先に言っとくけど、この記事は長いよ。

 

マニアな視点の心の記事だから、長いよ。

 

興味のある方だけお付き合いください。

 

 


================

 

 

 

「あーーーー!!やられたーー!」と思った。

 

 

 

じわじわと、コバのパンチが効いてくる。

 

 

ごちゃごちゃした考えに取り憑かれていた

 

あの胸のつかえがなくなって、

 

頭がどんどんとクリアになってゆく。

 

 

 

 

 

こんばんは。

 

 

 

静岡県の漁村に暮らす

心屋認定講師

いがぐりこ、こと、栗林あやです。

 

 

 

今朝投稿した記事

 

寝坊して姑に責められた出来事

 

たくさんのコメントやシェア、ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

上の記事は、

 

 

今朝、私が寝坊しちゃって、慌てて起きたら

 

 

姑が「(子供達)給食のお箸を忘れて行ったよっ!!!」と言って、

 

バタンっ!とドアを閉めた。

 

 

という出来事があって。

 

私は姑のその行為を、責められたように感じた。

 

怖かった。

 

 

 

・・・という話。

 

 

 

こういう経験に

 

心当たりがある方もいるのかな。

 

 

「めちゃわかります!」ってメッセージをいっぱいもらった。

 

ありがとね。

 

 

 

 

 

・・・んで、

 

 

 

この記事を

 

フェイスブックに投稿したら。

 

コバさんがこんなコメントをくれた。

 

 

 

 

 

 

「給食は割り箸じゃダメなのかなぁ」

 

 

 

 

「給食は割り箸じゃダメなのかなぁ」

 

 

 

 

「給食は割り箸じゃダメなのかなぁ」

 

 

 

 

 

 

 

ん??

 

なんでこの脈略で割り箸の話???

 

 

そうねぇ・・・・

 

割り箸なら、楽なのにね。

 

 

 

そうなったら、

 

毎日お箸を持っていかなくていいし、

 

お箸を洗わなくてもいいなぁ・・・。

 

 

ああ、でも、ゴミが出るから、だめだめ。

 

環境問題的に

 

小学校で割り箸を出すのはダメだろうなぁ。

 

 

 

 

 

・・・・・・と、

 

思った瞬間、ワタシは気づいた。

 

(いちお、これでもカウンセラーなので)

 

 

 

 

「あーーーー!!やられたーー!」と。

 

 

 

 

 

 

じわじわと、

 

コバのパンチが効いてくる。

 

 

 

ワタシが今朝感じた恐怖が、

 

どんどんと、なくなってゆく。

 

 

 

あの時、不安の妄想が広がって

 

手がプルプル震えて

 

コントロールできずに体が硬直していたあの感覚が、

 

意識から消えてゆく。

 

 

 

 

姑にどう思われているかとか、

 

わたしの頑張りがどうとか、

 

 

ごちゃごちゃした考えに取り憑かれていた

 

あの胸のつかえがなくなって、

 

 

頭がどんどんとクリアになってゆく。

 

 

心に気持ちの良い風が吹く。

 

 

 

 

 

 

 

 


「給食は割り箸じゃダメなのかなぁ」



この一文で、

 

わたしの、今朝の問題は完全に終わった。

 

 

 

「あーーーっ!!やっぱりコバはすごいや」

 

と、感動したのだった。

 

 

 

 

 

 

解説しよっか。

 

うまく説明できるかわからんけど。

 

なぜワタシが楽になったか。

 

 

 

 

 

それは、

 

問題を問題だと

 

凝視していた出来事から

 

目をそらすことができたから。

 

 

 

問題の解決策を探っている間は

 

いつまでたっても、

 

その問題に目を奪われているということ。

 

問題はなくならない。

 

 

 

 

 

(自分のことなので書くのはイタイが)

 

 

上のワタシの今朝の例で言ったら、

 

 

 

「姑がどうの、とか、私の思い込みがどうの、、、」

 

と言っている場所から、

 

 

「給食は割り箸じゃダメなのかなぁ」

 

この一言で、

 

 

「もし、学校給食で割り箸が配給されたら?」という考えに

 

意識をそらすことができた。

 

 

 

 

 

一度意識をそらすことができたら、あとは簡単だ。

 

 

 

 

そうねぇ・・・・

 

割り箸なら、楽なのにね。

 

 

 

そうなったら、

 

毎日お箸を持っていかなくていいし、

 

お箸を洗わなくてもいいなぁ・・・。

 

 

 

ああ、でも、ゴミが出るから、だめだめ。

 

環境問題的に

 

小学校で割り箸を出すのはダメだろうなぁ。

 

 

 

もし、そういうシステムにするなら、

 

きっと、保護者からの意見と、

 

市の教育委員会??の偉い人との

 

何か話し合いが必要だろうなぁ。

 

 

 

割り箸にするには、

 

今のシステムを変えていくだけの「もっともな理由」が必要だ。

 

経費だってかかる。

 

 

誰がどうアプローチしたら、

 

学校給食が割り箸システムになるだろうか・・・・??

 

 

 

 

・・・・・と、そんなところまで

 

考えが及ぶ。

 

もともと、妄想族なので、妄想は尽きない(笑)

 

 

 

 

妄想族だからこそ、

 

人の気持ちをあれこれ気に病んで、

 

苦しくなっているのだから。

 

 

 

 

 

誰がどうアプローチしたら、

 

学校給食が割り箸システムになるだろうか・・・・??

 

 

 

そんな妄想をしていて

 

気づくと、

 

 

「姑がどうの、とか、私の思い込みがどうの、、、」

 

という不安が、なくなっている。

 

 

 

 

心に気持ちの良い風が吹いている。

 

まるで、魔法のようだった。

 

 

 

 

 

 

これは、小さな子供に

 

注射を打たせるときとちょっと似ている。

 

 

診察台のアンパンマンの人形に気をそらして

 

「あー!あそこにアンパンマンがいるよ!」と言って

 

子供が気をとられたうちに注射をすませて、

 

気づくと終わっているという、あの戦略だ。

 

 

 

 

心の世界で言ったら、

 

注意のそらし・ディストラクションと言うらしい。

 

 

 

 

上の注射の例は「目をそらす」だけれど、

 

 

大事なのは、


自分を苦しめる考えから


「心の注意」をそらすことだ。

 

 

 


こういう想定外の展開は、

 

自己破壊行動を妨ぐことができるとも言われている。
 

 

 

 

 

残念なことだけど、

 

この注意のそらしは、

 

自分ひとりではなかなかうまくできない。

 

 

 

それは、自分が考えていない状態にしなければならないから。

 

 

 

 

 

例えば、問題から目をそらすために

 

自分から意識的に

 

お酒を飲んだり、買い物に走ったり、男に走ったり、

 

スマホゲームに没頭したりすることはできるが、

 

 

 

それは、あくまで

 

「問題から目をそらすため」という時点で

 

すでに問題を意識してしまっている。

 

 

 

当然ながら、目をそらす行為なので、問題は大きくなる

 

 

 

 

 

もっと、その本丸の出来事に近しい

 

関連する出来事へと

 

自然と「心の注意」をそらすことが必要だ。

 

 

問題から目をそらして


快楽に溺れるのとはちょっと違う。

 

(この辺は、現時点でうまく表現できない。)

 

 

 

 

 

それから

 

今回のこの一言が


会心の一撃となった理由は、

 

言った人との信頼関係も大きい。

 

 

 

 

 

「給食は割り箸じゃダメなのかなぁ」

 

 

 

これを言ったのがコバさんじゃなくて

 

ぜんぜん知らない通りすがりの人だったら、

 


きっと私は

 

「なんの脈略でこの話??なんか変わった人だなぁ・・・」と

 

スルーしてしまう。

 

 

 

 

そして、もし、これを言ったのが

 

私が苦手な人だったら、

 

「今はそういう話してねーよっ!」って

 

嫌悪感すら抱くと思う。

 

 

 

  

尊敬しているコバさんが言ったからこそ、

 

「ああそうねぇ。割り箸なら、楽なのにね。」

 

と、流れに身を委ねることができる。

 

 

 

背景に信頼関係があるかどうかも重要だ。

 

 

 


そして、ここには書かなかったが、


そもそもの姑との出来事で恐怖を感じたことは、


私が長年抱えていた問題とリンクしていたことも


大きな衝撃を感じた要因だ。



 


 

 

 

 

だから、この一文を見て、

 

効く人は効くだろうし、

 

 

同じ一文を見ても

 

効かない人は効かないということになるだろう。

 

 

 

 

 

 

こうして、さまざまな条件が合致したとき、

 

この一文は会心の一撃となる。

 

 

 

 

「わたしも、そんな神業を使えるカウンセラーになりたい。」

 

そう思った出来事だった。

 

 

 



コバさまの


達人の会心の一撃を見させてもらった。

 

やられた。


コバ、ありがとう。

 

 

 

 

 

◆コバの会心の一撃シリーズはこちら

「すごい」「かっこいい」は男性をコントロールする言葉ではないということ。

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなコバさんが講師のマスターコース、

 

京都(水木)募集中だそうです。

 

2019年1月9日(水)スタートです。

 



◆心屋塾マスターコース96期京都(水木)講師:小林威之

 

詳細・お申し込みはこちらをご覧ください。

https://ws.formzu.net/fgen/S62755867/

 


お申込み締切は12月16日(日)24時。

 

 

 

IMG_20160211_033639976.jpg

 

 

今回募集の96期(京都 水木)には

 

ワタクシ いがぐりこ は居ません が、

 

 

 

過去にコバさんが担当する

 

マスターコースのアシスタントをさせていただく中で、

 


コバさんのところに来た人は


なぜかみんな、どんどんと楽しそうになって

 

自分を取り戻してゆく

 

 

っていうのを、私は強く実感しています。

 

 

 

きっと、それは、

 

コバさんが、心屋を体現して生きている人だからだと

 

わたしは思っています。おねがいキラキラ

 

 

 

 

 

 

 

ぜひ、コバさんのマスターコース

 

受けてみてくださいね。

 

ぐりちゃん、事務局の立場抜きにしても

 

ちょーぜつおすすめです。(*^▽^*)

 

 



 

 

 

書いていいのかな?だめかな?

ちっちゃい字ならいいかな?

 

ぐりちゃんは、3月から始まる コバマス東京(日月)で、お待ちしています♡

スケジュールチェックしておいてねん♪