文化の日である。
 みなさん、本を読んだり、映画を見たり、観劇したり、研究成果を振り返ったり、する日かと思っていたが、
 山へ、都会へ向かう行楽日和の日になっていた。 
 高尾山行の電車に乗った。
 午前11時なので、登山する人は朝早くから行っていると、なんとなく思っていたのだが、
 車内に座席の空きスペースはなく、ザックを膝の上に置き、キャラバンシューズに足元を固めたシルバー層が座席を埋め尽くしていた。

 わたしは、高尾山駅の二つ前で降りたが、ここまで人気になっている高尾山の魅力がわからない。
 わたしも、まだ歩いて高尾山は登れる。頂上に立ったのは10回ほどある。
 ムササビの観察もしたことがある。

 わたしのころ名物でもなんでもなかったものが、テレビに登場するたびに名物になる。

 今日書きたかったことがほかにある。
 都心に向かう電車の中のことである。

 脚の長い、若い女性の多いこと。
 やはり、時代は大いに変わっているのだなあ。
 寒い朝だった。
 確かに風景は秋だと思うけれど、この温度は何か。

 街の木々は、黄ばんだり、赤みを帯びだしたりしている。
 秋祭りと称して、わたしの街では、屋台が出て、なんと3日間も続けてやる。
 屋台を出している会社やNPO、市民団体は、市民感覚なので、並べるものもなかなか身近だ。
 生活ですぐに使えるものが多い。

 明日から休みの日が2日続くので、人出は多くなる。
 肩と肩ガ触れ合って行き来する状態になる。
 これがたまらなくいい。
 平日の急ぎ足ではない。
 たどり着く目標とか目的はない。
 時間も考えなくていい。
 ぶらぶら歩きながら気に入った屋台で足を止める。

 この、自由さが、祭りに人を呼び込んでいる。

 わが街のハイライトは、11月の上旬。
 春、さくらまでは、また静かになる。

 それにしても寒い。
 わたしは、いまユニクロの冬用ジャンパーを着て寒さをしのいでいる。
 研修4日目からグループ分けされ、今日で2日目。
 仲間の特性がそろそろわかるころである。
 司会、書記、タイムキーパーの役割がある。 
 5人が役割を負い、2人は無役の5人のグループである。

 今日のわたしは、司会。
 50代以上のメンバーだと、わたしは嫌だとは言えない。
 課題に対して、グループで決められた時間内にきちんと手順を踏んで結果を出す。
 タイムキーパーの指示を受けながら、グループの意見を集約させる。

 今日は、6グループある中で、2グループは課題をきちんとやり遂げた。
 やり遂げた中の1グループは我々のグループであった。

 休み時間には、仕事の話とか、これからの話を皆でする。

 わたしの場合は、住んでいる街の話を好んでする。
 春の桜の美しさを話したら、なんとわたしの街の桜並木は、大学通りにあると説明するのだが、その大学の卒業生が2人いた。
 わたしの実家は、隣の町にある。小学5年生から住み始めたので、その大学はわたしにとっての遊び場所。
 「しょっちゅう、その大学の門を出入りしていたが、能力の問題があり、入れなかった。だけど出入りは1年分はした。今でも出入りはしている。」

 わたしが、トイレから帰ると、メンバーが言った。
 「アンクルさんがそこまで言っているのだから、来年の春はこの中まで花見をすることにした」と。

 あと、研修は1日で終わる。
 
 
 銀座には銀座わした店がある。
 わたしは、この店で沖縄を感じる。
 今日は平日だが、今日も沖縄を愛する男女がお店にいた。
 それでも、レジはいつもは並んでいるが、今日は待ち人なしで精算。
 
 今日の買い物は、泡盛、もろみ酢、油味噌、ココア味のパン。
 精算時に、『てぃだかんかん』をもらった。
 11月のわしたの催しやイベントチケットの紹介がB4の表だけを使ったチラシである。
 
 11月22日から28日まで、仲里屋さんのさぁたぁあんだぎーが出店する。
 最近、沖縄料理講座をやっているが、11月17日には浅草にある沖縄料理店「ぬちぐすい」さんが、講師になり、
 13時ごろから料理講座をするようだ。

 ここがおもしろいのだ。沖縄時間という文化があり、時間を決めても守る沖縄人はいない。
 チラシにも13時ごろからと書かれている。なんか、うれしくなってしまう。

 今年は行けなかったが、来年は疑似体験でなしに、本場体験をしに行こう。
 ちくま新書に収載されている、諸富祥彦(もろとみ・よしひこ)さんの著書である。
 タイトルからして、男を励ますための著作である。
 諸富さんは大学の先生であると同時に臨床心理士として多くの人間の心と向かい合っている専門家である。
 諸富さんは、若い男、熟年層の男は、甘えん坊であると思っているようである。
 男は自立できないため、さみしい男を続けることになっていると、ほぼ断定している。
 
 男は、学びの時代を過ぎて、仕事をし始めてから真価が問われると言われている。
 しかし、多くの男がする会社勤めは、今や何の保証もなく、目的も持ちづらくなっている。
 熟年層の男は、現状を守るため、人員が少なくなった組織で仕事量を増やされた中で、疲れ切っているのだろう。
 また、若い男は、現在の仕事、会社のことを想像して、躊躇しているのだと思う。 
 生き生きとできる環境にない男は胸を張るとか、背筋を伸ばすことができなくなっているのだろう。

 諸富さんは、いまこそ、男よ、強くなれと励ます。

 家族を捨て、会社を捨て、自分のために生きる男になれと。
 3週間ほど前に、スイスから帰った知人に会った。
 スイスからのお土産をいただくためである。ビールである。
 「Hopfenperle」がブランド名である。
 スイスには3つの有名なビールメーカーがあり、そのうちの一つだそうである。
 スイスになぜ行ったかという、問いかけに、
 ホスト・ファミリーをしている知人は、その関係でお世話したドイツ人男性と韓国人女性が1年前に結婚し、現在ドイツ人男性がベルン大学で1年間助手をしているので、招かれたと説明してくれた。彼らの自宅で5泊6日し、高速道路を使用して1時間ぐらいで行けるスイスの都市をあまねく案内されたという。
 13年前にスイス登山のツアーに参加しているが、スイスの都市は観ることがなかったので、今回は都市観光をしてきたのだと、うれしそうに語ってくれた。
 ホスト・ファミリーとして、若い異国人との再会、お互いの現況を話し合うことが本当の目的であったようである。

 海外旅行を何度も経験している知人だが、今回はお土産にアルコール類を買い過ぎたので、重量オーバーで出国手続きが手間取ったと懐かしそうに話してくれた。
 
 スイスは、ドイツに近い地域ではドイツ語、フランスに近い地域ではフランス語、イタリアに隣接する地域ではイタリア語が日常の言葉として使用されている。また、スペインと異なり、英語は通じるとのこと。
 せんだって、新書版で『漱石と鷗外』を読んだときに、森鷗外は夏目漱石と比べると人気がない、と書かれていた。
 そこで、鷗外を読むことにした。
 大学のころから、鷗外の『ヰタ・セクスアリス』は明治の発禁本であるともことに興味を持っていたが、70年安保を目前にした時代では、明治に戻ることが許されず、大江健三郎、阿部公房であったし、わたしは白樺の作家たちに引かれていたので、武者小路実篤、志賀直哉を読みふける日々であった。
 わたしの読書の軸は、夏目漱石であり、男女の愛がその中心であったので、漱石はいまでも自分の身近にいる。
 津和野にある「森林太郎」の墓を訪ねたことがあるだけに、鷗外は、心に引っ掛かるものがあった。

 ようやく、その作品を読んだのだが、自らをモデルにした作品だけに、身近に感じさせる、現代にも耐えられる読み物になっていると思った。
 『ヰタ・セクスアリス』は明治42年6月9日に脱稿、明治42年7月1日発行の『昴』7月号に掲載された。この7月の末日に発売禁止になったという。

 さて、この作品のテーマは「性欲的生活」とは何であるかの、解明を意図したものである。そのために作者自身の性欲的生活を振り返る。
 幼少期に見ることになる絵草子の男女の絡みから始まり、おっさんの「坊主の父さんと母さんは夜に」とか、学生時代のいろいろな体験、大学を卒業してからの吉原体験など、自らの性欲的生活をたどる。
 冷静に読み取ると、性欲を解放して、行くところまで行くということではなく、年齢相応の発達と、性欲生活をどうこらえてきたかの記録である。
 
 この小説は面白い、面白さのゆえんは、西洋の哲学の最新研究をもとにしているためである。
 インテリである、鷗外が頭で考えた女性像であり、女性観が描かれているということである。

 発売禁止まで1か月かかったところをみると、のどかな明治終末期の性に関する規制レベルを考えた。
 昨日から、26日の気の重さがあった。
 今年2月から始まった歌会が、主宰者の意志で解散することになったからでSる。
 会員10人の歌会であるが、それぞれに個性があり、刺激の強い集まりであった。
 わたしは司会進行の役割を主宰者に依頼され、短歌のまとめを依頼された女性と役割を果たしてきた。
 今日は、会員8名が集まった。題詠の「秋」1首と自由詠1首を感想を述べ合い、主宰者が批評、添削した。いつもの通りの進行である。
 今日が最後なので、主宰者は作歌の心構え、言葉の使い方など丁寧に、われわれ会員に伝えようとしていた。
 主宰者と会員の人間関係が今日を持って終わる、悲しい3時間であった。

 今日、歌会に出かける前に、ブログを見た。
 「カッシー」さんのブログは、ご本人が自らの血液型を「紅型」というほど、沖縄大好き中毒患者さんである。
 わたしのように、うすい沖縄好きの人間とはわけが違うようである。
 沖縄エイサーの動画が紹介されていた。
 太鼓エイサーである。
 元気をもらった。
 
 エイサーは、1603年に浄土宗を伝えたことから始まったと解説されている。
 旧盆(7月15日ごろ)に使者を迎え送る舞踊として現代まで伝承されてきた。
 日本の関東で死者を送迎するのは静かである。
 エイサーは男踊りは太鼓を持ち、女踊りは素手が伝統的らしいが、いまや女性が太鼓を持ち踊るのも当たり前になっているようだ。

 わたしは、エイサーと沖縄島唄は一体ではないかと、なぜか深く思っていた。
 歴史からみると、わたしの思いは間違えていたが、島唄、つまり沖縄民謡とエイサーがつながり、島唄に合わせて、エイサーを踊ることもなされている。
 
 沖縄市民は、米軍駐留、オスプレイ、駐留兵の事件などで心休まらない日々を送っておられる。現在の中国、韓国との緊張を考えると、われわれのいる場所に米軍を引き受けなければならないのではないかと、思う。
 研修3日目に出された宿題を提出。
 やれやれ、とため息をつきながら昨晩やった力作である。
 段ボール箱に放り入れられた。

 昨晩悩んだのは、エクセルで研修運営機関が作ったフォーマットに入力する、その入力作業がうまくいかないことであった。
 突然、指定されていた文字の大きさが勝手に変わったり、番号に合わせて1字開けて入力しようとすると、番号と平行に文字が入力されず、一行上に文字が入ってしまったり、入力をして確定キーを押すと、途端にそこから下のフォーマットが消えたり、かつて経験したことのない事態に襲われた。エクセル恐怖との心的外傷を持ってしまった。

 そこへ、本日、11月1日に提出する宿題を出された。
 なんと、読まなければならない、A4判の140ページのテキストを渡され、パソコン入力時の注意事項を言われて、あとは自助努力。時間があるのが救いだが、受講者のほとんどは、勤めている人、どうするのかなと、暇なわたしは余計な心配をしていた。

 しかし、今日からは5人のグループで課題をやる方法になったので、お互い、愚痴を言いながらの学習になったので、みなさん何とかなるとは思っている。
 昼のテレビを見ていた。
 大塚耕平なる民主党の国会議員が出ていた。
 こやつは、責任与党の責任を負って出ていたわけでもなかった。 
 まして、拉致問題の委員会の責任者でもあった。
 こやつが言ったのは、拉致問題担当大臣がかなりの人数変わったことに対する謝罪であった。
 拉致家族は歳を取り、再会すら危ういところまで来ている。
 にもかかわらず、こやつらは責任を取るのではなく、責任をなすりつける行動言動しかできないのである。
 小泉以降、何もしていない。ただ、税金を使ってきたのである。
 あげく、大塚なる、なにも考えず、時の過ぎゆくままに税金で養われた男の存在を我々は許してしまったのである。
 拉致家族、帰ってきた家族の思いを受け止めれば、こやつらの存在は許してならないと強く感じた。