あとがき:ボロチャリは、私の“合ってる”だった
「ボロチャリで走るノルグル的人生論」
全5話、読んでくださってありがとう。
ここまで読んだ人なら、もう分かってると思うけど…
ボロチャリって、ただのボロチャリじゃない。
誰かの“ふつう”には当てはまらんかもしれんけど、
私にはちょうどよくて、ラクで、壊れても笑ってられる相棒やねん。
■ 自分の“しんどさ”は、わがままじゃなかった
HSPっぽいところとか、脳の設計とか、感覚過敏とか…
なんなら発達障害のグレーみたいなところとか?
どれも、昔の私は「これって甘えなんかな?」って思ってた。
でも今は違う。
ただ、「私に合ってない」やり方で生きてたんやなって思える。
「がんばり方」と「サボり方」には相性があるって気づいた。
■ ほんとは、子どももパートナーも同じかもしれん
このシリーズで伝えたかったのは、
「ズレてる=ダメ」じゃないってこと。
それぞれの“ちゃう”を尊重するだけで、
子どもとの関係も、夫婦関係も、ちょっとラクになる。
「何でそんなやり方なん!?」って言いたくなったとき、
「もしかしてこの人、ノルグルかもな…」って思い出してみて。
■ それでもやっぱり、私は“本質”を選びたい
見た目がボロくても、盗まれても惜しくないチャリでも、
自分の快適さと、心の納得がいちばん大事。
それって、自分を大切にしてるってことやと思う。
だからこれからも私は、
ちょっとズレてても、かっこ悪く見えても、
自分に合ったスピードと空気圧で、走っていきたい。
世界平和のはじまりは、「そのままでええやん」の一言から。
この文章が、
誰かの「自分これでいいんかな…」の不安を、
ちょっとでもやさしく包めたなら嬉しいです。
あなたの脳のタイプは?

