ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート -38ページ目

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。
お問い合わせはPC版サイトのリンクかアメブロのメッセージから願いします。


この前から音の調整や楽器製造についてミクロとマクロの視点が重要だということをゴルフに例えて紹介してきました。楽器について理解するうえでも重要です。全体像を知ることと細部を知ることの両方が重要なのです。


こんにちはガリッポです。
ヨーロッパの町と言えば石畳です。今回は石畳の作り方を勉強しましょう。
まずランマ―のような転圧機でしっかりと土を固めます。その上に砂利をセメントで固めた層を作ります。排水性を高めるために砂利の間に隙間が空くようになっています。
さらに石を並べていきます。

長さの違う直方体の石をランダムに散らします。

この隙間にコンクリートを流し込んで固まる前に表面に余っているものを高圧洗浄機で洗い流します。


石畳を作るときには参考にしてみてください。と専門家のようなことを言っていますがド素人です。


最近本を買いました。

こちらは『FOUR CENTURIES OF VIOLIN MAKING』という本です。
この本はオークションの記録としての写真を集めたものでイタリアのオールド楽器を中心に多くの名器が載っている本です。

もう一つは『The 1690 "Tuscan" Stradivari violin in the Accademia di Santa Cecilia 』です。

これはストラディバリの一つのヴァイオリンについて最新の技術で断面などの画像も示されています。

DVDも付属して動画でも見られます。


一般的に楽器全般について知るのに良いのはサザビーズなどのオークションのカタログです。こういうものを見るとフランスの楽器が美しいかわかります。イタリアの楽器は素朴なものに見えるでしょう。ウィーンやケルンで開かれているものはもう少しドイツの楽器もあります。
FOUR CENTURY…の本はオールドのイタリアの楽器が多く載っています。モダン楽器はわずかでフランスのものはリュポーとヴィヨームくらいです。ヴィヨームを見れば圧倒的にクオリティが高いのが分かります。

このような本で残念なのは写真に立体感が無いことです。わずかでも光の反射が写っていればだいぶましなのですが目録の写真というのは光の反射も一切なしにするのがプロの仕事です。傷の位置や木目や節などが分かれば楽器を特定できるからです。それでも仕事のタッチなどは分かります。

特にオールド楽器の場合立体感が無いと圧倒的に魅力に関して不利になります。本を見ていてもドイツやハンガリーの量産品と見分けがつきません。ストラディバリでもマルクノイキルヒェンのストラディバリのラベルが付いた楽器と平面の写真では見分けがつきません。

いずれにしてもものすごい天才が完璧になるように細心の注意を払って作ったわけではない楽器がゴロゴロあって適当に作ったようなものです。

ある本には同じ職人の家族でも腕の良くない職人の作風について「カジュアル」と書いてありました。上手い表現だと思いました。下手とは言わずカジュアルと言うのです。FOUR CENTURY・・・の本にはカジュアルなイタリアのオールド楽器がたくさん出ています。
フランスも合わせてチェロだけでも32本も出ています。
この中では前回言っていたルジェリのチェロなんてのは相当「フォーマル」なものです。かなり美しい方のチェロであることは間違いないです。

見ていて思うのはアマティが相当に完成度が高いということです。それ以降の職人は皆カジュアルです。いくつかは同じように美しい楽器もありますがほとんどはカジュアルです。
これが驚くべきことはアマティ家が弦楽器のサイズや音域などの規格を作った段階ですでに完成度が最高レベルにあるということです。

ともかく私の場合には特にイタリアのオールド楽器を見るときにアマティが全ての基本となっています。アマティと比べてどうなんだという見方です。随所に類似点があったりします。作りこみの甘さでアマティにあった特徴が無くなっていたりします。

それに対して近代以降の考え方ではすべての基本はストラディバリだと考えられています。ストラディバリに似た特徴があるというと高い値段で売りやすくなります。私にはアマティの特徴があるなと思うわけですが、それはプラスには加算されないようです。

ストラディバリに関してはもう一つの本です。
この本が面白いのは1690年という割と早い時期のヴァイオリンについて詳しく書いてあることです。これまでも資料はたくさんあってThe Stradのポスターにはアーチの断面図も描いてありますがみな黄金期以降のものです。だいたい1700年以降を黄金期と言い、ストラディバリモデルというのはこの時期のものがもとになっています。ところが黄金期の初めごろとなるとストラディバリは60歳近いです。有名な名器を作り出した1710年代ともなると70歳以上です。

さすがにだいぶカジュアルになっています。これもストラディバリの解釈の幅が大きくなる原因の一つで、近代以降の職人は「自分はストラディバリと寸分違わぬ物を作った」と豪語するのですが、それらが皆違うのです。

この本では1690年とまだフォーマルなアマティ風の作風を残している時期です。充実した資料としてはとても珍しいです。
もう一つおもしろいのはアーチの断面図がアマティやフランチェスコ・ルジェリとよく似ている点です。

フランチェスコ・ルジェリについて

フランチェスコ・ルジェリは1620年に生まれたとされています。ニコラ・アマティが1596年、ストラディバリが1644年頃と言われています。ですから同じクレモナでちょうど間の世代ということができます。グァルネリ家の初代アンドレアは1626年頃だそうで弟分です。

ルジェリの特徴はアマティとそっくりであるという点です。そのためN・アマティの弟子だと考えられてきましたが、それに関しては証拠はないそうです。
いずれにしても影響を強く受けているのは確かでマネをしたというレベルではなさそうです。直接もしくは間接的に教わっていたのではないかと思うくらいの類似性があります。もちろん弟子であったということを否定する理由はありません。

フランチェスコ・ルジェリの4人の息子が楽器製作をしています。当然家族経営の工房で楽器を製造していたことになります。特に腕が良いのはヴィチェンツォだと思います。フランチェスコ以上の完成度です。フランチェスコ作とされているものもスクロールなどを違う息子が作っていればバラバラになってしまいます。これは「カルロのスクロールじゃないか?」と憶測してみたりします。
チェロを比較的安定して作れたのも5人も職人がいた事が大きいでしょう。グァルネリ家は家族で作風はバラバラ、イタリア各地に離散してしまうという状態でしたからだいぶ違います。

アマティそっくりのルジェリも基本的にはアマティよりはクオリティが落ちます。そのためアマティの代用品と考えられて来たでしょう。今でも値段は半分くらいです。したがって業界の慣例にしたがって、アマティのラベルに貼り換えられて売られたものがたくさんあるでしょう。家宝のアマティが実はルジェリだったという具合です。

私も今までコピーなどを作ってこなかった理由は「アマティがあればいらない」ということでした。しかしよく見てみると面白いものです。

そもそも資料があまりありません。
私は以前、ジュゼッペ・グァルネリ・フィリウスアンドレアのコピーを作っていたときにちょうどフランチェスコ・ルジェリを手に取って見る機会がありました。ジュゼッペ・グァルネリも基本はよく似ているので見比べて同じようなものになっていたのでほっとしたことを覚えています。

近年The Stradのポスターで1686年のフランチェスコ・ルジェリのヴァイオリンのものが出ました。アーチはこんもりと高いもので私の得意とするタイプです。板の厚みも薄くて私でもそこまでやらないだろうというところもあります。

典型的なクレモナのオールドヴァイオリンです。オールドヴァイオリンの作り方の教科書を作るとしたらまさにお手本です。


チェロではジョバンニ・バティスタ・ロジェリのポスターがあります。G.B.ロジェリはルジェリとは別人です。ルジェリ家にもジョバンニ・バティスタがいるので紛らわしいです。ロジェリもアマティの影響が強い人でクレモナからブレシアに移り住んだ人です。ロジェリのチェロでも同じような特徴があります。

ストラディバリ

現代の楽器製作では「ストラディバリがフラットなアーチを発明した」と誤解されています。これによればそれまでの高いアーチだったものを低くすることによって音量に優れたものができたというのです。実際にはFOUR CENTURY…の本に出ている初代のアンドレア・アマティでもそんなにアーチは高くありません。ストラディバリと変わりません。従って何の発明もしていません。

このような考えが近代では主流になったためにルジェリのような楽器は時代遅れの作風だと考えられて来たでしょう。今回の本では1690年のストラディバリのアーチのスタイルがルジェリやアマティと酷似していることが分かります。

現代の楽器製作の教育でもここまで同じようにはなりません。
現代ではヴァイオリン製作学校のような所で学ぶのが一般的なのですが、そこまでマンツーマンで教えることはできないので先生と生徒では完全に同じものにはなりません。生徒同士でもなりません。仕上げの注意事項だけ指摘すればあとは各自が自分の感性に従って形を作っていきます。初めのうちは立体なんて作りだせないので何となくなだらかなカーブになっているだけです。その作風で一生を終る人が大半です。

それに比べるとはるかに規則性が一致しています。
これは私も驚いたことですが、私が二つヴァイオリンを作ったらもっと違うものになるんじゃないかというくらい一致しています。アーチの高さなどはまちまちなのですがスタイルが一定なのです。
こうなったら完成というところまで鍛えられています。

クレモナでも1700年を過ぎるとアマティの作風が急速に失われていきます。そのため教育はアバウトなのかと思っていましたが、ルジェリやストラディバリの世代ではかなり厳格な教育がされていたようです。

アマティ、ルジェリ、ストラディバリが共通の基本に基づいて作られているということが発見です。近代のセオリーでは古臭いアマティやルジェリと革新的なストラディバリという位置づけでしたから全く違う見方です。

ストラディバリ、デルジェズ、ベルゴンツィが近代以降は一つのグループと考えられています。しかしアマティ、ルジェリ、ストラディバリを一つのグループとして考えると見方が全く変わってきます。

さっきも言ったようにストラディバリは晩年にカジュアルになってきますからさまざまな解釈をする余地ができてきます。私はクレモナ派の基本が根っこにあると考えています。


ストラディバリの不思議の一つは一番若いころの作品がアマティに完全には似ていないのです。アマティ以外の人に教わった可能性もあります。古くから言われてきたアマティの弟子という証拠はないそうです。可能性としてはフランチェスコ・ルジェリの弟子ということもありそうです。フランチェスコは息子達には全く同じ形のものを作らせてはいないので教え方もあっています。そうなるとルジェリの値段は倍くらいになるでしょう。

想像でこんなことを話てもしょうがありませんが、それくらいストラディバリと共通の基礎を持っていると言いたいのです。

アマティとそっくりのルジェリなのですがデータを見てみると横幅が結構あってマントヴァのピエトロ・グァルネリ以上です。アーチが高いのでミドルバウツの幅が広いと窮屈になりにくいのです。そういう意味ではアマティよりもやりやすいです。
息子のビチェンツォは典型的なクレモナのスタイルを守りながらも美しく洗練させています。これもモデルはいくつかあって可能性があります。

オールド風のヴァイオリンを作るなら理想的なものの一つだと思います。オールド楽器というだけで優れているというわけではありません。様々な作風の中から理想的なものを選ぶ必要があります。
チェロも理想的なものでしょう。アマティの代用品という見方は物を見えなくするということでした。楽器に関してはバカにすると学ぶことが少なくなります。


ストラディバリについては黄金時代にはいくらかカジュアルになっているとはいえ基本はそこにあると思います。1690年代のストラディバリのコピーの依頼が来ているのでそのあたりを研究していきたいと思います。

リバイバルとリメイク

似たような言葉にリバイバルとリメイクというものがあります。リバイバルは過去の製品をそのまま復活させる「復刻」というものです。映画なら昔の映画を上映することですが、再評価という意味もあります。過去にはとても高く評価されていたものが、一旦違う方向に流行などが向かって時代遅れとみなされたものが、やはり良かったと再評価されることです。

1600年代のスタイルのオールド楽器はまさにそうです。当時はアマティやシュタイナーが大人気だったのですが、近代以降はストラディバリが買えないから仕方なく買うものと考えられてきました。それに対してギドン・クレーメルはストラディバリやデルジェズから最近になってアマティに変えているのです。
新作楽器として作る場合は近代のスタイルでも1600年代のスタイルでも1700年代のスタイルでも値段は変わりません。1600年代のスタイルで作る人はほとんどいません、そのようなものは作るべきではないというのが常識だからです。業界には常識というものがあり、常識を学ぶことによって専門家として偉そうにすることができます。
私は非常識な人間なので作るべきではないのなら作ります。作らなければそれが真実なのかわからないからです。
実際作ってみた結果、魅力的なものがいくつもできました。専門家の正しい知識が間違っていることが分かりました。


それに対してリメイクというのは同じ題材をその時代の好みに合わせて改良したものです。映画なら登場人物も別の役者になっていて最新の撮影手法も使います。フランスのモダン楽器はストラディバリの復刻ではなくリメイクです。現在でも常識に反して楽器を作る人は少ないのでストラディバリの型を使ったとしても大半は現代風にリメイクされたものです。


復刻ということは厳密に言えばバロック楽器として作る必要があります。もちろんバロック楽器として作るのも魅力的です。ただ弾ける人が非常に少ないので残念ながら後回しになってしまいます。

塗装も作られた当時のままというとアンティーク塗装は違うということになります。しかしながら現実的に考えると我々が昔のものと思っているものは古くなったものですから、そちらの方がしっくりくるということも言えます。

リバイバルとリメイクの間でどの線を狙っていくかというのは面白いところです。実際に作ってみてあまりぱっとしないなということも経験していく必要があります。私は原理主義者ではなく快楽主義者です。目や耳に心地よい満足度の高いものが目標です。


弦でもかつては裸のガット弦でした。

ピラストロ社はガット弦の新しい製品も作っています。パッシオーネは同社の歴史のある高級ガット弦に対して、チューニングの狂いにくさや音のキャラクターで現代風にリメイクされたガット弦です。その後、張力の強いソロというバージョンが追加されました。
ガット弦でも強い音を目指したというものです。ナイロン弦では張力の強さを各社競い合っています。最新のPerpetualのヴァイオリン用ではスチールのA線が用意されています。スチール弦は安物として100年以上歴史がありますが、チェロでは主流で金属的な音を軽減する研究がされています。

一方で一部の人から熱望されているのは弱い張力で繊細で豊かな響きを持っているものです。弦メーカーもそのようなものの良さを分かっていても実際に売れないとなれば失敗作となってしまいます。




リメイクやリバイバルは成功したりしなかったりするもので、狙いとファンの期待がうまく合うのが難しいです。新規のファンと古株のファンとの食い違いもあります。

ミクロとマクロの視点

アマティの弦楽器がイタリア各地に広まっていきました。シュタイナーを目標としたフィレンツェを除けばイタリアのオールド楽器の基本となっています。ナポリのガリアーノ家でも商人はストラディバリをまねたとしていますが、私にはアマティの特徴がはっきり見て取れます。

それくらいイタリアの楽器製作の基本でありますが、細部に関しては見落とされカジュアルになっていきます。1700年以降世代を重ねるごとに急速にアマティから離れていきます。
普通に考えれば工業製品として普及してきたので単に実用品として作られていただけだということになります。ドイツやハンガリーの近代の安物と似ているのは同じように単なる実用品だからです。
19世紀になるととフランス風の楽器製作がイタリアでも導入されるようになります。フランス風の楽器製作を基本としながら、オールド楽器の要素を取り入れたリメイクも作られます。フィオリーニやサッコーニ、ビジアッキ等です。


こうなってしまうとイタリアのオールド楽器と言っても大雑把なくくりになります。作風が様々ですからひとまとめに語るのも無理です。
それに対してアマティ、ルジェリ、ストラディバリにはミクロで見たときに共通点があります。そのような特徴は近代の楽器にはまず見られません。
私はそのような特徴を再現するように研究します。

しかしながら、だからクレモナ派の楽器の音が良いということは言えないでしょう。近代の楽器でも人によっては良い音と感じる人もいるからです。好みを除外すると強い音が出るということになりますが、その点では優れたものがいろいろな産地にあります。

大量の楽器が載っている本と一つのヴァイオリンだけを詳しく書いてある本を買いました。常に幅広い視点と細部の視点と両方持つことが重要だと思います。


天才とされる人の楽器しか知らないのは本当の意味で実力が分かっていません。生命の本質を理解したいなら動物園で人気のゾウやライオンではなく微生物を研究するでしょう。何事でも本当に詳しい人というのは頂点だけを見るのだけではなく裾野から知識があるはずです。裾野の大きさを知らなければその頂は小さなものなのかもしれません。

こんにちはガリッポです。

暑くなってきました、こちらは梅雨が無いので6月は真夏です。
単純に太陽高度だけで言えば6月がピークになるわけですから日本のほうが海流や季節風の影響を受けているということでしょう。

体が慣れていないのできついところはありますが、湿度が高くないので日陰で風があればそんなに暑くありません。ただし、日照によってじりじりとレンガの建物が熱を持っていくのでこのまま続けば室温は30℃を超えます。冷房は普及していません。


今年も半分近くが過ぎてしまいましたが、勤め先でヴァイオリン製作の依頼が具体的になってきました。一つはストラディバリのコピーでもう一つはデルジェズのコピーです。当然仕事としてやりがいのあるものです。ともに若い時期の作品ということで面白いものです。

会社の仕事とは別にチェロの製作も考えています。今のところどんなチェロが過去に作られたかを勉強している段階です。

特に興味を持っているのはストラディバリよりも前の世代です。
今一番注目しているのはフランチェスコ・ルジェリの1695年のものです。
https://www.ram.ac.uk/museum/item/18076
チェロの場合にはクレモナでは初期のほうが大きなものが作られストラディバリがだんだん小型化して行きました。それで今のチェロの大きさが決まっているわけですが、他の流派の場合には小さいものも多くピッコロチェロなんて言われることもあります。もちろんバラバラの大きさで作っていたのが後の時代になって標準より小さいと考えられるようになっただけです。ビオラ・ダ・ガンバなどに比べれば大きいのかもしれません。

このチェロはアマティのチェロをより完成度を上げたもののように思います。
オールドのチェロでこれだけ美しいものは珍しいです。

グァルネリ家などにも個性的なチェロはあります。ベネツィアのピエトロⅡ(デルジェズの兄)のチェロも本当に個性的で面白いものではあります。
いずれにしてもチェロは品質も荒くそのままの形で作って新品のようにニスを塗ると完成度はかなり低くなります。実用上の問題も考えていきたいです。

より多くの人に受け入れられるためにはストラディバリやグァルネリのようなビッグネームが大きな役割を果たすのが実際のところです。ヘンテコなピエトロⅡでもグァルネリコピーとすれば成立するんじゃないかとも思います。

普通はベネツィアの場合にはモンタニアーナが一番ビッグネームです。モンタニアーナも本当に面白いチェロです。

ルジェリはいろいろな表記があってオリジナルのラベルには『Ruger』と書いてあります。ルガーです。ルガーと言えば拳銃のメーカーで子供の頃モデルガンで遊んでいたころに名前は聞いたことがあります。イタリア語の名字にするときにいろいろな表記があるようです。さらにカタカナにするとルジェリ、ルジエリ、ルッジェリなどいろいろな可能性があります。

フランチェスコ・ルジェリはアマティの弟子の一人として有名でカルロ、ジョアキント、ヴィンチェンツォなどと家族経営で楽器を作っていました。
ルジェリはアマティのスタイルの楽器を作ったいわば「保守的」な作風でアマティの代用品と考えられたかもしれません。ストラディバリを神聖視する近代の考え方では時代遅れの作者というイメージでしょう。

しかしクレモナを代表するアマティの正統な後継者ということもできるでしょう。ところが意外と資料は少なくて注目度は高くありません。アマティ家の楽器をそろえて展示すればお客さんを集められそうですが、ルジェリの楽器では訴求力はそこまでではありません。
ルジェリコピーのヴァイオリンを作るくらいならアマティのコピーを作ったほうがより人の注目を集めるでしょう。

ただし私にとっては面白いです。
自分が一人の楽器職人としてどんな楽器を作って行こうかと考えたときに、オールドのようなスタイルの楽器を作っていきたいと考えています。特定の作者の複製だろうと、私が自分でデザインしたものであろうとそれは変わりません。「オールドの楽器とはどういうもの?」という時に、まさにど真ん中に来る作風なのです。チェロはそんなにたくさん作れないのでオールド楽器の魅力に溢れた王道のものができそうに思います。

一番大きな問題点はルジェリのチェロでは裏板にメイプルではない木が使われていることが多い点です。ポプラと言われてきましたが正確な木の名前は違うようです。
もう一つは板目板を使っていることが多いという点です。
ルジェリもヴァイオリンではそのようなことがないので単に安い材料で作っていたのではないかと考えています。

板目板は樹皮の近くを切り取ったものなのでいわば、板を取った残りかすということもできます。このチェロでも板目板を左右で二枚合わせています。通常板目板は一枚板で使われます。大きな板が取りやすいのでなのですが、一般に一枚のほうが高級なものとされます。それを2枚合わせているのはユニークです。このような板の取り方はギターではあります。そのようなものが作られなくなったのは、いかに弦楽器の業界が保守的かということでもあります。

板目板の問題点は割れてくることです。チェロの場合には特に横板に割れが生じやすいです。リンク先の画像でもはっきりわかると思います。修理などをしていると板目板のチェロは割れてきているものがよくあります。割れ目も真っ直ぐではなく波を打っていて乾燥して隙間が空いてくるとくっつけようがありません。

自然と生じる横板の割れはユーザーにとってはかなりショッキングです。
板目板の裏板を使ったピエトロ・グァルネリのヴァイオリンのコピーでは横板に柾目板を使っています。これはオリジナルもそうだからですが、ちょうどいいですね。

もう一つ板目板は強度が違うということもあります。
弾力がありかなり柔らかいです。狂いや変形も大きいのが不安材料です。
チェロはヴァイオリンに比べると大きさの割に板が薄く、とんでもなく強い弦の力がかかります。トラブルが多いものです。

そのためもし作るなら柾目板と板目板の中間くらいの斜めのものにしようかと思います。斜めになると杢の縞模様の出方はかなりイレギュラーになります。アンティーク塗装でオールド風にすると面白いのですが、作業は困難です。
普通にきれいニスを塗るなら柾目板が上等なものとして分かりやすいです。


チェロの製作において重要なことは「上等なものがとても少ない」ということです。粗雑に作られたものはたくさんあるので、オールド楽器の多くと同じように粗雑に作ると見る人が見れば違いは分かりますが、一般の人にはただ雑な粗悪品なのか、わざと荒く作ってあるのか見分けがつかないものです。

オールドのチェロはかなり適当に作られています。19世紀にはフランスで外枠式の作り方が行われましたが、外枠式なら高い完成度のものが作れます。それに対して内枠式だとかなりアバウトです。左右や表裏でかなり形が違ったりします。とはいえ完璧な複製を作るのは気の遠くなる作業になるため値段が高くなりすぎてしまいます。不可能ではありませんが一年分の作業量だとすれば、工房の一年間の維持費と年収がそのままチェロの値段に加算されます。

オリジナルが適当に作ってあるのでオリジナルと完全に同じということにはあまり意味がないし、チェロは資料も少ないため満足いく型が見つからないなら自分で描いてしまったほうが速いんじゃないかと思うくらいです。

ジュゼッペ・グァルネリのチェロなどだと仕事が粗いのでモディファイが必要になります。モディファイはやりすぎると今度は製作コンクールに出すような感じになってしまいます。それはそれで美しいのですが、私が目指すオールド風ではありません。

紹介したチェロはかなり美しいものだと思います。ルジェリのチェロの中でもやや異質ではあります。他のものはもう少し四角い感じで、完成するとモンタニアーナモデルをやや細くしたものに見えるでしょう。バランスは良いのですがモンタニアーナの出来損ないのようになってしまうのは残念です。

このあたりの線でいろいろ考えているところです。
職人の中でもかなり特殊な人の考えていることです。


このように私は製品のコンセプトを考えます。それに必要な製造技術を開発していくのです。多くの職人は現代風の楽器を作るために考えられてきた製造技術を学びそれで最高だと思っています。


近代の楽器製作はフランスがもとになっています。
当時フランスではストラディバリを最高だと考えたためストラディバリをさらに改良したものを作りました。それをいかに完璧に作るかということで洗練させてきました。そのためこの考え方だとデルジェズのような楽器を作るには合っていません。デルジェズを無理やりモディファイしたり、わざとに形をゆがませたり特徴を大げさにしたりしてきました。そのほかになると作り方が研究され尽くしているとは言えません。


私はこれまでヴァイオリンではピエトロ・グァルネリⅠ、ビオラではジローラモⅠ・アマティで魅力的な楽器ができています。必ずしもストラディバリモデルで作った時に群を抜いて優れていたということはありません。チェロ版となった時にルジェリのこのモデルはそれに並ぶように思います。個性と美しさを併せ持つ丸っこいものです。モンタニアーナほど幅が太くなく弓の動きを邪魔せずストラディバリよりはゆったりしたモデルです。

知識の深め方

このように私はルジェリのチェロに注目しているわけですがかなりマニアックな視点と言えるでしょう。伝えるのも難しいわけです。


良い楽器が欲しいとなった時に、日本人ならウンチクを学んでイタリアの楽器が良いと思い込むわけですが、こちらでは単に弾いて音がよく出るものが良いということになります。

出来てから50年くらい経った楽器では新しいものよりずっと強く音が出ることが多くあります。なにも弾かなくても作られてすぐのものよりも数年放置したものの方が良くなっています。

そのような意味で優れているのがモダン楽器です。

したがって子供のころから楽器を初めて高校生くらいになって本格的な楽器を買おうかということになった時、モダン楽器は有力な候補となります。作者が分からなかったり無名であれば50~70万円くらいからということになります。
先週もボヘミアの戦前のヴァイオリンをメンテナンスしました。ニスはアンティーク塗装がされたのか後の時代に下手な修理をされたのかわかりませんがとても汚らしいものでした。これがヴァイオリンの先生の楽器というのですから、それを商売にする人がこんなひどい楽器を使うとはあきれたものです。

しかしよく見てみると楽器の作り自体はボヘミアの一流の職人のものと変わりません。見た目が汚いだけで楽器としては決して悪いところがあるわけではありませんでした。それを気に入って弾いているなら音は良い楽器なのでしょう。十分商売道具として機能しているということです。

弦楽器というのはそういうもので名前が知られている人はごく一部で他の人が作ったものでもさほど違いはありません。


19世紀のものとなるとそれまでのローカルな楽器製作からフランス風に作風がガラッと変わった時期です。当時の人たちはストラディバリの特徴を誇張して平らなアーチの楽器を作りました。アマティでも平らなアーチのものはありますが、そういう意味ではなくてヨーロッパの各地方でそれまで作られていたものに対してフラットなものです。当時の人たちの目にはストラディバリは平らに見えたのです。

現在では平らなアーチの楽器が多くなり、本物のストラディバリはそれよりもアーチの高さがあるものが多くあります。今の我々から見るとずっと「立体的」な楽器なのです。

平らなほうが音量があると考えられたためそのような楽器が作られました。このモダン楽器は確かに優れたもので強い音がするものが多くあります。

本当に平らなアーチと高いアーチで音量に違いがあるかというと、実際に作ってみればそれほど差が無いことが分かります。平らにしようが高いアーチにしようが性格が変わるだけで音量自体には違いが無いように感じます。この差に比べると50年経った平凡な楽器のほうが圧倒的に音量があるように感じます。職人の工夫などは微々たる差しかないということです。


優れたモダン楽器を弾きこなすようになってきて、何かのきっかけでオールド楽器を試す機会があったとき「全然違う」と驚きます。確かにモダン楽器は強い音がしていましたが、オールド楽器はそれとは違う豊かな世界があるのです。

モダン楽器が全てそうだというわけではありませんが確かに細くて鋭い音の楽器が多くあります。表現の幅は限られてしまいます。


十分な音量を引き出す腕前に達したので音の強さを第一に考える必要が無くなったのだと言えます。つまりオールド楽器を腕でカバーして鳴らしているということになります。十分な腕前の演奏者が弾くと見事な音を出す楽器でも未熟な人では全然鳴らないのです。十分な腕前の人には「この楽器は良いね」と感じられます。私は「楽器が良いのではなくて、あなたの腕前が良いんです」と内心思っています。ストラディバリに変えて良さを語っている名演奏者もいますが、それ以前に使っていたものが外れのオールドだったのかもしれません。

私はこれくらいのイメージで必ずしもオールド楽器がモダン楽器の延長線上のさらに先にある優れたものだとは考えていません。
とかく誇張されがちなので楽器自体にはそれくらいのイメージを持っておくべきですが、一方名演奏家に弾きこまれたオールドの名器は豊かな音がとても出やすくなっています。
中には豊かに鳴る楽器もあるというくらいに考えておくべきです。
もっと言うとモダンにも柔らかく豊かに鳴る楽器はあり、オールド楽器にも鋭い刺激的な音のものがあります。どちらかに限定することは可能性を狭めるということで除外するのは試しに弾いてからで構いません。



うちの勤め先でも最近、ドイツのオールドヴァイオリンが立て続けに売れてしまいました。中には優れたモダン楽器を弾いていた人もいます。とても強い音がするもので人によっては鋭すぎるかもしれませんが一般論としては優れたものです。やはり弾く本人が好きでないとつらいものがあります。

うちでは幸運にも素性の良いオールド楽器をきちんと修理しているので買い替えも上手くいっていることでしょう。しかしながら実際にオールド楽器で良いものを見つけるのは簡単なことではありません。何千万円もする楽器を持っているのに調子が悪いと言って新作の楽器を使っている人もいます。

作り方が確立していなかったオールド楽器は作りに問題があったり、状態が悪かったりして元気よく音が出ないものがあります。特にチェロでは作られた数が少ないので理想的なものは少なく、痛みは激しく、大きな楽器なので強度が不足してしまうこともあります。


ここで新作楽器の価値が出てくるわけです。60~70万円の作者不明のモダンヴァイオリンでも有名な作者のモダン楽器と違わないという話でした。現代の生活水準を維持するために新作のハンドメイドの楽器はもっと高くなります。それなのに音の強さで圧倒的に劣るので出番はありません。現代の楽器製作のセオリーは100年前と何ら変わらないため同じように作られている楽器なら古い方が圧倒的に有利で値段まで安いのです。


楽器販売業者として良心的に考えれば無名なモダン楽器の上等なものを『良いもの』と紹介することでしょう。実際に私たちはそうです。従ってそのような楽器を見分けられることが目が効くということです。

弦楽器について知るということはこのような楽器を見分けられる見識を持っているということにもなります。


ただし一部にはモダン楽器の音が好きではないという人がいます。その隙間市場が開いているのです。
先ほど言った音の強さではなく性格が違うという点です。



したがってそういう人たちのために私は凝りに凝った少量の楽器を作っています。
私にできることは性格の違う楽器を作ることです。あとは古くなると自動的に音は強くなっていきます。弾きこむことで音は出やすくなります。


今回はマルクノイキルヒェンのモダン楽器について見ていきます。

コストパフォーマンスに優れた楽器

先ほどの話では特殊な趣向を持っていなければ平凡な楽器の50~100年くらい経ったものは強い音が出やすくなっています。したがって強い音が出ることが良い楽器と考えるのなら東ドイツのマルクノイキルヒェンのものがあります。イタリアの新作楽器より桁違いに輝かしい音がするでしょう。

これはマルクノイキルヒェンで戦前に作られたものだと思います。量産品とハンドメイドの間くらいのものですから値段としては50万円くらいなものです。しかし特に悪いところがあるわけではなく平凡な楽器です。楽器自体は平凡でも80年くらい経っています。こうなると新作では音の強さでは勝負になりません。有名な作者の名前が付いていてもです。

ニスはアンティーク塗装で指板と駒の間のところが真っ黒になっています。松脂が付着してそこに汚れがくっついてしまった様子ですが、人為的に見せかけたものです。これはヴィヨームなどにも見られます。したがってフランスの楽器製作を導入した時にアンティーク塗装の手法も輸入したのです。f字孔がハノ字になっています。ヴィヨームがストラディバリの有名なメシアを模して作ったものがそうです。したがって明らかにフランスの方向を向いて作られたものです。

うちで修理をしたもので粗悪な量産品は違うことは確認しています。裏板は典型的なマルクノイキルヒェンのもので溝の部分が黒くなっています。アンティーク塗装の手法が独り歩きしているからです。

すぐに本物のマルクノイキルヒェンの楽器だとわかります。

スクロールを見てもひどく雑には見えません、それどころか丸みがきれいに出ています。

ラーセンのイル・カノーネという最新の弦を張っています。

後ろ側の一番下の丸いところは安物には特徴がありますがこれはちゃんとしています。

このような楽器は工芸品としてはさほど魅力的ではないかもしれませんが、実用品としてみると十分なものです。音に好きか嫌いかはあると思いますが、初めからバカにするべきではありません。50万円程度の値段で250万円~300万円のの新作のイタリアの楽器より輝かしい音がするでしょう。確かに量産の流派の特徴はあって値打ちを下げています。逆に考えればそのおかげでお買い得な値段になっているのです。ニスにはわざとらしいアンティーク塗装の特徴はありますが、楽器の加工自体はひどく粗悪なものでないことが分かると思います。もっとひどいイタリアの楽器はありますから。

戦後ドイツは東西に分断されたため、マルクノイキルヒェンの楽器は東ヨーロッパやソビエトに供給されました。これらの国も音楽の歴史のある国々でこのような楽器が重要な役割を果たしてきました。
ここから一部の職人は西側に移住しました。ブーベンロイトが新たな産地となり日本にも輸入されてきました。日本でのドイツの楽器のイメージはこのブーベンロイトの量産品ということになります。しかしそれはドイツの楽器のごく一部でしかないということです。

チェロになると

このような楽器がたくさん出回っていると実力のない楽器は通用しません。日本人は有名な作者をピラミッドの頂点と誤解していますが、裾野が広いことによって実力のある楽器が分かるようになるのです。
50万円と言ったら普通の感覚では相当な金額です。それで楽器自体にこだわりが無い人にとって十分なものが買えるとしたら音楽の発展にとってとても良いです。


これがチェロになると事態は変わってきます。マルクノイキルヒェンのものでもチェロになるとずっと世界的に求められるものになります。これはマルクノイキルヒェンのチェロが優れているというよりも良いものが少なくとても高いということによります。

この前はミルクールのチェロの修理についてお伝えしましたが、マルクノイキルヒェンのチェロでも全く同じです。日本だけではミルクールのチェロには量産品とは思えない値段が付いていますが、一般的には同レベルの楽器です。同じような問題があり、修理によって見違えるようになり得ます。

中古の量産チェロは多く見ますが、ひどく粗悪だったり状態が悪かったりします。なのでやたらに買い取ったりはしませんが、そんな中良さそうだということで売り物にするために今回修理することになりました。

修理の様子を紹介していきます。
ミルクールでもマルクノイキルヒェンでも量産チェロが変わらないということを理解してもらいます。手抜きをして作られた楽器はどこのものでも同じということです。産地の名前ではありません。

高い山ほど裾野が広い


粗悪な楽器か修理すればかなり良い楽器になるか、それの見極めができるということが楽器のことを分かっていると言えるでしょう。特定の作者についてのウンチクを知っていることなど何の意味もありません。弦楽器の良し悪しが分かるとはこういうことです。
作者の名前だけしかわからないなら、量産品に偽造ラベルを貼ったものを見抜くことができません。
有名なイタリアのモダン楽器でも作りに問題があることがあります。今回紹介したような楽器に偽造ラベルが貼られたとしても音は本物より良いかもしれません。冗談ではありません、モダン楽器にはとても偽物が多いです。本物だとしてもそれは過大評価がなされています。したがってニセモノだった方が音が良いということは十分あり得るのです。


何でもない楽器の良さが分かるということはすべてにおいて楽器の良し悪しが分かるということに他ならないのです。

10年以上前から一生懸命やってきた取り組みがようやく結果になってきました。仕事の依頼を受けるようになってきました。


こんにちはガリッポです。

休暇に仕事をしていたのでしばらくのんびりモードで暮らしていました。次の取り組みを考えていかなくてはいけません。

ストラディバリのロングパターンの複製製作の依頼の話が進んでいることは以前にも話しました。それとは別に勤め先で話が決まってきたのはデルジェズのヴァイオリンのコピーを作るという話です。依頼主がモデルから選んで作るわけですが、なぜかこの男性は「クライスラー」というものを選ばれました。当然有名なフリッツ・クライスラーが使ったことから名づけられたわけですがデルジェズとしては比較的初期のもので特徴のわかりにくいものです。私は音楽家が演奏会の演目の曲を弾くようにそういう依頼なので忠実に作るだけです。

「なぜか」と言うのは私の入社前から何度も作ったモデルでどうして選ばれるのか不思議です。何がひきつけるのでしょうか?私なら選ばないものですが、これまで勤め先で作ってきたものとどう違うものを作るかも興味があります。

なぜ選ばないかと言えば、私が作る場合にはこういう構造のものにしたいという考えがまずあり、見た目もこういう感じの塗装にしたいというのがあって選びます。時代などによる作風の違いにも注目します。もう一つ不思議なのは私には何の相談もなく決まっているところです。デルジェズのコピーは何度も作っていて一番よくわかっているはずなのに当てにされていません。たとえ無知であっても自分の意志で選ぶというのがヨーロッパの人なのでしょう。

弦楽器に興味が強いマニアックなお客さんなので自分の頭の中で選びたいのでしょう。
「止めておけ」と言うほど悪いということもないので本人がそれが良いというのなら作ります。忠実に作るということを望んでいるとは思うのですが、音を考えると多少オリジナルとは変えていく必要があります。そのことは黙っておくしかありません。もしこういう音が良いとだけ言ってくれればそれに合った構造のものを選びます。今回は「忠実に作った」と嘘をつくしかありません。構造が合っていないものを本人が選んでしまったのですから。別に忠実に作らなくてもいいのですが、それを期待して仕事を依頼されたので矛盾が生じてしまいます。


新しく楽器を買う必要があるときに一般的には、予算の中でただ単に試奏して気に入ったものを選ぶだけです。それに対してマニアックな人は自分なりの知識や考えを持っています。すでに演奏に使える楽器を持っていることも多いです。

趣味というのはそういうもので自分が知り得た知識の中から自分の考えを作っていくものです。その人がヴァイオリン演奏をしていく中でいろいろなことを経験して、情報を集め自分なりの考えができているのでしょう。こちらでは珍しくモラッシーの名前を知っているような人です。ちなみにモラッシーが亡くなったということはうちに出稼ぎに来るイタリア人の彼も言っていました。彼もモラッシーの教え子で「モラッシーを紹介してやるよ」と言っていましたがかないませんでした。

私もとても興味が強い音楽とか楽器とか好きな音とかもあります。プロとなるとそうもばかりは言っていられなくてお客さんの求めに答えていかなくてはいけません。その過程で学ぶことが多くあります。

私はどの作者が好きなのか?と言われれば「分からない」と答えます。
その時その時に興味のあるものに、与えられた仕事に熱中しているだけで答えなんて決めていません。


前回は音の調整のことをゴルフに例えました。
職人の仕事をやっているとそういう事ばかりです。材料を加工して仕上げに持っていくのに初めは荒く大ざっぱに、最後は細かく丁寧に仕上げていきます。材料が寸法に達しているのに大ざっぱにしていたら削りすぎてしまいます。一方ですぐに仕上げに入ると寸法が出る前にできたことになってしまいます。職人でもほとんどの人は機械で途中まで作っても手作業で作っても同じだと考えています。仕上げが完璧にできていればそれで最高の楽器になるというのです。それに対して私は粗い段階こそ楽器の性格を決めると考えています。ゴルフでも一打目で林の中に入れては台無しですし、かといって消極的すぎては距離が稼げません。

粗い仕事がうまくできているかどうかが分かれば、仕上げの荒い楽器でもそれが単なる安物と違って良い音がする可能性を見出すことができるわけです。ただこれはプロの職人でも全然わからない人が多いわけですから一般の人にはかなり難しいものです。我々でも難しいのに弦楽器について素人が理解しようというのは無理なのです。

それに比べたら仕上げを丁寧にすることは努力によってできます。そして努力によって作られた楽器も音響的には悪くありません。「名工による傑作」と言われていれば「嘘だな」と思いますが、楽器の機能としては劣るものではありません。凡人が丁寧に作った立派な高級品です。


素人の作る楽器

ヴァイオリン職人にはプロの職人から教育を受けずに楽器をつくっている人がいます。先ほどの話で言うとプロではなくてマニアということになります。

当然まともに修行していないにもかかわらず専門家として開業するくらいですから、自分に対して肯定的です。何の根拠もないのに自分は優れていると思っています。いかに自分の楽器が優れているか強くアピールするので買う人がいます。

見ると教育を受けていない職人の楽器はすぐにわかります。その甘い考えが楽器に現れ出ているからです。先日もそんなことがありました。

その女性の住んでいるところにまともな職人がおらず、いくつかヴァイオリンを持ってきて見てくれというのでそれぞれ楽器の由来や価値を教えました。その中に音が耳障りで困っているというものがあり、見てみると10年ちょっと前に作られたものでいかにも素人が作ったものでした。

素人の作った楽器は必ずプロの水準からはるかに低い雑なものです。現代なら機械のほうがきれいに仕上がっています。アマチュアの場合には知識に抜けているところがあるのですが、それだけではなくて必ず雑でクオリティが低いのです。並みのプロよりも美しく作られているけどちょっとおかしいところがあるというものはまずありません。マニアの方がプロよりも情熱があって良いものができるという主張に納得してしまう人もいるかもしれません。楽器に対する観察眼ができていないです。大ざっぱにしか見ていないのです。視界に入っているだけで見ていないのです。

バロックヴァイオリンなんかは特にそうでモダン楽器もまともに作れないような人が作っている場合が多いです。バロック楽器の展示会などに行くと本当にひどいものです。

当然趣味やレクレーションならやっていて楽しければそれで良いということになります。それでよくお金を取ろうと思うものです。

耳障りな音だというので弾いてもらうと楽器全体が窮屈で硬い感じがするとともに音は鋭く刺激的です。このようなものは素人の楽器にはよくあるものです。イタリアの楽器にも多く、新作やモダン楽器なんかにはよくあります。値段はこれがイタリアのモダン楽器なら500万円くらいにはなります。

素人の方が自由な発想ができると思うかもしれませんが教育を受けていない人の作るものは似ています



もう一つは東ドイツのオールドヴァイオリンでした。楽器自体は良いものだとすぐにわかりました。しかし状態が非常に悪く過去の修理も十分なものとは言えません。楽器の価値としては修理代が楽器の値段を超えてしまうかもしれませんので無いに等しいです。これが同じレベルでもイタリア製なら話は別です。

駒が低すぎて演奏できる状態で無かったので新しくしました。

その間柔らかい音の楽器が欲しいということでお店にあったいろいろなものを試して弾いていました。今回は柔らかい音とというはっきりとした目標があるので候補は初めから限られてきます。とにかく音が強いものを良しとする場合が多いので今回は全く違う楽器を出してくることになります。優秀なモダン楽器はすべて出番なしです。

最終的に気に行ったのが私が作ったものとゲオルグ・クロッツのオールドヴァイオリンでした。値段は私のものが半分以下ですから大健闘です。どちらかというとクロッツよりも気に入ってもらいました

その人の持っている新しい楽器が耳障りなので新しい楽器はそういう音のなのかと思っていたようです。私がそんな楽器を作るということで腕前を理解してもらえたようです。

駒の交換を終えてみると東ドイツのオールドヴァイオリンはオールドらしい良い音がしていました。ザクセンの楽器もバカにできないと思いました。ザクセンのオールドヴァイオリンの値段は修理が完璧なものなら品質によって25万円から100万円くらいするものです。
これはオールド楽器でなくても同じことなので200年以上経っているということが全くプレミアになっていません。最も過小評価されているオールド楽器とも言えます。

状態が悪いことで弱っていて耳障りな音が抑えられていたのかもしれません。
売り物にはなりませんが本人にとっては大事な楽器でしょう。

最後に私が作ったピエトロ・グァルネリのコピーを急きょ用意して試してもらうともっと元気よく音が出ました、音自体は似たような音です。単に柔らかいだけではなくてオールド楽器のような味わい、高いアーチ独特の発音の良さが前に試した私の楽器よりもあります。

この人には私の楽器は非常に合っているようで大いに気に入ってもらいました。高いアーチの楽器はアマチュアには引きこなすのが難しいところがあります。この人は相当な腕前で難なく弾いていました。素人の職人との差を理解してもらいました。

ピエトロ・グァルネリは私も好きな楽器です。意外と自分の趣味を貫いた方が良いのかもしれません。この楽器は次回日本に持って帰る予定ですが早い者勝ちです。

でも仕事ではマニアさんのためにデルジェズのコピーを作ります。デルジェズといえばストラディバリと並んで最高の名器とされているものです。私がデルジェズの型でコピーを作ると必ずしも優れているわけではありません。他のモデルでも私のデザインでも遜色ないかそれ以上になることもあります。
ストラディバリやデルジェズのモデルが必ずしも音が良いわけではないという情報は自分で収集していたらやってこないでしょう。


フリークの盲点

お客さんでは「ヴァオリンのA弦を下さい」と買いに来る人がいます。それでは困ってしまいます。「どのメーカーのどの銘柄の弦ですか?」と聞くと分からないと言います。A線が切れてしまったので無いと演奏できないというわけです。他の弦や以前使っていたものが何なのか分かれば同じものを用意できますが、ただA線を下さいというだけではものすごく多くの種類があります。

それは普通のことで自分が使っている弦が何なのかわからない人は多くいます。それくらい無頓着なのが一般的で先生に薦められたものを張っているだけです。先生も新製品を次々と試しているわけではなくその時代ごとに流行った弦があり世代によって違ったりもします。


それに対して「フリーク」という人たちがいます。
フリークというのは弦楽器に限らず、何か一つのことに熱狂的な興味を持った人のことで日本語ならマニアに近いものです。ハイテクフリークといえばコンピュータオタクみたいな人のことです。

マニアやフリークといえば、一般人に比べると豊富な知識を持っていて精通していると考えられるでしょう。普通の人からすると知らない世界のことを知り尽くしているように見えます。しかしプロとは違った知識を集めていることになります。

「この人はフリークだな」というのはすぐにわかります。私からするとそれほど重要ではないことに対して異常に興味を持っていて、重要なことに関しては何も興味を持っていないのです。特に理系趣味の人は独特の傾向があります。

自分が意識している範囲だけはとても詳しいのに、自分の発想の外にあるものに関しては完全な無知なのです。にもかかわらず自分はすべて知っていると思っています。

典型的な例を挙げるとB社のスマートフォンはCPUの性能やメモリーの容量が優れいてるので優れた製品だと考えます。さらにはそのメーカーは堕落した商業主義では無く理想を追求した孤高の精神を持っていると考えます。
しかし文系のマーケティングという観点から見ると、大手のA社に知名度でかなわないのでせめて高いスペックにすることによって理系趣味の人たちを「信者」に育て高額な製品を売ろうとしているだけです。

端から見れば理系趣味の人が孤高の精神と考えているものは、単に商売上の都合によってそうせざるを得なかったというだけです。それに対して文系の視点が全く欠落していて自分の視点しかこの世に存在しないと思っているのです。


「道具に凝る」というのにはそのような面があり、自分が実際に使うのに適したものを求める人と、大した使用目的は無いのに道具自体に興味があり優れたものを求める人がいます。本来なら使用目的によって優れているという評価も変わってくるはずですが、他製品より高性能なものを求めるのです。

我々の間でもそういうのはあって、ニスの材料で染料のように色を得るものがあります。優れた染料とされているものはとても鮮やかな色です。というのは「発色の良さ」というのは染料の単体の性能としては優れているからです。しかし私は渋い深みのある色合いを好みますので優れた染料は要りません。黄色の色を得るためのとても高価な染料があります。「これをぜいたくに使った」と言えば高級品ということになります。ヴァイオリン製作コンクールでも鮮やかな色のニスを競い合っています。

しかし私にとっては鮮やかな黄色なんて要らないので全くどうでもいい染料です。

そのため高価な染料を使っていることを自慢されても私にとってはトンチンカンな知識だと思うだけです。弦楽器フリークの人にも同様のトンチンカンさがよく見られます。

特に理系分野というのは細分化されています。細分化されるというのは染料なら染料だけを研究するのです。その中で優れた染料というのは発色の良いものです。しかし製品としての趣向としては「落ち着いた味わいのあるもの」が特定の人たちには求められているかもしれません。となると発色の悪いもののほうが適しているわけです。

自分が狭い世界に住んでいてその世界の中での価値基準を盲目的に信じているということに気付かないのです。そのような位置にいることが心地が良いのが理系趣味の人で、人生経験の中で心地よいポジションを見つけてきているのです。

私は、完全に技術にしか興味が無くて文系的なものに興味がないというのは構わないと思うのです。ここで文系的な興味関心というのは先ほどの論理的なマーケティングとは違って世間体とか社会的な地位とかそういうものです。高い値段が付いているものを持っているとお金持ちとして一目置かれるというものです。誰が偉いとか偉くないとかそういうものです。

以前にも理系趣味の人でデルジェズのクライスラーのモデルを選んだ人がいました。純粋に技術的に興味があるというのならストラディバリやデルジェズのようなビッグネームである必要はありませんよね。またクライスラーという名演奏者が使ったという肩書きも要りません。さらに私の先輩が特別なものとしてクライスラーモデルで過去に作ったことがあります。それを聞いて自分ではよくわからないけど特別優れたものだと思ったのです。

明らかに純粋に技術的な興味から選んでいるわけではないのです。意外と権威に弱いのです。理系趣味で権威に弱い人は多くいます。

自分が求めている音を生み出す楽器は必ずしもビッグネームとは限らないのです。「優れたもの」「優れたもの」と求めるのに具体的な音のイメージははっきり無かったり、全く別の方向だったりします。

人間の社会というのは「高価なものを持っているのが偉い」という暗黙のルールがあってその中で生きているわけなのですが、自分は何か目的を持っているならその目的を最も達成するものは必ずしも高価なものではないということです。

そのようなことがあることを知らないので名品とされているものが公正な方法で評価されたものだと思い込んでしまうのです。理系の細分化された分野なら数値化して成績が出るので優れているか劣っているかはっきりします。それと同じことが弦楽器全体でも行われていると思い込むと実際は全く違います。高いものを持っていると偉いと思われるので高いものを欲しいという人が多くなり値段が上がっているのです。


ちなみに私がデルジェズに持つ興味のは、雑に作られているのに音が悪くない楽器ということです。現代の楽器製作の教育と矛盾するものです。私たちが無意識に従っている価値基準は狭い世界のものじゃないかという疑念がわきます。どれだけ適当に作っても音響的に問題が無いかという実験です。

これは弦楽器の本質を知るためにとても興味深いものです。


二人のお客さん

二人のお客さんについて紹介しました。一人目はデルジェズのコピーを依頼された男性、もう一人は近くに良い職人がいないという女性でした。

考え方がはっきりと違います。初めの男性はいかにもフリークという人です。女性は自分の好みの音をはっきり持っている人です。自分の好みの音をはっきり持っている女性は予算の中で良い楽器見つけて買えばいいのです。ドイツのオールド楽器は当然候補になりますし、私の作るものでも遜色がないということになります。

この男性にどんな楽器を薦めたらいいか全く分かりません。この人が頭の中にどんな知識を持っているかによるからです。話を聞いていると音だけならモダン楽器を国名に限らず選べば良さそうです。しかしこの人はガルネリ・デルジェズが最高の名器の一つであり、さらにクライスラーが使用したという権威に興味があります。

もちろんデルジェズは魅力的なものですので、きっかけは不純な動機でも私が作ったものを手にしたときに、今まで知らなかった魅力に気づいてもらえるようにしたいです。演奏の腕前はあるので新しい楽器を買った喜びでやたらに弾きこんでくれれば鳴ってくると思います。私が作った新作でも数年後には文句ない音量で鳴らす人もいます。ぜんぜん弾けない人が楽器に鳴ってもらおうというのは難しいです。













修理の結果、音がどうなったか持ち主の方の報告を紹介します。


こんにちは、ガリッポです。

こんなに小さなパワーショベルがあるんだと日本で撮った写真です。おもちゃじゃなくて仕事に使うものです。庭師の道具なのでしょうけどもいろいろな道具があるものですね。


ミルクールのチェロについて書いてきましたが、先週もミルクールの量産チェロが修理調整のために来ていました。1898年製のBretonというメーカーのもので量産品としてはよく見るものです。

このチェロの厚みを調べてみると広い範囲で表板も裏板も5.5mm位あります。エッジ付近は薄くなっていますがそれ以外がどこもかしこも同じくらいの厚さなのでおそらくプレスではないかと思います。プレスでは8mmとかの厚さにはできないようです。5.5mmなら裏板の中央も弦の力を支えられないほど薄いということもありません。ただし力は分散しないでしょう。
スクロールのクオリティは紹介しているものと変わらない感じですが、胴体のほうはちょっとクオリティが落ちる感じがします。
ニスは匂いの感じではラッカーではないように思います。もちろん高級なフランスの楽器に使われるようなものではありません。色は鮮やかなオレンジ色ではなく褪せたような色です。

一番重要なことはほとんどのところが5.5mmのプレスのチェロの音がどうかということです。

工房で持ち主が弾いているのを聞いている感じではこれがプレスかどうかははっきりはわかりません。すごく心地よい音ではありませんが変な音というほどおかしくはありません。あらかじめ板の厚さを測ってしまったので私に先入観があるのかもしれませんが木箱のような感じがします。もちろん皆さんにはわからない表現でしょう。それくらい感じ方は微妙です。

分かる人には全く違うものとして分かるかもしれません、こんなものはまともなチェロではないと。しかし単に音が出るということで言うと決して音が小さいということもありません。低音も強さがあります。高音も心地よくは無いですがひどく耳障りということもありません。低音は深いものではなく同時に多くの倍音が出ているように思います。低音と同時にそれより高い音も一緒に鳴っている感じがします、それでボリューム感が得られているのではないかと思います。
これは私特有の分析的な聞き方で一般の人とは違う聞き方かもしれません。持ち主の方はそれがプレスだとは知らないでしょうから気にしたこともないでしょう。

私の好みだと好きではないということは言えるかもしれませんが、プレスは音が良くないとか買うべきではないと誰に対しても言い切れるほどではないように思います。一方削り出しの楽器でももっとひどいものはたくさんあると思います。

楽器の作りの違いは言うほど結果として出て来る音については決定的ではないということです。


他にもこのような例がありました。
私は以前ドイツのオールドヴァイオリンとしては珍しい平らなアーチのブッフシュテッターのものを紹介しました。二つのブッブシュテッターとゲオルグ・クロッツと比べると一つのブッフシュテッターとクロッツの音がよく似ているという話でした。クロッツはドイツの古典的なオールド楽器です。さらに同僚の話によるとヴィドハルムというとくにアーチのぷっくりと膨らんだドイツのオールドヴァイオリンと別のブッフシュテッターの音がよく似ていたそうです。
明らかにアーチの構造が違うのに音は似ているというのですからわけがわかりません。オールド楽器の場合状態も違えばなされた修理も違います。そうなると構造の違いなどはよくわからなくなってしまうということです。ストラディバリやデルジェズにもフラットなものや膨らんだアーチのものがあります。特定のものが低い評価になっているということはありません。

平らなアーチが良いのか膨らんだアーチが良いのかも弾く人によるだけではなく個々の楽器によるということもあります。やはり弾く前に決めつけてしまわないことが重要です。


相性や好みというのはあってその人にとっては絶対にAの楽器が優れていると思えても、別の人にとってはBの楽器のほうが絶対に優れているという風に感じることがあります。この場合、我々としてはどちらも「良い楽器」と考えます。私がどちらかが良いと思っても私の好みにすぎません。どちらが好みか弾いた人の意見を聞きます。「あなたはこちらがお好みですね」となるだけです。
お店としてはいろいろなものを取りそろえているのが理想です。
またはっきり社長や店主の好みが仕入れに現れている店もあるでしょう。その場合は自分の好みに合う店を選ぶことが重要です。

私が楽器を作る場合に構造を変えても全く正反対の性格のものにすることはできません。好みに合う人にしか合わないのです。
しかし商売する場合客を逃すことになるので、あたかも誰にとっても優れたものであるかのように営業をかけるでしょう。意図的にそうするのではなく自分の感じ方が世界中誰でも同じだと信じて疑わない人も少なくないと思います。

初心者や自分の好みを分かっていない人にとってもそうやって言ってくれると買い物は簡単に終わります。楽器に凝りたくないという人は鵜呑みにして終わりということですね。



ブログを見てくれている皆さんのうち、まったく私と同じような好みの人なら、もっと私の主観ではっきりものを言えば共感が持てるでしょうが、私の好みとは違う趣向の人もいるということを念頭に置いておかなくてはいけません。


楽器に限らないことです。
何かの製品で詳しい人にどれを買ったらいいですか?なんて質問をすると
「あなたが何を求めているかによって違ってくるので答えられません」となります。それに対して「そんなの分からないから『良いやつ』を教えてくれ」と思うわけです。定番の高級品を教わって、買ったら家族などに「これは何だか知らないけど『良いやつ』らしいんだぞ」と見せるわけです。一生詳しい人にはならないタイプです。「世界的に評価の高い巨匠の作品だ」と分かっていないのに分かった気になっているのも同じことです。


まだ製造法が確立していない生まれたばかりの産業分野ならあのメーカーが優れているということもあるかもしれませんが、それがヒットすれば他のメーカーも同じような製品を作ってきます。後発のメーカーはより性能が良いもので対抗してきます。そうなると「あなたが何を求めているかによって違ってくるので答えられません」となります。


弦楽器も4~500年前からあるもので修行すれば誰でも立派な楽器を作ることができます。弦楽器が難しいところは意図的に音を作り出すことです。

そのため「あなたが何を求めているか」が分かってもじゃあこのメーカーですよと言うわけにはいきません。


どの楽器も同じ材木を使い、同じ方式で作られています。スライド式とか回転式のような違いは無く、表板を開けても全く違う仕組みになっているものは無く違いは加工の品質が高いか低いかだけです。品質が高ければ上等なものだと私たちは考えますが、音に関しては考慮に入れません。なぜかと言えば見ても音は分からないからです。

作者やメーカーも音に関して特定のねらいをもって楽器を作ってないものがほとんどです。こういう音が売れるから作るというものではありません。それしか作り方を知らないのでそう作っていてたまたま売れたり売れなかったりするということです。

製造国の国民性などは音に現れません。仮にその国の人たちが特定の音の好みを持っていてもそれをメーカーは作ることができていないのです。

このようなことは誰からも教わることは無いので私も初めは国ごとに独特の音があるんじゃないかと考えていました。国ごとのオーケストラの響きなんてことはクラシック通によって語られることもあります。
しかし楽器の製造に関してこれは経験によって正しくないことが分かってきました。弦楽器製作の世界にはそんなに高度な技術がありません。

男性用や女性用というのもありません。ビオラのようなものなら体格に合わせてサイズを選ぶわけですが、大柄な女性もいれば小柄な男性もいますから単に体格の問題です。
音の好みなどで女性用として作られてあるものもありませんし、お客さんを見ていても男女で特定の音を好むということもありません。

産業として原始的であるということですね。

それに対して私はかなり特徴のある楽器を作るようになってきています。自由自在にどんな音の楽器でも作れるようになりたいと私は思っていました。多くの人はそのような事すら目指しません。自分が知っている作り方を「正しい作り方」と信じて作り方を変えないからです。
チャレンジしたことのある人にしかわからないと思いますが弦楽器製作の実際のところでは砂糖を増やして甘くしたり塩を増やしてしょっぱくしたりという調整ができないのです。作ってみて出来上がったらこんな音になったというだけです。
私の場合にはオールド楽器と同じようなものを作ってみたらオールド楽器のような音の楽器ができたというだけで、どうしてそういう音になっているのかはよくわかりません。

唯一分かるのは板の厚みです。
薄くすれば低い音が出やすくなるというそれだけです。
それすら全く知られていなくてどこの本にも書かれていませんし、ヴァイオリン製作学校や師匠からも教わったことはありませんでした。私が実験や観察によって導き出したものです。

私の作る楽器の場合にははっきり音の共通性がありヴァイオリンでもチェロでも同じです。しかし他の職人の楽器に比べて群を抜いて優れいてるということはできません。

詳しい人ほど特定のものだけが優れいているとは言わないはずです。

弦を張ってみました


はじいてみてもC線の一番低い音が相対的に出にくいなと感じました。ちょっとずつ上げていくとあるところからボーン!!と出だすのです。板を薄くしたので低い音が出やすくなっているはずですが「もっと薄くするべきだったかな?」と心配になりました。そのボーン!!すら以前は無かったはずですから改造して低音が良くなったと言えるでしょう。ピアノでも一番低い音は聞こえづらいのてチェロという楽器の限界かなとも考えました。長めの魂柱をきつく入れてあったのでそれをちょっと短くゆるくしたりして半日くらいああでもないこうでもないとやっていたらウソのように段差は感じなくなりました。
なぜ段差がなくなったのかもよくわかりません。私は運だと思います。

あとは持ち主の方に不満があれが何とかしようというところです。


大掛かりな修理が終わった後は楽器の特性が著しく変わるので、新しい楽器を買ったときのように使いこなしを探って行かなくてはいけません。以前紹介したカルカッシのラベルの付いたオールドヴァイオリンの修理で持ち主の方は楽器を受け取ったその週末のコンサートで使用しようと考えていたようです。

しかし思っていたのと楽器の音が違っていていひどく落胆されました。「音は強くなったけど台無しになってしまった」と言っていました。多くの場合は「音が強い=良い」と考えるので普通なら修理は成功です。

この人は音が分かる人でした、私もまずいなと思ったわけですが、その後異なる弦を試したところ非常に気に入ってもらえて修理以前よりも格段に良くなったと今では言っています。
修理はネックがグラグラしていたところを直してネックの角度も正しくしたものでした。それで健康的な状態になったわけです。グラグラのネックがしっかりついたので音が強くなったのでしょう。音の質としてはきつくなりすぎてしまったのです。そこで張りの強い弦からきめ細やかなものに変えてベストマッチになりました。

楽器の調整には小手先のマイナーなものから根本から見直すメジャーなものがあります。バスバーの交換やネックの角度を変えるのは楽器のフィッティングに関わる部分です。さらに板の厚さを変えるともなると根本から変更することになり大掛かりな修理になります。もっと大きな変化としては楽器自体を変えることです。したがって自分の使っている楽器の音が気に入らないとしても小手先の調整で満足するのか、大掛かりな修理や改造で良いのか?そもそも楽器自体を変える必要があるのか?考える必要があります。

当然メジャーな調整ほどお金がかかる代わりに効果も大きいものです。基本的に楽器自体は気に入っているけども、と言うのならマイナーな調整を行うべきです。状態が悪くて潜在能力が出ていないなら大掛かりな修理が必要で、全く自分の好みとは違う方向性なら楽器を変えるしかないということもあります。

メジャーな調整では効果は大きいですが細かくねらっていくことができません。全体として良い方向に向かったのならさらに微調整をして詰めていくことです。現実的には一度やってしまったらもとには戻せませんから嫌でも微調整を始めることになります。

ゴルフで言えば長いクラブほど遠くまで飛んで短いクラブで微調整するものです。一打目から短いクラブで始めるとなかなかカップに近づいていきません。
このような考え方はとても重要で、細かいことにこだわって全体を見落とす「木を見て森を見ず」という状態にマニアックな人ほど陥ってしまうのです。
あらゆる趣味の分野で木を見て森を見ずに陥っている人が上級者ぶって偉そうにしていますから。弦に関しては自分でも交換できるものなので異常にこだわりを持ってしまうことがあります。

魂柱の調整もあります。駒の交換を頼まれたときに、過去に職人に魂柱の位置の調整してもらったのでその位置から絶対に魂柱を動かさないでくれと言われたことがます。しかし駒の交換のほうが魂柱よりメジャーな調整になります。駒が変わればずいぶん音が変わるので過去に行った魂柱の調整などは無意味になります。もし駒を交換するときに魂柱が斜めになっていて外れそうなら真っ直ぐに直すべきです。駒の交換が終わってからもう一度魂柱を調整するべきなのです。



さっきのヴァイオリンの話に戻しますが職人としてはグラグラのネックは悪い状態、ガチッとしている方が健康な状態でより潜在能力は発揮されると考えます。そこに他のオールド楽器でいい結果を得られていたピラストロ社のエヴァ・ピラッツィ・ゴールドを同僚が薦めたのです。その結果は「音は強くなったけど台無しになった」というものでした。
他のオールド楽器でいい結果が出ていたので悪い弦ということはありません。しかしこの場合には合わなかったということです。

そこで最新のラーセンのイル・カノーネのソロイストを試すととても気に入ってもらえました。ソロイストとノーマルは他のメーカーで言うところのミディアムとストロングのようなものでソロイストのほうが強い張力だそうです。

私はエヴァ・ピラッツィ・ゴールドも同じような方向性を目指したように思いますがそれでも、人によってこうも反応が違うものです。
エヴァ・ピラッツィ・ゴールドは当たりはずれがかなりあるように思います。

弦メーカーは楽器メーカーと違ってかなり近代的になっています。かつては単にガットそのものの質でグレードの違いがあっただけでした。それがパッケージによって特定のキャラクターを持たせたものになりました。あるものは明るく輝かしく、別のものは暖かみがあり柔らかいものというようにです。
人工素材になるとさらに可能性は広がります。マーケティングで求められている音を分析して、新しい弦の試作品をたくさん作って演奏家にテストしてもらい製品化していることでしょう。試作品を我々も提供を受けたり、お客さんで未発売のものをテストしている最中の人もいます。好評だったのに生産化に至らなかったものもあります。製造上の問題があったのでしょう

それでも張ってみないと分からないものです。
「良い弦はどれですか?」と聞かれても楽器や弾く人によって違うので答えられないのです。

このように入念に製品開発される現代の弦ですが、一方で「人為的に作られている音」を不自然に思う人もいます。人気のある弦でも必ず「私は好きではない」と言う人がいるものです。そのためメーカーは協力している世界的に有名な音楽家が弦を絶賛するコメントをウェブサイトやカタログ資料、雑誌の広告などに乗せてアピールするわけです。

いずれにしてもまずは楽器自体を健康な状態にしておくことが重要でそれを微調整するために弦のチョイスなどをするのです。好きな弦に合わせてわざとネックをグラグラに改造するなんてことはしません。カチッとしたネックにあった弦を探すのです。


このように修理調整というのは大掛かりなものから始めて、微調整で詰めていくものです。自分の楽器で行った微調整を気に入って教え子などにもさせる先生がいますが根本から点検してから始める方が良いと思います。楽器によっては全く逆の調整が必要になるでしょう。しかしある弦を使って上手く行ったという経験があると全く症状が違う楽器にも同じ調整法を施そうとするのです。

同様にオールドの名器を使っている名演奏家が気に入った弦だとしても自分の楽器に合うとは限りません。楽器が違うからです。同じ作者の楽器を持っている人は参考にしても良いかもしれません。それでも二つと同じ楽器はありません。同じ楽器でも修理前後で合う弦が違うのですから。

オールド向きとか新作向きの弦というのもよくわかりません。
安価な楽器の場合にはやかましい音のものが多いのでそれを抑える方が良いでしょう。

オーナーからの報告です



丁寧に書いてもらってありがとうございました。少し恥ずかしいかもしれませんが抜粋して紹介させていただきます。

修理が終わってまず、見た目がきれいになっていることに驚かれたようです。掃除すべきではないという売り手から買ったので汚かったのです。
音も変わっていることはすぐにわかって上等な楽器になったという感じはあったでしょう。ただすぐには弾きこなすというところまではいかなかったようです。修理したての楽器も新作の楽器と同じで多少は弾きこみも必要になってきます。今すぐ結論をというよりはじっくりと修理の成果を確認していく方が良いでしょう。



楽器が手元に帰って来て
奮闘中です。まだ3日程ですが、色々な事を感じたり
おどろいたりしています。
上手くまとめられませんが
帰ってきた金曜日から今日まで思った事を書きます。(
音だけに絞ってません)


とにかく軽くなりました。
磨きをかけてもらって
違う楽器のようにきれい
になり 音を出す以前に
感動しました。

最初に開放弦やらスケール
やら、終わったばかりの
本番のチェロのメロディを
C G D Aの5度違いで弾いてみたりしました。

底の方からわきあがるように
響いてくるようで、今までと
響き方の違いに少し戸惑いました。

音程がはっきり出るように感じました。fとpの差がはっきり出る。
一皮も二皮もむけたかな!
という音に感じました。

音の広がりがすごくある。
今までとは全く違う世界。

弾いているうちに
下の3本は
ボンボン鳴って
深い音になってきました。
まだまだこれからよくなりそうです。

A線には2日間少し手こずって
弾く場所をあれこれ試してみましたが、なんとなく
しっくりこなくて
弦をAだけパーマネントソリストに戻してみたところ
びっくりするほど良くなりました!
いい音がします!!

私にはもったいないような
楽器になりました。
どの弦もまんべんなくよく
音が出ます。
まだまだこれから色々探って
弾き方 音の出し方を
勉強しようと思っています。


さらに後日

この一か月以上にわたって
楽器修理のための準備から
終了まで本当にありがとうございました。
昨日レッスンに久しぶりに
自分の楽器を持って行きました。修理を終えた楽器を見ての先生の反応が面白かったので、私自身が感じた楽器のことと合わせてお知らせします。

日々の練習に必ず取り入れている重音でのスケール
3度 5度を24日から再開しました。
音程がはっきり出るので
シビアです。ピッタリ合ってないとすぐわかって怖〜。

特に荒い音が出ていたA線
でしたが、それがなくなりました。例えが悪くて申し訳ないのですが、ゴミやヘドロで
詰まっていたパイプが詰まりが解消されてすっきりした!
っていう感じです。

レンタルしていた楽器は
今日北海道札幌市へ帰って行きます。音が出やすい楽器で
弾くのはたいそう楽でしたが
どこを弾いても全く同じ音色がしました。面白くありません。

私の楽器はそれでも
弾く場所 圧力 右手の加減で
色々な音色を追求する事が可能になりました。
もちろん道半ばですが
一生勉強ですね。またその事が楽しくて嬉しくてたまりません。チェロが大好きです。

昨日のレッスンでの事です。
日本の子弟事情?では先生は
1人 が普通のようですが
(色々な先生に習うと
言ってる事が違って訳分からなくなると言う)
私はせっかくの人生(大げさ?)なので別な目でも
見てもらいたく現在は2人の
全くタイプの違った先生のところへレッスンに通っています。
1人は現役のプロオケ
1人は35年フランスのリヨン国立オケのプレイヤーを
勤めて5年ほど前に帰国した方です。こちらは今年から
お世話になっています。

昨日はフランス帰りの先生の
ところでした。
楽器はヴィヨームだそうです。
修理を終えた私の楽器を手にとってしばらく眺めて
とても上手でいったい誰の
修理なのかしつこく尋ねられたので簡単に経緯をお話しました。ブログも見たいと仰るのでブログも
紹介しました。
私の楽器の素性も聞かれ、
ミルクールの工場の120年
程前の大量生産品だと5回くらい繰り返して言いましたが
今の大量生産とはちがうぞ
これは良い楽器だ良い楽器だと言ってゆずりません。

ドイツの機械で作られた量産品を修理の間借りていたそうです。新品ですからまず音は出ます。それとの比較も語っていただきました。
フランスで長年活動しフランスの一流の楽器を使っている先生なら、フランスの楽器が2流などという出まかせを信じているはずがありません。それに近いものになったので良さはすぐにわかってもらえたようです。

さらに


お返事ありがとうございます。パソコンの画面がずっと変で携帯を使用しているので
段落がずれてすみません。

練習していて笑いがとまりません。自然に笑えてくるのです。おかしいと思われるかも知れませんが、本当です。
普通ってこんなにすごいの?
って毎日思います。

ネックの差し替えや駒の
交換と、どのように
関わってくるのか私には
わからないのですが、
とても弾きやすく楽になった
なと感じます。

いつかのブログに
修理か製作か、どちらだったか思い出せないのですが
お客様が涙していたお話が
載っていました。
泣くほどの事でも.......
って書かれてていたように
記憶していますが
泣くほどの事でした!
修理をしてもらって
こんなに嬉しく感謝した事は今までに一度もなかったし
本当に 涙 です。
そしてそれが笑みに変わってくる訳です。

修理では老朽化した部分と製造上の問題があったところを「普通」にしてあげました。私がたくさんの楽器を見たり作ったりして知った「普通」です。良い楽器というのはこういうものだという私の中の普通です。

雑音が少なくなると音程がはっきりします。
ずれていればすぐにわかってしまうのです。
そのことも書いてくれています。


単に師匠の教えや教科書通りにしたから自分は正しいと言い張るのではなくて使った人が実感できなくてはいけません。自分が立派な職人だと思われることよりも、美しさや楽しさに心を奪われることの方が大事だと思います。芸術家でも職人でも自分が得をするよりも我を忘れて美しいものに魅了されている人を私は尊敬します。


こちらの先生は、○○○○の楽団のチェリストです。

昨夜のレッスンに持っていったところ、
これはすごいね!ものすごく格が上がったと思う。
大成功じゃない?僕がセカンドに欲しい とおっしゃいました。
(こちらの先生の楽器はトノーニ。私にはどちらかというと明るい音に聞こえる)
レッスンの場所は先生のご自宅のホール(100人くらい)。
素晴らしい音で響きました。特に低音がズシンときました。!。先生の腕の凄さもありますが、
レッスン時に何回も何十回も私の楽器を弾いてもらっていましたが、
音の抜け?(うまく表現できませんが)が、まるで違って
音がまるく筒のようになって飛んでいく感じ(表現が下手ですみません!)でした。
もう あとは 言葉をお借りするなら ”つべこべ言わず練習する”です。

このチェロは死ぬまで私の大好きで大事な親友でいてくれると思います。

先生はイタリアの楽器が良いと信じていたそうですが実際に弾いてみれば一発で考えは変わったようです。上級者が弾く事でより能力が発揮されたようです。

先生にも非常に喜んでもらえたようです、その一方で日本に出回っている楽器のレベルが相当低いんじゃないかと心配になりました。楽器を仕入れるほうは出来の良し悪しが分からずに酷い楽器や状態の悪い楽器を輸入していることでしょう。そのようなものは次の初心者の手に渡るので日本にひどい楽器がたまっていくのは良くないですね。

最近 私が切に望んでいた、私の先生のオールド楽器のような
まるい、ポーポーとした音が少し出せるようになってきて、
ますます笑い(笑み)のとまらない毎日です!

さらに最近になってコツが分かってきてより楽しくなったようです。
必ずしも地位の高い演奏者だけでなく、楽器演奏をより楽しんでもらうことにつながっているとしたら励みになるものです。

余計にお金は払ってしまったようですが結果的には良い楽器を手に入れられたとのことです。このような修理は業者も面倒なら言い訳を並べてやろうとしないでしょう。私は目の前に問題のある楽器があると許せなくてそのままにしておきたくないのです。

私の持論の「ひどくなければ何でも良い」というのが今回も証明されました。量産品で構造にやはり問題があったのです。それさえ直してあげれば楽器は機能するのです。量産品なので部品ごとに別の人が作ったものです。急いで作ってあったのでちゃんと作りきっていなかったのです。それを私が100年後に仕上げてあげました。弦楽器は「名人にしか出せない音」とかそういうものではありません。初めて作ってもちゃんと弦楽器の音がするもので、戦前のヴァイオリン製作学校の生徒が作ったチェロなんかは今となっては結構良い方です。学校の場合には工場と違ってコストなんて考えていないので先生が教えるとおりに作ってあるのです。

やはり基本的に古いということは音響上有利だと言えます。難しいのは新作でできてすぐです。より有利な条件を追求していく必要があります。しかしそれも時間の問題です。余計な事をしない方が良いということにもなりかねません。

このチェロは修理前は金属的で鼻にかかったような音をしていましたがすっかり良くなったようです。私がバスバーを交換すれば新品の量産楽器でも耳障りな音は和らぎます。理由はわかりません。金属的な音で困っているなら可能性はあります。逆はできません。たまたま今回の修理では私の癖と症状があっていたということになります。


まとめ

面と向かってそんなに悪いことは言わないでしょうがそれでもかなり満足していただけたように思います。楽に音が出るようになると弾き方もスムーズになって見違えるようになります。次にお会いするときが楽しみです。

今回の修理は単なるオーバーホールに加えて厚すぎる板を普通にしました。この楽器のネックは標準より短く継ぎネックをしなくては直すことはできませんでした。短いままです。修理代が高くなり過ぎます。中のブロックなども交換したいところですが無理です。
すべて完璧にというわけにはいきませんでしたが大事なところは何とかできたと思います。

古い楽器は音響上有利になっている部分もある代わりにオーバーホールが大変です。今回のものは状態はかなり良い方です。120時間もかかっています。

現在も職場でドイツ・マルクノイキルヒェン戦前の量産チェロのオーバーホールの仕事をしています。ほぼ同じような仕事です。表板に割れがあったり修理の多い部分もありますが、板が厚すぎるという点でもフランスのものと全く同じです。したがってドイツ製でもフランス製でも大差ないということになります。これも100~200万円の楽器としてはとても優れたものになると思います。それとともに新品のニスを塗る前のチェロを購入して改造することも取り上げてきています。

量産品についてもただバカにするのではなくてどこがいけないのか理解する必要があると思います。問題点を解決してあげれば高級なチェロに遜色ないものになるのです。これが商人と技術者の見方の違いです。



チェロの話が続きますが、チェロほど弦楽器の現実と直面するものです。他の楽器の方も是非参考にしてください。

こんにちはガリッポです。

ものの値段とは難しいものでいろいろな考え方があります。


私のところで職人は製造コストで値段を考えます。
丁寧に作れば時間がかかるので値段が高くなるという考え方です。
工業の考え方です。

特にチェロでは安い製法や手抜きによって作らているものが安いわけです。
職人から見れば「ちゃんと作ってあるもの」は良いものだと思います。しかし職人はそれぞれ考え方に違いがあり、見た目も音も様々になります。そのため高価な良いものと言ってもその中から自分の好きなものを選ばなくてはいけません。


それに対して特に日本の人は作者の評価によって値段が決まっていると思っています。作者の「才能」で値段が決まっていると思い込んでいます。才能がある人はうまくできるので精巧にできているものが高いという事になります。そうではなくて音が良いというかもしれません。
一見同じように思うかもしれませんが実際には才能を評価するのは難しいことです。自由に経済活動ができる社会なのでみな自分の利益になるように行動しますから公平な評価をしようという勢力はありません。
精巧にできていても無名な作者なら値段は安くなります。何かのきっかけで有名になれば精巧にできていなくても値段は高くなります。音になると評価するのはとても難しいです。楽器の差よりも弾く人の技量の差のほうが大きいからです。

これは商業の考え方です。


これらの二つの考え方には矛盾があってしばし対立します。
製造側の理屈でコストをかけて作ってあると言っても買う人が魅力を感じなければ製品は売れません。欲しいという人がいなければ値段はつきません。
装飾を施して余計な手間をたくさんかけたり、不器用な人や未熟な職人が時間をかければ高級品になるでしょうか?


いずれにしても職人が見て良くできているものは安上がりに作られたものに比べると値段は高いです。一方で評判が独り歩きして異常に高騰したものに比べれば安いです。

とくにチェロに関して大事なことは安いものは安上がりに作ってあるということです。


ブランド名で物が売れるということは現実のことですが、そのような考えの人は当ブログには用が無いと考えます。問題外としてもはや考慮しません。

「音で売れる楽器」について考えてみると先生が薦めるということもあります。業者と癒着してリベートをもらうためではなくて本心から良いと思う楽器を薦める場合を考えてみましょう。

先生も人によって違うのです。
職人が見てちゃんと作られている楽器を高く評価する人もいるし、とにかく結果として音がよく出る楽器を評価する人もいて我々が見て信じられない楽器ばかりを選んでくる人がいます。

それに対して他の楽器より音がよく出てもイメージ通りの音と違えばダメということもあります。雑に弾いても大きな音が出る楽器か自分の意図が反映される楽器なのかということもあります。もともと持っている音色に何とも言えない心地よさを感じることもあります。

どちらを大事に考えている先生なのかによってこちらも対応しなくてはいけないので仕入れをするなら両方のタイプの楽器が必要です。つまり程度の差こそあれ実際にはその両方とも考慮に入れる必要があるということです。実際にさっきまで強い音の楽器を褒めていたのに、繊細な音の楽器を「これも悪くない」という人もいるんです。限られた予算や選択肢で何を優先するかという話になります。


従って楽器の選び方としてはとにかく結果として音が大きい楽器を求める場合はその通りで、弾いてみて音の大きい順に選べば良いということになります。この場合こそ値段やメーカー名や製造国を考慮する必要はありません。


それに対して職人が自分で楽器を作ると理想的なものができます。私の考え方ではまず正確に加工する技能を持っていて、世の中に存在する「良い楽器」というものがどういうものなのかを勉強して知っていく。それと同じようなものを作れば理想的な楽器の出来上がりです。それがパッと弾いて大きな音がするかというとそうではないです。

例えば50~100年くらい経った楽器であれば音は強くなっています。とりあえず音はよく出るなと思うでしょう。しかし非常に癖が強かったり量産品や雑に作られた楽器の音なのです。古い楽器こそ手放しに「古いから良い楽器」と考えずによく音の質をチェックする必要があります。

オールドの高価な楽器でも実は品質や作風、状態にはバラつきがあり、ただでさえ数が少ないのに理想的な楽器というのは少ないです。質を重視する人なら新しく作る楽器のほうが素直で癖のない理想的なものを現実に手に入れられるということがあります。

古いもので理想的なものは高価です。
もちろんネームバリューで異常に高くなっているものに比べれば安いものもあります。

新作の良いところは素性の良い理想的な楽器が手に入るということだと私は思います。パフォーマンスに関してはまだまだです。
職人の腕前と「良い楽器」がどういうものか知っているということが重要だと思います。結果的に鳴ればいいのなら腕前は関係ありません、理由が分からなくても偶然強い音がする楽器を探せばいいのです。精巧に作られていない物なら値段も安いはずです。

雑に弾いても強い音がする楽器を使うことが練習になるのか?と自分は何のために練習するかということも考えてほしいです。

職人としてはまずクオリティの高い楽器、それの古くなったものならさらに良いと考えます。そのような楽器を良いと思う上級者や先生も少なからずいます。

何を使っていいかわからないという初級者なら私が良いと思って作っているものを黙って使って腕を上げれば相当な音は出せると言いたいところなのですが、そんなことを言っていたらよくいる思い込みの激しい職人の一人になってしまいます。私の言うことを鵜呑みにしたらまたウンチクの独り歩きです。

一方で無造作に作ってあるのに音が良い楽器もあるので職人特有の楽器の見方は傾向であっても絶対ではありません。無造作に作ってあって良い音がする楽器は職人の考える理想の「良い楽器」とは何かという点で大いに考えさせられ修正を迫られるもので研究対象として興味深いものです。


修理の続き


特にモダン楽器の場合
①アーチがペッタンコ②板が薄い③古い
とにかく鳴ればいいというのであればこれで十分です。
近代的な美しい楽器でも良いし、そうでなく凝って美しく作ってなくても大丈夫です。このような何でも無いような楽器が意外と音が良かったりするものです。こういう楽器で見事な演奏をする人がいます。
その一方でぷっくらと膨らんだような楽器をうまく弾きこなす人もいます。自分で作っているので言えますがこちらを作るには相当気を使うもので、作っている人自体がまれで良いものを作れる人は現代ではほとんどいないでしょう。それに比べればだれが作ってもできる可能性があるのがペッタンコの楽器です。


量産品を改造することでこのようなものはできます。
問題は改造に手間がかかるのに楽器の値打ちは変わらないことです。改造しても見た目が同じで元の量産楽器の値段でしか売れないのです。量産品の値段にしかならないなら中国製などをそのまま売ったほうが労力が少なく儲けが大きいのです。

中国製を改造しても中国製の量産品にしかなりません。
音が良い楽器が欲しいならもっと高いのを買ってくれというのが業者というものです。




チェロの場合板を薄くする作業は三日ほどかかります。それ以外に表板を開けてバスバーを削り落としてまた新しいものを付け、表板を付け直し、駒や魂柱を新しくする作業が必要です。一週間以上の仕事になり数十万円の仕事になります。古い楽器ならさらに故障個所や消耗している個所の修理が必要です。

新品の楽器を改造するのはコストパフォーマンスでは悪くないように思います。数十万円増しでずっと上等な楽器になるのですから。ただし、木工用ボンドのような強力な接着剤で付けられているので表板を開けるとエッジがボロボロになってしまうという問題があります。それに対して機械の性能が上がっているので昔の量産品ほど悪くないのです。その値段ならしょうがないというのが量産品です。

古い量産品の場合にはそれでも希少なので新品よりは高い値段をつけることができます。壊れた状態であれば、それに修理代を差し引いた値段で買い取ります。そこは見極めが重要で赤字になるような状態の悪いものはタダでも引き取ってはいけません。結局手も付けず場所を取ってしまうだけだからです。


裏板の合わせ目が開いていたので接着しなおします。板は厚みを薄く削った後なので見違えるようにきれいになっています。
Gクランプという専用の道具で5つで1万円くらいするものです。ホームセンターで売っているような一般の消費者向けのものとは値段が全然違います。


上、中央、下と3回に分けて接着しなおしました。一度に全部開けてしまうとてんやわんやになります。上と下は外から見ても空いていることが明らかでしたが、中央は外からみると隙間があるようには見えませんでした。うち側から見ると空いていました。

ボタンの部分は割れていましたので補強します。

パフリングの切れ目のあるところまで一段下げて新しい木を入れます。

接着します。このような修理は意外と手抜き修理のためになされていないものです。やるべきことはわかりきっていますが、きちんとなされているケースは少ないのです。

仕上げるとこのようになって新品の時と同じ強度になります。


表板は厚みを薄くするだけでなく
表面も滑らかに仕上げます。特にバスバーの付けるところがボコボコしているととても作業が難しくなります。

色が白くなっているところは多く削った部分です。厚すぎると言ってもすべてが均等に厚過ぎるというわけではありません。

バスバーは初めはただの棒なので表板のカーブに合わせて削ってぴったり合うようにします。
普通は一日くらいかかりますが5時間かかりませんでした。と言っても工場で量産される楽器に5時間もかけていないでしょう。削っては当ててみて削っては当ててみることを5時間やっているというと気が遠くなると思うかもしれません。集中しているとすぐに過ぎてしまいます。職人の仕事をしていると一日が過ぎるのが速いです。
たった5時間集中が続かない人は職人に向いていません。

クランプは弱い力で締めるのが肝心でギュウギュウやると表板にめり込みます。弱い力で多くのクランプで付けるほうがベターです。理屈から言うと完全にバスバーを加工できた場合、両端に一つずつでぴったりつくはずです。そのように加工するのが理想です。現実は安全第一に行きましょう。


ネックを入れ直すので表板の切り込みも埋めなおします。こういうのは細かい仕事ですが完璧に接着するのは結構大変です。ネックを入れるときにボロボロ取れてきてしまいます。

接着ができたので上を加工します。



ブロックを新しくします。量産品なのでとにかく質の良いものを付けます。由緒ある楽器なら木目もオリジナルに近いものを選びます。
横板は枠を取り付けて形がゆがまないようにします。

面を合わせます。精巧に作られている楽器なら表板と裏板の形が同じなので理屈通り行けるのですが安価な楽器は難しいです。

接着は固定が肝心でかなり物々しい感じに見えます。DIYなどをやっている人は参考にしてください。

ネックを入れ直すので横板も足します。
もちろん無理やりクランプで締め付けるのは良くありません。接着面同士が力をかけなくてもぴったり合っているのが大事です。しかし薄い板の場合には接着のにかわで濡れるとゆがんで来るのでしっかりと止める必要があるのです。

このようなクランプはドイツ製で一つ4000円くらいします。こういうものは日本では売っていません。日本は工業国のようでいて固定する道具というのは意外と整っていないのです。

薄いものは接着の時にゆがんでしまうので厚めの板を張り合わせてから薄く削ります。従来のネックはだいぶ斜めについていたようなので埋めなおすことで正しく取り付けることができます。

四角い状態でくっつけるのはクランプで固定しやすいからです。角を落とします。

当たり前のように加工してこれです。当時のフランスの流儀ではこのように角を丸くするのがよく見られます。由緒のある楽器ならオリジナルと同じにするのがセオリーです。この楽器の場合には初めにすでに雑に交換されていました。

オリジナルのブロックはこのようなものでした。

これを再現してもしょうがないでしょう。

裏板の合わせ目は再び木片で補強しました。過去の修理で付けられていたものよりは薄いものです。

以前は隙間が空いていて木片で強度を持たせようというものでした。接着をし直したことで隙間は無くなりました。しかしウィークポイントであることには変わりないので力が集中しないように補強する必要があります。隙間なく接着し、薄い木片で補強したことで振動の伝達も有利になったことでしょう。

表板も上の方は合わせ目に不安があったので接着しなおし補強しています。f字孔の横の割れも補強しました。ここは表板を開けずに木片を付けてありました。最近の修理でしょうが当然ぴったりついてはいませんでした。

これで表板を締めれば胴体の出来上がりですが・・・・

表板が開いている状態ならエッジの損傷を直すのも簡単なのです。
今回の修理は時間が限られているので時間との闘いです。

こちらもです。

まだまだ続きます



表板を接着します。このようなクランプはセットで7万円もします。アマチュアで楽器製作をするより楽器を買ったほうが安いのです。

軸は鉄でできていて重いので持って帰ってくるのが大変でした。すべては持ってこないで2度に分けて接着しました。

チェロらしくなりました。

ネックは下にも横にも板を足します。これだけ材料を張り付けてもサイドは最終的には厚い所でも1mm以下まで削りますが、0.5mm足りないとネックがぴったりつきません。
駒を高くしてパワーアップしても音を鋭くしないためには根元を高くするのです。下に足してあるのはそのためです。当然下に行くほど狭くなっているので長さを足すだけでは裏板のボタンと合わなくなります。両サイドも足すことでボタンを損なわずに済みます。と言っても1mmにも満たない話です。

ここはちょっと複雑な修理でした。時間を見ながらできそうだったので直しました。

こういうところもやり始めたらきりがないです。

表板のコーナーも傷みの激しい2か所は時間がありそうだったので直しました。反対側は過去の修理で直されていましたが、およそフランの楽器には見えない物でした。こちらも過去に修理歴がありさらにその上に直すので難しかったです。だいぶフランス風になりました。全くこんなことも分かっていない職人がほとんどなのです。

ネックを取り付けるとさらにチェロらしくなります。指板も削りなおす必要がありました。これを売った業者は相手が素人でクレームがなければお構いなしというくらいだったのでしょう。
指板は過去に交換されていて当初はC線のところだけ平らになっているものだったのでしょう。スチール弦の現代にはメリットが無いので前の修理で丸く削ってありましたが、上手く削ってあるとはいえませんでした。今後もアマチュアなら5~10年に一度くらいは削りなおす必要があるでしょうがこの厚みなら20年くらいは大丈夫でしょう。

ニスをクリーニングして傷なども補修しました。新しい木を取り付けたところも十分補修できました。机の上にはクレンザーの「ジフ」があります。ニスのクリーニングに使いました。私がいつも使っているものよりもきめの細かなものでさすがに日本で売っている製品なだけはあります。外国のもののほうが荒いです。このニスはラッカーのようなものだと思います。硬くて丈夫なものでクレンザーのようなものでガシガシ擦っても大丈夫です。ものによって違うので楽器ごとに対応は変えなくてはいけません。日本のクレンザーは弱すぎるくらいです。整髪料でも日本のものはスーパーハードなどと言っても弱すぎます。外国のものはカチカチになります。そういうところは日本らしいなと思います。楽器の音についてもやはり日本人のほうがデリケートでこっちの人の方は耳を突き破りそうなひどい音でも平気で弾いています。私の作る楽器も日本人向きだと思います。


皆さんも量産品ならジフでごしごしやってポリッシュ液で磨けば大丈夫です。

ラッカーだろうということでラッカー薄め液をホームセンターで買ってきました。エタノールにこれを加えて布を湿らせて磨くと光沢が出ます。これは訓練が必要で一般の人がやるべきものではありません。天然樹脂でアルコールに溶けるものならアルコールだけで十分ですが、ダメだったのでホームセンターに急ぎました。

フランスの楽器でラッカーが使われているということは量産品であるということの証であるとともに時代もそんなに古いものではないということになります。いつからラッカーになったかははっきりわかりません。
我々やストラディバリの時のように自分でニスを作っていた時代は天然の樹脂と乾性油を使って鍋を加熱して作っていました。19世紀にはコパールなどの天然樹脂のニスを工業的に大量生産していたようです。フランスの楽器のニスが酷似しているのもニス製造業者があったのだろうと推測しています。

それに代わるラッカーはセルロイドに近いもので初期のプラスチックです。天然樹脂よりも強度が高くコストも安いので広く使われるようになりました。戦後は石油から作った合成ゴムのような樹脂が使われるようになってきます。

今でもラッカーは日本ではよく使われるようですね、溶剤はシンナーというものです。日本の改装中のビルを訪れたときにすごい臭いがしていました。

プラモデルにも使いますが、ヨーロッパでは子供に有毒なものを使わせないためか売らていません。ホームセンターでもありません。

このチェロは一目でわかりますが、ラッカーが使われていることもあって量産品であることは間違いないでしょう。

この楽器を売った業者はオリジナルに手を加えるべきではないという謎の主張からニスの汚れを取ることもしない方が良いと言っていたそうです。単に手持ちの楽器にコストをかけたくないだけでしょう。楽器商なら職人に頼んでクリーニングや補修をやってもらわなくてはいけないからです。

100年くらい経っているチェロなので私が初めて手を入れるわけではありません。過去に何度も手が加わっています。何かが塗ってあるように思います。


魂柱ももちろん新しくして駒も新しくします。ネックの角度が変わっているからです。
弦を張ればひとまず完成です。

これくらい綺麗にしてから売るべきだと思いますが。

弦は以前張ってあったものをそのまま張りました。それまでのチェロでお気に入りの弦だったわけですが、修理後も最善とは限りません。ひとまず同じ弦で試してみてそれから考えれば良いでしょう。
ちなみにCとGがピラストロのパーマネント・ソロイスト、DとAがピラストロのエヴァ・ピラッツィ・ゴールドです。

テールピースはプラスチックのもので、木製のものはとても高価で高級感がありますが、アジャスターの機能や耐久性に不安があります、とりあえずこれで大丈夫です。チェロの場合にはスチール弦を使うのですべての弦にアジャスターが必要なのです。

改めて完成した姿


こうやって見ると中のブロックが荒く加工されていたのが嘘のように立派なチェロに見えます。このようにフランスの楽器製作は全体的にレベルが高いために量産品でもこれだけのクオリティがあるのです。

f字孔も現在の量産品はやたらに大きいものが多いと思います。そういう意味では品が良いと思います。左のコーナーは修理したところですがニスの補修も間に合ってやれやれです。

裏板は木目も良いものですが輪郭の形がきれいです。おそらく外枠を使っているので輪郭がきれいにできるのがフランスの楽器の特徴です。一流の楽器でもそうです。
外枠は同じ形のものを完璧に作るのに適したものです。
このチェロもストラド型で、フランスのモダンチェロは皆ストラド型です。その中でも丸みがきれいなカーブになっています。フランスの楽器でも後の時代のものです。これは平面の写真だけならハンドメイドの楽器と見分けがつかないレベルです。ネットとかで買うと騙されるやつです。古く見えるように多少塗り分けているように見えます。

コーナーやパフリングの雰囲気が完全にフランス風です。
続けてどうぞ


今の職人ではこの感じはほとんどの人は出せません。ドイツの量産品でもそうです。なぜかと言うと意識しておらず理解していないからです。

フランスの楽器のニセモノも結構あります。楽器商が見ても分からないくらいなので皆さんには難しいかもしれません。


スクロールは一発で量産品だとわかります。フランスの楽器にしては完成度が高くありません。「手作り感のある」イタリアのものと比べたらそんなに落ちるようにも思いませんし、現代の職人でもそうです。


一番下の部分はドイツやチェコのものと違います。いずれ紹介しましょう。

きれいなものではないですが、ドイツやチェコの渦巻きだけを専門に作っていた人のものとは違う感じがします。

ボタンは損傷は受けていますが補強してあるので強度は大丈夫です。
裏板の合わせ目もずっと良くなっています。

明らかな隙間は無くなっています。裏板の上の部分はニスの表面に細かな穴があってブツブツになっています。何か高温にさらされて溶剤が蒸発して気泡ができたためだと思います。楽器全体に生じておらずそこだけなので誰かが熱くしたのでしょう。修理などで暖めてうっかりやってしまったのかもしれません。それも下手な修理です。
時間の関係もあって完全には直せませんでしたが特定の角度で見ない限りわかりませんから元よりはよくなっていると思います。


以前はこうでしたから、ひどかったものです。

さっきのこの部分も

このようになりました。これは私ならではの修理です。短時間に簡単にやってもこの通りです。


アーチはペタッとしたもので一流のフランスの楽器のような造形センスにあふれるエレガントなものではありません。しかし最近のプログラムに通りに機械で作ったものは視覚を無視して作られているのでそれに比べると面自体はきれいです。カンナのような道具はデコボコをならす機能がありますが、回転式の工作機械にはそれがありません。

ペタッとしているのであれだけ苦労して内側を削っていたのにプレスに見えます。


品質管理の点では表面がデコボコなく仕上がっているのは高品質ということになります。現代の量産品ではこうはいきません。しかししなだらかすぎてプレスのように見えます。フランスの楽器でも一流の作者のものはもっと造形センスがありますし、オールドのイタリアの楽器であればもっと人が作った感じがします。ストラディバリなんて本当にきれいなカーブをしています。

皆さんが気になるのは音は次回

この修理には120時間かかりました。帰国前に用意していった分、作業場の構築も入れればもっと時間がかかっています。期限が限られていたので気が気ではありませんでした。

自動車などの修理なら一時間の工賃が1万円くらいするものです。そう考えると100万円超えます。ただ整備工場を維持する費用が含まれていますからそこまでは頂いていませんが、いかに工房の維持費を抑えることが重要かということが分かると思います。自動車のディーラーが多くの営業や事務員を抱えるように都心の弦楽器店なら維持費も相当になるでしょう。修理代金は会社の売り上げであって雇われ職人に支払われるのはそのうちの僅かということになります。
一方で楽器の売買ではやりようによっては桁違いに儲けることができるので職人に払う給料なんてのは問題にならないという会社もあるでしょう。「サービス」と考えているところもあります。営業上がりの経営者がサービスと考えるのも事の重大さを理解していないように思います。この楽器を売った人と同じです。

記事のボリュームが多くなってしまったので音について持ち主から報告を次回掲載したいと思います。お楽しみに。


ミルクールのチェロの問題点を見ていきましょう。100年前のチェロにしては状態は良い方です。もっとひどいものはたくさんあります。それでも多くの問題があります。

こんにちはガリッポです。

19世紀のフランスの楽器が一目置かれる存在であることはヨーロッパでは当たり前の事ですが現代の楽器製作の基本であるために我々は避けて通れない存在です。
先日もブランシャー(Blanchard)のヴァイオリンを上級者の人に弾いてもらいましたが目が覚めるような力強い音で優れたものだと認めないわけにはいきません。音は暗めで強い鋭い音ですから、低音もカラッと枯れた音です。高音は柔らかいというものではありません。フランスの楽器が全てそうだというわけではありませんが他にもそのような性格のものはあります。

見た目は遠目からでもフランスの一流の楽器とすぐに分かるもので、独特の雰囲気があります。精巧な加工と独特なニス、100年以上程度経っている古さも独特な雰囲気の根源です。

まともに行ったら新作ではかなわないでしょう。
フランスの楽器のコピーを作っても新作の中では優れたものになりますが、本当のフランスの楽器にかなうはずもありません。
新作を買うということはそれとは違う魅力を求めるということにもなります。

そう思っていましたが、今となってはフランスの楽器も高くなってしまいました。特にチェロは800万円くらいで高価だなあと思っていたのが今では1000万円では無理です。

特にヴィヨームのようなビッグネームは急激に上がっています。これも投機のターゲットになっていると思われます。ヴィヨームは本人が作っていたのは初期だけですから他の職人を下請けに使っていたのでしょう。彼らの楽器なら同じものでもずっと安いです。

弦楽器のことをかじり始めるとイタリアのものが最高だというところから始まって現代のマエストロのウンチクを鵜呑みにします。鵜呑みにするからウンチクというのですが。入門レベルの知識が一番確からしく思えるので一生それを信じて終わる人も多いでしょう。
それも東京などでは多くの人が持っているとなるともう少し古い時代のイタリアの作者の方に行くわけですが、平凡な楽器の値段が高いだけですね。

さらに詳しくなるとヴィヨームがストラディバリの精巧な複製を作ったというところまで行きます。それで値段が上がっているのでしょうが私にはフランスの楽器にしか見えません。
それは決して悪く言っているのではなくてフランスの楽器がそもそもとても優れていてヴィヨームもその一つであるということです。


フランス以外でもフランスで修業したような職人の楽器は性能面では遜色なく値段はずっと安くなるので、以前紹介したデンマークのヨルトのほかドイツのノイナーやゲルトナー、ハンガリーのユングマンなどはお買い得です。すぐに売れてしまいます。

そのように私のイメージではフランスに作風が近いほど音響的にも優れているという感じがします。

現代ではそれらの製法も忘れられてきています。オールドの製法が失われただけでなくモダンも失われてきています。
日本人の職人であれば当然伝統は無いわけですからヨーロッパに渡って修行した人たちがヨーロッパの現代の楽器製作の手法を伝えました。この時にはすでにフランスの教えは希薄になっているのです。

関東ではドイツのミッテンバルトで修業した人が職人を育成してきました。ミッテンバルトもヴィヨームの弟子であるルドビッヒ・ノイナーによってある時期急にフランス風の楽器製作に切り替わったのですが、ミッテンバルトのモダン楽器を見てもフランスでは無くてミッテンバルトの楽器に見えます。もちろんクロッツ家のようなオールドとは全く違い「フランス風」であることははっきりわかります。でもミッテンバルトなのです。

日本に入ってきたころにはすっかりフランス風ではなくなっています。とくに有名なのはヨゼフ・カントゥーシャという人で日本人の弟子を何人も育てています。カントゥーシャという人は理論家で過去の楽器には全く興味が無かったようです。そのため自分の楽器の音がどれくらいのレベルか分かっていなかったようです。ミッテンバルトは田舎ということもあって優れた楽器を見る機会もない事が問題なのだそうです。

>>入門レベルの知識が一番確からしく思えるので一生それを信じて終わる人も多いでしょう。
先ほどの話ですが職人もそうです。初めて教わった知識が一番確かに思えるものです。そうやって師匠から弟子へと鵜呑みした入門レベルの知識が伝えらえ信じられていくのです。



その後はクレモナに修行に行く人も増えました。
クレモナは楽器製作が途絶えていて、20世紀はじめにはハンガリー人の職人がいるだけだったそうです。そこで他のイタリアの地域から先生を招いて工業高校でヴァイオリン製作を教えることになりました。その時の初期の生徒が一番古株として日本で巨匠とされています。当然後の世代でも同等やそれ以上の職人がたくさん生まれています。スポーツでもそうですが若い世代がどんどん記録を更新していきます。


このような状況で修業すると職人ももはやフランスの楽器について知ることもありませんし、それが優れたものであることも知りません。修理しても気にも留めないのです。特に日本で就職すれば「イタリアの楽器が買えなくてしょうがなく買うもの」と思い込まされるので初めから尊敬の目を持って見ることもないでしょう。

それに対して私は一目見た瞬間にその精巧さにびっくりしたものです。ストラディバリもびっくりしましたがまたそれとは別の驚きです。
19世紀のフランスのモダン楽器もクレモナのオールド楽器も我々が教わって作ったものとは違うのです。そんなことなにも気にせずに生涯を終える職人が多い中私にとっては大きな問題です、そのような素晴らしいものがこの世に存在するのに無視して生きるわけにはいきません。オールドのイタリアの楽器、モダンのフランスの楽器というのは今でも私の頭の中の世界で重要なランドマークとなっています。それらに対して自分はどういうものを作るかと考えるのです。

こうなると自惚れて自分の作るものを過大評価することもなくなるのです。それに対して稚拙なものを作っているのに自分の楽器を自画自賛して最高だと思っている人は後を絶ちません。


古いものと新しいものとどちらが優れているかという議論はありますが、私は過去のものと比べられないのならはるかに低いレベルでもそれが新しいというだけで優れたものだと考えられてしまうと思います。

「後の時代に生まれてきた人が作った」というだけで自動的に優れたものになるのならそれも次の世代によって価値は無くなります。

一方で神聖視されすぎるのも問題です。
ただ単に無造作に作られたものを「すべてを知り尽くした天才が計算し尽くして作ったに違いない」と考えるのはばかげています。
チェロなんかはだいたいチェロくらいの大きさで深く考えずに普通に作ったものなら200~300年もすれば世界中の名演奏家がこぞって欲しがるものになります。

私からすれば自分勝手なイメージで見ることで冒とくしているようなものです。
オールド楽器にはとてもバラつきがあり特別なこだわりのない人にはモダン楽器のほうが優れているとさえ思います。「同じ予算で買える楽器の場合」となるとさらに複雑化します。

古いものと比べられるということはそれだけ厳しい目で見られるということでそのジャンルは成熟していると思います。初めからどちらかを排除せずに古いものと新しいものの両方を知った上で議論されることが重要です。それが古い名品と並ぶものなのか、過去とは違う方向を目指したものなのか、いずれにしても過去に数えきれない人が同じような試みをしてきたのにそれを「新しい発想」と勘違いするようなのは単なる無知です。無知ほど自信に満ちることができますから、入門レベルのウンチクを鵜呑みにした人が雄弁に語っていることでしょう。

19世紀以降にはいろいろな「音を改善する」工夫が行われました。
しかし実際には地理的に離れたいずれの産地の楽器にも「よく鳴る楽器」があり、普通に作ってあるだけで十分ということを経験しています。変な工夫がされている楽器は今では売り物にしずらいものがあります。

「音を画期的に良くする方法」というのは弦楽器を知らないメディアに取り上げられることもあり理系趣味の人たちは案の定飛びつきます。未来の人から見れば「余計な事をしなければ良い音になったのにもったいない」と思われるでしょう。



問題のチェロ




これを見ただけでもミルクールのチェロだとわかります。それくらい特徴があります。

アーチはペタッとしたフラットなものでプレスなのか削り出しなのかも見ただけではわかりません。フラットなのでプレスっぽく見えます。プレスのミルクールの楽器を見たときの印象が思い起こされるからですが、当時としてはプレスでも削りだしの楽器に見えるように努力したのでそんなに見た目に違いが無いものができたのでしょう。

ボタンは割れていました。これはネックごと外れてボタンもろともちぎれたということです。ボタンだけでネックを支えているわけではなくて全体に力が分散しています。ボタンもその一つです。例えばネックが横方向に力がかかった場合にはネックが胴体から外れるのを防ぐ働きはかなりあると思います。

しかしネックが胴体にきちんと接着されていなければ胴体から外れたときにボタンだけでは耐えられずに一緒に壊れてしまうのです。

この状態ではただ接着しただけなので強度が全くありません。

裏板の合わせ目が黒くなっています。隙間があるからです。私はカンナの調整がいかに重要かということを言って来ていますが、チェロでは多くの場合、合わせ目に問題を抱えています。その後の修理にも問題がありました。過去には裏板を開けて修理をした形跡があります。

表板を開けてみると合わせ目はとても多くの木片で補強されています。隙間が空いているので接着はあきらめて木片で強度を持たせようという発想でしょう。修理は荒いです。

製造時のブロックの加工は荒いものです。

木の繊維の向きに沿って割れたままになっています。繊維が真っ直ぐになるように木を取っていないことも原因ですが自然のものなので完全に真っ直ぐにはなりません。その場合は薄く削ることによって割れを防ぐことができます。一気に厚く削ろうとすれば繊維にそってぱっくりと割れてしまいます。切れ味の悪い刃物で一気に刃を入れたら割れてしまったということですが、そんなことはお構いなくというものです。こんなのはフランスの一級品では考えられません。使用しているブロックの材質も荒いものです。

他の部分も同様です。これも割れて一部が無くなってしまって横板が顔を出しています。材質は先ほどと違い柳です。場所によってスプルースと柳が混在しています。私はこのようなもの始めて見ました。部品ごとに荒加工したものを取り付けたのでしょうがその時に異なる材質のものが混ざっているのです。

別の角度で見てもいかに仕事が粗いかということが分かります。

こちらも加工の粗さが分かります。現代では機械で加工されているので中級品なら均一には加工されています。
このようなものは中国製の一番安い楽器に見られるものです。

これはまずいです。上部ブロックが割れています。ネックはグラグラとして固定されていませんでした。音響面でもエネルギーのロスになります。調弦が狂う原因にもなりますが、放置すればちょっとした衝撃で大破する可能性があります。

ネックは木の棒を釘のようにして留めてありました。ブロックが割れてネックが外れたときにおそらく穴をあけて棒で留めたのでしょう。


どうせ割れているのでブロックを破壊してネックを取り外しました。おそらく過去の修理ではオリジナルのブロックを途中まで削り落としてその上に新しいブロックを取り付けたようですが、全く接着面があっていません。

ネックとブロックの間にも隙間があり木の棒で留まっているだけでした。

これまでで修理の必要性は
・裏板の合わせ目を接着しなおす
・上部のブロックを新しいものにする
・裏板のボタンを補強する
・ネックを入れ直す
というものです、さらに


バスバーも古く朽ちたものであり、仕事のタッチもブロックなどと同様に荒いものです。




バスバーと表板の境目が黒い線に見えるのは隙間が空いているからです。きちんと加工されていない証拠です。

中央の高さは18mmほどで現在では23mm位が標準ですから現代のスチール弦に対しては弱すぎるでしょう。

このようなバスバーを「オリジナルだから変えるべきではない」とこのチェロを売った業者は言っていたそうです。私なら1~2時間で同じレベルの仕事ができるでしょう。しかし楽器商は現代の職人には到底まねでできない高度な技術だと考えているようです。

というわけでバスバーも交換した方が良いでしょう。特に今回耳障りな金属的な高音になっていますがバスバーの交換でこれが和らぐことは多く経験しています。新品の量産チェロでもバスバーを私が付けるとギャーという鳴り方が落ち着きます。

バスバーの交換とネックの角度を正しくつけ直すことで楽器をベストの状態にすることができます。さらに損傷を受けている部分、接着の開いているところを直せばエネルギーのロスを無くせるでしょう。

100年も経っている楽器なら無傷のように見えてもこのようなオーバーホールをすることで楽器が健康な状態になります。楽器を売るとしたらこの状態にしてから売るべきです。販売店を職人ではなく商人が取り仕切っているならそのような事には興味がないでしょう。職人でもお金のことしか考えていない人もいます。

板の厚み

以上の修理でも楽器の持っている能力は発揮されるようになるでしょうが、これが雑に作られた量産楽器であることを考えると製造時の問題も改造してあげることで上等な楽器に近づけることができるでしょう。

特に大きな問題点は板の厚みです。量産楽器では作業時間を短縮するために板の厚みを薄くする作業を途中でやめてしまいます。その結果板の厚い楽器が作られます。現在では機械で加工するので機械にプログラムすればどのような厚さにもできますが、かつては手作業で行っていたので板を薄くするほど時間がかかったのです。時間がかかるほど能率が下がりコストになります。

ハンドメイドの楽器でも急いで作ったものは板が厚くなります。飽きっぽいせっかちな性格の人もそうです。代々楽器製造法が受け継がれていく中でせっかちな人が含まれていれば板は厚くなってしまいます。90%完成していればいいやと皆が考えれば世代を重ねるごとにだんだん板は厚くなっていきます。クレモナでも1600年代のものは特に薄く1750年頃になると厚くなっていく傾向があります。フランスでも1800年ごろは薄かったのが20世紀になると厚くなっています。それがドイツに伝わるとさらに厚くなっています。

板が厚ければ明るい音となりいわゆる新作っぽい音ということになりますが、明るい音の楽器が欲しいならドイツの楽器にも注目すると良いでしょう。最初に言った関東の職人もドイツの流派の人が多いので明るい音がするものが多いはずです。


我々も板を薄くすることは不安になります。楽器が変形したり割れたりしないか、失敗して削りすぎてしまわないか心配になってしまいます。特に日本の気候は湿気があるのでヨーロッパより危険が多いと言えます。厚い方が良いという理論が出回れば渡りに船です。


ただしヴァイオリンの場合は小さいので仕事が雑な人が薄く削りすぎてしまうことがあります。そのため大胆な作風の楽器でもみな厚すぎるということもありません。一か所だけ不用意に大穴を開けてしまいごまかすために他も薄くするケースもあります。そのため必ずしも雑な楽器の板が厚いというわけではありません。しかし古い量産品チェロの裏板では確実に厚いものが多いです。
ヴァイオリンの場合には明るい音が好きという人もいてもおかしくありませんが、ビオラやチェロになるとずっと少なくなるはずです。


ともかく多少厚くても薄くてもそれは音の好みの問題ですが、厚すぎる場合には問題になります
この楽器もやはり厚すぎるものでドイツやチェコの量産品と全く変わりません。そのためこのようなミルクールの楽器を試してもそれを「フランスの楽器の音」と考えてはいけません。フランスの一流のチェロとは全く違うクオリティのものであり、これは単なる量産品の音と考えるべきです。この音でフランスの楽器の音としてしまうことは音痴な一人の歌手を見てその国の人を全員音痴だと思うようなものです。

逆もしかりです。
陸上短距離選手のトップがみな黒人だとしても運動音痴の黒人もいるのです。

フランスで作られたとしても十分な品質が無ければ一流のフランス楽器と同じ音の傾向を備えていることにはなりません。特にフランスの楽器の場合には一流の職人によるハンドメイドの楽器は極めて高いクオリティで作られています。その品質に達していなければ他の国の職人のものと変わりません。
そのためフランスでも2流の楽器ならイタリア製のものでもハンガリー製のものでも違いがありません。


削っていくわけですが柄が長いノミは横板が邪魔になって使えないのです。裏板を外さないと作業はやりにくいのですが修理もあまり大掛かりしてはお金がかかりすぎていしまいます。偉そうに言っている私でさえ削る作業は途中で嫌になってきました。豆カンナのようなものでは本人の努力に比べるとわずかにしか板が薄くなりません。ノミで彫らないと厚みをしっかり出せないのです。ノミを使いこなせていないことも厚い板の楽器が作られる原因です。ノミはフリーハンドの道具なので穴をあけてしまわないか心配になるものです。ビビッてカンナを多用すると厚い板の楽器が出来上がります。

近現代の楽器製作では表面をデコボコなく滑らかに仕上げることを良しと考えているためノミを大胆に使って形を削りだすというのは現代の人たちは苦手です。苦手意識からカンナを多用します。カンナを多用するとアーチは特徴が無くなり板を薄くするのが大変になります。これが現代の楽器の特徴です。




表板は木の表面から変色していきます。深いところほど色が白いので多く削ったところは白く見えます。表板の半分から下は駒の来る中央と下の端はあまり削っていません。その間を薄くしました。ここは多くの量産品で厚すぎることが多い場所です。

思ったよりも板は厚くてちょっと薄くするという程度では済みませんでした。このようなことからしてもこの楽器はプレスではなくて削り出しによるものだと思います。プレスの場合にはあまり急なカーブは作れない事、あまり厚いものは曲げられない事、ペラペラで強度が無いのに対してこれは表板を外しても狂いが無くしっかりしていることなどからおそらくプレスではないと思います。繊維の向きなども見分けるポイントですがよくわかりませんでした。

数字で確認


まずは裏板の厚さです。

左が修理前、右が修理後です。見れば当然薄くなっていますが上側の中央は6.3mmが3.7mmになっています。40%以上薄くなっていますから強度に違いが無いはずはありません。その二つ下は8.0mmが5.0mmになっています。37.5%薄くなっています。逆に中心は9.8mmが8.6mm になっているので薄くはなっていますが12%しか薄くなっていません。裏板は魂柱を受ける中央付近はしっかりとした厚さが必要でそれ以外は強度はあまり必要が無いのでごっそり薄くしてしまうのがフランス的な考え方です。薄いところでは3.5mmを切るところもありますが力が集中するところではありません。したがって均等に中心から外側に向かって板が薄くなっていくわけではありません。私は多くの楽器で実験したり古い楽器を調べた結果このような方法は深い低音を出すのに有利な方法だと理解しました。普通弦楽器について書いてある本だと「中央は厚く端に行くにしたがって薄るする」と書かれています。このような浅い知識を真に受けて作られることも多いです。

今度は表板です。同様に上側の中央が6.5mm のところが3.9mmで40%薄くなっています。コーナーから上の部分とf字孔の周辺より下の部分で5mmを超えるというのは厚すぎます。今回特に暗い音という希望があったので4mm以下の部分が多くなっています。3.5mm程度までなら薄くしても大丈夫でしょう。板自体は堅さがあって同じくらいの年代の他のチェロに比べてもしっかりしています。柔らかい木なら4mm以上する場合もあります。中央は駒が来るところであまり薄くしたくないので6.4mm を5.8mmにして10%以内に留めています。表板も駒の来るf字孔の間のところを厚くしてそれ以外はスッと薄くしています。ここでも規則的に徐々に周辺に行くにしたがって薄くするというものではありません。フランスの楽器には表板の厚さがどこも同じものがありますが、古い楽器を修理していると魂柱やバスバーのところに割れがあったりしてf字孔の間はもう少し厚い方が長持ちしそうな感じがします。厳密にフランスの一流のものと違ってもバランスが取れていれば大丈夫だと思います。
以前紹介した1906年製のフランスのヴァイオリンでは中央は少し厚くなっていました。
https://ameblo.jp/idealtone/entry-12273288930.html

詳しくはよく見てください。測定には誤差がありミドルバウツのエッジ付近では修理後のほうが厚くなっているところがありますが、測る地点が少しでもずれると急に厚みが変わる部分です。広いところはそうでもないのですが急なところは誤差が多くなります。

裏表ともにエッジ付近を1mm程度薄くしています。量産品では端の方まで仕上げていないことがあり厚くなっていることがあります。現在の楽器にも多いものでサッコーニの本にはここを厚くするように書かれていますが、新作らしい明るい音になります。

この結果は私の経験では特別薄いということもありません。楽器自体が100年くらい経っているので新品よりは落ち着いた音になるであろうと思うからです。
私のイメージではごくオーソドックスな普通の厚さで、フランス的な考え方によるものです。1900年頃のフランスのものはこんな感じだというイメージです。

特にチェロの場合0.1mmまでこだわっても意味がありません。全体的にザックリと厚みが出ている必要があります。それでも左右の対称性などはおおむねできています。厚みにムラが大きいと濁ったような音になると考えています。安価な量産品ではアーチのカーブが不規則だったり厚みのムラが大きかったりして、音程とは関係のない雑音が多いケースがよくあります。

また板が薄いものは響きが抑えられ澄んだクリアーな音になります。

そのため楽器によって音程がずれて演奏した場合にすぐに合っていないなとわかるものとそうでないものがあります。子供用の小さな楽器ほど音程は分かりにくいものです。耳がすごく良い人にとってはどちらでも構わないのかもしれませんが一般の人には音程が取れているかわかりやすいのはうれしい反面、失敗がはっきり出るので厳しくもあります。

修理は続きます

フランスの一流の楽器は人類の歴史上最も精巧に美しく作られたものです。現在のわれわれでも同じレベルのものを作れと言われれば自信がありません。フランスの場合には腕の良い職人だけが選別され一人前になることが許されたからです。それ以外の時代や地域で腕の良い職人だけが選抜されるということはありません。特に現在では自由な社会なので腕の悪い職人に楽器製作を止めさせることはできません。演奏であれば音大受験などもあるかもしれませんが楽器製作ではそのような選抜が行われることはありません。ドイツのマイスター試験でもヘタな職人がたくさん合格しています。

そのためフランスの19世紀のように高い水準の楽器が安定して作られることは無くなりました。ヴィヨームの工房では相当な量の楽器が製作されましたがその水準はとても高いものです。日本のヤマハのような会社でも及びません。日本人の優秀な職人を組織すればそれに対抗できるかもしれませんがそのような動きはありません。

一方でフランスの楽器は画一的でどれも同じように見えます。現代の楽器がどれも似たようなものである根源もフランスにあります。

しかしながら上等なフランスの楽器は出回っている楽器の中では珍しいものであり、チェロはとても希少です。安定して高い水準で作られたチェロというのは非常に希少です。

それに対してミルクールの量産品はただの量産品です。一流の楽器に比べるとクオリティははるかに落ちるものです。ただし、一流の楽器のクオリティが非常に高いので落ちるとは言ってもほかの国の楽器に比べると外見はきれいに見えます。一流のフランスの楽器を知らなければそれはクオリティの低いものに見えないかもしれません。他の国ならハンドメイドの高級品に匹敵するレベルです。特にイタリアの楽器・・・。

しかしながら今回のものでは中身は雑な仕事であるため、ドイツやチェコのものと何ら変わりはありません。

また現代の機械で作られたチェロはずっと優秀になっていて当たり前のように音が出ます。状態の悪かったり品質や設計に問題のある古い量産品に比べればはるかに問題がありません。

修理の結果どうなったかは次回です。お楽しみに。
日本でのチェロの修理のお話です。
同様のことはチェロに限らず古い楽器を買う場合に直面することです。
今回は特に日本で実際に起きたケースについて見ていきましょう。

こんにちはガリッポです。

まずは続報から

この前紹介したブッフシュテッターのヴァイオリンですがもう買い手が決まってしまいました。


オールド楽器の実際~ブッフシュテッターの修理~ その1
オールド楽器の実際~ブッフシュテッターの修理~ その2
オールド楽器の実際~ブッフシュテッターの修理~ その3

イタリアのオールド楽器より安いとはいえ450万円ですから相当な金額にもかかわらずです。音大の先生なので楽器のレベルにふさわしいと思います。一か月ほど弾きこんで決断されたので音は間違いないということでしょう。

演奏者にとってもとても良いオールドヴァイオリンで、楽器にとっても存分に力を発揮させてもらえるという幸運な結果となりました。
他にもコレクターの方で欲しいという方もいましたが、しまっておくだけというのはあまり幸運とは言えません。

日本とは全く違う価値の世界があるということをぜひ知ってもらいたいです。


さらに学生さんも気に入った方がいましたがさすがに金額が高すぎるということで私がコピーを作るという話が進んでいます。ブッフシュテッターは1750年頃にはストラディバリのロングパターンと呼ばれる細長いモデルのコピーを作っていました。そこで私がストラディバリのロングパターンのコピーを作るというものです。ブッフシュテッターの何番煎じかわかりませんが同じ試みをしようというわけです。

彼を小さい時から知っていますが今はすっかり長身になりました。ロングパターンは胴体が長いので日本人には不向きなのですが彼には全く問題ないです。

前回話したような内容も現実の楽器選びの話なのです。

ロングパターンのコピーは作ったことがないので興味深いですね。彼もロングパターンにこだわる必要もないのでしょうが依頼とあれば断る理由もありません。ストラディバリは1700年以降の黄金期が最高だという常識に縛られています。現代の楽器製作は消去法で常識に比べて変わっているものは作らないという時代ですから違うものを作れば彼にとっても特別な楽器となるでしょう。厳密に言うと彼や両親はどのモデルにすべきかということをよく理解していないと思います。でもそれくらい適当にモデルを選んでも音が悪くなるなんてことは無いと思います。それくらい自由で良いと思います。

私にとっても早い時期のストラディバリにはアマティ的な雰囲気が残っているのでそれがどう変化していくのか興味深いところです。「黄金期のストラディバリ」という正解だけを知るのではなくて過程を知ると理解は深まっていくことでしょう。


チェロのお話

ヴァイオリンに比べると良いチェロを探すのはとても難しいことです。勤め先はチェロのお客さんが多い工房ですが、ヴァイオリンに比べると上質なものはとても珍しいです。

チェロを作るというのはトンネルをハンマーとタガネだけで掘っていくような仕事です。昔はトンネルや鉱山を掘るのに手彫りで掘っていたのですがさすがに今ではそんなこともなくなったでしょう。

チェロも同じで機械で作られるようになりました。そのようなチェロはお店に行けばたくさん売られています。合理的でコストパフォーマンスに優れたものです。
大量生産品としてバカにする人もいるかもしれませんが、昔の量産品と違い品質は著しく上昇しています。機械の性能が上がっているからで大きな楽器ほど機械で作るのに適しているのでチェロに関して下手なハンドメイドより優れているのです。

しかし「機械で作った」という事実が価値を落とさせます。

昔ながらの方法で作ったものが良いとなるとさっきのトンネルの話で、職人も現代文明の暮らしを捨てなくてはいけません。


ヴァイオリンでできることは理論上はチェロでも可能です。ハンドメイドで品質の高いものを作ることはできます。ただし時間がとんでもなくかかります。私はチェロ製作の仕事だけしても半年かかると言っていますがそれも甘い見積もりなのかもしれません。したがって量産品に比べて多少の金額を上乗せしたくらいでは職人は生きていけません。

このような現実からは誰も逃れることはできません。チェロに関して相談を受けるときはいつも同じ話をする必要があります。

AIの発展

話を脱線させていきましょう。最近では人工知能AIが注目されています。これで生活がどう変わるのか意見が分かれるところです。

未来を知るには過去を知るのが良いでしょう。

私はAIの発展は産業革命や大量生産と同じような道をたどるのではないかと思います。工場での製品の製造は機械化によって自動化が進んだのに対して他の職業分野、とりわけ事務職では後れを取っていました。IT化というのはまさにそれを目指したはずのものです。しかし人の思考や判断が必要なことが多くもう一つ自動化は進んでいないというのが実情でしょう。そこで求められるのが人間の思考を自動化することです。

営業なども自動化の対象になるはずですが、現状ではオンラインショップのおすすめ商品なんてのはあやしいものです。過去の購入実績を分析する方法ですでに持っているのに同じようなものを薦めてきても足りているのです。したがって今後の課題が多いです。


私の職業経験から考えると大量生産と似ていると思います。弦楽器に携わると産業の歴史のサンプルを毎日のように見ることになります。教科書や博物館の世界が日常です。

普通世の中の製品は大量生産に向いたように設計がなされています。新製品が開発されるときにはより低コストな製造法を前提としています。見た目の印象もその時代の製造装置によって決まるとも言えます。

例えば靴なんかはかつてはグッドイヤー・ウェルト製法なんて言って靴の底を縫い付けたものです。今では接着剤でベチョッとくっつけて終わりですから、市販されているほとんどの靴はそんなものです。

ビジネスシューズなら昔の製法のものは高級なものとされて残っているかもしれませんが、私のようなブルーカラーの労働者の履くような靴はすべてセメント製法です。

安全靴が義務付けられている職種ではグッドイヤー製法のものなんて西洋でも使われていません。日本は地下足袋のようなものがありますが西洋では靴です。

グッドイヤー製法の場合靴底を縫い合わせるために底が張り出しています。作業靴の場合には革の部分よりも底のゴムの部分のほうが一回り大きいので段差になっています。
おそらくつまずいたりひっかけたりすることを避けるためにそのような段差は無い方が良いと考えられているのでしょう。そのため現在の西洋の安全靴はランニングシューズのようにゴムの部分と革の部分の段差が無いものが主流です。工事現場を覗けばみなそのようなものを履いています。

100年くらい前の欧米の労働者の写真を見るとグッドイヤー製法の靴を履いています。私の職業はそこまで安全靴は必要が無いので伝統的なものが職人らしくていいなあと思うのですが地元の靴職人が作るようなものは高いですし、アメリカ製の有名なメーカーのものも4~5万円もしてしまいます。

これがビジネスシューズや演奏家のステージ衣装なら高級品を履くというのも分かるんですが作業現場で履くものは昔は高級品ではなかったはずです。ただの実用品であり、高級な革の質ではなくフォルムも美しく洗練されている必要は無かったはずです。

今グッドイヤー製法で作られているものは高級品としてしか存在できません。値段がどうしても高くなってしまうので見た人は品質に対してうるさくなってしまうからです。昔の実用品そのものでは「作りが雑だ」とか「形が洗練されていない」とか「革が安物だ」とか言われてしまいます。

したがってセメント製法でありながらグッドイヤー製法に見せかけたものか、作業現場で履くには高級すぎるものかどちらかしかありません。

「昔の実用品」でも大量生産に向かないものは今となっては高級品になってしまうのですから、世の中は豊かになっているのかわからないものです。

全く同じことは弦楽器にも言えることで弦楽器自体が現代の大量生産を前提に設計されたものではありません。楽器は一般的な工業製品に比べるとべらぼうに高いです。チェロなんて自動車より高いのですが、自動車も鉄板を職人がハンマーで叩いて形を作っていればはるかに高くなります、そのため高級車と言われるようなものでも楽器製造で言えば大量生産品のレベルです。

そういう意味では大量生産のチェロも高級車並みに立派なものです。

それに対してギターなどは価格帯が全く違います。30万円のギターで高いなんて言っているとチェロを知っているものからするとお話になりません。
ギターの修理などはヴァイオリン職人の品質レベルでやってしまうと新しいものを買ったほうが安くなってしまうでしょう。ギターを直してほしいという人は来ることがありますが、ヴァイオリン職人には難しいのです。


弦楽器は大量生産の時代よりも前に設計されたもので同じものを作るには機械が適していないので今でも手作業の部分が多くなります。そのため中国や東欧などで製造することでコストを抑えています。仕入れ原価は木材を買うより完成した楽器のほうが安いというほどです。

生産は外国ですることによって安くできますが修理をするために中国に送っていたらいつになるかわかりませんし、工場での分業と違い修理技術の教育も難しいのでできる人も足りないでしょう。日本でも大手総合楽器店なら店に職人はいませんから東京まで送ってそこで修理して送り返すというありさまです。

修理でも部品をネジで外して新しいものを付け替えるようなことはできません。自動車の修理であれば部品を外して新しいものを付ければいいだけなのに対して、弦楽器の場合には部品から作らなくてはいけません。自動車で部品から作るなんていうのは大富豪のクラシックカーのレベルです。


このような時代遅れの化石のような産業が弦楽器です。


AIの話に戻すと、おそらくAIに適した分野とそうでないものがあると思います。AIに適さないものは相対的にコストが上がるので高価になるでしょう。AIが何でもできるのではなくてAIに向いたものだけが世の中に残っていき、AIに向かないものは生活から消えていくのではないかと思います。

従って今我々が普通に行っていることや身近にある当たり前のもののいくつかは未来の人たちにとって「お金持ちのぜいたく」となるでしょう。

楽器の演奏をするよりも録音を聞くほうが絶対に労力が少なくて安いです。昔は録音が無かったので音楽を楽しむには生演奏しかなかったのです。そのための練習を苦とせず楽しみとできる才能のある人たちは豊かな人生を送れるというわけです。


チェロの修理

大量生産品でも他の産業に比べれば高級品であるということでしたが、それでは物足りないのでもう少し良いものが欲しいという要望が多く寄せられます。

100万円から200万円くらいでチェロが欲しいという人が多いのですが、そのクラスは空白域です。大量生産品なら100万円程度まで、ハンドメイドなら300万円くらいはするからです。私たちも頭を痛めているところです。

今回も紹介するのもそのような人からの修理の依頼です。
初めて私に問い合わせをいただいたときはミルクールの1880年頃のチェロを買ったのだけども古いままで長い間修理されていないものでそのままで良いのか?という内容でした。売った人にはオリジナルが一番良いので修理する必要はないと言われたそうです。

私のブログを見ていればどんどん修理していますから意見が食い違いますね。そんなことで相談を受けました。実際に帰国した時にチェロを見せてもらいました。現物を見ないことには何もわからないからです。

見るとチェロはフランスのミルクールのものだろうなとすぐにわかりました。それを言うとどうしてわかるのか不思議がられました。
まず大量生産品かハンドメイドの高級品かはクオリティで分かります。

さらに、大量生産品というのは同じようなものがたくさん作られていて似ているところがあります。見た雰囲気で過去に見たことのあるミルクールの楽器に似ていて、また東ドイツやチェコのものとは違うのも分かります。

紛らわしいものもありますがそのチェロはミルクールのチェロだろうなと思うようなものでした。おいおい見ていきましょう。


日本特有のお話でこのような楽器が輸入される理由も想像が付きます。

イタリアの楽器が最高であるという触れ込みがあるのでフランスの楽器は2流という位置づけになります。実際には完全に間違っていてイタリアの楽器よりもはるかに優れたフランスのチェロが存在します。

しかし日本の店頭ではイタリアの楽器を上回ってはいけないので上等なフランスのチェロは輸入されません。イタリアの新作チェロとドイツの大量生産品の間の価格帯で200万円前後にちょうどミルクールの大量生産品を当てはめるのです。

そうするとイタリアの楽器が一流、フランスが2流、ドイツが3流、中国が4流という分かりやすい構図ができます。

もちろん実際にはどこの国のものにも良いものと悪いものがありこれは全く間違っています。

この構図に適しているのでミルクールの量産品を仕入れるわけです。実際に日本の楽器店なら250万円くらいでミルクールの戦前の量産品が売られています。


これに対して私は、大量生産品としては高すぎると考えます。これらのチェロが店頭では大量生産品とは語られないかもしれません。イタリアの楽器が一流だと思い込んでいるお客さんはフランスの一流のチェロを知らないのでこれらを大量生産品だとは気付かないでしょう。

フランスの19世紀のチェロはヴィヨームのようなものであれば4~5000万円してもおかしくありませんが、同じ値段のイタリアのオールドチェロに比べて劣っているというようなものではありません。品質に関してははるかに優れています。

一般的にフランス19世紀の一流のチェロは1000~1500万円くらいするものです。20世紀に入ると少し安くなり700万円くらいからになります。もちろんヨーロッパでの値段ですから日本ではさらに高くなるかもしれません。

フランスの楽器製作では同じ作者の名前が付いていも
①作者本人の作品
②工房の作品
③ミルクールの工場製品

と三つのレベルがあります。
チェロの場合には工房の作品でも最上級品とみなされるでしょう。それに対して工場製品はあくまで大量生産品であり、作者が工場を所有するなり技術指導するなりしているとはいえ大量生産品には変わりありません。

したがって②と③の区別はとても重要です。混同してはいけません。

大量生産品はあくまで大量生産品であるので大量生産品の値段で買うべきです。
しかし店頭で営業マンは「これは大量生産品ですので勘違いしないでください」と言うでしょうか?聞かれなければ大量生産品だとは言わないでしょう。

1000万円以上するようなフランスの一流のチェロは日本では存在が知られていないので250万円もすれば大量生産品だとは思わないのです。

私はせいぜい150万円くらいだと思います。
ミルクールのチェロでも品質が高くハンドメイドと変わらないレベルのものなら200万円を超えても高すぎるとは思いません。
しかし今回のチェロはよくあるような大量生産品なのでただの大量生産品だとわかりました。フランスの大量生産品と言えばプレスと言って表板や裏板を曲げて作られているものもあります。このようなものはフランス人の名前が付いていても大量生産品ですから安価でなくてはおかしいものです。

このチェロはプレスかどうかは見た目ではわかりませんでした。それでも250万円もするのは高すぎますが、さらなる問題は修理が済んでいるかどうかです。それについていは次に説明します。


このような理由で日本ではミルクールの量産品に250万円くらいの値段が付いているということです。この方はそれ以前には120万円でイタリア製のハンドメイドのチェロを買ったそうです。

「イタリア製」「ハンドメイド」なら聞こえがいいですよね?商人というのが気にする部分です。

我々職人はどこの国のものであってもよくできているかそうでないか、ハンドメイドであろうと機械で作ってあろうと品質や演奏や音響上の問題が無いかに興味を持ちます。しかし商人というのはカテゴリーで区切るので目玉商品にするのです。自分でチェロを作ったことがあるなら120万円でまともなものを作るのは無理だと分かるでしょう。まともな職人ならこんなのはダメだと売り物にしません。

そのチェロは素人目にもいびつであることが分かったそうです。さらに問題は板が厚すぎたことです。

板が厚すぎるチェロが作られる原因は作業の手抜きだといことを言ってきました。初め厚い板をくりぬいて厚みを出すので薄くするためには作業の量が多くなるからです。作業を途中で投げ出してしまうことで厚い板のチェロが作られます。

板が厚すぎると低い音が出にくくなります。こんなことも知られていません。弦楽器の業界では先人の教えを信仰のように覚えるのが一般的なので、厚みを変えた結果を実験して理解する人がいないのです。一方独学の人は基本的な事すら知りません。

手抜きで作られた楽器には厚すぎるものが多くあり、それに都合の良い理屈を誰かが考え出すと弟子から弟子へと受け継いでいくのです。

よく日本で言われるのは「薄い板の楽器は初めは良く鳴るけどもそのうち鳴らなくなる」というものです。これは何となく素人がイメージするものですから説得力があるように思います。しかし実際に薄い板の楽器で鳴らなくなったという経験は私はありませんし、オールド楽器の多くは薄い板をしていて今でも最上級品として一流の演奏家に使われています。

もし薄い板の楽器が鳴らなくなるというのならストラディバリもアマティもリュポーもロッカも鳴らなくなっているはずなので私に下さい。もらってあげます。

もちろん薄すぎるものは腰が無くなってしまい楽器は変形してしまいます。ミルクールのプレスのチェロで裏板が薄すぎるものは腰が無いです。しかし厚すぎるものもよくありません。楽器の響く音域を外れてしまうからです。

単に楽器が鳴るか鳴らないかではなく厚みによって響きやすい音域が変わってきます。チェロの演奏で使う範囲の音が響きやすい厚みになっていることが重要です。その範囲の中であれば多少厚めでも薄めでも音のキャラクターの違いになるので好みの問題になります。そのため0.1mmでも外れてはいけない「最高の厚み」というのがあるわけではありません。だから私は「ひどくなければ何でも良い」と言うのですが、チェロの場合にはひどいものが本当に多いです。

このような「薄い板の楽器は初めは良く鳴るけどもそのうち鳴らなくなる」という言葉は安い楽器が意外と音が良かったりするときに「これは安易に板を薄くしたもので鳴っているように聞こえるけどもそのうち鳴らなくなる」と悪く言う時に便利です。実際に測ってみると安価な楽器は厚すぎるものが多いです。お客さんは測定する道具なんて持っていませんから口では何でも言えます。

プレスの楽器に関して言った言葉が独り歩きしたのかもしれません。プレスの場合には厚すぎると曲げるのが難しいので薄い場合が多いです。
ただしプレスの楽器は必ずしも音が悪いというものではありません。ただ耐久性で300年400年持つかははわかりません。150年くらなら大丈夫なので世の中に存在しているものなら絶対に良くないということはありません。特に表板だけプレスのものは生きているうちに寿命が来るということは無いでしょう。ただチェロで裏板がプレスのものは厚みが足りません。
いずれにしても安上がりにするために考えられた製法なので音の良し悪しとは関係なく値段は安く買うべきです。

中国製の数万円の楽器でも意外とよく鳴るように感じることがあります。値段が安いのは製造コストが安いだけで音は演奏者が判断しなくてはいけません。



そんなことで120万円のハンドメイドのイタリアのチェロは板が厚すぎたためどうやっても低い音が出なかったそうです。業者によると「厚いのが本物だ」「弾きこんでいけば鳴るようになる」のだそうですが、ついに努力は実らずそのチェロが嫌いになって手放したそうです。私から言わせれば物理的に不可能ですが。

それで次はハンドメイドでも安いものはダメだということで初めから量産品の上等なものをと思って買ったのだそうですが・・・。
私が指摘して初めて量産品であることに気付いたそうです

1880年頃のものと紹介されたそうですが私が見る限りでは20世紀のものだと思います。1910年くらいの感じです。商人にとっては「聞こえの良さ」というのがとても重要なので自分の都合のいいように解釈します。私は職人として言います。これが19世紀のものだったらもっと状態が悪く高い修理代が必要になるので20世紀のもので良かったと思うのです。フランスの楽器の値段は同じ作者でも1900年をまたぐとグッと安くなります。楽器自体が変わるわけではありませんが商業上の「聞こえ」が変わってきます。

裏板の輪郭の形を見ても19世紀のフランスのものとは違うように思います。20世紀のものはより洗練されていて現代的にきれいなものです。このチェロを平面の写真で見ればハンドメイドの高級品と見間違うかもしれないものです。今の量産品でもこのようなものは無いです。しかし立体で見るとフランスの一流のものとは全くレベルが違います。フランスの場合には大量生産品でも型だけは高級品と同じものを使うことができたのも特徴です。だからフランスのチェロだと分かるのです。



オリジナリティの尊重?

量産品にしては高すぎるという値段がまず気になりましたが、今回の相談内容は修理するべきかどうかという話です。

もし博物館に展示するならできるだけ何もしないべきです。しかし楽器として演奏に使いその性能を発揮するには問題のある部分は修理が必要です。

過去の職人を天才として崇拝しているなら現在の職人ははるかに劣るので手を加えさせない方が良いと考えるでしょう。しかし過去の職人は神様ではないし、現在の職人でも決められた通りきちっと修理すれば楽器を良い状態にすることができます。ましてや量産品であれば部品は内職として農家の副業などとして作られたものを工場で分業で組み立てられたようなものです。ミルクールの工場の写真を見れば大きな机をたくさんの職人が囲んで作業しています。安い単価のものを右から左へと流していくわけですからイチイチ音のことなんて考えていません。一流のフランスの楽器が優れているわけですから正解の作り方は分かっているはずですが手抜きのためにそこまで作っていないのです。


修理も秘密のテクニックがあるわけではなく正しい状態にすることによって楽器が機能するようになります。一流の演奏家が使っているようなオールドの名器もみなそうで、分解されて組み立て直されていますがその結果どんな音が出ているかと言えば演奏を聞いてみてください。

特に都市部で修理の研究はされてきました。演奏家と直に接しながら楽器を良い状態にすることを求められるのです。それに対して楽器の製造現場ではそのことについてはノウハウがありません。意外とたくさん楽器を作っていた人たちは演奏家と直に接することがなかったのです。楽器を調整するノウハウについては製造だけをする人は専門ではないのです。有名なイタリアのモダン楽器の作者でもネックの加工がまずくて演奏しにくいものがあります。このようなものはネックを削って持ちやすくするべきものです。街の名もなき職人のほうがノウハウがあるのです。

モダン楽器に限りません。オールド楽器なら今の演奏技術には合っていませんからネック自体を継変える必要があります。ブッフシュテッターの修理でもそれをやりましたし、ストラディバリでも演奏に使われているものはみなこの修理がされています。

したがって古い楽器を最高の状態で使用するにはオーバーホールが必要になるのです。楽器のを購入する場合にはオーバーホールが済んでいる状態を相場と考えるべきで、修理が済んでいないなら修理代の分を安く買うべきです。もちろん我々が買い取るときはそのようにします。

100年くらい前のチェロの場合には目立った損傷が無いように見えても50~100万円くらいオーバーホールに修理代がかかるのが普通です。そのため量産品の場合修理代のほうが高くなってしまうことが多くあります。

職人であれば販売で利益が無くても修理代で収入を得られるのに対し、ディーラーは仕入れ値より高く売ることで収入を得ます。楽器に対する考え方も全く違ってきます。

今回必要な修理

依頼主の方はこれまで日本でまともな業者に当たったことがなくひどい目にあってばかりだったそうです。日本にも優秀な職人がいるので相当運が悪いということもあるんですが縁があって私のことを知ったのでもはや危険を冒すこともないです。それでどうしても修理してほしいということで頼まれました。私は休暇の期間でチェロの修理ができるのか不安でした。やるしかないということで腹を決めました。

最初に楽器を見たときも高音は金属的な音がしていて細いものでした。楽器全体がのびのびとした鳴り方ではありませんでした。今回もどんな音を目指すか話し合うのは重要なことです。任せておけば勝手に自分の望む音になるというのは無理です。人によって望む音が違うからです。任せきりにしておいて自分の好みと違う音になってもその職人が下手なのではなく意思の疎通ができていなかったというだけかもしれません。

久しぶりにもう一度弾いてもらって聞くといわゆる「鼻にかかった音」とうちでは言っているものです。鋭い音と鼻にかかった音は同じ方向性です。そのためメタリックな荒々しい音になっています。100年くらい経っている楽器には多いもので、去年修理したデンマークのヴァイオリンも修理前はそうでしたし先週修理に来ていた量産チェロもまさにそれでした。店にあるミルクールのチェロもそうです。そのため新しい楽器より音が出やすいという傾向はありますが癖が強くひどく耳障りなものもあるので手放しに古いものの方が良いとは言えません。

A線以外も同じようなキャラクターのはずですが低い音ではあまり不快には感じません。

それでも全体的にボケたような音で済んだクリアーな音でありません。
バスバーは古くなると木材が朽ちてしまい低音はこもったような音、高音は鋭い音になるようです。100年くらい前の楽器ではバスバーが交換されているかは重要なチェックポイントです。数十年でどうにかなるレベルではありません。

また「指板が下がる」という現象が弦楽器では起きます。弦に引っ張られてネックが持っていかれて指板が下がってくるのです。そうなると駒を低くしないと弦と指板との間隔が広くなりすぎて押さえるのが難しくなります。駒が低くなってくると音が弱くなってきます。それは売った人も分かっていて指板の下に板を入れて駒を高くする修理の必要性は提案していたようです。しかしその方法ではネックの角度が急になりすぎて押しつぶしたような嫌な音になります。もともと金属的な音がしているのですから最悪です。そんなことも分かっていないのが商人なのです。


また個人的な好みとして「暗い音」が好きなのだそうです。
以前日本の業者に暗い音が好みだと言うとそんな好みを持つのはおかしいとばかりに言われてしまいそれ以来本心を隠していたそうです。お客さんがそう言っているんだからそれに答えるのがプロでしょう。日本ではお客様は神様だとなっているはずですが。

調べてみて板が厚すぎるようであれば薄くすることによってより低音が響きやすくなるので暗い音になるはずです。板も薄くするということも確認しました。これは量産品なので改造しても作者のオリジナリティを損なうという問題が起きません。これがハンドメイドの楽器なら改造するのはためらいます。私はしません。その作者の考えを尊重するためです。仮に私と違った考えをしていても私が正しいと言うほど傲慢ではありません。世の中には自分の開発したニスに塗り替えると音が良くなると言ってニスの塗り替えを薦める職人もいます。このようなことをすると楽器の価値はガタ落ちですが、音に関しても未知数です。思い込みの激しい職人がいるものです。


これが主な修理になりますが、裏板のボタンが損傷しているので補強が必要で、過去に汚い修理がされていて裏板の合わせ目も隙間がありました。表板のエッジやコーナーも損傷を受けていましたし、ニスも汚れが付着して汚いものでした。しかし今回は最悪音が出せる状態にすることを優先するということで話は決まりました。

このような話合いはとても重要です。
お客さんが不調をしっかり訴えることが必要で、職人は不調の原因を見つけなくてはいけません。先週はチェロの駒を低くしてほしいという依頼がありました。ビリつくのでそれも何とかしてほしいとのことです。

同僚がやった仕事ですが調べてみると指板が外れかかっていてそれを付け直し、長年放置された指板を削りなおすと駒の高さは正しくなりました。ビリつきの原因は指板の摩耗で、弦高が高くなっていたのは指板の摩耗により弦と指板の距離が広くなっていたようでした。結局頼まれた駒を低くするという仕事はしませんでした。
お客さんがしてほしいという修理と実際の問題点が違いました。頼まれた仕事だけをやってもダメです。こちらは専門家として原因を究明しなくてはいけません。



というわけで次回から実際の楽器を見ていきましょう。

しばらくお休みしていましたが、今回は日本で感じたことを書いて、5月から通常の内容でまた復活します。


こんにちはガリッポです。

休暇で日本に帰っていました。
今回はチェロの修理があって、飛行機のチケットが決まっているのでそれまでに弾ける状態にしておかなければまずいことになってしまうということで集中していました。その間コメントをいただいた方にはそっけない対応で申し訳ありません。

チェロの仕事に関して学んだことは「つべこべ言わずに働け」というものです。とにかくチェロの仕事は作業の量が多いのに簡略化すれば仕事の質が落ちます。実際そのように作られたり、いい加減なメンテナンスで売られている中古楽器も多いです。

私も何もかもをうまくできるような完璧な人間ではないです。
自分にできることが何かと考えると目の前の楽器に集中して作業していくことです。

皆さんにとっては楽器の演奏や弦楽器自体についても趣味のように楽しんでいる方も多いと思いますが、私は趣味らしい趣味がずっと無いです。今回は日本の実家に作業スペースを作るためにDIYに挑戦しました。DIYの木工は初心者です。
板や角材を買ってきて電動ドライバードリルで木ネジを留めます。

木材は私がいつも使っているものと違い新しい材木の製材されたものをそのまま使うため直線や平面とは程遠いものです。したがって力を入れて角材を引っ張りながらクランプで固定して下穴をあけてねじを入れていきました。コントラバスの修理以外でこんないい加減な仕事をしたのは初めてです。普通の初心者はそんなこともしないでいきなりねじを打ち込んで割れたり位置がずれてしまったりするのでしょうけども…。

仕事ではのこぎりで切るときも大きめに切ってからノミやカンナでピッタリに合わせていくものですが、一発で線のところを切りましたがあまりにも正確にのこぎりで切ることができて触っても段差が全く無かったです。いつも慎重にやりすぎなんだと気付かされました。初めてのDIYでミスが一つもなかったですが、本来木工は失敗して学んでいくものです。

木工はやりたいと思っているのですが、仕事の感覚だと手間がかかりすぎて労力を使いすぎてしまいます。今回やってみてこんなに簡単なら面白いなと思いました。


出国の飛行機でアメリカのドキュメンタリー番組を見ていました。
若い起業家の奮闘を描いたものでした。
アメリカは祖国を捨てて何の保証もないところにやってきた人たちの集まりですから遺伝的にも性格に特徴があるんじゃないかとも思います。製品の製造やシステムの構築をしているわけですが「必要なこと」をやっていくとチャンスが出てくるのかなという印象を受けました。机で向き合ってお互いにアップルのノートパソコン越しに話し合っている姿を見るとそれをカッコいいと思う人もいるのかもしれませんが私には何をしているのかチンプンカンプンでした。

自分にできることは何なんだろうかと思いました。

チェロの仕事に関して重要なのはどうしたら安くできるかという点です。
効率を高めるしかないわけですが、仕事を楽しむことで人生の効率は高まると思います。今回の修理でも朝から晩まで作業をしている姿をはじめて両親に見せることになりましたが、20年近くずっとやっていることです。ヴァイオリン製作学校で学んだ同級生もどんどん生活が変わっている中私だけがずっと同じです。

そうなるとさすがに営業マンのようなその場しのぎのセールストークと違って技術的な裏付けによって知識は圧倒的な差になります。気が付くと専門知識も木工技能も高くなっているのでした。

でも私は職人気質で謙虚に考えてしまいます。
ディスカッションやプレゼンテーションしている起業家のようにはなれません。
もっといい仕事をしたいという思いが強いので、自分の現状を優れたものだとアピールするのは気が引けてしまいます。

それも仏教で言うところの悟りのようなもので、(仏教のことはよくわかりませんけども)邪心は捨てて今の自分でもできることをつべこべ言わずにやっていく必要があるなという結論ですね。向上心は悪い事ではないので否定するのは難しいものです。しかし「いつかの自分」ではなく「今の自分」で働くことが悟りじゃないかなと勝手に解釈しています。

自分の持ち味が一番発揮されることに労力を集中させることですから、パソコン越しにディスカッションする必要もないと思います。

マイノリティー?


ドキュメンタリー番組ではアメリカらしく女性や黒人というようなマイノリティーの人たちに活躍の場をもたらそうとシステムを考えているような人達も紹介されていました。利益を追求するならマジョリティーのほうが市場規模が大きくてチャンスも大きいと思います。

私は子供時代がバブル経済と言われる時期でした。
青春と言われる時期はずっと不況、不況と言われ続けていました。

日本で経済が絶頂期にあったとき、当時のソビエトは崩壊の寸前でした。子供ながらにお店に品物が無くて厳しい生活をしているソビエトの人達のニュースを見ていました。そんなこともあってか自分の好きなものが買えるということがすごく幸せなことだという考えが根底にあります。

バブルのころは高級品でも価値をよくわかっていない人たちにも珍しいものが喜ばれて飛ぶように売れたようです。今回は靴が壊れてしまったので急遽日本で買うことになりましたがこのジャンルはこのメーカーという風にしか店頭に商品がありません。他のメーカーだって靴製造の技術があるわけですから、もちろん同じようなものを作ることができるのです。よく日本は欧米のマネばかりと言われていたころがありましたが、欧米でもヒット商品が出れば他のメーカーが同じようなものを作ります。しかし日本だけで情報を得ているとそのメーカーにしかそのようなものを作れないと錯覚してしまいます。

アメリカやヨーロッパになると市場規模が大きいので参入するメーカーが多くなります。ヨーロッパは趣味趣向が近いので単一の市場と見ることもできます。古代や中世からずっとそうでリスボンからモスクワまで芸術や文化はもちろん身の回りのものにも共通性があります。
そうなると同じジャンルでもメーカーごとに持ち味があって微妙に違うと自分にぴったりのものが選べます。


当然弦楽器の話に移るわけですが、私のこのような考えに対して日本の現状はより厳しくなっているようです。経済力が落ちてくれば私が紹介しているような「安くて品質や音の良い楽器」を売るべきだと考えるでしょう。しかしながら楽器店の業績が振るわなければ「より利益の高い商品」を売ることになっていくようです。つまり入手が容易で安く買えるものをできるだけ高く売るということです。こうして楽器店の収益の改善をめざすことでしょう。
私は大学でマーケティングについても勉強しました。「消費者のニーズに応える」という言い古された言葉ですが製造者はそれでも自分の都合を押し付けることが後を絶たないので常に価値を失わない言葉でもあります。

しかしながら私は講義を聞きながらも「専門家の役割ってなんなんだろう?」と疑問を感じていました。消費者はその道の専門家ではありませんから右も左も分からないわけです。分からない人が選ぶものを売るというのがおかしいです。楽器の購入には教授や教師の影響が圧倒的なため演奏する本人はないがしろにしてでも日本ではそちらに営業をかけてきたようです。日本の弦楽器業界特有の問題は「先生の言うことが正しい」となってしまっていることです。

こちらでは教師は音楽の専門家であっても楽器の専門家ではありません。専門家と専門家がうまく知恵を寄せ合うことによって社会はうまく機能します。それぞれが自分の専門領域を極めて協力することがチームワークです。チームワークと言ってもみんなで同じことをするのでは高めあうことはできません。日本の消費者は「一流品」を強く求めますが、チームワークが一流でない国で信じられている知識なんて低レベルのものです。

しかし日本では教師に楽器を売ってもらうことが楽器店の売り上げにつながるので、教師の機嫌を損ねないことが楽器を販売するうえで最も重要なことになります。教師は「自分は楽器の良し悪しが分かる」と自惚れ得意げになっています。プロから見ればそのような知識は浅いものですが、そんなことを指摘しようものなら機嫌を損ねてしまうでしょう。私もヴァイオリンの相場やオークションのカタログを見ていると名前を知らない作者が山ほどあります。私なんか何も知らない方ですが教師なんてその何十分の一も知りません。知らないから全知全能感を持ているんですけども。
楽器なんてただの道具にすぎないのですから、使い手の好みによって求めるものも違うはずです。教師も恩師から教わった考えを絶対的なものとして信じてしまいますが、古い知識の間違いを指摘されることもないのです。

間違った考えを信じている教師の求めるものが消費者のニーズです。もっと言えば俗に言うリベートのほうを求めている教師もいるかもしれません。

間違った知識を信じてしまう根源は先入観という思い込みです。
楽器職人はそれぞれ音が良い楽器を作るために皆全力を挙げていてその中でも特定の人だけが格段に音が良いものを作れると思い込んでいます。それが公平に評価され値段に反映されていると思い込んでいます。しかし実際に楽器を作る作業はとてもめんどくさいもので最後までちゃんと作られていないものが多くあります。そのような人がどの流派にもたくさんいて代々受け継がれていく中に必ず入っているのです。そのような人はひどい悪人ではなく、むしろ常識的な立派な人で話してみると好感が持て信用できるような人で多くの弟子を養成するかもしれません。きちんと仕事をする職人は一般の社会から見ると変わった人です。

よく職人は無口だと言いますが、職人にもいろいろな人がいます。
勤め先にはおしゃべりなおじさんが出入りしていることでうるさくてたまりません。実家の一人部屋で作業していたら天国のように気持ちよく仕事に集中でき疲労感もずっと少ないです。
日本の楽器店に勤める職人に「職場は静かかうるさいか?」と話を聞いたところ、ある女性の職人がいたころはうるさかったと言っていました。一人のせいで職場の空気が一変していくのです。
一方腕の良い師匠のところで修業していたときは職場は無言で静かだったと言っていました。私が弟子をとってもそうなるでしょう。私が社長で立場が逆ならうるさいおじさんの出入りなんて認めません。

でも一般的には腕の良い職人のほうが無口で変わっている部類に入るでしょう。
そういうことです。

同じ苗字であっても息子の代になるととんでもなく質が落ちる作者もたくさんいます。息子は常識人だっただけです。


古今東西のあらゆる職人の楽器の音の良さを公正に評価して値段に反映させる機関は存在しません。
私が楽器の音の評価なんてものはこの世に無いと言っているのになかなか理解してもらえません。私の知っている職人でしかるべき機関から評価を受けた人なんていません。そもそも弾く人によって音が違い、音楽家ごとに好みが違うので客観的な評価なんてやりようがありません。製作コンクールでも名もなき戦前の楽器と比べたらどうでしょうか?
このことは後述します。


また現代の大きな会社なら製品の試作品をいくつも作ってその中から良さそうなものを製品として大量生産します。職人の世界は中小零細企業なのでそのような考え方を理解している人は少ない上に弦楽器はできてみないと音が分からないのに数か月作るのにかかります。陶芸家でイメージするようにたくさん作って出来の悪いものは叩き壊すみたいなことはできません。ちゃんと修行した人は「師匠に教わった正しい作り方」で作っているので自分は正しいと信じるしかありません。独学のような人は何の根拠もなく自分の作るものは最高だと信じています。何がどうなって音の違いになっているのかわからないので作者が意図的に音を作っていないものがほとんどです。

そういうものだということを知らないので消費者が先入観から持ったイメージに合うものが求められるのです。



このようにしてきた日本の弦楽器業界ではアクの強いワンマン社長の会社も多いので過去の成功体験にとらわれこれまでのやり方をより強化していくことで業績を維持していこうとなっているのでしょう。

それを変えるのは私たちです。
専門家としてするべきことは相手の無知を利用して利益を上げることではなく、知られていない魅力を紹介することだと思います。その上で選ぶのは消費者の自由です。
職人も思い込みの激しい人が多いので、自分の思いばかり語るのではなくて謙虚さと客観性を持って使う人の感じる事を尊重することが必要です。


古臭い知識を持った教師たちの教えに疑問を持つ人もいるでしょう。もちろんそれは教師の中にもいると思います。マイノリティーとして抑圧されているモヤモヤな思いを秘めている人もいるでしょう。

弦楽器の音?

外国ではストラディバリなどのオールドの名器を詳しく紹介してある本が出版されています。イギリスの『The Strad』という雑誌も有名です。しかしそれらを読んでもどんな音がするかについては書いてありません。弦楽器の業界では音について記述することはタブーなのです。
音について書かないことは読者にとっては不満が残るところなのですが、広告主の業者に都合が悪いだけでなく、音について書いてしまうことの危険性を危惧してのことだろうと思います。

「ストラディバリはこういう音」ということを書いてしまえばその言葉が独り歩きするでしょう。自分で体験して感じる以外に音を知る方法は無いのです。

これは弦楽器に限らずあらゆる製品の良し悪しについて言えることです。高度な専門職に使う道具なら、その経験も腕前や財産のうちになります。今回の帰国で私は10年以上前に日本のホームセンターで買った木彫ノミと同じ製品を買いました。これはプロの職人が使うような高価なものではありません。見た目も安っぽくて1500円くらいのものです。これは刃物を研いで使うことができないような初級者や学校教育向けに切れ味が持続するように作られています。買ってすぐの状態ではプロが使えるようなレベルの切れ味ではありません。しかしその甘い切れ味はずっと長く続きます。
このノミは指板などの黒檀を加工するのに使っていました。
高級なノミは黒檀のような硬い木に使うとすぐに刃こぼれを起こしてしまいます。
それに対してとても丈夫なハイス鋼という鋼があります。これはハイスーピードスチールの略で日本語では高速度鋼と言います。
速度が速い鋼というとおかしいと思うかもしれませんが、ドリルの刃のような高速で回転するものは熱を持ちやすく一般的な鋼では「焼きが戻る」という現象で鋼の質が落ちてしまいます。そのため高速で使用できる鋼ということで高速度鋼なのです。
ところがハイス鋼で作られたものは研ぐのが難しくて手で研ぐと時間がかかって普通の鋼を豆に研ぐのと時間的には変わりません。

ホームセンターで買ったこのノミは切れ味は甘いのですが切れ味が持続し、セラミック砥石で良く研げます。そうやって研げば売られている状態よりはずっと良くなり切れ味は実用レベルに達します。これはとても優れた製品で刃のカーブの種類の違うものを買いました。安いものなので気軽に基本から逸脱したような研ぎ方を試してみたら良い成果を得られました。黒檀だけでなく他にも使えそうです。

このメーカーは「職人のこだわり」という会社ではなく実用品として品質を追求しているのだろうと思います。このような隠れた名品が分かるのがプロフェッショナルだと思います。ホームセンターは本社の所在地がいろいろあって同じような製品でも扱っている業者が違うものです。遠出して昔行った系列の店に買いに行ったのでした。


つまりは、安いものの中にも意外といいものがあってそれが分かるのが職業能力なのです。安いものを作っているメーカーには自分をアピールすることなく献身的な仕事をする業者があります。浅い知識の人に限って「高い有名メーカーのものを買わなければいけない」と自信満々に偉そうにうんちくを語るものです。そこにたどり着くまでに費やした労力や経験によって安くていいものを見分けることができるのです。


「ストラディバリの音を記述すれば独り歩きをしてしまう」という危惧はそれに該当しない楽器が売れなくなるのを嫌がる面もあるかもしれませんが、弦楽器業界では珍しい良心だとも言えます。無責任な理解が広まっていく原因になるからです。

音について語るのは世界ではタブーとされるものですが、日本では「明るい音」という謎の言葉が独り歩きしてしまいました。非常に残念なことだと思います。


弦楽器作りを志したのはどうしてかとたまに聞かれますが、やはりその音の魅力に憑りつかれたからです。世の中にはシンセサイザーで人工的に作られた音をコンピュータのプログラムで自動演奏して録音した音楽が大半を占めます。もちろんシンセサイザーを開発する人たちはかつてのアマティ家と同じ情熱を持っていると言えるかもしれませんが、私が魅力を感じたのは自然素材で作られた弦楽器の特有の音です。木という材質が持っている固有の音です。

実際に楽器作りをやってみるとイメージと実際はかなり違うものでした。初めて作ったものは意外とイメージしているような音にはなりませんでした。ちゃんと木材で作ってあるのにです。

私のイメージした弦楽器の音というのは低音は枯れて暖かみのある味わい深い音で高音は滑らかで透き通るようにしなやかなものでした。実際に出来上がったものにはひどくガッカリしたものです。世の中には自画自賛して自分が作ったものは最高だと思い込む人がいます。欲が無いんだなと思います。

それでも練習に使っていた量産品のヴァイオリンに比べれば素直で音量もある優れたものでした。しばらくは良さを実感しました。このレベルがおそらくみなさんが初めてハンドメイドの楽器を購入する段階の経験値でしょう。新作のイタリアの楽器でも同様に高級楽器の良さを実感できると思います。

つまり現代の楽器製作のセオリーで作ればみなこのような音になり、安価な量産品を使っていた人にはグレードアップを実感できるというものです。初心者が最初に買うハンドメイドの楽器ということになります。私が初めて作ったものでもイタリアの巨匠でも同じです。弦楽器製作のセオリー通り作れば皆そうなります。



しかしながらこれらの楽器は「音が明るい」のです。私がイメージしていた弦楽器特有の音とは全く違うものです。就職して初めは目の前の作業に精一杯で音のことなんて考える余裕はありませんでした。外国で生活も楽ではありませんでした。

与えられた仕事を正確にこなすことが求められます。
正確に仕事ができなければお客さんからお金をもらうことができないからです。十分な水準に達していなければプロの仕事としては通用しません。
仕事に速さと正確さの両面が求められます。今でも正確さを重視しすぎては時間がかかりすぎてしまい、速さを求めすぎてはミスをしてしまうというのを繰り返しています。だんだん落ち着いてきました。

始めのうちは時間はかかっても正確に仕事することが重要だと思います。訓練によって上達するので逆の方法でも結果的には同じですが、お店の都合によります。
初めに正確な仕事を目指し、仕事が遅い分給料が安いというのが高い技術の職人を育てる方法だと思います。

一方でとにかく早く仕事をすることを重視する教育もあります。初めは安い楽器の仕事を担当すればいいのです。ただ基礎を身に付ける時期に雑な仕事を覚えることは一生の仕事の仕方に関わってくると思います。

そうやって楽器作りを始めて5年くらいして自分の現代的な立派な楽器が作れるようになってきました。これでイタリアの新作以上のクオリティで自分も一人前の職人になったと思っていました。

そんなときにストラディバリの実物を見る機会がありました。
パッと見た瞬間に愕然としました。自分が作っているものとは全く違うのです。もちろんストラディバリから型を取ったものを作っていましたがそういう問題ではないのです。

自分に自信のある職人なら「俺のと一緒だ」と思うことでしょう。現代の巨匠と言われるような人もそういう人が多いですが、私は別物だという印象を受けました。自分のと同じと思っている人はその違いが何なのかを見ようとはしませんが、私はそのことに明け暮れました。

今からするとおかしなところがたくさんありましたが、オールド楽器を研究し始めて何年かすると音が現代のものと違ってイメージするものに近いものになりました。ここで重要なのは見た目や寸法から入ってオールド楽器のようなものを作ろうとした結果音もそうなったのです。楽器が固有の音を持っているのは楽器の構造による部分が大きいということです。伝説ではなく技術的に裏付けがあるのです。

現代の主流とは全く違う方法で楽器を作っているのでこのような音に関することは師匠や先輩から教わることはありませんでした。現代の教育では教わることのない知られていない知識なのです。プロの職人でもそんなレベルなので巷のウンチクなんて信じてもどうしようもないです。そのため音については自分で体験するべきなのです。


このようにして私は弦楽器製作を志した当初のイメージを実現することができるようになってきました。今でも完成度を高めたり違う可能性を求めて取り組んでいます。


これですべてがうまくいくかというとそうではありません。
売れる楽器というのがそれとは違うのです。私がイメージする弦楽器の音と消費者が楽器選びで重視する点が違うのです。

売れる楽器の音

私が就職した工房は楽器の販売や修理・調整も行います。クレモナやミッテンバルト、ブーベンロイトのような大きな産地では製造したものは業者に卸して終わりですから、ユーザーからの反応がありません。

それに対して幸いにも職人が経営する街の弦楽器店に就職することができました。製造する楽器の本数は少ないのですが一本一本お客さんの反応があるのです。他社や異なる時代の楽器とも比べられることになります。音の評価に関しては厳しい環境だとも言えます。

そうやっていろいろな人と接していると必ずしも私と同じような弦楽器の音のイメージを持っている人ばかりではないことが分かりました。日本の場合には弦楽器店にある楽器幅が非常に狭いです。演奏者人口が少ないこともあってセールポイントのはっきりした特定のものだけが選ばれて輸入されてきたからです。

こちらでは昔から楽器が作られてきたせいで目にする楽器の幅がずっと広く、音も様々です。極端に違う音のものを経験しているので日本の人たちが「新作っぽい音」の中でどうこう言っていても似たようなものだと思ってしまうのです。



私は弦楽器の音に魅せられて興味を持ったので当然そのようなことを重視しますがむしろ少数派で、弦楽器を始めた理由は人それぞれでしょう。必ずしも音の魅力というわけではありません。初心者には音の違いがよくわかりませんし、優れた楽器を探すとなるととにかく音が強いほど良いと考える人も多いです。

強い音の楽器売れる楽器

でおよそ間違っていないと思います。
そのため楽器店でも店がつぶれずに今に至っているとすればそのような楽器ばかりが取り揃えられているはずです。



明るくて鋭い音

日本では「明るい音」という言葉が独り歩きしてしまいました。私からすればそれは新作っぽいよくある音の楽器ということになります。どこの国の製品であっても現代のものはそのような音がするものが多くありますので、特別ありがたがる必要はありません。私が初めて作った楽器の音がそうだったくらいでしたから特別な研究は必要ありません。

お店としては仕入れやすい楽器の音ということができるでしょう。
作っている職人が多いものですから供給が安定します。
これが古い楽器となると入手するのはとても難しくなり、いつでも仕入れることができなくなります。「その時だけたまたまあった」というのが古い楽器です。
偽物が非常に多いためトラブルの原因になります。客の財産がどうなろうと平気という心臓に毛の生えたような人以外はなかなか手が出しにくいものです。



その上で強い音だとたくさんの楽器の中でも目立つため優れていると思いやすいです。いくつも楽器がある中から選ぶと音の強いものを選ぶことが多くあります。後で何年かして「耳障りなんだけど何とかしてくれ」と言ってくるわけですか、そのようなものを選んだのは自分です。日本の方でも、そうやって選んだ楽器も結局は弾かなくなってしまったと言っていました。

特に高い音は人間の聴覚の特性のせいか鋭く耳障りに感じられやすいものです。楽器のキャラクターとして低い音も同じような音になっているのにそちらは気にならないどころが「力強い」と好印象を受けます。楽器をパッと弾いた瞬間に「おお!良く鳴る!」と印象を受けます。高音に差し掛かると「ちょっとやかましいけどなんとかなるだろう」くらいに思って買ってしまいます。しかしどうにもなりません。むしろ弾きこむことで楽器が本領を発揮しだし、もっと鋭い音になって「何とかしてくれ」と訴えてくるのです。


この結果お店に置かれる楽器は「明るくて鋭い音」の楽器となり、新作っぽい音の楽器ばかりとなるのでしょう。そのようなものしかお店に無ければその中で自分好みのものを探すことになります。
営業マンは会社が売れる楽器の音をそろえているわけですからありふれたそのような音を良い音だとベタ褒めします。


このように日本人の好む音は「明るくて輝かしい音」だと言われています。ということはヨーロッパでは違うということです。つまり日本人が良い音だともてはやしているものをヨーロッパに持って行っても反応が薄いということです。

私自身は明るい音はあまり好きではありませんので「日本人にしては珍しい」とこちらでは言われます。しかし、実際にお会いして話をした方で「明るい音が好き」という人はいなくて「暖かみのある落ち着いた音がいい」という人ばかりです。

日本人は「わび・さび」という美意識を持っているので落ち着いた枯れた音を好むことは想像が付きます。
それに加えて、繊細な感性を持っている民族です。私は本質的には日本人のほうがより繊細な好みを持っていると思います。したがって鋭い音を嫌う人はヨーロッパの人より多いと思います。実際に「音が鋭くて不満」と言っている人の楽器でもこちらで体験するものに比べれば大したことがないケースが多いです。日本人が鋭い音と考えているのもこちらではそれほど鋭い音ではありません。
ヨーロッパにある楽器で鋭い音というのは日本には無いケタ違いに鋭い音のもので耳が痛くなって逃げ出したくなるようなものですが、持ち主は平気で弾いていたりします。

鋭い音の楽器は100年くらい経ったものに多くあり、新作で鋭かったものが古くなってより鋭くなっていると思います。また作りの荒いものに鋭いものがあり、100年くらい経った量産品ではとんでもなく鋭い音のものがあります。もし音が強いほど良いというならこれらの楽器が最強です。戦前のマルクノイキルヒェンの楽器などはこの尺度では最もコストパフォーマンスに優れています。

初心者が初めに使う楽器も日本なら新品の量産品が多いでしょうが、ヨーロッパには古い量産品がたくさん眠っているためこれらを使うことが多くあります。初めて使う楽器が最高にやかましい楽器なのでハンドメイドの楽器にステップアップするときには新作では物足りないため100年以上たったモダン楽器に人気があります。

「明るい音」はこちらではあまり売れません。
以前修理したモダン楽器は板が厚かったので明るい音がしました。それでも新作に比べれば落ち着いたものでこんな音を好む人もいるかもしれないと思っていましたが、10年以上経ってもまだ売れません。それに対して去年修理した暗い音のデンマークのモダンヴァイオリンは半年もせずに売れてしまいました。この楽器は日本の方が所有していたのですが好みの音ではないということで日本で売ろうとしたところ全く売れずにいました。私はすぐにヨーロッパで人気の音だと考え、持って帰るとすぐに売れてしまったのでした。日本で売れなかった理由はその音というよりもデンマークという国名によるところが多いはずです。日本人は国名を気にするからで、弦楽器の世界でデンマークなんて聞いたことがないわけですが、どこの国の職人でも優れたものを作ることができるのは当ブログでずっと言って来ていることです。

うちでは暗い音の楽器を良い音だと薦めているわけではなく、勝手に試奏してもらって選ばれているのが暗い音の楽器なのです。


このように日本で盛んにプッシュされる「明るい輝かしい音が良い音」というのは世界中誰もがそう思っているわけではありません。にもかかわらずそのようなものしか店に無ければ消費者はそれしか知ることがなく、その中で「この作者はどうか」とマニアぶった人たちが議論しているのです。オーケストラにはそういう人が何人かいるようですが相手にする必要はありません。知的好奇心があるのなら私のブログを読んでもらいたいところです。


ある人が言っていました。
日本の楽器店で試奏すると、200万円300万円と・・・徐々に価格を上げていきます。さすがに1000万円以上になると現実的ではなくなってしまい試奏は止めておきます。お店はイタリアの楽器しか薦めませんし、好んで鋭い音の楽器を集めているはずです。こうなると落ち着いた柔らかい音の楽器に出会うこともないのだそうです。
さらに4~5000千万円のオールド楽器ならあるかもしれません。もしこれがドイツのオールド楽器なら200万円くらいでもあるかもしれませんし私の作る楽器ならそれ以下でもあります。

ドイツのオールド楽器なら数千万円のイタリアのオールドと遜色がないものがあると思います。私が作ったものは本当の何億円もするようなものにはかなわないにしても価格の差に比べたら音の差は小さいものでしょう。健康状態も良く設計に問題もないため下手なオールドよりうまく鳴ることもあります。
今回は試してもらった人でも明らかに私が作る楽器の音が店にあるものと違うということは実感してもらいました。好きか嫌いかは別として違うということは間違いないです。楽器職人はいろいろな理屈を言って自分の楽器が優れているように言いますが、実際の音を出してみると普通の楽器と変わらないことがほとんどです。それに比べると明らかに音が違うということが分かってもらえます。

今回作ったビオラについてもお店には無いもので気に入ってもらいました。その方の先生も「新作っぽくない、良い音」と驚いていたそうです。ウンチクを捨てて自分の感性に素直になればきっとわかる人もいるんだなと思います。

私は日本では働いたことがなく「日本の人は明るい音を好む」という知識を持っていたので自分の作る楽器が受け入れてもらえるかわかりませんでした。しかしブログ使って活動を続けているとそれが、日本の楽器店では手に入らない魅力的なものだと分かってきました。


いずれにしてもイタリアの楽器にこだわることは自分の好む楽器を手に入れる可能性を著しく狭くするものと言えます。「明るくて輝かしい音」が好みならドイツの楽器のほうがそれを高いレベルで実現してくれるでしょう。

すべてのイタリアの楽器が悪いということではありません。ただ単に値段が高すぎると言ってるだけです。道具の良し悪しが分かるというレベルには程遠いのです。教師と楽器店が力を合わせて間違った知識を揺るがせないのです。


近代という時代

私が古い時代に興味があるのは現代人としての発想で物を考えていると考え方が狭いからです。「消費者ニーズ」という考え方も民主主義を応用したものです。民主主義が悪いと言いたいわけではなくて民主主義には人間は賢く正しい判断ができるという前提があるように思います。それは思い上がりでしょう。かつては神様のような存在に比べれば人間なんて愚かなものだと考えられていました。神様が非科学的だとしても人間を賢いと信じるのも根拠はないと思います。
その一つに近代や現代では「作者の独創性」のようなものを重視します。特定の個人を神様だと思って信仰の対象にしたいのでしょう。私は文化というのはそういうものではなくて多くの人が関わりあって厚みを増していくものだと思います。

新作の時点で音を評価して楽器の良し悪しの判断を下すこともできないです。
今の時点で絶賛されても100年後の人たちは、「100年前の人は奇妙な価値観が流行っていてあの手の楽器がよく売れたらしい」と考えるかもしれません。私は数百年という単位で楽器を見ています。今使う人の満足度もないがしろにできませんが、今の時点の評価だけに集中することもできません。

自分の出来る事をするだけです。


次回はチェロの修理について紹介します。
作業の手間からチェロはちゃんと作るととても高価になってしまい一般的な量産品よりも良いものが欲しいと思ってもちょっとやそっとの金額では良いものは買えません。そのような問い合わせは勤め先にも私個人にもたくさん寄せられています。そんなチェロがあれば飛ぶように売れてるわけですが難しいです。実際の例を見ていきましょう。
クオリティについて語ってきたこのシリーズもビオラが完成したので全体的な話です。
しばらくブログをお休みして5月には再開します。
初めて見つけてきてくださった方にも今回の記事はブログの本質を表す内容にしたので多くの人に読んでもらえたらと思います。

こんにちはガリッポです。

この前はオールドヴァイオリンの話でしたが近代や現代のヴァイオリンについて考えていきます。
さんざん言ってきたことでモダン楽器はフランスで確立して各地に伝わり地域ごとに特徴のあったオールドの伝統をすっかり消し去って取って代わられたものです。そのためどこの国のものでも近代以降のものは「フランスの楽器の出来損ない」という面があります。

イタリアのモダン楽器を「フランスの楽器の出来損ない」と言うのは私くらいでしょうがそれくらいの見方をしてようやくフェアというくらい持ち上げられてきています。値段に関して特にリーマンショック以降安定した資産として急激に値上がりしています。ブログを始めた当初でも楽器の出来栄えに対して高すぎることを言ってきましたがいよいよ純粋に投機の対象になりもはや音楽とは別の世界のものになってしまいました。音楽よりお金が好きな人の買うものです。

私のところでは高すぎるイタリアの楽器を買う人は多くありません。
特に現代のものは日本に休暇で帰った時のほうがこちらで10年間働いているより多く見ます。

モダン楽器なら少し見ることがあります。
ちょうどそのような楽器がありました。
職人から見て同じようなレベルのドイツの楽器もありました。
イタリアとドイツの楽器の見分け方が分かると良いですね?
くまなく見比べてみました。


さらっと言いましたが、イタリアのものと同じようなレベルのドイツの楽器が存在するということすら日本では知られていないのです。もしくは隠蔽されていると言えるかもしれません。ドイツの楽器と言えば戦後西ドイツのブーベンロイトで大量生産されたものが大きな弦楽器店で販売され中年以上の方にはおなじみのものです。今は中国のものが多くなりました。ドイツの楽器としてイメージするのはこのようなものです。そのためイタリアのハンドメイドの楽器よりはるかに安価のものというイメージがあります。実際にはドイツにもたくさんの優秀な職人がいてヴァイオリン製作コンクールでも常に上位に入っています。

実は生活水準の高さからドイツのマイスターの楽器を輸入するとイタリアの楽器よりも高くなってしまいます。そのためほとんど輸入されていないはずです。わずかに輸入されているのはマルクノイキルヒェンのマイスターのものなどでこれは大量生産品の上級品くらいのものです。

このようにブランドイメージとしてドイツ製はブーベンロイトの大量生産品、イタリアはマエストロの高級品というものになっています。しかし実際にはドイツは国内の市場が大きいために内需に向けて高級品を作ってきたので輸出は積極的ではないということ、イタリアではアメリカや日本への輸出に頼らざるを得ないと言えます。ヨーロッパでイタリアの楽器を使っている人が少ないというのはこのためです。

その証拠にクレモナで出版された現役のマエストロを讃える本にはイタリア語、英語、日本語、中国語で書かれていてヨーロッパの他の言語は記されていないのです。明らかにターゲットを絞っています。世界的な評価のようなものが存在していると勘違いしている人がいますがそれにはヨーロッパが入っていないのですから世界ではありません。

そもそも弦楽器というのはそういうものではないということをブログで説明してきています。


日本の経済力が落ちて来たために目を付けているのが中国です。
成金趣味は成長期の国に顕著で日本もそういう時代がありました。
日本も次の段階に進む必要があります。そのための情報が当ブログです。


実際には職人の目で見た時イタリアの楽器と同等かそれ以上の他の国の楽器がたくさんあるのです。にもかかわらずモダン楽器の値段は5倍くらい違います。だからもはや楽器ではなく金融商品だと言っているのです。

それでは見ていきましょう。

イタリアとドイツのモダンヴァイオリン



これはイタリア中部のアスコリで1894年にエミリオ・チェラー二によって作られたものです。パッと見た瞬間にドイツやチェコの量産品でないことは分かります。なかなかいい楽器だとすぐにわかります。

裏板は一枚板で地肌は染めてあります。

エッジは丸みがあり軽くアンティーク塗装になっているようです。

ボタンも丸みがあり甘い感じです。
パフリングも輪郭もピシッとはしていません。しかし大量生産品と違って全体の形はバランスよくできています。

f字孔もこんな感じとしか言いようがありません。

スクロールも角が丸くなっていて鋭さはありません。完璧に整っているということでもありません。

正面から見るとはっきりわかることがあります。左右が全然対称ではありません。渦巻きの中心が右のほうが低いですね。丸の直径も違います。センターのラインも甘く真っ直ぐではありません。

そのため右側の形が左と違ってくるわけです。

次は

アドルフ・シュプレンガーが1930年にシュツットガルトで作ったものです。少し時代は新しいのですが決してクオリティでは引けを取るものではありません。
イタリアとドイツの違いが分かりますか?

私にはよくわかりません。
弦楽器というのは訓練すれば誰にでも作れるものなのでどこの国の人でも変わりがないのです。
イタリアの職人は天才でドイツの職人は凡人と言えるでしょうか?

裏板は2枚の板を張り合わせたもので地肌は染めていません。木の自然な色です。
ニスの色合いはオレンジなので新しく見えます。個人的にはチェラー二のほうが好きですが好みの問題です。

まあ、同じようなものです。ちょっとだけシュプレンガーのほうがきちっとしている感じがします。

f字孔もそんなに変わらないです。

スクロールは明らかに違います。はるかに左右も対称でビシッとしています。

渦巻きから外側の輪郭まで丸みを強く意識してきれいに仕上がっています。チェラーニのほうが間延びしたような形をしています。

右側も丸みを意識したものです。

スクロールにははっきりイタリアとドイツの違いが表れています。型に対して正確に加工しているのがドイツのもので、目分量でなんとなく作っているのがイタリアのものです。

アーチにも違いがあります。チェラーニのものは断面がとんがった三角形をしています。ノミでザックリ彫っていった感じで仕上げも甘さがあります。それに対してシュプレンガーは表面をデリケートに仕上げてあります。フランス的な雰囲気があります。

イタリアのほうが手作り感があると言えるでしょう。加工や仕上げの感じがフランスの楽器に近いのはドイツのものです。チェラーニの方はチェコの楽器にも似たようなものがあります。


考え方の違い

パッと見た瞬間にどちらも粗悪なものや量産品ではなくクオリティが高い一人前の職人のものだとすぐにわかります。ハンドメイドの高級品であることはすぐにわかります。

板の厚みを調べてみると表板はほぼ同じです。全体が2mm台でフランスのもののようにどこも同じくらいの厚さです。裏板はチェラーニのほうが薄くフランスの楽器のようなものでシュプレンガーのほうがやや厚めです。ミドルバウツやロワーバウツのセンターが厚くなっています。チェラーニのような厚さは私も好んで作るようなものです。音色などには違いはあるでしょうが好みの問題でどちらも構造上問題があるというものではありません。
板の厚みからするとチェラーニのほうが暗い音がしてシュプレンガーのほうが明るい音がするはずです。なぜか無知な人達はイタリアの楽器が明るい音がしてドイツの楽器は暗い音がすると信じているようですが、板の厚みによっては逆にもなりうるのです。


ドイツの場合には大量生産品も作られているのでマイスターのハンドメイドの楽器はそれらよりも高品質でよくできていることが求められます。フランスでもそうです。その結果量産品とは明らかに違う品質のものを作ることが宿命づけられていたと言えます。
それに対してイタリアの場合には事さらに品質の高さを誇示する必要が無かったと言えます。アメリカなどに輸出もしていたので品質にこだわるというよりはどんどん作って行かなくてはいけなかったという面もあります。

そういう意味ではイタリアの楽器は「自然体」という感じがします。素直に作られています。
仕事はシュプレンガーのほうがきちっとしていますが、チェラーニの方も雰囲気は心地良いです。

どちらも同じようなレベルの楽器のように思いますが値段にするとチェラーニは550万円くらい、シュプレンガーはせいぜい120万円くらいです。年代が多少違いますがそこまでの差がどこにあるかは全く分かりません。

これまでのことを踏まえて次の写真を見てください。

これはイタリアのものかドイツのものかどちらでしょうか?
角は甘く、形はいびつです。

ビシッとしてはおらずくたっとした感じです。

バランスは完璧ではなくユニークです。

さあ、イタリアかドイツのどちらでしょうか?



正解はこれはとても安価なドイツかハンガリーの量産品です。仕事が甘くて手作り感があります。
ドイツのマイスターの楽器はこれらとは明らかに違うクオリティが求められるのです。そのためヴァイオリン製作コンクールでも常に上位の常連なのがドイツの職人です。イタリアの楽器はニセモノが多く出回るわけです。




教育としてはドイツのほうが型に対して正確に加工するように指導されたのでしょうし、イタリアのほうがさっさと作るように指導されたのでしょう。そのような違いは雰囲気に現れてきます。

そうかと思うとイタリアにもきちっとしたものもあります。ドイツにもいい加減なものがあります。
職人個人個人になるとどちらの国にもいろいろな人がいます。
「キチッと作るのを悪趣味でそんなものは本物じゃない」と言ってしまうとイタリアの特に値段の高い作者にもそういう人がいるので矛盾します。アバウトに作るのが良いのならどこの国にもアバウトに作られたものがあります。

イタリアの楽器を見分けるには通用する鑑定書があるかどうかということになります。

私のビオラ

私は古いイタリアの楽器を研究しているのでそのような現代の考え方とは離れてきています。
もはや現代的な楽器は作れなくなっているのかもしれません。

それでも十分なクオリティを備えていなければ単なる粗悪品になってしまいます。しかし現代のヴァイオリン製作コンクールのような完璧さは目指していません。

少しずつ紹介してきたビオラも出来上がりました。

全体の形は小さめの画像でも見てください。

アマティの形をそのまま作ったものです。これにくらべたらさっきの二つのヴァイオリンはどちらも同じような形をしています。現代の感覚ではこのようなものは設計できません。これはアマティの複製でしかできないのです。これが私の古い楽器の楽しみ方です。それくらい現代の楽器製作は標準化されてしまっています。だからどこの国のものでも同じようなものなのです。

複製のほうが個性的で自分独自の作品のほうが個性が無いというのが実際のところです。
このビオラは本格的なアンティーク塗装ではありません。私の中ではフルバーニッシュくらいの感じですがこれでもかなり落ち着いた感じがします。もはや新作らしい楽器を作れなくなっています。


古く見せようという気は無いのですが当たり前のように渋い感じになっています。

私の目はオレンジの鮮やかなニスは苦手です。新しく見えるからです。
もちろん新しさのきれいさというものもあります。使っていくうちに傷が付いたりニスが剥げてきたりすると見苦しいものです。補修するのですがフルバーニッシュの新品の楽器の傷直しはとても難しいです。そのうち直しきれなくなってきて20~30年すると汚れも取りきれなくなってきて雰囲気が出てきます。ヤドクガエルのようなきついオレンジも落ち着いてきます。

しかし30年というとなかなか雰囲気は出てきません。それまでは見苦しい期間が続きます。中古車もそうですね。15年くらいすると新車時の輝きはすっかりなくなります。これが30年40年経ってくるとクラッシックカーになってきます。それまではただのオンボロという期間があります。

私のようなものならそこを飛び越えて初めから趣きがあると思います。これもリアルな複製に挑戦している副産物です。

f字孔もコーナーも現代にはあまり無いタイプのものです。f字孔はアマティをイメージして私がデザインしたものです。オリジナルはヴァイオリンのf字孔が付いていて小さすぎるからです。

私の中ではアンティーク仕上げではないのでエッジなどは丸くしていません。アマティやストラディバリも作られた当初は角がピシッとしていてチェラーニのように甘い感じではなかったはずです。いくつかはほぼ未使用で残っています。地肌は染めてあります。
オイルニスで地肌も染めてありイタリアのモダン楽器のような風合いもあります。新品ですが100年くらい経ってる雰囲気もあります。
ブーベンロイトの量産品でも手法自体は同じです。しかし人工的な着色料でわざとらしく微妙な風合いが出ていません。

これは蛍光灯の元で撮影しているので自然光の下ではもう少し赤味があると思います。

ボタンにはコンパスポイントという点があります。コンパスを使って丸を描いたということです。丸みにキャラクターがあります。

アマティのキャラクターは残しつつきれいなカーブになるように仕上げてあります。十分高級品として通用するレベルだと思います。


アマティのスクロールは近代のものほど完全な丸みではありません。あまりにも完全にしてしまうと現代風になってしまいます。今ではオールドの名器の写真から型を起こすことが多くなりましたが、昔は工房ごとに型があって師匠から弟子へと受け継がれたものです。工房や流派ごとにストラディバリモデルというのもあったのですが今ではヴァイオリン製作学校で教わり名器の写真から型を起こしているのでどこのだれが作ったものなのか全くわかりません。

やや暗いので別の写真で見てみましょう。


全くの新品よりは少し落ち着いていると思います。

十分なクオリティがあると思います。

ペグは希望によって黒檀にしました。このような形のものはヒルハートモデルと言います。普通はツゲに黒檀の飾りがついているものです。形が同じで真っ黒というのもシックで主張しすぎない感じが良いです。

キャラクターの強いオールド楽器、完璧さを求めたフランスの楽器、アバウトな近代のイタリアの楽器、・・・それぞれ考え方があります。いずれの時代でも安価なものは雑に作られています。そのため上等なものを作りたいという気持ちが職人にあれば手っ取り早いのは品質の高いものを作ることです。努力によってどうにかなるものです。
しかし本人は完璧に作ったつもりでも雰囲気の悪い楽器はあります。人間の目に心地よい喜びを与えるというのはそれとはちょっと違うのだろうと思います。
そうなるとイタリア人の理屈ももっともだなと聞こえるわけです。しかしこれを悪用すれば単なる粗悪品です。
「一歩間違えると○○に見える」と私もヴァイオリン製作を習っているときは言われたものです。雰囲気もすごく大事で今でも苦労しています。

違うのはアーチ

現代の楽器製作と全く違うのはアーチです。

ドイツの楽器ではフランスの楽器のようなアーチの「面」になっているということでした。それに対してイタリアのものはもっと柔らかい感じがします。チェコの楽器でもそうです。雰囲気が違います。

とはいえオールドはもっと違います。
中級品くらいならボッコボコです。アーチ全体の高さだけでなく現代では起伏がなだらかで凹凸が少ない方が良いとされています。緩やかな丘陵になっている方が良いとされています。それに対してオールド楽器はそんなことは知らないで作っています。

人によってものすごく差があるのもオールド楽器です。作る人の造形感覚がはっきり形に現れています。クレモナの楽器製作を甦らせたなどと言われるジュゼッペ・フィオリーニのような現代のイタリアの職人でもフランスやドイツのアーチの感じとは違ってもオールドとは全然違うように思います。レスピーギという作曲家がバロックやルネサンスの音楽を再現したような感じで本当の昔の感じではないのです。

現代の工業デザインでは製造技術という制約からいかに自由なデザインをするかというところがあります。平らな板を張り合わせて作ると四角いものになります。ボタンやつまみ、取っ手のような部品も四角い箱に取り付けてあるという感じになります。現代の工業デザインではそれらを一つの立体造形として流れるような形やラインにします。プラスチックのようなものであればそのような造形が容易だからです。

職人が作っていたころのものは製造上の制約があってその中で趣向を凝らしていましたが、現代の作者は初めからデザイナーのように設計することができます。
そういう意味で現代の造形センスに優れたイタリアの楽器は「現代的な」造形感覚が発揮されていると思います。

それに対してオールド楽器は「制約」に縛られて不自然になっています。流派によって製造の手順があってそれが完成に影響してしまっているのです。たとえばヴィドハルムというドイツのオールド楽器では始めにこんもりとアーチを作ってから周辺に溝を掘ったのでエアーズロックのような台状になっています。アマティには独特のぎこちなさがありストラディバリではこれがいくらか自然になっています。

このような手順がそれぞれの流派にあり特徴を残しています。そのため私はテストーレのラベルが貼ってあっても一発でこれはザクセンのオールド楽器だと分かるわけです。

そのような形跡を残さないようにするのが近代の楽器製作です。そのため近代以降の楽器であることは分かってもどこの国のものか見分けがつかないのです。

1600年代のアマティの流派にも独特の雰囲気があり私はそれを研究しています。1700年代のストラディバリやデルジェズのコピーでもそれらを崩したものになるので近現代のものとはちょっと違う雰囲気になるのです。

そのようなことは染みついているので今回のビオラでもアマティの複製を忠実に作ろうとしなくても自然ととんでもないものになっています。

今回特に気を使ったのは小型であるということで窮屈な構造にならないようにという点と薄い板にしても変形しないように強度を確保することです。アマティの流派でもいろいろありますからその範囲の中での話です。

写真にとるのは難しいですが立体が写っているものを載せます。











ビオラの場合には大きいのでヴァイオリンよりなだらかになりやすく特徴の無いアーチになりやすいものです。しかし現代の考え方とは違うのでこの楽器も古くなったときには他の同時代のものとは違いオールド楽器のようになるでしょう。

それでもアマティの流派のものは調和がとれているのでそんなにメチャクチャじゃないです。その違いが難しいのです。

気になる音は?

ブーベンロイトの80年代の同じサイズのビオラと比べてみました。ブーベンロイトのものはおなじみの「西ドイツ」という感じのもので現代の大量生産品はこんなものです。持ってみると重さが全く違います。これは板が厚く削り残している部分が多くあるからです。
私はビオラはあまり弾いたことがありませんがいかにもありがちなビオラだということは分かります。明るい音で低音には深みがありません。素人が弾いてもいきなりギャーッと音が出るものでD線やA線は鼻にかかったようなビオラっぽい音がします。

それに対して私の作ったビオラは弦を張ってすぐでしたがずっと暗い音のするものです。C線は深く暗い音色ですが、鳴り方はまだまだの感じです。G線はボーと共鳴するのが分かります。量産品を改造したチェロでもそうでした。出来たての時はCの下の方が相対的に弱くてどうかなと思っていてもしばらくすると低音も出てくるので問題は無いと思います。
A線もビオラっぽい癖は全く無くヴァイオリンのように素直なものです。
ある職人は自作のビオラの高音を何とかするために魂柱と表板の間にゴムを挟むなんていう秘策を編み出したと豪語しているのを聞いたことがあります。こういう噂は職人の間では広まるものですが、私のビオラでは全くそんな必要が無いのです。

ナイロン弦を張ったチェロのような音色の低音にヴァイオリンのような高音でよくあるビオラっぽい感じがしません。
このモデルで横板を高くして子供用のチェロを作ったら良いと思います。音色のバランスは下手なチェロよりも深みがあります。

ちょっとした弓の加減によって音が変化しますから私のようなものが弾くとまだまだ限界が先のほうにあるように思います。そういう意味ではブーベンロイトのほうが音が出しやすいです。それが量産品の音です。

しばらく様子を見て楽器がなじんで来たら微調整をしたいと思います。


久々のフルバーニッシュ?

古い楽器の複製を作ってきましたが2013年以来新品として楽器を作りました。新品なのに完全に私のスタイルができています。最後の方になってようやくやり方をつかんだ部分もあります。

オールド楽器の複製は非常に手間がかかるので気力も時間もなくなってしまったら作らなくなるかもしれません。しかし経験をしたことは普通の新作にも反映されています。自分独自の作品として作られている楽器のほうが個性が無いのです。

私の楽器の特徴ははっきりと出てきています。もはや師匠や兄弟弟子とは全く違うものです。個性的でありながらクオリティも高い、音にもはっきりとした特徴のあるものになっています。

私は「世界一の職人」なんてなるつもりはありません、アマティ一門の一人くらいになれたらいいなと思っています。

私はヴァイオリン、ビオラ、チェロを作ると一番評判が良いのがビオラです。ほとんど弾いたこともないのにです。チェロもチェロを子供のころから習っていた職人のものより劣ることは無いです。職人の才能は不思議なものです。ビオラはヴァイオリン族の楽器の中では一番基本となるものです。弦楽器をどのように理解しているかということでしょう。


クオリティという概念


ずっとクオリティということに対して語ってきました。別に最高のクオリティのものを買えと言ってるわけではありません。ひどく粗悪なものを避けるように言ってるだけです。偽造ラベルの貼られた量産品を高価な名器だと思って買ってしまう人が後を絶ちません。少なくとも量産品なのか並みレベルの職人のものなのかが分かれば9割はこのようなことが防げます。

無名な作者であっても十分なクオリティがあれば、弾いてみて音を気に入ればいいのです。無名なほど値段は安いです。
その職人は立派な職人なのです。
誰もバカにすることはできません。

弦楽器は天才だけが素晴らしいものを作れるというものではなく誰でもまじめにやれば十分なものが作れます。音は好き好きです。
しかし商業上はあたかも「世界的な評価」のようなものがあり一部の人がはるかに格の違うものを作れるという風に思い込ませるようになっています。本当に音を弾き比べてみてください。
自分の耳も信じてください。


しばらくお休みにします。
また5月くらいから再開します。

アマティは平面で見るとかなり個性的な形で現代の標準からかけ離れているので作るのをためらってしまいますが立体にすると不思議と美しいものです。勇気をもって作る甲斐があるものです。
ブッフシュテッターの完成の姿です。
オールド楽器の取引や問題についても考えていきます。

こんにちは、ガリッポです。

3月下旬から4月下旬まで日本に帰ります。
今回はチェロの修理の時間が厳しいのでいろいろなことができません。
次回でブログもお休みにさせていただきます。



いつものようにニセモノにまつわる話から。

中々の腕前のアメリカ人の男性に頼まれてヴァイオリンを修理していました。私が裏板を見るとすぐにザクセンのオールド楽器であることが分かります。
テストーレのラベルが貼ってありましたが、そのようなものは何の意味もなしません。

スクロールは素朴な感じがしますがオリジナルではなく別のもので、テストーレにも似せてはいません。表板はニスが裏とは違い、一見オリジナルではないように見えます。それでも全く新しいということは無く少なくとも100年くらいは経っているでしょう。パフリングを見ても裏板と違う感じはしないので、修理で手を加えられただけでオリジナルかもしれません。

表板は魂柱を通過して真っ二つに割れた傷跡があり修理もずさんなものです。

コーナーの修理もひどいものでパフリングの先端がカットされています。

これは私が今回直した修理です。


裏板と明らかにニスが違うスクロールですが継ぎネックがされています。継ぎ目が黒い線になっています、隙間があるということです。

これは私が今回修理したブッフシュテッターのものです。全く継ぎ目が見えないということはありませんが黒い線にはなっていません。

作者不明のザクセンのオールドヴァイオリンなら25~100万円くらいです。これはさほどきれいでもなくスクロールもオリジナルでないのでちゃんと修理をしたとしても100万円に近い値段は難しいと思います。

本人は本物のテストーレだと思っているらしいので幸せを考えてこのことは言わないようにしました。

修理が終わって弾いてみると音はなかなかどうして悪くなかったです。高音にも鋭さは無く、全体的にも古い楽器のカラッとした雰囲気のある音でした。音に強さがあり嫌な音もしないのです。弾いていて本人がニセモノだと気付かないわけです。
ただ量産品のスチューデントヴァイオリンのようにリミッターで制限されたような鳴り方でのびのびと自由に鳴る感じがしません。

50万円くらいなら悪い楽器ではありません。

アメリカの人たちがこのような楽器を愛用しているのは何となく想像が付きます。アメリカ人の観光客が店に来ると「ビューティフル!!オーマイガー!!」と大げさに驚いています。古いヨーロッパの楽器というだけで良いものだと思っているのです。アメリカでは教養のある文化人であることを良しとするインテリ層があってとにかくヨーロッパの文化を信奉する人たちがいると聞いています。先祖たちの故郷ですから特別な思いがあるのでしょう。

そのためヨーロッパの古い楽器なら何でも売れるのです。音も古い楽器の味があり悪くないので、ニセモノだと気付かないのです。

このようなニセモノは聞くと中途半端な値段で買った人が多いものです。本物のテストーレとしては破格の安さなのに対してザクセンの楽器としてはべらぼうに高いものです。
テストーレなら3000万円くらいしますが一昔前ならこれよりはずっと安かったはず。それでも現実的に楽器を買える値段の数百万円ということは無いはずです。しかしザクセンの作者不明の楽器に100万円以上出すのは高すぎます。

よくわからない仕事の粗い古い楽器があった時に「とりあえずテストーレにしておけ」と偽造ラベルが貼られたような感じです。

テストーレのようなミラノの流派はオールドのイタリアの時代には今のスチューデント楽器のように安価なものだったはずです。そのため仕事は雑で安上がりに作られています。天才でも巨匠でも何でもありません。フランスのモダン楽器のようなものに比べれがはるかに質は落ちるものです。そのため手放しで良いものだと思い込んで買うのではなく、優れたモダン楽器とも比較する必要があると思います。適当に作ってある楽器はその適当さが音にとって良い方に作用している場合もありますし、悪い方に作用している場合もあります。

それでも貴重なものでそんなにそこらじゅうにあるのはおかしいです。大量のニセモノが流通していると考えた方が良いと思います。

ポジティブに考えて生きていくのも幸せと言えば幸せですが、楽器の専門家としての領域ではありません。


ブッフシュテッター


修理が終わりました。

ストラディバリのロングパターンと呼ばれる細長いモデルを元にしていますからいわゆるドイツのオールド楽器のシュタイナー型と違うことはすぐにわかります。上下の幅は狭いのですが中心部分は幅があるので窮屈な構造にはなっていません。この前か改造したものですがアゴ当てが大きすぎますね。

私が修理したコーナーはちょっと長すぎる感じもします。将来傷つくことを考えて少し長めにしておきました。短くしたければいつでもできます。

ニスが剥げ落ちている部分も無色に近いニスでコーティングすることで黄金色になっています。ここを他のところと同じように塗ってしまうと新しく見えてしまいます。通常なら150年くらい経っている様子ですので状態は良いと言えます。


裏板も同様で実際に使用して自然にニスが剥げた様子です。アンティーク塗装の場合にはあまりにも規則的になりすぎていることが多いです。
実際にはかなりイレギュラーです。ニスの色はドイツの楽器らしい濃い茶色のものです。木の地肌自体は黒く染めてはいませんのでこちらも黄金色になっています。木自体は黒ずんだ色になっているので修理のためにニスが剥げたところに薄い黄色がかったのニスを塗った結果黄金色に見えます。実際には地肌にもニスにも汚れが付着しているので補修するときは完全に無色だと他の部分より明るくなります。
接ぎの合わせ目は付け直したので隙間が無くなっています。これで裏板の振動が真ん中で分断されることがありません。修理前は羊皮紙でセロテープのように留まっているだけでした。


古い部分は木の色が違うので新しく継ぎ足した部分と違和感なくするのは難しいところです。さすがに最近は慣れてきました。木を染めるのがポイントです。ニスの色だけでやろうとすると手が触れるところはニスが剥げやすいので真っ白いところが顔を出してきて見苦しいものです。

よく見ると継ぎ足してあるのが分かります。これは正当な修理なのでことさら隠す必要はありません。でも明らかに黒い線になっているようでは接着が不完全です。


ここも色を合わせるのは難しいところです。ここでも必死になって継ぎ目を隠そうとしなくても普通にニスを塗るだけでこのようです。

これで一線で使える万全なネックになりました。


アーチはオールドのドイツのヴァイオリンには珍しく近代に近いものです。逆ですね、近代の楽器がこのように作ったのです。ネックを取り付ける角度も一般的な新作と同じです。高いアーチの楽器ではとても難しいところです。良い角度でネックが付いていることはまれなので実力を過小評価される原因になっていると思います。

横板も手や体が触れるところはニスが剥げていてクリアーで保護しています。何となくピシッとしています。オールド楽器の中でも品質が高い方です。

現代のペタッとしたものよりは柔らかい感じがします。初めはシュタイナーのようなものを作っていたので立体視する訓練はできていたと思います。フランスのリュポーでもストラディバリでもデルジェズでも若いころは高いアーチの楽器を作っていてそれからフラットになってきます。現代の職人は初めからフラットなものの作り方を学びます。それに適したように道具や作業の仕方が出来上がってきたのが現代の楽器製作です。そのため高いアーチの楽器を昔のようには作れないばかりかフラットなアーチでも基本が違うために別物になってしまいます。塗装を古びたようにしてもすぐにオールドでないことが分かってしまいます。

ニスの剥げたところの黄金色が目立って見えます。残っているニスの色とのコントラストが鮮やかです。
クレモナのオールドでもこのようなニスの状態のものはオークションなんかに出ていることがあります。1流の演奏者が使い込んでいるものはニスがほとんど残っていないものが多いです。

表板もアーチの高さは現代の一般的なものと変わりません。しかしなんとなく柔らかい雰囲気があります。

スクロールは作者の特徴がはっきり表れているものです。カーブはきれいに仕上げられています。雑なものではありません。近代のものとは違いますが立体的にはむしろ凝っているんじゃないかと思うくらいです。

右上のところはひどく摩耗しています。昔はここを机などに押し付けて調弦したのです。前回継ぎネックの時にちょっと木片を足したおかげでぺぐボックスから指板にかけてのラインが滑らかになっています。
これの効果です。

古い楽器ではここがぶった切ったようになっていることが多いです。指板を交換するときにネックの面を削りなおすと一緒に削ってしまうからです。ペグボックスの印象が大きく変わります。

こういうのもオールド楽器のコピーを作っていると分かってくるものです。

後ろに穴が開いているのも特徴ですが2本の溝も深く彫られています。ペグボックスの横の壁はスクロールからずっとくぼみが続いています。

渦巻きの中の彫り方も深いものです。

前から見ると渦巻きのところはかなり細い感じがします。近代のものは太いものが多いです。徐々に削っていくので初心者が作ったものも攻めきれずに太くなっている場合があります。
以前つけられていた指板はかなり細いもので苦労したところです。バロックの指板ではないのでオリジナルではありませんでした。継ぎネックも違和感なく何とかなりました。

水滴のような柔らかいカーブをしています。向こうが見えます。

裏板のボタンは黒檀の縁取りを付けるか迷ったところです。過去の修理で削られて小さくなっているからです。黒檀の縁取りを付ければ修理されたストラディバリっぽくなります。せっかく作者の特徴が残されているのでそのままにしました。幅さえ十分にあれば構造上の問題はありません。

これでもドイツのオールド楽器の中では奇跡的に状態が良いものと言えます。イタリアのものなら高い修理代を払ってもそれ以上高く売れるので微々たるものですが、ドイツの楽器はろくに修理されていないものが多いです。

秘密の修理法があるわけでもありません。もともと良い楽器なら普通に直すだけで健康的に音が出るようになります。正確な加工ができなければ何もできません。

板の厚み

せっかく分解しましたから板の厚みを測っておきました。

まず胴体の長さが364mmあるのが大きな特徴です。現在では355mm程度が標準ですから1㎝近く長いものです。フランスの19世紀のモダン楽器でも36㎝を超えるものが多くあります。それに対して横幅は狭いものです。アッパーバウツとロワーバウツは8mmほど狭く片側で約4mmずつ狭いことになります。それに対してミドルバウツはストラドモデルとしてはごく普通のものになっています。楽器にとって中央部分は駒が来るところなのでとても重要です。ここも狭ければかなり厳しかったでしょう。もとになったストラディバリのロングパターンでも同じことです。

板の厚みですが特徴は左右の合わせ目のところを厚くしてある点です。にかわの接着面積を広く取るためにわざわざ削り残しているようです。ということはかなり気を使って厚みを出す作業をしていたことが分かります。f字孔の周辺も縁取りのように厚くして外から見たときの厚みをそろえてあります。ザッザッと削ったのではなく注意深く削ったのが伝わってきます。そのため数字だけを見ると板は厚めの印象を受けます。しかし厚いゾーンは1㎝程度なのですべてが厚いということはありません。トータルで見ると板の厚みは標準的かやや薄いくらいのものです。現代の楽器ではエッジ付近がずっと厚いものが多くあります。

裏板の中央は4mmを超える厚さでドイツのオールドとしては厚い方です。ドイツのオールド楽器は3.5mm程度のものが多いです。3.5mmあれば構造上問題となるほど薄いものではありません。このブッフシュテッターでは裏板の魂柱の来る部分に変形などはほとんど見られず十分な耐久性を確保していると言えます。

中央は厚くなっていますが連続して変化しているのではなくてそこだけ急に厚くなっています。触ると段差があることが分かります。

ドイツのオールド楽器

チェロは難しいですがヴァイオリンであればなかなか魅力的なドイツのオールド楽器があります。

ブッフシュテッターは450万円くらいはするので安くは無いです。しかし同じくらいの値段でテストーレなどのニセモノを買ってしまう人もいます。イタリアの楽器だと思って買ったのがドイツの粗悪品だったというなら初めから上等なドイツの楽器を買った方が良いです。実際にテストーレのようなイタリアのオールド楽器のライバルに十分なりえるものだと思います。音は好みですから人によって意見は分かれるでしょう。

私がヴァイオリン製作を習い始めたころはこれくらいの値段ならフランスの一流のモダン楽器が買えました。今ではもう少し時代が新しい物しか買えません。もちろん検討に値します、好みや求める方向性によって意見が分かれるでしょう。



またイタリアの楽器で450万円ならオールドもモダンも無理でただの中古の楽器しか買えません。現代の楽器はイタリアだろうとどこの国でも変わりは無いのですから。モラッシーの若いころのものなら日本に限ってそれくらいの値段が付いているようですが馬鹿げています。山ほどいるほかのクレモナの職人と変わりません。それらは現地で100万円もしません。それが物としての楽器の値段です。

そのブッフシュテッターでもニセモノがあります。これが我々の業界のメチャクチャなところです。日本でもニセモノが売られているのを見たことがあります。
先週もブッフシュテッターを売りたいという人が連絡してきました。鑑定書もあるというのです。写真を送ったもらった段階でも全く違うとすぐにわかりました。こっちには現物が二つもあります。たまたま私が知らないだけで違う作風もあるかもしれませんが、買い取るならはっきりそうだと分かるもの以外は買わなくても良いです。証券取引所じゃないんだからすべて買い取らなくてはいけないという決まりは無いです。取引所も売りたい人と買いたい人が常にいるので売れるというだけです。弦楽器の場合にはそれを欲しいという人が現れるまで換金は出来ません。


クラシック音楽に携わる人たちは大金持ちもいれば権威主義の権化みたいな人もいます。彼らとは感覚が違うのなら彼らの間での評判は別の世界の話です。

隠れた名品を知っている人のほうが弦楽器に精通していると言えるでしょう。他にもたくさんあるはずです。面白いですよ。