子供をつい叱ってしまう母親に、

 

どんな「魔法の言葉」を出すか。

 

 

 

 

 

いがぐりこです。

 

気づいたら連続モノになっていました。

 

 

 

 

その感情は誰のもの?

 

本当にこれはワタシの気持ちなのかな?

 

タイムスリップして出てきたお母さんの感情

 

 

 

 

 

マニアックな心の内容が続いて、

 

私のマニアなキモ子が

 

だんだんと隠せなくなってまいりました。

 

 

でも、最近この、

 

キモ子を隠すのを

 

なるべくやめることに決めたので、

 

このまま突き進みます。ヽ(゚∀゚)ノ

 

 

 

 

こねくり回して考えるのが嫌いな方は


「何言ってんの?」って感じるかもしれませんが


マニア方は、面白いと思う。

 

 

 

興味がない方は読み飛ばしていただいても構いません。

 

ちょっとでも気になる方は

 

このままお付き合いいただけたら

 

とっても嬉しいです。(*´∀`*)♡

 

 

 

 

つらつらと書くので

 

気楽に読んでください。

 

 

 

===========

 

 

 

 

さてさて。

 

 

タイトルに書いた

 

子供を叱る母親に、どんな「魔法の言葉」を出すか。

 

という話。

 

 

 

 

ひとつ前の

 

ピアノをミスる長女を叱ってしまう・・・という

 

ブログの例でみてみようと思う。

 

(実際には叱ってないんだけどね。あくまで例です。)

 

 


タイムスリップして出てきたお母さんの感情より

 

 



ワタシが長女にイライラしたのは、

 

 

長女がピアノを弾いて

つまずいているのを見た瞬間、

自分が10才だったあの頃にタイムスリップしていた。

 

自分が怒られながら弾いていた

あのシーンを思い出して

お母さん役を再現してしまっただけだった。

 

 

 

「ちがうでしょ!ここはもっとこうでしょ!」

 

「ちゃんと毎日練習しないからでしょ?!」

 

「ほらっ!また間違えた!!!!」

 

「もっとスムーズに!」

 

「ほらっ!また左手が遅れてる!!」

 

 

 

お母さんに怒られてしまわないように

 

長女を必死に叱ろうとしていただけだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

この状況を、もうちょっと

 

私なりに分析して、解説。

 

 

 

 

 

目の前の人は自分。

 

 

 

要するに私は、

 

 

30年前の母を

 

今の大人の自分と重ねているし、

 

 

今、目の前にいる長女を

 

30年前の子供の頃の自分と重ねていることになる。

 

 

 

 

母は私で、長女も私。

 

 

 

 

 

ピアノをミスる長女を叱る私は、

 

(実際には叱ってないんだけどね。あくまで例です。)

 

 

長女に子供の頃の自分を重ねて、

 

「お母さんから怒られてしまう!」という

 

『恐怖』を感じている。

 

 

 

(そして、その背景として、

 

お母さんの期待に添えられず、怒られることは

 

「私は邪魔者。ここに存在していてはいけない。」

 

という拘束がすでにあるので、

 

その『恐怖』はハンパないものとなる。)

 

 

 

 

 

その『恐怖』から逃れるために

 

長女に『怒る』ことで、脳を麻痺させて

 

一時的にその『恐怖』から目をそらすことができる。

 

 

 

 

 

心のしくみとして

 

何かから目をそらせば、それはますます大きくなる

 

という法則がある。

 

 

 

 

『恐怖』から目をそらせば

 

『恐怖』はますます大きくなる。

 

 

 

 

長女がまたミスれば

 

さらに大きな『恐怖』から逃れるための

 

もっと強い麻酔が欲しくなって

 

さらに『怒る』。

 

 

 

 

 

そしてその恐怖はさらに大きくなって波及し

 

 

 

今度は

 

30年前の母を今の大人の自分と重ねて

 

 

「このまま子供を叱ったら、長女が過去の私のように苦しんでしまう!」

 

「子供の心を潰してしまう!」

 

 

という、母親の目線での『恐怖』を持つ。

 

 

 

 

そして、

 

その『恐怖』から逃れるために、

 

 

「私はエレクトーンなんてやりたくなかったのに

 

あの時お母さんが叩いて叱りながら

 

私に無理矢理エレクトーンをやらせたじゃん!

 

この毒親め!!!!」

 

 

 

と、母を恨んで『怒る』ことで

 

脳を麻痺させて、

 

一時的にその『恐怖』から目をそらしてしまう。

 

 

 

 

上に書いたように、

 

『恐怖』から目をそらせば

 

『恐怖』はますます大きくなる。

 

 

 

 

さらに大きな『恐怖』から逃れるための

 

もっと強い麻酔が欲しくなって

 

さらに『怒る』は加速する。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

・・・・さて。

 

 

 

もし、こんな人が相談者として来たら。

 

わたしはどんな

 

「心屋の魔法の言葉」を出すだろうか。

 

 

 

 

 

おそらく、

 

「私は、お母さんみたいになってもいい。」

 

そして、

 

「長女が私みたいになってもいい。」

 

 

という

 

 

心屋ではオーソドックスな(←私がそう思っているだけかも?)

 

魔法の言葉を出すと思う。

 

 

 



これは単純に、


「ああなってはダメ」だと思って


そんな自分を捨てようとして


実際は「そうなってしまっている」のだから、



「なってもいい」と許可して


捨てようとしてきた自分を取り戻す


という意味がある。





 

でも、それだけではない。

 



この、「魔法の言葉」は面白いなぁ。

 

よく考えられているなあ。と、つくづく思う。

 

 

 

 

 

「私は、お母さんみたいになってもいい。」

 

「長女が私みたいになってもいい。」

 

 

 

 

これは、相談者にとっての『恐怖』だ。

 

 

 

 

 

私がお母さんみたいになること。

 

そして、子供が私みたいになってしまうこと。

 

これは怖い。

 

 

 

 

上に書いたように、

 

『恐怖』から目をそらせば

 

『恐怖』はますます大きくなる。

 

 

 

だから、どこかで

 

恐怖から、目をそらすのをやめなければならない。

 

つまり、恐怖を直視しなければならないのだ。

 

 

 

 

 

でも、もとの大元の

 

「私は邪魔者。ここに存在していてはいけない。」

 

という恐怖は、

 

あまりにも大きすぎて

 

当然のことながら、直視できない。

 

 

 

 

直視できないから、

 

そこにアプローチしようとすれば

 

また、にゅるん!と

 

別の麻酔になる行動(『怒る』など)で逃げてしまう。

 

 

 

そうすると、悲しいかな、

 

また、その恐怖はますます大きくなってしまう。

 

 

 

 

 

 

そこで、魔法の言葉が登場する。

 


 

 

「私は、お母さんみたいになってもいい。」

 

「長女が私みたいになってもいい。」

 

 

 

 

 

これ。

 

母は私で、長女も私。

 

 

 

 

 

自分に対しての

 

「私は邪魔者。ここに存在していてはいけない。」

 

は直視できずに

 

思い込みをひっくり返せないが、

 

 

他人に対してなら

 

ギリギリのセーフで言える。

 

 

 

 

「あの人みたいになってもいい」

 

ということは、あの人に丸がついている。

 

 

 


「私は、お母さんみたいになってもいい。」

 

 

この場合は、お母さんだ。

 

お母さんに丸がついている。

 

 

 

 

 

「お母さん、そのままで、ここにいていいよ。」

 

そんなメッセージが

 

 

「私は、お母さんみたいになってもいい。」

 

この言葉には、含まれている。

 

 

 

 

 

そして、

 

母は私で、長女も私。

 

 

 

 

「お母さん、そのままで、ここにいていいよ。」

 

ということは、

 

「私も、そのままで、ここにいていいよ。」

 

ということになる。

 

 

 

 

「私は邪魔者。ここに存在していてはいけない。」

 

 

という思い込みが

 

なんと、見事にひっくり返されている。

 

 

 

ストレートにアプローチする方法では

 

逃げの行動に走ってしまって

 

触れられなかった思い込みを

 

見事にひっくり返している。

 

 

 

 

「私は、お母さんみたいになってもいい。」

 

 

それは、

 

 

「私は、そのままで、ここにいていいよ。」

 

という自分へのメッセージだ。

 

 

 

 

母は私で、長女も私。

 

 

 

「私は、そのままで、ここにいていいよ。」

 

ということは、

 

「長女も、そのままで、ここにいていいよ。」

 

ということだ。

 

 

 

 

「長女は、そのままで、ここにいていいよ。」

 

ということは、

 

 

「あの子供の頃の私も、そのままで、ここにいていいよ。」

 

ということである。

 

 

 

 

 

この、「魔法の言葉」は面白いなぁ。

 

よく考えられているなあ。と、つくづく思う。

 

 

 

 

 

心屋の他のカウンセラーが

 

どんな意図を持ってこの魔法の言葉を発しているかは

 

人それぞれだろうけど、

 

 

 

私はこの言葉をいう時、

 

この壮大なロジックを勝手に想像して

 

つい、感動してしまう。


胸がいっぱいになる。

 

 

 

 


本当に、

 

よく考えられているなあ。と思う。

 

「魔法の言葉」は本当に、面白いし、興味深い。

 

 

 

 

 

 

 

余談だが、

 

時々見かける心屋批判?で

 

「じゃあ、子供を叱っていいのか?それは虐待じゃないのか?」

 

というようなのがあるが、

 

「そういう話ではない」ということだ。

 

 

私は、フォーカスしている世界が全く違うので

 

永遠に交われないし、

 

私には一生説明できないと思う。