経済成長の時代のように、給料が上がり、それなりの夢があったころと比べて、終身雇用が崩れ、給料も減額されているこの時代なのに。
 
 さて、受講生は60人。男女ほぼ同数で50代以上が90%。生涯学習の時代でもあるのだ。
 午前9時30分から午後5時まで、速射砲のように講師がしゃべり続ける。
 最後の1時間は今日のまとめテスト。

 わたしは、企業で研修の企画・運営の仕事をしたことがあるが、プログラムには遊びがそれなりにあった。
 いまは、遊びとか、ゆとりとかないのだ。

 小学校も学力低下から、ゆとり教育が見直された。

 研修で、宿題も出された。
 
 わたしの娘と姉の娘、つまりわたしのいとこは同世代である。
 わたしの父が亡くなってからは、このいとこ同士は10年以上会っていない。
 姉の娘が、わたしの娘に会いたいと言うので、日程調整をわたしがすることになった。
 わたしの娘にメールし、それを受けて姉の娘にメール。
 何度やっても、日程があわない。
 わたしは、徒労感をもつにいたり、メールをうつ手が鈍り始めた。
 そこで、わたしは仲介することを降りることにした。
 それが、土曜日の13日。
 約40日にわたって、メールをうち続けたことになる。

 それがなんと、さきほど日程が決まったと、姉の娘からメールがあった。

 わたしは娘を女だと、ほとんど意識していないが、
 このことで、女同士の意思疎通のスムーズさに唖然。

 女性は遊ぶことに慣れているのかなあ。

 姉の娘のメールには、絵文字でナイフとフォーク、赤ワインが入ったワイングラスが、
 燦然と輝いていた。
 わたしは、スポンサーである。
 あああ、女ってやつは。