ずっと、同じ夢を見てた。
中学生くらいから40歳近くまで、
ほぼ変わらんシチュエーションで、
私は何かに追われて、ひたすら逃げてる。
血が出て、誰かが死んで、
仲間が次々といなくなっていって、
最後には一人きり。
目が覚めるたびに、ドッと疲れて、
でも誰にも言えずに胸にしまってきた。
——そんな夢が、ある日パタッと終わった。
きっかけは、キネシオロジーのセッション。
身体の反応から出てきたのは、まさかの言葉。
「その夢は過去世の記憶です」
モンゴルの戦の時代。
私は部族の長で、争いを避けられず、
仲間を守るために戦いに立った。
でも、どれだけ頑張っても、
大切な人は次々と失われていった。
その記憶が、ずっと「夢」という形で残っていた——
そう聞いたとき、妙に腑に落ちた。
実は、子供のころから馬がなんだか好きだった。
かっこよく乗れるようになりたかったけれども、
地域的にも、経済的にも、
馬に簡単に触れ合えなかったので、
憧れで終わった。
でも、大人になって、
乗馬クラブで何度か馬に乗りに行ったりはした。
騎馬民族だったとのこと、納得しかなかった。
私が見ていた夢は、単なる恐怖じゃなかった。
“果たせなかった責任”と“守れなかった痛み”の
記憶だった。
人間の神経って賢くて、
処理しきれへん記憶や感情を、
睡眠中に“夢”として何度も再生する。
それは「未処理の記憶を完了させる」ための、
大事なプロセス。
でも逆に言えば——
意味づけが変わった瞬間に、
その夢はもう必要なくなる。
セッションのあと、その夢は一度も出てきてへん。
怖い夢を見なくなったというより、
「あぁ、あの記憶はもう終わったんやな」って、
穏やかに思えるようになった。
どんな夢にも、「意味」がある。
楽しい夢も、しんどい夢も、
そこには今の自分にとって大事なヒントがある。
だからもし、ずっと繰り返す夢があるなら、
そこにある“感情”に、
ちょっとだけ耳を傾けてみてほしい。
それは、身体や神経が伝えようとしている
あなた自身の“もう一つの声”かもしれへんから。
感じる整えワーク
静かに目を閉じて、心にこう問いかけてみて。
「私は、何を終わらせたくて、この夢を見ていたんやろう?」
心と神経は、いつだってちゃんとつながってる。
整えって、そういう“気づき”から始まるものやと思う。
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