富雄会 公式ブログ -55ページ目
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2008年 富雄会開幕メンバー

鈴木 富雄  内野手 NO.1
柳沢 富雄  投手   NO.6
渕野 富雄  内野手 NO.9
井苅 富雄  捕手   NO.17
トミー 鈴木 内野手  NO.23
東 富雄   内野手  NO.54
花田      内野手 NO.65


『富雄会ヒストリー』 ~その4

◎2006年・春


「とりあえず、普通に草野球とか始めた方がいいんじゃない?」


と言い始める。



◎2006年・秋


『第2回・富雄会ドラフト会議』開催。


よく一緒に野球観に行ってた友人・東が参戦。

無理矢理”富雄”を名乗らせ、富雄会の勧誘に成功。


新球団『松戸ヤンキース』と東富雄が誕生。




◎2007年・元旦


トミー鈴木自慢の水炊き鍋を囲みながら、「今年こそは草野球チーム作ろう」と誓う。



◎2007年・春


居酒屋『あぶさん』でユニフォームのデザインを話し合い、背番号を決める。

そして、ポジションについて熱く語る。



◎2007年・3月


この年、横浜ベイスターズ2軍(湘南シーレックス)監督に就任した田代富雄にエールを贈るべく、

開幕戦に馳せ参じる。見事開幕戦勝利。

スタンドから柳沢富雄が発した「田代監督~!初勝利おめでとうございます!!」との声援に、

「おうっ!」

と手を振り返してくれた田代監督。

奇跡の瞬間だった。

◎2007年・秋


『第3回富雄会ドラフト会議』開催。

無駄に伊東の温泉旅館にて決行。

浴衣姿の男たちが夜を徹して、ダルビッシュとか青木とか指名する。



◎2008年・元旦


再びトミーの水炊きを囲みながら、「今年こそは草野球チームを作ろう!」と誓う。



◎2008年・現在


会えば「草野球チーム作ろう!」の一点張りだが、一向にユニフォームも作らず、一切グラウンドに出ず、

気がついたら約3年、主に飲み屋だけで戦い続けて現在に至る。




(井苅富雄)

『富雄会ヒストリー』 ~その3

◎2005年・夏、


相変わらず、何していいか分からない中、息子に名づける前に自分たちが”富雄”を名乗り始める。


井苅富雄

柳沢富雄

鈴木富雄

鈴木富雄


結果、同じ名前が二人になっちゃうんで、顔のホリの深い方の鈴木が『トミー鈴木』と改名。



◎2005年・秋、


とある飲みの席で、周りの女子のひんしゅくを買いながら、お構いなしに

『第1回・富雄会ドラフト会議』

を開催。各々の出身地に架空球団を作り、擬似ドラフトを決行。


『川崎ブルーカラーズ』・・・鈴木富雄

『長野アルプス』・・・柳沢富雄

『山形チェリーズ』・・・井苅富雄

『練馬キャベツ』・・・トミー鈴木



またこの場で、ドラフトに参戦した渕野をその流れで無理矢理”富雄”を名乗らせ、富雄会への勧誘に成功。


『中野レッズ』・・・渕野富雄


となる。




(井苅富雄)




『富雄会ヒストリー』 ~その2

2005年・6月、


『富雄会』を結成したものの何をしたらいいのかさっぱり分からない我々に、

エキサイティングなニュースが舞い込んだ。


『オバQ(田代) VS ブライアント ホームラン競争開催!』


当時、横浜ベイスターズの打撃コーチを務めていた田代とオリックスバファローズの打撃コーチを務めていたブライアントによる交流戦企画、試合前の両氏のホームラン競争。

ベイスターズHPの告知には『両氏の往年のスイングをお楽しみください!』とある。


このチャンスを逃す訳にはいかない。

我々は迷わず横浜スタジアムへ飛んだ!


勝負は5スイング。

大勢のファンに見つめられる中、先行ブライアントがあっさり3発をスタンドに放り込み、早々に『田代に勝機なし』なムードが漂う中、オーロラビジョンに『田代、引退試合での満塁ホームラン』というファン感涙の映像がカットイン。それに呼応し、

「田代~!!」

「オバQ~!!」

というファンの大合唱。俺たちも負けじと、

「とみお~!!」

「とみ~お!!」

の大声援。

そんなホットなムードの中、遂に田代がバッターボックスに立つ!

さぁ、結果は!?



0本 !!!



・・・しかしながら、田代が打ち上げた内野フライ、内野ファールフライの放物線具合に、田代の田代たる片鱗は見れた。

ありがとう、田代・・・俺たちはあなたの今日の輝きを忘れない。



それにつけても、勝負前のルール説明アナウンス、


「5スイング中、ホームラン数の多い方が勝ちとなります。同点の場合はジャンケンといたします。」


・・・ジャンケンなら田代にも勝算はあった!

『大観衆の面前で、外人とジャンケンをするおっさん』

そんな田代の姿をちょっと見てみたい気もするのだった。



(井苅)



『富雄会ヒストリー』  ~その1

2005年・春、

とある打ち上げに参加していた鈴木、鈴木、柳沢、井苅の4人が初対面なのに、田代の話で意気投合。

この場合の田代とは、まさし容疑者ではありません。


『とみお』です。

元・大洋ホエールズの和製大砲・”オバQ”こと田代富雄なのです。


「あの豪快なスイングが忘れられない」

「あの放物線」

「田代が藤沢にオープンしたラーメン屋は何ラーメンだっけ?」


という会話に始まり、最終的には、


「俺たちに息子が生まれたら”富雄”と名づけよう!」

「20年後、俺たちの息子が球界で出会う!」

「松坂世代ならぬ、富雄世代を作ろうじゃないか!」


と、周りにいた女子には全く食えない話で盛り上がり、

ともすれば停滞しかねない、てゆーか大体停滞する深夜2時~始発までの魔の時間帯を田代一辺倒で乗り切ったのだった。



『田代富雄で3時間』


この奇跡をスルー出来ないと判断した我々は、後日、『富雄会』を結成。


・・・が、結成したはいいが一体何をしたらいいのかさっぱり分からない。

とりあえず、生まれてくる我が息子”富雄”を少しでも田代のフェイスに近づけるべく、馬面の俺をカバーする遺伝子、すなわち片桐はいりさん的な輪郭の女性と出会うことから、俺井苅は始めることにした。



(井苅)

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